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三章 第20話 重なる敵意

!!Caution!!


このお話はお盆一週間連続投稿の4話目です!

 「災いの果樹園」中層と深層のちょうど境目あたりだろうか、すっかり日が沈んで辺りは夜の帳が下りている。そこは少し開けた場所で、元々は何かしらの広場だったのかもしれない。倒れた柱に通路が潰されて実質袋小路になっていた。

 ベディスとトリンプはというと、警戒することもなく倒れた石柱の1つを椅子代わりに駄弁っている。たき火で焼ける保存肉と水筒の水が羨ましいかぎりだ。

 それを見ている俺は別の石柱に背中を預けて地面に座り込んでいた。土から服に湿気が移るわ、かけられたエールが乾いてべたつくわ、まったく不快極まりない。しかも刀や杖はベルトごとベディスが持っているのだ。戦いの恐怖から逃げるために薬物を使うような愚か者に、分身ともいえる武器の類を触られる不快感は言葉にできないものがある。

 だが最も不快なのはそれらではない。

 わずかに視線を動かせば砂に汚れたハニーブロンドが目に入る。エレナは今俺に体をあずけていた。こちらの首筋に頭をのせて、昼寝でもするようにリラックスした姿勢で。

 別に眠っているわけではない。「災いの果樹園」に到着したばかりのときはまだ意識のなかった彼女だが、しばらく前に目を覚ましてからはこの姿勢で眠たそうにボーっとしている。

 考えてみれば当然だ、薄めてあるとはいえ麻薬作用のある薬物を注入されたのだから。なぜか俺の体は予定より大幅に早く目覚め、今となっては手足に力が入りにくい程度まで落ち着いているが、エレナには普通に作用しているのだろう。

 半分夢の中にいるような雰囲気で俺にもたれかかる彼女は非常に危うげで、今すぐにでも解毒の聖魔法をかけたい衝動に駆られる。だが我慢だ。今変に魔法を使えばこの上手く動かない体で彼女を担いでダンジョンから逃げ出すという、非常に難易度の高い逃避行に突入せざるを得なくなる。

 ベディスから聞きだしたところ、エレナが投与された量はあとから聖魔法で浄化すれば後遺症も残らない程度らしい。聞きだすのに3発殴られたが十分価値のある情報だった。そうでなければ様子見などなしに聖魔法をかけているところだ。

 これで分量や濃度を間違えて使っていたとか言いだしたらソーンフットを寄生させてから寸刻みにしてやる。


「来たか」


 怒りの籠った眼差しをベディスに向けていると、トリンプが顔に気色の悪い笑みを浮かべて立ち上がった。その視線の先、すなわちこの広場の入り口へ俺も目を向ける。


「やあやあ、遅れてすまないね」


 2人の剣士を引き連れた紳士がいた。見ただけで顔を顰めたくなるような胡散臭い笑顔、こんなところに来るには不向きな仕立ての良い服、そして人の命と金を同じ天秤に載せられる者特有のニオイを放っている。後ろの剣士も冒険者と呼ぶには陽気さの足りない、死の気配を濃密に纏った輩だ。


「こんなところで待たせてすまないね。いつ魔物がくるか気が気じゃなかったろう?こちらもさっきでっかい奴に襲われてね」


 まるで善良な金持ちのような語り口で世間話染みたことを言う紳士。


「いや、ここはセーフスポットだ。安心して商談もできる」


 粘着質な笑みを浮かべたトリンプが自慢げに答える。


「セーフスポット?」


「魔物が出ない場所ってのがあるんだよ、ダンジョンにはな!」


「ほー、そんな場所が」


 驚いて見せる紳士に後ろの剣士がそっと耳打ちすると、彼はベディスたち以上に粘着質な笑みを浮かべた。セーフスポットなどないと報告されて嘲笑したのだろう。俺も心の中で目の前の馬鹿を大いに罵倒しているところだ。


「さて、では急いで商談を済ませてしまおう。私が望んだものは?」


「用意してあるぜ、もちろん」


 ベディスが俺たちのすぐそばまで歩いてくる。


「見りゃわかると思うが、こっちがオルクス家の娘だ。なんでか知らねえが薬がほとんど効かねえんで徹底的に縛ってある」


「ちゃんと全部使ったのかね?」


「さすがに仕事分は使いこまねえよ!」


 薄めて残りを着服したのではないかと疑われ、不快気に吼えるベディス。俺はそんな男の傍らでじっくりお付きの剣士を確認する。かなり上等な革鎧を艶消しの黒に染め上げ、ベルトや剣帯の金具部分には音が出ないように革のカバーをかけている。光物は一切身に着けず、腰のショートソード以外に武器は見られない。

 堅気の冒険者ではない。トーザックのように優秀な斥候も似たような格好をするが、こいつらの装備自体は剣士のそれなのだ。後ろ暗い傭兵や暗殺者、下手をすれば汚れ仕事専門の騎士という可能性もある。


「もう1人は……あー、ちょっと詳しい関係はしらねえけど、パーティーメンバーだ」


「あまり適当な仕事をしてもらっては困るよ?」


「て、適当な仕事じゃねえよ!コイツは2人でパーティー組んでやがる、当然湖楽の生産をぶっ壊しやがった罪は2人ともにあるだろうが!」


「ふむ……まあいいかね。1人は見せしめに薬で壊してもう1人は依存症にしてしまおう。上手く使えばここの領主を生産に噛ませられるかもしれない」


 さらっととんでもないことを言う紳士に小悪党2人は面食らったように黙ってしまった。俺もそんなことをスラスラ言われると、いくら相手がクズだと分っていても驚きを隠せない。


「こんばんは、お嬢さん」


 睨みつける俺の視線に気づいたのか、紳士がこちらに顔を向ける。


「この状況で泣き叫ばないその心の強さは素晴らしい。けれどそういう態度は相手を見てしなければね?私などはそんな態度を取られるとむしろこの後が楽しみで仕方無くなってしまうよ」


「変態」


「ふふふ、手厳しいね」


 気丈な相手を薬物や暴力で屈服させることを快楽にする人種。昔のアピスハイム貴族に多かった退廃的な変態だ。反吐が出る。


「もとはといえば君たちが悪いんだよ?冒険者ごっこなんかで人の商売を邪魔する悪い子にはオシオキが必要だ」


 こう言っては何だが、あれは生成過程で自分も微量ずつ接種してしまっていたマルコス=ルンベリーが自爆した形だ。遅かれ早かれ発覚してマザー・ドウェイラに暴かれていただろう。


「君は薬に耐性があるようだから加減がしやすそうだ。たっぷり気持ちよくしてあげよう。そのあとでおうちにも返してあげるから、たっぷり君のパパに薬を調達してもらうといい」


 紳士、もとい変態紳士は俺にもたれかかるエレナに視線を移す。


「そっちの子は夢うつつと言った様子かな?何もわからなくなるくらい楽しい気分にさせてあげるから、安心したまえ」


 口が三日月の形に広がる。虫唾が走る笑いだ。今すぐ刀の鞘で前歯を1本のこらず砕いてやりたい。


「汚い目玉で見るな」


 変態紳士、もとい変態の視線からエレナの顔を隠すように少し体を傾ける。


「大切なお友達かな?ふふふ、壊れ行く間はせめて一緒に居させてあげるからね」


 猫なで声に鳥肌が立つ。歯を折った後は舌も引っこ抜いてやろう。


「おしゃべりはそれくらいにして、代金払ってもらおうか」


「いくらセーフポイントつってもあんまり留まってたい場所じゃねえんでな!」


 トリンプが寄こせという仕草をしながら変態に近づき、ベディスが俺たちに一瞥くれながら叫ぶ。


「これでもかなり危ない橋を渡っているんだ、こっちは。引っ越しもしないといけないしな」


「そうだぜ?金貨20枚と湖楽の原液20本、それから今後湖楽を格安で卸すって確約を貰おうか」


 たしかに貴族子女の誘拐はあっさり首が飛ぶ危ない橋だが……200万クロムに1000倍希釈で使う薬物を20本とは、俺にはとんでもない要求に思えた。200万クロムといえば彼等Dランク冒険者だと、累計でも稼ぐのに2年以上はかかる額だ。加えてその後の薬の面倒まで見ろとは、吹っ掛けるにしてももう少しマシなラインがあるだろう。


「ふむ……」


 しかし変態は顔色ひとつ変えずに頷き、付き従う剣士の1人へ頷いて見せた。それに頷き返した剣士はベルトに括りつけた袋へ手を伸ばす。


「かっ!?」


 あまりに滑らかに、剣士は袋の隣に吊られている剣を抜いてトリンプの喉に突き入れた。肉厚でカーブの強い、肉を絶つことに特化した剣はあっさりと無防備な首を貫く。

 気道を鉄の塊に塞がれた男は驚愕の表情を張り付けたまま、口を数回動かして事切れた。返り血も恐れず剣士が刃を引き抜けば湿った音と共に血が噴き出す。


「え……」


 自然な動作で行われた凶行にベディスが間の抜けた声を洩らした。


「汚れ仕事に慣れていない輩はダメだね、どうにも手口が杜撰すぎる」


「え、ト、トリンプ……ウソだろ……」


「君たちがケイサルを出た1時間後にはもう捜索隊が動き出してたそうだよ」


「ウソだろ!?お、おい……ど、どうすれば……どうやって……い、いや、なんで!?」


「まともに仕事もできない相手を生かしておいてはあとが大変なんでね。君たちへの支払いは彼等の高価な剣を喉で味わう権利で代えさせてもらうよ」


 パニックを起こすベディスのことなど全く気にも留めていないのか、一方的に口上だけ述べた変態が合図を送る。2人の剣士がそれぞれ剣を片手に気負いない足取りで歩き始めた。彼我の距離はそう遠くはない。しかもたき火を中心に左右から来るので逃げ場もない。

 ベディスは自分の剣も俺から奪った紅兎も抜かぬまま、現実を受け入れられずに身をすくめている。剣士はその姿に嘲笑を浮かべることすらなく、ただ剣を構えて歩み寄ってくる。一番向こう側で変態が気持ちの悪い笑みを浮かべていた。この瞬間、全員の意識が俺から外れていた。


 不意を突けるのは今しかない!


 あらかじめ作っておいた魔力糸でロープを全て焼き切る。同時に小声で聖魔法を唱える。


「天にまします我らが主よ、この手に御力を、我が血を清めさせたまえ」


 聖魔法中級・クリアブラッド。信仰やスキルレベル以外に薬の知識が効果に作用する、血中の毒物を分解する魔法だ。

 唱え終わったとたん、全身の血管に新しい血液が流れ込んだような錯覚を覚える。残っていた倦怠感や虚無感、手足への意識を阻害していた靄が消え去った。


「!」


 剣士の片方が異変に気づいた。その口が警戒を発する前に俺はエレナを押しのけて走り出す。こちらに背中を向けて呆けているベディスからベルトごと紅兎をひったくり、鞘を払って左に構える。右手の刀と疑似的な二刀流だ。


「こいつ魔法を使うぞ!」


「その娘は殺すな!」


「な、お、お前!?」


 剣士と変態と馬鹿がそれぞれに叫ぶ。俺は黙ってベディスの体を思い切り左の剣士めがけて蹴飛ばし、そのまま右の剣士に斬りかかった。


「は!」


 一切の油断を見せないその剣士が真っ先に放って来たのは横薙ぎの一撃。通常の『剣術』では見られない濃い紫を纏うそれを右手の紅兎で受け止め、左手の鞘で顔めがけた突きを放つ。

 首を捻るだけでそれを躱した剣士は1歩下がって剣と刀の噛み合いを解き、今度は連続して左右から斬り払いと斬りつけを繰り返す。やはり紫の光を帯びたその剣は、明らかに異常な速度で繰り出されていた。発動から太刀筋まで全てを規定してあるタイプの連撃スキルだ。簡単に殺せなかったことへの驚きも最小に攻撃を繰り出してくるあたり、相当に汚れの経験が豊富らしい。

 風切り音と紫の残光を引き連れて迫るショートソードを最小の動作で弾いていく。高速攻撃に特化したスキルなのか、二刀流でなければ今の俺が防ぐのは難しかっただろう。しかし武器の数で俺は上回っているのだ。片手で受ける間に空いた方で反撃を試みる。


「娘1人になにをしている!」


 金属の剣と刀が高速でぶつかり合う大音響の合間で、壁際まで逃げていた変態が怒鳴る。しかし俺の目の前の剣士は攻防を拮抗させるので手いっぱい。視界の端でもう1人もベディスを殺そうと手こずっていた。蹴飛ばされたせいか、ようやく剣を抜いて死に物狂いに振り回す彼を制圧しかねているのだ。


「ふ!」


「!?」


 複雑に左右織り交ぜて繰り出される剣にもだんだん慣れてきた頃、短い息とともに繰り出された剣を鞘で叩いた。軽くではあるが、意図しない方向に力が向いた剣士の腕は一瞬意思の制御から離れる。


「や!」


「ぐぅ!」


 躱されやすい手足や頭ではなく腹を狙って紅兎を突き込むが、ギリギリで体を捻って深手を避けられる。それでも刃は革鎧よりわずかに下のあたりで肉を斬る感触を伝えてくれた。


「うぐ!?手を貸してくれ!」


「ちっ、わかった!」


 ようやくデタラメな剣筋に剣を合わせることに成功したもう1人の剣士が、ベディスの胸に3連撃の回転斬りを叩き込んだ。『剣術』のスキル光と共に致命傷を刻み込まれた男がその場に倒れる。


「熱き血潮よ」


 俺は極端に省略した詠唱で火属性の強化魔法ヒートブラッドをかける。薬による疲労で失った体力を筋力で補う苦肉の策だ。


「青き火よ」


 続けて省略した青いファイアボールをもう1人に牽制として放ち、目の前の剣士に更なる斬撃を繰り出す。青く燃えあがる火球は適当な狙い通り地面に当るが、内包した魔力は特に制御もしていないので派手に火の粉を散らして燃え上がる。延焼はしないまでも一瞬の足止めには十分すぎる。


「はっ」


 剣を刀で横に流し、がら空きになった胴ではなくあえて顔面に鞘を叩きつける。横薙ぎで、しかも余裕を持って大きく踏み込んだ一撃は顔をのけぞらす程度では避けられない。


「ぐお!?」


 鈍い音と共に鋼鉄でできた鞘は剣士の顔を強く打ちすえた。折れた歯が宙を舞い、曲がった鼻からは血が零れる。


「ぐっ……ごほっ!?」


 今度こそ刃での追撃を行おうとしたとき、足に激痛が走った。運ばれてくるときにベディスに殴りつけられた場所だ。その痛みに足が止まったところを狙って、剣士から反撃の回し蹴りが入れられる。寸分たがわず俺の肋骨を捉えた蹴りはそのまま2本ほどをへし折り、軽い体を蹴鞠のように壁際へと飛ばした。


「ぐぅ……げほげほ!」


 地面に叩きつけられ、せき込むたびに左の脇が傷む。だが幸い折れた骨はどこにも刺さっていない。咄嗟の一撃に『体術』や『格闘』でも乗せられていたら大惨事だった。


「青き火よ!」


 両手でファイアボールを生み出して2人の剣士に放つ。あまり速度を上げてないのもあって直線上から逃げられてしまうが、貴重な時間をまた稼げた。


「癒しの力を与えたまえ」


 初級回復魔法のキュアで肋骨だけは元に戻す。足まで治療できればいいのだが、さすがにそこまでの時間はない。


「青き……」


 今度は命中力を高めた火球を放とうと詠唱を始めたときだった。


「ギュキュリリリリリ!!!」


 金属同士をこすり合わせるような、耳をつんざく絶叫が轟く。


「な!?」


「まさか……」


「シュリルソーン系……?」


 俄かに慌て始める剣士たち。彼等の腕前からすればこのダンジョンのボスですら脅威ではないと思うのだが……俺も咄嗟に魔法の詠唱を解いてしまったので人のことは言えない。

 ズリ……ズリ……ズリ……

 叫びに静まり返ったこちらに、何か重たい物が身を引きずるような音が聞こえ始める。


「さ、さっきのやつか!?」


「静かにっ」


 さっきのやつとはきっと紳士が最初に言っていた、道中で遭遇した「でっかい奴」のことだろう。大きさが印象的ということはシュリルソーンナイトか、現在位置を考えればより上位のタイプもありうる。

 誰もが息を殺して様子を見る中、俺はゆっくりと足音を殺してエレナのところまで下がった。ちゃんと決められた量の薬を使っていたらしいが、それでも万が一手遅れで後遺症などが残っては大事だ。


「天にまします我らが主よ、この手に御力を宿らせ、かの者の血を清めさせたまえ」


 一言一句丁寧に唱えてエレナの胸に手を当てる。本当にわずかな感触が手を押し返すと同時に、若紫色の光が俺から彼女へと流れ込む。念のためにもう1度クリアブラッドをかけ、最後に短縮したキュアをかける。


「う……うぅん……」


 戦闘が始まっても呆然と宙を見つめていた彼女の瞳に光が戻る。


「エレナ、大丈夫?」


「あく・・せら……ちゃん……?」


 意識も覚醒したらしく、焦点を結んだ彼女の目が俺を捉える。


「エレ……」


「あぁ、アクセラちゃん!?わたしなんで……むぐ!?」


 ホッとしたのもつかの間、状況を理解できずにエレナが大きな声を上げてしまう。慌ててその口元を手で覆うが、時すでに遅し。


「ギュキュリィイイイ!」


 今までのシュリルソーン系とは少しだけ違う叫びが上がる。探すように近づいたり遠ざかったりしていた這いずる音が明確にこちらを捉えた。完全に位置を把握されてしまった。


「チッ」


 舌打ちをした剣士は全身に赤や紫の光を纏う。こちらよりまずは追いすがる魔物の始末をつけるつもりなのだろう。


「ヒィッ」


 人間相手なら気色の悪い余裕を持っていた変態が、情けない声を上げて柱の陰に逃げ込む。


「あ、アクセラちゃん、これ、どうなって……!?」


「ここはわかる?」


「この壁の植物……「災いの果樹園」?」


「ん、攫われてここまで連れてこられた。あいつらも敵だし、今から来るのも敵。戦える?」


 戸惑うエレナに言って聞かせる。

 理解力の高い子だ、すぐに察してくれるだろう。そんな都合のいい考えを思い浮かべて、頭を振る。

 そういう思い込みが彼女に負担を強いるのだと痛感したばかりだろうに。


「エレナ、やっぱりここで待ってて」


 直前の言葉を自分で取り消す。


「え、でも……」


 彼女が知識も思考も大人顔負けだからついつい自分と同じ次元で考えてしまうが、彼女はまだ9歳の少女だ。命がかかるほどの戦闘はしたことがないし、死体だって見た事ないだろう。


「エレナもまだ万全じゃない」


「う、うん……でもわたし、アクセラちゃんに……」


 泣きそうな顔で言葉に詰まるエレナ。薬物の影響を排しても失った体力までは戻らない。そのことは自分でもわかっているのだろうが、攫われる直前のやりとりが彼女の心を縛っているのだろうか。


「家に帰ってから、ちゃんとお話しよう」


「うん……」


「暗がりより舞出でよ、光を吸う衣よ。闇の理は我が手に依らん」


「……?」


 闇魔法初級・ブラックシーツ。光を吸収する膜を一定範囲に展開する魔法だ。それをベディスとトリンプの遺体にかけ、エレナを優しく抱きしめる。


「私の背中だけ見ていて」


「……うん」


「いい子」


 そっと頭を撫でてから立ち上がる。

 ちょうどそのタイミングでソレは姿を現した。案の定シュリルソーン系の魔物で身長はナイトと同程度。全身の蔦があちこちで断裂しているのは変態の連れている剣士たちとの戦闘のせいだろう。


「ここまで追いかけてくるか……」


「さすが変異種だな」


 汚れ仕事のプロらしく基本的に無口を貫いていた彼等が緊張の籠った言葉を零す。それもそのはず、目の前の魔物はシュリルソーンナイトに酷似はしているが全くの別物なのだ。葉の盾と鋸はなく、その両腕には奇怪な花が咲いている。蔦と同じく金属質な大輪の花。


「シュリルソーンメイジの変異種だ。死にたくなかったら下がってろ」


 俺と先程まで斬り結んでいた剣士が言う。彼等の仕事は俺たちを確保することなので死なれると困るのだろう。


「やかましい。私は私のなすべきことをなすだけだ」


 立て続く面倒な展開に我知らずえらくドスの効いた声が出た。口調もどちらかというと素になっている。それでも剣士の方は気にした様子もなく剣を構える。


「自分で突撃して死ぬ分には好きにしろ。さすがに俺たちの仕事の範囲じゃない」


 徹底的にビジネスライクな態度だ。だがその方が俺も楽でいい。


「!」


 もう1人の剣士が地面を蹴ってシュリルソーンメイジに駆けだす。かっきり2秒待ってからこちら側の剣士も走り出す。連携して波状攻撃をかけるつもりか。

 いいだろう、利用させてもらう。

 俺もそれに続いて走り出す。軽く足が痛むがこの後なにがあるかわからない以上魔力は温存したい。せめて様子見が終わるまでは。

 しかしそんな俺の思惑は直後に破たんする。


「キュルラララララララララララ!!!!!」


 異常な音が響き渡る。次の瞬間、シュリルソーンメイジの蔦が爆発した。いや、そう錯覚するほどの勢いで解かれたのだ。金属質な太い蔦が数百本、一気に周囲に解けて広がる。


「!」


 空を切る音を引き連れて襲い掛かる蔦をギリギリで躱す。横に跳んだ勢いを使って蔦と蔦の間へ飛び込む。


「がはっ!」


「うぐぅ!?」


 まさに斬りつけようとしていた剣士たちはその直撃を受けて地面に叩きつけられ、数度バウンドしてから動かなくなった。蔦も地面で跳ね返り激しく暴れる。石壁が砕かれ、壁の植物が引き千切られて飛び散った。


「ひいいいい」


 変態が悲鳴をあげるのが聞こえた。アレに悲鳴を上げる余裕があるのならエレナも大丈夫だろう、彼女の方が奥側にいるのだし。

 しかし俺とて幾重にも重なる蔦を全て回避できるはずもなく、末端や棘に手足を切りつけられる。周囲の壁を壊しながら暴れかえる蔦の群は1歩のミスでこちらをミンチにするだろう。それでも直撃と言えるほど重いものは全て避けてただ一路コアを目指す。コアさえ壊せばそれでいいのだから。


「シュー……」


 中心に近づくほど蔦の密度は上がるため、段々と進むのが難しくなってくる。だが解けたときの衝撃で跳ねまわっているだけの蔦は勢いを失ってきているのも事実。


「は!」


 直撃コースにある蔦をまとめて斬り飛ばす。

 これでコアに……!?


「なん……で……」


「シュー……キィィィィィ」


 体を構成する蔦を全て解き放ったコアは確かに今目の前にあった。地面を埋め尽くすほどのメタリックな植物体が全て一か所に繋がり、そこから細い根が複数伸びている。それらがまるで台座のように編み上がった場所にコアは繋がっていた。

 今まで見たことはなかったがシュリルソーン系はこういう構造をしているらしい。普段なら実に面白い形だと思う所だが、今はそれどころではなかった。

 赤いコアは端が大きく欠け、中の魔石が露出していた。再生能力がどこまで強力かは知らないが、この傷が綺麗に治るとは思えない。そんな破損具合のコアの周りには3輪の花がこちらを向いて咲いていた。腕に生えていた2つの花が左右に、そしてコアから直接生えた小さな花が上に。


「キィイイイイイ」


 コアから聞こえる不穏な音がピッチを上げる。赤い表面がより赤くきらめき、花が鈍鉄色から可憐な紅に変わる。

 背筋が粟立った。その光景が、魔石やクリスタルをオーバーロードさせたときに見せる輝きに似ていたのだ。


「まず……!?」


 刀を鞘に収めつつ、いつの間にかすっかり力を失った蔦を踏みつけて駆けだす。来た道とは真逆に、エレナの方へ。


「エレナ、全力で防御!」


 声の限り叫ぶ。


「キュィイイイイイイイイイイイイイイ」


 赤い光が背後で膨れ上がる。


「揺蕩う力、全てを統べる一なる力、根源より湧き出でる神の慈悲!」


 急いで今思いつく最大の防御魔法を唱える。


「汝、佇立する不可視の巨人也!何人たりと汝の背後を侵すこと能わず!」


 赤い光が消える。肩越しに振り向けば3つの花は美しく色づいていた。コアは灰になったように崩れ去る。放射される熱だけで壁から垂れ下がる植物が干からびた。


「始原の力よ、その姿は我が言葉に依らん!」


 系統外魔法最上級・オーラギガント

 周囲の魔力が俺の前に凝集し景色が歪む。全身からも魔力が奪われ、魔力枯渇が近いことを知らせるように吐き気がこみ上げた。空気に虹色のなにかが混ぜられたように、不可思議な光の屈折が生まれる。大きな人型にも見えるそれは確かな存在感を持ってシュリルソーンメイジと俺の間に立ちふさがる。

 オーラギガントは属性を持たない魔力を使って作る、対魔法特化の防御魔法。しかしまだそれが確かな形を得る前に、赤い花が弾けた。3本の光の奔流が、放った花さえも蒸発させて迫る。


「うぐ……!?」


 まだ不完全な虹の巨人に目を焼く閃光が激突した。魔法と魔法が干渉しあう波動が物理的な衝撃を伴って一帯を襲う。


「きゃぁ!?」


「ひぃいいっ」


 余波だけで柱が砕け、転がされていたベディスとトリンプの死体がまるで木端のようにどこかへ飛ばされていく。そして光の巨人が段々と形を失い、こちらに熱と衝撃が届き始める。


「うぅぅぉおおおおおおおお!!」


 俺はその熱に耐えながら、魔力糸をオーラギガントに繋いで魔力を注いだ。完成する前に崩壊を始めた巨人はそう長い時間耐えられない。

 ならばこちらもオーバーロードさせてはじき返す!

 目が乾く。肌がひりつく。魔力が急速に失われて足が震える。


「や……ば……」


 変異種は大概異常な強さだが、これはいくらなんでも……!

 魔力が枯渇する寸前まで一気に流し込む。今まで鍛えてきた制御力で無駄なく、魔法を破裂させるために効率的に。


「弾けろっ!」


 臨界に達した瞬間、向こう側の制御をあえて緩める。

 轟音。

 ただひたすら、大きな音だとしか認識できないほどの爆発音が轟いた。虹色の粒子を孕んだ空気と灼熱の赤い閃光が混じり合って視界を埋め尽くす。


「あづっ!」


 魔法が完全に解ける前に後ろへ飛びながら新しい防壁を張る。詠唱の時間はないので無理やりイメージにまかせて無詠唱を敢行、火属性の盾を5枚連続展開。ギリギリエレナと迫りくる魔法の嵐の間に滑り込んだ。


「アクセ……」


 後ろから声が聞こえた気がした。それを最後に俺は視覚と聴覚を失った。ただ足場の感覚がなくなり、下へと意識が落ちていく。

 まずい、まずいまずいまずい……ダンジョンで失神だけは……やばい……。


~予告~

落ちる落ちる落ちる・・・。

生き残った者も、生き残らなかった者も。

次回、巨人の徳利


テナス 「徳利って・・・盃とは比べ物にならないくらい深いじゃないですか」

キュリエル 「あわわ・・・!」

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