十三章 第28話 抹消刑
「アクセラ=ラナ=オルクス、国王陛下のご判断を申し渡す」
早朝。すっかり通い慣れたブルーバード寮の会議室に、ネンスの厳粛な声が響いた。
テーブルの向こうで背筋を伸ばして立つ我が友は、今は気さくなクラスメイトではなくこの国の王太子だ。ユーレントハイム王の正式な書状を両手で広げる姿には、その立場からくる威というものが滲み出ている。
「先般実行された違法奴隷商一斉摘発作戦の第一段階において、今後の遂行を困難たらしめうる行動をとったこと。また継続的に重大な懸念をもたらしうる危険なスキルを習得したこと。これらはいかに不慮のことであったといえども、軽々に看過できる事態にあらず」
俺もエレナも静かにそれを聞く。慌てることはない、入院中から予想していた内容だ。
しかしネンスの方は非常に硬い表情で、両手で広げた書状をじっと睨んでいた。こちらを伺う気配すらない。
「よってこの書状を以て、汝の本作戦への関与を厳に禁ずる。また作戦の前後二日を含む都合五日、王都ユーレンへの立ち入りもこれを厳に禁ずる」
おっと、思ったよりしっかりした禁足を命じられてしまった。
作戦決行が五日後なので、俺が王都に入れるのは明後日までか。
「万が一にもこの王命に背きしときは……」
と、そこまで淀みなく厳かに書状を読み上げていたネンスが、不意に口をつぐんだ。
(……?)
唐突に訪れた沈黙の中、彼の手を覆う白い手袋と上質な羊皮紙が擦れ合うかすかな音だけが聞こえる。
『鬼化』の取得と先日の暴走を理由に俺を作戦から外す。その結論は俺もエレナもアレニカも、そして俺から最初の報告を受けたネンス自身にも分かっていた、満場一致の予定調和。そのはずだったが……。
「すぅ、はぁ……」
にわかに不穏の混じる空気を王太子が吸い込み、吐き出す。
葛藤を諦めという形で乗り越えたのだと、俺は長い人生経験からすぐに察した。
そして彼は、一息に残りを吐き出した。
「万が一にもこの王命に背きしときは、ユーレントハイム王国国王ラトナビュラ=サファイア=ユーレントハイムの名において汝、アクセラ=ラナ=オルクスを貴族籍の剥奪刑、ならびに戸籍の抹消刑に処すものである!」
「はぁ!?」
悲鳴に近い叫びをあげたのはエレナだった。
「そ、そんな!抹消刑なんて、どう考えたって釣り合わないじゃん!」
「口を慎め、エレナ=ラナ=マクミレッツ。私は今、王の代理人である」
「……ッ」
反論しかけた彼女をネンスの鋭い声が制する。
彼女は俺の乳兄弟だが、公的な立場はユーレントハイム王国の民の一人でしかない。王の代理人の前では、王の前にあるように振舞わなくてはいけないのだ。
その筋で言えば、この場で異議を申し立てられるのは使徒である俺自身だけだが……。
「受け取れ、アクセラ=ラナ=オルクス」
「承知いたしました」
差し出された書状を、俺は恭しく受け取る。すると書面の文字が二度ほど青く輝いた。内容に両者が合意し、スキルによる契約が交わされた証拠だ。
「アクセラちゃん……!」
今にも俺の手から書状を叩き落としそうだった恋人を視線で抑える。彼女は驚いたように目を見開き、ついで下唇を噛んで苛立ちを表し、それからのろのろと引き下がった。
一連の反応を見届けてから友人に目を戻し、小さく微笑む。
「手間をかけさせた。今回のこと、ネンスの失点になっていないといいけれど」
「いや、書状にもあった通りこれは不慮の事態だ。心配してもらうほどの痛手は被っていないさ」
力なく微笑む彼は、すぐに悔しさを声へ滲ませた。
「こちらこそすまない。だが、こういう形に納めるほかなかったのだ」
「それも、仕方ないこと」
肩を竦めてみせる。
今回の暴走に至る経緯についてや、『鬼化』や鬼神の幻影、エクセルの記憶といった諸々の事柄は彼に伝えてある。当然その情報は王宮上層部にも届いているだろう。
そこに実際の被害状況と第一フェーズを指揮したルオーデン子爵の見解などを加え、今回の結論は出されているはずだ。
(なら、俺はそれを受け入れよう)
あれだけ友好的だった国王陛下の断固たる対応は、それだけ今回の違法奴隷問題を彼が重く見てくれているというコトの裏返しでもある。そう思えばむしろ頼もしいくらいだった。
俺の考えを理解しているのか、ネンスは俺の肩をバシバシと二度叩いて笑った。腹に力を入れて無理くり作った笑みだ。
「ベルベンスを破滅に導いたスキルだと聞いたが、お前はあんな無頼漢とはモノが違う。どうせすぐにしれっとした顔で使いこなすさ。そうなったら第二都市、第三都市で掃討作戦を立ててやる。休ませんぞ、使徒殿」
「!」
まるで国王陛下がそうするように俺を使徒殿と呼び、嬉しいことを言ってくれるネンス。
彼はあの夏の戦いを超えてメキメキと成長している。これは俺も老骨に鞭打って頑張るべきところだ。
「ん」
小さく頷いて、俺は黒い手袋に包まれた拳を差し出す。
白い手袋に包まれたネンスの拳が、コンとぶつけられた。
「ああ、細かいことが二通目に書いてあるから、帰ったらちゃんと全員で読めよ」
「わかった」
最後にそんな言葉を交わし、俺たちは会議室を後にした。
~★~
ガチャガチャと扉の鍵を外して中へ入る。
「あら、おかえりなさいまし」
ブルーアイリス寮の自室、そのリビングのソファにはアレニカが座っていた。勝手に紅茶とクッキーで寛いでいる。それでいいのか貴族令嬢。
(まあ、鍵を渡したのは俺だけど)
出掛けにエントランスホールで出くわした彼女に、どうせ帰ってきたら共有しないといけないからと押し付けたのだ。なんなら勝手に入って茶でも入れろ、寛いでおけと言った記憶さえある。
(だからって……)
クッキーまで出して。香りから察するに一番いい茶葉を見つけ出して使っているようだし。段々と遠慮がなくなってきた感があるアレニカだ。
「ま、いいか」
「よくない!」
俺が肩から力を抜いて呟いたところを、鋭く拾って一声吼えるエレナ。
彼女はずんずんと荒っぽい足取りで部屋に入るなり、アレニカの座るソファに身投げでもするような勢いで座った。
「ちょっと、危ないですわよ!」
アレニカが尻に敷かれないよう慌てて端に寄りつつ抗議。しかし聞いた様子もなく、エレナは腕を組んでムッと顔をしかめるばかりだ。
俺は小さくため息を吐いてもう一つのソファへ腰かける。
「な、何事ですの……?」
「ん、これ」
いつにない機嫌の悪さに戸惑う少女へ、足元に置いた鞄から羊皮紙を出して差し出す。自重でそれはへにゃっと垂れ下がり、あやうくティーカップにあたりそうになった。
「ちょ、危ないですわよ」
ぱっと受け取ったそれを見て、それがなんであるかを理解して、彼女の顔から血の気が引いた。流麗な文字の下に国王陛下の署名と御璽があるのだから、そうもなろう。
「ひぃ!?お、王命の書状をそんな!そんな無造作に!というか鞄にそのまま入れて、まして床に転がしておくなんて……ッ!!」
「いいから見て」
「いいわけありませんでしょう、お馬鹿!」
「いいから」
睨みつけるアレニカに手をひらひらとやる。
「ああもう……っ!」
言ったところで仕方ないと思ったのか、小言もそこそこに恐る恐る手の中のそれを広げた。そして書かれている文言に目を通し……思わずと言った様子で頭を抱えた。
「き、貴族籍の剥奪。それに戸籍の抹消まで……!」
万が一にも間違いがないようにか、更に二回は目を通してから返して寄越すアレニカ。
そして気持ちを落ち着けるようにティーカップの中身を乾し、もう一杯注いでからそれも乾す。三杯目を一口飲んでようやく深々と息を吐いた。
「そういうこと」
「そういうこと、じゃないよ!」
「ありませんわね!?あ、もしかして抹消刑が何か知らないとか……」
「知ってる」
戸籍抹消刑は平たく言うとその人の戸籍に紐づいたあらゆる記録を消し去る刑罰だ。俺の場合で言うと直近の勲二等授与から始まり、出征証明まで遡って抹消されるだろうか。
(戸籍がないと土地が持てないし、信用がなくなるから仕事にだってつけない。その上、家族の縁も、それまでの功績も失い、残るのは手元の貯金だけ。国を出て一旗揚げようにも領地や都市を通るたびにバカ高い入域税がついて回る……普通は詰みだわな)
存在を否定され、あらゆる関係を否定され、社会から爪弾きにされる。命と金は奪わないが、それ以外のすべてを奪い取る。そんな厳しい内容から、各種死刑に次ぐ準極刑とも評されるのが戸籍抹消刑だ。
「でも私は高位冒険者。どのみち入域税はかからないし、仕事だって手に入る。それに使徒を前に門を閉ざせる権力者はいない」
Bランク以上の高位冒険者は国とギルドの協定によって入域税を減免される。なにより使徒という肩書は、大抵の地上の権力を無視することが許されているのだ。
もちろん本当に無視して特権を行使するなら、揉め事覚悟でする羽目になるが。
「多少は不便にはなる。でも困りはしない」
「困るとか、困らないとかじゃないでしょ!!」
エレナがソファから飛び起きてテーブルに身を乗り出した。
彼女の早苗色の瞳にはじわっと涙が溜まっている。そしてその奥には、明確な怒りが燃え上がっていた。
「アクセラちゃんの戸籍が全部なくなるってことは、私と乳兄弟じゃなくなるんだよ!?トレイスくんのお姉ちゃんじゃなくなるんだよ!?母様だって、乳母でも何でもなくなるんだよ……ッ!?」
バン !とその小さな、といっても俺よりは大きいな掌がテーブルに叩きつけられた。
「ん……っ」
信じられないとでも言うような視線を受け、俺はすぐに目を逸らした。
心臓の奥に氷の欠片を投げ込まれたような、嫌な感触がしたからだ。
(分かってないわけじゃ、ないんだよ)
抹消刑がどういうものか。その先にどういう処遇が待っているか。それが何を意味しているか。全てきちんと分かっている。
(それを恐ろしいと思わないわけでも、ないんだよ)
トレイスは俺の長い長い人生において、初めての血の繋がった愛すべき存在だ。
ラナだってそう。俺にとっての唯一の母親。
エレナは……今さら言う必要もないだろう。
戸籍に通じる関係はないがビクターやイザベル、アンナ、ステラ、シャル、トニー、イオ、レメナ爺さん……全員が俺にとって大切な家族であることに違いはない。
そんな家族の肖像画から、伯爵家のポートレートから、まるで一人だけ絵具を削り取られるように消される。
恐ろしくないわけがない。悲しくないわけがない。痛くないわけがない。
(でも、俺はそれを受け入れられる)
別に目を逸らしているわけではない。
自分の中でいくつもの可能性を考えて、いつか使徒アクセラがオルクスの縁者であることに不都合が生じたときのことまでも意識して、今回の話が出る前から結論を出してあっただけだ。
(だって、お互いが分かっている限り、何もなくなったりはしないから)
トレイスを弟と呼べなくなっても、血の繋がりが消えることはない。
ラナを母と呼べなくなっても、守り育ててもらった記憶が消えることだってない。
エレナが乳兄弟でなくなっても、二人を繋ぐ絆も情も、技だって消えはしないのだと。
本当に大切な物は、関係に付けられた名前ではない。関係があることを知っていること。それを分かち合えていること。そちらの方がよほど大切なのだ。
(でも、そうだね……)
エレナの頬を涙が伝う。それを見ると先ほど以上に胸が苦しくなる。
(彼女に分かってほしい、分かってくれと言うのは、無理が過ぎる)
俺自身、この感じ方が多数派でないことは分かっている。
俺は初めから名前の付いたよすがというものを持たずに生まれ、育ってきた人間だ。だからこそ、名前のない繋がりだけで生きていけるのだ。
ソレに名前がついていようが、色がついていようが、どうだっていい。あればいい。
そう育って、生きて、死んだのだ。幸か不幸かは別として。
(エレナは違う)
彼女は逆だ。俺との繋がりに色々な名前がつくことを喜ぶ。目に見えることを、そこにあると実感できることを尊ぶ。
複雑になればなるほど沢山の名前をつけ、色を塗って見分けがつくようにし、どの角度からでも認識ができるようにしたがる。
(価値観の違いだな)
痛みを感じていないわけではない。
ただ俺にとっては、これは飲み込めなくもない痛みだ。
だが彼女にとって、これは飲み込める類の痛みではない。
たったそれだけの価値観の違い。
「……ごめん、軽率だった」
俺は長い思考に区切りをつけ、頭を下げて謝った。
価値観の違いでどちらが折れるかは難しい問題だが、今回は俺の考えを余さず伝えるより引き下がった方が誤解なく解決できると思ったのだ。痛みを覚えることも、そんな未来が来てほしくないことも、嘘偽りのない本心なのだから。
「もとから今回は火遊びも冒険もするつもりない。王命に従って、素直に待ってるから。だから大丈夫」
いつか来るかもしれない使徒と家との決別は、そのとき考えればいい。
目の前の不安をきっぱりと否定し、身を乗り出したままの恋人の頭を撫でる。
「……むぅ」
彼女はしばらく俺の言葉を吟味するようにじっとこちらを見ていたが、しばらくすると拗ねたように手を払ってアレニカの横に戻った。
すんすんと数度鼻をすすってからテーブルに置かれた唯一のティーカップを横取りし、残りのお茶を飲み干す。
「……」
「……」
「……」
何とも言えない沈黙。
エレナは端の方に転がしてあったクッションを一つ抱え込んで、感情の読めない目だけ覗かせてこちらを見ている。
アレニカは「もうちょっと言うことがあるでしょう!」と真っ赤な目で訴えていた。
俺は……これ以上言葉を重ねても嘘くさくなる気がして、あるいはフラグっぽくなる気もしてしまって、少なくともアレニカの期待には応えられそうにない 。
「……私にも頂戴」
「貴女ねぇ……どうせもう空ですわ、欲しければ自分で淹れなさい!」
困り果ててカップを指さしたら怒られた。
それにどうやらティーポットの中身はもう空のようだ。
これ幸いと席を立ち、トレイごとポットを回収。キッチンへ向かう。
「……逃げたね」
「逃げましたわね」
聞こえない、聞こえない。
春先の温度が上がる時期は水分不足が懸念されるからな。お茶の補給は急務だ。
「まあしかし、こうくるとは。王家単独でそこまでの処罰ができたことも驚きですけれど」
キッチンとリビングは隣接していて扉もないので、普通に声が聞こえる。
アレニカは敵前逃亡もとい戦略的撤退を選んだ俺を追討するつもりはないようで、深いため息を一つ吐いて話題を元に戻した。
(それは俺もだな……お茶お茶っと)
ティーポットを開けると清涼感のあるお茶の残り香が立ち上る。茶葉の入った茶袋を引っ張り出せばそれは一層強くなった。鼻から肺に流れ込む爽やかさを味わいながら、アレニカの話にも耳を傾ける。
「周知の事実として、私たちの祖国たるユーレントハイムは王家が大変に強い力を持っている国ですわ」
「うん」
「しかし議会や大臣が軽んじられているかと言えば違います。彼らも強力な権限を与えられていて、それは与えた国王陛下ご自身ですら簡単には侵犯できないモノとみなされているのです」
「うん」
「特に刑罰は裁判を経ずに決定することがほぼ不可能ですし、量刑も法と凡例から極端に逸脱したものを採用することができない仕組みになっています。これも、陛下であっても極端なことはおできにならないようになっていますの」
「うん」
力ないエレナの相槌を挟みながら続けられるアレニカの政治と法制度の講釈。それをとてもつづめて言うとこうだ。
ユーレントハイム王は代々、制度的にも方針的にも法による統治を是としている。当代の陛下はその中でも柔軟な方だが、やはり法を破るような判断は絶対にしないことで通っている。
(だから今回の強権発動は疑問が残る、と)
じゃぶじゃぶとティーポットを蛇口の水で洗いながら声を張り上げる。
「抹消刑、普段はしないだけで執行できるとか?」
「道理から言えばそうなりますけれど、やはり違和感がありますわよね。あるいは横紙破りをしてでも貴女に重い枷を付けたかったか」
アレニカは「お心を推察するに余りありますけれど」と続けた。
隣でエレナが「むぅうう」と怒りの唸りをあげるのが聞こえる。
「狙撃ポイントから見ていましたが、突然建物がダイス状に解体されたのですわよ?しかも次の作戦はスラムもどきではなく、富裕街や一般街の人口密集地。暴走されたらたまったものではないと警戒するのは為政者として当然……むしろ人として当然の話です」
「それには私も全面同意」
「むぅ……」
エレナも消極的同意の様子。
しかしすぐに反論をぶち上げる。
「でもさ!さすがに抹消刑っていうのは酷すぎない!?せめて普通の剥奪刑にしてよ!」
「それは……その、陛下から何かしら譲歩など温情は何もないんですの?」
「温情、あるよ」
弱った様子の問いかけに応と答え、ティーポットの水を切る。
「あ、あるんですわね……」
何かしらこちらに都合のいい条件があれば、これだけの重罰が付きつけられていても天秤は釣り合う。そんな貴族らしい駆け引きが念頭にあるのだろう。アレニカがほっと息を吐いたのが聞こえた。
王家派を主張する彼女としては、俺を警戒して遠ざけるためだけに横紙破りをかました説は否定されて欲しいのだ。
「鞄に入ってるから、適当にとって」
「適当って……これですわね。あっ、ちょっと端っこ折れてるじゃありませんの!!不敬罪で告発しますわよ!?」
怒声を聞き流し、ポットを『生活魔法』で乾かし、もっと大きなポットを取り出す。白磁に青い花柄の大人しいやつだ。それから新しい茶葉を選び、洗ったばかりの湿った茶袋へ詰める。
「私に一杯、貴女に二杯、ポットに一杯と」
ラナに教わった茶葉の分量を決める歌。貴女の部分は一緒に飲む人数で変わる。それをポットに投げ込めば準備は完了。
「……」
ふと先ほどのエレナの慟哭を思い出して手が止まる。
ラナと俺の関係が記録から消えるのは確かに寂しい。そう思う一方で、こういうちょっとしたときに顔をだす教えがあればやはりいいような気もするのだ。
「……今考えることじゃ、ないね」
小さく頭を振って雑念を追い出す。
薬缶に水を七分目ほどはり、俺はもう一度声を上げた。
「面倒だし、事前にポット温めるのは飛ばす。いい?」
「勝手になさいって!こちらはそれどころじゃありませんの!」
また怒られた。
「火の理は我が手に寄らん」
指先に赤くて小さい魔法の球を生成。蓋はせず、球を水の中に沈める。すると水面の向こうに揺らめく夕日のようなソレが熱を放ち、あっというまにやかん一杯の水を沸騰させた。
火魔法初級・ボイリングサンセット
沸騰させる夕日とは実に安直な名前だが、つけたのは俺ではなくレメナ爺さんだ。カクテルみたいでオシャレだとか自画自賛していたのを覚えている。
(あの爺さんは、きっと俺側の人間だな)
名を捨てて実を取ることに躊躇わないタイプだ。
「う、うーん……」
煮え湯をティーポットにドバドバと注いでいると、リビングからアレニカの困り切った声が聞こえて来た。
(まあ、そんな反応になるよね)
俺は二枚目の内容を思い出して一人頷く。
ネンスに渡されたそれにはこう書かれていたのだ。
一つ、アクセラ=ラナ=オルクスを除く「雪花兎」への依頼は継続とする。その際の依頼料と達成条件は契約時の内容を引き継ぐものとし、その他の待遇においても据え置くものとする。
一つ、アクセラ=ラナ=オルクスを除く「雪花兎」は二日後の昼の鐘までに指定された場所へ赴き、作戦に参加せよ。作戦中は配置される部隊の指揮官に従属し、パーティメンバーを含む部外者と連絡を取ってはならない。
一つ、第二フェーズが完了した暁には技術神の使徒による協力があった旨を、折を見て発表する方針に変更はない。また第三フェーズへのアクセラ=ラナ=オルクスの参加は状況を鑑みて都度判断するものとする。
甘い。一国の王が俺のような小娘に当てたとは思えないほど配慮に満ち溢れた条件だ。
けれど戸籍抹消刑という準極刑を重石にするほどかというと疑問が残る。
「もっとバランスを欠いた条件といいますか、アクセラさんが使徒でなければ有力貴族から陛下の資質を問う声が上がるような凄まじい譲歩内容なら分かりますけれど……」
このままでは明らかに罰則側へ天秤が傾いてしまう。
「もしかすると、陛下だけの決定じゃないかもね。三分計って」
「時計を見なさい、時計を!ネンス様に頂いたのでしょう!」
言われてから制服の内ポケットをあさり、金の懐中時計を取り出す俺。そういえば秒も分も確認できるのだから、これを使えばエレナの『専属侍女』やアレニカの『貴族の嗜み』を使わなくともかっきり紅茶の抽出時間が分かるではないか。
(貴族が時計をありがたがる気持ちがちょっとだけ理解できたな)
これまで三分を腹時計で計っていた俺には朗報だ。
「でもそうですわね、陛下にどなたかが働きかけたというのはありえますわ。アクセラさんが使徒だと知っている方は限られていますが、その誰もがこの国の有力者。それぞれに思惑もおありでしょうし、陛下へ直接お言葉を届けることもできるでしょう」
俺が思いつくのはレグムント侯爵くらいだが、この前のトーンからするとやりそうで困る。次点でザムロか。あの男は使徒の事を知らないはずだが、レグムントからそれとなく俺の危険性は指摘されているかもしれない。大穴はアレニカの現状をしったルロワ家の当主……いや、さすがにないか。
「まあ、それでもやり過ぎだと思いますけれど」
気持ちは分かるが過剰反応。それがアレニカの最終的な結論らしい。
俺は……どうだろうな。やはり多少なりともショックだが、納得している気持ちに変わりはないかな。
(あー、そうか。これか。俺が受け入れ過ぎなのがエレナは嫌なんだ)
ふと理解し、困ったなとティーポットの肌をぺちぺち叩く。熱い。熱々だ。
年を取ると足掻いても変わらないことは早々に受け入れるクセがつく。その上で少しでも状況をよくするよう、変えられる部分を探すようになるのだ。
けれど今回、入院時から二人に言ってある通り、台無しにするリスクを抱えたまま参加するよりは潔く身を引くつもりだった。変える必要も余地もない。
(こればっかりは、平行線だなぁ)
リビングの二人はこれ以上この話題を引っ張っても得られるものがないと判断したのか、気が付けば作戦での配置と動きを確かめ合っている。
「ん、三分」
時計の針が三周したのを認め、ティーポットをトレイに乗せる。
平行線であることが分かった以上、どうエレナの機嫌を直すかが今の俺の最重要課題だ。王命なんて最初から守るつもりだし、やっぱりガタガタしたところで覆りはしないのだから。
(ふふん、そうか。平行線か)
エレナとの価値観の違いがこれほどはっきり出たのは初めてかもしれない。
こんな状況で場違いなこと甚だしいが、俺はそれが少し嬉しかった。
なんだかようやく恋人らしくなってきたぞ、と。
~★~
ところ変わってユーレントハイム王国の王宮。国王の下した決定は三人の少女たちだけでなく、一部の騎士と軍人を直撃していた。
その一部とはすなわち違法奴隷商摘発作戦を王宮側で取り仕切る近衛騎士ランバートと彼の部下たち……要は現場の人間である。
人の立ち入りが制限された区画に機材と書類を集め、そこに十数名で詰めている彼らは、まさに戦場のような忙しさに見舞われていた。
「アクセラ嬢を欠く隊の補充戦力が必要だ。候補をリストにしてくれ」
「た、ただちに!」
「彼女のパーティはそのまま参加と言うことだが、報酬額の変更は本当にしないのか?」
「はい、再度確認しましたが宰相閣下からはそのように回答が」
「あとで財務官から嫌味を食らうのは私だぞ……おいそこ、その集計はあとでいい、こっちのリストに加われ!」
「は、はっ!」
金髪をさらりと背中に流した若い近衛はキビキビと指示を出していく。
周囲の軍人たちも修羅場慣れしているのか、言われた通りに仕事をこなす。
食事をする間もないほど忙しいが、慌てているかと言うとそんなことはない。
戦いの前の戦いはこうして忙しなく、しかし粛々と進められていくのだ。
「エレナ嬢の進言していた追加の魔法使い、あちらは手配が済んだか?」
「おおむね完了していますが、二人ほどアテが外れました。既に別の作戦で引き抜かれたようで」
「先を越されたか。仕方がない、そちらはザムロ家に依頼しよう」
「公爵閣下をですか?見返りが怖いですね……魔法使いなら兄君にご相談されては?魔法研究院の院長でいらっしゃいますし、ツテはおありでしょう」
頬をひきつらせる部下にランバートは肩をすくめる。
「研究院の魔法使いは軒並み戦闘が不得手だし、なにより兄上はクラノ法務大臣と犬猿の仲。事後処理で面倒なことになるのは勘弁願いたいからな」
それに、と彼は続ける。
「閣下はアクセラ嬢を作戦から外すよう強硬に主張したそうじゃないか。それくらいの対応はしてもらわねば、帳尻が合わない……なぜそんな主張をしたかなどと聞くなよ、知らんからな。こちらはただ対応するだけだ」
怪訝な顔の周囲を先に制するように彼は言ったが、ざっくりとした話は聞いている。第一フェーズで彼女が発現させたスキルと、それによる暴走をザムロ公が強く懸念したらしい。
内心はそれだけではなさそうだったとのことだが、その内心とやらが何であるかまでは不明。ただ今回の決定を運んできた宰相の部下が漏らしていた話なので確度は高いだろう。
「どうせなら魔法使いを五人寄越せとふっかけておけ。多くて困ることはない」
「はい!」
というわけでザムロ家に人を向かわせる。領軍も私兵も強者揃いと名高い彼の家なら十分な実力者を寄越すと踏んで。
「騎士のリスト、できました!」
今度は横合いからメモ用紙が差し出された。
「やけに早いな」
「口の堅さと身元の確かさを優先したところ、かなり絞られました。派閥を考慮すると騎士団からこれ以上引き込むには調整の時間が足りないかと」
「その絞り方でかなり絞られるのも、どうかと思うが……」
部下から受け取ったリストにはいくつかの名前が書きなぐってある。
ランバートには全て知った名前だった。
「ふむ、この面々なら夜会でそれなりに話したことがある。頼み事もしやすかろう、私が今から行ってくる」
「それでしたらこちらもお願いします。装備の追加申請です」
別の部下が書類の山から数枚を引き抜いて押し付けてきた。
「騎士の宿舎はたしかに兵站部と近いが……上司使いの荒い奴だな。まあいいだろう」
善は急げ。リストと書類を手に踵を返したところへ、隣の部屋から別の部下が転がり込んでくる。目の下には大変に濃い隈が浮かんでいた。
「作戦本部の再設置が完了したとの報告です!第一から第四支部まで、直通の通信魔道具もセッティングが終わりました!これで連絡網は準備できたかと……」
「全拠点同時通信のテストもさせろ。当日になって繋がりませんでは話にならない。ただしお前は」
「ただいまテストします!」
言い終える間もなくまた隣の部屋に転がり去っていく部下を見送り、近場にいた女性軍人に声をかけるランバート。
「あいつは無理やりでも宿直室に運んで、次席の者にさせろ。前線組ならまだしも、後援組から死者など出せるか」
「わ、分かりました!」
「それとアクセラ嬢の不参加、人員の変更、プランの微調整についても通信網で共有させるように」
「承知いたしました!」
「では出てくる。途中で適当な侍女に食事を頼んでおくから、期待しておけ」
若干テンションがおかしくなった部下たちの歓声を背に、今度こそ踵を返した近衛騎士は部屋を出た。
~★~
『こちら王宮、聞こえているか?』
『こちら作戦本部、感度良好』
『第一支部、良好』
『第二支部、良好』
『第三支部……』
『第四……』
風の魔法に乗って王都を飛び交う秘密の通信。
音と情報の洪水に意識を浸しながら、屋上でニタリと嗤う背の高い人影。
右手でピンクの髪を掻き上げる。その耳には特徴的な金のイヤーカフスが輝いていた。
「ふぅん、ちょっと予定を変更しないといけないわね」
思惑の交錯するときは、迫っている。
読み返そうとして「あのシーンどの回だっけ、ほら、あれだよあれ」みたいなの、あるじゃないですか。
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本屋で会った趣味が同じ知り合いくらいの感覚で、めっちゃフランクに聞いてください。
まあ、ぶっちゃけ覚えてないから一緒に探すんですけど(オイ)
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