六章 第1話 異界の剣術
「うぉおあああああ!?」
練習場に太い悲鳴が響き渡る。続いて背中が強かに地面を打つ音がして、トドメにメルケ先生の号令がかかった。
「そこまで!」
ネンスを投げ飛ばした俺に怒って挑みかかったマレシスがまったく同じフォームで投げ飛ばされて、今日の授業は終わりを告げた。周りを見れば最初こそ戸惑っていたクラスメイトたちも段々このやりとりに慣れてきたのか楽しそうに見守っている。さすがに王子と近衛の前で喝采をあげることはないが。
「うぐ……ちくしょう!」
投げられた直後にこれだけ叫べるなら問題はないな。
「軽く脳震盪を起こしてる。安静に」
「うるさい!」
起き上がろうとしてふらつくマレシスとそんなやりとりをしてから殿下の下へ戻る。
「あまり苛めてくれるな」
苦笑を浮かべて殿下が言う。
「苛め抜かないと強くはなれない」
俺の言葉にも一理あると思ってくれたのか、彼は肩をすくめて近衛の下へ歩いて行った。
「今日の戦闘学はこれにて解散だ。各々汗はきちんと拭いてから着替えろ、風邪を引くぞ!」
そんなわけで今日の授業はこれにてお仕舞。俺も他の女子生徒と一緒に更衣室へと向かった。
~★~
その日の夕方、俺はエレナやレイルたちと合流してカフェにいた。すっかり御用達となっている、伸びすぎた木で眺めの悪いカフェの2階テラスだ。
「いくら許されているからって王子殿下と近衛騎士を投げ飛ばすのはアクセラさんくらいですよ」
「ほんとすげえよな」
「これをすごいで片づけるレイルも大概ですけどね……」
苦笑を浮かべてアベルがそう言う。彼の戦闘学でのパートナーはたしか顔の印象の薄い男子だ。俺やレイルとは組分けが違うのであんまり見た覚えはないが、向こうは当然のように見ていたらしい。
「そんなにその2人を投げてるの?」
「さすがにそんなことはない」
エレナの疑問に首を振る。彼女の骨折は最初大いに、とくにマリアに驚かれて心配された。しかしそれもほとんど治ってリハビリは終了間近だ。
それと俺がネンスを投げたのは初めてだし、マレシスだってまだ3回目だぞ。
「3回は十分多いですよ!」
「だってすぐ突っかかってくるし」
近衛騎士として意識が高すぎるのか、それとも殿下に対して過保護すぎるのか。とにかくマレシスはなにかあると俺に突っかかってくる。オルクスが嫌いで冒険者も嫌いだと公言はしているが、それだけであんなに向かってくるものなのか。
「毎回同じ投げ技かけてるよな。あれわざとだろ?なんでだ?」
ふとレイルが疑問を口にする。彼は勉強こそできないものの武芸百般を父から叩き込まれているだけあって観察力は優れている。最初に会った夏以来俺が技術的視点を示唆し続けていた甲斐もあるかもしれない。
「あれは紫伝一刀流の体術で士殺し。士は武士、つまり騎士のこと」
「騎士殺しとか物騒な名前だな、おい」
「ア、アクセラちゃん、さすがに殺すのは、ダメだよ?」
「ん、さすがに殺す技はかけない」
授業一つで命がかかるとか、どんな悪魔の学校だ。
「本当は肘を折って肩を外す技」
「じゅ、十分怖いよ……!」
折る、外すという言葉にマリアが青ざめる。それでも本当の怖さを理解したのはレイルだけだったようで、他の面子は苦笑い程度だ。
「骨折ってポーションでも治りにくいんだよな……回復魔法使いがいないなら確かに騎士廃業だぜ」
「だから士殺し。マレシスには大怪我しないように投げるだけにしてるけど」
「あれでも十分痛そうですけどね」
スキルに頼り切った戦士の典型であるマレシスは受け身がド下手だ。そのため投げられるとかならず景気よく背中から叩きつけられている。その都度肺の空気が無理やり押し出されて呼吸困難を起こすほどだ。
「痛くないと強くなれない」
殿下にも言ったが、戦いの技は痛みを伴わないと進歩しない。戦い以外でも痛みのない教訓がもたらす物は痛みのある教訓より弱いことが多い。だからといって虐待同然に子育てをしろということじゃないが、優しいだけの教えでもいけないのだ。
「それで、なんで士殺しって技ばっかりかけるんだよ」
そうだ、話が逸れていた。
「同じ技を毎回かけられれば対策を考えるようになる。スキルに頼らずどう足掻くかを自然と。技術の道はまずそこから」
前世に比べてはるかに弱くなったとはいえ、あんな小童相手に手を焼く俺じゃない。多少の強引なスキルや付け焼刃はいなして士殺しにもっていける。そんな中であの負けん気の強い男ならきっとどうすればそれを防げるかを考えてくれるだろう。
「ネンスくらい素直なら痛くない教え方もあるけど」
ネンスは俺が手加減をしているのを分かっていて、全力で打ち込んでくる。こっちはそれに合わせて手の抜き方と誘導の仕方をちょっと変えてやれば勝手に上達する。実際彼の剣の筋は段々ブレが少なくなってきた。
「お待たせしました、紅茶セットです」
店員が全員分のお茶をカートにのせて持って来てくれた。夕飯も近いのでお茶請けはなしだ。
「今日はなんですか?」
「リブールの深出しです。ミルクを入れてお楽しみください」
エレナの質問に答えてから一礼して店員は下がった。リブールというお茶は知らないので飲んだこともないと思う。
「そういえばアクセラの紫伝一刀流だっけか?詳しく聞いたことないよな」
「あ、それは僕も興味あります」
琥珀色の液体にミルクを垂らしていると赤髪の少年が身を乗り出して尋ねてくる。武芸大好きで曰く英雄マニアのレイルからその質問が飛び出すのは、もっと早い段階だろうと俺は思っていたのだが。アベルの興味は純粋な武術へのものじゃないと思う。ただそういう詳細をトライラント家に知られるのはむしろ望むところだ。ただ興味のないだろうマリアだけが気がかりでちらっとそちらを見ると、聞き上手な彼女らしく微笑みを返してくれた。
「いいけど、信じられるかわからないよ」
「ナニ言ってんだよ、今更お前の言うこと疑うわけないだろ?」
一点の曇りもない笑顔でレイルが笑う。アベルは逆に身構えている。いままでもわりと技術やオルクス家の関係でズレた言動をかましてきた俺が、わざわざ前置きなんてしているせいで。
「紫伝一刀流はエクセララを中心に教えられている剣術。技術神エクセルの流派で、もとは違う世界からもたらされた」
「違う世界?知らない国ということですか?」
「魔界とかだったりしてな」
「どっちも違う、創世神ロゴミアスの作った世界の外側から」
「それは……その」
「そんなのあるのか?」
おいこらレイル、信じるんじゃなかったのか。
とはいえ彼らが困惑するのも仕方のないこと。なにせ世界の外側がどうなっているかを説明した神はいない。ときどき物語でこの世の外から来た存在が現れる程度で、識者とされる神官や学者ですらまったく知らないことなのだ。
「技術神エクセルの正式な来歴ではそうなってる」
いまのところうちの教会には経典がないので、ただ神の来歴として記録されているだけの内容だ。
「でも創世教会の聖典には神が世界を作る前、虚無と神力だけがあったとありますよ?」
「たぶん、そこにはそれしかなかったってことじゃないかな。それかロゴミアス様より後に別の神様が作った世界とかかも」
アベルの疑問にエレナがフォローを入れてくれた。彼女には昔の約束でいろいろと話したから、こう言うときに手助けしてもらえて助かる。
「へぇ……なるほどな」
「納得できたんですか?」
「わかんないことは深く考えても仕方ないからな」
潔いというか、お馬鹿というか。しかし納得しきっていない様子のアベルも流されてか肩をすくめて質問を止めた。自分で色々と調べてみることだろう、彼なら。マリアはというと、驚いた様子ではあるが特に疑問は感じていないらしい。
時々思うけど、ある意味一番大物なのはマリアだね。
「で、その世界が?」
レイルの場合は考えても仕方がないなんて割り切ったスタンスなんかじゃなく、ただ話の続きが聞きたいだけという可能性もある。
ただ、あんまり面白い話にはならないんだよな。
「異界は魔獣も魔物も悪魔もいない。でも魔法もないしスキルもない。そんな世界だったらしい」
「なんだよそれ、楽園か何かか」
「不便でしょうけど、でも幸せそうな世界ですね」
最初に俺が師匠から聞いたときも同じことを思った。スキル至上主義がはびこり魔法による補助の必須な今の世の中からすればたしかに不便だ。しかしそれに勝る素晴らしさがある。動物よりも狡猾で多彩な魔物の襲撃を気にしなくていい。いつの日か復活して人間に復讐すると言われる魔獣のことも、心の隙間に入り込んでは不幸をまき散らす悪魔のことも。それがどれほど幸せなことか。
「かわりに人間同士で酷い争いがずっと続いていた」
「なんでだよ?」
「そ、そうだよね」
心底困惑したような顔で皆は首を傾げる。
戦争は土地や主義主張、その他の利益を求めて起きる物だ。だがもし本当に悪神の眷属がいないのであれば、土地なんて好きなだけ広げればいい。獣程度に打ち勝てない人間じゃないのだから切り拓けばいくらでもある。利益だって一番頭の痛い存在がいないだけでいくらでも増やせるじゃないか。主義主張の争いは確かに根深いが、それだけで魔獣や魔物や悪魔と同等に語られるほどの惨劇が起きるわけもない。
そんな常識と教養に裏打ちされた疑問が彼らにはあった。
「……人は欲深く残酷だということ」
多少の戦争を行ったとしてもこの世界の人間はどこか団結している。例えばエクセララとロンドハイム帝国は互いに天敵であり、長く小競り合いを続けている。それでも強力な魔獣が現れれば手は止めるし、ガイラテイン聖王国からの要請があれば支援も行う。たった一つの綻びが人類に大打撃を与えるかもしれないから。
「頭を押さえつける者のいない異界の人類は増えすぎた。少なくともエクセルの師匠はそう考えていたみたい」
世界が狭く感じるほどに増えすぎた人類は土地でも利益でも揉めた。それに加えて姿の見える神がいなかったせいで良き神を信じる人同士が思想の違いを理由に殺し合った。
「エクセルの師匠が来た時代には国王の判断一つで国を丸ごと炭にできる武器があったらしい」
「国を炭に……」
「か、神様は?なんで、何もしてくれないの?」
「神はいないのか、いても何もしてくれない。弱っているのか、意地が悪いのか、それとも人間にがっかりしていなくなってしまったのかもしれないけど」
師匠が歴史を含めて色々教えてくれた日、俺は夢にその光景を見たものだ。学院の教室棟すら超える大きな建造物が所狭しと立ち並ぶ国で、神に見放された人間たちが互いに剣を振るい銃を撃ち合う様を。この世の誰もが求めてやまない悪神の眷属に怯えず暮らせる幸せを持ちながら、その分の攻撃性を隣の人間に振るう恐ろしい様を。
「紫伝一刀流ももとはそんな世界で磨かれてきた剣術」
誰かが息をのんだ。
「人が人を殺すための技……」
対人系のスキルは存在するが、数は多くないし表舞台じゃ嫌われる傾向が強い。それだけスキルは魔獣などを想定しているのだ。
「ん、ちょっと語弊があった。紫伝一刀流は殺すための剣じゃない。守るためでもないけど」
「殺すためじゃないけど守るためでもない?」
「ん。紫伝一刀流はただの趣味で生まれた剣」
「しゅ、趣味ですか!?」
「自分の流派を打ち立てたいと思った男の、趣味と執念の産物」
紫伝一刀流は特に信念を持っているわけじゃない。そんなもんだろうと昔の俺なんかは思っていたのだが、師匠が言うには信念を持った剣術の方があちらの世界は多いらしい。
「力は力でしかない。剣士の価値は剣の腕前だけど、人の価値はその剣で何をするか。剣士は剣士であることを止められず、さりとて人であることも止められない……だっけ」
「だっけって言われましても」
剣士にとって最も大切なのは剣の腕前であり、それ以外のものは全て二の次三の次なのだ。と教えた口で、剣士だって人間であり、人間である以上道から外れてはいけないのだと教えている。
「つまり剣をちゃんと鍛えて人としていいことをしなさいってことか」
「まあ、大体そう」
「そう言えばいいのにな」
言ってくれるな、レイル。
傍から見たら面倒くさいことを言っているように見えるかもしれないが、この2つを分けて論じているという点は紫伝一刀流にとって大事なところなのだ。つまり剣の強さも人間性も大切だと言いつつ、その2つを全く別物だと言い切っているわけである。人間性を捨てても剣は究められるし、剣を磨かなくても人間的に良い人物にはなれると。
とはいえ、そんな説明を全部言葉でしてしまっては剣の道が廃る。本当に意味が分かったのは、俺でも40を超えた頃だったが……それでも説明なんてしない方がいいこともある。こういうものは自分で悩み、体得することが肝要なのだ。レイルにはおいおい考えてもらおうと決めて、黙って紅茶を一口飲んだ。鼻に抜ける清涼感とミルクのまったりした感じがよく合っている。
でもちょっと苦手だな、この後味。
「でもなんでそこまで詳しく知ってるんだ?」
「レイル……それこそ刀の先生から聞いたに決まってるでしょう」
「ん、私の師匠が旅の剣士だったから」
真っ赤な嘘である。今生の俺の師匠はレメナ爺さんだけで、あちらは魔法特化だ。刀の師匠は後にも先にもハヅキ=ミヤマたった一人と決めている。とはいえ、一々エクセララからの伝聞形式で説明するのも面倒なので、勘違いを利用させてもらおう。なにせ自分の体験を人づてに聞いた話のように語るのは、最初に想像していたよりずっと面倒くさかった。
「一応名前は言わない約束になってるから」
「おう、じゃあ聞かないぜ」
「……ときどきレイルの能天気さが羨ましいです」
今回はとても都合のいいところでその真っ直ぐさと快活さを発揮してくれたレイル。ご褒美がてら少し教えを授けてあげよう。レイルは技の性質上正式な弟子にはなりえないので、あまり稽古以上のことをするのは筋違いなのだが。
「何も殺せない剣などないし、何も守れない剣などない。全てを殺せる剣がなく、全てを守れる剣がないように。師匠の教え」
「含蓄のある言葉だな!」
「そうですか?」
「そ、そうなのかな?」
「たぶんな!」
分かってないのかよ。いや、すぐに理解されても困るけど。
これはいいも悪いも関係なく色々な出会いと別れを経験する戦士にとって大切な訓戒なのだ。心折られそうな現実にぶち当たったときに思い出してほしい。
「レイルはよく考えてみるといいかも」
「おう!」
周りが首を傾げる中、俺とレイルは紅茶のカップで乾杯をする。
「お行儀悪いよ」
「ごめん」
~★~
「流派の起源なんて初めて聞いたよ」
夕飯も終わってリビングのソファで刀の手入れをしていると、エレナがお茶を乗せたトレイを持って来てくれた。布ごしに分解した紅兎を持つ俺の横にそっと腰かける。
「そこまで話すこともないかと思った」
薄紅と銀の刀身を茎から切っ先に向けて布で拭う。布には鉱油が含まれていて、刀についた細かい汚れを取り除いてくれる。師匠は打粉という微細な研磨剤を使っていたのだが、あれはしょっちゅうすると刀身が痛む。
「可愛いよね、これ」
ローテーブルの上に置かれた鍔を拾ってエレナが言う。赤い目の兎と砂稲が彫られた可愛らしい鍔だ。紅兎を鍛えたエカルト=バックナーなる刀鍛冶の趣味なのか、それとも鍔職人の趣味なのか。
まあ、エカルト氏の趣味だろうけど。じゃなきゃこんなに兎まみれになるかって。
紅兎は柄頭や鐺の留め金まで全て兎の意匠になっていて、黒と紅で染め上げられている。まさしく紅兎の名の通りなわけだが、ここまで一貫した偏りは刀鍛冶が決めなければ生まれない。エクセララでは刀造りに携わる人間の音頭を全て鍛冶師が務めることになっているので。
「ん。でもよく斬れるいい刀」
さすがに上質な魔鋼で打った刀ほどの斬れ味はない。あれは大岩でも真っ二つに斬れるのだから。でもこの刀もいいものだ。合金に入っている赤ミスリルのおかげで魔法は通しやすいし、黒節鋼由来の頑丈さで多少無茶をしても壊れない。斬れ味だって俺の腕と合わされば魔法なしでも魔物の首くらい一刀両断だ。
「ん、これでよし。エレナ、お茶」
2、3度油で拭き終わった刀身に拵えを戻す。目釘を打ちながら顔だけエレナの方に向ける。
「はいはい……もう、お行儀悪いんだから」
苦笑しながらも彼女はカップを取って口元に宛ててくれた。そこからなみなみと注がれたお茶をすする。ラナが持たせてくれた、ケイサルの屋敷で飲んでいたのと同じ味だ。
「ん、おいしい。あれ、お茶請けは?」
「見てるとわたしも食べたくなるから、ないです」
「食べればいい」
刀を持った腕を反対の拳で打つ。そうやって鍔と柄が収まりよく固定できているかを確かめながら何の気なしに言うと、エレナに頬を摘ままれた。
「何度も言ってるけど、アクセラちゃんより太りやすいの!」
俺が脂肪の付きにくい体なのはそうなんだけど。
だからといってエレナが太っているかと言われるとまったく違うし、いままで太ったとかいうこともない。
育ち盛りは終わってないんだから、好きに食べればいいのに。
「そうえいば鎧もそろそろ磨かないとね」
「ん」
昨日はナイフ類とベルトや鞄の金具を点検した。今日はメイン武装のチェックで、明日あたり鎧の点検をしないといけない。冒険者はきままに依頼をこなしていればいいと思われがちだが、こうして日ごろから使っていなくても装備を手入れするという仕事がある。これが意外と馬鹿にならない労力なのだ。
「暇ぁ」
エレナは先日の決闘で杖を失った。今日することはない。もともと杖は刀ほど手入れがややこしいわけじゃないけど。
「暇ならなにか作って」
「食べ物は作りません。だいたい晩御飯たべたばっかりでしょ?」
「戦闘学あったからちょっと足りない」
これは本当だ。本気の戦闘程でなくても人に教えながら、考えながら剣を振るのはそこそこ神経がいる。戦闘学がある日はない日より多少お腹も空く。
そもそも今日のご飯あっさりすぎだし。
コンソメと豚肉のステーキ、パンとサラダだ。普段ならこれでもいいが、体を動かしたあとにこれは少ないし軽すぎる。それに俺は寝る前にもう一運動するつもりなのだから。
「ん、手入れ終了。なにか作る」
「え」
嫌な顔をするエレナを放っておいて、紅茶を飲み干してから台所へ向かう。水道と流し、調理台、コンロしかないシンプルなそこには後付けでいくつかの魔導具が入っている。ほとんど俺がマイルズに頼んで揃えてもらった調理器具だ。
「何があったかな」
戸棚の中を見て卵とパンを見つける。パンは非常用に買ったものの食堂での食事を逃すことも少なく、若干端の方が堅くなっていた。
ベーコンと塩肉があるけど、さすがに肉類は重いかな。あと甘い物が欲しい。
量を食べないだけで甘味は好きだ。別の棚を見れば砂糖を含めて一通りの調味料がある。
シナモンとバニラもあるのでフレンチトーストにしよう。あれなら腹持ちもいい。
「エレナも食べる?」
「た、食べない!」
調理台に揃った顔ぶれをみて彼女は何を作るつもりなのか理解したようだ。
「おいしいよ?」
「誘惑しないで!」
器を出して卵を割り入れる。それをフォークでかき混ぜながら、俺はこの後の予定を考えた。学院生活が一段落した今、夕飯の後に軽くトレーニングをするのが日課になっている。場所は練習場の横に広がる林の中、ちょうどいい具合に開けた所があった。
「んしょっと」
パンを色々入れた卵液に浸してからフライパンを火にかける。
「エレナ、あとで冷蔵庫の氷足しておいて」
「あ、はーい」
バターを一欠け切り取って冷蔵庫に戻す。優秀な氷魔法使いがいるので冷蔵庫だけは氷冷式だ。
「練習、来る?」
「今日はいいや。ちょっと調子悪いし」
苦笑いで軽くお腹を触るエレナ。
まあ、そういうときに激しい運動は止めた方がいいね。俺はしてるけど。
ベンチがいくつかと魔道具の灯りが1つある以外、あの場所は寂しい広場だ。特に夜ともなれば木立と夜闇が遮っているので誰も来ない。そこでこそ俺は自分の為の修練に励める。王子相手のように教えるのも楽しいが、本気の鍛錬はやはり人がいない方がいい。
というより見せられないよね、あれは。
型稽古から想像上の相手と死闘を演じる影稽古、スキルと技術を全て出し尽くしての新技練習、魔術と魔法を混ぜた搦め手……目立ちすぎるのは困るとか以前に見られるとどう思われるかわからないモノが多すぎるのだ。一応『完全隠蔽』はかけるが、あれもばっちり視認されれば意味をなさない。白髪で刀を使う女子生徒がこの学院に2人いるとも思えないし。
「ん、これくらいかな」
十分卵液を吸ったパンを取り出してフライパンに置く。香ばしいバターの匂いに甘さが加わった。じゅうじゅうとなる音を聞きながら今日は抜刀術に重きをおこうと決める。夕方に剣術の話をしてふと思い出したことがあるから。
「エクセララから本取り寄せようか」
「え?」
「なんでもない」
師匠の機械鎧にあった娯楽小説のデータ類は写本師が書き写して残していた。今頃普通に売られているはずだ。仕込み刀を使う盲目の男の物語や盗賊取り締まりの鬼と呼ばれた男の物語、あれらは見ていて心が躍った。それを剣術の話がきっかけで思い出したわけだ。
「できた。はい、あーん」
焼きたてを息で冷ましてから差し出す。
「食べないってば!」
「一欠けだけだから」
「いや……」
「甘くておいしいよ?」
「む」
「ほら、熱いうちに」
「む、むぅ……じゃあ味見だけ」
エレナは眉間に皺を寄せたまま口をぱかっとあける。そこに小さめの欠片をいれてあげると、すぐにその皺はほどけて消えた。甘い物はエレナに効果抜群だ。
「おいしい?」
「むぅ、すっごく」
「もう一切れ食べる?」
フライパンから皿に移したフレンチトーストを1つ突き刺して差し出す。
「う」
「ほら」
「むぅ……はむ」
しばらく唸ったあと、彼女は黄色い塊を頬張った。卵と牛乳の柔らかい甘みに少女の顔はとろける。
可愛いなあ、まったく。
フレンチトースト自体は昔からあるが、俺が使っているレシピは師匠が教えてくれたものだ。細かい分量や隠し味がスキルじゃ作れない絶妙な深みを生み出してくれる。戦いに明け暮れ、人間同士で魔物よりひどい被害を出す救いようのない異界の文明。それが大陸を焼く兵器を生み出す一方で、こんなにも簡単で上質な味の妙を生み出す。それはとても皮肉なようで、むしろとても自然なことであるようにも感じられた。
「はぁ、アクセラちゃんの料理は美味しいね……」
「ん、ありがと。はい」
深いのか浅いのか分からない感慨そっちのけでため息をつくエレナ。食べている間の幸せそうな顔と次の切れを差し出されたときの思いつめた顔のギャップが楽しくて、ついついもう1切れ差し出してしまう。結局そのまま3切れほど食べるまでやり取りが止まることはなく、しっかり夜食を食べてしまったエレナは俺のことをぽかぽかと殴るのだった。
ついに六章 覚悟編が始まりました。
学院生活に馴染み始めたアクセラとエレナ。
果たして彼女たちの先行きはどうなるのか!?
ややシリアス寄り、成長と教訓の章である七章へと繋がっていく衝突と友情の章……開幕です!!
それとお知らせです。
4月から生活が変わりまして、作者はかなり忙しくなる予定です。
そのためこれまで映画のパロネタを中心に展開していた嘘予告ですが、
この章からは廃止とし代わりにTwitterなどで出している普通の予告に切り替えようと思います。
お楽しみにされている……方はいないと思いますが(雑なコーナーだし)、初志貫徹できず残念です。
作品そのものは今後も連載が続きますので楽しんでいただければと思いますm(__)m
~予告~
リニア=K=ペパー、魔眼を専門とする研究者。
彼女はエレナに負けず劣らす変わった人物で……。
次回、魔眼の探求者
エレナ 「まるでわたしが変わり者みたいな言い方……」
アクセラ 「自覚はあるでしょ?」
エレナ 「……来週もお楽しみに!」




