十三章 第50話 古参冒険者エレナの休日
「お待たせいたしました。本日のティーセットでございます」
落ち着きのある男の人の声がした。シックな色合いのお仕着せに身を包んだ若い給仕が、エレナさんと私の座るテーブル席へやってくる。
とても見目のいい、物語の中の貴公子を少し控えめにしたような人だ。お仕着せは華美ではないが一目で質の良さが分かる物。右手は胸元にあて、左手には銀盆。腰には革細工のシースに差した白無垢の魔法杖。
「前を失礼いたします」
彼は危なげない動作で銀盆から硝子の天板に茶器を広げていく。
最初に青い植物柄の染付けられた白磁のカップとソーサー。次に少し大きめのポット。端を噛んだら割れてしまいそうなほどの繊細さに至上の美しさが宿る、アピスハイムの特産品シジリア薄器の一式だ。
輸送に向かないそれを揃えているというだけで、この店の格が伺える。
「砂が落ち切ってからお飲みください」
私たちの真ん中へ静かに設置される小さな砂時計。精巧な竜の飾りが守る硝子の中では、もう半分くらいの砂が落ちていた。
(ああ、いい香り)
ポットの注ぎ口や蓋に空いた小さな空気取りの穴から仄かに漂ってくるのは、紅茶特有の奥行きのある芳香。そこにわずかなスモーキーさと蜂蜜のような濃い甘さの気配を覚えて、私は口元を小さく笑みの形にする。
「この香りはアッシュランドの越冬紅茶かしら?」
「ご明察でございます、お嬢様」
給仕はその濃いめの顔に微笑みを浮かべ、私の言葉を肯定した。
「昨年の秋に収穫した茶葉を一冬かけて熟成させた、アッシュランド子爵領自慢の品となっております。お茶請けはスミレの花の砂糖漬けをご用意いたしました」
そう言って最後に置かれたのは小さなガラス細工のキャンディポット。中には蕾のようにくしゃっと縮こまった濃い青紫の粒が沢山入っている。蓋を取ってみるとシャンデリアの光が表面の砂糖の結晶に映って、一粒一粒がきらきらと輝いて見えた。
「まあ、綺麗な色。同じアッシュランド産かしら?たしか同じ農園でスミレや薔薇を栽培しているところが多いのですわよね」
「お嬢様はお詳しくていらっしゃいますね。仰る通りでございます」
給仕の顔にほんのわずかな驚きと、それに嬉しそうなニュアンスが浮かぶ。
仕事だという以上に、彼もお茶が好きなのだろう。
「こちらのスミレは茶葉と同じアッシュランド子爵家直営の農園で栽培されたものです。是非、お茶を注がれる前にカップへ一粒入れてお楽しみください」
「ええ、そうさせて頂くわ」
ごゆっくりお過ごしくださいませ。そう言い残し、給仕は満点の礼をして下がった。
語りすぎず、引き際も心得たものだ。
(彼、素晴らしいですわね)
新しく来店した四人組の客の方へ去っていく給仕の背中を、目で追いかけて思う。
相手が身の丈2メートルの偉丈夫たちでも、彼は包み込むような優雅さを崩さない。
包容力というと語弊があるか。いわゆるホスピタリティがとても高い。
(ふふ、こういうの久しぶりですわ)
高級店 でお茶を頂くのも、貴族らしいお茶の嗜みをなぞらえるのも、何もかもが懐かしい。もうそういうコトから遠ざかって半年以上、いやそろそろ一年弱になるか。
(サロンのような、上流階級の世界はもう二度と御免だと思っていましたが……)
学院に通う貴族子女の間で形成されるサロンごっこ。あの頃はそんな思いを認めることはできなかったが、今になってみれば分かる。半年を費やしたその世界が、私は嫌いで嫌いで仕方なかったのだと。
入学までに必死で蓄えた知識をひけらかして相手を殴り、磨いた作法で相手の粗を突く。引っ張れる足があれば上品ぶった顔で引っ張り、のし上がるチャンスがあれば遠慮がちなふりをして踏み台にする。そういう薄っぺらくて醜く、狭く、閉じたあの世界が気持ち悪かった。
ひるがえって、新しい友人や今の環境はどうか。とてもいい。学食で力を抜いて、取り留めもないことで声を上げて笑い合う。心から楽しいと思える時間だ。不満なんてないし、ずっと続いてほしいと思える。
だからキッパリと上流階級の生き方とは決別したつもりだった。サロンごっこに象徴されるような、すまし顔の下で舌を出し合うような世界とは。
(戻って来て分かりましたわ。ああ……やっぱり私、こういう場所が好きなんですわね)
砂糖漬けを一粒摘まんでカップにそっと落とす。コロンと硬い音をさせて青色の蕾が器の底に転がった。小さくも澄んだ音だった。そんな些細な音が心地よく聞こえるほど、この場所の空気は凛としている。
いやに響いたなと、首をすくめるほど静かなわけではない。紛れてしまわない程度にうるさくないだけ。そこに漏れ聞こえてくる周囲の音が、動きが、調和する。
エレナの背後で談笑する若い男性の落ち着いた笑い声も。私の後ろの中年紳士が繰り広げる武勇伝の言葉選びの優雅さも。さきほど入ってきた偉丈夫たちがメニューのページをめくる指運びも。
全てが溶けあって独特の、背筋がほんのり伸びるような雰囲気を作り出している。
(私が思うに、高級店とはただ値段が高いとか、滅多やたらに敷居が高いとか、そういう店ではないのですわ)
本当に高級な店に必要なのはこの空気だ。客の誰もが暗黙の裡にそれなりの教養と所作を求められつつ、それを自然にこなすことで心地のいい緊張感を演出する。
(そしてそれは上流階級の世界も同じこと)
知識も作法も、相手を下すために使う武器ではない。少しでも女主人の椅子に近づこうなどという、そんな刺々しさは必要なかったのだ。
考えてみれば当たり前のことである。大人たちの社交界で重要視されるのは貸し借りであって、直接的な上下関係の奪い合いではない。そうでなくては猿の群れになってしまう。
「そろそろいいですわね」
砂が落ち切ったのを見て、私はお茶を二つのカップへ交互に注ぐ。
さきほどまで香っていたのと同じ匂いが湯気に乗って花開く。
(なら誰が上に立つのか……)
それは地位、家柄、金銭、センス……そうしたモノを背景に貸し借りをマネジメントすることができる者に違いない。
(母が大サロンの女主人である私は、その資格を最初から満たしていた)
だとしたら。そんな私に真実求められていたものは、この店にあるのと同じ豊かで深いホスピタリティではないのか。
サロンのメンバーにそれなりの教養と所作を求め、彼女たちがそれを自然にこなせる環境を整えてあげられるような……本当の意味での上流階級の空気を作り出すことだったのでは、なかったのだろうか。
今更ながらにそう気づくと、口に運んだお茶の味がほんのり苦く感じられた。
(もう貴族の世界に戻るつもりはありませんわ。ありませんけれど、こういう場所にはまた来たいものですわね)
生まれは変えられないし、育ちも変えられない。
そう言ってしまうと貴族的な物の見方だと、どこかで誰かが眉を顰めるのだろう。でも私は自分自身を戒め、また自分自身を許すためにもそう思いたい。誰しも水の合う場所というのはあるものだ。
「なんだかワケ知り顔で頷いてるトコ悪いんだけどさ、ニカちゃん」
「あら、なんですの?」
私が思索に耽っていると、向かいの席のエレナが声をかけて来た。
なんだか実にどんよりと濁った目の彼女は、テーブルに肩ひじをついて行儀の悪い姿勢を取っている。やさぐれた雰囲気も出ていて、まさにこの場にそぐわない人物そのものだ。
「お忍びなんだからそのお嬢様オーラ引っ込めた方がいいんじゃない ?」
「あら、心配してくださるのね。でも大丈夫ですわ、お二人が作ってくださった魔道具のおかげで、誰も私の正体など気にも留めませんわよ」
そう返して私は降ろした髪をさらり、背中に流した。いつもは二つ結びにしているストロベリーブロンドと朱色の特徴的なそれは、今は黒に近いクロムアッシュに染まっている。
ネックレスと右腕のブレスレットは、アクセラさんが髪を黒く染めるのに使ったオリジナルの闇魔法シャドウダイをエレナが魔道具に落とし込んだもの。これのおかげで誰も私のことをルロワ家の人間だとは思わない。
実家との関係が少々繊細な私にとって、貴族街に入るには外せないマストアイテムだ。
「それより貴女ですわ。何をそんなぶすくれた顔をしているんですの。肘までついてお業の儀の悪い。くだを巻く中年冒険者じゃあるまいし……」
「それだよぉ……っ」
私の台詞を遮って、エレナが絞り出すような声をあげた。我慢ならないとばかりに手で天板をペシペシと叩くと、茶器がかすかに触れ合う音を響かせる。
まるで波紋が広がるように凛とした空気が揺らぎ、周囲の視線がそれとなく集まり始めた。貴公子然とした若い男性の視線が、武勇伝を止めた中年紳士の視線が、怪訝そうな偉丈夫四人の視線が……。
「エレナ、お行儀が悪いですわよ。ここをどこだと思ってますの?」
落ち着いた声を崩さず、それでいて目に力を籠めつつ、静かに咎める私。
それが最後の一押しになったのか、少女はバネ仕掛けのように席を立って力一杯吼えた。
「冒険者ギルドだよ!!」
ホールに並みいる客の目がこちらへ向けられる。
剣で、斧で、杖で武装した男たちの目が、一斉に。
~★~
拳がとんでくる。小さくて可愛い拳。でも色白な割に皮膚が固くなった、努力家な拳だ。
それを手のひらで受け、流し、横をすり抜けて背後へ回る。
「しまっ……あぐっ!!」
慌てて振り向こうとするニカちゃんの背中へ、軽く飛び上がって蹴りを撃ち込む。人間の体で一番広くて平らな面を踏みつける感触。反作用で姿勢を調整して難なく両足で着地するわたしと、完全に態勢を崩して床にべしゃりと倒れ込む彼女。今のは痛そうだ。
「痛ーっ!!」
やっぱり痛かったみたい。
鼻を押さえて転がるニカちゃんに近寄って、わたしは手を差し出した。
「大丈夫?」
「思いっきり鼻から行きましたわ……うぅ」
涙目の彼女に軽く水属性の治癒魔法をかける。
「優雅にお茶をするつもりが、どうしてこうなったんですのよ……」
「ニカちゃんが接近戦の強化したいって言ったんでしょ?」
「練習場に来たからにはというハナシで、今日はもともとそういう予定ではありませんでしたでしょうが!」
「あ、あはは、まあ成り行きって大事だよね……」
恨みがましくねめ上げてくる赤い視線にわたしは顔を反らす。
今わたしたちがいるのは王都上ギルドの地下練習場。といっても個室は予約で埋まってたので、共有の広い場所だ。周りには貴族の冒険者が何組もいて、その半分以上がこっちをチラチラ見てる。
(鬱陶しいけど、まあ上よりはマシかな)
さっきまでいた冒険者ギルドとは思えないオシャレ喫茶を思い出してそんなことを思う。
あちらはわたしが騒ぎ過ぎて、やんわり追い出されてしまったのだ。
「でもちょっと騒いで注意される冒険者ギルドってなに?おかしくない?わたしまだ誰とも乱闘してないし、誰の料理も凍らせてないのに……!」
「前提が野蛮過ぎるんですわよ!あんな高級路線のお店でくだを巻いていたら怒られて当然ですわよ!?」
「冒険者ギルドの店が高級路線なのも分からないし、そこでくだを巻いてて怒られるのも分からないよ!ギルドに酒場とか定食屋があるのは何でだと思ってるの!?」
「いえ、それは待ち合わせとかミーティングとか、そういうのをするためですわよ」
「違うよ!くだを巻くためだよ!くだを巻いて日々のくだらないストレスを肉とお酒と馬鹿話で誤魔化すためだよ!」
「そんなわけないですわよねぇ!?」
「ほんとだから!!」
とまあ、こういうやり取りをやっていたらそっとお会計をさせられたわけである。
でも断固として言いたい。冒険者ギルドの店はお洒落喫茶店じゃだめだと。
「はぁー……まあいいや」
わたしはゆっくりと息を吐いて諦める。少し考えれば分かることではあった。わざわざギルドを上下に分けてるのは、こちらを貴族の常識に合わせた接待設備に特化させてるから。つまりザ・冒険者の空気を求めて上ギルドに来ること自体が間違ってる。
「なんだか様子がおかしいですわよ?今日はいつにも増して」
「今日はいつにも増して?」
まるでわたしが普段から様子のおかしい子みたいな言い方に引っかかりつつ、水筒の水でそれを喉奥へと流し込んで構えを取る。
「ちょっと疲れちゃったんだよ。貴族街の空気っていうか、どこに行ってもピシッとしてるこのかんじにさ……ッ」
姿勢を落として踏み込む。魔法はなし。純粋に身体能力だけでの加速。
咄嗟に右足を引くニカちゃん。利き腕、利き足、利き目が全て右の彼女はすぐに右側で受けようとするクセがある。
「アクセラちゃんの入院に付き合ってるとさ、新市街の方に出れないんだよね!」
「あっぶな!?」
ニカちゃんはすぐにわたしの意図を察して左半身を大きく引いた。横殴りの拳打が彼女の脇腹を掠める。躱された。そうと分かった瞬間、わたしは踏み出した足を軸に身を翻して蹴りを放つ。
「ぐっ!」
どうにか腕でブロックしたニカちゃんは勢いを使って飛ぼうとするけれど、同じ方向にステップを刻んで肉薄。逃がさないよう張り付いて手足を繰り出す。
「ほらっ、この前の戦闘からっ、関所の取り締まりがっ、キツくなったでしょっと!」
「ふっ!ちょっ、なんで、そんな、喋りながら!?」
「基礎的な体力の差だよ、ね!!」
強めのパンチ。直後の硬直。意図的に攻撃の手を止めて見せる。
「隙あり、ですわ!」
「残念、隙じゃないんだな」
ニカちゃんが反射的にそこへ攻撃をしてくるので、その腕を両手でがっちり捕まえる。
「えっ……ぅあ!?」
引き寄せ、巻き込み、背中に乗せそのままぶんっ!
大きく投げ飛ばした小さな体は、重い音をさせて床に激突する。
「げほっ、げほげほげほっ」
「はい、ニカちゃん本日九回目の死亡判定」
攻撃魔法の代わりに治癒魔法でトドメを刺す。
「つ、釣られましたわ」
痛みが引いた彼女はよろよろと立ち上がる。
「まだ始めて半年なんだし、仕方ないと思うけどね。むしろ反射的に攻撃を出せるようになっただけでも成長著しい方だよ」
「くっ、全然仕方ないと思っている扱いではありませんわよ!」
「接近戦を磨くって、こういうことだもん」
「ぐぬ……」
歯噛みして言葉を飲み込むニカちゃん。自分で言い出したことだからか、彼女は悪態こそ吐けど、投げ出すことはしない。
生来の責任感や生真面目さもあるとは思う。でもそれ以上に浄化塔で一方的に嬲られたことが相当堪えたんだ。
無力感を味わったあとは、見境なくステップアップのためのヒントを求めて自分を追い込みたくなるものだから。
(後衛こそ咄嗟の近接戦は大事だもんね)
わたしだって魔法使いだけれど、これまでの冒険で格闘とナイフが役に立った場面は数多い。逆に魔法一辺倒で名を馳せた冒険者が奇襲をくらってアッサリ死んだなんて話も、飽きるほど聞いたことがある。
(ニカちゃんは今回まさにソレになりかけたわけだし、ちゃんと鍛えるつもりがあるのはいいことだよ)
だから今日はアクセラちゃん方式。とにかく実戦形式でしばきまわすつもりでいる。
「エレナ、水をくださいな」
「はいはい」
ついさっき自分が飲んだ水筒を拾って、魔法で中身を満タンにして投げる。難なくキャッチした彼女は蓋をもぐように開けて水をごくごく飲み始めた。
「でも動きは悪くない。後遺症もなさそうだね」
「……まあ、そうですわね」
ニカちゃんが飲み終わった水筒を閉めて投げ返してきた。
口元をハンカチで拭う彼女の目は、どこか咀嚼しきれない困惑を含んで見えた。
「アクセラさんの治療が相当よかったみたいですわ。体の方は本当に、何もなかったみたいに無事で……正直、自分でも意外なほど心の傷もありませんし」
「いいことだね」
「いいことですわよ。でも……」
釈然としない。その気持ちはよく分かる。
前々から分かっていたこととして、ニカちゃんは死の恐怖にとても鈍感な性質がある。でも死と痛みは別のものだ。普通は偏執的な暗殺者に体を刻まれて甚振られたら、二度と戦えないくらいに心が傷だらけになってしまうはず。
なんともないのは本当にいいことだけど、普通じゃない。その違和感だけが残って気持ち悪いんだろう。
(まあ、理屈は分かる気がするけど)
魂は魂核とそれを幾重にも包む数百枚の魂膜で構成される、とアクセラちゃんが昔教えてくれた。魂膜一枚一枚には趣味や嗜好、考え方のクセ、喜怒哀楽の傾向、理性といった人間らしさが刻まれてて、魂核からは直観的で剥き出しの感情溢れ出てるそうだ。強烈な感情が何枚ものフィルターを通って外に出てくるから、わたしたちは十人十色の人格を持つことになるんだと。
トラウマというのはショッキングな体験が原因で魂膜に傷がついた状態だそうで、フィルターが歪んでしまうことで本来とは違う感情や行動が外へ出てしまう。肉体ではなく魂の問題だから、魔法でも医学でも本人の努力でもなかなか簡単には治せない。
(治せるとしたら特化したスキルか、魂を操作できる神様の力だけ)
そしてアクセラちゃんはあの日、聖属性や神官魔法ではなく神様としての権能を使ってニカちゃんを治癒した。
全てを見越してのことではなく、怪我が酷くてそうするのが手っ取り早かっただけらしいけど……技術神エクセル様は初対面の天使を改造して進化させてしまうほど、魂の扱いが先天的に上手い神様だ。
(直観的にそうしたのかな?)
技術の要訣は体系化され、再現性があること。でも熟練の技術者はときに高度な直観で再現不可能な奇跡を成し遂げてしまう。今回のことはそういうモノだったんじゃないだろうか。
(……でも他の人がいるココで説明できないよねぇ)
周りには興味津々でわたしたちを見てる貴族の冒険者が沢山いる。会話の一つ一つにまで耳をそばだててるのがよく分かる。こんな場所で使徒だの神様だのについて考察を述べるわけにはいかない。
(にしても、上に比べるとまだ冒険者っぽい空気だけど……なんか違うんだよねぇ)
見られることには慣れてる。スキルがあるとはいえ冒険者の男女比は大きく男性に傾てるわけで、そんな中、女の子が二人で組手をしてれば嫌でも目立つものだ。
でも今注がれてる視線は質というか、色というか、言葉にできない部分でいつものそれとは違う気がする。女として、あるいは冒険者として、品定めをされてるようなカンジがないというか……。
「まあいいや。ニカちゃんもさ、今は無事だったってことで納得しとこうよ。ほら、思い当たるフシはなんとなくあるでしょ?」
「それは……あー、ええ、まあ、それしかないよな、というのはありますわね」
極端に濁して言ってみると、ニカちゃんはすぐに察してくれた。
「なら一旦はソレでいいんじゃない?どうしても気になったら本人に聞いてみなよ」
「そうですわね……よし。続き行きますわよ!」
「そうこなくっちゃ」
小休止はおしまい。わたしたちはまた適度な距離を取って拳を構え合った。
「あ、でももう一つ気になることがありますわね」
「え?」
踏み込む直前、ニカちゃんが思い出したようにそんな事を言い出したので、わたしはつま先に込めた力をそっと抜く。
「いえ、貴女の側の話を聞いてませんわねと」
「わたしの側?ああ、ニカちゃんと合流するまでの話か……でもなんで急に?」
首を傾げると、彼女は少し困ったような顔をして頬を掻いた。
「急にといいますか、私の問題点を克服するためにこうして付き合ってもらってますでしょう?エレナも何か気になることがあるなら、先に話してもらった方が私も力になりやすい……というか、多少なりと役に立てることが見つかるかなと、思っただけですわよ」
「……ニカちゃんってホントいい子だよね」
ほんのり照れたような物言いに、わたしは少しだけぐっときてしまう。
その気持ちをストレートに表したつもりだったのだけれど、返ってきたのは……。
「ぶっ飛ばしますわよ」
半睨みの物騒な警告だった。
「なんで!?」
「ナチュラルに上から目線なのがイラっとしますわ。大方アクセラさんの影響でしょうし、貴女の方が事実として上ですけれど……」
驚くわたしに彼女はビシッと人差し指を突き付けてくる。
「貴女がすると癇に障るんですのよ!」
「アクセラちゃんはいいのに!?酷くない!?」
「貫禄の違いですわよ」
「それはっ……むぅ、言い返す言葉が思いつかないのが余計なんか釈然としない!」
「しなくていいので、教えて下さるかしら」
「むぅー!」
釈然とはしないけど、彼女の要求はパーティとして考えた場合にとても合理的でいいアイデアだ。
実際問題として、作戦の日から結構な日数が過ぎたけど、意外とわたしたちは情報の共有や認識のすり合わせができてない。
鍛錬のためにニカちゃんの話をわたしが一方的に聞き出したくらいで、わたしの話はおろかアクセラちゃんの話だってほとんど聞けてなかったりする。
(皆そろってから、とか思うとなかなかタイミングがないんだよね)
ニカちゃんは学院暮らしで、立場的にあまり貴族街に来たくない。
アクセラちゃんの話は神様絡みになりがちなので、他の人がいる場所ではできない。
わたしは……単純にディテールをアクセラちゃんに話したくないだけだけど。
「んー、別にニカちゃんに話すのはいいんだけど……って言っても、軍の人から作戦回りの話は聞いてるでしょ。どこまで把握してる?」
「ええ、その……何があったか大雑把な所だけは把握していますけれど」
ほんのわずかに言いよどんだニカちゃん。聞いておいて怯まないでほしいと思う一方、気を使われる理由も察しがつく。
「気にしないから、とりあえず言ってみて」
「え、ええ……」
彼女が二、三度躊躇いながらも列挙した大雑把な所の中身は以下のようなものだった。
まず奴隷の保護は上手くいったものの、直後に正体不明の敵勢力に強襲を受けた。
その戦闘の中で指揮官だったルオーデン子爵は重症を負い後送。
続けざまに副官であるパーマーさんが戦死し、旗下の部隊は一時的に壊滅。
わたしが一人で敵勢力を引き受け、その間に友軍は指揮系統の再構築を開始。
どうにか倒せると思った矢先、まんまと策に嵌まってわたしは返り討ちに。
「そんなカンジですわね」
「なるほどね。でも困ったな……正直それ以上のことは何もないんだよね」
大体の情報はちゃんと伝わってるらしい。これが軍事作戦に参加するときと、普段の冒険の違いなんだと……そう思わされれる。
付け足すとすればわたしが意識を失う直前に割って入ってくれた女の子の特徴くらいだけど、それは今するような大した情報ではないし。
「むぅ、ホントにないね」
「ないってことはないんじゃありませんの?どうやってその窮地を脱したのかとか、乱入してきた女性が誰だったのかとか……」
「だって脱してないし、誰かまでは分からないんだもん。気が付いたら全部終わってて、その女の子はいなくなってたからね」
「ああ、気が付いたら全部終わってて……はい!?」
ニカちゃんが珍しく大きな声を出した。
「綺麗に負けて、でも目が覚めたら助かってたって言うんですの!?悪い冗談にしか聞こえませんわよ!!」
「いや、ほんとにね」
意識が戻ったとき、周りには焼け焦げ、切断された遺体が数人分転がってた。焦ってたし、人数があってるかも、どう殺されたのかも、ちゃんとは確認してない。でも動く敵はいなかった。
友軍が態勢を立て直して状況のコントロールを握ってるらしいことは現場の雰囲気から伝わってきたし、戦闘が終わったこともハッキリ感じ取れて……だからわたしは、とりあえずニカちゃんのもとへと走った。視界の端に映った魔導銃の残骸から、あの琥珀の弾丸をいくつか抜くだけ抜いて。あと取れてた腕も拾って。
「そう聞けば腕一本で済んでよかったのかもしれませんけど……国軍の方と情報共有は何もしなかったんですの?」
「あのときはそんなの思いつきもしなくて……だって遠くからでもニカちゃんの濃すぎる魔力は分かるはずなのに、それがすっごく薄くなってて、緊急事態なの丸わかりだったし!なんか学院に置いてきたはずのアクセラちゃんの魔力がビリビリ感じられるし!しかも敵の魔力も変なカンジで、街をガンガンに壊しながらバカスカ戦ってるし!!」
「それは……まあ、そうもなりますか」
でもニカちゃんが悲鳴を上げた気持ちも分かる。
今回は失敗した。やらかした。ギリギリ生き残ったんじゃない。死ぬはずだったのが、なぜかたまたま死ななかっただけ。運がいいと言えるかもしれないけれど、それにしたって……。
「あー、ほんと。アクセラちゃんにはナイショだよ」
左手を開いて握るという動作を数度繰り返す。繋いでくれた神官さんが言うには断面がすごく綺麗だったから後遺症も出ないハズらしいけど……それにしても、スキル殺しの弾丸で撃たれたにしては何の問題もなく動いてくれる。これはこれで気味が悪いくらいに。
(認識阻害の禁制素材……あればっかりは対処不能なんだよね)
酷い失敗。でも糧にならない失敗でもある。ならもう、一々共有する必要はない。心配されるだけだし、せっかく信頼してもらえるようになったのに、またあの酷い過保護が再発しても困るから。
「さすがに拙いんじゃありませんの?そういう隠し事をすると、彼女怒りますわよ」
「どうだろうね?自分で分かってることをクドクド怒ったりはしないよ、アクセラちゃんは」
たぶん。いや、きっと。
経験的には五分五分くらいだけど、そう言っておく。
「……はぁ。ダメなんでしょうけれど、まあ仕方ありませんわね」
じとっと湿度を帯びた目で一瞬だけこっちを睨んだニカちゃんだけど、すぐに息を吐いてそう言ってくれた。
トワリ侯爵のアレコレに前後して仲良くなった彼女は、時期的にもそのあたりのわたしの気持ちをよく分かってくれてる。
「今回はお互い、生きてることに免じて目を瞑りましょう」
「そうそう!その代わり、これからビシバシ鍛えて強くならないとね」
得られた教訓は独りで戦わない方がいいとか、そんな当たり前すぎることだけ。
それならもう再現性のないラッキー命拾いなんて忘れて、油断なく自分を鍛えるモチベーションだけ持っておけばいい。慎重さが冒険者に必要な要素なら、拘り過ぎない楽観も同じく欠かせない素養だ。
「じゃあ改めて、いくよ!?」
「もちろんですわ!」
思った以上に長話で休憩を延長してしまった。そう思いながら、わたしたちは再び構えをとって睨み合う。
「すぅ……」
「ふぅ……」
ともに短くも深い呼吸、武息の一・駆息で体に火を入れる。そこから魔力強化に繋げ、漲る力を手足の隅々まで生き渡らせれば、それだけで並みの後衛より頑強で俊敏な肉体が手に入る。
けどそれだけじゃダメ。わたしたちに必要なものはステータス的なスペックじゃない。重要なのは心技体のバランス。欲しいのは本職と接近戦をしても最低限、逃げ切れるだけの高い完成度だ。
(だいぶ回復した分、今度はニカちゃんも打ってくるハズ。なら次は結構派手な打ち合いにしてもいいよね……ってなわけで、先手を取る!)
つま先で床を強かに、そしてしなやかに踏みつける。
踏み込みのエネルギを体の捻りを通して伝達し、腕から拳へと……というときに 。
「そこのお嬢さんたち!」
「えっ、あ、はぃっ!?」
いきなり声をかけられた。わたしは聞こえたけど、無視した。だって危ないから。けど育ちの良さからか、ニカちゃんは咄嗟に反応してしまって。
メキッ。
わたしの拳が無防備な頬っぺた、綺麗に入った。
「あーっ!」
結果、ニカちゃんは切り揉みして後ろに吹っ飛んだ。クロムアッシュに染まった髪が渦を巻いて、まるでプロペラ型の魔導機構のようだった。
けれど推力を維持するような面白い仕組みがその頭に備わってるハズもなく、空を飛ぶ少女はすぐに床へと墜落。ぐしゃっと鈍い音を立てた。
「へぶっ」
「ニカちゃん!?」
慌てて駆け寄る。でも手遅れだった。
「エレナ……ナイスパンチ、ですわ……がくっ」
「ニカちゃあああああん!!」
鼻から血を出した生粋のお嬢様は、わたしの腕の中でガックリと力尽きる。
「と、飛びましたよ……」
「スキルは発動してなかったよな?加護の類か……?」
「顔に入ったぜ、おい……」
わたしの背後で、闖入者が少し引いたような声で何か囁き合う。
ニカちゃんは……まあ、大げさにリアクションしてしまったけれど、意識もしっかりしてるし問題なさそう。ただちょっと平衡感覚が狂ってそうなので、痣にだけならないよう、治癒魔法と冷却をかけて寝かせておく。
「え、えー……いや、すみません。お嬢さんたちがそれほどまでに集中していたとは」
「ああ、悪気があったわけじゃないんだ。見かけない顔だから、ちょっと気になって」
「スキルの習得に困っているのかとも思ってよう……」
振り向いた私になんだか言い訳じみたことを語り始める三人の男性。若い。実力はたぶんDになったばっかり。でも装備はBランク向けくらいの高級品。あと前衛ばっかり。
なんというか、どこにでもいる貴族のボンボン冒険者ってカンジだ。
(悪気は本当になさそうだけど。それにDランクでちゃんと練習場に来てるなら、性根も悪くないのかな)
駆け出し冒険者は鍛錬を嫌がる。スキルを信奉する癖に、それを得るための努力を怠る。実戦に身を置けば秘められた才能が覚醒するとか、そういう馬鹿な夢を見て依頼にいそいそ出てしまう人が大半だ。
(そういう意味では有望な若手なんだろうけど)
ニカちゃんが頬をさすりながら起きてきたのを見て、ほっと胸をなでおろす三人。彼らは何事もなかったかのように口を開き……。
「ところでお嬢さんたちのお名前を伺っても?」
「こんなに熱心な後輩がいたなんて知らなかったよ。それもご令嬢でさ」
「ああ、もしもう切り上げるなら送っていくぜ」
なんて言い始めた。
(えーっと、これはアクセラちゃんが新年以降ずっとやってる顔つなぎ的な……?)
どうやら組手が珍しかったことと、勘違いからお節介を焼こうとしたのに加え、社交的な理由もあって彼らはノコノコやってきたらしい。呆れた話だ。
(マジかぁ)
当たり前だけれど、鍛錬中の人間にいきなり声をかけるのは危ないことだ。普通のギルドでやったらまず間違いなく問題になる。というか喧嘩になる。「危ねえだろうが!」とか「何考えてんだ、このボケナス!」とか、怒号と一緒に拳が飛んでくる。
(でもそういう失敗を繰り返して冒険者のルールを学ぶんだよね……教えてくれる人は、ここにはいないのかな)
場合によっては当事者じゃなくて、血の気の多いベテランが横からやってきて不心得者をとっちめたりもするのだけれど、周りで動こうという人は誰もいない。
(Cランクっぽい人もいるのに、情けないなぁ)
冒険者ギルドは互助組織だ。強い者が弱い物を、物知りが物知らずを、先達が後進を仕込んであげるのが道理であり義務である。意図の良し悪しに関わらず、危ないことは危ないことと教えてあげなければいけないのだ。
「はぁ……たまには上級冒険者らしいことも、しておかないとダメだね」
「え?」
キョトンと顔を見合わせる三人組に、わたしは拳を握り固める。
強い者として、物知りとして、先達として。
この場の最高位であるBランクとして。
「すぅー……」
わたしは指導を頑張った。それはもう頑張った。
半年、出禁になった。
エレナってわりとアクセラのよくない面からも影響受けてますよね。
教育に悪いジジイ……。
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