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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第52話 白皙の灰に想う

  「お、お嬢様!お客様が見えられると、先ぶれが!」


 ホランが酷く焦った様子でそう告げてきたのは、俺が地下に籠り始めて五日目の昼過ぎのことだった。

 心を病んだ父の日記を読むという大変に陰鬱な作業。すっかり倦んでいた俺はだらりとソファに横たわっていたので、執事頭の顔色までは見えない。だがどうにも真っ青になっていそうな声音である。


「誰の先触れが来たの」

「ザムロ公爵閣下です!」


 そりゃあ一流の執事とて胃の痛そうな声になるわな。そう思った。


「……仕方ない、お通しして」

「しかしここでは何の準備も!」

「上はもっとできないでしょ」


 半月前まで屋敷のあった更地には、人をもてなせる設備などない。

 一応、石を積んで作った即席の竈と調理場、それに適当に買ってきた椅子とテーブルが用意してはあるが……相手は公爵だ。王に次ぐ貴人を冒険者のキャンプに毛が生えた程度の場所には通せないだろう。


(灰もまだドッサリ残ってるしな)


 下でもロクな対応ができないことに変わりはないが、少なくとも座り心地のいい椅子はある。それにご近所さんの好奇の視線がないのもいい。


「歓迎しますと伝えて。その後ホランは上で待機。他の客が来ても断って。ビクターは私と」

「は、はい」

「承知いたしました」


 身を起こして指示を飛ばす。

 割り切れない感情を無理くり飲み込んだような表情で、ホランは階段へと戻っていった。


(バタバタしてるなぁ)


 彼は平時において優秀な男だ。裏で情報を洗うなどのちょっと頼みにくいコトもこなしてくれる、大変に得難い人材だ。だが状況が何一つとして整わない今のような環境は、あまり向いていないのかもしれない。

 足場がぐらついていると精神的な余裕が削られ、余裕がなくなるとパフォーマンスの落ちるタイプ。悪いとは思わない。向き不向きの話で、本来は足場がぐらつくことのない上級貴族の使用人とすればやはり有能な方だ。


(問題はこれから先のオルクス家が、足場の固い上級貴族家でいられるのかどうか……)


 食べ物の包み紙や使ったあとの食器など、面倒がって持ち込んだはいいものの始末していなかったモノを片付けながらそんなコトを考える。

 家のことにはもうすぐ|関わりたくとも関われない立場(・・・・・・・・・・・・・・)になるであろう俺だ。気を揉むだけ無駄なのかもしれないが、家族のハナシである以上はそう簡単に割り切れもしない。


(もしザムロ公爵が利用できそうなら、そうさせてもらいたいところだ)


 俺は政治が得意ではない。でも今回は向こうがウチに肩入れしまくっているのだ。

 色々と便宜を引き出せれば、今後のトレイスとビクターの苦労も軽減されるだろう。


 ……そう思ったのだが。


 ~★~


「久しいな、アクセラ=ラナ=オルクス」

「お久しぶりです、ザムロ公爵閣下」


 先ぶれの到着から三十分ほどで、その男はやってきた。直前の焦りをおくびにも見せない様子で先導を務めるホランの背後、長い階段を下って小山のような体躯をゆすりながら。

 そして一言、なんということもない挨拶を交わした俺はすぐに悟った。


(駄目だな、これは)


 ジョイアス=カテリア=ザムロ。かつて目にしたその老将は隆々たる筋肉を纏い、軒昂な覇気を振りまいていた。生まれながらの智勇を備え、老練な経験を蓄えた戦士の風格を持っていた。

 だがどうだ。今目の前にいる男の有様は。ほんのりと落ちくぼんだ目、薄っすらと黄味のかかった肌、わずかに傾いだ立ち姿。年老いて、絶望し、ほどなくこの世を去る哀れで惨めな爺ではないか。


「ようこそおいでくださいました。ここでは何のお構いもできませんが……」

「よい」


 早々に期待を捨てて貴族らしい応対をしようとした俺を、老人は片手を上げて制する。肉が随分と落ちたようにも見えるが、骨格が骨格だからか手だけは大きく感じられた。


「それよりお前の使徒の件、陛下よりお教え頂いた」

「……そうですか」


 ソファに音もなく腰を下ろした彼はそう言うなり、口元を皮肉気に歪める。


「ふん。ヴォイザークがお前の話をする際、決まって歯に物の挟まったような口調になる理由がようやく分かったわ」


 驚きはない。これからのことを思えば、むしろ四大貴族や大臣には共有されていて当然の頃合いだ。むしろ律儀にレグムント侯が秘密を守っていた方が驚きなくらいである。


「陛下に(へりくだ)らないのに儂に遜ってはあべこべであろう。好きにするがいい」

「……なら、お言葉に甘えて」


 俺は肩から力を抜いてローテーブルを挟んだ反対側のソファへ座る。背筋を正すのではなく、自然体でゆったりと背もたれに体を預け、それから老いた男へ端的に問うた。


「今日は何の用?」

「ふん、そこまで直截に物を尋ねられたのは久々だが……悪くないものだな」


 彼はヴォイザークや国王がそうであるように、どこか楽し気に立派な髭を揺らして見せた。高位貴族の、それも長老クラスともなるとそうだろう。分かる。分かるとも。


(つくづく嫌な共感だがな)


 誰も彼もが首を垂れる。だからこそ、そうしない資格を持つ者がいると嬉しくなるのだ。単純に侮られているのではなく、対等であるべき存在が対等に振る舞ってくれている。それは自分がまだまだ挑戦者だった頃の、若い気持ちを思い起こさせてくれるものだ。


「お前がこの地下空間に入り浸っていると、この家の隣家から聞いた。もしアドニスが、お前の父が昔と変わらず日記を付けているのなら……付けていたようだが」


 魔力過多症を示す赤い瞳がじろっと隣のセットのテーブルを見る。視線がその上に置いたままの三冊ほどの日記を捉え、一拍の間を置いてこちらに戻された。


「儂からも話をすべきだと思ったのだ」

「なるほど。でも今更、何の話を」

「今更か。そうだな、今更だ」


 間髪入れずに問うと、苦いモノを含んだ声でザムロが笑う。

 俺としては別に揶揄するつもりはなかった。ただ字義通り、今になって何を語るべきだと思ったのか、それが分からなかっただけだ。


「日記で全てが分かるわけではあるまい。特にアドニスは、あやつは……」

「己を見る目が酷く歪んでいた?」

「……そうとも言えるな」


 しかめっ面とも苦笑いともつかない表情でザムロは首肯する。

 曖昧な言葉選びにすら男の老いを感じ取るのは、ありし日の己を重ね過ぎだろうか。


「たしかに歪んでいると思う。補足をしてもらえるなら、確かに助かる。でもアドニスの日記を一通り読むまで待ってほしい。貴方の目から見た彼を知るのはあと。彼の語るべき物語を、彼の言葉で聞き終えてからにしたい」


 俺は彼の背後、十歩ほどの距離にある大きな本棚を指さして言う。肩越しに振り返ったザムロ公爵は残すところ三割まで蔵書の抜き取られたそれがよく見えたことだろう。


「……なるほど」


 理解が及んだ様子で公爵は頷いた。

 それからおもむろに口を開いて、こんな問いを寄越した。


「では血統解放のことなどはどうだ」

「……」


 俺は思わず黙ってしまう。

 血統解放実験。おおよそどういったものかは、既に把握できている。だが詳細については日記を漁ってもあまり情報が得られなかった。アドニスは随分とその実験に入れ込んでいたようだが……。

 全貌を知るのは総責任者であった目の前の男だけだったのだろう。


「これから我が派閥はレグムントとの和解を基盤に、奴らの進める技術導入へ舵を切る。ガイラテインの施設からもアドバイザーが直に到着すると伝え聞いている」


 滔々と前置きを始めた彼に「最後のはお前の差し金だな」と問われ、俺は素直に頷いた。事実、レグムント侯爵との取引で俺が天界を経由して働きかけた結果だ。


「我々はその見返りとして、奴らの手を借り、陛下に血統解放のさらなる研究と実用化を訴えるつもりだ」

「賛同し、後押しをしてほしいと?」

「そこまでは言わぬ。これは我が国の貴族が背負うべき責任だ。なればこそ、全ては我らユーレントハイムの貴族で決め、進めるのが筋というもの」


 そこまで言った公爵は一度、立派な髭の下で唇を引き結んで言葉を溜めた。


「ただ儂はこれまでの責任をとって、後進に椅子を譲ることとなるかもしれぬ。現状の悪いイメージを払拭せずに退けば、お前は必ず我が後継たちの障害となるだろう。そうなれば悔やんでも悔やみきれない。そう思っただけのこと」


 枯れて萎れた印象だった老将の双眸に強い輝きが瞬いた。


(執念と罪悪感……そうか)


 長い時をユーレントハイムのために捧げた彼だが、晩年を迎えてその胸の内は大きすぎる罪の意識に食いつくされてしまっているらしい。

 愛する息子たちに早逝され、目をかけていたアドニスにも先立たれ……きっとそれ以外にも無数の屍を乗り越えてきたのだろう。

 生き残り、乗り越えてきたからには、せめて目的を達成しなくては死ぬに死ねない。そういう怨念めいたものがこの老いぼれを動かしているのだ。


(全てお前の事情ではないか。付き合ってやる義務はないが……)


 アドニスの日記をちらっと見て、俺はため息を吐いた。

 どうせ父の亡霊に付き合っている最中なのだ。もう一人増えるくらいは我慢してやるか。

 それに貴族界を支えてきた男に一欠けらの敬意を払ってもバチはあたるまい。


「先に言っておく。両親のことなら、私は血統解放にそこまで悪いイメージを抱いていない。二人の結末は二人の選んだ道の先の出来事。それを今さら断罪できると思う程、私は傲慢ではない。勝手に赦しを与えられるほど、二人と親しくもないけれど」

「……理性的で何よりだが、少し冷たい物言いではあるまいか」

「血の通った付き合いをしてこなかったのは、私の責任じゃない」


 ほんの少し不快気な声を漏らす公爵にピシャリと言ってやる。

 第三者として事情は汲むに余りあるが、アドニスの俺とトレイスへの仕打ちは弁護のしようがない内容だ。そこを譲ってやるつもりはない。


「その前提を忘れないでいてくれるなら、謹んで話を聞く」

「……分かった」


 再び重々しく頷く公爵。

 彼は一呼吸を置いて、二十余年前の真相を語り始めた。


 ~★~


「……疲れた」


 ザムロ公爵が帰ったあと、俺は座っていたソファに横倒しになり、靴を脱いで足まで上げてしまった。丸いひじ掛けに頭を乗せ、首のところへ小さなクッションを噛ませる。


「喋るだけ喋って帰りやがった」

「お嬢様、口が悪いよ」


 公爵を見送って戻ってきたビクターが俺を窘める。格好を注意してこないのは、もう諦めているからだろうか。


(血統解放ね、またド直球なネーミングだったな)


 彼が語ったことを頭の中で反芻する。

 人間の体には血を通じて受け継がれる因子がある。例えば髪の色、例えば目の色、例えば顔の造作や身長の高低……これらの多くは彼が呼ぶところの血統因子によって制御されているという。まあ、異界の知識で言うところの遺伝子だ。

 血に契約を刻むという特徴的なスキルを持つザムロ家は早い段階から技術や科学知識抜きにその存在に気が付いていた。血統解放とはその血統因子を後天的に開花させ、人間のポテンシャルを完全に発揮させるという考え方だったのだ 。


(もし実現すれば貴族個々人が宿す戦闘力は大きく向上する。それも後天的にだ)


 護国を旨とする公爵家が悲願と掲げるのも、戦う力に恵まれず実父から虐待を受けていたアドニスが傾倒するのも、どちらも無理からぬ話だった。


(発現させる因子をコントロールできなくて失敗していたのでは、世話ないがな)


 遺伝子についての体系立てた学術知識がないザムロ派では、どうしても人間で実験しないことには話を進められなかった。その結果がアドニスの奇妙な炎であり、セシリアの植物状態であり、俺の炎への異常な適正や、トレイスの歪な魔力過多症であったわけだ。


「ビクターはどう思う?」

「どう、と言われてもね……今後もそのような実験をするつもりなら、国王陛下はお許しにならないと思うけれど」

「たしかに」


 法と人道を重んじるラトナビュラ王が首を縦にふることは、まずないだろう。


「でも私たちの、第三次実験以降は大きな実験はしていないって」


 計画を凍結したわけでもないのに、二十年近い実験自粛。

 我が子のように思っていたアドニスの末路を悔やんで、ではないだろう。そんなタマじゃないはずだ。ザムロのカリスマを思えば、心酔してくれる協力者が確保できなかったせいとも思えない。


(理論の見直し、動物実験、神学的見地の再評価……実験をせずともやれることは無数にあるわけだが)


 実際にその年月をどう過ごしてきたかは、老人もさすがに語らなかった。

 それでもザムロはレグムントと共に国王へこの研究を提案するつもりでいるらしい。それはすなわち、二十年近い雌伏の中で王を説き伏せる準備が整ったということで……。


(鍵はトワリの知識か)


 生体錬金術の大家にして、建国の時代に魔物の因子を貴族たちに埋め込んだ一族の末裔。

 今の貴族は大なり小なり、あの家の手によって改造された血統因子を継いでいると言ってもいい。そしてあの事件以降、旧トワリ領を統治しているのはザムロ公爵だ。


(地下にあった全てを彼が手に入れているとすれば、血統解放の基礎研究は飛躍的に進歩しているはず)


 もしかすると、それを得るためだけにじっと身を潜めていたのだろうか。段々と狂っていくトワリを観察し、破綻が訪れるまで気配を殺し、総取りできるチャンスをうかがって……。

 大貴族の計画とは恐るべき忍耐と世代を超えた執念で遂行されるもの。何かの本で読んだそんな言葉が、現実味を以て脳裏に浮かび上がってきた。


(いかん、思考が横道にそれているな)


 背景を無理に想像してもしかたがないと、伸びきった空想の枝葉を打ち切る。

 ともかくトワリの研究成果だ。それを得て人体実験に頼らずともよくなったのか、あるいはリスクを事前に算出して非人道性を軽減できるようになったのか。何かしらそういう方向で発見があったのは間違いない。


「お嬢様はどうするんだい?」

「なにも」


 ビクターの逆質問に俺は首を振った。


「魂の領域や奴隷に関わるなら別だけど、私は使徒として傍観を貫く」


 家宰が言ったように、問題のある内容なら国王陛下が止めてくれるだろう。

 あとは知らん。ゴチャゴチャと考えはしたが、俺の決めることではない。宗教的に問題があるなら神官が、国の舵取りとして問題があるなら文官や有力貴族が、それぞれに対応するコトだ。


(きっとザムロもレグムントも、当面接触はしてこないしな)


 まだ内々のことではあるが、俺は使徒としての中立を宣言した。これまでのようなグレーゾーンでの活動は止め、己の立場を受け入れることにしたのだ。

 そうである以上、両家の動きも慎重にならざるを得ない。使徒の政治利用は国際問題にもなりかねない厄介な話題だ。よほどのリターンが見込めない限りは敬遠されるに違いない 。


「最後に釘も刺したし」

「はぁ、あれは酷かったね……」


 俺が肺の中の空気を入れ替える様に深く息を吐くと、ビクターが同じくらいの溜息を吐いた。


「仕方ない」


 去り際 のザムロ公爵は俺に「もしお前達姉弟が望むのであれば……」と切り出した。尻切れに終わった言葉の先は容易に想像がついた。援助を申し出ようとしてくれたのだ。

 もちろんソレが彼の優しさだとは分かっている。使徒を取り込もうという魂胆ではなく、父アドニスを失った俺たちを憐れんでのことだったのだろう。


『閣下。我が父アドニスを見捨てることなく、多方面から支え、可愛がって下さった恩には深く感謝いたします』


 改まった口調でそう前置きし、深々と腰を折る。

 その上で頭を上げた俺はきっぱりとこう答えた。


『でも私も、トレイスも、貴方の孫ではないよ』


 あの時の凍り付いた空気と言ったらなかった。正直、居た堪れなかった。

 しかし言わなくてはいけなかったことだ。彼が大切に思っていたのはあくまでアドニスで、俺とトレイスではない。その証拠に彼がアドニスの存命中にその頭を飛び越えて何か行動したことはなかった。


「それこそ今更。ここにきて私たちに情を移すのは、ただの代償行為に過ぎない」

「……そうだね」


 公爵が肩を落として帰っていったのは、少し可哀そうだとも思うが。

 それでもアドニスへ愛情を向けたのが失った息子たちへの償いだけではないと……そう言うのなら、アドニスの次(・・・・・・)は見つけてはいけない。

 息子を三人失ったという空虚と絶望を抱いて、なおも愛しながら生きていかなくては。それが彼の選んだ父親としての結末なのだから。


(それでも最後は、少しだけほっとしたような顔をしていたな)


 暴走する罪悪感を他人に止めて欲しかったのかもしれないし、自分でも気づいていたことをハッキリ指摘されて得心がいったのかもしれない。

 実際のところ、何に安堵したのか俺には分かるようで分からなかった。爺のシンパシーにも限界というものがある 。


「ビクター」

「ああ、お茶だね。淹れてくるから、少し待っていておくれ」


 会話を打ち切る様に名前を呼ぶと、優秀な家宰は俺の意を汲んで踵を返す。


「大体の謎は解けた……あとは、アドニスの『鬼化』だけ」


 養父すら去った空間でソファに横たわり呟く。

 日記の大半を読んで浮かび上がってくる父の姿は、この地下に来て読み始めた頃のイメージの延長線上でしかないモノだった。自己嫌悪と数々のトラウマによって身動きが取れなくなった憐れな男。それだけだ。


「公爵もアドニスも可哀そうだけど、自分の行いの責任を取れるのは自分だけ」


 例えそれが思った方に展開しなかったとしても。あるいは自分が選んで取った行動でなかったとしても。他人が責任を取ってくれるのは、まだ小さな子供のうちだけだ。

 俺にしてやれるのは、使徒としての立場で断罪はせず、その結末を含めて彼らの道と認めてやることくらいだ。


(今回の問題、俺はあまりに当事者すぎるしな)


 後は司法に任せるつもりだ。

 ローテーブルの木枠と硝子の天板の隙間を見る。薄っすらと埃や白灰の溜まった数ミリの空間は、変な言い方だが、妙に居心地が良さそうだった 。


(一つ意外だったとすれば、あの絵の塗料かな)


 髪も肌も白いセシリアの絵、題名を「おはよう」というあの作品。キラキラと鉱物質な粒子を感じさせる塗料が気にはなっていたのだ。

 日記を読み進めるうちにふと目につく物があった。この隙間に溜まる白灰だ。最初は俺たちが持ち込んでしまったのかとも思った。だが満遍なくも掃除のしにくい場所にわずかずつ残った状態から考えて、もう少し前に持ち込まれたモノが空調で散った結果と推察できた。


(それが最後のピースだった)


 最後に描き上げられたのであろう白い女の肖像。中央の硝子シリンダーから動かされた屍。生き物以外なら何でも焼けるアドニスの炎。そして部屋に残る白灰。


(あれはセシリアの遺骸を焼いた灰で描いたんだな)


 最愛の妻の死をとうとう受け入れざるを得なくなったとき、しがみ付き続けてきたその骸をどうするかはアドニスにとってこれ以上ないほど大きな問題だったろう。

 軟禁された身で、大騒動にならないよう、静かに、尊厳をもってお別れができる方法。そんな都合のいい方法は一つしかなかった。


(火血による火葬……それもこの部屋でやったんだ)


 神眼で見たが、この部屋のほぼ全てに高い耐魔法性が付与されている。おそらく基礎は血統解放実験をしていたころにザムロが施させたもので、家具や装置はトワリの仕業ではないだろうか。

 ここでなら、火血を使っても大惨事にはならない。


(愛しい人の骸を自らの血で焼いたとき、彼はどんな気持ちだったんだろう)


 分からない。

 白い灰になっていくセシリアを見て、彼の脳裏にどんな感情と思考が巡っていたのか。


(でも、その後の行動は分かる)


 遺灰を使ってあの絵を描いたのだ。

 いや、あの絵だけではない。俺とトレイスの絵も、髪が白くきらきらとしていた。後乗せかもしれないが、子供達の髪にも遺灰を使ったのだ。まるで三人に流れる同じ血を表現するように。


(まるで神聖帝国時代の古典悲劇だな)


 文化人らしいと言えばらしい、画家ならではの狂気だ。

 もう十分。そう思わされるほど、アドニスの想いを感じる。

 彼はそんなになるほどセシリアを愛していたのだ。


(ある意味、大した男だよ)


 歪んでも、狂っても、罪に塗れても、妻を愛することからは逃げなかった。

 その一念のために長らえた生涯だった。それだけは、感服に値する。


「はーあ。んまあ、私は好きになれないけどね!」


 まるで死んでも魂をこの絵に縛られるようで、ちょっとキモい。

 もちろん魂はそんな風に束縛できないし、この絵は呪いの絵でも何でもないが。

 けれど好きじゃない。そんな気持ちと一緒に、胸の中の息を吐き切る。


(この絵をどうするかも、俺が決めることじゃない。だからビクターに任せる)


 今この瞬間だけは伯爵代理である俺の所有物だが、すぐに権利は弟に移る。

 一度も(まみ)えることのなかった母を偲ぶための品として残すもよし、ノルス=ソディアクの遺作として高く売り払うもよし。どちらにしてもビクターが上手くトレイスを導いてくれるはずだ。


「さて、残りを読むかな。もうじき終わりだし」


 そう、もうじき終わりが訪れる。本棚一杯の日記が、だけじゃない。

 アクセラ=ラナ=オルクスという、しがらみに翼を絡めとられた人生の終わりが 。


 ギシッ


 なんとなく黄昏ていると、背もたれがわずかに軋んだ。誰かがそこにお行儀悪くも座ったような気配。俺はそちらに視線を向けることなく、そっと息を吐く。


「今日は客が多い。こんな焼け跡の地下だっていうのに」

「ははは」


 すると脇腹の遥か上の方から、からからと湿り除けない笑い声が降って来た。

 女性にしてはやや低い、爽やかで美しい声だった。けれど続く台詞に俺はひっくり返りそうになる。


「そんなことは関係ないさ。どんな焼け野原でも、どんな地底の奥深くでも、君のような美しい花が咲いているのならボクは喜んで馳せ参じるよ!」

「……ん、そういうカンジね」


 身構えたこちらがアホらしく思えてくるほどにアホな口上。喜悲劇に出てくる自意識過剰な王子役のようなことを言われ、姫役に相当する俺は横になったまま己の目元に手を当てた。


「おや、フランクな方がお好きだと聞いていたのだけれど……ご無礼を働きましたこと、お詫びいたします」


 爽やかさはそのままに、まるで実直な騎士のごとき重い芯が声音に通る。背もたれにかかっていた体重が消えた。足音がローテーブルの向こうへと回り込んで……視界に表れたのは背の高い女性だった。

 ガイラテインの聖騎士が着る服を改造した、煌びやかでありつつも実用性のある衣装がふわりと広がる。彼女は優雅な動作で膝を折り、絨毯の上で臣下の礼を取ったのだ。

 首を垂れているせいでこちらからは男役のようにセットされたダークブラウンのショートヘアしか見えない。だが所作の一つ一つが洗練されていて、また懐かしい気配をも感じさせる。


「何分このような栄誉を賜るのはこの身としても初のことゆえ、寛仁大度(かんじんだいど)なる御心にてご容赦頂ければ幸いでございます。アクセラ=ラナ=オルクス嬢……いえ」


 恭しくそう述べた女はそこで顔をあげ、俺を見据えた。

 秋の夕焼けのような神秘的な色の瞳には敬虔さと誠実さに混じって、好奇心とわずかな挑発的なものが含まれている。


「最も新しく至上の位階へと昇られたる大神、技術神エクセル聖下」


 なるほど、いい目だ。

 俺は自然と口元に笑みを浮かべて、ソファから上体をゆっくり起こす。


「初めまして、使徒アーリオーネ」

「……うん、はじめまして。使徒アクセラ」


 たったそれだけで向こうも何かを理解したのだろう。

 薄氷を割るように速やかに、彼女の纏う空気が変わった。

 そして使徒は藪から棒にこんなことを言い出す。


「じゃあ、ひとまず戦ってみようか」

「ん」


 俺は一も二もなく頷き、傍らの刀を引っ掴んだ。

というわけで、技神聖典 十三章 瀉炎の編はこれにて終幕となります。

長い長い旅路を経て、ようやくこの物語の始まりの目的が達成されました。

アドニスは単純に「死んでよかった!」というキャラではなくなれたでしょうか。

アクセラの変化についても、味わい深く思って頂けているといいのですが……。


さて、今後についてです。

ご存じの通り、とうとうストックが尽きたまま章末を迎えてしまいました。

あまりにもこの章が難産すぎて、作者の精神力も尽きてしまいました。

今は新作を書きながらこちらのプロットを練り練りして英気を養っているところです。


再開がいつになるかは分かりません。だってまだ新章5話すら書けてないし……。

でもお約束した通りエタることなく、必ず帰って来て物語を紡ごうと思っています。

もしふと「小説家になろう」を開いたときに更新通知がきていたら、見てやってください。


あと最後にチラッと新作の宣伝もさせてください。

テンプレ抜き完全オリジナル世界観で隻腕の少女がデカい剣を片手に旅をする話です。

戦う聖女が書きたいなと思って始めたんですが、仕上がりは結構重いよ!!(オイ

同人で紙&データ両方出そうと思います。出来上がったら宣伝するんで、よろしくお願いします。


では、またいずれ必ず、この次の話でお会いしましょう!!

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― 新着の感想 ―
一月ほど前に読み始めて、今読了しました! ここまでのめり込める物語ってなかなか見つからなくて、もう夢中で一気読みですw それぞれのキャラクターの心情が深く掘り下げられていて、問題があるたびに悩み、挫折…
いやぁ追いついた!事件の顛末も酷いことになってないみたいだし(まだわからんけど)、アクセラの両親の問題も解決して一区切りって感じですね… アドニス、父親に歪められてしまった男だったんですね。読み始めは…
毎話大変楽しみにしてました! 読み直しながら更新再開を待ちます。 応援しております。
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