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四章 第5話 レグムント侯爵

 ネヴァラの中心に位置する大邸宅、レグムント侯爵邸。広さで言えばオルクス伯爵家2つ分ほどあり、絢爛な庭園に遠目には何の施設かわからない建物も複数ある。中でも特筆すべきは5つある迎賓館。さすがは王都の真横に領地を構える大貴族だけあって、ハイシーズンともなれば2桁近い貴族が道中の宿を借りに来る。それを受け入れるために建てられた専用の館はともすれば弱小貴族の本邸よりも整った設備を有しており、1つで5家ほどをもてなせる仕様となっている。ちなみに客が少ないときは迎賓館1つを丸ごとあてがうこともあるらしい。


「……何故こうなった」


 俺はポツリとつぶやく。

 同時にネヴァラへと入った他の2家は迎賓館に泊まっているのに、なぜかうちの一行は本邸に滞在するよう他ならぬ侯爵から命じられてしまったのだ。ちなみに怪我をした少年と医師のジャンも本邸内に部屋を用意されている。


「変な当主」


「それ、アクセラちゃんが言う?」


 血で汚れたドレスを別のものに着替えながらつぶやいた言葉は、しっかりエレナに聞こえていたらしい。

 でも、いくら俺でもあそこまでじゃない……そもそもあの人は当主。俺はまだ成人すらしてないただの娘。

 釈然としない気持ちだが、言ったところではたから見れば五十歩百歩。言わない方がいいことくらい察しはつく。


「でもあんまり知らない土地で真っ先に飛び出しちゃダメだよ?伯母さまがひやひやしたって」


「……私なら治療できた。できるならするのが私」


 実際俺とエレナが即応していなければジャンの施術が間に合っていたかは怪しいところだ。それだけの回数の治癒魔法を2人でかけた。

 最悪、足を切断してポーションと魔法で止血しただろうから、たぶん命は助かっていると思うけど……。


「アクセラちゃんが優しいのも、無茶しても大丈夫なくらい強いのも知ってるけど……」


「ん……まあ、努力する」


「むぅ、絶対しないでしょ」


 エレナは頬を膨らませて怒りながらもてきぱきとリボンを結んで着つけてくれる。仕事をしながら俺に小言を言う姿はどことなくラナに似ていた。


「エレナ、大きくなったね」


「誤魔化さないの」


「……ん」


 侍女モードのエレナは強い。色々と強い。


 コンコン


 しみじみと思っていると扉が高らかにノックされ、張りのある声が聞こえた。


「ヴォイザークだ、飯の準備ができたぞ!」


「え!?あ、しょ、少々お待ちください!」


 侯爵自らの知らせに一瞬固まり、慌てて返答するエレナ。ほとんど終わっているとはいえ俺はまだ着替えの途中だ。


「おう!」


 気さくな返事が扉越しに返ってくる。

 いや、待つ気かよ……豪快なのはいいがデリカシーが若干欠けてるな。


「どうしよ……」


 小声で訪ねる彼女に少し考えてから声を張り上げる。一応敬語で。


「すぐ行きます、3分待ってください!」


「ちょっと、アクセラちゃん!?」


「わかった!だが敬語は不要だ、普通にしゃべれ!」


 エレナから非難がましい目を向けられるが、もう3分あれば十分に仕度はできる。


「むぅ……」


 ぺちりと背中をたたかれた。


「よろしく、エレナ」


「……はいはい」


 ~★~


「どうだ、いい肉だろ?」


「ん」


 仕度を済ませて侯爵と食堂へ向かった俺は肉厚なステーキを頬張って頷く。鹿や鶏じゃない、牛の肉だ。それも食肉用に育てられた高級牛。こってりとした脂としっかりした肉質が特徴的でおいしい。ディナーの内容は牛肉のステーキと野菜スープ、ベイクドポテト、葡萄の果実水。侯爵とジャンは果実水の代わりにワインだ。

 そう、ジャン。何故か一緒に食事をすることになってるわけだ。


「どうした、ジャンとエレナは食が進んでいないじゃないか。冷めたらもったいないぞ?」


 今この部屋、私的な食事に使われる小さめのダイニングでは5人が共に料理を囲んでいる。侯爵本人と俺以外はエレナ、イザベル、そしてジャンだ。戸惑った様子なのはエレナとジャン。意外なことに心配性で小心者なイザベルは、一切臆することなく品のある所作で食事を進めている。


「その、閣下の言動は昔からなので、もう慣れてしまいました」


 俺の視線に気づいたイザベルが恥ずかしそうにはにかむ。


「イザベルとラナは昔からよく来ていたからな。ビルについてちょこちょこ走り回っていたのをよく覚えてる」


「ビル?」


「父です」


 イザベルとラナの父親、つまりエレナの祖父にあたる人物だ。


「ビルはここネヴァラの商業組合のまとめ役をしていてな。それでよくうちに出入りしていたというわけだ」


 ネヴァラの商業組合はなかなか活発なところのようだ。放出市なんかの活動を積極的に行い、領主ともしっかり連携している。そこでふと考えてみれば、ケイサルの商業や工業の取りまとめには会った覚えがない。

 どうなってるんだろ……。


「ビルは仕事の付き合い以上に親友でもある。親友の娘は姪っ子のようなものだろ?だからイザベルとラナは俺の家族も同然ってことだ」


 分かるような分からないような理論を主張する侯爵の目はエレナに向けられる。


「その姪っ子の娘であるお前、エレナも俺にとっては家族だ。だから緊張なんてしてないで食え。うまいぞ」


「えっと……はい」


 困惑を拭いきれない様子だが、伯母が珍しく堂々としているのも相まってかそっと食事に手を付けた。あるいはあまり食べない牛肉への好奇心が勝ったのかもしれない。


「あ、おいしい」


「だろ?」


 エレナの口にはあったようだ。表情がほころぶのを見て侯爵も笑みを深めた。


「そういえば」


 家族といえば一つ思い出したことがあって侯爵に話をふる。


「なんだ?」


「外でジャンを息子と言ってた。親子?」


「ああ、そうだな」


「いや、違うぞ」


 俺の疑問に侯爵と医者が同時に答える。タイミングはぴったりだった。ただし内容は真逆。


「息子みたいなものだろう?」


「話がややこしくなるようなことを言わないでくれ……俺の名前はジャン=メイス、元孤児で医者だ。俺の居た孤児院が侯爵家の直営だからこんな風に絡まれてる。そもそも……」


 ジャンが自己紹介に続いて語った内容に俺は納得する。侯爵は自分の持つ孤児院に時折顔を出しては子供たちと遊ぶ。そのせいで孤児たちが妙に貴族慣れしてしまい、ジャンのように振る舞う者が続出しているのだとか。有能な職業人を輩出する反面、貴族社会から見た場合問題児をも大量に生み出している。ジャンは苦笑いとともにそう言った。

 しかし、自分で自分を問題児扱いするなよ。


「医術は孤児院で?」


「そうだ」


「メイスの姓も?」


「よくわかったな。メイス孤児院だから、卒業生はメイスを名乗ってるんだ」


 アンナ=メイス、ステラ=メイス、シャルール=メイス。うちの侍女3人が姉妹でもないのに同じ姓だったのはジャンと同じ孤児院の出身だったからか。


「そういえばケイサルには何人か孤児院の出身者を送ったな。時期的にお前はアンナとステラを知っているんじゃないか?」


 思い出したように尋ねる侯爵にジャンは少し考えてから、一つポンと手を打った。


「ああ、覚えてる。青い髪の家事上手と魔眼持ちのお針子だろ?」


「ん、その2人。今うちで働いてる」


「なるほどな、他の領地に行ったのか。だから見なかったわけだ」


 侯爵家の侍女になっているとしても街中で一切見かけないというのは考えられない。その理由を理解したジャンは少し安堵したような顔を見せた。つながりが薄いなりに彼も気にはかけていたのかもしれない。


「ステラは来てる。あとシャルも。後で会う?」


「いや、別にいい。そんなに話したことがあるわけじゃないしな、そもそもシャルってやつは知らん」


 侯爵家の孤児院だからお互い知らない間柄の子供もいるんだろうか。規模が大きいとどうしても目の行く場所や人は限られる。

 あれ、でもシャルは凶作の煽りでひもじい思いをしたって言っていたような……侯爵家お抱えの孤児院でそんなことがあるのか?


「閣下、シャルは本当にメイス孤児院の出身?」


「シャル……ああ、シャルールか。あの赤髪のはねっかえり娘だな?」


 いきなり愛称で訪ねた俺も俺だが、よく侯爵の身分で孤児院出の子供の名前まで覚えている。しかもちゃんと特徴まで記憶しているなんて。


「あの子は途中で家出したからよく覚えている」


 なにしてんの、シャル。


「家出の理由までは知らんがな。数年前にボロボロになって戻ってきた。いきなり俺のところに来て、侍女の仕事がしたいから訓練してくれとか言い出してな……それまで冒険者をしてたとか言うし、面白いから許したわけだ」


 面白いからで許すなよ。

 つまりシャルは小さい頃にメイス孤児院を出て、他の孤児院に拾われ飢饉を経験した。その後冒険者になって活動するもパーティーが壊滅、侯爵に直談判して孤児院の教育課程に入れてもらい、最終的にうちに来たというわけだ。

 壮絶というか、忙しい人生。


「アンナ、ステラ、シャル、ジャン、皆優秀でいい人。メイス孤児院はいい所みたい」


 世の中には酷い孤児院も少なくない。貴族の直轄孤児院が酷いのはなかなかないが。


「そりゃあ、この領地で一番大切な事業だからな」


 褒められて気を良くしたのか、侯爵は一際大きいステーキをワインで流し込んで笑う。

 それはそうと、それ何枚目のステーキ?


「そう、一番大切な事業だ。なんでか分かるか?」


「人材育成?」


 間髪いれずに答えると目の前の男の笑みは深まる。


「ふん、本当に成人前の子供とは思えないほど聡いな。話に聞いていた通りだ」


「話って?」


「色々あるぞ。あのレメナ老が直々に魔法を指導したとか、冒険者登録をして活躍しているだとか……なんでも共同で魔獣を討伐したらしいじゃないか」


「ごほっ」


 侯爵の言葉にジャンが咽る。彼は驚愕と困惑と納得をごちゃまぜにしたような顔色でこちらを見た。俺が治療費を出したときの会話を思い出したのだろう。


「今はCランク」


「魔獣討伐でDを飛ばしてCに……妥当なところだ」


 侯爵は魔獣討伐の真相を知らないのか、顎に手を当てて頷く。マザー・ドウェイラと彼の仲なら十分に情報共有はあり得ると思ったが、彼女はギルマスとしての立場を貫いたようだ。


「面白いよな、まったく」


 彼は高貴な身分に似合わない笑みを浮かべる。


「……」


「お前は自分で思っている以上に面白い素材だ。逸材と言ってもいい」


「?」


 言いたいことがわからないまま首を傾げてみせる。凶悪な気配の笑みを浮かべたまま、彼は俺をちらりと見てからこう言った。


「あとで俺の執務室に来い。折入って話がある」


「……ん」


 話がなにについてなのかは分からない。それでも俺に断る選択肢はどうせない。というわけで小さく頷き返し、そのまま夕飯の続きに意識を戻した。

 面倒ごとでないといいけど。


 ~★~


 食後の雑談や風呂が全て終わってから、俺は侯爵の執務室に向かった。侯爵と個人的に親しいイザベルだけを伴って、いつも通りの冒険者装束から鎧を引いた格好で。エレナもついてきたがったが、なにが起きるか分からないので留守番をしてもらっている。


「閣下、アクセラ様とイザベル様がお見えです」


 俺たちを先導してくれた侍女が分厚い樫の扉をノックしてそう言った。年は20に届くか届かないかだろうが、歩き方から彼女が何か戦闘技能を修めていることが分かる。なぜかレグムント邸で見かける侍女は多くが若くて戦闘のできる者だった。


「入れ!」


 気さくな口調の厳つい声が扉を貫いて飛んでくる。侍女は音もなく樫の板を押し開き、俺たちを通すだけ通したらさっさと出て行ってしまった。


「何か飲むか?」


 部屋の主は大きな机の向こう、壁に作りつけられた棚からビンをいくつか取り出して見せる。ほとんどが琥珀色の液体で半分ほど満たされている。


「水かお茶を」


「私も同じものをお願いします」


「なら茶だな。ウチはいい茶葉が手に入るかわりに水が不味い。どうにも臭くてな」


 言いながら侯爵は棚の横の台でお茶を淹れ始める。壁から突然生えている蛇口から魔導具製と思しき水をポットに注いで、加熱の魔導具のスイッチを入れる。

 どっちみち魔導具の水を使うなら別にお茶じゃなくてもいいんじゃ……。


「夜も遅いからな、先に話を始めるか。とりあえず座れ、2人とも」


 机の対面に並べられた2つの椅子を示す侯爵。俺はその片方に腰を落ち着けた。


「私は結構です。まだ職務中ですから」


 イザベルが辞退すると彼は肩をすくめて自ら椅子に座った。


「俺はまだるっこしいことが嫌いだ。何事も直接、最短で、ハッキリと行いたい性分てわけだ」


「つまり?」


「お前はどこに立つつもりだ?」


 一見すると意味の分からない問いかけと同時に、部屋の空気が急激に薄くなった。まるでいきなり山の上に投げ出されたように、息を吸ってもまるで肺が満たされない感覚。それは目の前の男、英雄ヴォイザーク=リリアン=レグムントの放つ圧力による錯覚だ。


「う……うぅ……」


 俺の背後でうめき声がこぼれる。イザベルが委縮し、俺の椅子の背に思わず手を突いて体を支えるのが分かった。

 実戦なれした老練の戦士が放つ圧は殺気と言う程尖っていない。覇気と呼ぶほど首を垂れたくなるような何かがあるわけでもない。それでも空気が薄くなったと勘違いするほど、息を吸うことが困難になるほど相手を圧倒するものだった。


「顔色一つ変えないか。まあいい」


 苛立った様子もなく、むしろ実に楽しそうに笑みを濃くして男は言った。


「俺が知りたいのはたった一つ、お前が自分の立ち位置をどこだと定義するのかだ」


「……」


「お前も貴族なら、そして今最も不安定な立場にあるオルクス家の長子なら分かってるだろう?この領地で俺が行っている政策は異質だってことくらい」


 スキルに頼らない力の育成、技術の導入、奴隷やブランクに対する偏見の是正、平民への積極的な教養教育。そのどれもがユーレントハイム王国じゃ珍しい。この国の主流派はスキルの力を信奉しているし、異国の思想に警戒感を持っている。奴隷を守る法はほとんどなく、ブランクや獣人をやや下に見る傾向が残る。そしてそれを改善すべきだという考え方がほとんどないのだ。


「特にお前の父、オルクス伯とは相いれない考え方だ。違うか?」


 今度も俺は無言でもって答えた。獣人について父がどう思っているかはしらないが、奴隷やスキルについてはかなり保守的な立場にあるはずだ。


「オルクス家の離反はたしかに我が家にとって痛手だったが、今まではそこまで大きな問題にならなかった。お前の父が脅威たりえない人物だったからな」


「今は違う、と?」


「そうだ。アクセラ、お前は才能豊かだ。そしてその才能を既に開花させている。それも飛び切りの形で」


 柔らかな椅子に深く腰掛けたまま、侯爵は両手を組んで机の上に置いた。


「優秀であることや才能があることが必ずしもいいことであるとは限らない。その年ではさすがにまだ分からんかもしれないが、それが現実だ」


 つまり、俺というカードがオルクス伯爵の手元にあるなら伯爵家の危険度を再評価しないといけなくなる、という話だろう。資金を生み出す以外になにもしない伯爵が、まだCランクとはいえ成長盛りの従順な暴力を手に入れたらどうなるか。毒にも薬にもならないまま終わるのか、それとも猛毒となって政情に浸透するのか。


「俺には俺なりのプランがあって動いている。当然軌道修正が必要なら全力でもって行う」


 邪魔になるなら消すぞ、ってことか。


「だから聞いておきたいんだ、お前がどこに立つつもりでいるのかを」


 ただ趣味の冒険者として力を振るい、何を成すでもなく結婚して家庭に入るなら捨て置けばいい。邪魔な位置に立つつもりなら早々に排除しておきたい。そして手元に置けるなら……。


「と、まあそんな話がしたかったわけだ」


 どう答えるかを考えていると、唐突に部屋を満たしていた圧が消えた。男は何事もなかったかのように立ち上がり、ポットを魔導具から退かして茶葉を入れ始める。


「いくら俺でも今すぐ立場を決めろなんて無茶は言わん。どれほど才能豊かで強いと言ってもお前はまだ9歳の子供だ。大人になるまでにはまだまだかかる」


 カップ3つに半透明な液体を注いで盆にのせる。角砂糖の入ったガラス壺と細長いスプーンも。


「だがこれから行く王都で、俺の言葉の意味をしっかりと考えろ」


 机のど真ん中に置かれた盆からこっちに2人分の茶器が降ろされる。香りは普段家で呑んでいるのとは違って、少しミントのようだった。


「イザベル、お茶いただいたら?」


「は、はい」


 なんとか椅子の背を掴んで耐えていた侍女長がよろよろと俺の横の椅子に収まる。


「閣下」


「なんだ?」


 角砂糖を3つ入れてスプーンで書きまぜながら、俺は目の前の相手に言葉をかける。同じく白い立方体をいくつか入れていた侯爵の手が止まった。


「どこに立っているかは分からないけど、私は私の意思で生きていく。オルクスの意思でも、閣下の意思でもない。私自身の意思で」


「ほう」


 お茶をかき回す手が止まり、目がすっと細められる。圧は鳴りを潜めたままだ。


「お前の意思とは一体なんだ?」


「少なくとも閣下と正面衝突することはない」


「この俺相手に言うつもりはないと?」


「閣下も全てを話してくれないでしょ?」


 まるで対等であるかのように質問を返す。子供と大人、伯爵令嬢と侯爵の会話とは思えない。だがそれでいい。今俺たちが話しているのはもっと重大な、己のあり方と生き方の問題だ。社会的な立場や常識に足を取られて言葉を鈍らせれば会話の意味自体がなくなる。


「真意まで話す気がないなら全部黙っておいた方が都合がいいんじゃないのか?」


「閣下は手札をばらしてくれたから」


 侯爵の考えも当然だが、彼は俺に「俺には俺のプランがある」と言った。世の中の大半と相反する主義を掲げて、それに関する何かしらの計画を練りあげていることを明かしてくれたのだ。彼なりの誠意を見せてくれたのだから、俺なりに誠意を返したつもりだ。


「ふ、ふふ、ふはははは!やはり面白いな、お前は」


 突然笑いだす侯爵。それはそれは面白そうに、こぼさないように手に持つ紅茶を態々下すほど。


「決めたぞ、色々考えてたが全部ナシだ。俺はお前を見定める」


「見定める?」


「そうだ。お前がどこに向かうのか、何を目指すのかに興味がわいたからな」


 俺の立つ場所ではなく、たどり着く場所で判断してくれる。それはある意味協力体制をとるのに似た結論かもしれない。すくなくともレグムント侯爵という大貴族からの横やりを気にしながら今後生活しなくていいのはありがたいことだ。


「あとお前も俺を見極めろ」


「……?」


「フェアに行きたいんだろ?なら俺のことも好きに見定めろ」


 そう言って笑った男の顔は本当に楽しそうだ。大きな仕事を自らに課し、そのために方策を練ってきたんだろうに。面白いからという理由でリスクを抱え込む姿はどことなく鏡を見ているようだった。


「出発は明日の予定だったな?」


「ん」


「明後日にしろ」


「理由を聞いても?」


「明後日には俺が軍艦で王都に向かう。明日普通の船で出発するのと同じくらいで到着できるはずだ」


 その提案自体はとても助かる。船酔いしやすいエレナがいる分、川の上で過ごす時間は短い方がいい。


「その分、明日は孤児院を見ていけ。あるなら意見も聞かせろ」


「それは願ったり叶ったり」


 孤児院はステラたちがこの街で教育をうけたと聞いたときから一度見に来たいと思っていた場所だ。そもそも予定の空いている帰り道で見学によろうと思っていた。


「お前としゃべるのは面白かったぞ、また暇があれば顔を出せ」


 一方的に話を打ち切った侯爵に、お茶を飲みほして立ち上がる。


「私も面白かった。お茶ありがと」


「ああ」


 ひらひらと振るわれる手のひらに見送られて俺は部屋を出る。扉をくぐったところでイザベルがついて来ていないことに気づいて振り返った。


「イザベル?」


「閣下とお話したいことがありますので、先にお戻りいただけますか?」


 たれ目がちな夏色の瞳が珍しく凛とこっちを見ていた。


「……ん」


 積もる話もある、という雰囲気じゃないが……彼女にも彼女なりの考えがあるのだろう。


「2人とも、おやすみ」


「ああ、おやすみ」


「おやすみなさい、お嬢様」


 2人を置き去りに扉を閉める。明日は孤児院、絶対体力を使うから早く寝よう。


 ~★~


「閣下」


「2人きりなんだ、昔みたいにザークおじ様とでも呼んでくれよ」


「閣下!」


「悪かった、怒るな」


 遠縁の少女が去った後も部屋に残ったイザベルを諫める。彼女は明確に怒っていた。

 まあ、当然か。


「とりあえず座れ」


「結構です、すぐにお暇しますから」


 キッパリ断る彼女は俺の記憶にあるより凛とした雰囲気を纏っている。

 最後に会ったのは……ロロアの、彼女たちの母親の葬式以来か。変わるわけだ。

 夏の空のような目の眦を困り気に下げ、いつも体の大きな俺に会うたびにビルの後ろへ逃げ込んでいた。そんな臆病で気弱な少女が少し見ない間に立派な女性へと成長したものだ。


「それで、なんだ?」


「申し上げておきたいことがあります」


 何のことかは、まあ、分かる。


「お嬢様は確かに抜きんでた才能と胆力をお持ちですが、それでもまだ幼い少女です」


「ちょっかいを出すなって言いたいんだろう?」


「それが無理なことは分かっています。閣下もお立場があるでしょうし、そもそも面白そうなことに首を突っ込まずにいられるような方でないのも知ってますから」


 色々あったな。この姉妹を魔物の討伐見学に連れて言ったこともある。後で怒り狂ったビルのやつに酒瓶で殴られたが。

 いや、今は思い出に浸る場合じゃなかった。


「じゃあ俺にどうしてほしいんだ?」


「まだ子供であることを忘れないでいただきたいだけです」


 精一杯の非難を込めた眼差しが刺さる。

 考えたな……。

 俺が俺らしい行動をするのは止められない。侯爵として、派閥の長として動くのも止められない。それでもあえて釘をさしたのは、俺が身内に甘いのをよく知っているからだ。常々言っている通り俺はイザベルとラナを姪っ子のように思っている。その彼女から避難がましく釘を刺されたら、どうしてもいざというときに思い出してしまう。

 ラナは主張の強い子だったが、イザベルがここまで覚悟を決めるなんてな。あの面白い少女よりもしかたしたらこっちの成長の方が俺には驚きかもしれん。

 そんなことを考えていたからか、つい意地悪が口から飛び出した。


「それでも俺が彼女を利用する、あるいは最悪の手段をとるとしたらどうする?」


 俺の罪悪感に訴えることは実際有効な手段だ。それでも必要と割り切れば躊躇わない程度に意思の強い男だと、俺は自分を評価している。その時が来たら彼女はどうするのか。物理的にも権力的にも力がない彼女にできることはなにもないはずだ。


「父に言いつけます」


「…………は?」


「ラナと2人で、閣下が「娘」に無体を働こうとしていると言いつけます」


「え、いや……ちょっとまて、それはアリなのか!?というか娘じゃないだろう!?」


 ビル=ケイラ=シュタープはネヴァラの経済を牛耳る組合の理事の1人であり、俺の親友。そして超ド級の親馬鹿だ。娘たちから孫が危険にさらされていると聞かされたら奴が何をするか。考えたくもない。ときに金の暴力というものは筋力や謀略を圧倒する破壊力を持つのだから。


「アリかですって?親は子供を守るために全力を尽くす生き物ですよ」


 その言葉で俺は理解した、彼女は自分が仕えるあの少女を娘と断言するほど大切にしているのだと。

 ラナとビクターがエレナ同様にアクセラを可愛がっているのは知っていたが、まさかイザベルまでこんな大胆なことを言うなんてな……。

 当然彼女が俺を身内と思ってくれているからこそだろうが、それにしても驚いた。


「わ、わかった。できるだけいらん手出しはしないよう気を付ける」


「そう言っていただけて嬉しいです」


 ニッコリと笑う目の前の女性からなんとなく懐かしい気配を感じた。それはもう記憶の彼方にしかない、しかし確かに失われてはいない感覚。母の優しい笑みの気配。たしかな母性を目の前の女に感じ、俺は不思議な安堵を覚えた。そして同時に何とも言えない不安な気持ちにもなる。


「……心配になってきたぞ」


「なにがですか?」


「いや……なんでもない」


 結婚する前からこんな調子では嫁の貰い手がいなくなるんじゃないか。喉元まででかかった親心を飲み込む。本当の親でもない俺には、さすがにそれは言えない。


誰もが誰かの子であり、また親であるというお話。


~予告~

アクセラとエレナはイザベルを尋ねた。

母ではないが、母のように接してくれる彼女に一言言うために。

次回、伯母を尋ねて三千ミリ


アクセラ 「3000mmって隣の部屋だし・・・」

エレナ 「そんなこといいから、ほら!」

二人 「いつもありがとう!」

イザベル 「~~~~!!」

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