十三章 第38話 惨劇の敗者
ダダン !ダダン!ダダン!ダァン!
直径六メートルの狭い部屋に発砲音が鳴り響く。
銃口で咲き誇る紅蓮華と、ほぼ同時に射線上で炸裂する魔法。私が両手に握る二丁の魔導銃、スワローズダイブⅢは交互に炎の魔弾を吐き出して夜の闇を焼いた。
「あひゃひゃひゃひゃひゃッ!!狙いは悪くねいが、豆鉄砲をいくら飛ばそうが俺様は倒せねいぜい!!」
「くっ……ッ」
戦闘が始まってからもう数分、いや十数分が経過している。
状況はよくない。痩身の男は、笑みを絶やすことなく大半の銃撃を回避。避け切れない弾のうち顔に飛んだものだけその細い腕で叩き落し、残りはガードすらせずに腹や胸で受けている。
(あの黒い包帯さえなければ!)
男のスキルは二つ。頬の目と壁を這う手先を与えている茶色の光と、ナイフの切れ味を増している黄色の光。
だがそのどちらより厄介なのは顔の下半分以外を覆う黒包帯だった。何かしらの魔道具なのか、スワローズダイブⅢの射撃が全く通らない。
唯一の例外がエレナの改修によって近中距離用にも実装されたチャージショットだが、威力だけでなく弾速さえも倍近く跳ね上がるコレを、男は発砲からの寸暇で回避して見せるのだ。
(当たったのは一発、それも直撃じゃない。脇腹の包帯を焦がして剥がした至近弾だけ)
反射神経も、動体視力も、何もかも向こうの速度に追い付けていない。
あともう私に残されている手札は、エレナがスワローズダイブⅢに実装してくれたもう一つのモード……魔法刃を展開するブレードモードだけ。
(賭けるのは、まだ先ですわ)
私がただ刃を持ったところで、扱い切れずに負けるだけだ。
それにブレードモードは接近武器でありながら、それだけではない性質がある。うまく使えば、確実に勝てる状況で切ることさえできるのであれば、盤面をひっくり返せるかもしれない。
そのために、私はずっと耐えて待っているのだ。状況が、少しだけこちらに傾くのを。
(焦るんじゃない、焦るんじゃありませんわよ、アレニカ=フラウ=ルロワ……!)
しかしそう思うほどに全身を襲う強烈な痛みと出血の虚脱感が集中を削ぐ。
「考え事かあ?」
「っ!?」
ハッとなる。男の声に反応して魔導銃の狙いを付け直す。が、指先が鈍ってトリガーが引き切れなかった。弾幕に一発分の途切れ目が生まれる。
そこへすかさず男はぬるりと肉薄。慌ててチャージしていたもう片方を発砲するが、彼は射線を退けるように私の手を払う。
ドガン!
壁際に押し付けられる私。
狙いを外した魔弾は男の背後で壁に致命打を与え、大きな塊が剥落して外へ落ちた。
夜風が力強く室内に吹き込み、彼の肩越しに私の毛先を揺らした。
「いやっ!!」
力の限り男の胸板を突き飛ばす。だがびくともしない。
反対に片腕を掴まれる。そのまま男はもう片腕も掴んで、私の頭上で片手に纏めた。
「ほうら、捕まえたぜい?」
空いた方の手で握ったナイフで私の頬をビタビタと叩き、男は顔を寄せた。口の左右に開いた黄色いギョロ目の、縦に長い瞳孔が覗き込んでくる。
「これで何回目だったかなあ、ええ?たしか……ひゃひゃっ、もう七回目だなあ!」
「白々しい!」
「へひゃひゃ。イキがいいねい、そうでなくちゃあな!」
ひとしきり笑うと、男は私のジャケットの裾を掴み、ぐいっと引き上げた。
「……ッ」
歯を強く食いしばる。
シャツ越しに鋭い何かが押し当てられたと思ったら、すぐにザッという布を裁つ音がして、横腹に焼けた鉄でも押し当てられたような感触が生じた。
「んぅううううううううッ!!」
喉奥から迸る悲鳴を嚙み殺す。
じわっと熱が、血が服を伝って広がる。
(来ると分かっていれば耐えられる!耐えられる!!耐えられるッ!!)
必死に自分に言い聞かせ、うっかり舌を噛まないように口を閉じ続ける。
来ると分かっていれば。そうだ。こうして捕まえられ、ナイフで体を切り裂かれるのは初めてではない。男が言った通り、これでもう七回目。
黒包帯は圧倒的な身体能力で私を翻弄し、大きな隙ができれば間合いを詰め、抑え込み、楽しそうに私を刻んだ。そして解放し、また抗って見ろと薄笑いを浮かべて言うのだ。
一度掴まれば傷一筋、そういう鬼ごっこだと。
「へひゃひゃ!いい声だなあ、ええ?」
「狂人……!」
私の罵倒にまたひとしきり笑い声をあげた男は、口からやけに長い舌を出して私の頬をじゅろっと舐め上げた。二回目と三回目に刻まれた傷をほじくるように、ねっとりと。
「うっ……!」
嫌悪感と痛みに表情が歪むのを自覚する。
あの波打つようなナイフで切られると傷が塞がらないらしく、痛みも出血も増える一方で褪せることがない。刻一刻と時間が無くなっていく感覚があった。
「いいか、俺様はいつでも、この茶番をお仕舞にできるんだぜい。それをせずにチャンスをやっているんだ、分かるか、ええ?」
「好き勝手、言ってくれ、ますわね……!」
「ひゃひゃひゃ!お前はそうやって、ありがたあく、必死になって抗えばいいのさな。俺様を倒して、この塔を生きて降りるって夢を抱きながらなあ。分かるだろ?俺様を楽しませるんだよ、ええ?」
恋人に愛を囁くような小さく優しい声で、吐き気を催す言葉を垂れる男。
「でないと次はコッチで相手してもらうぜい?あひゃひゃひゃひゃっ!!」
一通り自分勝手な言い分を口にした彼は少しだけ身を離し、卑猥な動作で腰を振って見せる。
「……舌でも噛んで、死んでくださいまし」
「けひゃひゃひゃひゃっ!あーあ、おもしれいなあ……さてとう」
下品なジェスチャーを止めた男は、私の腕をねじって壁を向かせた。
背中に押し当てられるナイフの感触。ぞっと悪寒が走り、私はその場に凍る。
「なっ、ま、待ちなさい!一度に傷一筋って……ッ」
「はひゃ!そうだったな、悪い悪い!!ただなあ、そのルール、飽きちまったんだよう」
「まって、まっ、あぐッ、うッぅうううううううううううううううううう!!!!」
突き立つ刃。背中の真ん中から一気に腰辺りまで引かれる線が、脳裏に鮮明に焼き付く。
目の奥がヂカヂカとするような、神経をかき乱す激痛。呼吸が荒れ、関係ない腹筋や腕の筋肉がガクガクと痙攣する。
「あ……っ」
あまりの苦痛に頭の何かが壊れたような、そんなフラッシュが目の前に散った。
それを最後に、私の意識はふっと途切れた。
景色が見えた。藍色と緑を混ぜたような、きっとこれは夜の闇に沈む草原だ。
轟々と激しい風が吹いている。大きくうねり、草をかき混ぜる強い風。
その風の中を、雷が駆け抜けた。その雷は真横に駆け抜けた。
普通の雷じゃない。べっ甲色の雷。それも美しい紫の炎を纏った、幻想的な雷だ。
悲しいほど必死に、切ないほど真っ直ぐに、雷は草原を駆け抜ける。
その向かう先は……ああ、あれは王都だ。
「……っ!」
意識が戻る。何か、とても美しくて、なのに辛い夢を見ていた気がする。
「おいおいおい、死んだワケじゃねいだろうなあ?」
「……ごほっ」
上から降ってくる男の声に、私は壁際でへたり込んでいるのだと理解する。
大きく咳き込み、新鮮な空気を取り込もう口を開く。
「ひゅう、ひゅう、ひゅう……」
深く息を吸ったつもりで、喉は隙間風のような音をさせた。力が入らない。
身を立て直すより先に男に襟を掴まれて、ぐいっと宙に吊り上げられる。
右手から滑り落ちた魔導銃が床で跳ね、どこかへ転がっていく。
「まだ生きてるみていだな。よかったぜい、ガキがよう?」
死に体と思ってか、男がずっとこれまで実力差にもかかわらず薄っすらと維持していた警戒が解けた。それが不思議と感じ取れた。
(あ……い、今だ……今、今っ、今だっ!!)
カッと体に火が灯る。
意思が肉体を支配し、消える前の蝋燭のように強い力が沸き上がる。
「もうダメそうだな、死に切る前にヤッとくかあ?」
「ふざ、けんな、ですわ……!」
右手をゆらりと伸ばし、襟を掴む男の手首を握った。
「お、お、お!?まだ頑張るってかあ?健気だな、ええ?」
嘲りをたっぷり含んだ耳障りな笑いを無視し、右手に薄紅のスキル光を灯す。すぐにアシストが作動し、私の右手は握力の限界を超えてぎゅっと男の手首を締め付けた。
その頼りないほどに淡い輝きは、まだ鍛え始めて半年と経っていない『体術』。レベルはたったの2。選んだ技も初級の握殺で、大層な名前の割に強い握力で握り潰すというシンプルなものだ。
ぎり、ぎり……っ。
発動したからには私の意思に関わらず力を込めて行く右手。けれど男はニタニタとしたままでこれっぽっちも痛そうではない。
スキルレベルとステータスがどちらも低すぎて、全くと言っていいほど威力が出ていないのだ。
「う、くぅ……ッ」
むしろ扱い切れない力が手に籠るほど、ボロボロになった私の体が悲鳴をあげる。
私はもはや、スキルレベル2の技を支えられないほどに満身創痍なのだ。
(そんなの、わかってる……さあ、踏ん張りなさい、アレニカ=フラウ=ルロワ……!)
息遣いを変える。心拍を抑える静息から、苛烈に血流を巡らせる動息へ。
ぶしゅっと傷から血が噴き出す。筋力が上がって、握殺もわずかに強くなる。
体を襲う軋みは理不尽なほどに達し、それでも男は余裕を崩さない。
「効かねい効かねい!まったく、弱々しすぎていっそ可哀そうになって……あん?」
カチリと、私は左手に下げたままのもう一丁のセレクターを弾いた。
ヴン……!
魔力をごっそりと吸い上げ、ハーフパンツの生地を裂いて展開される大振りの魔力刃。
ブレードモードとなった魔導銃を、破れたポケットからまっすぐ男の腹へと突き入れる。
「だから遅いんだって……!?」
私を手放し、飛び下がる男。けれど彼我の距離は変わらない。彼の表情が強張る。
「はぁ!?」
私が追いすがったわけじゃない。ただ、ありったけの力で維持している握殺が、男の移動に私を帯同させたのだ。
「おま、ありかよソレ!!」
「くらい、なさい……ッ!」
男の腕一本分の距離。伸ばした私の腕とスワローズダイブⅢの銃身でちょうど同じくらい。そこから伸びる湾曲した銃剣が、黒い包帯に牙を剥く。
包帯は一瞬だけ火花を散らして抵抗。けれど最大出力のブレードモードはすぐにそれを焼き切って、男の体に食い込んだ。
「があっ!!」
肉の焼ける音と共に、痛みに吼える男。でも、それだけじゃない。
「まだ、まだぁ……!!」
私はブレードモードのまま、トリガーを最後の握力で引き絞る。すると既に限界状態だった真っ赤な魔力の刃がヴッと唸って一段と大きくなった。
腹筋の奥、内臓を超えて背中まで一気に貫通する感触。男の口から血が吹きこぼれる。
マグマのような赤の濃淡に明滅しながら銃身からパージされる刀身。 そのままギラッと一際強く輝いたそれは、すぐに。
「ぶぐぁあああああああああああああああああああああ!!!!」
「きゃあッ!!」
彼我の間で起きた大きな爆発に、私の視界はホワイトアウト。
襟が引き千切れる布の悲鳴を聞きつつ、背中から何か固い物に叩きつけられる。
「あがっ!?」
背骨が軋み、後頭部でゴッと重い音がした。
衝撃にふぅっと遠退く意識を根性だけでどうにか堪えて、ヒリヒリと痛む瞼を持ち上げる。目の前に広がっているのは、酷い光景だった。
塔の壁はほとんどが壊れ、上の小部屋が崩落してきていないのが奇跡のような有様。私は残った数少ない壁に背中を打ち付け、床に尻もちをついている状態で……見れば魔導銃を握っていた左手の指があらぬ方向に曲がっている。
(おれ、てる……)
でも不思議と痛みはない。それがあまりよくない事であるとは分かるが、肌が斑に焼け焦げ、金属の破片が食い込み、骨がバキバキに折れて腫れ上がった手だ。感覚がないのは正直助かった。
「でも、うまく行きましたわね……」
部屋に男の姿はない。彼のいた方向の壁はないから、きっとあの衝撃で落下したのだろう。流石に死んだか、そうでなくともすぐには戻ってこられないはずだ。
「にげ、ないと」
パラパラと上から石材の破片や粉塵が落ちてくる。この塔はもう長く持たないかもしれない。だとしたら、一刻も早く下りないといけない。折角あの男を退けたのに潰されて死んだのでは、悔しくて悔しくて、冥界神の御許にも素直に行けなさそうだ。
「ふ、ぐぅ……!」
どうにか壁から離れ、螺旋階段へと這いより、歪んだ欄干を掴んで下り始める。
だが三歩と下ったところで、膝がカクンと屈した。
「あっ」
同時に視界が大きく揺れた。平衡感覚を失った私は立て直す余地すらないまま前に倒れ、残りの段数を勢いのまま転がり落ちる。
転落は最後、どしゃっと下のフロアの床に投げ出されるまで続いた。
「げほっ、げほげほっ……ぐ、うぅ……」
ゾンビのようにうめきつつ、モルタルの上でもがく。手を彷徨わせ、探すのは壁だ。
塔の中はいくつかのフロアに区切られていて、その全てが一番上と同じ構造になっている。だからまだ無事なこの階の壁には、あの特徴的な青海波模様が刻まれていた。
どうにか見つけ出し、そのの凹凸に拳を打ち付ける様にして縋り立ち上がった。
「うっ、おぇ……っ」
吐き気にえづく。だが血の混じった唾液が口の端から顎へと垂れるだけで、何も出てこない。打ち所が悪かったのか揺れは収まらない。真っ直ぐ立てない。
(あ、まずい……まずいですわ、これ……)
ぐらぐらと不安定に歪む視界で自分を見下ろす。
ジャケットは襟元からジッパーを丸ごと破り取られ、中のシャツもボタンがほとんど飛んでしまっている。ハーフパンツも自分で裂いたせいで腰骨に引っかかるような状態。
おかげで動きやすさを重視した簡素な下着も、華奢で貧相なカラダも丸見えだった。
(これじゃあ、まるでらんぼう、されたみたいね……)
必死にそうされないように抵抗したのに、皮肉なものだ。もし誰かに見られたら、貴族としてはいよいよお仕舞いだろう。
などと考えてすぐに頭を振る。
(違う、そうじゃない……そうじゃ、なくて……出血が……)
今したいのは服の心配でも、見栄えの心配でもない。
問題なのはさらけ出された肌に刻まれる、無数の傷の方だ。
(とまらない……)
大小のナイフ傷は生々しくぱっくりと開いたままで、だらだら溢れ出る血は一向に止まる様子がない。白い肌はすっかり青白く冷たくなり、その上から真っ赤に染まっていた。
(まずい……まずい……)
傷の一つ一つは大した流血でなくても、体の小さい私にとってこの数はまずい。
そんな風に意識した途端、自分が寒さに震えていることを理解する。
しかし不幸はそこで終わらない。
ミシッ……
重苦しく乾いた悲鳴をあげて、壁に細い線が刻まれた。
塔が崩れ始めたのだと、ぼやけた頭でもすぐに分かった。
「にげ、ないと」
奥歯を噛み締めて両足に体重をかける。膝や太ももがカクカクと震えるが、ここでのんびり立ち惚けているわけにはいかない。
もたもたしている余裕はない。
「にげないと……けほっ」
咳き込むと喉の奥から口の方へ鉄の味が散った。
口元を拭うけど、鉄臭さはいやますばかり。それはそうだ。手の方も血塗れなのだから。
「わたくしは、まだ、しねない……」
折角あの男を撃退したのに、結局死んでしまったのでは負けになる。
いや、それだけじゃない。それ以上に、死ねない理由がある。
私は、まだ何も返せていないのだから。
「返さないと……帰らないと……わたくしの……」
エレナにも、アクセラさんにも、他の新しいお友達にも。
私の新しい選択を認めてくれた人たちに、私はまだ何一つ報いていない。
あんなによくしてもらって、与えられるだけ与えられて、そのまま逝くなんて。
「そんなの、わたくしの、ほこりがゆるさない……そうでしょう、フラウ……」
随分と前に冥界神の御許へ旅立った、在りし日の乳母を思い浮かべる。
長い間、私のたった一人の理解者だった優しい老女。
今は違う。今はもう、皆がいてくれる。
「まけて、られないんですわよ……」
地上十メートル。たとえそれがこの体にとって長い長い道のりだったとしても。
一歩、踏み出す。螺旋階段に向けて、もう一歩。さらにもう一歩。そうすれば前に進む力が湧いてきて。
「感動的だなあッ、ええオラ!?」
「なっ……!!」
聞きたくなかった声が小部屋に響いた。
次の瞬間、左腕に何かが絡みつく感触がして、私はぐいっと窓辺へ引き寄せられる。
もう踏ん張って抵抗するだけの力はない。私は吊り上げられた魚のように跳ね、窓枠の石材にお腹を打ち付ける。
「ぐふっ……げほげほっ……!」
咳き込む私の前でジジッと空間に揺らぎが生じ、窓の外にあの男が染み出してきた。
「な、んで……」
それは最初に彼が姿を現したときと全く同じ光景で。
けれど透明化を可能にしていたトレンチコートの魔道具は破壊したはずで。
(まさか、あれもスキル……?)
今更ながらに自分がミスリードに引っかかったのだと気付く。
いや、しかし目の前の奇妙な光景に比べれば、そんなことはどうだっていい。
男の口は人間ではありえないほど大きく開いて、中から赤黒い触手のようなものが一本伸びているのだ。おそらくは舌……それが私の左腕に絡みついているモノの正体。
「テメエ、このガキ!ナニ浸ってやがんだ!?こっちは大怪我だぜ、おい!大怪我なんだぜ、こっちはよう!!」
どうやっているのか、舌を伸ばしたまま器用に男は凄む。
窓の外、壁に両手で張り付く彼の腹は黒い包帯が剥げ、肉が醜く千切れ、傷口が炭化している。大怪我というより、どう見たって致命傷だ。
しかし目の前にいるだけで皮膚がビリビリと痛むほどの怒気と気迫をたぎらせて、男に死ぬような気配は見受けられない。
「見ろよコレを!どうしてくれるんだよ、このまま不能になっちまったらよお、ええ!?クソ、肉に焼け付いて外れやしねい!!」
窓から体を浮かした男の下半身、股間に輝く銀のアーマーからはぶすぶすと煙が上がっている。至近距離で炸裂した灼熱にやられたのだろう。ナカミはきっと蒸し焼きだ。
そう思うとちょっとだけ溜飲が下がる。
「はぁ、はぁ、はぁ……ふっ」
小さく笑みを浮かべる。
男の顔からストンと表情が消えた。
彼は頬に開いた縦瞳孔の目で私をジロリと見つめ、低い声で唸る。
「テメエ……もしかしてもう犯されずに済むと思ってるんじゃあねいだろうな?」
男は片手を壁から離し、私の顎を掴んで爪を食い込ませた。
口元に今まで見たこともないくらいの憎悪と憤激の表情が浮かび上がった。
「舐めやがって、舐めやがってよお……いいか、いいかおい、ガキ!」
ぐいっと再び引き寄せられ、脇腹が窓枠に打ち付けられて異音を立てた。
稲妻のような痛みが鮮烈に迸り、ヒビが入ったことを知らせる。
「今からテメエの穴という穴をこの太い舌で穿って、犯して、どこもかしこも腕が入るくらいに壊してやる!!」
メキャッ!
力の籠った舌が容易く私の腕を折った。
「ぁああああああああああああああああッ!!」
喉から絶叫が飛び出す。激痛に思考が乱れ、体は意思に反して跳ねる。
「それから腹を裂いて、内臓全部引きずり出して、ナイフで刻んで食わせてやるッ!」
顎から離れた手が拳の形になり、反応できない私の顔に飛んで来た。
「ぐっ!!」
真正面からのパンチを鼻にくらい、ヅンと鈍い感覚と共に床へ倒れる。
体中の裂傷が、折れた腕が、割れたあばらが、何もかもが痛すぎて、もはや私は呼吸をするだけで限界だった。
音が遠退き、意識が薄れ、自分の命が抜け落ちていく。
(ああ……もうすこし、もうすこしだけ、つよかったら……)
窓から大きな蜥蜴のようにぞろりと這入ってくる男を見ながら、私は奥歯を噛み締めた。
(くやしい、な……)
下卑た笑みが、男の顔を支配する怒りの中から沸き上がる。
触手めいて長い舌が足にじゅるりと絡みつき、破れたハーフパンツの裾へと迫る。
爬虫類を思わせる目が、人間的にニタリと歪んだ。
「くるなら、くるがいい、ですわ……その、したを……かみきって、やる……」
もう諦めることはしない。最後の最後まで抵抗して、一筋でも多く爪痕を残してやる。
そう決意して真っ直ぐに男の顔を睨み返した、その時だった。
ドッガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!!!!!!!!!
あやふやになった感覚が飛び起きるほどの激烈な炸裂音と衝撃。窓から雷光が飛び込んできて、まるで災害のように壁と床の半分近くをごっそり粉砕したのだ。
それは自然には見たことのない、飴細工のような深いオレンジ色をした雷だった。
「ごぇっ……!?」
ブーツの底が男の腹を横から打ち据える。雷が回し蹴りを放ったのだと、黒包帯が壁を突き破って転落したあとに理解した。
「あ……」
奴がいた場所に、代わりに立つ新しい人影。雷かと思うほどのスパークを発するその人。
それは鬼だった。私がよく知る、優しい人の顔をした、一匹の鬼だった。
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