四章 第9話 王都と母と ★
明日、11月14日をもちまして「技神聖典」は連載1周年を迎えます!
たくさんの読者さんに読んでもらえて、とても嬉しい1年でした。
今後も拙作を愛読くださいますと、とても嬉しいですm(__)m
ありがとう!
「王都が見えたぞー!」
水兵のどら声がマストの上から聞こえる。普通に甲板からも見えているのだが、ああして叫ぶのが慣例なのだとか。
さて、見えてきたユーレントハイム王国王都ユーレインだが、瓢箪の上4分の1を斬り落としたような形の城壁に囲まれている。断面部分が川に接しているのはアポルトと同じでそちらの半円が新市街、もう片方の円が旧市街だ。新市街は壁外の畑で働く農民や旅人なんかでにぎわう解放区画であるのに対し、旧市街は2枚の内壁で身分ごとの住み分けがなされている。外壁と第二内壁の間は一般市民が暮らすエリア、第二内壁と第一内壁の間は豪商のような富裕層の暮らすエリア、第一内壁の内側は貴族の暮らすエリアだ。王城はもちろん第一内壁の中心にある。
「おいアクセラ、エレナ」
「閣下」
2人で外壁をじっと見つめていると後ろから船の主が声をかけてきた。王都到着に備えて着飾らされた俺たちと違い、彼は会ったときと同じようなジャケット姿だ。
「船を降りたら俺は少し寄るところがあってな、そこでひとまずお別れだ」
「ん、今までありがとうございました」
「気にするな。まあなにかあったらすぐに俺の屋敷に来るといい」
一応敵対派閥なのでそう言うわけにもいかないが、心遣いはありがたく頂戴して置こう。このオッサンなら何かあったときに自ら出向いてきそうだが、そこまでは知らない。
「それと昨日の賭けのアレだがな、常識的な範囲を逸脱してもいいぞ」
「……どういう意味ですか」
「そのまんまだ。少しくらいヤバそうな相談でも言ってみろ。面白そうなら手助けしてやる」
一貴族としてよくまあそんなカードをポンとくれるもんだ。試しに力を与えてみて見極める材料にするつもりなのか、あるいはただの気まぐれなのか。なんにせよ侯爵の方からお願いを聞いてくれると言うなら断る必要もない。社交辞令的な遠慮なんてこの男は求めないだろう。
「ん、ありがとうございます。お礼はまた今度」
「礼なんかいるか。アレは賭けでお前が勝ち取った物だ」
まあ、本人がそう言うならいいんだろう。
~★~
船は最後に吹いた強い追い風であっという間に王都へと到着した。侯爵は前言通り早々に降りてどこかへ行ってしまい、俺たちも手配しておいた伯爵家の馬車に荷物を積み込んで出発する。
船着き場の様子はアポルトと似たようなものだが、中小規模の船が比べ物にならないくらい停泊している。少し離れたところに今まで乗っていたジャスパー号に似た形の大型船があったので、あれが国王に贈ったというプリンス・ホルファー号かと納得する。色は白で金に輝く装飾が施されたきらびやかな船だった。
「とうとう王都ですね、お嬢様」
「ん」
走りだした馬車の中、イザベルの言葉に頷く。窓のカーテンから外を覗くと、ケイサルやネヴァラのそれよりもさらに高い外壁が見えた。
こんなに高いと王都の外周部は日当たり悪そうだな。
どこの都市にも言えることだが、魔物や悪神の眷属を退けるこの強固な防壁はありがたいとともに若干の迷惑を住人にかけている。壁が高く強固であるほど外周部に差し込む日光が減るのだ。特に朝日が当たらない東側の地区は中心地に比べて地価が半分になるほど不人気だった。
「王都なら壁ごとに結構待たされるっすよね……しかもここ壁多いし、結構かかりそうっす」
「いいえ、シャル。今からくぐる新市街の門は貴族ならノーチェックで通過できるのよ」
「あれ、そうなんすか?」
イザベルの講義に俺とエレナも耳を傾ける。そんな細かいところまでビクターの資料には乗っていないのでありがたい。
「新市街と旧市街の間には結界こそないものの、3階建てほどの壁があるの」
「旧市街の壁を一部壊して新市街を増設したから、ですよね?」
「そうよ、エレナちゃんはよく勉強しているわね」
イザベルがエレナのハニーブロンドを優しく撫でてやる。
「新市街は流通や交易を活発に行うためにチェックを緩くしてあるのだけれど、その分旧市街に入るための壁で荷物の点検も含めた確認を行うの」
「ん、んー……難しいっす」
もっとも子爵以上の上級貴族は荷物のチェックをパスできるらしい。馬車の中に怪しい人物がいないかと、本当にその家の者が乗っているのかを確認するくらいだそうだ。
「そろそろ」
馬車はまさに外壁の門を通過するところだ。貴族家の紋章が描かれたうちの馬車列は停車することさえなくそのまま中へと通される。そもそも貴族、市民、外来者でそれぞれ門を分けられているので全体の流れが速い。
「エレナ、見てごらん」
正面に座る妹に窓の外を見るよう促す。
「わ、すっごい人!」
カーテンの端をめくったエレナが驚きの声を上げる。ケイサルの大通りをはるかに凌駕する人ごみが馬車道の両側にごった返している。大通りは馬車が片側2台、両側で4台すれ違えるほどの専用道に歩行者用の道も大きく取られていた。道沿いには露店と店舗の中間のような店が並んでおり、買い物客や旅人で大いににぎわっている様子だ。
「獣人さんも結構いるね」
「ん」
あまりこの国は獣人に寛容でないはずだが、王都ともなればかなりな数が住んでいるようだ。ネヴァラやアポルトなら何人も住んでいるのだろうが、あいにく滞在中に見かけることはなかった。ケイサルじゃ見かけないのがなんとも寂しい。
「あれ戦神教会っすよね……王都に2か所もあるんすか?」
「いいえ、戦神教会はあの一か所だけよ」
「旧市街にあるんじゃないんすか?」
シャルが首を傾げる。王都に構える大教会なら歴史と格式のある旧市街に存在するのが普通じゃないか、ということなのだろう。
「戦神は戦う者が崇める神。冒険者や傭兵の流れてくる新市街の方が、たぶん馴染む」
「ええ、たしかそんな理由だったと聞いています」
しかしイザベルは意外と博識だな。乳母としての教育を受けているラナと違って学はあまりないと、自分でそう卑下していたのに。
「慈母教会と火焔神殿も新市街にあるそうですよ」
火焔神殿もあるのか……帰る前に寄ろう。
そんな風にイザベルの解説付きで街の景色を楽しんでいると、早々に市街の新旧を分ける壁に到達してしまった。高さは三階建てより少し低そうだが、飛び越えられないようにその周りの建物は一階建てになっている。
「オルクス伯爵家ご令嬢の馬車である、開門せよ」
形式にのっとってトニーが身分を明かす声が聞こえた。すぐに書類を携えた文官が馬車を訪ねてくるので面子だけ検めてもらう。向こうも手慣れたもので、手短に非礼を詫びてから人数と身分を確認して門を開けてくれた。
「本当に簡単なチェック」
「だよね、あれでいいのかな?」
「伯爵家ともなれば滅多なことを企むこともそうそうないですから」
ある意味滅多なことを企んでいるんけどね、ウチは。
~★~
2枚の内壁を超えてたどり着いた貴族街は、それまでの区画とは別の都市であるかのように静かだった。平民街は新市街を少し大人しくしたような、整いつつも活気にあふれる街並み、富裕街は自らの権勢を見せつけるように奇抜さと大きさを競い合う建物の多い街並みだったのに対して、豪華な建築物が立ち並ぶ割に全体として落ち着いた雰囲気を漂わせている。昔のアピスハイム王都はどちらかというと富裕街のような個性の殴り合い建築が主流だったので少し意外だ。
「門は東西南北に1つずつで、門から遠のくほど高位の貴族のお屋敷になります」
どうやらその4つの区画がそのまま四大貴族の派閥に割り当てられているようだ。具体的には武官であるレグムント侯爵家とザムロ公爵家が王城の裏側区画で、文官であるリデンジャー侯爵家とビシケント侯爵が前側区画になる。
「ん……もしかして伯爵邸って」
「いえ、ザムロ公爵家の区画に新しいお屋敷があります」
さすがに裏切った陣営のど真ん中に屋敷を構え続けるほど面の皮が厚いわけじゃなかったか。しかしそうなると前の屋敷は売り払ってしまったのかな。
「お嬢様、あれが王城です」
馬車が大通りを曲がったあたりでイザベルが教えてくれる。シャルの前を失礼して窓から覗かせてもらう。
「ん、大きい」
ユーレントハイム王国の王城はアピスハイムやロンドハイムのそれに比べるとはるかに小さいが、それでもアクセラになってから見るどの建物よりも広く高かった。新市街と旧市街を隔てていた壁と同じくらいの壁でぐるりと囲まれ、その外側に水で満たされた深い堀が巡らされている。白亜の塔と優美な城壁がその向こうにうかがえた。
「結界がいっぱいだね」
なるほど、魔眼には結界が幾重にもあるのが見えると。王城だけに物理的な防御以外にもかなり用意されているようだ。
その城を回り込んで裏手へと馬車は進む。反対側の窓をちらっと見ると、並び立つ屋敷はどれもケイサルの伯爵邸本館よりは小さいものの威厳では圧倒的に勝った門構えをしていた。門から続く大通りに近いほど小さく大人しいデザインで、離れるほどに大きく豪奢になっていく。それでもシザリアの代官屋敷のような暴力的な派手さはないのが、本物の貴族の奥ゆかしさを現している。
「お嬢様、そろそろです」
カーテンの隙間から同じく外を確認していたイザベルの言葉に俺は自分の装いをチェックする。今俺は赤のドレスに金のブローチを着けている。白い髪と無表情を彩るなら強い色の方がいいとステラが用意してくれた。ちなみに最近の俺の「幸色」も赤だとか。普段は紅兎を身につけているので丁度いい。
まあ、さすがに腿のナイフ1本以外今日は武器ナシだけど。
「お嬢様」
馬車が止まって少しするといつも通りトニーの声が外からかかった。イザベルが扉を開け、シャルとエレナを伴って降りる。騎士長の手を取って外に出た俺の目の前には伯爵家らしい豪邸が門を開けて待っていた。それも大勢の使用人がずらりと整列してのお出迎えである。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
上等な服に身を包んだまだ若い執事が恭しく腰を折ってくれる。
「わたくし、執事頭を務めさせていただいておりますホランと申します。遠路遥々のお越し、お疲れでございましょう。さあ、お入りください」
すらすらと口上を述べる噂のホラン氏は、彫りの深い顔立ちにイザベルよりなお明るいアイスブルーの瞳を持つ青年だ。なかなかの美男子だがその目の鋭さはビクターに通じるものがある。さすがに本気になった家宰ほど黒い鋭さじゃないが。
「短い間、世話になる」
イザベルに仕込まれたままの答えを返す。道中くどいほど領地屋敷の使用人にするような気やすい接し方はしないよう注意されているのでひたすら短く収めた。
「では、こちらへ」
門から屋敷の入り口まで騎士と執事と侍女で固められた道を、ホランに先導されて行く。騎士の数が10名以上いることに内心驚きつつ、左右から降り注ぐ巧妙に隠された視線の嵐を分析する。
好奇、侮り、蔑み、嫉妬、色欲、期待……嫌な視線の博覧会だね。
前4つはオルクスという家柄を思えば当然のこと。譜代の家臣が絶えてしまったこの家にいるのは自他の派閥から送り込まれた者や、即物的に金銭や権力を求めてすり寄ってきた輩ばかり。期待といってもビクターやラナが抱いているようなモノじゃない、なにか甘い汁が吸えないかという下卑た期待感だ。
あと紛れ込んでるロリコン、エレナに手を出したら両手足を細かく削いでナニに火を掛けるから気を付けろよ?
「……」
近寄ってみるとオルクス伯爵家の邸宅は周囲の建物に比べて新しいのがよくわかった。建築様式も多少違う様子で、心なしかセンスはこちらの方がいい気もする。
「お嬢様のお部屋はこちらになります。専属侍女の方は隣のこちらを」
ホランに案内されたのは二階右側の大きな扉。エレナはその隣の部屋でやはりここも直通の扉があるそうだ。イザベルたちは一階の使用人区画で、この二階右区画には他に俺の母親の部屋もあるらしい。ただしもともと体が弱く、今も遠く離れた南側の保養地で療養中だと言われた。
母親の話は初めてだな……そう言えば気にしたことがなかった。
我ながら酷い話だ。これでも今生で生んでくれた母親だというのに、病気療養中という話どころか名前すらまだ知らないのだから。父親の問題や転生後の自分自身の問題が山積みで、さらには屋敷の人々という家族に囲まれ、もともと親がいる感覚を知らないことと相まって完全に忘れていた。
あとで名前だけでも聞こう。
そう決めて部屋のなかに入る。誰の趣味だか知らないが、そこはやけにパステルピンクなレース飾りの多い調度が置かれた場所だった。ご丁寧にクイーンサイズのベッドにはいくつか動物のぬいぐるみがセットされている。
……まあ、ぬいぐるみは嫌いじゃないけどさ。
ざっと見まわしてから窓に近寄る。白い木枠にはまったガラス越しの景色は屋敷の裏手で、小さな庭園と別館が2つ並んでいるのが見えた。
「ホラン、あれは?」
「右側の窓がないのが画廊で、左側が迎賓館になります」
画廊なんてあるのか。
「お荷物の運び入れに少々時間がかかりますでしょうし、足を運ばれてはいかがですか?お茶をご用意することもできますが」
ホランが色々と提案してくれる。領都屋敷だと最近はこんなふうに言われないのでなんだか新鮮だ。そう思うとあっちの面々はいささか俺の扱いが雑すぎる気もしてくる。気安い態度は心の近さの表れだとは思っているが。
「父上に合うのが先」
「申し訳ありません、当主様はただいま所用にて外出されておいでです。ご夕食の後お帰りになられますので、また改めてお声かけいたします」
「ん。なら画廊、行ってみたい」
「ではそのように」
エレナとシャルが荷解きをしてくれるというので、俺はホランに連れられて裏庭へと出る。柔らかい若芽の下草に囲まれた石畳をたどり、新緑の植え込みの向こう側へ。画廊は真っ白な壁に窓1つない不思議な建物だった。赤いスレート葺きの屋根だけがえらくくっきりと印象に残る。
「どうぞ」
開かれたこげ茶色の扉をくぐる。中は大きな部屋の真ん中にいくつか壁を置いたような造りになっていて、どの壁にも何点かの絵が飾ってあった。部屋は1フロアに4つほどあるようで、外観通り二階もあるみたいだ。
とりあえず一番近い絵に歩み寄る。それは何が何だかわからないゴチャゴチャした水彩画だった。説明が達筆な字で書いてあるのだが、読んでもさっぱりだ。
しかしどこかで読んだことあるな、この字態……ああ、そういえば数通だけ見たことのある伯爵からの手紙の文字だ。
「……ん、これ」
「はい、当主様が自ら書かれたものです」
あの手紙自分で書いてたのか!
てっきり口頭筆記で執事に代筆させたものだと思っていた。昔のアピスハイム貴族はよほど大切な手紙以外代筆が主流だったのだが、もしかしてユーレントハイムじゃ違うのか。
「この画廊の説明は全て当主様が書かれたものなのです」
「何点あるの?」
「130点ほどです」
それを全部来歴や作者についてまとめて書いたのか。遠目に見える範囲の説明書きを見回すと、どれも俺の手のひら2つ分くらいのプレートにびっしり書き込まれている。
伯爵、暇なの?
2枚目の絵を見ながらそんな風に思う。そして絵の内容は相変わらずさっぱりわからない。まるで人が寝ているときの頭の中を見ているような、意味不明な図形と造形と色の混沌にしか見えない。
何て言うんだっけ、こういうの。
「さっぱりわからない」
「それでしたら次のお部屋に行かれてはいかがですか?同じ抽象画でももっとシンプルな物が展示してございます」
抽象画か。こういうのは苦手だ。
勧められるままに次の部屋へと移動する。壁紙の模様や照明魔導具の配置が前の部屋とはわずかに違って、間取りは同じはずなのに全く別の部屋に見える。壁際の絵はたしかにシンプルな、色の奔流とでもいうべきモノになった。
「わからないけど、綺麗」
原色の竜巻に一筋の黒が引かれたそれは、親父殿の説明によると現実の苦悩とそれに対する作者の見出した覚悟を現しているそうだ。まったく意味が分からないことに変わりはないが、その黒く荒々しい一本線が暴れ返る色を引き締めているような気がする。
「意外と楽しい」
「それはようございました」
そんな調子で色だけを使った抽象画と、その次に控えていた写実的な油絵は楽しめた。とはいえ説明は8割強が理解不能だった。どれも著名な画家が描いたものだという漠然とした情報しか頭に残っていない。
「二階は?」
「ご覧ください」
どういう絵が飾られているのか聞きたかったんだけどな……。
ホランの返答に内心で苦笑する。それでも行けば分かるだろうと階段を上り、1つ目の部屋に足を踏み入れた。そこは下の階と同じ間取りだったが、その先の部屋とは扉で隔てられていた。立ち入り禁止の看板が打ち付けてあるので、公開しているのはここで最後らしい。それにあれほどの情報量を誇っていた説明書きが一枚もなかった。
「色々な絵がある」
展示されている作品は抽象画や写実画、水彩画や油絵、スケッチに版画と方向性も技法もバラバラだ。共通しているのはどことなく少し色味がおかしいこと。丁度今頃の庭園を描いた作品なのに葉の色が新緑ではなく枯れ色に近い緑であったり、柿の色が燃え盛る暖炉の火のような赤であったり。ただそれらはおかしいなりに美しかった。むしろ正しい色味とは違うからこそ、非現実的な味わいのようなモノが感じられる。
「いかがですか?」
「綺麗な色。見てて楽しいし、好き」
今まで感想を聞くことはなかったホランが尋ねるので、素直にそう答えておいた。感動的かと言うとそこまでじゃない。でも温かみがありつつ幻想的な雰囲気を持ったこの部屋の絵は好きだ。
「……これ」
最後に一際大きな絵を見た。それは椅子に腰かけた若い女性の写実絵だ。透き通るような青のドレスに華奢すぎる体を包み、腰まである銀の髪を編み込みにした世間知らずそうな令嬢。濃緑の瞳で微笑むその人を、俺は見たことがある気がした。
あ、これだけ金のプレートに作品名が……。
「セシリア=ナタリ=オルクス?」
「ええ、お嬢様と坊ちゃまのお母上様でいらっしゃいます」




