三章 第6話 ディストハイム帝国
教会での一件から帰宅した俺は早速部屋に籠って天界へ連絡する準備を整えた。神聖魔法による部屋の聖域化を済ませてから『神託』を発動させる。
『主、聞こえますか?』
いつもの意識を転移させる酩酊感を100倍に薄めて落下の無重力感を足したような奇妙な感覚のあと、わずか3秒でパリエルから返事があった。もしかすると連絡待ちしていてくれたのかもしれない。
「ん、聞こえる」
『ああ、よかった。ロゴミアス様の仰る通り、こちらでの連絡は可能だったのですね』
どうも何があったかはミアから教えてもらっていたようだ。ついでにその口ぶりからして、一時的に天界へ転移することができなくなっているらしいことが推察できた。
「驚かせて悪かったと伝えておいて」
『かしこまりました』
『神託』という名のこのスキル、自分が信仰してる神以外の神格と会話をするならもっと高いレベルにならないと無理らしい。なので伝言だ。
『それとロゴミアス様より言伝です。この度の問題を緩和する方法がないか全知神ラネメール様と冥界神ヴォルネゲアルト様に聞いてみる、との仰せでした』
全知神ラネメールは戦神以上に大勢いる知神を束ねる最上神。もし既知の方法があるなら必ず彼も知っているだろうし、なくともその膨大な知識から知恵を貸してもらえれば心強い。
冥界神ヴォルネゲアルトは以前居城にお邪魔させてもらった、冥界を統べる偉大なる生と死の大神である。つまり肉体と魂と精神の関連については最も深い見識を持っていると言えるだろう。
「ありがたい」
『まったく、これに懲りたらあまり無茶はしないでくださいよ?』
「約束はしかねるけど、努力はする」
『まあ、そう言われるとは思っていましたけどね』
俺のことをよくよくわかっている。素晴らしい諦めの境地だ。
じゃなくて、ちゃんと心配をかけないようには努力しよう。うん。
「私が居ない間のことは任せる。週に1度『神託』で連絡をいれる。情報交換はそのときで」
『承知しました』
「世話をかける」
『お世話をさせていただくのが我々の仕事であり存在意義ですよ。心臓に悪いのは勘弁してほしいですが』
「ん、まあ、鋭意努力する」
そんなわけで、俺は神としての仕事をパリエルに丸投げすることにした。とはいえその点は今までと何ら変わらない。ミアが今まで以上に調べ物を頑張ってくれるということ以外は大した変化はないだろう。
元々人間同士でさえそう頻繁に連絡を取ってお茶と世間話に花を咲かせるということはできないのだから、ミアには少し寂しい思いをさせるかもしれないが我慢してもらうよりほかにない。
「ふぁ……」
睡魔が来た。抗うのが怠いくらい重たく、一瞬では去ってくれそうにない深い眠気だ。
手慣れた魔力糸さばきであたりの聖属性を書き換え、さっさとベッドに寝転がる。必要に迫られていないときは素直に意識を手放してしまった方が後々楽だ。
「おやすみ」
誰にともなくそう言って、俺は昼寝をするのだった。
ちなみに俺が夕飯まえに目を覚ますとなぜか横でエレナも寝ていた。
~★~
「お嬢様、お願いがあるんだけど」
トレイスやマクミレッツ一家と食事を済ませ、自室に戻る途中の俺をビクターが呼び止めた。トレイスは風呂に、エレナは皿洗いの手伝いに行っているので今は1人だ。
「ん、なに?」
「トレイス様にこれから簡単な本を読んであげる予定だったんだけど、ちょっと急ぎで処理しないといけない案件ができてしまってね。ラナにはこちらを手伝ってもらいたいし、イザベルにも別の用事を頼んでしまっているんだ」
「私が読み聞かせる?」
「お嬢様は話が早くて助かるよ。お願いできないかな?」
特に予定もなく書庫にでも足を向けようとしていた俺はそれを二つ返事で請け負った。加護を与えた日にした約束をまだあまり果たせていないので、その罪滅ぼしを兼ねてのことだ。
「読む本は?」
「できれば簡単な歴史の本がいいかな。古代帝国の概要をざっくり説明している童話のような本がたしかあったと思うんだけど」
「ん、どれかわかった」
書庫の本は膨大だが、俺とエレナが目を通している冊数も少なくはない。トレイスに読み聞かせられる本なら大概は読んでいる。
「ははは、さすがは我らがお嬢様だね。ではよろしくお願いするよ」
そう言って踵を返すビクターにふと俺は気になったことを聞いてみる。
「ビクターは大丈夫?」
「え、仕事かい?もちろん大丈夫だよ。これでも家宰になってから短くないからね」
驚いたような顔で振りむいた彼はすぐに微笑みを浮かべる。そしてこう続けた。
「お嬢様のおかげでエレナとも夕飯を食べられるし、きっと私は最も恵まれた家宰だよ。我が寛大なるお嬢様に感謝申し上げます」
ちゃんとした口調で最後に腰を折るビクター。
「いつも通りでいい」
「はは、本当に寛大なお嬢様だ。言っておくけど、他の家なら屋敷から叩きだされているよ?」
「かしこまった言葉のビクターは怖い」
「え、酷いな……」
おどけていた彼の顔が素でショックそうな表情を浮かべる。ただ申し訳ないが、ビクターが敬語でしゃべるといよいよ何を考えているかわからない雰囲気が出来上がって怖いのだ。穏やかで気さくな態度を取っていても中身の優秀さが災いして腹黒い気配を醸し出してしまうのに、親しみやすさまで取ってしまったら接しにくくてかなわない。
「ん、まあ、無理はしないで」
「もちろんだとも」
急ぎの用事へと向かう家宰を延々引き止めても悪いので会話もそこそこに俺は書庫へと向かった。保管されている場所を探し当てるのは面倒くさかったのでレメナ爺さんに頼んで出してもらう。爺さんはというと、相変わらず自分の机で本を片手にワインとチーズとハムという偏った夕食を取っていた。
「たまには野菜も食べるべき」
「ほほほ、気が向いたらのう」
向かないことは知っている。
「そういえば出かけるって聞いた」
「そうじゃよ。ちょいと調べたいことがあってのう、北のティロン王国に向かう予定じゃ」
「知識の斜塔、いいな……」
「お嬢様がそう言う事を言うのは珍しいのう?まあ、連れて行くことはできんし、行ったところで入れてもらえんじゃろうよ」
カルナール財団が各地に持つ知識の斜塔はカルナール百科事典に載せることができない情報を蓄えている場所。賢者を始めとするごく一部の者にしか立入は許可されない。
「調べ物は?」
「儂の半生をかけた研究の資料探しじゃ。さすがにお嬢様にも、というより弟子じゃからこそこれ以上は言えんのう」
研究をする魔法使いにとってはその進捗状況や成果どころかテーマそのものも秘中の秘とされる。なので俺はそれ以上食い下がることもなく、適当に納得したような頷きを返しておいた。
「気をつけてね」
「お嬢様もじゃよ」
そんな言葉を交わしてから書庫を後にする。向かう先はトレイスの寝室だ。
トレイスの部屋は以前俺が屋敷中の人間を眠らせて侵入したのと同じ場所。ずっと病床で苦しい思いをしてきた部屋は嫌ではないかと場所を移す案もあったのだが、当の本人が使徒様に助けてもらったその部屋がいいと言い張ったらしい。
嬉しいようなむず痒いような変な気分だな。
コンコン
「はーい」
軽くノックをすれば中から少年の声で返事があった。
「ん、おじゃまします」
「お姉ちゃん?」
てっきりビクターかイザベルが来ると思っていたのだろう、ポカンとした顔をするトレイス。俺たちよりも年下でついこの前まで寝た切りだったからか、もうパジャマに着替えて寝る準備を済ませている。読み聞かせるのは勉強半分寝物語半分といったところか。
「ビクターはちょっと忙しいから、私が本を読みに来た」
「やった!こっちこっち、ここすわって!」
思いの外喜んでくれた彼は俺の手を取って自分のベッドへ引っ張っていった。薄めの掛布団を跳ね上げてそこへもぐりこみ、奥に少し詰めてから期待した目でこちらを見上げてきた。一緒に寝ながら読んでほしいと。当然布団もシーツも前見たものとは比べ物にならないくらい綺麗だ。
「甘えん坊」
「イザベルさんは入ってくれないんだもん」
いくら使用人と主家の距離が近いこの屋敷でもさすがに同じベッドには入ってくれないだろうな。仕方がないので靴を脱いで横に入る。風呂上りの石鹸の匂いがした。
「ねえねえ、今日はなんの本をもってきてくれたの?」
「昔の国のお話を持ってきた」
レメナ爺さんから渡された歴史物語集のような分厚い本を見せる。結構な年代物の本で紙は魔法で強度を上げられた羊皮紙、装丁は頑丈な魔獣の革に動物性の素材でできた綴じ糸という高級な仕様だ。
考えてみたら、これを頭上に掲げて読み上げないといけないのか……しんどいぞ。
とはいえ俺の筋力に物を言わせればトレイスが寝るまでどころか朝日が昇るまでだって掲げていられるだろうが。
「むかしの国って?」
「神聖ディストハイム帝国。私たちのユーレントハイムとアピスハイム、ジントハイム、ロンドハイムの4つの国ができる前にあった国」
「どれくらいむかしなの?」
「たしか1500年前から500年前まであった国のはず」
この本で語られているのは1500年前にディストハイム帝国が出来上がった経緯と500年前に滅んだ理由、そしてその間に起きた出来事で現存している逸話などだ。
「よんで!」
エレナほどではないにしろ好奇心旺盛なトレイスは待ちきれないといった様子でせがんでくる。その姿に苦笑しつつも俺は分厚い本を持ちあげてページをめくった。
「これは勇者によって興され、魔物によって滅んだ古の国の物語」
俺の声も朗読となると多少マシな抑揚がつくらしい。そんな感想を自分で抱く程度にはちゃんと読み上げられた。
「昔々の大昔、この大陸の真ん中では長くて悲しい戦いが起きていました。悪魔や魔獣が大陸中で暴れ、国と国もお互いを信用できずに争っていました……」
ある日、1人の男の子が生まれました。魔獣も来ないくらい誰もいない寂しい寂しい村でしたが、正しい心を持った父親と優しい心を持った母親がいてくれました。貧しいなりに幸せな村で男の子は暮らしました。
しかし男の子の幸せは突然終わりを告げてしまいます。生まれてから12年目の夏至の日、旅の魔法使いが村にやってきたのです。彼は1晩の宿のお礼にと占いをしてくれました。
『この子はこれより10年の時を旅に生き、人間に光をもたらしてくれるだろう』
善なる神々のお導きだと思った男の子はお父さんの剣とお母さんの鞄を持って旅に出ました。きっともう帰ってこれないと、男の子は分っていました。
旅の魔法使いの言葉通り、男の子の旅は10年続きました。その間に男の子は立派な青年へと成長し、たくさんの仲間と出会いました。悪魔と戦ってあちらの国を助け、魔獣と戦ってこちらの国を助け、やがて人々は彼をこう呼ぶようになりました。勇者様、と。
勇者は大陸で暴れていた悪魔を全て魔界へ追い払い、魔獣を封印してまわりました。そしてちょうど10年たった夏至の日、長い間空を埋め尽くしていた不吉な雲が消えてなくなりました。彼が大陸の真ん中にある国で邪悪な魔王を倒したのです。
人々は喜びました。もう魔獣にも悪魔にも怯えずに暮らすことができるのだと。彼等は勇者をほめたたえました。争っていた国と国も手を取り合って勇者に感謝しました。
『魔王を倒し、世界を救ってくれたお礼がしたいのだ。なにか欲しい物を言っておくれ』
大陸の真ん中にある1番偉い国の王様は勇者にそう言います。金銀財宝でも地位でも名誉でもなんでもくれると言います。
でも勇者は首を横に振りました。
『王様、私が欲しいのはお姫様です。お姫様と結婚させてください』
旅の果てに知り合ったその国のお姫様のことが勇者は好きになってしまったのでした。お姫様と結婚できないのならどんな金銀財宝にも意味がないと言いました。
お姫様を大切にしていた王様は悩みました。しかし勇者は世界を救ってくれたのです。お姫様も勇者のことが好きだと言いました。
「『わかった。姫と結婚させてあげよう』王様は2人を結婚させてくれました」
「お姉ちゃん、これ本当に帝国のお話……?」
童話調の文章を読み上げていると、不思議そうな顔をして首をかしげたトレイスがそんな質問をしてきた。
「ん、ここからが帝国のお話」
子供向け風につづめてもこの長さというのは本当にどうにかならないのかと思うが、それだけ大変な時代に偉業を成し遂げたということなのだろう。
「お姫様と結婚した勇者はそれからもいろいろな国を助けていきました。でも大陸にはたくさんの国があって、そのすべてを助けることは勇者にもできませんでした」
困った勇者はお姫様と相談しました。そして三日三晩考え通して素晴らしいことを思いつきます。
『いろいろな国があるから助けに行けないんだ。国を1つにしよう』
勇者は早速王様に相談しました。王様も自分は歳を取ってきたからと言って勇者に王様の位を譲りました。勇者は他の国にも行って相談します。全ての国を助けてあげたいのだと。王様たちは悩んで悩んで、勇者にならと王様の位を譲ってくれました。こうして大陸に王様は1人だけ、勇者だけになりました。勇者は王様たちの王様、皇帝陛下と呼ばれるようになりました。
皇帝陛下の国、帝国は皇帝陛下が思った通りによくなりました。助けが欲しい人を誰かが助けてくれる優しい国ができたのです。
「帝国は皇帝陛下が生まれた村の名前からディストハイムと名づけられました」
そこまで読みあげてふと横を見ると、あっさりと意識を手放したトレイスの寝顔が目に入った。なんの憂いもなさそうな、穏やかな表情で眠っている。その小さな肩もゆっくり安定したリズムで上下していた。物語は大好きでもまだベッドに入ってしまえばすぐ寝てしまう年齢なのだ。
いよいよ寝物語にしかならなかったな。
苦笑をこぼしてベッドから這い出る。起こさないように『完全隠蔽』までかけて。
「おやすみ」
それだけ言ってベッドサイドの明かりを消し、重たい本を小脇に抱えて部屋を出た。
俺も明日は初の依頼だ、もう寝るとしようかな。
最近読み終えたなろう小説を読み返してみたりしてます。
良作や名作は読み返すほどに発見があるのがいいですよね。
そんなわけで、ぜひ技典も頭の方読み直してみてください!(ただのダイマ
~予告~
オルクス家の書庫は広大にして深淵である。
エレナはある日、カードと強大な魔力を秘めた本を手に取る。
次回、カードを集める人
エレナ 「アクセラちゃんが太陽印の獣さんでトレイスくんが月印のイケメンさん?」
アクセラ 「また私イロモノ・・・」




