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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第29話 親子の会話

 王命を 受け取った翌日、俺は王都への出入り禁止を言いつけた張本人である国王陛下から呼び出しを受け、慣れ親しんだ裏口から登城した。


(来るなと言ったり来いと言ったり、忙しないなぁ)


 などとアレニカが聞いたら目を三角にしそうなことを思いながら、衛兵に案内されて密談用の人気のない区画に入る。こちらも慣れ親しんだエリアだが、通された会議室はいつもより広いところだった。


「おかけになって待ちください」


 言われた通り長机の片側に着座する。

 衛兵は出て行ったが、一人にされたわけではない。部屋の四隅には魔法使いが一人ずつ、長机の向こう側の壁際には近衛騎士が二人立っている。


(すっかり猛獣扱いだな)


 暴れたら殺せ!とでも命じられているのだろうか。なんにせよいい気分のするものではない。

 ただ気になるのは、なぜかテーブルの真ん中にチェスのセットが置いてあること。しかも両陣営とも磨き込まれた石の駒がきっちり並べられ、いつでもプレイできる状態。手前が白で向こうが黒だ。


(意味が分からん)


 呼び出しは受けたが、こちらは要件一つ聞かされていないのだ。それなのに通された部屋には無言の六人とチェスが一揃え。説明なし。待ち人なし。おまけに茶の一つもなし。

 さてこれは妙なコトが始まったぞ……と身構えたのだが、すぐに扉をノックする音がした。返事を待つこともなく押し開いて入って来たのはエルフの男。珍しいことに純血種だ。


「お待たせいたした、申し訳ない」


 枯草色の瞳にくすんだ金色の髪。ほんのり甘いが深みのある声。厳かな口調に反して柔らかく微笑むと、目尻にもとから刻まれていた皺が一層深くなった。


(老い始めたエルフか、またとんでもない奴が出てきたな)


 外見は人間でいえば中年程度。老いと言う程ではないが、エルフ特有の輝くような美貌にたしかな加齢が見て取れる。

 一部の獣人やエルフは長命な上に若い時期が極めて長い。それが失われつつあるということは、気の遠くなる時間を生きてきたことを意味する。

 この国で、王宮で、老い始めたエルフのご登場。彼が誰か、宮廷の事情に疎い俺でもすぐわかった。


「貴方がズティーユ卿?」


 率直に訊ねると彼はふっと微笑んだ。


「いかにも、私はズティーユ。国王陛下の僕であり、この国の暗部を束ねる者。よろしくお願いする、使徒殿」


 エルフが慇懃に腰を折る。

 暗部とはつまり薄暮騎士団のことだ。


(薄暮騎士団団長にして、ユーレントハイム王国が擁する超越者……黄昏のズティーユ)


 謎多き超越者でその能力も、素性も、性格すらも不明。公に判明しているのは年嵩のエルフであることと、教会が彼をたしかに超越者として認めているということ。そして彼が個人的に王家に仕えているということのみ。ゆえにまたの名を無貌の賢人。


(いや、もう一つあるか)


 誰に聞かずとも肌で分かることだ。

 目の前の男は、果てしなく強い。


(ここで消しておこうとか、そういう話じゃないよな)


 俺は今、完全に丸腰だった。『鬼化』のこともあるので学院に武装を置いてこいと厳命されたのだ。雨狩綱平と魔法杖はもちろん、いつもスカートの下に隠している短剣すら持ち込めなかった。


(ノコノコついてきたのは失敗だったか?)


 相手は超越者だけではない。近衛二人も手練れだし、魔法使いが四人は練度に関係なく厄介だ。無手を囲んでこれは、さすがにちょっと過剰戦力じゃなかろうか。


(キツいなぁ……まあ、どこまで通じるかは、ちょっと興味あるが)


 そんなこちらの考えを察したのか、ズティーユは微笑みに苦笑の色を混ぜる。


「ご期待に沿えず残念至極だが、これは過保護な老人を黙らせるための措置。貴女とここで矛を交えるつもりはありません」

「過保護な老人?」


 彼は俺の質問に答えず、意味深に視線を扉へと向けた。

 すると一拍の間をおいてまた誰かがノックする音が。


「入りたまえ」


 扉を開けて入って来たのは衛兵。背後には小太りの中年男性を一人連れていた。


「……どういうこと?」


 案内されてきた、いや、連行されてきたその男を見て俺はズティーユを睨んだ。

 濃い金髪と赤紫の目をした彼こそは、我が父にしてオルクス伯爵家当主……アドニス=ララ=オルクスだったからだ。


「陛下はかねてより二人で話し合う場をと仰せでした。シネンシス殿下からは貴女が乗り気だとも」


 確かに陛下はそう言っていた。俺自身、ドニオンとジュメイの件を切っ掛けに少し思う所があって、それはネンスに伝えていた。


(『鬼化』を得て事情が変わったと、そう思っていたけど……?)


 なんにでも怒りっぽくなるという『怒り』と違い、『鬼化』は琴線に触れる一つ事にのみ激発するスキルだ。しかし俺にとっての一つ事とは間違いなく奴隷関連。つまりアドニスはまさしく地雷のはずなのだが……。


(まさか、超越者を護衛にしたって?そこまでやるかよ)


 あまりの強引さに正直、ちょっと引く。

 と同時に、過保護な老人が誰かは理解できた。ザムロだ。


「察しが良くて結構です」


 微笑む男の目は鋭かった。俺という人間の真性がなんであるかを判別せんとするような、頭の奥まで貫いてくる鋭さだ。

 ズティーユは俺が引いていることも含めて、こちらの考えていることをつぶさに把握しているらしい。長生きのエルフには鉄面皮も形無しである。


「そうそう、チェスは私からの配慮です。お二人は口が達者でないと聞いているので、間が持たなくなれば興じてください」


 多大なる大きなお世話を焼きながら、彼は懐から懐中時計を取り出す。俺のものより二回りは大きく。竜頭の他にもいくつかボタンらしき突起が飛び出した異形の懐中時計だ。


「時間は有限です。私は色々な顔を持っている分、多忙でね。ではどうぞ」


 持ち時間は保護者の手が空いている間だけ、ということか。

 突起の一つをカチカチと二度押し込んでから、ズティーユは優雅にローブの裾をひるがえし、俺の正面をアドニスに譲る。自身は扉の前に移動して背を木の板に預け、細い目を閉じて存在感を消した。


(視界の中にはいるのに、いないような気がするほど完璧な隠形……さすがだ)


 薄暮騎士団を率いる男の実力の一端を垣間見つつ、それが彼なりの気の使い方であることも察する。親子の時間をというのは冗談でも何でもないらしい。

 俺は不本意ながら、どこかぼんやりした様子で席についた父へ意識を合わせた。


「……」

「……」


 しかし、沈黙。

 急に話せと言われても、下手な初対面の相手より話しづらい。

 ならチェスをどうぞと言われても、俺は実はチェスをしたことがない。

 向こうにも黒の陣のピースを動かす気配はない。

 一手もせぬ間に手詰まりとなり、貴重な時間だけがじわじわと過ぎていく。


(『鬼化』が発動する気配も、鬼神の幻影がふらふら化けて出ることもない。アドニス自体が地雷ではないのか)


 椅子を尻で温めながら、そのことにひとまず安堵する。

 それから目の前の男を見る。


(……痩せたな)


 ふとそんなことに気がついた。

 入って来たときに太って見えたのは骨格が思いのほかしっかりしているからで、血色の悪い顔は頬が薄っすらこけている。

 まだ容疑の確定していない今、貴族の彼を王宮が拷問にかけているとは思えない。むしろザムロ公爵が庇い立てしている以上、軟禁中の待遇はそれなりに不自由がないよう配慮されているはずだ。

 だがそれにしては、二か月も経たないうちに肌の艶や目の生気が失われ過ぎている。まるで生きる希望を失ったかのようだ。


「お久しぶりです、お父様」

「ふん……」


 結局迷った俺は、彼に呼び出されたときお決まりの文句で会話を始めた。

 返って来たのは鼻を鳴らす仕草。これも、お決まりの反応だ。


(けど、なんだろうな)


 やはり生気がない。今までなら込められていたであろう、力強い感情が何一つ籠っていなかった。俺を睨むときの忌々しさも、その上で俺を見ていないような傲慢さも、ことあるごとに吹き上がっていた苛立ちも、煮えたぎる様な感情が何一つ。


「少し、やつれられましたか。食事や睡眠は……」

「今更そんな話をして何になる」


 力のない投げやりな声で俺の空々しい言葉を遮るアドニス。

 彼は疲れ切った老人のような目でこちらを見ていた。睨むではなく、ただ見ていた。まるで初めて俺の顔を見たような表情で、まじまじと。


(俺は今、どんな顔をしている?)


 自分でも分からなかった。自分が一体どんな顔で今さら、彼を案じるようなことを言っているのか、分からなかった。


「私は」


 伯爵は俺から視線を外すと、その先を机の天板に落として言った。


「私はもうすぐお前の父でも伯爵でもなくなる、ただの罪人だ。もっとも、お前の父であったことがあるのかという話だが……口調を取り繕ったところでお前が得るものも失うものもない。好きに、喋ればいい」


 意図の読めない独白めいた言葉は、それでも確かに俺に向けられていた。

 俺は俺で初めてアドニスという男の声を聞いたような、そんな妙な錯覚を覚えた。


(……何かが違う)


 何かが、と言うよりも全てが、かもしれない。

 俺とアドニスが言葉を交わすとき、そこにあったのは怒りと疑心、それに偽りだけだった。俺は彼の話を聞いていなかったし、彼も俺の話を聞いていなかった。会話の何もかもが上滑りしているような酷い徒労感があった。

 それが今はない。怒りも、猜疑も、偽りも、徒労感も。


(怒り……そうか、『怒り』か)


 思い出すのはまだ年が明けたばかりの頃のこと。アドニスに呼びつけられた俺は彼の口ぶりを聞いて、この男が『怒り』を取得しているのではないかと疑ったのだ。

 一見すると支離滅裂な思考の展開や、独りでに高まっていく怒りのボルテージなどは、レイルたちが打倒したベルベンスに似ていて……。


(結局、ベルベンスの持つ『鬼化』と『怒り』は似て非なるものであった。けれどその違いから考えても、やはりあの時のアドニスは『怒り』の支配下にあったのだろう)


 だとすると、どうして今はその苛立ちが感じられないのか。

 彼の『怒り』も『鬼化』に至ったということか。


(……分からん)


 判断がつかない。結論を出すには情報が少なすぎる。

 だがもし彼がずっと『怒り』を所持していて、そして失ってたのだとすれば……俺は今、初めてスキルの影響を受けていない、素のアドニス=ララ=オルクスと接しているのかもしれない。

 そう思うとお互いに抱いているらしい、この妙な初対面感の説明もつく。


「……なら、そうさせてもらう」


 やや長い思考の後、俺は彼の言う通り口調を素に戻した。


「貴方という人について、聞きたいことがある。でも、その前に……」


 先を模索しながら声にしていく。言葉にしていく。

 やけに乾く唇をちろっと舐めて。


「ん、そう。そのまえに、初めに言っておくことがある」

「……ふん」


 再び鼻を鳴らしながらも伯爵は視線を天板から離さない。

 俺は彼の濃い金色のつむじに話しかけるような状態のまま、重大な秘密を口にした。


「今日ここにいるのはそのため(・・・・)ではないけれど、目の前の私がそう(・・)だと言うことは知っておいてほしい……私が、技術神エクセルの使徒だということは」

「!!」


 はっと顔を上げるアドニス。

 どんな恨み言がくるかと内心で身構えていたのかもしれない。そうでなかったと知った彼は、虚を突かれたように俺を見ていた。

 わずかに落ちくぼんだ瞼を限界まで開いて、ブーゲンビリアの花のような赤紫の瞳で。


「……ふ」


 目を見開いたまま、男の口元が痙攣するようにして薄く開いた。

 そこから零れてきたのは、笑い声だった。


「ふ、ふ、ふはは、ふははっ」


 奇病の発作のような笑いが怒りとも悲しみともつかない形に歪んだ口元から溢れ出る。

 両手で目元を覆い隠し、アドニスは笑いをかみ殺すように歯列を閉じた。


「ぐ、ぅく、ふ、ぐうぅ、ふぅ、くっ、ぐうっ」


 くぐもった忍び笑いはそれでも漏れつづける。

 耐えて、耐えて、耐えて震えるその姿は、はた目にはすすり泣いているようにも見えた。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」


 俺と七人の部外者が静かに待つなか、一分近くもそうしていた彼は最後に己の体を抱きしめるようにして、一度ぐっと身を曲げて力を込める。

 ようやく顔を上げる頃には、男の表情は先ほどにもまして疲れ、しょぼくれ、老いたものになっていた。


「そうか。そうか。お前があの、技術神の」


 父はうわごとのように繰り返した。


「皮肉なものだな」

「ん、奴隷商の父と奴隷の守護者の娘。たしかに皮肉」

「……ああ、それもだな」

「?」


 俺の同意に彼は一瞬だけ、寂し気に微笑みを浮かべた。

 勲二等を報告したときと今のと、狂ったような大笑以外で初めて彼が笑うところを見た。


「しかし、そうか。私を断罪するのはお前というわけか……それで、使徒よ。何を聞きたいのだ」


 すぐに笑みを消した彼は、数秒前の狂態すらなかったかのような、ムスッとした顔で問う。その声は表情に反してとても平坦で、これといった感情を何も含んではいなかった。


(……ああ、それがあんたの無表情なのか)


 一致しない顔と声音に俺はようやく理解する。多少の表情は無に消える俺とは真逆で、その不機嫌そうな顔がアドニスの素なのだと。

 気分を害したにしてはあまりに物言いがニュートラルでフラットだった。そして、そうと気づけば随分話しやすくなる。不思議なものだ。


「オルクス伯爵、貴方は先代伯爵だった父親との確執から、不文律を破って寄り親を乗り換えた。忌々しい思い出の領地を捨てて」

「そうだ」

「王都に移り、ザムロ公爵を頼って今の環境を整え、妻を得て、私とトレイスをもうけた」

「ああ」

「前後して違法奴隷商との付き合いを始め、悪名を稼ぎ……けれど突然、公爵の説得に応じ、裏切ってここにいる」

「相違ない」


 アドニスという男が当主を継いでからの経歴を、さらりと上辺だけなぞった事実の列挙。それを聞いても彼は怒らず、訂正しようともせず、短い言葉で肯定するばかり。


「でも全てじゃない。違う?」

「……」


 重ねた問いには返事がなかった。ほんのわずかに眉間の皺が深くなっただけ。

 でもそれで十分だ。無言と眉間の皺が、そこにまだ何かがあることを物語っている。


「私も、トレイスも、知っておきたい。貴方がどういう人なのかを。それに私たちの母についても」

「知ってどうなる。お前たちを育てたのはビクターとその妻だ。育て、生かし、学ばせ、与えてきたのは……全てあの二人だ。私ではない、セシリアでもない、あの二人だ」


 わずかな苛立ち、あるいは不快感を漂わせて彼は断言した。


「貴方は……」


 アドニスとビクターは乳兄弟だ。けれど二人の繋がりは断たれて久しい。

 アドニスが領地を捨てた日にか、ビクターが反旗を翻すと決めた日にか、それは分からないが……決別はなされたのだ。


(そう思っていたが)


 彼の口調はまるでビクターのことを認めているように聞こえた。俺に自分ではなくビクターを見ろと、そう苛立っているように聞こえたのだ。


(都合のいい解釈過ぎるだろうか?)


 そう思ってから内心で否定する。勝手な解釈はその通りかもしれないが、都合がいいかどうかは考え物だと。

 アドニスの言葉に何か可能性の端を捉えたような感覚を得ると同時、言い様のない嫌悪感も覚えたのだ。


「……ビクターとラナには感謝している」


 あなたに言われなくても。そう突っぱねてやりたい気分をぐっとこらえる。話題の逸脱はできるだけ防ぐべきだ。

 代わりに俺はいつか聞いてみたいと思っていた問いを口にした。


「理由が知りたい。どうして私とトレイスを物心つく前に領地へやったの?」

「必要なかった。疎ましかった。ただそれだけだ」

「うそ」


 即答に即答で返す。


「本当に要らないなら、私の女としての価値も、スキルの多寡も、気にするはずがない」


 まして彼が言うようにザムロ公爵の役に立たせたいなら、それこそビクターに任せるべきではない。彼は公爵に反感を抱いているのだから。


「……」


 伯爵は何かを言い返そうとして、一拍おいて口をつぐんだ。その視線が黒い駒の頭を右から左へ追いかけていく。思考を巡らせていることだけは分かるが……。

 たっぷり五秒も経ってから、彼は目を閉じて細く息を吐きだした。


「嘘などではない。お前がどう思いたいかは知らん。だが私はお前に触れたくなかった。視界に入りたくもなかった。だからお前を、お前の弟を、領地に送ったのだ」


 目を開けたアドニスはしょぼくれた苦笑を口の端に乗せる。


「ビクターなら、あの男なら養うだろうからな。たとえ領地や自分のことを捨てた男の子でも、それが子供なら奴は捨て置けない。愚かな男だ」


 作り物めいた表情。思考の結果、思考を放棄したのだろう。こういう雰囲気に陥った人間を動かして、真意を語らせるのは骨が折れる。例えるなら何を聞かれても同じことしか話さないと決め込んだ時の捕虜。そういうタイプの空気だ。


(一旦彼の主張を受け入れておくしかないか……しかし、視界に入りたくも(・・・・・)なかった、ね。入れたくも、ではないのだな)


 何かのヒントがその妙な言い回しにある気がしつつ、俺は一旦この話題を引っ込める。

 聞きたいことはいくらでもあるが、時間はそうでもはない。


「私の母親、セシリア=ナタリ=オルクスについても聞きたい」

「聞くほどのことを知らんだろう」


 嫌味、ではなく単純に不思議がるような声で伯爵は言う。


(自分の母親だぞ、普通は気になるだろう)


 接点なんて本来はそれで十分だ。本来は。

 まあ、どのみちアレコレ中途半端に知っているので関係ないか。


「ドニオンに色々と聞いた」

「ドニオン?」


 死んだ女の名前に眉が寄るアドニス。


「母が装置なくして生きていけない状態であることも。彼女から延命のために必要な物資を調達していることも。その支払いのため、彼女の紹介で違法奴隷に関わり始めたことも」

「……あの化け物め、べらべらと」


 初めてアドニスの顔に怒りが浮かんだ。

 ズティーユが薄目を開けてこちらを見たのは、この際もう無視だ。


「しかし、そうか。なるほどな。ドニオン、ドニオンか。奴が死んだというのは、お前だったか」


 アドニスは口の端に笑みを浮かべる。


「殺したのは私じゃない。でも捕らえたのはそう。母の件で私を脅そうとしたから返り討ちにした」

「返り討ち!ははっ、それは愉快だ」


 驚いたように首を逸らし、すぐに笑い声をあげた。

 狂気などない、ただ嬉しそうな笑い声。これも初めて聞くな。


(嫌いそうだったものな、前々から)


 彼のドニオンへの警戒と嫌悪は一貫している。もしかするとそれは俺たちにとって確かめずともそうと分かる、数少ない共通の感情かもしれない。


「だがそうか、納得がいった。ドニオンが死んでからも荷物が届いたのは、お前の差し金か」

「そう。陛下に依頼した」

「一国の王に依頼か。本当に使徒なのだな……ごほごほっ」


 力を抜くように呟き、それから何度か咳払いをするアドニス。

 軟禁中はそう口を開くこともなく、喉がこの二か月ほどでにわかに弱ったのだ。俺も晩年はそういうときがあったからよく分かる。


「水を彼に。私にももらえると助かる」


 この場で一番偉いであろう超越者に視線を向ける。するとエルフの美中年は扉を開き、外で待機している誰かに俺の意思を伝えてくれた。

 軽く目礼してから正面の男へ意識を戻す。


「装置をトワリが作ったとも聞いた」


 一族の背負ってきた生体錬金術を背負わされ、虐待同然の扱いを受けてきたトワリ侯爵。彼が同じく支配的な父に苦しめられて育ったアドニスに強いシンパシーを抱いていたことは本人から聞いた。

 あの男の性格なら、それだけを理由に高価な装置を作って融通することは十分ありうるだろう。奴は己の感情の赴く通りに行動する男だったから。


「母は、セシリア=ナタリ=オルクスは、屋敷の地下にいる。それは本当?」


『鬼化』を刺激するだろうか。そう思いながらも、俺は端的に問うた。

 アドニスは、けれど頭を振っただけだった。べっ甲色の角が生えてくる様子はない。


「それもドニオンか?本当に口の軽い魔女だ。こほっ……だが、そうか。そうだな」


 もとは太かったであろう、萎れた指がチェスに伸びる。

 コトリ。指先が黒のビショップを倒した。

 コトリ。黒のクイーンも倒す。

 トン、と黒のキングに指が置きつつ、彼はそれを倒さなかった。


「……もう、話してもいいのかもしれん」


 トン、トン、トン。

 黒のキングを指先で揺らしながら男は言った。


「ああ、正しい。我が妻はこの十八年、あの屋敷の地下にいた」

「……!」


 張本人が認めた。白状した。

 俺は心臓を跳ねさせ、しかしすぐに違和感を覚えて眉をひそめる。


「……待って。今、いたと言った?」


 わずかなニュアンスの違いを問い返すのと同時、扉をノックして侍女が一人入ってくる。水の入ったピッチャーとほんのり緑のグラスを二つ、頼んだ通りに銀のトレイへ乗せて。


「……」

「……」


 四人の魔法使いと二人の近衛騎士、エルフの超越者、悪名高い伯爵、そして小娘。異様な取り合わせに驚く様子もなく、粛々と彼女は俺たちに水を配して退室していった。

 それを見届けるなり、俺はもう一度訊ねる。


「地下にいた?もういないということ?」

「ああ」


 グラスの水をゆっくりと三口ほど飲んでからアドニスは頷いた。


「四日前に息を引き取った」

「!!」


 あっさりと告げられたのは衝撃的な真実。


(四日前……たかだか四日前まで生きていて、そして死んだ?セシリア=ナタリ=オルクスはもう、いない?)


 固まる俺を前に、色のついたグラスを唇に当てたまま男は独り言のように続けた。


「あるいはもうずっと前に死んでいたのかもしれない。私が受け入れられず、その亡骸にしがみ付いていただけで」

「亡骸……?どういうこと」

「……セシリアはある事故をきっかけに、覚めない眠りに落ちてしまった。心臓は脈を刻んでいる。呼吸だってある。触れれば温かい。それなのに目が覚めない。そういう状態だ」


 俗に言う植物状態だ。そう思ったのだが、彼の説明を聞いて俺はそれが早合点であったと知る。


「トワリが言うには、脳死というものらしい。呼び名の通り脳が死んでしまっており、二度と目を覚ますことはない状態だと」

「脳死?あれは心拍を維持できない。自発呼吸もできないはず」

「詳しいのだな。私にはさっぱり分からなかったが……」

「ん、まあ」


 エクセララでは医療技術も研究されていたから、さらっと流す程度なら知っている。

 むしろトワリの生体錬金術がそういう領域にも及んでいたことの方が、俺としては驚きだ。


「セシリアの保有していたレアスキル『自己保全』による強制的な生命活動の維持……だと奴は言っていた。脳は死んでも情報を保持している。スキルを使い慣れた肉体があるなら、そして魂がまだ肉体(そこ)にあるなら、魔力と活力の続く限りはスキルによって生かすことができると」

「脳、肉体、そして魂」


 その言葉にトワリの所業を思い出す。奴は欲しいスキルを持った人間の手足と、脳の一部、そして魂の残滓を用いて膨大なスキルを自分の物にしていた。


(同じノウハウってことか)


 制限の方も理解できる。

 スキルは魔力と体力、活力……鬼力を大なり小なり消耗する。スキルでそうしたリソース自体を回復することもできるが、大体はどれかを消費して別のどれかを補っているにすぎない。

 つまり体調を整え、生命活動を維持するという破格のスキルも、いずれは何かが尽きて用をなさなくなる。ジリ貧なのだ。


「装置はそのため?」

「そうだ。トワリは私に魔力と活力を補充する魔道具を提供すると言ってきた。私は、私は奴の装置で十八年間、そのスキルを維持してきたのだ。覚めることのない眠りについた彼女の肉体を、この世に留めるために」

「十八年間も、スキルを……」


 それが本当なら凄まじい話だ。なにせ脳死状態の人間を十八年も生かし続けた記録などこの世界のどこを探しても存在しない。

 師のいた異界なら違うのだろうが、即効性の高い聖属性魔法やスキルによる医療が主流の俺たちの世界では、治らないものは治らないと早い段階で見切りを付けられてしまう。


(治せないままに肉体を維持することは、魂だけを肉体に捕らえておくことだ。スキルを使えるのがその証拠……冥界神の御許に送って輪廻へ戻してやった方が、人道的だからな)


 だから植物状態の者を生かし続けて置く方法はあまり注目されない。放っておけば自然と死にきる(・・・・)脳死などなおのこと。


「十八年。十八年だ。それだけ生きながらえさせることができた。だが、とうとうその日が来た」


 忌々しそうなその口調は、震えていた。


「いや、もともと、もう薄々、終わりが見えていたのだ。彼女のスキルはここ数年で急激に効果を失っていたし、装置も老朽化していた……そんなある日、何の前触れもなく装置が数秒止まったのだ」


 本来なら一時間程度の停止にも耐えられるよう、トワリは装置を設計していたという。実際にこの十八年で何度かそういう偶発的な事故はあったが、全て乗り切れていた。


「たまたまソレは私が見ているときだった。警告音が鳴ったのは十秒か、もっと短いくらいだ」


 段々と低く小さくなっていく声に男の感情が現れている。

 それでももう涙など枯れてしまったのか、アドニスは泣くことはしなかった。


「装置が再稼働したときには、もう彼女は脈を失っていた」


 ふぅっと息を吐いて彼は少し水を飲む。

 それは死に向かう者が吐くような、重みのある息だった。


「ああ、そうだ。セシリアは、もういない」


 最後の呟きは俺に言ったような風ではなかった。

 自分に向けて言い聞かせるような。


「……」

「……」


 黒のキングから指を離し、男は再び視線を天板に落とす。

 悄然と項垂れる彼にかける言葉は見つからない。

 俺はしばしの沈黙の後、質問を再開するしかなかった。


「亡くなったのは、わかった。まだうまく飲み込めているか分からないけど、理解はした。次はそうなった理由を聞きたい。実験の結果とか……何の実験?」

「さあな」


 ここにきて露骨にしらばっくれるアドニス。

 あまりに分かりやすいその態度に、俺は思わず顔をしかめた。

 だが何かを言うより先に向こうが口を開いた。


「これだけ答えたのだ。お前も、一つ答えろ 」


 再びこちらを見る目に、どこから湧いて出たのか分からないくらいの力が入る。


「お前が新たに得た力は、どれだ?」

「どれ……?」


 あまりに前後の文脈がない質問。俺は思わず顔をしかめて聞き返した。


「得た力とか、どれとか言われても、分からない」

「今さら惚けるのはよせ!」

「!!」


 男は椅子を蹴立てて身を乗り出した。

 俺は急なリアクションに彼の『鬼化』が発動したのかと思って身構えてしまった。

 魔法使いと騎士たちも連動して一瞬ざわりとしたが、俺がすぐに緊張を解いたことと、ズティーユの視線を受けたことで壁の花に戻る。


(『鬼化』とか『怒り』とかの感じじゃない。焦りと興奮、それに祈り……?)


 ぎらぎらと輝く赤紫の目からそれらを読み取る。

 それと同時に強い苛立ちと不快感を覚える。


(散々に他人の人生を食い散らかした分際で、まだ何かに祈りを捧げるか)


 そんなこちらの怒りをアドニスが察せるはずもなく、彼はおかまいなしにまくし立てる。


「お前が特別な力を得たのは分かっている!お前がどれほど否定して見せても、私には分かる……勲二等を成し遂げるに足る特別な力だ、どれを得たのだ!」


 勲二等を成し遂げるに足る特別な力。そのフレーズには聞き覚えがあった。

 最後の呼び出しのときにも同じことを聞かれた。よく覚えている。血の発火現象という異様にピンポイントな予想をしてきて驚いたのだ。


(どうしても、それが知りたいんだな)


 いっそ白を切り通してやろうか。そんな気分も湧いてくるが、それをして何になる。

 溜息寸前の細い息を吐きだし。チェスの駒を一つとって右手に握り込む。

 やったことがなくても名前くらいは知っている。馬をかたどったこれはナイト。手に馴染む形をしていて、冷たい石の肌が気持ちいい。

 手の熱と一緒に子供っぽい反発を逃がし、俺はもう一度息を吐いてから大きく吸った。


「前に血が燃えるとか、そんな話をしていた。そのこと?」

「そうだ、それだ!血の発火でなくともいい、魔物を操る力でも、空を飛ぶ翼でも、なんだっていい……どれを得た!?」


 伯爵がチェス盤にのしかかるほど身を乗り出す。

 俺はその分、椅子に背を預けて身を引く。


(不穏なワードが並んだな)


 だが思い当たるのはたった一つだ。

 トワリの砦での決戦で奴に血を吸われかけたときに、ソレはおこった。


「……血が直接燃えたりはしないけど、血から神炎が上がったことはある」

「なんと!なんと!!」


 俺が左腕の傷痕を撫でつつ答えると、アドニスは飛び上がらんばかりに喜んだ。


「しかし、神炎だと?使徒だからか?それは……そうだ、それは命あるものを燃やせるのか!?戦いの中で、敵を燃やすことができるのか!?」

「まあ……神炎だから、邪悪なものしか燃やさないけど」

「そうか!そうか!!そうか!!!」


 バンバンと机を叩く男。引き倒された黒の駒がそのたびにカタリ、カタリと小さく揺れた。


「血が燃えるというのはなに?」

「血統解放、お前の血に眠る力だ!それが、目覚めたのだ!ああ、やはりそうだ、目覚めたのだ!!分かっていた、分かっていたぞ!!」

「……!?」


 勢いあまってアドニスは俺の手を取ろうとし、寸前で指が折れるのではないかと思うほどに五指を歪め踏みとどまった。まるで意思に判して体が動いたような異様な反応に俺は身を固くする。


「そ、そうか……目覚めたのだな……やはり、間違っていなかった……」


 勢いを削がれつつ、身を引きつつ、それでも彼の独り言は途切れなかった。

 涙が赤紫の目から溢れ、黒のキングの王冠を濡らす。


(こいつは、まだ何か隠している )


 ドニオンの脅しにザムロを頼らなかった理由。母の脳死の原因。血に眠る力とその覚醒について。随分と霧は晴れたが、まだ核心には何一つ触れられていない。

 が……。


 ジジジジジジジジジ!


 突然、金属質で耳障りな音が部屋に鳴り響いた。

 それは扉を塞ぐズティーユの胸元から聞こえており。


「興味深い話の最中ですが、時間ですな」

「待って」

「申し訳ないが、この時間制限だけは覆せない。今日はここまでです」


 彼が扉から身を起こした直後、外からノックの音がした。

 許可が出るなり入ってきたのはアドニスを連れてきたのと同じ衛兵。


「続きは作戦が終わった頃に、必ずや」


 穏やかに、しかし決然と言い切るズティーユ。


「…………ん、必ず」


 俺は自分の立場と、今の扱いと、そして控えている作戦に思いを馳せ……食い下がりたい思いを飲み込んだ。


「作戦か……お前も戦うのか」


 衛兵に促されて立ち上がった伯爵が聞く。

 俺は首を横に振る。


「私は今回、参加しない」

「……そうか」


 部屋を出ていく彼は、今までで一番複雑な表情を浮かべていた。

 それは残念がる様な、安堵するような、相反する感情の混じった顔だった。


面白ければ励みになりますので、評価&いいね&感想頂ければ幸いですm(__)m


いや、↑は定型文ですけどマジで読者諸氏のどこに刺さったか、何が刺さらなかったか、

めっちゃ興味あるんでぜひ感想くださいね?エンリョすんな?

好きな性癖とかエピソードとか発表ドラゴンしていけ?

(好きじゃない話もしていいですけど、お手柔らかにね)

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