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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第35話 ヴェンデッタ

「こ、こちらです」


 女性職員に案内されて到着したのは、学院を囲う外壁に沿って建てられた建物の二階。来賓館とよばれてはいるが、外部からの数少ない来客を詰め込んでおくための待合所のような場所だ。

 目の前の観音開きには第七待合室と書かれたプレートがとりつけられ、その下には使用中の札がかかっている。


「……」


 ドアノブに手をかける前にそっと気配を探る。

 人数は一人。それもやけに薄い気配だ。


「マクサランド子爵は一人?」

「はい、あ、いえ!従者を一人お連れでした」


 慌てた様子で職員が答える。子爵の伝言への反応を見てから、彼女は俺のことを酷く恐れている様子だ。

 どれくらい恐れているかと言うと、貴族家当主との面会に俺が刀を引っ提げていても一切注意してこないくらいに。


「従者。どんな奴」

「ど、どんな……え、えぇと」

「やっぱりいい」


 まともな情報が返ってこなさそうだと、すぐに質問を取り下げる。

 本当なら来客をよく観察して安全かどうかを判断するのも、彼女たちの仕事なのだが。そんなことを言っても仕方のない輩であることはよくわかった。これ以上はいらん。

 代わりにポケットから銀貨を三枚取り出して差し出す。


「案内はもういい、仕事に戻って。何事もなかったかのように」

「え、で、ですが……あ、いや、なんでもありません!ありがとうございます!」


 流石に生徒から賄賂を受け取るのは拙いと考えたのか、彼女は少し迷った様子をみせた。だが俺が軽く睨みつけるとコメツキバッタのように頭を下げ、銀貨を受け取ってそそくさと逃げ去った。


(黙っておいて恩を売ろうかとも思ったが、流石にネンスへ報告だな)


 ああいう輩が学院で、それも正門の来客対応で働いているというのは、いくら何でも心配が勝つ。この一年間の不穏な情勢変化を受けてなおそれを許容している学院自体にも、色々とこの際にメスを入れてもらった方がいいだろう。


(友のためにも、弟のためにも。この先、俺がここにいられるか分からない以上、尚更のことな)


 そこで思考を打ち切る。

 背筋を正し、雨狩綱平の柄に左手を置き、右手でドアノブを掴む。

 力を入れてゆっくり回し、押し込んでいくと……むわっと血の臭いがした。


「ちっ」


 舌打ちしつつ生臭い部屋に入り、背後で扉を閉じる。

 そこは壁紙一つとっても刺繍が施してあるような実に貴族らしい部屋で、寮の応接室のようにローテーブルを挟んで大きなソファーが二台しつらえてあった。


「お待ちしておりました、アクセラ=ラナ=オルクス嬢」


 上座のソファーから立ち上がって慇懃に腰を折る若い男。

 中肉中背で茶色の目と髪を持ち、平凡な顔に平凡な微笑みを浮かべた、いわば没個性の塊のような奴だ。あまりに特徴がなさすぎて違和感を覚えるほどである。


(なるほど、変装と隠形の専門家か。いまいち覚えていなかったのは、あの職員が悪いわけではなかったと……で、あっちが子爵様ね)


 視線をソファーの端に移す。座ってぐったりと背もたれに身を預けている小太りの男がマクサランド子爵だろう。

 顔に見覚えはない。というか、顔がない。それは首ごと刎ね飛ばされ、部屋の隅で壁の方を向いて転がっている。

 やったときは盛大に血が吹き上がったのだろう。ソファーの布地はもちろんのこと、天井から壁から、頭の転がっている方向に向けて豪奢な内装が汚れ切っている。

 濃密な血の臭いはコレだ。


「過去最悪のお出迎え、どうも」

「喜んで頂けたようで感涙に堪えません。どうぞおかけに」


 一切変わることのない平坦な微笑みを浮かべたまま男は俺に着座を求めてくる。

 死体が転がる部屋で平然と振る舞う様は異様の一言だが、こちらもその位で動揺する人生を歩んでいない。勧められるがままに対面のソファーへ腰かける。


「回りくどいのは嫌いだ」


 相手も腰を落ち着けたところで真っ先に言い放つ。


「お前は誰で、なんの意図があってここに来た。その男はどうして死んでいる。伝言の意味はなんだ。何を企んでいる」

「私は招待状を持ってきました。子爵閣下は貴女を待つ間、あまりにうるさかったのでつい。それから伝言の内容は、貴女が思っているとおりです。何を企んでいるかは招待状を見て頂ければわかるかと……準備を致しますので、少々お待ちください」


 あくまで自分はメッセンジャーだと言い張るつもりらしい。

 俺の矢継ぎ早な問いかけにすらすらと答えながら、男は足元に置いていた鞄に手を伸ばす。敵意はあるが、その行動に害意は感じられない。


(急がば回れ、か)


 俺は大人しく準備とやらが整うのを待つべく、腕を組んで目を閉じた。

 手順を飛ばして目の前の男を痛めつけた所で、欲しい情報は手に入りそうもない。そういう厄介な空気をこいつは持っている。


(実力もそれなりにあるようだしな)


 強烈な力で首を引き抜かれて死んでいる子爵の死体を横目に捉え、そう結論付ける。


(しかしこんな得体のしれない敵が第二フェーズのことを知っているってのはな……)


 作戦が同時多発的な奇襲である以上、情報統制はかなり厳格に行われているはずだ。それが敵に知られているということは、作戦の成否だけでなく参加者の安否に直結する問題。


(こいつら、何者だ)


 ドニオンの派閥の残党だとしたら、情報を掴むなりとっとと尻尾を巻いて逃げているはず。

 なにせ悪徳商人にとっては保身と金が全て。追い詰められない限り国家と戦うなんて愚は侵さないだろうし、わざわざ繋がっていると分かっていて俺を呼び出し刺激する必要もない。余計なリスクを負うだけだ。


(つまりリスクを度外視できる、あるいはそれをリスクと思わない連中か……)


 一番に思いついたのは昏き太陽だ。連中の目的が何かは知らないが、今更ユーレントハイム王国からの敵視を気にするとは思えない。

 だが逆に言うとそれくらいしか考えられなかった。表立って国家を敵に回すという事は、よほどのことがない限り飲めるリスクではない。それがいかに面倒で過酷なことか、俺はよく知っている。


「お待たせしました」


 俺がつらつらと考えていると男から声がかかった。

 目を開く。ローテーブルの上には拳大の黒い水晶玉が二つ。それだけ。


(一体全体これを並べるのにどうしてそんな時間がかかるんだ)


 そう思いながら水晶玉を見る。ただの黒い煙水晶ではない。なにかしら魔法によって闇状のモノが封入されている様子だ。


「これは……映像記録の魔道具か」


 前世で何度か目にしたことがある。名前の通り景色と音声を記録しておいて、後で見るための魔道具だ。

 ただ俺が見たことのあるそれは直径が大人の頭くらいあって、しかも一つ買うのに城が立つほどの金を要した。とても招待状になど使える代物ではなかったのだが……。


「ご明察です、と申し上げたいのですが、惜しいですね」

「なに?」


 首を振る男に俺は視線を上げた。


「ご存じないのも無理がありません。それは映像記録を発展させた、映像中継の魔道具です」


 発展。その言葉に俺は薄っすら漂う技術の匂いを嗅ぎ取った。

 既存の魔道具を改良しようという動きはどこでもあるが、その性質を違う形で利用しようという発展の思考は、俺の領域(技術)だ。


「映像中継……どこかの景色をリアルタイムに届けるということ?」

「それがすぐに察せられる点は、さすがだと思いますよ。技術神の使徒殿」

「それも知っていると。本当に何者?」


 問いかけには答えず、男は片方の水晶玉に指先で触れた。魔力を流したのか、水晶玉に光が灯る。それは闇を染め上げながら内から外へゆっくり広がると、今度はまた中心へゆっくり収縮し、それを三度繰り返してから明確な景色を結ぶ。

 どこかの廃屋。おそらく机の上に置かれているのだろう。そういうアングルで部屋の中を撮っている。

 指が移り込んだ。持ち上げられ、ぐるりと回転する視界。そして映し出されたのは……オネエの顔だった。


『サップラァイズ!!』


 満面の笑みで声高らかに叫ぶド派手なピンク頭の美形。

 アシンメトリーなヘアスタイルから覗く耳に金のイヤーカフスが光る。


『久しぶりねぇ、アクセラ=ラナ=オルクス……半年ぶり、いえもっとかしら?なんにせよ待ち遠しかったわぁ。一日千秋とはこのことね』


 向こう側の水晶玉を持ち上げたのだろう。視点がぐっと高くなり、女男を上から覗き込む角度に変わった。おかげで奴の全身が視界に収まる。

 男の顔立ちに女の化粧をし、タイトなシャツとレザーパンツを身に着けた立ち姿。左の袖が虚ろに揺れ、片腕がないことを示していた。

 俺はその自己主張の激しいビジュアルに覚えがある。夏休みにスプリートで退治した凶賊「燃える斧」、その副頭だった人物だ。


「……ダルザ、だったっけ」

『あらやだ、覚えてくれてたの?感激しちゃうわぁ!』


 俺が記憶から引っ張り出した名前を口にすると、奴は芝居がかった様子で喜んで見せる。

 胡散臭い。メッセンジャーとしてここにいる男よりよほど個性的だが、同時に漂う胡散臭さもダルザの方がはるかに上だ。


(いや、そういえばこいつも諜報屋か)


 僅かに感じ取れる南方のアクセント。組織的な実験の形跡と窺える高い資金力。ユーレントハイムを実験場として荒らすやり方。そして技術の介在を臭わす発展型の魔道具。その全てがぼんやりと彼の背後にある国を指し示している。

 ジントハイム公国。神聖ディストハイム帝国の系譜に連なる中で最南に位置し、鎖国状態を維持しつつもユーレントハイムやロンドハイムと散発的な小競り合いを行っている血気盛んな国家だ。


「ん、なるほど。サボタージュには最適のタイミング」

『なんだ、アタシの素性まで見当が付いてるのね?でも残念、破壊工作じゃないわ』


 吐き捨てる俺に肩を竦めて返すダルザ。


『確かに生まれも育ちもジントハイムだし、工作員だったけれどね。この前ちょおっと方針の違いがあって揉めちゃったのよ。結果は退職金なしでクビよ、クビ。だから今のアタシは恋人の仇討ちに燃える一途な復讐者ってコト』

「お前の恋人など知らない」

『ああ、別にいいから。アンタが覚えてるとか覚えてないとか、どう認識してるとか、全部関係ないの。アタシはアンタを仇と定めて殺しにかかる。アンタは殺される。それだけのことよ』


 水晶玉の向こうのオネエは簡単な段取りの話でもしているように笑い、それから鳶色の目をそっと細めた。そこには理屈も利害もない、狂気にも通じる純粋な熱量が宿っている。

 コイツは本気で俺を殺すつもりだと、それだけで理解できた。


『先に言っておくけど別日に変更とか正々堂々タイマンしようとか、そういう代替案は受け付けてないわよ。伝言からもう分かってると思うけれど、今日王都でやってる催し物のことはバッチリ把握してるの。つまりこの日取りも含めて全部嫌がらせってこと!』

「どうやって知った」

『んふふ、企業秘密よ。でも一言だけ言うとすれば、ジントハイムと戦うのに既存の魔道具を使うのは止めた方がいいわねぇ。ウン百年前からある道具なんて、いくらでも裏をかけるんだから……ああ、技術神の使徒サマに言う事じゃなかったかしら!』

「……盗聴か」


 中距離通信魔道具が風の魔法で飛ばしている音声を、どうやってか拾い上げてやがったわけだ。それならこちらの情報が筒抜けなのも理解できる。


『あらやだ、バレちゃった!』


 俺の苦虫を嚙みつぶしたような反応が面白かったようで、ダルザは声を弾ませる。

 そして頬に堪えきれない愉悦を浮かべて歩き始めた。光の角度と色味が変わる。白い輝きは月光だろう。窓辺に立ったのだ。


『ほら、アレ見えるかしら?』


 そう言ってピンク頭は向こうの水晶をくるりと回転させた。右回りにスライドした景色はどこかの街中を映し出す。目論見を加味するなら王都のどこか。

 だが夜景は魔道具で中継するには暗すぎるのか、おぼろな輪郭しか見えてこない。

 何も見えないぞ。そう返してやろうと思った瞬間だった。


「……!!」


 白い線が夜を切り裂いた。落雷のような純粋な白の輝きが、一本の線となって斜めに夜景を切断したのだ。

 決して一瞬の出来事ではない。昼間から切り取ってきたような光量は収まることなく、まだそこに線を描いている。

 その激しい光は暗い空の中に聳える塔の姿を映し出す。突起や装飾に富んだ独特の立ち姿は富裕街にある水神神殿の浄化塔で間違いない。アレニカの狙撃ポイントだった。


『ド派手よねぇ。もう作戦は始まってるからって、ちょっと派手にブチかましすぎじゃないかしら。隠密作戦やってた身としてはあれこれアドバイスしてあげたくなっちゃうわ』


 花火の見物客のような物言い。けれど俺の頭にはそんな雑音、入ってこない。

 魔導銃の雷属性をあんな撃ち方する状況は想像ができなかった。明らかに作戦地点のどこかで何かが起きている。それもかなりの確率で、よくない何かが。


(方角はどっちだ!?)


 水晶玉を引っ掴んで覗き込む。

 だがいまだに終わらない最大出力のレーザー以外に光源はなく、浄化塔以外の建物は何一つとして把握できない。


『ああん、そうがっつかないで』


 再び視界が回転し、ぬっとピンク頭の顔が映し出された。


「あの攻撃は、その先にあるのは何?これも君の仕込み?」

『んー、イライラを押し殺した声もいいわね!でもまだ足りないわ』

「ゴチャゴチャ言ってないで答えろ!」


 バン!とローテーブルを叩く。頑丈な天板が掌の形に陥没する。

 だが目の前にいない相手にはそんな脅しは通用しない。

 むしろダルザは俺が腹を立てる様子を見てケラケラ笑ってみせた。


『あの塔の上、お友達がいるんでしょう?あんな凄い魔法撃って大丈夫かしら?心配よねぇ?もっと近くで見たいわよねぇ?うふふ、2カメ動かしてあげなさいな』

「はい」

「にかめ?何を……」

『アタシの部下が別の場所からの映像をお届けするのよ。まあ、見てなさいって』


 俺の前に座る男が水晶玉に手を伸ばす。ダルザの映る方ではなく、黒いままの二個目だ。予備機かと思っていたそれに魔力が流れると、やはり光が三度膨萎を繰り返し、そして像を結んだ。

 真昼のように明るい世界。音はなく、ただ真っ白に染まる小部屋が映っている。特徴的な青海波の彫刻が施された壁と走り回るパイプの数々。その中心に、窓に縋る様にして立つ小柄な少女の背中が見えた。


「アレニカ?ま、まさか……お前ッ!!」


 俺はすぐさまその光景の意味を理解した。

 手に力が入り、みしっと水晶が悲鳴を上げる。

 アレニカのすぐ後ろに、戦う彼女の背中に、初めからダルザの部下が潜んでいたのだ。


『あははははっ!!その顔!その焦った顔!!そういうのが見たかったのよォ!!』


 ピンク頭は水晶玉を覗き込んだまま身をよじって大笑い。

 ダンダンと長い足で床を踏み鳴らして喜びを露わにした。


「このッ……ぐ、うっ!?」


 胸の奥で突然の痛みが生じ、俺は言葉に詰まる。まるで冷めて固まっていたマグマが黒い殻を破ろうと鳴動しているような、何か破滅的なものを予感させる痛みだ。

 だが俺はそれをぐっと堪えて水晶玉の向こうの敵を睨む。


『状況を分かってもらえたかしら?今見せたのは開幕前のショー、その舞台袖。このお嬢ちゃんの所に居るのは、アタシの部下の中でも跳び抜けた接近戦と拷問のプロよ。アンタが来るまで丁寧に甚振るように命令してあるわ』


 メキメキと音がする。

 ドクドクと音がする。

 ゴボゴボと音がする。

 音がする。音がする。音がする。

 心臓の裏にべっとりと張り付いて黒く固まっていたモノ。

 そいつに罅が入った音が、脈を打ち始めた音が、中でナニカが煮え立つ音が。

 頭の中で音がする。


「止せ……ッ」

『よせと言われてよしてあげる道理なんてないじゃない?でも今から来ればショーが終わる前にはつくわよ。ああ、ショーの終わる前ってつまりアンタのお友達が死ぬ前にはってことね!んふふふふっ』


 頭と肩をゆらゆら揺らして馬鹿にした笑いを浮かべ、ダルザは再び窓の外を映した。


『ああ、ライトアップも終わっちゃったみたい。ショーの開幕までもう少しねぇ!』


 二つ目の水晶に視線を飛ばす。

 暗くなった部屋で銃を取り落としたアレニカが痛みにもだえ苦しんでいる。

 あれだけ長時間、最大出力で稼働させれば銃身はロッドの排熱で焼けてしまう。それを握っていた手は酷い火傷になっているはずで、痛みのせいか彼女は何度もベルトのポーションを取り出そうとしては失敗する。


(アレニカ……!!)


 胸の奥が強烈に締め付けられる感覚。

 同時に硬い殻が砕け、マグマが吹きこぼれるイメージが脳内に溢れた。


 バヂチッ……!


 ぎくりと目の前の男が身を固くした。

 だが水晶玉に映り直したダルザは哄笑と暴言の混じった聞くに堪えない言葉を垂れ流し続ける。


『ああ、もしショーに来なければ演目変更で裸にひんむいて凌辱するところを中継してあげるわ!最後は薬で頭をブチ壊してスラムにでも投げ込んであげようかしらね……あ、でもオンナノコが好きならそっちの画はむしろ興奮しちゃうかしら!?』


 凌辱の一言で俺の目に浮かんだのはシャーリー=シモンズだった。

 コンマ数秒の幻視に現れた初弟子の顔は、あの朝見つけた、冷たくなったときのそれで。


「貴様ッ!!」


 水晶玉越しに詰め寄る俺に、向こうも顔をぐいっと寄せた。


『ぶっ殺す?ぶっ殺したい?ぶっ殺したいでしょう!?ならここに来なさいよ、アクセラ=ラナ=オルクス!!』


 笑みが消え、整った顔に憎悪の形相が浮かぶ。

 その目に同じ表情をした俺が浮かんでいて。

 鋭い痛みが頭を貫いた。


「う、ぐぅっ、っるさい!」


 俺は水晶玉を机に叩き付け、天板にめり込ませた。

 跳ね上がる心拍数。暴れる魔力。俺の内側で竜が暴れているような、凄まじい破壊衝動。

 心臓の裏からだけじゃない。頭の奥や腹の底から、どこに隠していたのかと思う程の怒りが込み上げてきた。

 理性が反射的にそれを押さえようとし、全ての筋肉に電撃めいた激痛が走る 。


「ぐ、うぅぅううッ」

『もしかして『鬼化』かしら?『鬼化』でそんな風に一人でのた打ち回ってるのかしら?つい最近宿したんですってね。んふふ、無様ねぇ!』

「うる、さい……ッ」


 彼の言う通り、俺はいままさに内なる鬼を必死で抑え込んでいた。『鬼化』という特別に厄介な鬼を。


『あらごめんなさい、つい本音が。んふふふふ!ああそうだ、アンタ、これだけだなんて思ってないわよね?』


 二重の意味で奥歯を食いしばって睨む先、ダルザがぐにゃりと醜悪な笑みを作った。


『実は今回、アンタを歓迎するためにアタシってばカネもコネも全部つっこんだわけ!おかげで文無し、逃げ道(あと)無し、お先無しだけどぉ……でも代わりに一杯、目一杯、ヤバァイ仕込みができたわ!!』


 視点が下がる。ダルザが机に水晶を戻したのだ。

 隻腕が視界外から握り込める大きさの棒状の何かを掴んでくる。


『アンタのガールフレンドの方にはアタシの副官が向かってる。腕のいい暗殺者が何人かと、魔法使い殺しで通ってる裏の傭兵、連携上手の魔法使い、それから面白いヤツを連れてね!王族を襲撃するために用意してた戦力だから、バカにはならないわよ。ゴーサイン一つで動き出す、とびきりの抹殺部隊ってトコかしら……それを、えい!』


 赤いネイルの施された親指が物体の先端を押し込んだ。


「なにを、した……ッ」

『一回切りの信号送信装置よ。何の信号を送信したかは、言わなくても分かるわよね?』


 もちろん、とピンク頭は水晶を拾いながら言う。


『勲一等だもの、王族の護衛より強いかもしれないわ。油断してたら返り討ちかも!でも安心して頂戴な。アタシの準備の半分はあの小娘の情報を得て分析するためのものだったから』

「その、ていどの、ことで……!」

『あら?あらあらぁ?アタシもアンタと同じ技術屋よ?その程度だって見くびっていいのかしらぁ?』

「……!!」


 反発心だけで吐いた言葉に返ってきた奴の嘲笑に、俺は噛み割りそうなほど強く奥歯を噛んだ。


(そうだ、こいつは方式こそ違えど技術の徒……ッ!)


 それもおそらくはエレナと同じ、試行錯誤を好む研究者タイプ。

 連中の持つ技術力の高度さは目の前の道具類がはっきり示している。

 その一点において水晶越しに嗤うこのクソ野郎は、今までで最も厄介な相手なのだ。


「クソッタレ……いぎッ」


 メリメリと何かが肌の下を這い回る感覚に悲鳴が漏れる。

 だが視線は逸らさない。ダルザだけを睨み、意識を集中させる。

 そうすればするほど、怒りの内圧は高まっていくのだが ……。


『ああ、そうそう。一つだけ本当にいいニュース。エレナ=ラナ=マクミレッツは危なすぎるから弄ばず全力で殺しに行けって、あらかじめそう伝えてあるからね。少なくともネトラレの心配はしなくて結構よ?』


 血管をなぞる様に制御できない熱が走る。筋肉を震わせ、神経を焼き、指先まで根を張っていく。後にしろと、今は止めろと思っても意味はなさない。ひきつけのような振動が腕を襲い、手は何かを求めて指を広げる。


(落ち着けッ)


 精神に作用し、強制的に怒りを引き上げようとする『鬼化』。それを俺は必死に理性で抑え込もうと、天板に押し付けた水晶玉へかける力を強める。


(エレナは大丈夫だッ……信じると、信じられると、そう確信しただろう!?)


 だが些細な不安は拭い切れない。普段なら目を瞑れた懸念が『鬼化』によって膨れ上がり、制御不能の激情となって暴れ出す。


(だが、アレニカは?)


 彼女はまだ一人で任せられるほど強くないじゃないかと。そんな至極真っ当な指摘が浮かぶ。一気に理性の力が弱まっていく。


 バチ、バヂチ、ヂヂッ……!


 溢れ出た鬼力がべっ甲色の雷となってソファや絨毯を焼く。

 視界が広がるような、狭まるような、相反する感覚に酔いそうだ。


『あははははっ!効いてるわねぇ!?腹立ってるわねぇ!?止めに来なければガールフレンドとお友達は惨死、止めに来ればアンタ自身が暴走して街をぶっ壊すことになる!!あははッ!待った甲斐があるわ!だって、これって最高の二択じ』

「がぁああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 ダルザの声はそこで途絶えた。俺が奴の映る水晶玉を真っ二つに斬ったからだ 。

 水晶玉を押さえつけたまま横薙ぎに雨狩綱平を振り抜いていた。指のすぐ下で球体は綺麗に割断されている。一太刀で二つ、アレニカの映る方も両断してしまっていた。景色も音も、己の目に映るたった一つに絞られる。


「どう、ですか」


 風の音のする部屋に男の声がした。

 そう、風の音だ。嵐のただなかに居るように、強い風が渦を巻いている。

 炎の混じったような、やけに焦げ臭い風だった。

 それから雷。飴色の稲妻が風に踊った。


「む、向かって、下さるなら、わ、私の方で、馬車を、ごよ、よう、い……」


 俺の方を見上げる目が恐怖に揺れる。

 声も揺れている。カチカチ、カチカチと歯がぶつかる耳障りな音色も聞こえた。

 男の指が関節ごとにばらけてテーブルに散らばった。


「あ、あぁ……ッ」


 痛みよりも深い絶望を感じさせる、言葉を忘れたような息を口から垂れるそいつ。

 敵陣で一人殺してなお余裕の顔を浮かべていた工作員の面影はない。


「う、あ、ああああああああああ!!!!」


 耐えきれなくなったような悲鳴が部屋に木霊した。

 それを聞くともなく聞きながら、頭の片隅で冷静な部分が警鐘を鳴らす。

 王都に入れば戸籍抹消刑が待っているぞと。準極刑だぞと。

 そんなものに処されたという記録は王家との連携にも、その後の布教にも差し障る。

 違法奴隷の保護にも、技術の発展にも、影響を及ぼす。


(なにより……ああ、なによりそうだ)


 目を閉じれば瞼の奥に浮かんでくる家族の顔。

 ラナに、ビクターに、それにトレイス。ケイサルで俺を待つ、大勢の愛しい人たち。

 皆はどう思うだろうか。家を、関係を、戸籍に刻まれた確かな繋がりを俺が捨てたと知れば。

 ああ、きっと悲しむだろう。心の底から悲しんで、涙を流すだろう。

 今生の俺は、そう確信できるだけ愛されている。


(でも)


 でも、でも、でも。それが誰かを助けに行くためなら、きっと皆は怒ったりしない。

 俺の、私の、選択を、否定はしない。


「今、行く」


 斬。呟くころには男の悲鳴も止んでいた。

 俺は返り血に染まった制服のスカートを翻す。

 扉より早いからと、四角く切り抜かれた壁から外に飛び降りた。

 全身からべっ甲色に輝く雷光を発しながら、正門へと足を進める。

 刀一振り担いで。輝く角を生やして。


 ~★~


「うふふ、あれは来るわね」


 富裕街に建つ数少ない廃屋。その一室でダルザは深々と息を吐き出した。

 通信が途絶する最後の瞬間にアクセラが浮かべた、凄絶な怒りの表情を思い出して笑う。


「堕ちていらっしゃい、アクセラ=ラナ=オルクス。アタシのところへ」


 誰にともなく呟いて、それから音声通信用の魔道具を取り出した。

 仕込みの全てを起動する、その最後の命令を出す。


「ああ、長かったわ。ゼーゼル、アナタが死んでから九年……もうすぐ十年かしら」


 鳶色の目を細め、女装の美丈夫は部屋にたった一つの椅子へ腰かける。

 彼が手を伸ばした先にはワインボトル。真っ赤なネイルを施した指先でそれを手繰り寄せ、テーブルに置かれた赤銅色のゴブレットへと中身を注いだ。


「この国はホント、いいワインを仕込むわね」


 隻腕に握るボトルを細く装飾のないゴブレットへ持ち替えたダルザ。

 酒を口に含んでからゆっくりとその香りを楽しみ、それから嚥下した。


「今日のは格別にいいわ。当たり年ってやつかしら」


 ほぅと吐く息に甘酸っぱい芳香が混じる。

 秋ごろに雨上がりの葡萄農園を歩いているような気分にさせる、深いが爽やかな香だ。


「ソフィラワインだけでもこの国は侵略し、奪うに足る。よくアナタ言ってたわね」


 自分に酒の味を教えてくれた男のことを想う。

 葡萄の育成に向かないジントハイムに暮らす民ならではの言葉だ。

 ゼーゼル卿。彼の養い親であり、師であり、最愛の人でもある男がそれを口にしたのは、たしかエクセララでの潜入任務に赴く数日前のことだった。

 その時は今日のワインよりもずっと甘みの強いボトルを二人で空けた。そういう記憶がダルザにはあった。


「二人でジントハイムの技術を革新する夢はもう叶わない。研究も、予定も、将来設計もぜぇんぶパァ。リアリストのアナタならさっさと忘れて別のことに進めと言うかもしれないけれど……」


 赤い液体に視線を落とす。暗い紫を内に抱く水面には、うっすらと彼の整った顔が映っていた。くるりとゴブレットを回してその水影を打ち消せば、酒精と葡萄がふわり香る。

 鮮烈な色の唇を控えめな笑みの形にしたダルザ。彼はそれ以上の言葉を重ねることはせず、ただ一息で杯を乾した。


「時間ね」


 まるで幻のように、あるいはワインの匂いのように、空に解けるゴブレット。

 中身の残ったワインボトルを残して、復讐者は音もなく暗がりへと消えていった。


大変申し訳ないのですが、来週はお休みとなります。

詳しい事情は活動報告の方をご確認ください。


面白ければ励みになりますので、評価&いいね&感想頂ければ幸いですm(__)m

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― 新着の感想 ―
流石に高スペックな別勢力の乱入があったんだからアクセラの乱入も認めて欲しいものなのだけど…。 ただアクセラどうにか上の方の人に連絡取れないものか…許可得るまではいけないとしても連絡とってるだけですこし…
ゼーゼル卿って使徒化したときの変態だと思うけど 読み返すと謀略・技術開発が専門で門外漢のダンジョン内で 戦闘だったせいか全くいいところなくて(敵だしね) このオカマなんで惚れたんだろうと長いこと思って…
[一言] 急に怖い話になってドキドキしています。 鬱な結末は勘弁願いたいなぁ( •̀ㅁ•́;) 349話は戦闘シーンが躍動感があってよかったです(ヽ´ω`)
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