〝クイック・サスペンス〟
タブレットの充電が切れ、修は気紛らわしの玩具を失っていた。仕方なしに浴槽から上がり、自室に戻ると外行きの格好に手早く着替える。
部屋の壁際に鎮座するのは業務用の二段ハンガーだ。重厚な真鍮作りのポールには、アウターだけで五十着を優に上回る大量の服が窮屈そうにかけられている。隣接する古びた本棚は、マホガニーをふんだんに使ったイギリスのアンティーク品である。古書やスニーカー、酒瓶からエムアンドエムズのフィギュア、コカコーラの看板といった調度品が所狭しと並び、僅かな隙間には真鍮で出来た古いドール・ハウスの家具が置かれている。どの角度から撮影しても古着屋と間違われるであろう、生活感に欠ける空間だった
修はアンティークの全身鏡の前に立って自分の服装を眺める。ぼんやりとした表情で彼を見つめ返すのは、覇気のない髭面の男だった。目の隈のせいで落ち窪んだように見える眼窩、そこに収まる生気の無い瞳。高校に上がったばかりとは思えない擦れた風体だが、年不相応に老け込んだ彼の精神には良くそぐう。
剃刀の替え刃を買い忘れる度、無精髭は伸び続けていく。髪も同じだった。帽子を被るのは切るのも整えるのも面倒だからだ。
肩につこうかという長髪を飾るのは、ジョニー・デップしか似合わないようなステットソンのフェルト・ハットだ。カラーはダークブラウンで、巻かれた黒いリボンの上にはブローチが一つ――定規とコンパスを組み合わせたフリー・メイソンのシンボル・マークが鈍く光る。アイウェアはファイト・クラブでブラッド・ピットがかけていたオリバーピープルズのスクエアのサングラス――夕焼けみたいなカラーレンズが入ったOP-523の当時物である。
サングラスの縁につけられた小さな白い長方形の物体が、パーフェクト・ワールドのVR情報を網膜に投影する為の装置だ。修の使っているものは複数の映像投射器が内蔵され、瞳の動きも追尾できる最新機だった。ハイエンドのパソコンが買えるような金額に一時は迷いもしたが、性能とサイズに惚れ込んで結局購入を決意した代物だった。
インナーは光沢感溢れるケニントンのディスコシャツ。洋館をバックにリムジンが描かれ、運転席と助手席にはそれぞれミッキー・マウスとミニー・マウスとが乗車している。その上に70年代の遺物ともいうべきイースト・ウエストのクラフトレザー・ジャケットを羽織り、胸元にはクロス・ピストルをデザインしたループタイを下げている。パンツは60年代のリーバイス501、足元はレッドウイングの黒いエンジニア・ブーツである。光沢感のあるトゥは、経年で削れた部分から茶色の下地を覗かせていた。
〝流行〟だの、〝女子受け〟だのといった言葉は全て犬に喰わせてきた。彼にとっての洋服は、ただひたすら自己満足に終始するものだ。選定の基準に〝他者の目〟などという不純物が混じることは無く、結果として全身にビンテージの鎧を纏う形になる。飽きたらほぼ買値そのままでメルカリにぶん投げられる〝着る骨董〟は、ファスト・ファッションにはない換金性を持っており、その点も彼が年代物の服を愛用する理由の一つだった。
修はその場でブーツを脱ぐと、足下のダンボールを壁に立てかけて部屋を後にする。 時刻は午後七時半をちょっと回ったところ――狩りには丁度良い時間だった。
夜の喧騒を劇伴に、ごった返す綾瀬駅前をスローに走るのは修の自転車だ。この人混みでは回転数も上げられない。
彼が跨がるのはシュウィンのビンテージ・ビーチ・クルーザーである。やれ感のある赤い塗装、モーターサイクルに近いフレーム構造。悪目立ちする自転車だが、足立区内で走っている分には然程騒がれることもない。所謂ヤンキーのやんちゃな改造車――そのように認識されている。時たま価値を知るサーファーやアメカジ・ジャンキーの風変わりが、物珍しそうに声をかけてくる程度だった。
町並みは物心ついたから随分変化していた。エトセトラとサンポップという大型商業ビルが両方とも海外ファンドに買収されてから、駅前は少し静かになった印象だ。東京マリアージュもなくなり、パーティの類いは浅草のビューホテルか、日暮里のホテル・ラングウッドでやるしかない――友人のそんなぼやきを思い出す。
東京武道館の脇を抜け、そこから長く続く東綾瀬公園を疾走する。駅の脇から続く全長2キロのU字型の都立公園。小汚い遊具、半端に手入れされた植え込み――この場所もまた、修にとっての〝故郷〟のイメージに忠実だ。
目当ての〝スポット〟近くのセブン・イレブンにビーチクルーザーを駐輪する。なるべく目立たない場所に置き、当然のようにスリー・ロック。ハンドルの根元、ガチガチに固定した小型カメラを録画モードに変更――10秒足らずで全てを済ます。
本来なら戦場となる公園の入り口に駐めて、帰りはそこから乗って帰りたいというのが修の本心だった。しかしながらヘイトを溜めると自転車を破壊するようなプレイヤーもいるのがこの地域の実情である。ましてや目立つビーチクルーザーで乗り付けるなど愚の骨頂と言えた。平成の世も終わりににさしかかっているというのに、コルクの半ヘルを「狩る」文化すら根強く残っている。最近ではリーボックのポンプフューリーや、ナイキのモアテンをその場で〝脱がして〟奪う高校生の話などもあった。昭和の不良めいた死滅すべき精神性、そんなものに生贄を差し出すつもりは更々なかった。
修もソロで動いている時は、なるべく絡まれることのないよう細心の注意を払っていた。一人は、気楽だ。何と言っても隣にいる人間が恨まれたら、という配慮をする必要がない。その上、戦闘中は基本的に顔も隠している――つまるところ、ブン殴ってもバレやしないのだ。下らない喧嘩をふっかけられた場合、低俗であればあるほど買いたくなる自分の存在を認めていた。今すぐ死んだ方が世の為になるような連中だ。下手に相手をして人生を棒に振るのは余りにもつまらない。
目標とする公園入り口まで近づいた修は、レザーのバックパックを地面に降ろすと中からガンベルトを取り出して腰に巻いた。右手で引き抜いたのはウィルディ・ピストル・サバイバーの5インチモデル。街灯の光に照らし出され、フレーム全体に掘られたエングレーブが浮かび上がる。精緻を極めた細かな模様は、手入れがよくなされており指紋一つついていない。
左腰にも同じ銃がもう一挺、下げられている。
武器に二挺拳銃を選んだのには大した理由がない。友人の付き合いで連れて行かれたコスプレ・イベントがきかっけだった。長身でハットを被っていた自分に似合うキャラクターとして提案されたのが、ヘルシングのアーカードやガングレイヴのブランドン、そこから派生してデビル・メイ・クライのダンテ――押しつけられた借り物のイメージを引き摺って、今日も握っているという訳だった。
もとより弱キャラ・弱機体でも気に入れば極める性分だ。〝ライトガン〟という次世代サバイバルゲームに興じていた時代も、ハンドガン二丁は譲らなかった。あえて酔狂な存在で居てやろうと決心して始め、そのままパーフェクトワールドにもつれ込んだなれの果てが今の修だった。
黒いバンダナを口に巻き、バック・パックを背負い直す。
木陰に移動し、公園入り口を見やる。トライアングルを組み合わせたような不思議なオブジェの先に、この〝スポット〟を拠点としているプレイヤーたちがたむろしていた。
その数はおよそ10人――各人が正しく動けば強さに開きがあっても負けることはない人数差だが、この町で「連携が取れる」レベルのチームはほとんどない。
彼らのジャケット、その腕章を見て、修は笑い飛ばすように息を吐いた。
百鬼連合――通称〝鬼連〟。
足立でも屈指の低偏差値を誇る工業高校、その生徒が中心となって結成されたPWのグループだ。中学生、あげくの果てには小学生相手にまでアプリのシャーク・トレードをしているような集団である。ある意味このエリアの象徴している存在と言えた。
最も、彼らの規模感はここ一月で大きく目減りしていた。目に余る行為に動いた〝ドラゴン〟大貫竜悟によって、殆どの拠点を奪われている。構成メンバーは大幅に減少し、現在公園に居るのはその残党といったところだろう。
修はPW連動の単眼鏡で彼らを視た。レンズの向こうに表示されるレートは2213、2322、2550――レートは高くても2700には届かない程度、Bランク・Cランクばかりだった。平均レート2300前後のゲームなので、彼らは可も無く不可も無い偏差値50前後のプレイヤーということになる。
その場のメンバーの顔を確認したが、見知った相手はいなかった。顔を隠しているプレイヤーも存在せず、カジュアルプレイヤーであろうことを予想させた。
修は入り口からやや離れた電柱の影に移動し、身を潜めて息を殺す。
攻撃するならプレイヤーが一箇所に集まっている瞬間が狙い目だ。だま(・・)になった状態では味方に当てかねないためクイックな反撃が難しくなる。彼らには味方の背中ごと撃ち抜く覚悟も、当たらない軌道の攻撃を放つ技術も、その場から一時撤退して体勢を立て直す頭も有りはしないと踏んでいた。
一分ほどたっただろうか。公園中央に時間経過で出現したアイテム・ボックスに、プレイヤーたちが近づいていく。彼女と漫画喫茶でヤった、駅前のゲーム屋からソフトをパクった、隣のクラスのオタクのラノベを焼いた――頭の内容物の無さのアピール大会をしている彼らは、脳天に風穴が開く未来を予想できていない。
修はウィルディ・マグナムの形をしたガン・デバイスを、構え――最大までチャージした〝リーサル・バレット〟を、リーダー格と思われる少年の後頭部にぶち込んだ。
少年の体力が一撃で全損する。何が起こったか分かっていない相手へと、修は容赦なく次から次へと標的を変えて撃ち込んだ。程なくして阿鼻叫喚の地獄絵図が始まり、周囲で機をうかがっていた他の集団までもが鉄火場へと飛び込んでくる。
全て読み通りだ。一人で戦場に臨んでいる以上、周囲は全て〝敵〟である。十人相手でも倒しきる自信はあるが、どうせなら楽がしたかった。故に彼らを狙っているプレイヤーや、なんとなく日和見しているプレイヤーまでもを巻き込み、火を大きくしていく。
各集団のバランスを上手く崩しつつ、次の一手で体力を削りきれる相手を中心に銃弾を叩き込む。
体を低くして公園の逆サイドに回り込む。乱戦気味な状況では修の姿も上手く捉えられていないようだったが、勘の良い奴がいたのだろう。裏から回り込んできた学生服の少年が、怒声を上げながら修の方へ迫る。
「てめぇ、ふざけんなよ!」
空中を腕で掻くようなモーションと共に半月状の焔が修へと飛来する。〝クレッセント・フレイム〟――流行している近接アプリの一つだが、適当に振るだけなら馬鹿にでもできる。
冷静にシールドで防ぎつつ、修は逆に公園へと飛び込んでいく。銃をホルスターにねじ込みながら、ベルトから棒状のデバイスを取り出し〝クレイモア〟アプリを起動。同時に〝スカイ・ロケット〟を発動した。
ARグラスに映るのは長い両手剣――ローコストながら安定した威力を誇るそれを、園内の残党目がけて振り抜いた。そのタイミングで打ち上げ花火のようなエフェクトが夜空に散る。
極彩色の花火、それと同時に20連アプリガチャの金チケットが空中に現れる。通常なら1万円相当のアイテムに、その場のプレイヤーたちが目の色を変えた。
〝スカイ・ロケット〟は上方へ打ちあげる攪乱用のアプリだが、派手なエフェクト以外にも使い方がある。所有しているアイテムを一緒に打ち上げることが出来るのだ。回復アイテムを味方に投げるような使い方もあるが、修は露骨な使い方をした。
離れた場所からも他のプレイヤーが集まり始めていた。七色に散らばる花火の残滓を引き連れて、金チケットはゆっくりと地上に降りてきている。
修自身、品の無い戦法であることは百も承知だった。
全てはこの乱戦をより激しい混沌の渦に叩き込む為の術である。
故に彼は外道を演じ、今日もここで動くもの全てを断ち続ける。