四章 第8話 船上の夜
!!Caution!!
このお話は2話連続投稿の2話目です!
アポルトで乗った船の上、侯爵さまに巻き込まれてわたしとアクセラちゃんは船員さんたちと賭け事をやることになった。カードゲームのポーカーで勝ったら賭けている物がもらえるルール。
「では第3戦の結果、唐辛子の先物券は閣下のものとなりました」
「うおお、しまった!?」
侯爵さまが手札を投げ捨てて頭を抱える。手札はジャックのペアで総得点もとても低いけれど、他のみんながそれよりさらに低い点数で負けてる。借金に化けるかもしれない先物券を誰も手に入れたくなかったからだ。
でもホントに一番お金がある侯爵さまが引いてくれてよかった……。
「次はアクセラお嬢様の手料理の権利ですね」
よし、これは絶対に取ろう。
アクセラちゃんが料理上手なのは知ってるけど、実際にちゃんとお料理を作ってもらったことはまだない。お屋敷にいる間は料理長のイオさんが三食作ってくれるし、アクセラちゃん自身もそこまで暇があるわけじゃないから。だから絶対にこの権利は欲しい。
「ではカードを配ります」
配られるカードを1枚1枚確認するごとにわたしの頭が冴えてく。冷たく鋭く冴えわたり、同時に心もすっと静かになる。アクセラちゃん曰くのスイッチが入ったことに自分でも気づいた。
むぅ、手札がしょぼい。
自分の手札と周りの人の顔色を確認する。侯爵さまはずっと獰猛そうな笑みを浮かべてるし、アクセラちゃんも薄っすらした微笑みで考えを隠してる。軍人さんは読みづらいけどわずかに眉根が寄ってる。水兵さんたちはだいぶ読みやすい。
この品物は全員が本気で取りに来てる。わたしも本気でいかないと……!
それからしばらくして賭けポーカーは終わった。わたしはなんとかアクセラちゃんの料理を勝ち取ったけど、船の上だと酔いそうだからまた今度にしてもらった。侯爵さまにお願い事をする権利を獲得したアクセラちゃんもご機嫌。
「お前ずっとわざと負けていただろう?」
侯爵さまがアクセラちゃんを半眼でにらむ。たしかに最後のセット以外ほとんどツーペアばっかりで、合計点だと最下位かブービーだった。
「ん」
「はー、油断したー!」
「滅茶苦茶弱いと思ったのに!」
水兵さんたちが悔しがる。ずっと下手な手札しか出さなかったからみんなアクセラちゃんがカード弱いって勘違いしたんだね。それで最後にお互いを牽制して、ノーマークだった彼女が一人勝ちした。
「初歩的ですけど、策士ですね」
軍人さんが苦笑を浮かべてそう言った。
アクセラちゃんはとっても頭がいいのです。
なんだか自分のことのように嬉しい気分になる。けれどそんな気分は長続きしなかった。直後に侯爵さまが言った言葉に心臓が止まりそうになる。
「本当に才能豊かだな、お前は。いっそ伯爵家を見限って俺の娘にでもなるか?」
侯爵さまの娘に、養子にならないか。そんなお誘いにわたしの頭は凍り付いてしまった。
侯爵さまの家の子になるなら、彼女はわたしや父さまや母さまのいるお屋敷からいなくなってしまう……?
昨日泊まった侯爵さまのお屋敷に移ったら、これまでずっと馬車に乗ってきた長い道を移動しないと会えなくなる。冒険にも行けないし、魔法も教えてもらえない。マイルズさんにお願いされてる道具のお仕事もできなくなる。
一緒にいられなくなる。
「アクセラ=ラナ=レグムント?」
「いや、貴族からの養子はミドルネームに古い家名を名乗る。だからアクセラ=オルクス=レグムントだな」
2人の声がどこか遠くに聞こえる。
アクセラちゃんの名前から母さまの名前まで消えちゃうなんて……だって、そんなの、そんなのて……!
胸の中がとっても苦しくなって、どうしようもないくらいに悲しい気持ちが溢れそうになる。そんなとき、ふと母さまの言葉を思い出した。
『お嬢様の侍女になれば、たとえお嬢様がどこに行こうとご一緒することができます。そのかわり、絶対に裏切らず、絶対に離れてはいけません』
祝福をもらってすぐのころ、わたしが侍女のお勉強を始める前に言われた言葉だ。
あ、そうか……。
絶対に離れないなんて当然のことだとあの時は思ってた。
違ったんだね、そういうコトじゃなかったんだね……。
わたしはアクセラちゃんの専属侍女だ。専属侍女はご主人様がどこに行ってもずっとついて行くのがお仕事。それはお嫁さんにいくときも一緒。だから養子になるとしても、わたしはアクセラちゃんについて行くことができる。
置いて行かれる側じゃなくて、わたしも置いて行く側だったんだ。
胸の苦しさが少なくなって、かわりに悲しい気持ちがもっと溢れてくる。これまでずっといてくれた人たちを置きざりにしなくちゃいけないんだと思うと悲しい
……いや、これは寂しいんだ。これが本当に寂しいってことなんだ。
「遠慮する。私は伯爵家が好き。それに育ててもらった恩がある」
「立派な心構えだな……まあ、こっちも冗談だ。頷かれても困る」
アクセラちゃんは断った。侯爵さまも本気じゃなかったらしくて、肩をすくめて少しちゃかすだけ。水兵さんたちや軍人さんは彼女の言葉に冗談交じりで拍手を送ってる。
そっか、出て行っちゃうわけじゃないんだ……。
ほっと息を吐いて、それでもわたしの中に芽生えた言葉にできないもやもやは消えない。だって彼女は使徒だ。技術を広めて奴隷の人たちやブランクの人たちを救うお仕事がある。それが今日や明日じゃなくても、いつかは出て行ってしまう。
アクセラちゃんか父さまと母さまとお屋敷のみんな……選ばないといけない日がいつかくるんだね。
~★~
船酔いと昼間のことで眠りが浅くなったのか、わたしは夜中に目が覚めてしまった。隣ではアクセラちゃんが無防備な寝顔をこちらに向けてる。目元にかかった白い髪とうすい唇。わたしが大好きなラベンダー色の瞳を隠す瞼にそっと触れてみたい。そんな衝動にかられるけど、触れば絶対に起きてしまう。
「……むぅ」
じっと隣の寝顔を見てるだけなのに、船の揺れで気持ちが悪くなってきた。下や横を向いてると余計に悪くなるので仰向けになって、枕を上から押し当てる。枕の中にはイザベル伯母さまがくれた酔い止めのポプリが入っていて、少しだけ気分を楽にしてくれた。
「天にまします我らが主……」
しばらくじっとしていると耳元でささやく声がした。するとすぐに胸と頭と喉の奥でぐるぐるしていた船酔いが消えてく。
「あれ……アクセラちゃん?」
枕から顔だけ横に向けると紫の瞳と目があった。
「大丈夫?」
「うん、ごめんね、起こしちゃって」
「ん、別にいい。少し風に当たりに行く?」
船の上はすぐ気持ち悪くなってしんどいけど、川から流れてくる風はしっとりと涼しくて気持ちいい。暑い夜に枕なんて頭からかぶってたから汗もかいた。今甲板に出たらきっととてもいい気分だろうなぁ。
けどアクセラちゃんわたしが寝るまで魔法かけてくれてたし、眠いでしょ?
「むぅ、でも」
「私もちょっと暑いし」
そう言って体を起こした彼女の背中はたしかに汗で少し湿ってる。
せっかく言ってくれてるんだし、甘えよっかな。
「さ、行こ」
「……うん」
さすがに薄手のパジャマだけで外に出るのはまずいので、カーディガンを1枚羽織ってから出かける。こげ茶色の甲板を月の白い光が照らし出して、それだけで少し涼しい気分になれた。でも思ったほど本当に涼しくはない。
「風、そんなにないね」
「ん。でも部屋の中よりは涼しい」
それはそうだけど、川からの風を期待してた分残念。
少しはマシになるかと思って端っこまで行ってみるけど、やっぱり風はあんまりない。真っ暗な水面に白い月がゆらゆら揺れてるだけだ。顔を上げても遠くにぼんやり陸地の影が浮かんで見える以外何もない。
「岸、ほとんど見えないね」
「ん」
涼しくないし景色も見えない。それでも夜中に船の上で2人きり。まるで書庫にある恋物語のシチュエーションのよう。普段と違う状況になんだかそわそわして、一緒にしばらく歩いて回った。
「お、なんだ嬢ちゃんたち。寝れんのかい?」
マストの近くの扉から出てきた人がわたしたちに声をかけてきた。それは賭けポーカーでわたしがエールを冷やしてあげた水兵さんだった。キンキンに氷魔法で冷やしたエールをとっても美味しそうに飲んでいて、大したことはしてないのにいっぱいお礼を言ってもらった。嬉しかったのと、ちょっと冷やしたエールを呑んでみたくなったのはナイショ。
「なんならマストの上まで一緒に来っか?」
「行ってみたいです!」
水兵さんがすごく楽しそうなことを提案してくれたので思わず大きな声を出してしまった。水兵さんとアクセラちゃんの間の順番で縄梯子をさくさく上って高いマストの上にたどり着く。遠くになるほど月や星の光だけだとあんまり見えない、一面の闇と輪郭だけの世界が広がってる。
「エレナ、大丈夫?」
「うん、まだしばらくは大丈夫そう」
水兵さんがいるから聖魔法の重ね掛けはしてもらえない。望遠鏡を覗いてお仕事中みたいなので、もしかしたらいけるかもしれないけど。
「風、気持ちいいね」
マストの上だからか甲板より風がくる。むしろちょっと寒いくらいで、カーディガンをぎゅっと握りしめた。
「ねえ、アクセラちゃん」
「ん?」
小さく呼びかけただけなのに彼女はちゃんと答えてくれる。なんとなく名前を呼んだだけ、とはちょっと言えない。でも自分でなんで呼びかけたのかよくわからなかった。
「えっと、王都についたら、なにしようか」
「エレナは何がしたい?」
「お菓子屋さんに行ってみたいな」
王都にはお菓子屋さんがいっぱいあるらしい。父さまがアクセラちゃんに持たせてくれた王都の説明書にそう書いてあった……て言ってた。
甘い物は幸せな気分になれるから大好き。ケイサルにはあんまりお店ないし。
「私は色々飲み物が試したい」
「王都の名物っつったらオーガポークのソーセージ一択よ」
横から水兵さんがこっちを見ずに言う。オーガポークはたしか王都名産の豚だ。顔がすっごく怖いだけで魔物じゃない。
「じゃあそれも」
「あはは、食べ物ばっかりだ」
「でも食べ物は大事」
彼女はとても真面目な顔でそう言った。エクセルさまは奴隷時代と盗賊時代に何度も飢えて死にかけたって、魔獣を倒したあとにしてくれたアクセラちゃんとエクセルさまのお話で聞いた。
『食べ物があることの幸せ、食べ物がおいしいことの幸せ……忘れちゃダメ』
飢えたことのないわたしには実感がないけど、アクセラちゃんにとってそれは身近な恐怖なんだ。どれだけ強くなっても、どれだけ裕福になっても、神さまになって転生までしても心のどこかにずっと残ってる。自分でそう言ってた。
「うん、色々食べよう!」
元気を出して少し大げさに頷く。王都からの帰り道はゆっくりできるんだ。みんなで色々食べながら帰るのもきっと楽しいはず。お土産もたくさん買わないといけない。
「エレナ」
「なに?」
「大丈夫?」
真っ直ぐに煙水晶みたいな目がわたしを見つめる。船酔いのことなのか、それとも別のことなのか……まるで心の中のもやもやまで覗き込まれてるような不思議な瞳。
「……うん、まだ大丈夫」
「……ん」
いつか選ばないといけないとしても、それは今じゃない。先延ばしかもしれないけど、考えられるときに少しずつでいいんだ。根を詰めてずっと悩んでもいいことないのは、この前痛い目を見てちゃんと覚えたから。
今は目の前のことを頑張ろう、この続きはみんなの待ってるお屋敷に帰ってからね!
うっかりお知らせわすれてました。
来週は連載一周年記念としてなにかします!
~予告~
エレナは初めて深く考えてみた。
己のなかに渦巻く複雑な感情の竜巻を。
次回、コブラツイスター
ミア 「いつもに増してタイトルが無理やりすぎるのじゃ」




