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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第31話 夜が来る

 ユーレントハイム 王国、王都ユーレン。

 春が来る時期のある平日の、太陽が傾いた頃。

 人々の欲望を糧に古い都へ根付いた悪を一掃すべく、その作戦は開始された。

 静かに、しかし迅速に。そして何よりも激しい熱を内に秘めて。


 ―無数の怒りと願いが絡まる夜が、じきに来る。―


 ~★~


「はぁ、はぁ、はぁ。思ったより、登るだけで、疲れますわね……!」


 長い長い螺旋階段を登り終えた(わたくし)は、担いだ荷物を床に置いて息を整える。

 ここはとある塔の上。四方に切られた四角い窓に硝子はなく、広大な空の青だけが見えている。吹き込む風さえなければ静かで美しい光景だが……。


「いえ、風の音が凄まじすぎませんかしら!?」


 自分の息が落ち着いてくると、途端にその強烈な音が気になり始める。びょうびょうと強烈な空気のうねりを感じさせる暴力的な音は、ともすれば自分の声も聞こえなくなりそうなほどだ。


(な、舐めていましたわ……まさか空の上がこんなにも風の荒い場所だとは!)


 この塔の高さは王都で標準となる二階建ての五倍くらい。並び立つ存在などほとんどない、異次元の高度だ。私は半ば反射的にどの窓からも均等に距離をとるべく、部屋の中央できゅっと身を縮こまらせた。


「た、高いのは苦手ではないといいましたけれど、これは流石に……」


 王都ユーレンで「聳え立つ塔」と言われて思い浮かべる建造物は三つある。

 この国の時刻を管理する魔道具、時告げの鐘が収められている王宮の時計塔。

 太陽の魔力を引き込み、神塞結界を維持する役割を持っている創世教会の祈念塔。

 生活排水や工業廃水を清め、王都の水源たるフラメル川の清らかさを守る水神神殿の浄化塔。

 私が今いるのは最後の一つ、浄化塔だ。より正確にはその最上階の小部屋。まあ、最上階といっても階段と床面以外は、壁を伝う大小のパイプと窓しかないけれど。


「うぅ。だ、大丈夫かしら……倒壊でもしたら、私、確実に死んでしまいますわよ?」


 そう考えると足場もなんだか頼りなく思えてきた。身の危険を覚えるほどに薄く、脆く、柔らかいような錯覚にぶるりと震える。

 しかしここは今日、これから始まる第二フェーズでの私の持ち場。アクセラさんが戦神神殿を通して水神神殿に依頼し、極秘裏に借りた絶好の狙撃ポイントだ。

 任されたエリアを一人でカバーできる場所はここだけで、それを変えてもらうわけにはいかない。まして逃げるなんて絶対に許されない。


「と、とりあえず準備しましょう」


 私にはここまで高い場所に立った経験はないし、たぶんある人の方が少ない。十階相当というのはそういう場所だ。

 本能的に震える手を開いて閉じて、ぐっぱとやってから装備の荷解きを始める。何か作業をしていないと心細くてやっていられない。


「わ、私の仕事は作戦エリアの監視、必要に応じた警告、それから狙撃による援護ですわね」


 広げた布に道具を並べていく。

 藍黒に艶めく長距離狙撃用の魔導銃、スワローズハントⅡ改。

 一昨日ようやく改修の終わった中近距離用の二丁魔導銃、スワローズダイブⅢ。

 直進性が強く弾速の速い雷と炎のクリスタルロッドに、護身用のカード型ロッド数種類。

 ゴーグル、望遠鏡、そして赤笛の魔道具が四つ。


「これが北で、これが南で……」


 赤笛は親機を吹けば子機が鳴るという連絡用魔道具だ。異常があればその方面の赤笛持ちに伝わるよう、符丁通りに吹くことになっている。

 それを笛に結わえられた布切れに書いてある通り、四方の窓の近くに置いてまわる。咄嗟に間違えないように。


「遠征企画の時に先生たちが吹いているのを見たから使い方は大丈夫。符丁も覚えたし、メモもありますわ」


 声に出して確かめながら着々と準備を進める。怪しまれないように武装をすべて外して教会に足を運んだので、ベルトなどの装備品も付けなくてはいけない。

 一つ一つを確かめるようにゆっくり終えて、最後にアクセラさんとエレナが作った透明化魔道具を起動。

 どこでも使える簡易版なので、私をすっぽり隠すことはできないけれど、それでも昼間でなければ下からは気づかれない程度に透明になれる。


「準備、万端ですわね……」


 終わってしまった。

 当たり前だが、準備は終わるものだ。もうすぐ作戦開始時刻を告げる鐘の音がなるだろう。本番、窓から外を監視する仕事がやって来る。

 いつまでも窓を避けて部屋の真ん中で、床に伏せながら過ごすわけにいかない。


「うぅー……ええい!冒険者は踏み出してこそですわ!!」


 私は奮起して両の足で立ち、エレナが配置されている西側の窓に近寄る。

 光の差し込む四角い開口部から空しか見えなかった外を見るべく。


「……!」


 ぐっと開けた視界に、その景色に、私は直前の恐怖を一瞬で忘れてしまった。

 十階建て相当という高さから見た世界は、それくらいに衝撃的な光景だった。


「……きれい」


 呆然と、そう呟く。

 夕暮れの街並みが角度の付いたオレンジ色の光に照らされ、影の中に美しく浮かび上がっていた。外壁の縁をかすめて帯状に広がる残照。雲も焼けるような色に染まって、初めて見るはずの景色に何故か胸が締め付けられる。

 ふと振り向けば東の窓の向こうにはおぼろな夜の濃さを含んだ空。もう一度前を向けば夕焼けの富裕街。その対比が言い様のないノスタルジアを覚えさせた。


(なぜか、切ない気持ちになりますわね……でも、幸せな光景ですわ)


 なんだか分からないけれど、そう思った。


(……そうだ、幸せな光景。こんな気持ちを、私は何より大切にしていた)


 私は昔から星が好きだった。星空を見上げるとちょうど今のような気持ちになる。どれだけ家族と上手くいかなくても、この世界はこんなに美しいのだと思えて少しだけ楽になれる。


(……きっと、同じ気持ちの誰かが待っているわ)


 この美しい光景を裏で汚す者がいる。この夕日の中、あるいはその陰に潜んでいる。

 その者達のせいで、夕焼けも満点の星も見ることもなく潰されていく命がある。

 そう思うと胸の中の寂寥感は強い義憤に塗り替えられていく。


「今日、それを少しでも正すのですわ……怯んではいけませんわよ、アレニカ=フラウ=ルロワ。いいえ、冒険者アレニ=フラウ。絶対に怯んではいけません!」


 パン!

 私は両手で自分の頬をはり、気合を入れ直す。そして魔導銃を担ぎ、こんどこそ四方の窓を全て確認しに動いた。

 仕損じは許されない。これは冒険者として、自由に生きると決めた者として、譲れない仕事だから。


 視線の先、夕日が外壁の縁に沈んでいく。


 ―信念を掲げる少女のもとに、夜が来る。―


 ~★~


 富裕街の中でも貴族街にほど近い一角。そこには白い壁と白い屋根を備えた美しい邸宅が一軒、柵に囲まれて建ってる。オーガスト伯爵の別邸だ。

 伯爵様は第一フェーズの現場指揮を執ったルオーデン子爵の親戚。わたしもアクセラちゃんも夜会で会ったことがあるが、賭け事好きの愉快なおじさんだった。

 その伯爵様から提供されて、いまここは摘発作戦の第四支部として機能してる。王都で一番大きな違法奴隷商と目されるバーガンディ商会を狙う、鏃のような役割を与えられて。


(もうじき日が暮れちゃうなあ)


 あてがわれた待機室でソファに腰かけ、カーテンの隙間を見てわたしはぼんやり考える。


(ニカちゃん、位置についたかな)


 彼女の持ち場は富裕街の作戦エリアの三分の一が見渡せる水神神殿の浄化塔。きっともう登ってはいるだろう。空でも飛ばない限りなかなか経験しない高さだから、怖くなってないといいけど。


(他も、きっと準備が整ってくる頃だ)


 今回の作戦は貴族街、富裕街、一般街に新市街と四つの場所で一気に発動される。対象となる違法奴隷商の拠点は大小合わせて二十ちょっと。

 貴族の邸宅も三つ含まれてて、そっちは近衛騎士団が担当。作戦本部を監督してるランバートさんとは別の人が率いてくそうだ。

 他にも厄介そうなところには一押しの戦力を投入して、今夜中にあらかた決着させるつもりでいるらしい。


「ふぅ」


 わたしはそっと息を吐いて、立ち会がり、運び込んでもらった姿見の前に立つ。

 革のブーツ、青いスカート、白いシャツにレザーコルセット、ブレストプレート、最後にアクセラちゃんからもらったブルーグレーのケープ。いつも通りの冒険者装束だ。


(……何回確認すれば気が済むんだろ)


 自分でも呆れる。

 学院を出るときも、この支部にこっそり合流したあとも、数分前も見た。何度も何度も、繰り返し確認してる。けど、気になってまた鏡の前に立ってしまう。まるでデート前のように。


(忘れ物もないし、武器の状態も良好。これ以上、準備できることなんてないよ)


 そう言い聞かせながら、わたしは入念にチェックする自分を止められないでいる。

 左手にはすっかり手に馴染んだ相棒、大魔杖キュリオシティ。木肌もクリスタルも磨き込んで、一年も経ってないのにすっかり歴戦の風格だ。

 交差させて巻いた二本のベルトはずっしり重い。固定してあるのは薬品や種の入ったポーチと、専用ケースに入れた宝珠が予備含め八機。それと後ろには大ぶりなナイフ型魔道具、ソーサラーズブレードⅡ。

 スカートの下、太ももにはアクセラちゃんを真似て短剣が一振り。

 肩掛けの冒険鞄には駄目押しの爆裂クリスタルとブースト用クリスタルがぎっしり。

 並みの魔法使いなら重くて音を上げるくらい、徹底的で偏執的なほどの完全武装だ。


(……うん、重い)


 本当の重量もだけど、ぜんぶが心臓に直接のしかかってくるような嫌な重さがあった。


 コンコン


 鏡の前でファッションチェックを終えたわたしの耳に、扉を叩く音が聞こえた。


「どうぞ」

「失礼するぞ」


 一言断ってから入ってきたのはここの指揮を担当するルオーデン子爵。

 魔導騎士団の正装らしい黒と銀の騎士服に装飾性の高い軽鎧をつけ、手にはキュリオシティに迫るサイズの真っ赤な魔法杖を携えてる。

 第一フェーズのときは身体強化だけして拳で戦ってたと聞いたけど、このぽっちゃりした外見のとおり本分は王道の魔法使いみたい。両方いける魔法使いは珍しいけど、騎士でもあるならおかしくないのか。


「……砦でも落しに行くような装備だな」


 子爵様はわたしの重武装ぶりに髭の下で唇をひくつかせた。

 それもそのはず。魔力が感知できる同業者には、とんでもない量のクリスタルを抱え込んだわたしは火薬庫に等しい。六属性を使い歩きまわる火薬庫なんて、目の前にいるだけで冷や汗モノだ。

 それに実際、今のわたしが本気になったら小さな砦くらい落とせる。兵法書で一番ポピュラーな魔法の運用は、圧倒的攻撃力による一方的な面制圧。そういうことが一人でできるレベルの装備だと、わたしは自負してる。


「砦は落としませんけど、それくらいの気持ちで挑もうと思ってます」


 真面目腐った返答に彼は変な顔をして、やれやれと首を振って見せた。

 わたしを通り過ぎ、ソファにどっかりと腰を下ろす子爵様。彼は向かいを指して「座り給え」と言った。

 素直に従い、鏡の前を後にする。


「不安かね」


 端的な質問だ。

 彼はわたしの重武装をそう解釈したらしい。そしてそれは……間違ってない。


「……はい」


 どう答えるか迷ったのは一秒にも満たない時間。

 わたしは儀仗用の槍のような魔法杖を膝に横たえ、両手でぎゅっと掴んで頷く。木肌に引かれた魔法金属の導線が指先に触れ、ひんやりとした温度を返した。


(……)


 本当なら依頼を受けた冒険者のわたしが、騎士である子爵様に素直に答えるのはいいことじゃない。怒られるかも、侮られるかも、馬鹿にされるかも。そんなことを思いながら上目遣いに相手を見る。

 背もたれに体を預けたぽっちゃりおじさんは天井を見上げて、息を吐きがてら「ふぅむ」と唸った。


「本音を言おう、儂も不安だ」

「……え?」


 意外な返事に目を丸くする。


「儂はこれでも武闘派でな。魔法だけでなく拳、剣、槍とそれなりのスキルを一揃え修めている」


 子爵は「これ」と言ってお腹をパンパンと叩いて見せた。


「しかし魔導騎士団は基本的に仕事がなくてな。実戦の経験はそう豊富ではないのだ」

「そう、なんですか?」

「うむ。街中で犯罪の取り締まりをするには強さの質が難でな」


 魔法抜きだと正規騎士団より弱いが、魔法込みだと圧倒的に強い。それが魔導騎士団の力量だと子爵様は言う。


「それに全員がそれなりの家柄の貴族だからな、現場での扱いが面倒なのだろう」


 かといって戦場に投入するほど、国境線の小競り合いは激しくない。下手に刺激して藪蛇になるもの困る。


「主な仕事は魔物の討伐だが、他の騎士団や冒険者、ときには師団とも取り合いになるからあまり回ってこない」


 結果、実力とプライドはあるが経験の少ない集団が出来上がってしまう。

 聞くだけで頭の痛い、というか頭の悪い話だった。


「組織の中で名誉を奪い合うようなつまらん職場だ。性根が腐っておる。そしてそういう輩は腕も相応に落ちぶれていく。フィクラ男爵がいい例だ」


 奴は正規騎士団だったが、と付け加える子爵様。

 フィクラ男爵とはつまりベルベンス先生のことで、確かに彼は性根も腕も腐ってた。少なくともわたしは彼を脅威だと思わなかったし、アクセラちゃんなんて路傍の石としか見てなかったと思う。


「儂は腐った覚えなどない。あんな職場だが、真面目に鍛錬をし、書類仕事に向き合っておる。たまにワインは嗜むがな」

「え?いや、はい……」

「酔わない程度にな。だが腐った果実と並べて置かれた果実は容易に腐る」


 天井のシャンデリアを見上げたまま、赤い杖でトントンと床を鳴らした。


「腕は鈍っていないか。目は曇っていないか。魔法に揺らぎはないか。本当にこの大役をこなせるのか。バーガンディを取り逃がしたらどうする」


 トントン、トントン。

 つらつらと不安を挙げる彼の拳に骨が浮かぶ。杖を強く握りしめたのが分かった。


「失態を演じたとき、自分の椅子を尻で磨くしか知らん同僚ならどうするだろうか。あるいは高潔な騎士なら、フォートリン伯爵やシーメンス子爵ならどうするだろうか。儂はどちらだろう。腐った酢か、芳醇なワインか……そんな不安が拭えないでいる」


 声にも苛立ちがまじって、それに子爵様が心底の不安を覚えてるのだと物語る。


「儂には君の不安が、儂の抱くそれと似ていると見えた」


 天井を見上げるのを止め、子爵様はわたしを見てそう言った。


「この前の作戦のあと、陛下から直々に君たちの事情を明かされた。使徒のことも、下される王命のこともな」

「……!」


 その告白にわたしは驚くと同時に納得する。

 あれだけの光景を目撃したのだから、それはそうだろうと。他の軍人さんならまだしも、指揮官だった彼には知る権利がある。


(怒られる、かな)


 作戦を失敗寸前まで追い込んだのは、言い訳のしようもなくアクセラちゃんだ。そのことは本人やニカちゃんに言われるまでもなく、わたしもよく分かってる。

 そのことで一言二言もらうかも。そう身構えるわたしに子爵様は優しく微笑んだ。


「そう身構えずとも、責任を問うつもりはない。あれはもともとテストケース、本番ではないからな。当初より失敗する可能性も考慮していたのだから、最悪の事態ではない」


 それよりも不安の話だ。そう彼は続けた。


「君はアクセラ嬢の乳兄弟であり専属侍女だ。しかもか弱い乙女ではなく、一騎当千の魔法使い。愛する半身を守るため心を砕くのは当然のことで、王命という自分ではどうしようもないコトに脅かされる現状がストレスなのも想像に難くない」


 すらすらとわたしの状況と心情を言い当てられる。

 簡潔で、けれど取りこぼしのない推測だった。


「儂の不安も、君の不安も、根は同じだ。己に誓った己の在り方を貫けるのか。貫いた結果を示せるのか。そういう不安だ」

「どうすれば、いんでしょうか」


 トントン、赤い杖が床を打つ。


「そうだな……目の前の問題に集中しすぎないことだろう」

「集中しない……?」

「やるべきことに集中するのは慣れれば簡単だ。それに正しくもある。そこが落とし穴になる。つまりな」


 ルオーデン子爵は杖にしっかりと体重を乗せ、身を乗り出してわたしの目を覗き込んできた。レメナ先生やヴィア先生、コルネ先生……わたしを導いてくれる偉大な魔法使いの先生たちと同じ、深い湖の真ん中のような穏やかな瞳。


「不安に思うことから目を逸らすな。特に我々魔法使いは火力を頼みに暴れているとき、いよいよ嫌なことから目を逸らせる。あれほどの全能感はなかなかない。ついやってしまいがちだ」

「……けど、魔法の極意は慎重さと多彩さ」


 まさに先生たちの言葉を思い出して口に出すと、彼は深々と頷いてくれる。


「その通り。そして我々は後衛だ。剣を交え合う前衛と違い、視野を広く保つことができる。その責任がある。だから広げた視野に己の不安を少しだけ捉えておきなさい。そこに正論を見出すのがコツだ」


 目の前のことに集中するという正論に対して、集中しないことの正論をぶつける。そうして自分にブレーキをかける。それが子爵様の言うコツ。

 わたしがその言葉を理解し、受け入れるために黙っていると、彼は再び背もたれに体を預けて深く息を吐いた。緊張を解くように。


「君はラルクナーの、異端者メルケの生徒だったろう?」

「え、先生をご存じなんですか?」

「ああ、まあ、同じ騎士団だからな」


 子爵様は自分で切りだしておいて、なんとなく曖昧な返事で濁した。


「あまりいい思い出がないなら、老人の懐古話と聞き流してくれ。団に居た頃のあれは、真っ直ぐで正義感の強い馬鹿な男でな。力の意味を常に己に問うような男だった」


 吐き捨てるような言い方。ほとんど貶しているに近い言葉選び。でも声には懐かしむような、寂しがるような色が混じる。


「奴は周りが腐敗している事実を受け入れられなかった。ただ一心に己の正義を信じ、力の意味を信じ、そして当然のように裏切られて挫折した」

「それは、本人から聞きました」


 団長が退団して、次の団長か副団長かの席を巡って他の候補にハメられたと。冤罪をかぶせられ、同僚は口裏を合わせ、証人は暴力で捻じ曲げられて。


「他の連中が正しいとは思わん。腐敗は腐敗だ。だが現実と乖離した理想を抱く行為は、不安から目を反らすだけの愚行だ。正しさに打ち込んだところで不安も腐敗も消えてなくなりはしないからな」


 繋がる話題。

 子爵様はわたしに、ああはなるなと言いたいんだ 。


「ハッ、まったく。そんな愚直さを教えたつもりはないというのにな……」


 最後に彼はそう呟いた。

 教えた。その言葉に目を丸くすると、子爵様はばつが悪そうな顔で後ろ頭を掻く。


「喋りすぎたな。まあ、この話はいずれまた」


 わたしがそれ以上何かを問うより早く、コホンと咳ばらいを挟み、子爵様は杖を頼りにソファから身を起こす。


「そろそろ作戦開始だ。儂は軽く挨拶をせいと言われておるから行くが、エレナ嬢も初動の要。ともに来てくれるな?」

「えっと……はい、子爵様」


 頷いてわたしも席を立つ。

 身に着けたクリスタルの重さは相変わらず。でも心臓にのしかかる様な感覚は、不思議ともうなかった。


「結構。さてさて!慎重に、厳かに、しかして大胆に。最高級のソフィラワインのコルクを抜くような心で、いざ我らの大一番へ」


 ニヤっと笑ってそんなことを言い、裾を翻して出ていく子爵様。


「慎重に、厳かに、大胆に……うん」


 不安から目を逸らすな。不安に飲まれるな。ただ視界の端に捉えて、意識する。

 言うは易く行うは難しだけど、ルオーデン子爵の話はすとんと胸に落ちてきた。


「わたしは……わたしが、アクセラちゃんを守る」


 自分が自分に誓う想いを、何度目かの決意を言葉にする。

 トワリのときは守り切れなかった。第一フェーズでもそう。

 今度こそ、わたしの力でアクセラちゃんを守って見せる。

 命だけじゃなくて、立場も、思いも、願いもだ。


「迷うな、わたし。戦え、わたし。もう負けるのは、嫌だから」


 行こう。わたしは廊下へ向けて一歩を踏み出す。

 背後でカーテンの隙間から差し込んでいた光が、すっと細って消えていった。


 ―誓いを確かめる少女の下に、夜が来る。―


 ~★~


 すっかり学院を囲う外壁に遮られて夕日が届かなくなった窓辺。

 闇に沈むというほどではないが、明るいとはいえないくらいの薄暮れ。

 ブルーアイリス寮のやけに静かな自室で一人、俺はすることもなく空を見ていた。


「もうそろそろ、かな」


 同年代の少女よりは少し低めの声がベッドルームに虚しく響く。

 この後の俺の予定はシンプルだ。食堂に下りてマリアと夕飯を食べ、ここに戻ってきて図書館で借りた小説を読む。一区切りついたらベッドに潜り込んで眠る。それだけだ。


(一人で寝るのは久しぶり、でもないか。入院中もそうだったし、半年前にはトワリの砦で寝泊まりもしたな)


 思考を追いかけるように視線を巡らせ、ベッドを見る。出発前にエレナが整えてくれたシーツはピンと張っていて気持ちがいい。

 毎晩そうだから忘れてしまいそうになるが、誰かが綺麗にしてくれたベッドで寝られるなんて昔は考えられなかった贅沢だ。ぐちゃぐちゃの万年床どころか、大地がベッドで着ている服が掛け布団なんてザラだったから。


(ああ、でもこのサイズのベッドで一人寝は久しぶりだな)


 貴族のベッドは無駄に大きい。この部屋のものだって、いつも二人で寝て余裕。ときには三人で寝るが、それでも朝にベッドから落とされているなんてことはない。

 こんな広いところで一人というのは、夏前にエレナと喧嘩したときくらいだろうか。領地に居た頃も二人で寝ていたので、数えるほどしか経験がない気がする。


(ちょっと寂しいが、仕方ない)


 明日になったらエレナもアレニカも、吉報を携えて戻ってくるだろう。

 たった一晩の孤独だ。むしろ新鮮でいいかもしれない。


「……」


 そんな風に思ってみても、胸の奥でざわつく感情は抑えられなかった。


(不安はないはず)


 エレナはあれでBランクの、銀のカードに恥じない一流の冒険者だ。知識と戦闘力だけでなく、経験と覚悟と気転の良さまで備えたベテラン。一人で遠近こなせ、生存能力も高い。

 指揮官は人柄も腕前も前回の一件で信用できると判断したルオーデン子爵。証拠の残りにくい氷魔法で扉をこっそり固定するなんてこすっからい作戦を出してきた彼なら、幅広く深さもある彼女の能力を遺憾なく引き出してくれるだろう。

 アレニカの方は、たしかにベテランとも一流とも言い難い。火力はあるし才能は抜群だが、いかんせん日が浅いからセンスも知識もまだまだ。肉体能力は大分上がったが、それでもやはり女子供とあしらわれ得るレベルにある。

 だが役割は高所からの一方的な観測と狙撃で、配置は直接的な危険と縁遠い。そうなるように俺が手配した。もちろんネンスも二つ返事で対応してくれた。


(不安はない。ああ、ないとも。だが、そうなるとコレはなんだ……)


 胸がざわつく。怒りに似たざわつきだ。

 違法奴隷商の摘発。それが行われている中で、一人安全圏に居る。この事実が俺の中の『鬼化』を刺激しているのだろうか。

 けれど頭に浮かぶのは二人の顔ばかりで、奴隷や奴隷商のことではない。


(何かを読み違えている?それとも虫の知らせの類か?)


 ムカムカする。ひどくムカムカする。

 だが、今さら何ができると言うのだ。どうあがいても明日の朝、二人が返ってくるまではなにもできない。

 王都に入ることは禁じられているし、いまここで王命に背くのがいかに愚かなコトかくらい馬鹿な俺でも分かっている。


「……長い夜になりそう」


 オレンジが藍色に呑まれていく。一日の終わりだ。

 その空を見て、俺はゆるゆると息を吐いた。

 太陽は場所によって意外と異なって見える。エクセララで見るのと、ユーレントハイムで見るのと、色も輝きも不思議なくらい違うのだ。

 けど夕日は別。夕焼け空はどこで見ても同じで、それが暮れていく速さもやはり同じだ。


 リン……リン……リン……


 動く気にもなれずただ空を見続けていた俺の耳に、ドアベルの音が届く。


「マリアかな……ちょっと早い気もするけど」


 いつまでもぼんやりしていても仕方がない。

 何度目かの思考に、俺はようやくの思いで窓辺を離れた。


 最後の輝きが壁の向こうへ消える。

 藍色はやがて紫紺に変わり、一日が終わりを迎える。


 ―使徒の下にも、夜が来る。長い長い、夜が来る。―


新作3万文字ほど書いたのです、技典に使いたいネタも結構思い浮かびました。

ちょくちょくフィードバックしながら、プロットを熟成させております。


面白ければ励みになりますので、評価&いいね&感想頂ければ幸いですm(__)m

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