〝バスルーム・モノローグ〟
大概の人間には為せることなど何もありはしない。八十年かそこらの人生を、主観的には無為に過ごしたくないからと、適当な理由をつけて日々手慰みに勤しんでいるだけだ。トガリネズミのように餌を食らい胃と脳味噌に栄養と体験とを詰め込み続けても、ナマケモノのように偶に葉を囓り後はじっとしているのも、実際の所大きな差などありはしない。
修は高校にあがる頃にはそういうつまらない現実に気がついてしまっていた。自殺の方法のひとしきりをグーグルに尋ね終わり残ったのは、首など吊らずとも屍であることには変わりがないという哲学だけだ。
片手にはXperiaZ4。バスタブから足を投げ出し、倍速再生で深夜アニメの消化。平凡の極み、張り合いがなく精彩に欠ける糞のような日々。蝕まれないよう必死で抵抗していた涌井修だったが、高校にあがりじきにそんな気も消え失せる。
故に此処は溜息の吹溜り、諦念の掃き溜め――そういう場所になっていた。
締め切っていないシャワーからぼたぼたと水滴が落ちる。入浴剤で茶黒く染まった浴槽に目を落とし、エヴァンゲリオンの24話を思い出して少し笑った。
常日頃から親など居ても居なくてもというスタンスの修だったが、実際に出て行かれて自分の読みが正しかったことを知った。家族なんて希薄な関係性は悲しいほどに無意味だ。次に彼らと顔を合わせるのはつがいのどちらかがくたばった時だろう――その日がたまたま閑暇ならばではあるが。
半開きの蓋の上に置いてある電気ポットを掴むと、キングサイズのシーフードヌードルに湯を注ぐ。ソファに横になり続けて暮らせるほど裕福ではないが、汗水を垂らして8000円かそこらの日給を受け取るような仕事をする必要もない。そんな暮らしだ。
学生の本分は勉強と嘯く憐れな公僕は、今の学校には一人もいない。誰に命じられるでもなくほどほどに取り組んでいる勉学、その使い途も定められずにいる。現役で大学に合格したいというまともなレールに乗っかってやろうという気も更々なかった。今の偏差値を維持していればどこかしらの国公立には引っかかるであろうと余裕を持って構えていたし、欲を欠いて東大にでも、ということになったのなら仕事の片手間、おやつの時間にZ会の教材も一緒に囓れば良いだろう。ストレートに大学に進学して東証一部上場の企業に――そういうまとも(・・・)な感性は、いつどこへおいてきてしまったのだろうか。
〝悟り世代の境地〟と煽られるがそんなに素晴らしいものではない。年々日々失われていく好奇心を満たす為か、性行為と自慰行為だけが先鋭的で危険を帯びたものに移ろっている。自分の中に最後に残るものがどんな性的倒錯だろうかと思いを馳せるとき、流石の涌井秀も神経質にならざるを得ない部分はある。
入学した最初期こそ、青春を謳歌し狭いコミュニティを牛耳っている只の高校生共に冷や水をぶっかけ、風穴を空けるのはそれなりに痛快なゲームだった。今や腕に覚えのある不良や、クラスの主権争いをする吹部のハニービーも寄りつかなくなり、日々の暮らしは静謐を極めている。
全てが順調である。
彼はただ、この唾棄すべき人生が早く終わる事をだけを願っていた。