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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第39話 王都進撃

 大陸東部に勇名をはせる大国ユーレントハイムの王都、ユーレン。その四方を守る大門は、こうした都市では珍しいことに、日没からしばらく経っても開けられている。

 国家間の緊張や周囲の魔物の分布、生息数を鑑みるに、早々と門を閉めてしまう必要があまりない。それならできるだけ長く開け、人の流量を増やしたほうが経済的なメリットがある……そうした判断によるものである。

 もちろん通行証の偽造、密輸、その他の日常的なトラブルは発生する。ゆえに警備にあたる衛兵たちもだらりと気を抜いているわけではない。

 しかし日暮れ前の鐘から次の鐘がなるまでの、開門時間の最後のひと時。当直の兵に交代する直前。一日の終わり。この時間帯の彼らの緊張感は、たしかに比較的緩いものとなる。


「うーん……今日もしっかり働いたぁ」


 若い衛兵が槍に寄りかかりながらしみじみと息を吐く。

 それを見た隣の、少しだけ年かさの衛兵は呆れた様子で首を振った。


「大したことしてないだろ」

「何を言ってるんすか、センパイ。今日一日、王都の平和を守ったじゃないですか」

「……大したことが起きてないからだろ」

「平和が一番っすよ」

「そういう話か?」


 気楽にものを言う若い衛兵と小さく笑う同僚。

 入域を目的とした人の列はほぼ尽きかけており、私語をとがめる上官もここにはいない。そうなると外敵に目を光らせておくのが仕事の彼らは、もうあと小一時間ほど夜の草原を眺めるだけのカカシだった。

 手続きを担当していればそうもいかないだろうが、文官の資格を持たない二人には関係のない話である。


「あ、そうだセンパイ。今日ちょっと飲みに行きません?」

「おごらないぞ」

「何も言ってないじゃないっすか」

「毎回おごらすからだろ」


 機先を制する同僚に若い衛兵は唇を突き出す。

 まだ幼さの残る彼がそうすると、どこか無下にできない愛嬌が漂った。


「毎回じゃないっすよ!ただほら、たまにはセンパイと飲みたいっていう、かわいい後輩の思いを汲むならね?やっぱりそこは度量ってやつをですねえ」

「悪いが度量も金もないんでな。あきらめ……ん?」


 同僚が怪訝そうな声を漏らす。

 若い衛兵が隣りを見ると、年上の友人は険しい顔で遠くを見ていた。


「センパイ?」

「なあ。あれ、なんだと思う」


 言われて視線を草原の果てへと向ける。そしてすぐ、同僚のいうアレが何か分かった。

 背の高い草の生えそろった景色に藍色の水彩絵の具をぶちまけたような暗い世界の中、光が弾けた。バチ、バチ、バチと。


「雷と、それから炎……?」


 若い衛兵は見たままを口にしたが、隣で同僚が首を横へ数度やるのを感じ取る。


「お、お前、飴色の雷なんて見たことあるか……?」

「いや、ね、ねえっす」

「じゃああれは、あの紫の炎は……!」

「ねえっす!ねえっすよ!あるわけねえっすよぉ!!」


 目にしているモノが理解できないままお互いに言葉を交わす衛兵二人。ソレを見ているのが自分だけではないという事実に、だんだんと現実感と得も言われぬ恐怖が湧き上がってくる。

 距離はおそらく数百メートル。飴色の雷と紫の炎は一塊となって、確実にその距離を詰めてきていた。


「なんすかあれ!てかあれ、こっちに来てないっすか?来てないっすか!?」

「来てる!来てる来てる来てる!!おい、何か来るぞ!何か来るぞぉ!!」


 同僚が腹から声を上げた。

 一度警報が発されると衛兵たちの動きは速かった。気を抜いていたとはいえ王都の守りを任される精鋭。すぐさま烏合の衆ではなく、錬成の行き届いた戦士の顔つきとなる。


「速いぞッ、陣形展開!!」


 先任の衛兵が号令を出し、門の前に殺到した彼らはスキルを発動。騎士の盾のようにそれらを連結させた。

 携えた槍から眩い光が解き放たれ、無数の鉾となって間隙を埋めていく。あっという間に完成したのは、突破力に優れる猪の魔物でさえも真正面から受け止める、衛兵隊自慢の槍衾だ。


「閉門!閉門!一般人は壁の中へ、荷物や馬車は諦めろ!閉門せよッ!!」


 大門は閉じろと言われてすぐ閉じられるほど軽い構造物ではない。だが一度閉じれば人だろうが魔物だろうが、あるいは悪魔や悪神であろうが簡単には通さない鉄壁の防御力を誇る。

 だからこそ、閉じきるまでの間に残る人間を押し込めてしまうのだ。どこの都市でも緊急時の対応は大体そうなっている。商人も旅人も冒険者も、誰も文句を言う者はいない。大急ぎで荷物を捨て、門の中へ逃げ込んだ。

 唯一外へと残る衛兵たちの使命は、門が閉ざされるまでの時間を稼ぐことだった。


「……ッ」


 槍衾を展開する男たちの顔に勇猛な決意とわずかの恐怖が浮かぶ。

 謎の光は信じられない速さで草むらを突っ切って向かってくる。

 距離が縮まるほどに、ビリビリと気迫が肌を刺激する。


「来たッ!!」


 誰かが叫んだ。

 草原を飛び出して街道へ踏み込んできたそれは、体の小さなオーガだった。少なくとも相対した誰もが、その一瞬でオーガが現れたと感じた。ナリは小さいが恐ろしく強大なオーガだ。

 飴色の鎧をつけ、肌には金と青の模様が刻まれた、雷と炎をまとう小型オーガ。鉱物質な双角を生やし、白髪を振り乱してそこにいる。それだけで死を覚悟させる圧倒的な気配に、精兵の誰もが息を飲んだ。

 だが輝く死の具現は、槍衾に突っ込む寸前で意外な行動に出た。突き固められた街道の土がひび割れるほどに強く、跳び上がったのだ。


「なっ!?」


 驚いて視線をそちらへ向ける衛兵たち。彼らの目の前で、小型のオーガは都市外壁に取り付いた。そして鋭い爪を魔法で強化された複合石材に突き立て、装飾にひっかけ、まるで地面を走るのと同じ勢いで駆け上る。


「なにを!!」


 外壁の上にはドーム状に広がる都市結界と神塞結界がある。

 前者は戦争時の物理的、魔法的な被害から都市を守るためのもの。後者は神々の力によって悪神や魔獣、魔物の通過と干渉を跳ね除けるためのものだ。

 特に神塞結界は有史以来一度たりとも壊されたことのない、人類守護の絶対防壁。魔物は本能で、魔獣は経験で、それが不可侵の壁であることを知っているはずで……。

 困惑する衛兵たちをよそに、オーガは壁の最上部まで登るなりもうひと跳び上空へ身を躍らせ、そのまま不可視の壁に降り立った。


 ザッ……!!


 オーガが腰から剣を抜いて結界に突き立てる。刃はあっさりと通った。そのまま振り抜けば、雷と炎が混じって夜空に流星を刻む。それだけで、それだけのことで、鉄壁無双の結界は口を開けた。

 オーガがひらりと中へ飛び込むのをみて、衛兵たちは背筋が凍り付くのを自覚した。


「け、結界は……?」


 若い衛兵が呆然と呟く。

 それに正気を取り戻した同僚が大声で叫ぶ。


「ぼうっとするな!今すぐ王宮へ、騎士団へ通報しろ!!えらいことになったぞ……ッ」


 ~★~


 混濁する意識の中、俺は闇に沈んだ王都の空を走った。

 屋根から屋根へ移る度、衝撃で民家の窓が割れ、漆喰が弾け、瓦がめくれて落ちた。

 だがどうだっていい。街などあとでいくらでも直せばいいのだ。代わりが効くのだ。


(アレニカ……エレナ……アレニカ……エレナ……ッ!!)


 二人の名前を繰り返し口の中で繰り返す。

 思い浮かぶのは「いってきます」と気負いなく出かけた二人の笑顔と、無残な亡骸となったシャーリーの虚ろな瞳。イメージが重なろうと、混じり合おうとするのを必死に押し止める。


「踏ミ躙ラせタリしなイ……絶対ニ、こレ以上、誰一人トして……ッ!!」


 口から漏れ出るのは金属質な濁りを帯びた声。

 心臓の裏からあふれ出た溶岩が俺というカタチの中に充満して、紫に揺らめく幻の炎となって体の外まで吹き上がる。

 あのピンク頭、ダルザとかいう元凶のクソ野郎。奴を愛刀で細切れに刻んでやるという確かな殺意が両腕に、両足に、ミシミシと滾っていく。

 ああ、そうだ。そうだ。逆らう奴は、邪魔する奴は、全員斬り捨てだ。


『鬼化第五段階、解除』


 真っ赤に染まった脳裏に声が響いた。

 メリメリと肌を這うべっ甲色の稲妻模様が範囲を広げ、どこからか湧き上がる膨大な力がさらにその出力を増す。雷と炎がその勢いを爆発的に強め、反動で筋肉が悲鳴を上げる。関節が外れかけ、血管がちぎれて神経が焼き切れそうになる。


「がふっ……!!」


 血の混じった咳がこみ上げる。それにすら幻炎が混じっている。

 すぐさま全身の治癒魔術回路が青く輝いて、壊れる端から修復が始まった。

 だが今度はその代償として激痛が手足を駆け巡る。


「いたぞ!報告のあった魔物だ!!」


 誰かが何かを叫んだ。

 いつのまにか目の前には背の高い壁が迫っていた。真っ白なそれは一般街と富裕街を隔てるものだと、鈍った頭の中で記憶が囁く。


『クハハッ、しくじるなよ』


 耳よりももっと深い場所で音を拾う。それは誰かの野次だった。

 いや、誰かではない。あいつだ。俺の中に無断で居座る、あのクソ悪鬼の声だ。


「うル、さいッ……ワ、たし、を、誰だと、オもッテ、る……!!」


 コツはさっき掴んだ。

 呼吸を切り替える。


「こぉ……ッ」


 呼気を肺へ深く落とし込み、酸素と魔力を練って燃やすように己のモノとする。血管に溶け込む魔力は膨大なものとなり、それが循環しながら各所で強化魔法として消費される。そういう強引なサイクルを思い描く。


「はぁ……ッ」


 血が燃え上がるような熱感。全身から練り上げられた火属性の魔力がゆらりと溢れ、当然のように聖属性との中間へ変異して若紫の揺らぎに加わる。

 蹈鞴舞(たたらまい)。武息のその先に見出した不完全な技。一度は封印したそれを使うことに、躊躇いは欠片もなかった。


(要するに、御せばいいだけのことだろう!)


 そう、今まであらゆる力をそうしてきたように。


(ぐ……っ、これだ!ああ、これだ、これだ!!)


 天井知らずに増強される身体能力。研ぎ澄まされて行く感覚の精度。刀神と呼ばれた頃の実感が、何十年ぶりかに蘇ってくる。


『いいなあ!さすがはかつて最強と称された剣士、鈍っちゃいねぇなあ!!』


 一度失敗した教訓か、前回よりエクセル(おれ)らしくなった悪鬼が嬉しそうに叫ぶ。その声に呼応すように、全能感が激情と混然一体になる。

 心臓が潰れそうな心拍。脳が崩れそうな情緒の錯綜。その全てが最終的には尖りに尖った一筋の破壊衝動へと昇華されていく。


「オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 我知らず獣のような咆哮を上げる。

 そして跳躍。門に現れた騎士や軍人、衛兵と彼らのあらゆるスキルを跳び越えて背の低い壁の上に躍り上がる。

 そこにもかなりの人数が俺を待っていたが、もう一度踏み込んで全てを無視。


 斬……ッ!!


 雨狩綱平を抜き放って不可視の結界を斬り付けた。物理的、魔法的な攻撃を軍事レベルで阻む障壁に雷と幻炎の閃が走り、極小の六角形が繋がった膜が空間に浮かぶ。しかし抵抗は一瞬で、すぐに結界はずぱっと口を開けた。傷口が虹色に輝いている。


『さあ、あと少しだ!早くしないとお友達は慰み者だぜ!?焦れ、焦れ、焦れッ!!』

「うルさい……ッ」


 俺は結界の傷を潜って富裕街へ侵入する。

 数ブロック先には水神神殿と、そびえたつ三巨塔の一角である浄化塔が見えた。


「ふっ!!」


 手近な建物に着地し、その屋根を粉砕して加速。次の屋根も、その次の屋根も踏み砕きつつ速度を上げ、最後の跳躍で浄化塔の半ばへ飛び移る。

 指先に形成されたべっ甲色の獣爪が食い込み、バキャッ!と石材が悲鳴を上げた。そこが崩れ落ちるより前に『獣歩』を発動、凹凸の多い装飾的な外壁を回り込むように駆け上がる。


「待っていロ!待っテ、イろ!!あレニか、もウ、すぐ、行クから……ッ!!」


 上から石材の破片がばらばら落ちてくる。見上げれば炎が瞬き、そして……いた。最上階から二番目の部屋の窓へと、黒くて細長いナニカが這いずる様に入っていくのが見えた。


『クハハ、あそこだなあ』

「アぁ、あソこだ」


 直観的に理解する。あそこにアレニカがいると。

 だがこのままでは遅い。間に合わない。


『クク、クフハハハッ!!迷うなよ、なあ?ほら、思い出せ!思い出せよッ、エクセル!!それがお前の力になるんだ、もう分かってるだろう!?』


 悪鬼が叫ぶ。エクセルに似せた口調が崩れ、そして脳裏にシャーリーの顔が浮かんだ。

 瞳孔の開いた、濁ってしまった美しい目が。乾いて艶を失った半開きの唇が。掻き切った首の、あのぱっくり開いた傷が。今目の前にソレがあるかのように、真っ赤に染まった砂に横たわる、愛しい弟子の鮮明な姿が描き出される。


「ぐぅううう……サセ、るかァあああああああああああああああ!!!!」


 悪鬼が言う通り、その忌々しい記憶が力となって体中に広がっていく。

 俺はその、ある意味で邪悪な力の奔流を、否定せずに受け入れる。

 今は、必要な力だ。残り滓のような理性がそう呟いた。


『鬼化第六段階、解除』


 何かが顔を覆う。視界は何も変わらない。むしろよりクリアに、より詳細に世界が見えるようになる。

 それはきっと鬼の面だ。見ずとも、触れずとも、なぜかそうだと分かった。鎧と同じべっ甲色の、聳える双角と一体化した憤怒の面。

 鬼神のようで、エクセルのようで、アクセラでもある……そんな造作をしているのだろうそれは、顎先から額までぴったりと吸い付いて、感覚を弓の如くギリギリと引き絞っていく。


『もたもたするな!さあ、お前の力を見せてやれ!怒りの力を世界に刻み付けろ!!』

「ダカら、ウるサイんダよ……ッ!!」


 技術神の権能が発動する。面の力と、俺の力と、何ができて何をすればいいかの最適解が分かる。理解できる。理解できれば、あとは実行に移すだけだ。

 当然のように塔の壁を蹴って宙へ。もはや掴むモノも支えるモノもない空へ身を投げ出した。なぜならそれらはもう必要ないモノだから。欲しいのは、推力だけだ。


「火ヨ……!!」


 火属性の魔力を凝縮し、鬼力も混ぜて、指向性をつけ、それを真下で炸裂させる。


 バギャォン!!


 金属質なエコーを伴った、聞いたことのない種類の爆発音。紅蓮の炎に雷が纏わりついた異様な魔法は、まるで異界にあるというロケットのように俺を射出した。

 これ以上ないほど暴力的な加速に骨格を軋ませながら、さらに二度立て続けに発動。風を引き裂いて一気に天へと舞い上がる。

 目的の階を越した瞬間に身を捻り、斜め上にもう一発だけ爆炎を作り出す。急角度で変わる進路。迫る窓枠。俺は俺自身をその場所めがけて撃ち込んだ。


 ドガァン!!


 落雷のような轟音。窓どころか塔の片側の壁を丸ごと吹き飛ばし、床も三割ほど崩落させつつ、俺は目的地に到着した。

 鬼面越しに周囲を見回す。まるで水の中に広がる砂のように、もったりした動作で広がっていく粉塵。その向こうに、奥の方にアレニカは倒れていた。


「……ッ!!!!」


 息を呑む。

 彼女は信じられないくらいに傷だらけになって、血だらけになって、衣服もほとんど下着同然にされて、襤褸切れのように打ち捨てられていた。一瞬、亡骸かと思うほどの有様だ。


『あーあー』


 悪鬼が呆れたような声を漏らした。


「……わタシノ弟子に」


 その姿が、壮絶にして不屈の抵抗を物語る死にかけの姿が、最後の理性を引き千切る。


「何ヲしてイル……」


 睨みつける先には、床を這いまわる不気味な男。彼の口からは異様に長い舌が伸び、俺の大切な友人の足へと絡みついていた。

 死の間際に追い込まれるまで抵抗し続けた相手に、敬意ではなく凌辱を贈ろうとしている下種。万死に値する。


「……シね!」


 黒い包帯を纏ったその男へ、俺は強かに廻し蹴りを叩き込んだ。

 ゆっくりと動いていた男はその一撃で突然真横に超加速。破れた脇腹から臓物を吹き溢しながら水平に瞬間移動して壁の残骸へ激突し、そのまま石材をぶち抜いて向こう側へと落ちていく。

 まるで物理法則が狂ったような挙動だった。


『クハハハハ!バァカ、狂ってんのはお前の体感時間の方だ!!』


 悪鬼が殊更に嬉しそうな哄笑を交え何か言った気がした。だがどうだっていいことだ。

 害虫は駆除できた。アレニカはまだ生きている。面がそう教えてくれる。

 俺は間に合った。今はもう、それでいいじゃないか。


『あん?いや、いやいやいや!よくはねえだろう!?お前、ここからが楽しいトコロじゃねぇのかよ!』


 びちゃっと舌が床に転がり、血が断面から吹き出してブーツを汚した。

 蹴りの直前、アレニカに絡みついていたソレは根元から切断しておいたのだ。そうでもしないと彼女が引きずられて大怪我をしてしまうから。


「ふー、ふー、ふぅー……」

『おいおい、呼吸を整えてんじゃねぇ!まだ元凶は倒してねえぞ!お前の恋人だって、今にも死にかけてるかもしれねえ!怒りを消すなッ、戦いはまだ』


 面を握り潰して顔から引きはがす。すると悪鬼の声も遠のいた。

 面が現れる前から聞こえていたのに、不思議なものだ。


「……ぁ」


 アレニカがこちらを見た。真っ赤な目が俺を捉えた。じわっと涙が浮かんだ。


「どう、して……どう、して、きたん、ですの……」


 掠れた声で問う彼女に近づき、膝を屈する。


「おう、めいが……こ、せき、が……えれなに、もうし、わけ……たた、ない、のに……」

「だいジョウぶ。全部、モう、ダイじョうブ」


 ぼろぼろと涙を流す彼女の頬を撫でる。爪で傷つけないように、指の背でそっと。

 すると俺から立ち昇る幻炎に炙られた彼女の傷が、少しだけ治り始めた。


(これは……)


 神炎は邪悪のみを焼き払う聖なる炎だ。聖属性といえども、傷を癒す力は持っていない。

 つまりこれは、血から溢れ出るこの炎は、神炎とも違う何かなのではないか。

 試しに左手で雨狩綱平を少しだけ鞘走らせる。ちょうど一掴みほど青い刃が露わになったところへ右手を押し当て、軽く引いて皮膚を斬り裂く。

 軽い痛みとともに血が流れ出た。思った通りだ。頑丈そうなべっ甲色の鎧と幻炎も、自傷には効果がない。


(それに……ああ、やっぱり。これは、そういうモノ(・・・・・・)なのか)


 ドクドクと溢れる血はモルタルの床に落ちる端から貴色の炎に変わる。

 こうして意図的に血を燃やしてみて理解できた。これは炎ではない。魔法でもない。俺の、エクセルの力だ。神力に近い何か。

 いや、そうだ。神官魔法、聖属性、神々の権能……どれも明らかに他の魔法とは違う。ならこれはスキルと同じこの世界の仕組みそのものなのではないか。

 本来は形のない物であり、炎という仮初の形を持つことでこの場に繋ぎとめているだけの存在。技術神に与えられた可能性という不確定のリソース。魔力であり、神力であり、それらを消費して顕現する奇跡という名の仕組みの一端。


「アレ、ニカ……すグ、終ワるから……」


 手のひらに溜めた血を少女の体に振りかける。

 当然のように燃え上がる血液。しかしその炎が彼女を焼くことはない。


「炎よ、邪悪ヲ焼く、神ノ炎よ……我ガ色を、湛えル炎よ……神ノ名ニ、おいテ、この者ヲ、癒セ……傷ノ一切、痛ミの一切ヲ、焼き尽クセ……」


 権能の導き出した言祝ぎを紡ぐ。炎の姿を取る力そのものに干渉し、性質を書き換える。エレナが魔法に対して行うように、上位の存在として命じる。


「あく、せら、さん……」


 轟々と勢いを強める竜胆色の炎の中で、アレニカが意識を失った。

 火炎は彼女の傷を舐め、焼き尽くし、存在そのものを消していく。治癒の魔法と同じように、ポーションと同じように、しかしもっと深い部分まで。


「アレ、ニカ……よク頑張ッタ、ね。アトは、任セて」


 屈んで彼女の額に口づけを落とす。

 我が子をあやすように、労わるように。


「おいおいおいおいぃいいいいい!!」


 背後で雑音がした。壁が一層崩落し、そこから黒く汚れたトカゲが這い上がってくる。


「お前がアクセラだなあ、ええおい!?いきなりカマしてくれるじゃねいか!」


 身を起こした俺の顔を鬼の面が再び覆う。

 一度は落ち着きかけた胸の中の荒れ狂う熱が、熾火に空気を吹き込んだように復活する。


『ほらな?敵は全部、潰せるときに叩き潰せって。他ならぬお前(エクセル)の言葉だ』


 悪鬼まで舞い戻って耳元で嗤う。煩わしい。煩わしくて、煩わしくて仕方がない。

 だが言う事は間違っていないのかもしれない。いつの間にか止んでいた雷の放出が再発すると、弾け飛びそうな力がそう思わせてくる。


「つうかなんでいんだよ、ここによう!お前はボスのモンだろうが!?そのガキは俺様に残して、お前はとっととボスに襤褸雑巾にされてこいや!!」


 何かをがなる蜥蜴男。だが言葉の意味は分からない。聞こえない。世界が、視界が、音が、速くなったり遅くなったりを繰り返すからだ。

 鬼面越しに入ってくる情報は全てがいやにクリアで、そのくせ(ひず)んでもいて、何も分からなくなってくる。


(頭、痛ぇ……)


 酷い頭痛に顔をしかめる。

 それでも一度は納めた刀を抜く。


「おいおいおい、なに戦おうとしてんだ!不意打ちで一発入れたからって粋がんなよ!?っていうかメスガキが二匹もいらねいんだよ、こっちはよう!そこ退いて俺に仕事を完遂させてくれや、ええ!?」


 スローモーションになったり、解除されたり、ガクガクと緩急を切り替えながら男がこちらに歩いてくる。

 ボロボロの黒い包帯で体を縛り上げた、枝のように細い変質者。なぜか頬に目が生えている。アレニカとの闘いの結果だろう、致命傷と思われる傷がいくつも刻まれているが、それでも死んではいない。


(嗚呼、クセぇ……こいつ、生粋のイカレ野郎だ)


 奴隷を甚振って遊ぶタイプの主人と同じ種類の臭いがする。人間性が根腐れを起こして、もうダメになったときに漂う悪臭だ。


「俺ハ、お前トは違ウ……」

「ああ?」


 楽しそうにその手の妙なナイフでアレニカを刻んだのだろう。

 喜ぶがいいさ。俺は相手を痛めつけて楽しむなんて、そんな洒落た趣味は持っていない。


「俺タちの前カラ、失せロ」

「何言ってやがん……」


 雨狩綱平の切っ先を突き付け、編み上げた技を放つ。


 キュァン!!


 甲高い風変わりな音色とべっ甲色の輝きが男を襲う。

 上半身が霧のように形を失ってパッと咲いた。

 男の命は、血煙と消えた。


 仰紫流刀技術・魔の型ムラクモ「九字雪崩」、その変化にして奥義『三千吹雪』


 それは刀を介して魔力を九つの太刀筋に変える九字雪崩を突き詰めた先、理論的に薄っすらと見えてくる仮説の中の奥義。三千枚の刃を放って敵を蒸発させる刀の魔法(・・・・)。前世の俺では魔力量的に実用も実証もできなかった未踏の領域。


(……つまらん)


 新しい技を成功させた高揚はちっとも湧いてこない。

 残されたへそから下が二歩ほどよろめいて、足を滑らせ落ちていった。


『おい、もっと楽しめよ。怒りを、暴力を、破壊を』


 どこか白けたような声で悪鬼が言う。

 その口調は若い頃の俺に似て、けれどどこか違って聞こえる。


「私ハ、お前トモ違う……復讐者ニは、ナラなイ……」

『……ハッ、なるほど。お前マジでここに来るための手段としてだけ、浸食を受け入れたんだな?』


 そうだ、と胸の内で答える。

 エレナは大丈夫だ。『鬼化』が誇張するせいで今も心はざわつくが、俺は彼女を信頼している。任せると決めたなら任せきるつもりだ。


「ダがアレニカは、あノ子ハ……」


 新しい俺の弟子は、さすがにまだひな鳥もいいところ。少し過保護なくらいに守ってやらなくてはいけない。

 しかし学院からここまでの距離、馬車より早く走れても間に合わないと思った。大門をちんたら潜る時間もなかったし、富裕街に入るには手続きが必要だ。


「鬼化ノ力は、オーウェンとの闘イで、理解シテいタ……九字雪崩の、暴発ノせいデ、使い心地モ、薄ッスらと理解シた……コレなラ、都市結界ヲ破れルと、思っタ……」


 いくら俺でも単身で戦争用の都市結界は破壊できない。だがミアに保証された俺の鬼化適正なら、その領域まで出力を上げられる。そして出力が上がれば切れることは、前世の経験で分かっていたことだ。

 あとは神塞結界だが、あれは邪悪を弾く結界だ。技術神も鬼神も共に迷惑な存在ではあるだろうが、邪悪な存在ではない。止められるいわれがない。


『クハ、クフハハハハハッ……この俺を、足に使うとはなァ!!』

「ン、オカげで間ニ合った。感謝シていル」

『……』


 一気に膨れ上がった怒気。しかし気に留めず感謝を伝えると、悪鬼の強烈な気配が勢いを削がれたように薄まる。


『……ふん、流石は愚直さだけで神になった男だ。恐ろしいほど精神が強固にできてやがる。しかも面の皮は千枚張りときたもんだ』


 忌々し気な囁きを聞きながら刀を納める。


(アレニカを、はやく下ろさないと……あれ、鬼化って、どうやって解除するんだ)


 ぐらぐらと揺れる意識。意図的に鬼化を受け入れたとはいえ、制御できているわけではない。悪鬼の言うように、ただ抵抗しまくっているだけの話なのだ。

 とりあえず鬼面を剥ごうと空いた手を顔に伸ばし……。


『だが、向こうが待ってくれるとは限らねえぜ』


 まるで予言でもするように悪鬼が笑った。

 とすっ。ほぼ同時に軽い音がした。


「けほっ」


 胸に鋭い痛みが走って、一度だけ咳き込む。血の混じった咳だった。


「ナ、に……?」


 見下ろすと、べっ甲色の鎧の隙間を縫うように制服に赤い染みがいくつかできていた。

 染みは視線の先でじわっと広がる。何かに撃ち抜かれたような、そんなカンジだ。けれど銃創のような大穴は開いていないし、矢やら鎗やらも刺さっていない。ただ制服に血が染みて行くだけだ。


「けほ、けほげほっ、かふッ………!?」


 細い針で貫かれるような痛みがあって、更に染みが増えた。

 ポツポツと制服に斑点が刻まれ、さすがの俺も混乱して動きが止まる。

 その瞬間、まるで見えない力に捕まったように俺は真後ろへ引き寄せられた。

 俺自身が砕いた壁の向こう、夜空の中に投げ出されたのだ。


「……ッ」


 手からすっぽぬけて飛んでいく独楽にでもなったかのように、激しく回転する視界。暗く広大な天とあちこちで煙の上がる街並みが目まぐるしく入れ替わる。しつこく続く加速と減速も相まって、ハッキリと景色など認識できない。

 けれど俺はそいつを見つけた。大通りの真ん中に立つ背の高い人物。ピンクの髪を片側に流し、もう片側を反り込みにした、極めて特徴的な美しい男だ。ジントハイム公国の工作員にして、今回の事件の首謀者。そう……。


「ダルザ……ダルザッ……ダルザァアアアアアアアアアッ!!!!」


 俺は自分の喉が発する怒りの雄叫びを耳にする。

 思考を熱が焼き尽くす。再び制御を奪われる感覚。気が付くと俺は、傷ついた右手に炎を宿していた。


(拙ッ……!?)


 焦るが、もう遅い。

 今まで一番大きな紅蓮の塊を、俺は真下の街に向けて投げていた。


お前が王都に進撃すんのかい!という回でした。


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