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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第30話 モラトリアム

 王宮 の奥深く。違法奴隷商摘発作戦の期間中の王宮警備についてという大変重要な会議を終えたズティーユは、国王の執務室へ真っ直ぐ向かった。

 軽くノックして入ると、部屋にはその主である国王と宰相の姿が。


「ズティーユか。どうであった?」


 彼を認めるなり、書類から顔を上げることなくユーレントハイム王ラトナビュラは問う。

 会議のことでないのはズティーユもよく分かっている。そんな些事は有能な部下に投げておくのが王の在り方だ。

 では小娘とその親の仲を取り持つのが王の仕事かと言われると、小娘が使徒であることを加味してなおいささか微妙な顔をせざるを得ない。

 とはいえ見た目に老いが現れるほど長く生きたエルフは、そんな野暮を一々指摘することなどしない。彼は己の頤に指をあてて「ふむ」と気難し気な息を漏らすにとどめた。


「そうですな、陛下が思い描かれる親子の時間ではなかったかと。概ね穏やかな雰囲気で会話しておりましたが、弾んだかと問われますと……いえ、弾みはしましたか」

「嫌になるほど含みだらけだな。それで、何か気になる話は?」

「ございました」


 アクセラとアドニスの間で交わされた不穏な会話について、ズティーユは忠誠を誓う王と盟友である宰相に語って聞かせた。特に最後の方、オルクス伯爵夫人の顛末とアドニスの執着については入念に。


「……血に眠る力ときたか」


 その内容にラトナビュラは顔をあげる。それから宰相と二人、互いに視線を交わし、目の奥あたりに鈍痛を覚えるような渋い表情を浮かべた。


「陛下、血とくれば……」

「ああ。十中八九、ザムロ家が極秘裏に進めている何かしらの実験であろうな」


 四大貴族が一、ザムロ家の固有ジョブは『血盟の支配者』という。血を媒介とし、血統に契約を刻み込むことができるジョブだ。

 建国王の時代にそのスキルで独自の貴族制度を作り上げ、国家の礎を築いたのがザムロ家の公爵家たる所以。だからこその血統主義であり、代々の血への執着は凄まじいものがある。

 その歴史と性質を知っている者が今の話を聞けば、ザムロとオルクスの間で何があったかはすぐに察しがついた。


「血に眠る力とやらを引き出すために実験を行い、その結果としてオルクス伯爵夫人を死……ではなく、脳死だったか?その状態に追いやったのであろうよ」

「伯爵家の子供たちと奥方の死の時期が符合しませんが」

「ザムロの『血盟の支配者』だけでも謎の多いスキルなのだ。そこに脳死なる状態、トワリの生体錬金術、悪徳の総合商会のごときドニオンの存在まで絡んでおる。どんな奇妙なからくりが飛び出しても不思議ではないわ」


 国王の深い嘆息は、スキルという人類には馴染み深くも未知に溢れたモノに頼る以上、全ての為政者が抱える根本的な悩みに根差していた。彼の言葉の通り「何が出て来ても不思議ではない」のだ。


「まずは十八年前、ザムロ派の貴族から不審な死者がなかったか調べさせましょう」

「そうしてくれ、バハル。ズティーユは薄暮騎士団を率いてザムロと、それからトワリ領を今一度調べよ」

「トワリ領?ああ、なるほど。公がトワリの鎮圧に食い込んできたのはそういう」


 眉間を揉み解す王の命令に、エルフの超越者はすぐ意図を察する。

 トワリ領への派兵の際、軍部を引退した身でありながらザムロ公爵が乗り込んできて指揮を買って出た。その目的が生体錬金術の研究目的だったのではないかと、王はそう睨んでいるのだ。


「承知いたしました。失点続きですから、そろそろ挽回させて頂きましょう」


 ズティーユはローブの中で肩を竦める。

 魔獣との交戦に加え先日のドニオン暗殺事件で少数精鋭の手勢を失い、暗部としてやや肩身が狭くなるほど薄暮騎士団は弱体化していた。王都での諜報、防諜すら思うようにいかずトライラント家の手を借りる有様である。

 この辺りで挽回をというのは彼の偽らざる本音であった。


「他に気になることは?」

「後ほど報告書に纏めましょう。色々と興味深い話がありましたので……ああ、しかし一つだけ。『鬼化』と『怒り』の性質ですが、アクセラ嬢の報告通りだと思われます」


 さらりと添えられる重要なフレーズに王と宰相の目が再び鋭くなる。


「伯爵も『怒り』を所有しているのではという疑惑が、かねてよりございました」

「彼の癇癪は有名でしたからな」


 バハルの同意にズティーユは頷きつつも「ところが」と続ける。


「今日は全くと言っていいほど、その発露が認めらず。スキルの原則は進化、変化はすれども消滅はせずですので、それに従えば『鬼化』へ至ったものと思われます」


 また王と宰相が仲良く頭痛顔になる。


「厄介な話しか出てこんな……」

「トラブルはせめてもう少し分けて起こってほしいものですな」


 だがこの報告は三人にとって意味のあるものだった。

 アクセラがもたらした『鬼化』に『怒り』のような沸点の低下、苛立ちといった症状はないという報告が正しかったと分かったからだ。朗報である。

『鬼化』持ちが誰も彼もベルベンスのように些事で怒り、諫められてなお怒り、はては角を生やして暴れまわるのでは為政者は堪ったものではない。もしそうならアクセラ一人の対処でも、その難易度は王宮の手に余るものとなっていたかもしれない。


「アクセラ嬢にも『怒り』の特性は見られず、いたっていつも通りでした。それはそれで奇妙な話ですが。オルクス伯爵は彼女の『鬼化』の琴線であると目される、違法奴隷問題の象徴的な人物ですから」

「それはそうだが、悪い方向の意外性ではなし。陛下、その件は一旦保留でよろしいのでは」

「うむ、緊急性の高いものから対処する必要がある。アクセラについては摘発作戦からの除外のみで終わらせよう」


 ラトナビュラ王の口から結論が出た直後、ズティーユの笹穂のような耳がぴくぴくと動いた。


「……噂をすれば影。ザムロ公爵が接近中です。大方、アクセラ嬢を招いたことへの抗議かと」

「はぁ。いいかげん落ち着きという物を覚えてほしいものですな」

「無理であろう」


 古馴染みの二人は疲れた様子で溜息を吐く。


「ひとまず実験の件は知らぬ態で進めるぞ。よいな」

「もちろんです」

「では私はこの辺で」


 ズティーユはそう言うと壁の絵画を横にずらし、現れた隠し通路に逃げ込んだ。

 執務室の扉が荒々しくノックされたのはその直後だった。


「入れ」


 絵画が元の位置に戻るのを見届けるなり、ラトナビュラは扉に声をかける。

 途端、蝶番を弾き飛ばすような勢いで左右の戸板を押し開いて老境の偉丈夫が乗り込んでくる。


「陛下!どういうことです、アクセラを登城させるなどと!!」

「怒鳴るな、ジョイアス。余の耳はまだ遠のいておらんぞ。それとせめて挨拶くらい申せ、示しがつかぬわ」


 戦場の隅から隅まで轟くと噂の落雷じみた声量に辟易としつつ、無礼な臣下を王は睨んだ。が、公爵の方は相当頭に血が上っているのか、よく焼けた肌を赤く火照らせてのしのしと執務机の前まで進軍する。


「あの者は『鬼化』を宿しておりいつ暴れ出すか分からぬと、そう申し上げたはず!陛下御自身もそれをお認めになったからこそ、遠ざけるべく王命をお出しになった!!そう記憶しておりますが!?」

「怒鳴るなというに。それにそういきり立つものではないぞ、ジョイアス。其方はもういい年なのだ、血管が切れてしまってはコトだ」

「陛下!!」


 豪鎗を長年振り回してきた大きく厚い手のひらがどしんと執務机に落ちる。

 叩きつけたわけでもないのに重い衝撃が生まれ、書類が風圧にふわりと浮き上がった。


「陛下、あまりこの老骨を弄んでくれますな」

「弄ぶなどと人聞きの悪い。其方が作戦の成功と余の安全を思って強硬に、もとい熱心に進言してくれたがゆえに、余はそれを受け入れた。其方の記憶の通りだぞ。もちろん王命も発布した。そうであったな、宰相」


 歴戦 の将が放つ威圧を物ともせず、王は隣に控える宰相へ顔を向け訊ねる。

 宰相は宰相でそれを受け、柔らかな微笑みを浮かべ深々と腰を折って臣下の礼をとる。


「仰る通りでございます。私は確かに陛下の命を受け、書状へ『禁足を破りしときは、陛下の名において抹消刑に処すべく裁判にかける(・・・・・・・・・・)』としたためました」

「ふむ、結構結構。しかし本当にぬかりはないか? 」


 ラトナビュラがはこれみよがしの懸念顔を作り、立派な髭をふさふさとしごいて見せる。まるで考え込む賢者のような、実に思慮深そうな仕草だ。それから片目を瞑って疑るような視線を己の右腕にやった。


「そういえば先日もそなたの書状には脱字があったが」

「おお、これはお恥ずかしい」


 まるで己の不甲斐なさを恥じ入るようにバハルは胸に手を当てて顔を歪めた。


「いえ、確かに思い返せば刑に処すと書いてしまった気も……いやいや、私も大概いい歳になってしまいましたからな」


 彼はすぐにいつにない陽気な笑みを浮かべなおし、己の額をぺちぺち叩いてみせる。

 なんともまあ、呆れるほどの茶番劇だ。


「ぐっ」


 これ見よがしの三文芝居を繰り広げる主君と盟友に、ザムロの額へ青筋が立つ。

 だが彼にそれを糾弾する資格がないことは、なにより彼自身が理解していた。


 先日、遠く学院でアレニカが首を傾げた通り、たとえ国王であっても裁判を経ずに準極刑を運用することはできない。だがそれを目的とした裁判を起こすことは可能であり、王命の罰則にその旨を明記することもできる。

 問答無用で執行するように書き間違えても(・・・・・・・)、裁判は省略できないので結果は変わらない。王家は堂々と裁判を戦うだけだ。たとえ過去判例から考えて負け確実の裁判だったとしても。

 書類の不備をあえてつくり、相手に誤解を与え、なにがあっても王都に近づかないよう牽制する。使徒という法の外の存在に取れる最大限のコケ脅しが先の王命であった。


「こんな馬鹿馬鹿しい手まで使って遠ざけたのだ、我ながら十分な対応だと思うがな」

「ぬぅ」


 作り物の表情をひっこめて王は公爵を見上げた。

 イエロートパーズの瞳に宿る支配者の風格に、負い目のあるザムロは一歩下がる 。

 しかしすぐさま気勢を取り戻して声を張り上げる。彼には彼で引き下がれない理由があった。


「ではなぜ我が物顔で登城しておるのです!あまつさえ今次作戦の重要参考人と接触させるなど!!」

「もうよせ、ジョイアス」

「ぐっ……!」


 突然、執務室を満たす王圧が一気に増した。

 戦場の空気を纏う老将すら怯むそのスキルのすさまじさたるや、部屋に彩りを添える花の花瓶がビリリと物理的に震えるほどだ。

 王のあとを継いで口を開いたのは宰相。


「お前が必死にオルクス伯爵を守ろうとしているのは、この作戦に関わっており、ある程度の情報を握っている者ならば誰もが察していることだ。当然陛下もご存知である」


 ラトナビュラが意図的に作った威圧の空白地帯から、痛まし気な声音でバハルは言う。


「お前の想いを汲んで、陛下はズティーユ卿を護衛に付けてまで伯爵の安全を図ってくださったのだ。お前はそれで満足すべきではないのか?」

「……ぐ、ぬ、ぬぅッ」

「ジョイアス……!」


 状況が膠着したまま、たっぷり一分近くも沈黙と重圧の時間は続いた。

 しかしある一点で山のような体躯を誇るジョイアスの肩から力が抜ける。

 王圧に抵抗する気配が消失したことで、ラトナビュラもスキルを停止させた。


「……ぬぅ」


 赤い目を伏せ、心なしか鬣のような金髪も萎れさせ、ジョイアス=カテリア=ザムロは大きく一歩後ろに下がる。


「作戦に向け、準備をせねばなりませぬ……これにて御免」


 長い付き合いの王と宰相が聞いたこともないほど弱々しい唸り声でそう告げ、老いぼれた獅子のような足取りで彼は扉へ向かう。

 その覇気のない背を見て、それまでの強圧的な態度を崩しラトナビュラは声をかける。


「ジョイアス、これは友人としての忠告だが、あまりオルクス伯にのめり込むのはよせ」

「……」


 金色のドアノブに手をかけたまま、振り返ることなく動きを止めるジョイアス。


「今回の功績で恩赦を与えられるかは、まだ分からぬのだ。余は其方に、三度も息子を失うような思いをしてほしくはない」

「……すでに儂はあれを倅に等しく思っております。それこそ三度も我が子を見捨てるような真似はできませぬ」


 最後まで振り向くことなく、今度こそ彼は扉を押し開けて出て行った。


 バタン。


 入って来たときとはうってかわって、穏やかに閉じられる扉。

 そのブラウンの木目をじっと見たままの王。

 宰相は目を閉じ、細く息を吐いて首を振った。


「哀れな男です。ジョイアスも、オルクス伯も」


 悲しい目をした国王は、ただ小さく頷いた。


 ~★~


 学院に戻った俺。昼食を終えるなり、普段はネンスやレイルの稽古に使っている鬱蒼とした繁みの奥へと、エレナを連れ込んだ。『完全隠蔽』をかけ、制服姿の彼女に向き合う。


「作戦の前で忙しいのに、ごめん」

「あはは、別にいいよ。武器の改良も終わったし、できる準備は大体しちゃったからね」


 左手に携えていた短い棒をくるりと回転させ、軽く笑って見せる俺の恋人。

 ソーサラーズブレードと長さや重さを同じくらいに整えただけの頑丈な木の棒だ。

 ロマンティックな雰囲気など欠片もない。あるのはこなれた間合いと、ほんのり張り詰めた空気だけ。


「さ、始めよっか。攻撃魔法はなしだよね?」

「ん、おねがい」


 俺も雨狩綱平と同じくらいにした棒を握り、彼女から一定の距離をとって構える。

 これから始めるのはちょっとした模擬戦だ。とはいえ目的は鍛錬でも教育でもない。今日の話を頭の中で整理したいだけ……体を動かすと思考が纏まるよねという、ただそれだけの運動である。


「じゃあ行くよ……やっ!」


 一瞬の魔法発動。脚力を強化したエレナが棒を構えて踏み込む。

 俺はナイフ術のようにまっすぐ突き込まれる得物を自分ので弾き、逸れた方とは反対側へ滑るように移動。対してエレナはすぐさまブレーキをかけ、反転して追ってくる。

 二撃目を狙う彼女の顔を眺めながら、俺は意識の大半を思考の海に沈めた。


(まず考えるべきは、なぜ俺の『鬼化』が反応しなかったのか、だろう)


 たしかに話題がハッキリと違法奴隷の方に向くシーンはなかった。だがアドニスは俺にとってこの問題の象徴的人物だ。

 しかもこの期に及んで後悔や自責の念などを感じている様子はなく、ただ一心に己の抱える事情に囚われている有様。


(確かにセシリアのことは囚われるに足る事情だと思う。不憫で、憐れで、どうにかしてやれたならと思う……けど)


 連撃を捌く。捌く。捌く。

 俺の体は後ろでまとめた白髪を跳ねさせ、木の幹を蹴って刃から逃れる。

 俺の頭は数時間前の会話を、姿を、動きの一つ一つを辿っていく。


(あの男の関心は全て内側に向いている。悲しいまでに自分の所業を見ようとしていない)


 それに酷く苛つかされる。腹が立つ。やはり奴隷の守護者、その使徒として俺は奴が断罪される結末を強く望んでいるのだ。

 だがこれは使命感であり、義憤であり、俺が人として正しいと信じる在り方から来る怒りだ。悪鬼に無理やり引き出された憤激とは性質が違う。


(例えるなら赤く揺らめく炎のような怒り。暴れ狂うべっ甲色の雷じゃない)


 段々と速度で負け始めたエレナ。そのがら空きの右側に勢いをつけた棒を薙ぎ入れる。

 咄嗟に彼女は赤いスキル光を履いて真後ろにスライド。俺に空を切らせ、反転、一気に踏み込んで反撃を繰り出してくる。


(俺の『鬼化』は奴隷が地雷、憤激を誘発する一つ事(・・・)だと思っていたが……こうなると違うのか?)


 そんな疑問が生まれる。

 だが悪鬼が現れたとき、念入りに刺激してくれやがったのはその記憶だった。あれが『鬼化』獲得のトリガーだったのに、地雷はまた別の、全く関係ないコトというのはあり得るのだろうか。


(アドニスもそうだ)


 今日の彼は覇気を失い、一気に十年も老いたようだった。その原因はセシリアを失ったからで説明つくが、『怒り』や『鬼化』の厄介な所は持ち主の情緒に関わらず発動することにある。

 話の中でこれまで彼が怒り狂った話題は全て触れた。けれどあちらもそれらしいスキルを匂わせることはなく、結局は彼の怒りの勘所を探るだけで終わった。


(『鬼化』にはまだ何かルールがあるのか?琴線の、一つ事の話はミアが教えてくれたことだから、間違っているとは思えないし……ああ。ただ、あいつは肝心なことを忘れることがあるからな)


 そこまで話が広がり始めると、いくら俺の頭を捻っても答えなど出しようがなくなる。

 馬鹿だからではなく、知らないことはどうにもならないから。いや、馬鹿であることは否定しないが。


「おりゃ!」


 地面スレスレで足払いをしかけられ、それを難なく跳んでやり過ごす。

 追撃のアッパーカットのような切り上げも、流れるように勢いを回転に変えて放たれる蹴りも、すべてひょいひょい躱していく。


「もう、全然当たらない!」


 すっかり俺に当てることが目的になっているが、彼女の役割は俺を思考に没頭させることだ。手段との取り違えが甚だしい。


(なにやってるんだか)


 残った思考力でぼんやり思いながら、俺は本題を一つ先に進める。

 すなわち、なぜ今になってアドニスはザムロの説得を受け入れたのか、である。


(ドニオンに商売を持ち掛けられたときは、アドニスはザムロを頼らなかったんだよな)


 公爵の宗教観や価値観がそれを許さないと思ったのかもしれない。

 なにせ脳が死んだ妻の肉体を怪しげな装置に詰め込み、無理やり体の反応を生きている状態で維持しようというのだ。普通は思いついてもやらないが、やるにしても秘密にしておくだろう。


(死体を弄ぶと教会がすっとんでくるからな)


 もちろんアドニスに弄ぶつもりなどないことは分かっている。なにせ今回の話で一つだけ確信できたのは、彼が己の妻を深く愛していたということだから。


(愛あればこそ、というやつだ)


 躍起になって俺を追い回すエレナを見ながら思う。

 愛していたからこそ、その死を受け入れられなかったからこそ、体だけは生かせると聞いて彼は縋ってしまった。その感情を分からないと突き放せる青い若さは、持ち合わせがない。それには生憎と長く生きすぎている。


(だが世間は違う)


 好奇に憑りつかれた名もなき大衆に知られれば、新手の死霊魔法扱いされかねない。だからこの件に関わる者は少なければ少ないほどいいのだ。

 その意味でトワリ、ドニオン、そしてアドニス自身……三人だけなら機密性は高い。


(けどそれなら、なんで今さら説得を受け入れたんだ)


 逃げ回るのをやめ、振り向きざまに棒を振り抜く。

 顔を真正面から狙った攻撃に、全力疾走だったエレナはあやうく飛び込みそうになった。

 すんでのところで身を捻る彼女。その背に追い打ちの斬撃を放つ。


(アドニスとザムロ公の間には特別な絆がある。それでも明かすことをしなかった彼が、どうして今になって?)


 違法奴隷摘発に関わると言うことは、セシリアの延命を諦めると言うことに他ならない。自分が捕えられる過程で真実がこうやって明るみに出るのも分かっていたことだろう。


(セシリアが死んで、もう奴隷商を続ける意味がなくなったから……じゃないよな)


 彼女が亡くなったのは四日前、俺がミアのもとを訪れていた日だ。

 当然、アドニスが説得に応じたのはもっと前になる。


(そういえば、限界が来ていると分かっていたような口調だった)


 なんとか後ろからの攻撃を片手で防いで、しかし木の根に足を取られるエレナ。

 片手をつくなり土魔法で足場を持ち上げ、跳び箱でも跳ぶように勢いをつけて態勢を立て直す。本当に魔法使いらしからぬ身体能力と反応速度だ。


(反応速度……何かを決めるときに重要なのは反応速度と、それから事前準備だ)


 俺の中で何かのピースがどこかにハマった音がした。ただそれがどこの何か分からない。

 気付いているのに気づいていないような、変なもどかしさが生まれる。


(終わりが近付いているのを予見して、自ら幕引きを図ったとか?)


 土の足場を回り込んできたエレナに今度はこちらが連撃を浴びせる。

 最小の動きで切っ先だけを跳ね上げ、引き戻し、突き入れる小手先の攻防。

 けれど体力を消耗しつつある彼女は捌き切れない。

 再びの土魔法。盾のように大地が捲れあがって割り込んで来た。


(いいしぶとさだ)


 火属性で強化した蹴りでもって土壁を砕きながら、胸の内で感心の唸りを上げる。

 もちろんアドニスの話ではない。エレナの話だ。

 彼女は土壁を目晦ましにして距離を取ることを選んでいた。


(けれど奴もしぶとさ、諦めの悪さにおいては結構なものがある)


 そうでなければ十八年、公然の秘密となりながらも国家に違法行為の証拠を掴ませないような立ち回りは不可能だ。

 ありがたいかどうかは別として、そのこと自体は一つの気骨として評価したい。


(そんな彼が潔く幕引きなどするだろうか)


 たしかに装置は経年劣化していたかもしれない。トワリが死んだから直せる奴もいない。何がなくとも緩やかに最後の時は近づいてきたはずだ。

 だが実際に壊れるより前に見切りをつけるというのは、それはどうだ。あれはそんな物わかりのいい男か。断じて違うだろう。

 これだけ足掻いたのなら、最後のその時まで足掻き続ける以外、きっと彼にはないはずなのに。


「……ん!」


 急接近した途端、またも土壁が俺たちの仲を引き裂く。

 俺はそれを蹴り砕き、殴り壊し、棒でかち割って進む。

 次々と土壁を生やし、ちょこまか逃げ回るエレナ。

 それを破壊しながら追い回す俺。

 単調でじり貧な鬼ごっこが始まった。


(ああ、でも、そうか。最後のその時は……なるほどな)


 ぐるぐる思考を巡らせるうちに一つだけ仮説が立つものがあった。

 仮説と言っても彼が説得に応じた理由ではなく、セシリアが旅立った理由の方だが。


(セシリアが亡くなったのは……少なくとも完全に生命活動を停止したのは、たしか四日前だ。その日、俺はミアと話をしていた。ということは、地上では慰霊祭があったんだ)


 もしかしたら装置の故障かもしれない。

 あるいはスキルの限界、魂の限界が来たのかもしれない。

 アドニスの言う最後のその時が、たまたまその時だったのかもしれない。


(けど、もし脳死が死んでいる扱いなら)


 植物状態は肉体的に生きているが、意識が消失している状態だ。それに対して脳死は脳の機能が停止しており、心臓や肺もじきに止まる状態。

 神の知識にそうと明記されているわけではないが、神々から見たときに後者は死んでいる扱いなのではないだろうか。


(もしそうだとすれば、説明がつく)


 創世神の使徒アーリオーネによる大規模な慰霊祭では、彷徨う魂をあちら側へ送るために天上界への門が開かれた。その門は双方向に通じており、冥界神の戦乙女や輪廻神の眷属が地上へ出るためにも使われるという。


(どうして戦乙女やアルキアルトの眷属がこちらに来る?そう、刈り取るため(・・・・・・)だ)


 不死神の加護や死霊魔法、あるいは冒涜的な実験。そうした外力によって摂理を捻じ曲げ、地上界へ無理やり留められている魂がある。彼女たちは天上の刃でそれらの戒めを断ち切り、魂を解き放ち、門の向こうへ送るのが使命だ。

 脳死が神々に死と判定されるなら、セシリアはまさしく外力で繋ぎ止められた魂そのもの。解放の対象だった。


(……因果なものだ)


 トワリの反乱とそれにまつわる膨大な死者を弔うべく、あの慰霊祭は使徒と王宮の連名で発表された。政治的な駆け引きもあるのだろうが、残された者が前を向けるようにとの願いが込められた儀式だったはずだ。

 それが十八年に及ぶ男の愛と妄執に終止符を打ったのだとすれば、それはなんとも言えない結末だ。今の彼が前を向いているのかどうかにもよる話だが。


「十八年……」


 謎はまだまだ残っているが、その中でも個人的に最大のものがある。ドニオンの話を聞いてからずっと抱いてきた疑問。しかしなぜか今日、俺はそれを伯爵に聞くことができなかった。そこに踏み込みたくないと思ってしまった。


(十八年前に脳死と判断されたセシリア。十五年前に生まれたアクセラ(おれ)。十四年前に生まれたトレイス。符合しないこの年数の謎……)


 画廊に残る彼女の絵と俺は自分でも見間違うほど顔がよく似ている。

 俺とトレイスも、印象こそ違うが造形はそっくり。

 親子、姉弟であることは間違いない。


(だとすると、なんだ?)


 いくらトワリの生体錬金術でも体外で子供を作り、育てる方法はないはず。

 コピー、クローン、並行同位体……どれもさすがに突飛がすぎる。

 実験の一環で脳死した女を孕ませた、とは思いたくないし。

 ただ、人はときに、愛するがゆえに道を間違える生き物だ。


(アドニス=ララ=オルクスは邪悪な犯罪者か、悲しき怪物か、はたまた狂人か。あの男の正体はどれだ。結局俺は、あの男にどうなってほしいんだ……?)


 その疑問を浮かべたとき、俺の意識は思考の中に深く沈み込み過ぎていたのだろう。

 ルーティンワークと化した土壁破壊。また目の前にせり出してきた壁を、開いている方の手で殴りつける。メコッと貫通するが、崩れない。一点だけ脆く、周りは頑丈に作られていた。


「!」


 しかもその後ろにもう一枚壁があった。こちらは全面バリカタ。

 思い切り殴ってしまった拳に痛みが走る。意識が引き戻される。


「やぁ!!」


 裂帛の気合いと共に目の前の土壁が弾けた。強度を下げて向こうから砕いたのだ。

 咄嗟に目を瞑って砂塵を防ぐが、すぐ目の前に棒を振り上げるエレナの気配。


(早い!)


 凄まじい速度での肉迫。慌てて土壁の残骸から腕を引き抜く。

 それでもあえて踏み出し、迎え撃つべく聖刻を起動しかけ……急遽変更。魔力強化だけで後ろへ跳んだ。


「だぁっ!?」


 揺るぎなく生える太い木へ、強かに背中を打ち付ける。

 目を開くとお構いなしに突っ込んでくる彼女の姿が。


(躱せないな……!)


 振り下ろされる棒。エレナ腕に速度が乗り切る前に、俺は前に出て距離を詰める。

 そのまま両手首を交差させ、彼女の腕を高い位置で受け止めた。

 勢いに反して面白いくらい軽かった。


「え!?」


 まさか出を潰されるとは思わなかったのか、そのままの勢いで俺にぶつかる彼女。

 自分より頭一つは大きい体を受け止める。腕を払って棒を奪うのも忘れない。

 すとんと巨木の隣に座らせると、エレナは目を丸くし叫んだ。


「今の何!?なんか、力がどこかに抜けたみたいな感触だったんだけど!」

「合気術。紫伝の技じゃない」

「えー、ズルくない!?」

「ずるくない。流鉄と一緒だよ」


 ぶうたれる弟子に手を貸して立ち上がらせる。

 剣術勝負とは言っていないので文句を言われる道理はない。


「攻撃魔法アリなら負けてたかも」

「むぅ、嬉しいけどこの結果で言われてもなぁ……壁でハメたのは我ながらよかったと思うけど、木にぶつかったのはアクセラちゃんの不注意だし」

「う……そ、そもそも私を倒すのが目的じゃなかったでしょ」

「だって片手間であしらわれるの、思ったより腹立つんだモン」


 そう言って彼女は俺に抱き着き、肩へと額をあててぐりぐりとやってくる。

 モンではない、モンでは。


(なんだか微妙に甘えた雰囲気が抜けないんだよな、今日)


 朝からだが、やけに抱きついて来たりわがままを言ってみたりする姿が目立つ。

 もしかして作戦本番が不安なのだろうか。


「ねえ、思ったより汗かいたし帰ったら先にお風呂入ろうよ」

「まあ、いいけど」

「泡風呂にしてもいい?前に買ったちょっと高いヤツ使ってさ」

「んん、特別だよ」

「お風呂の中でアイスキャンディ食べたい」

「お行儀悪い……けど、許そう」

「アクセラちゃんのせいで疲れたから洗って?」

「それは自分でしなさい」

「むぅ」


 どんどんエスカレートする要求。

 ついでに体に回した手がそっと背中から尻に伸びて来たので……。


「てい」

「あたっ」


 つむじめがけて手刀を落としてやった。

 こつこつと小指の外側で頭を軽く小突きながら、彼女の心の内を想像する。

 強くなればなるほど、守れるものが増えれば増えるほど、迫りくるリスクと試練も大きなものになっていく。その中には奮起してどうにかなるものもあれば、運を天に任せるしかないものもある。


(作戦、戸籍、『鬼化』、昏き太陽、お家騒動……色んなことが雪崩みたいに迫ってきているものな)


 俺にとっても同じだが、俺は神で彼女は人間だ。

 この差はきっと、自分たちが思うより大きい。


「……なにかあったら」

「呼ぶわけないでしょ」


 言いかけた俺の言葉をきっぱり遮って言うエレナ。そこに甘さは残っていない。

 綺麗に切り替えて見せた彼女は一度体を剥がし、それから俺の肩を掴んでずいっと顔を覗き込んできた。


「あの木にぶつかったの、前に出ようとして止めたでしょ」

「ん、よく見てる」

「アクセラちゃんの弟子だからね!で、やめた理由だけど、聖刻でしょ」

「……ほんと、よく見てる」


 流石は俺の弟子だ。

 そう、俺はあの瞬間、聖刻を使うの取りやめて苦肉の策として逃げた。その結果、背後の確認が甘くなってしまった。酷い凡ミスだ。


「聖刻は雷がでるくらいはっきり鬼力を利用するから、使って大丈夫か迷ったんじゃない?」

「……」


 確かめるような問いに反論の余地はない。

 本来は『鬼化』でしか抽出できないという鬼力を聖刻は引き出してしまう。これまではそれでもよかったが、『鬼化』を得た今でもそうかは自身がなかった。


「そんな注意散漫な人に来てもらっても、現場としては困るんだよね!」

「んむ……言ってくれる」


 作り物感丸出しの侮った口調に頬を膨らます。

 すると肩から離れた手が両頬に当てられ、むにっと押しつぶされる。

 俺はむにむに人の頬をもみしだく不埒な手を退けさせた。


「ちゃんとやり遂げて帰って来るから、アクセラちゃんはここで待っててよ」

「……ん」


 木漏れ日にきらきらと輝く早苗色の瞳。

 宝石のようなその目に宿る意思と願いに、俺は小さく笑って頷いた。


「任せる」

「うん、任せて」


 差し出されるエレナの拳。それに自分の拳をコツンと合わせる。

 二、三秒ほどそうしていた俺たちは、どちらからともなく握った指を解いて絡めた。


「帰ろうか」

「うん、帰ろ」


 とりあえずは一通り、エレナを甘やかして明後日を待とう。そう思いながら。

次の章のプロットができたので、しばらく寝かします。

作業再開するときには絶対忘れているので、そのときまたプロットを書きます。

あとで気付いて統合し、実際に執筆を始めるとプロットから逸れていきます。

アホな作者だなぁと思うでしょうが、これをした方が面白くなるんです。


てなわけで寝かせてる間は新作がんばりますね。

たぶん同人誌にして出しますんで、そのときはよろしくお願いいたします。


面白ければ励みになりますので、評価&いいね&感想頂ければ幸いですm(__)m

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