十三章 第25話 鬼神
「待っておったのじゃ、我が友よ」
天上の世界へ舞い戻った俺は、転移宮を出るなりミアに出迎えられた。周りにシェリエルやいつもの戦乙女たちはおらず、どうやら彼女一人で待っていてくれたらしい。
確かに昨日、パリエルを通じて要件を伝えておいたので、スムーズに対応してもらえるだろうと期待はしていたが……。
「久しぶり、でもないか。でもどうしてミア一人?」
「これから案内する場所が大神にしか許されぬ場所だからじゃよ」
「大神にしか……?」
「まあ付いて来るがよいわ」
意味深なことを言って真鍮色の目の少女は踵を返す。
俺は黙ったまま、その背について転移宮を後にした。
「それにしても、思ったより遅かったな。もう地上は昼前じゃろう?」
「渋滞。今日が使徒の慰霊祭だって忘れてた。ん、慰霊祭があるのは知ってる?」
「アーリオーネの大一番じゃ、知っておるに決まっとるわ。というか昨日からずっとやっとるんじゃが……そうか、今日までずっと入院暮らしじゃったな。いやしかし、二日かけて王都を練り歩いてな、大勢の神官と場を清めるのじゃ。なかなかの重労働じゃぞ」
どうやら俺より彼女の方が詳しいらしい。自分の使徒のことならむしろ当たり前か。
「絶対やりたくない」
「安心せい。其方は浄化に向いた使徒ではないゆえ、したくてもできぬし誰も依頼せぬわ。専用のスキルも取得しておらぬしな」
天上界特有の一歩で端から端まで移動できるショートカット廊下をガンガン進みながら、彼女は慰霊祭の説明を続ける。
「場を清め終われば、今度は様々な祭事を執り行うのじゃ。聖歌や舞踊、祝福の付与などな」
「基本的には教会の祭事と同じ?」
「もっとパフォーマンスに寄せておるはずじゃが、まあ概ねは同じか」
慰霊祭は死者と生者を同時に慰める儀式だという。そのためあえて分かり易く霊験あらたかで神秘的なように演出しているのだとか。
高尚さというのも大切だが、目で見て分かるというのは大衆向けには重要な要素だ。そういう工夫からは創世教会の手慣れた感というか、民に寄り添う姿勢がうかがえる。
「しかしアーリオーネが執り行う場合は少々事情が変わってくるのじゃ。あ奴は最後の最後、使徒の力で冥界への直通門を開くことができる」
「天上界へ繋がる道を開くということ?人が通れるような?」
だとすれば大事だ。俺ですら精神を飛ばすことしかできないのに、生きた人間が肉体を持って天上界へ渡れるとなれば……と思ったのだが、ミアは首を横に振った。
「さすがにそこまでは許しておらぬ。地上の死霊たちを冥界へ引き込み、冥界の戦乙女たちを地上へ送り出すためのモノじゃな」
「ん、なるほど。死者専用か」
「当然じゃよ」
ミアは窓のない通路を進みながら言う。
ちなみに彼女の宮殿は中庭が多いので、窓が一つもないというのは珍しいことだ。
「死ねば魂のある者は即座に冥界へと旅立つのが理じゃ。しかし神代に不死神アルヘオディスの馬鹿者がそれを歪めた。ゆえに奴の加護を受けた者や、強烈な未練に縛られた者は地上に留まることができる。そのようになってしまったのじゃ」
「迷惑な話」
「そうじゃろう?しかしアーリオーネのスキルで冥界への門を開けば、未練に縛られた者の霊魂を周辺一帯から強引に引きはがすことができるのじゃ。器さえ壊せば不死者も同じじゃな。一発で強制成仏じゃよ」
なんだか物騒な物言いだが、普段から冥界神の戦乙女や彼の娘である昇天神アルキアルト、そしてその眷属たちがせっせと行っているのはそういう作業だ。
不死神の加護により永劫の復讐者になるのは邪道。冥界の裁判所で天国と地獄の沙汰を言い渡され、魂を補完され、そして輪廻転生システムによって生まれ直す。世界の理に還っていくことが霊魂にとっても救いとなる。
「それにしても、冥界の門とは。思っていたより大掛かり」
「そうじゃぞ。なんといっても儂の使徒が直々に、地域全体を対象として行う鎮魂の儀式じゃからな。飛び切り派手に……っと。喋っておったらもう到着じゃ」
雑談を急に切り上げ足を止めたミア。
見ればその背後には、なんだかとてつもなく重厚な扉がそびえ立っていた。
「これは……」
ただの扉ではない。まさに話題へ上った冥界に建つ裁判所にしてヴォルネゲアルトの座所でもあるアイリーンパレス。その城門と同じ、見上げるほど巨大な宝石の二枚扉だ。
違いはあちらが深く澄み渡るような青のサファイアで、こちらが吸い込まれるような黒の……。
「黒曜石?」
波打ち、切り立つような独特の肌を持つ黒い石。まるで割れたガラスのような尖った雰囲気と視線を吸い込む透明感は唯一無二のものだ。
俺の見立てにミアが頷く。
「うむ、正解じゃ。黒曜石は儂の石でな。太陽の力を吸い、蓄える性質を持つのじゃ」
「なるほど。いわば太陽神の簡易的な分身」
「そういうわけじゃ。そしてこの黒曜石の大板にはこの先の部屋を外から守るため、また部屋の中身から外を守るため……二重の意味で盾としての権能を持たせておるのじゃよ。ゆえにこの扉を開けられるのも、閉められるのも儂しかおらん」
黒曜石、二重、盾……その説明に俺はすぐピンときた。
「もしかしてこの扉が黒輝盾シディア・マリウム?」
「さすがは神話の研究をしとっただけあるな。正解じゃ」
ニヤリと笑う彼女には悪いが、研究をしていたのは師であって俺じゃない。
(いやまあ、それはいいとして)
黒輝盾シディア・マリウム。それは創世神にして太陽神たるロゴミアスの持つ、無数の神器の一つ。黒曜石の盾を二枚貝のように裏同士で合わせた、奇妙な武具だと伝わる。
「……ここまで大きいとは」
「伝承に描かれる形は使い勝手の良いよう、コレから少し分離させたモノじゃな。実際に盾として使うときはそうしておるのじゃが、本体はあくまでこっちじゃ」
そういう仕組みだったのか。
しかしこの神器が出てきたとなれば、この先にあるミアの見せたいモノも察しがつく。
「シディア・マリウムが守るモノ。スキルシステムの所に案内されてる?」
「その通りじゃ、技術神エクセル」
再びニッと笑うロゴミアス。
善なる神々がもたらす最高の恩寵にして、人類が害獣や悪神の手先に抗って地上に生存圏を維持できている最大の理由。そんなスキルを管理し、与え、ときには新しく生み出しすらする……輪廻転生システムと並ぶ究極の神話装置が、この扉の向こうにあるのだ。
「其方の中に巣食う悪鬼のような存在。べっ甲色の雷や、新しく芽生えたスキル。悪鬼の物言いもじゃな。その全ての答えがここに眠っておる」
背後の黒い扉にびたっと手を叩きつけるミア。白く小さな手から放射状に深紅の光が溢れ、黒曜石の内側を走って模様を浮かび上がらせた。
「刮目せよ、これがスキルシステムじゃ!!」
光の模様を大きく脈動させ、シディア・マリウムは音もなく左右へ分かれる。
その向こうへ主神の誘いに導かれて足を踏み入れると、真っ白な大理石の部屋の中央に一言では言い表せない奇妙な構造物が鎮座していた。
「これが、スキルシステム」
まず目に入るのは色とりどりの光点に満ちた巨大なガラスの球体。点と点の間には不規則に光の線が走っては消え、まるで夜空に浮かぶ星座をかき集めて詰め込んだようだ。
その中心では扉を開いたときに溢れて来たのと同じ無限色の光が、互いに混じり合いながら膨らんでは縮み、縮んでは膨らみを繰り返している。
それから気になるのは細い真鍮の針。長さの違う鋭い針が球体表面から中心に向けていくつも刺さっているのだ。先端は光に触れるくらい深く食い込み、根本側からは同色のケーブルが白く霞むはるか上空へと伸びている。
最後に球体を支える七本の足。なんというか、カブトムシの足を金細工で作ってつけたような形をしていた。
「荘厳といえば荘厳だけど、えっと……全体的に、こう、なに?ってかんじ」
「……うむ、まあ、他人に説明しがたい形状じゃよな。儂も久しぶりにこの目で見ると、そんな感想しか出てこんわ」
俺の微妙なコメントにミアも微妙そうな顔で頷いた。
創ったのお前じゃないのかよ、とは言わないでおこう。
「見せたかったのはコレではなくじゃな……」
彼女はもうそれ以上スキルシステムそのものに触れるつもりはないらしく、数歩下がって俺と距離を取り、それから足元を靴の爪先でトントンと打った。
「アレが其方の知りたい答えじゃ」
真鍮色の視線が示す先はやはり真下。
俯くと白い大理石の床が……。
「ん?」
よく見ると大理石ではない。透明な中に雲を閉じ込めたような白い濁りがある、そんな材質だった。
「煙り水晶?」
「いや、雲母じゃ」
雲母。薄くてパリパリ剥がれるあの。
そう認識した途端、俺は途端に自分が薄氷の上で仁王立ちしているような気分になる。
「なんでそんな脆いモノで床を」
「封印の都合じゃな。安心せい、神力で繋ぎ合わせておるからパリパリ剥がれたりはせん。それより見ておれ」
ミアが手を床にかざし、さっと振る。すると白雲母の中の靄が晴れていき、その向こうに封じられていたモノが見えてくる。
「!」
透明な雲母の層の下には広大な、球形の空間が広がっていた。直径にして七、八階立ての塔くらい。とんでもない広さだ。
全面が今立っている床と同じ白雲母でできており、上から落ちる光を反射してチロチロと万華鏡のように輝いている。
そんな神聖な場所の中心には、似つかわしくない物体が浮かんでいた。
一人の男の死体。
身の丈2m以上はあるだろうか。七条の槍と三振りの剣、それに無数の矢を受けて果てている。
「あれは……」
命を失ってなお朽ちない筋骨隆々たる肉体には、遠くから目にするだけでも恐ろしいと感じさせるナニカがあった。
だが気になるのはその威圧感ではない。荒縄のような筋肉に押し上げられる褐色の肌には、きらめくべっ甲色の模様が刻み込まれていた。太い首の上に乗る頭には同色の光の角が八本も冠の如く生え、日と潮風に焼けたようなボロボロの頭髪は見覚えのある墨色だ。
「悪鬼と似ている」
俺の中で憤怒だと名乗ったクソッタレの悪鬼と、眼下の死体はよく似ていた。奴にも同じような肌の模様があった。角も数こそ違うが形はまったく同じ。そして、気持ちの悪いことに、悪鬼が姿の土台として選んだエクセルも浅黒い肌に墨色の頭をしている。
(顔は……ないか)
頭部に真正面から突き刺さった剣から魔法か何かを放たれたのか、面相は目鼻立ちすら分からないほどに潰されていて確認できない。
これで顔まで俺とそっくりだったら怪談の領域だと思ったのだが 。
「あれが……鬼神」
無貌の遺骸をじっくりと見ていた俺は、納得してそう呟いた。
目の前に立つ最高神がゆっくりと首を縦に振る。
「神代もまだ明けぬ太古の時代、数多の善神と悪神を相手取って暴れに暴れた狂乱と戦禍と憤激の大神がおった。それがこやつ、鬼神じゃ」
「なぜスキルシステムの下に?」
「こやつがスキルシステムそのものだからじゃよ」
雲母の上に座り込んで透明な表面をコンコンと叩くミア。
俺も彼女の前に腰を下ろし、はるか下にて沈黙する巨体を見る。
「スキルシステムそのもの……」
目に力を籠め、権能を意図的に発動させる。すると鬼神の肉体から何かしらのエネルギーが溢れているのが分かった。突き立つ武具を伝って外へ引き抜かれたその力は、スキルシステムの上部装置に取り込まれていく。
「動力にしている?」
「それだけではないが、まあそうじゃな」
「どうして?」
神の知識には鬼神という存在がいたことと、それが他の神々によって討ち取られたことしか記載がなかった。
「身を焦がす憤激のままに天上界、地上界、魔界を破壊してまわり、神も人も善も悪もなく殺してまわる。そんな鬼神を生かしておくことはできなんだ。創世から間もない世界は不安定で、強大な神がこのまま暴れ続ければいずれは崩壊し、無に還ってしまう」
だから苦渋の決断として、討ち取ることにした。
そう続けるミアの視線には忌々しさではなくもの悲しさが宿っている。
「儂らは百と二十八の呪いを練り、これを鍛冶神に武具と打ち換えてもらった。そして七日七晩をかけて奴に全てを打ち込んだのじゃ」
「それがあの満身創痍……そこまでしないと倒せなかった?」
俺の問いにミアは首を振る。
「ただ討つだけならもっと簡単じゃったよ。しかし鬼神は強大な神じゃ、完全に滅ぼしてしまえばそれはそれで世界に差し障る。こやつの司るモノもモノじゃったしな。それゆえ、奴の神格だけは何かの形で残す必要があった」
「それでスキルシステムに」
「まあ、その時は骸を一旦封印しただけじゃったが、のちにな」
百と二十八の呪い。百と二十八の武具。
ということは槍七条と剣三振り、あとは矢が百と十八発か。
鬼神に名前がなく、ただ鬼神とだけ記録されているのもその呪いの一環らしい。神は己がなんであるかという定義を失うと弱体化する。その理屈を使っているのだとか。
「そうまでして消滅を防ぎたい、司っていたモノ。そんな重大な何かがあるの?」
「うむ。重大も重大……鬼神の鬼とはすなわち鬼力、つまりこれじゃ」
バヂチッ ……!
言うなり彼女は白く柔らかい手を前に差し出し、するとそこから30cmほどの雷が真っ直ぐ上に迸った。べっ甲色に染まった雷が。
「其方の相談内容そのものであろう?」
「……やっぱり、これは鬼神の力?」
俺は笑う主神の問いに問いで返した。
彼女はゆっくりと頷いた。
「鬼神は雷神であり、戦神であり、また憤怒の大罪を背負った神でもあった。しかし奴はあくまで『鬼神』と呼ばれておる。それはその主たる神格が鬼力の理にあるからじゃ」
「鬼力……」
「生きとし生けるモノに宿る力、生命力や活力とも相通じるもので、神力とは互いを補完するエネルギーじゃな」
例えば魔物が上位種や変異種になること。
例えば異常な魔力溜まりがダンジョンになること。
例えば俺たち人間が鍛えるほどに強くなり、ときには超越者へと至ること。
これらすべて、ミア曰く鬼力の影響であるらしい。
「神力が新たに何かを生み出す力であるとすれば、鬼力はすでにある物に進化と変革を遂げさせる力じゃ」
「なら誰もが持っている?」
「その通り。それだけでなく、魔力のように空気中へも放出されておる。これを取り込み、己を変革する才能に長けたものがトントンと強くなっていけるわけじゃ」
魔獣などを倒して使徒スキルが成長するように、鍛錬と戦闘の中で鬼力を得ることでステータスやスキルが伸びやすくなる。その事実は師の推論そのものであった。
「なるほどな」
色々な切り口がある神の分類方法だが、その一つに世界そのものを担う神か否かというものがある。これは直観的かつシンプルなのが特徴で、神学においてもよく使われる分け方だ。
例に挙げるなら太陽神のミア、火焔神ハルーバ、深海神アプスのような世界の要素として存在する神が該当し、技術神である俺や商業神ジャルカットのように人間の営みと結びつく神は否の方である。
(世界を担う神は、消滅するとその概念自体がなくなる)
彼女が「完全に消滅させれば世界に差し障る」と言うのはコレのことだ。
神の知識に曰く、前例は蘇生神アイレーン。彼女がミアを庇って昏き太陽の手にかかったことで、聖属性からは死者蘇生の魔法が消滅したそうだ。
「鬼神を殺せば鬼力が失われ、鬼力が失われれば世界に進化と変革を促すリソースがなくなる。こういうことだね」
「うむ。ゲームで言うところの経験値みたいなものなのじゃからな、無くなるとそれはそれは困ったことになる」
などと抜かすミアに俺はため息をこぼす。
「私の師がよく同じことを言っていた。経験値を消費してブーストできるスキルはないのか、とか。経験値が通貨にもなる世界だったら楽だったのに、とか。魔獣以外の経験値が渋い、とか」
「あー、いやまあ、言いたいことはよく分かる。分かるんじゃが、他所様の世界に言いたい放題じゃな、其方の師匠は」
なんだか妙に共感を呼んだようで彼女はうんうんと頷き始めた。
「でも確かに経験値を消費する博打みたいな強化術は浪漫じゃよなぁ!通貨はさすがに現実では無理じゃし、渋さに至っては言い掛かりじゃが。異界人は鬼力を吸収する素養がもとからないんじゃから、おま環というやつじゃ」
「言っている意味がまったく分からない。経験は確かに蓄積するけど、消費できるエネルギーとかじゃない。通貨にするってなに?おまかん?」
「え?あ、うむ……そうじゃね。そうなんじゃけどね。いや、なんでもないのじゃ。これは其方に言うても伝わらぬ」
「?」
俺の返事は彼女にとって青菜に塩だったらしい。自分の分野を畑違いの人間に説明しようとして失敗した研究者みたいな顔になってしまった
そういえば師も似たような反応をしていたような……なんだか悪いことをした気分だ。
「オホン、話を戻すとじゃな」
一度萎れるとしばらくはぺしょぺしょしていたオッサンと違い、ミアはパン!と手を打ってすぐに話を引き戻す。
「鬼力は誰もが使っておるモノじゃが、それを今見せたような雷状に凝縮して放出するようなことはできぬ。まして直接纏うことで瞬間的に能力を引き上げるような芸当は不可能じゃ」
「でもできてる」
「もちろん何事にも例外はあるものじゃ。それが『鬼化』、これを持つ者はスキルの形で内側の鬼力を表出させることができるのじゃ。制御できるかは別としてじゃが」
出た 、そのスキル。
「『鬼化』とは何?」
「一言で表すとなれば、スキルシステムとなった鬼神の残り香じゃな」
パチンとミアが指を鳴らした。すると空中に簡素な人型の図が現れる。ご丁寧に胸元へ「ただのひと」と書いてあった。
「始まりは『怒り』というスキルじゃ。名前の通り強烈な怒りを抱えた者が得るスキルでな。もちろん素質というべきか、鬼力との親和性があってこそじゃが」
頭に血が上る表現だろうか、「ただのひと」氏の顔が段々赤く色づいて行ったかと思うと……ポンっと音がなった。すると「ただのひと」の下に「怒り」と赤い文字が書き足される。スキルを得てしまったらしい。
「これを目印に鬼神の幻影が現れるのじゃ」
「鬼神の幻影?」
二度目の指切り。頭から角の生えた人型が「ただのひと」の隣に現れる。そいつの胸には「鬼神(幻影)」と書かれていた。
「こいつじゃ」
「こいつじゃと言われても」
碌な物でないことだけは分かる。だが逆に言うとそれしか分からない。
「まあ、これもスキルシステムに溶け出した奴の残滓じゃな。其方が悪鬼と呼んでおるモノじゃよ」
「ああ、あいつ」
幻影と呼ぶには饒舌で活動的だったが、そういうものなのか。
「幻影はスキルシステムを通じて『怒り』を持つ者を見定め、その目に叶えば接触し、焚き付け、『怒り』を『鬼化』へと成長させるのじゃ」
ミアの説明に合わせて「鬼神(幻影)」から矢印が伸び、「ただのひと」の頭ににょきっと二本の角が生えた。胸の「怒り」は「鬼化」に代わっている 。
(分かりやすいが、どうにも気が抜ける)
微妙な顔にならざるを得ない俺であるが、説明された内容はなかなかに衝撃的なものだ。
「ん、まあ、理屈は分かった。で……こうなったら鬼神を引っ張り出して纏うことができる?」
「引っ張り出すというのは少々違う。『鬼化』は鬼力に、すなわち活力や経験値と呼ばれるモノに刻み込まれた鬼神の存在を抽出しておるのじゃ」
「ん、なるほど。ニュアンスが少し違う」
俺はミアの語りに納得し頷く。それからもう一度話の筋を纏め直した。
「鬼神は世界の要素、進化の源である鬼力を司る。それを消すわけにいかない。だから名前を奪い、スキルシステムに変えた。でも鬼力の中に鬼神の面影が残っている。これのせいで『鬼化』が生まれ、システム経由で人に感染している。こういうこと?」
「うむ、よく纏まっておるのじゃ」
太陽とミアが同期しているように、鬼神と鬼力も相互に影響している。
鬼力の中には今でも在りし日の神の姿が刻まれているのだ。
「でもそれはあくまで残滓、強い光によって焼き付けられた実体のない影にすぎないはず。そこまで悪影響を及ぼせる?」
「たしかに幻影は残り香でしかなく、スキルで抽出するといっても大した濃さにはならぬよ。しかしそこは狂っていても大神じゃ。ほんの微量で劇的な変革を宿主に与えるのじゃ」
ミアが最後にもう一度指を鳴らすと「鬼神(幻影)」から大量の矢印が飛び出す。それを受けた「ただのひと」はべっ甲色の雷を纏ったムキムキの姿になり、胸の表示も「英雄」に代わった。後ろに(暴走中)と付いていて、天に雄叫びを上げているが。
「つまり、もれなくこのザマじゃ」
「ふむ……制御できれば強いな」
「其方なぁ 」
図解を手で払って消しながら、ミアは再び鬼神の遺体へ目を向けた。
「其方は今やその厄介極まる『鬼化』を宿しておるわけじゃが、もとは前提となる『怒り』を持っておったわけではない。にもかかわらず幻影に接触され、一発でスキルを得てしもうた。それはなぜか分かるか?」
「分かればここに来てない」
「じゃろうな」
白魚というには短くふっくらした子供の指を一本、女神は立てる。
「まず一つにはエクセルという男が鬼力と相性が良すぎることがあるじゃろう。スキルなしで人類最強となったのじゃ、鬼力を取り込む才能もそれを使って己を変革していく才能も、ともにずば抜けておったはずじゃ」
今までの説明を聞く限りは確かにその通りだろう。
しかし俺にはこの時点で気になることが。
「前はそうでも、この体は違う。明らかにエクセルよりアクセラの方が肉体的には非才」
と主張してみるが、ミアの意見は異なるようだ。
「其方はまだ十五になったばかりじゃ。成長速度を考慮すれば十分な異常値じゃと思うがな。エクセルとてその年齢で同じ戦果を挙げておったわけではあるまい」
「ん……それは、そうかもしれないけど。でも十五のエクセルと違って、私は剣術も魔法も魔術も使える。スキルだってある」
「まあそう言われるとなぁ。じゃが鬼力はソレがあればどうにでもなるという物ではない。ゆえに物理的な体の大きさや保有魔力、あるいは年齢、精神的なバランス……他の部分が引っかかっておるとすれば、やはり鬼力適正の部分で非才じゃと決めつけるのは早計でないか?」
「……」
そうまで言われると俺には反論する材料がない。
というか自分のコトなのでこう言っているが、もし弟子が同じことを言っていたらミアの台詞をそっくりそのまま口にする自信がある。それだけにいよいよ返す言葉が見つからなかった。
俺が口籠ったのに納得したのか、ミアはうんうんと頷いた。
「話を戻すが、もう一つにはエクセルが膨大な怒りを背負っておることがある。其方は奴隷の子として産まれたあとも過酷な人生を歩んできた、のみならず他者の地獄に踏み入り、それを助け、寄り添うて来たわけじゃ」
「……まあ」
「まあってなんじゃ、まあって。其方は常人が一生のうちに目撃する何十倍、何百倍の惨たらしい景色を見て、心が摩耗し慣れるようなこともなく、ただ一心に憤りを抱えてなおも前へと進んできたのじゃぞ。誇れ誇れ!」
ミアの手がぬっと伸びて来て、鼻の頭をぴしっと弾かれた。
俺は顔を背けて追撃から逃れつつ再び反論する。
「別にずっと真っ直ぐ進んでこれたわけじゃない。怒りに駆られて暴れたこともあるし、憎しみのために無実の人を斬りかけたこともある」
「しかし其方は斬らなんだ」
「……」
ニヤっとした笑みが彼女の顔に浮かんだ。
「普通は其方の半分も地獄を見れば心が歪むか、何も感じぬようになるのじゃ。それを乗り越え、其方はそれでも救うことと許すことのバランスを取ろうとしてきた。その努力こそが尊いものじゃと儂は思う」
「……ありがとう」
すらすらと出てくる誉め言葉に俺は自分の顔が熱を帯びるのを自覚する。
突き放すようなぶっきらぼうさで短く礼だけ言いうと、また手が伸びてきた。
「お?なんじゃ照れておるのか?おうおう、愛いやつ……」
「ていっ」
「あ゛ッ、痛ってぇのじゃ!幼子の手を叩き落す奴があるか!!」
「その絡み方は幼子というより面倒くさい年寄りだ」
いや、俺のことじゃなくて。
「うー、一撃で赤くなっとるわ。虐待じゃ虐待、神虐じゃ……」
「いいから、続き」
「まったく。とまあ、儂は其方の人間的な葛藤も、善き方を選ぼうとする善良さも評価しとるがな。鬼神の幻影からすれば面白くないじゃろうという話よ。スキルシステムに繋がっておれば確実に『怒り』系統に目覚め、それを糸口にいくらでも接触できたものをと」
「それで百年待ったとかどうとか……」
指先を揉むミアの言葉に俺は悪鬼の台詞を思い出す。
「近しい体験をした其方の昔の仲間でも『怒り』を発した者はおるじゃろう。それを周りに悟らせたか否かは別として。しかし其方は『鬼化』を見たことがなかった。これは『怒り』を得れば誰もが『鬼化』までいくわけでもないからじゃ。何か他に基準があるのか、数に限りがあるのか、それとも幻影が自ら選んでいるのか……そこまでは分からぬが」
繰り返しになるが、なんとも能動的で活発な幻影だことだ。
「ともかく、其方は『鬼化』との繋がりが深くなりやすい魂の持ち主というわけじゃ。結論として、自分から触れに行くのは正直言ってオススメせん」
あくまでミアは『鬼化』の制御という考え方には不賛成らしい。
「『鬼化』の先は何とくっ付いてどういうスキルやジョブに発展するかは未知数じゃからな」
たしか にベルベンスも『鬼憤の騎士』という特殊な派生ジョブを持っていたらしい。ああした上級の派生ジョブは半分以上がユニークの側面を持つから、効果も条件も読めないことがほとんどだ。
「幸い何でもかんでも腹が立つ『怒り』と違って、『鬼化』は地雷ともいうべき一つ事にのみ激発するスキルじゃ。その分、ブチギレたら危険度は比ではないが……普段の生活で困ることはあるまい。それならしばし様子を見るのも手ではないか?」
「でもその一つ事に触れないよう生きることは、私にはできない。私は技術神で、その使徒だから」
「それは……そうかもしれぬが」
俺の返事に彼女の勢いが鈍る。
(だって、きっと俺の一つ事は奴隷だから)
土台無理な話であることは分かっているのだろう。それでも俺が自分から危ない橋に飛び乗って走り抜けようとするのは止めたかった。あくまで友人として 。
その想いをくみ取りたい気持ちはこちらにもある。だが、やはり無理なものは無理だ。
「いつ不測の事態が起こるか分からない中で、恐る恐る使命を果たすなんて生き方はできない。私はそこまで繊細に過ごせるタイプじゃない。性に合わないから」
俺の性は前に踏み出し、困難を踏み越えていくこと。ならば御する方にいかずしてどうする。
「ん、話を聞くアテもあるし、とりあえず足掻いてみる。技術神らしく」
「む……ふむ」
技術神らしく。その言葉にミアは一瞬だけ表情を引き締め、すぐにふっと力を抜いて笑った。
「そうじゃな、そう言われれば意外と其方の領分な気もするわ」
「でしょ?」
念押しするように頷いて俺は立ち上がる。ミアに手を貸し、彼女のことも引っ張り起こした。
「じゃが気を付けるのじゃぞ、エクセル」
「もちろん。ありがとう、ミア」
鬼神の遺骸の遥か上で、俺たちは軽く拳を打ち合わせた。
「ところで、私の髪色が鬼神と同じなのは」
「それは……さすがに偶々だと思うのじゃ」
ホントかよ、このウッカリ神。
というわけで、前半にケリがつきました。
ここまで4か月ほど、皆さんありがとうございます。
予告していました通り、これから拙作は無期限休載となります。
ただ八割がたの作業は終わっていますので、半年とか一年のお休みになることはないと思います。
その部分はご安心ください。
詳しい再開のタイミングが決まりましたら、活動報告やTwitterにてお知らせいたします。
改めて、こんな中途半端なところで区切りとなってしまったこと、お詫びいたします。
それでは、皆さんに読んで頂ける、納得いく「ひと段落」をお届けするため頑張って参ります。
しばしのおさらば!!
【追記】連載再開が決定!
7月27日(土)0時から更新再開いたします!!
長らくお待たせいたしましたが毎週連載、再開です('◇')ゞ




