十三章 第24話 初弟子
――前回のあらすじ――
記憶の牢獄に囚われたアクセラは、幼き日のエクセルの姿を取る「悪鬼」と対峙する。
過酷な奴隷の扱いと過去の仲間にまつわる壮絶な記憶を見せられ、心折れかけるアクセラ。
しかし彼女は差し出された黒い刀を掴むと、悪夢と悪鬼を切り伏せて見せた。
喪った弟子と、仲間たちに誓ったから。立ち止まらず、助けられる人を助けると。
※前回がかなりゴアだったので、飛ばした方向けのざっくりあらすじです。
深い海の底 から一気に浮上するような、光の中に引き上げられるような感覚。俺の意識は目が覚めるとき特有のそれに包まれ、夢から現実に戻された。夢といっても特にディテールのない、茫漠としたものだったが。
「……ん」
やけに重たい瞼を上げた俺が、起き抜け一番に目にしたのは……王立治療院の懐かしい天井と、それを背景に覗き込む丸々と太った男の渋面だった。
胸元に神樹アスカロムの葉のバッヂを付けた彼はボルボン司祭。薬医神殿の神官にして治療院に務める腕利きの医者でもあり、トワリの反乱以降は俺の主治医だ。
「目が覚められましたな」
「……ど、どうも」
「意識もはっきりしているようで、何よりです」
言葉とは裏腹にまったく何よりそうではない顔で司祭は頷く。それだけで状況は大体想像がついた。俺はあのあと、ここに運び込まれたのだろう。
彼にしてみればこっちはただでさえ内臓に後遺症を抱えている患者。それが意識不明で担ぎ込まれてきたのだから、楽しかろうはずもない。むしろ目覚めそうなタイミングを察して看ていてくれるのだから、頭の下がる話である。
「えっと、司祭。私は……」
「魔力枯渇と重度の精神的疲労です」
言い切る前に返事がきた。
「その、どれくらい……」
「夜中に担ぎ込まれて三晩眠られ、今は昼前です。このあと軽めの昼食をお持ちしましょう。ご友人も来られているのでお通ししますが、くれぐれも穏やかに過ごして頂きたい」
「ん、はい……え、三日!?」
驚いて体を起こそうとしたが、機先を制した司祭に肩を押さえられあえなくベッドに沈む。
「暴れるんじゃありません!それから、ええ、三日目です。ご存じの通り魔力は意識や無意識、人の思念に反応するもの。極端な精神の疲弊に伴い、魔力が貴女の体を強制的な休眠状態に追いやったのでしょう。ああ、明日には帰って頂いて結構です。ただし三、四日は体と心を休めるように」
すらすらと出てくる説明には俺も納得する。
たしかにあのクソ悪鬼の所業は、薄っすら思い出すだけでも鉛を飲んだような重苦しい気分にさせられるものだった。
だがまあ、一度は乗り越えたのだ。今回も乗り越えていくほかない。
それより問題なのは……。
「あの、王宮からは……」
「初日に一度、使者がありました。しかし治療院の権限において締め出しておりますので、明日以降に学院でお会いになってください」
丸々とした司祭は決然とした口調で言ってのける。
使者の用事はどう考えても今回のイレギュラーでメチャクチャになった第一フェーズの責任追及と事情聴取なわけで、それを門前払いする胆力にはただただ驚くばかりだ。
「質問は?」
「ない、です」
「結構。ではご友人を呼んでまいります。ただしくれぐれも、くれぐれもッ、安静にするように!」
「は、はい」
あまりの押しの強さに、俺はコクコクと頷くしかなかった。
~★~
「アクセラちゃ……ぐぇっ!?」
病室へ通されたエレナが開口一番、くぐもった悲鳴を上げた。
俺を見るなり駆け寄ろうとしたのだが、ボルボン司祭に襟首を捕まえられたのだ。
「治療院で走らない。患者に飛び掛からない。守れないなら帰って頂きますが?」
「ご、ごめんなさい」
「まったく」
エレナが謝ると転がした方が早そうな体形の医師は、ぷりぷりと怒りながら部屋を出ていった。その様子をアレニカが苦笑ぎみに見守っている。
「コホン。えっと……アクセラちゃん」
仕切り直しで勢いを失ったエレナがちょっと困った様子でベッドサイドまで歩いてくる。
俺は体を起こし、肘まである傷がむき出しになった左手を伸ばした。
「エレナ」
「うん。まあ、とりあえずは無事そうで……わわっ」
杖だこのある手を握り、軽く引き寄せ、俺は恋人に抱き着く。そのまま服越しに彼女のお腹へ顔を埋め、ぎゅっと力を込めた。
「アクセラちゃん?」
「ん」
困惑気味の声に短く答えるも、顔を離すつもりなどない俺である。
眠い時に枕へそうするように、柔らかさの奥にしっかりとした筋肉の感じられる、魔法使いとは思えないほど鍛えられた体に鼻先を押し当てて体重をかけた。
「おっとっと」
口ではそういいつつ、エレナは多少押したところで一歩も動じない。その安定感は可憐な少女の見た目に似合わないが、抱き着いていてとても安心できる。
「……よしよし」
ただじっと抱き着いていると、頭の上に手が乗せられた。
五本の指が白髪に分け入って毛先へ抜けていく感覚。撫でながら髪を梳くその手つきはとても優しく、少し眠くなってしまう。
「……ふぅ」
しばらく恋人とのスキンシップで癒されたあと、俺は本格的に瞼が落ちてしまう前に腕を解いた。
解放されたエレナは一歩下がってこっちを見下ろす。何も言わず、ただ何かを感じ取ったように微笑んで。
代わりにではないが、横合いから顔の赤いアレニカがじとっとこっちを睨んでいた。
「そういうのは私の帰った後に……って、きゃあ!?」
アレニカの手も取り、引き寄せ、抱きしめる。
「ちょ、なんで私まで!!」
「まあまあ、いいじゃん」
じたばたと藻掻く彼女をエレナの声が宥める。
アレニカは……全体的にエレナより薄い。筋肉もまだまだ未発達だし、骨格からして華奢だ。肉の付いていない俺、というとさすがに失礼か。
それに思っていたより結構固い。布っぽい固さだから、コルセットのような芯紙の入った下着を着けているかもしれない。ドレス用に使う絞め殺すようなアレではなく、普段着に使うもうちょっとマシなやつを。
まあ、そんなことはどうだっていいのだ。俺にとって今一番に大切なのは、目の前の仲間が確かにここにいる……そう実感できることだから。
「私はどうすればいいんですのよ!撫でればいいのかしら!?」
「むぅ、仕方ないなぁ。今だけ特別だからね?」
「なんで私が許可してもらう形なんですのよ!」
やいのやいのと盛り上がる二人の声を聞きながら、アレニカを抱き枕にすること数分。俺はようやく気力の充填が終わったので彼女のことも解放した。
「ありがと、アレニカ」
「全然意味が分かりませんけれどもどういたしまして!」
彼女はヤケクソ気味な返事を残して数歩後ろに逃げた。
エレナがテーブルセットから椅子を持ってきて腰かけ、そして尋ねる。
「どうだった、ニカちゃんの抱き心地」
「言い方どうにかなさいまし!」
「固かった」
「ぶっとばしますわよ!!」
アレニカは憤慨しながら、もう一脚をもってきて少し離れたところに座る。
ちなみに彼女たちは俺が眠っている三日の間、近くに宿を取って通ってくれていたらしい。ありがたい話だ。
そんな二人に俺は向き直り、背筋を伸ばして頭を下げた。病人服で威儀を正したところでサマにはならないが、こういうのは気持ちを示すものだ。
「エレナ、アレニカ、まずはごめん」
今回の依頼はあくまで「雪花兎」として受けた仕事であり、それを俺の暴走で吹っ飛ばしたのだから当たり前だ。
特に今回はアレニカを加えてはじめて単独で挑む大口依頼。これを失敗したとあっては、新加入した彼女が戦犯と見られかねない。もちろん違うのだが、失敗したパーティの言い分など誰も聞いてくれないのが冒険者の世界だ。
「今回の責任はどうにか私が」
「あ、待って待って!」
エレナが慌てた様子で俺の言葉を遮る。
彼女は首を傾げる俺にこう語った。
「えっとね、アクセラちゃん。依頼は一応、達成扱いになってます。心配してるようなことにはなってないから」
「ん、そうなの?」
「うん」
頷く二人。言葉を継いだのはアレニカだ。
「エレナに感謝するんですわよ。その子の活躍で主犯を制圧できていたからこそ、そうした判断をして頂けたんですもの」
「主犯を制圧?じゃあ……」
「うん、奴隷にされてた子たちは無事救出できたよ」
違法奴隷商は用心棒含めて全て逮捕。四人の違法奴隷は保護され、現在は国の用意したセーフハウスで極秘裏に検査と治療を受けている。
エレナによって明かされたコトの顛末に、俺はほっと胸に溜まった息を吐き出した。
「ん、そう……よかった」
俺の暴走は最悪なタイミングで引き起こされたものだった。アレが原因で逃亡を許したり、まして子供たちに被害が出ていたりなどしたら。そう思うと恐ろしくて……と、そこまで考えてようやく、己の思考が逃げに走っていたのだと知る。
真っ先に聞くべきその話題を後まわしになど、普段の俺なら絶対にしなかった。
(いかんな、本当に気が弱っているらしい)
ボルボン司祭の言った通りだ。
「エレナ、ありがとう」
「えへへ」
自戒も込めた感謝の言葉に、彼女はくすぐったそうな顔で笑った。
「あ、でもニカちゃんも凄かったんだよ!最初の建物で制圧した人たちが二人くらい縄抜けしちゃってね」
「ん、やっぱり逃亡したやつもいたんだ……」
「一瞬だけね?だってニカちゃんが仕留めてくれたからね、雷の狙撃でバチン!ってさ。ルオーデン子爵も逃がしたのは向こうのミスだって言ってくれたし」
「あれは丸く収めるため、こちらの手柄を調整するために逃がされただけだと思いますけれど」
「まあ、そうかもね」
ルオーデン子爵はこの状況でどう動くか分からない御仁だが、今回は恩を売られたと思っておけばいいのだろうか。
「ん、でもそっか。アレニカも、ありがとう」
「ふふん、私は予定通り私の仕事をこなしただけですわ!」
ぷいっとそっぽを向くストロベリーブロンドの少女。しかしその口元は笑みの形になっている。
「でも、めでたしめでたしとはいかない部分もあってね」
エレナが肩を落とす。
俺はサイドテーブルに置かれたグラスを手にし……。
「あ、注ぎますわよ」
「ん、ありがと」
アレニカがピッチャーを取り、冷水をトクトクと注いでくれた。
俺はのどを潤してから恋人の言葉の先を想像する。
「第二フェーズのこと、だね」
「うん。その、残念だけど……」
「分かってる」
俺は首を横に振り、もう一口水を飲んでグラスをテーブルに戻した。
第一フェーズの評価を王宮がどう結論付けるかは分からないが、おそらく俺の暴走は大きなリスクとして捉えられるだろう。当然のことだ。
つまり、俺は外される。
「まあ、仕方ない。次は相手が相手。不確定要素は抱えていられないはず」
今回は相手が数段劣る格下で状況も限定的、作戦自体も小規模だった。
第二フェーズで戦うのはあんな木っ端連中じゃない。王都に深く根を張って相互にネットワークを形成しているホンモノの違法奴隷商だ。
彼らの多くは表に立派な仕事を持っているか、場合によっては真っ当な奴隷商人の看板を掲げて認可まで取得していたりもする。狡猾で堅実、それにいざというときの備えも怠らない。一線級の犯罪者たちなのだ。
必要とされるのは直前まで悟らせない隠密性、手順をきっちり守る慎重さ、そして一気呵成に制御の効いた暴力を解き放つ瞬発力……まさに騎士団や軍向けの内容。
間違ってもいつ爆発するか分からず、どの範囲まで焼き払うかも分からない、できの悪い爆弾みたいな剣士を投げ込めるシーンではない。
(逃げるわけにいかないと思ったけど、まさか逃げるとか逃げないとか、そういう類の話じゃなかったとはな……)
だが心積もりの話でないとなれば、いっそ諦めも付きやすい。
あとは精々、残党狩りの第三フェーズで再登用があるかどうかだ。
「あーあ……悔しいけど、私が関われるのはここまでか」
全てを勘案したうえで、今回ばかりは八方ふさがりだと判断。深々としたため息に乗せて体からふっと力を抜く。
それを、なぜかエレナとアレニカはキョトンとした顔で見ていた。あげくお互いに顔を見合わせ、もう一度こちらに「え?」みたいな視線を寄越す。
「……なに?」
「いや、諦めが早いなって。ちょっと早すぎて不気味なくらいに」
「また陛下に直談判するんじゃないかって、私ちょっと身構えてましたのに」
そう指摘されて俺は頬を掻いた。
「失礼な……とも言えないか。ん、でもこれ以上は陛下やネンスの不始末になる」
「もう割とヤバいラインきてると思うけど」
「ですわよね」
「ん……」
エレナの指摘に沈黙が訪れる。
たしかに、既に方々手を尽くして例外をねじ込んでもらった感が凄い。なんなら食い下がるのと同じくらい、成果が曖昧なまま引き下がるのも拙そうなくらいに。
たっぷり五秒ほど考えた俺はもう一度頬を掻いてから口を開く。
「そこはまあ、一つ借りってことで」
「大きな借りですわね」
「ん、それはたしかに……んん?あ、キングサイズって」
「不敬罪で通報しますわよ?」
「ごめん」
アレニカの目はマジだった。
そこにエレナの手のひらが割って入り、アレニカをぐっと押し下げる。
「二人でイチャイチャするの禁止!」
「イチャイチャはしてない。むしろ身の危険を感じてる」
「自業自得ですわよね」
とわずかに尾を引いたが、エレナの介入で雑談へと逸れた会話は終わりを迎える。
「それで……まあ、アクセラちゃんが諦めるならそっちはいいんだけど」
「あら、いいんですの?」
「だって違法奴隷の方は国がなんとかしてくれるんでしょ?アクセラちゃんが直接関わりたがるから参加してたけど、本当は税を徴収してる貴族の責務だと思うし」
「……一理ある」
「でしょ?だから今日の本題はそっちじゃないの」
緩んでいた空気を引き締めるような間をおいて、彼女はずいっと顔を寄せてくる。
早苗色の宝石のような瞳に、まだ顔色の悪い白髪の少女が映った。
「わたしはそんなことより、あの暴走の理由の方が知りたい」
「エレナ、それはまだ……!」
彼女はぐいっと踏み込んで来た。
いつにない重さを帯びたその言葉に、アレニカの方が慌てたくらいだ。
けれど俺の大切な相棒は友人の制止を無視して、俺だけを見て続きを吐き出す。
「アクセラちゃんが後にしてほしいって言うなら後にする。でもドクターストップだからじゃ納得できない。全部話すのが、わたしとアクセラちゃんの約束だから。そうでしょ?」
真っ直ぐな眼差しだ。曖昧な返事を許してくれない視線をしている。
「そう、だね」
俺は早々に諦めて頷いた。
俺とエレナ、二人にとって一番大切な約束。灰狼君との遭遇で死にかけたあの日に決めたルールだ。これには従わないといけない。
「ん、説明が難しいけれど……端的に言うと、エクセルの記憶を見せられた」
俺は二人にあの時のことを掻い摘んで教えた。といっても具体的な内容はほぼ省いてだ。惨い話を聞かせる必要もないし、俺自身あまり何度も思い返したいものではなかったから。
けれどそう上手くはいかない。ぼかして伝えるということは、どうぼかすかをよくよく吟味して話すということ。遡りたくないと思えば思うほど言葉の選択は曖昧になり、痛みも感覚も伝えたいそれとは違う形で鈍っていく。
(もどかしい……)
その伝わらないもどかしさに藻掻けば藻掻くほど、言葉面と実態は乖離し、補正しようとディテールを注ぎ足す羽目になり、当初の思惑から離れていくのだ。
「それで、んっと……んん、やっぱり、ちょっとしんどいかも」
結局あれこれ記憶を漁り直すハメになった俺は、途中で気分が悪くなってしまった。
けれど 伺う限り、二人の顔には傷ましさと同情以上に飲み込め切れていない雰囲気が漂っている。
(俺、こんなに喋るの下手だっけ)
どうやら自分で思っていた以上に、今回のことは堪えたらしい。
そんな風に思いながら、グラスの水を一気に飲み干す。
俺がかりそめの爽快感にようやく息を吐くと、アレニカが腕を組んでこう言った。
「変にセーブするからそうなるんですわ」
「?」
首をかしげる俺に彼女は軽い溜息を吐く。そして綺麗に爪の整えられた手を伸ばし、俺の鼻をつまみ上げた。
「んぎゅ……」
「遠慮をするなと言っているんですわよ」
むにむにと鼻を引っ張りながら続ける。
「私たちはパーティのメンバーで、貴女に守ってもらうだけの無力な学生じゃありませんわ。だから変な配慮で言葉を濁していないで、一思いに一番ひっかかっているコトを口に出してしまいなさいな。ねえ、エレナ」
「え?う、うん……なんかお鉢を持ってかれた感あるけど」
やや釈然としない顔で頷くエレナと、頓着したようすもなく俺の鼻を解放するアレニカ。
二人の視線を受け、俺は鼻をさすりながら「ふむ」と小さく息を吐いた。
(変な配慮、か……まあ、そうかもな)
もう一口水を飲む。今度はさっきよりもずっと、胸の内がすっきりとした。
自分でもよくわからないが、たったあれだけのやり取りで意識はちょっとだけ、それでも明確に変わったらしい。
(一番ひっかかっているモノ)
そう言われれば、きっと一つしかない 。
「シャーリー=シモンズの話をしたい。彼女は……エクセルが初めて取った弟子だった」
エクセル=ジン=ミヤマという剣士にとって最初の弟子。流派がこの世界で根付いていくことになった、その始まりの一歩こそシャーリーの存在だった。
彼女の人生の転落は十五の夏、暑い盛りに親を事故で無くしたことから始まった。ほどなく親戚にもらわれたシャーリーだが、その冬に村は大寒波で壊滅しかけた。生きていくための、村を立て直すための金が必要となり、親戚は彼女をあっさり売り飛ばしたのだ。
「あっさりって、そんな……」
「当時、クウォーターエルフは高く売れたから。それこそエルフよりもずっと高く」
「純血のエルフよりですの?」
「そう」
純血のエルフは抜群に整った顔と純白の肌、華奢な骨格、しなやかな筋肉を備えた大変に美しい人種だ。魔法の適性が総じて高く、魔力量もずば抜け、弓の扱いが得意で『速剣術』などのスキル適正もある。
古今東西、どの時代も奴隷市場では引っ張りだこの種族と言えた。
「でもエルフは精神的に屈強で、表情が……ん、大人しいから」
本物のエルフ社会で育てられた純血エルフは、一種独特の精神性を宿す。あの汚らわしいアピスハイム貴族どもが「鼻っ柱をへし折るのが醍醐味だ」など言えなくなるくらいに心がタフなのである。
その点、クウォーターエルフは純血エルフの肉体的な特徴を程よく持ちつつ、発育の良さや社交性といった人間の特徴も併せている。しかも混血という立場から孤立して育つことが多く、精神的な防御力は人間と比べても低い者が多数派。
弱く、脆く、親しみやすい彼女たちは奴隷として絶大な人気を誇っていたのだ。
「い、言いだしたのは私ですし、音を上げるわけではないですけれど……もうすでに吐きそうですわよ」
「わたしは、まあ本で知ってたからなんとか」
そう言いつつ、エレナの顔色もなかなかに悪い。
だが二人ともリタイアするとは言わない。その想いに甘えて、俺は続きを口にした。
「シャーリーが買われてからエクセルがその主人を襲撃するまで、三か月あった」
三か月。人によって長いと感じるか短いと感じるかは微妙なところだろう。
しかしあの子にとっては間違いなく、長すぎるくらい長い地獄の期間だった。
「帰る場所がないから連れて行ったの?」
「ん、彼女が自分で望んだ」
彼女と同時に幼い奴隷を数名助けていた俺たちに、受け入れ先が見つけるまでの面倒を見させてほしいと言って付いてきたのだ。
きっと自分より弱い何かを守ることで、自分を支えようとしたのだと思う。人は自分が強いと思えている間は、意外となんだってできるものだから。
「彼女が剣を習いたいと言ったのは、子供たちをあちこちで引き取ってもらったあと」
俺は賛成し、俺の師であるハヅキ=ミヤマは反対した。それから多少揉めたが、最終的に師が折れる形でこれを承諾。ただし己の弟子とはせず、俺に面倒を見ろと言い放った。
「最初は……ふふ、酷かったよ」
俺は当時のことを思い出しておもわず笑ってしまう。
「シャーリーは今まで武器を持ったことがなかった。戦闘スキルを習得してもいなかった。アレニカみたいな才能があったわけでもなかった」
例えるなら筋力だけは多少ある事務官のカレム。そんな感じだったと思う。
でも酷かったのは彼女だけじゃない。
「エクセルはエクセルで、誰かに教えたことは一度もない新米師匠。相手がどこで躓いているのかも、何を飲み込めていないのかも、一つたりとも察せなかった。お互い、何もかも下手クソだったよ」
見かねた師の助言を受けて、どうにかこうにか走り始めた師弟だった。何度もお互いに癇癪を起しながら、それでも段々と二人三脚で成長していった。
彼女は俺にとって初めての弟子であると同時に、変な言い方になるが、師匠という在り方の師匠だった。
「彼女の才能は普通だったけど、でも適正はあった。エルフの血から来るしなやかな筋肉は刀と相性がよかったし、なにより生粋の戦士でないからこそ発想が柔軟だった。魔法と組み合わせた剣技……のちの仰紫流となる着想も、彼女が見出したくらいに」
当時はまだ俺と師を除いて紫伝一刀流の使い手も、技術思想の担い手もいなかった。だから俺は彼女が三人目になってくれて嬉しかったし、その存在に救われてもいた。
剣の道を、スキルを用いない奇異な力を、共に探求してくれる者がいる。それがただひたすらにありがたかった。
「けど、彼女は死んだ」
「……!」
急激に落ちた俺の声のトーンに、二人の肩が跳ねた。
「た、戦いの中で、命を落としたんですの……?」
口元を押さえて息を殺したアレニカの問いに、俺は首を振る。
「シャーリーは、自害した」
弟子にして三年半ほど経った頃だった。ある朝目が覚めると、宿の部屋で彼女は首を搔き切って死んでいた。
剣を二日前に研ぎに出したところで、翌日戻ってくるはずだった。そうしたら新しい技を教えてやると約束していたんだ。それなのに。
いや、それだけじゃない。仲間も増える予定で、次の襲撃だって計画していて、より大勢を逃がすためのツテだって掴まりそうで……夢や希望が微かに見えかけていたというのに、彼女は割った皿の破片で自ら命を絶ったのだ。
「どうして……」
「分らない」
何が切っ掛けだったのかは、今でも分からない。けれど何かが彼女の悪夢を鋭く刺激して、衝動的にそうしたのだと思う。
遺された手紙には一言「許してください」とだけ書かれていた。いつも字の綺麗だった彼女らしくない、荒々しい殴り書きだった。
後から思えば、師はそんな結末が見えていたのだろう。だからあえて俺の弟子にさせた。万が一にも彼女が生き延びればそれでよし、駄目でも俺の学びになるようにと考えて。
あの人は情に厚い一方で、そういうドライな計算ができる男だった。やがて、俺も同じような男になっていったわけだが……それでも傷は深く刻まれ、癒えることはなかった。
「俺が男だから、寄り添えなかったのか」
「そこにマリーがいてくれれば、何か変わったのか」
「それとも、どうにもならない事だったのか」
いくら自問しても、何も分からない。
「どうしたら救えたんだ」
俺はいつのまにか再び泣いていた。
百年近いエクセルの人生と、十五をようやく過ぎたばかりのアクセラの人生。奇妙な二度の人生の中で俺は大勢の弟子を育ててきた。
カリヤとナズナのように俺を超える武人となった者もいれば、剣士であることを辞めて別の職に就いた者もいる。中には道を間違え、この手で斬るしかなかった門人もいた。
一人一人に抱く想いがあり、思い出がある。感謝したいことも、謝罪したいことも、思い出すだけで叱り付けたくなるようなこともある。
けれど、いつまでたっても最初の一人を育てきれなかった負い目は消えないのだ。
「どうしたら……ッ」
俯き噛み締める俺の頭を、横からエレナがぎゅっと抱きしめる。
そしてかけられたのは意外な言葉だった。
「ごめん。わたしは、何も言ってあげられない」
硬い声色で彼女は続ける。
「どうすればよかったのか、全然思いつかないし。答えなんてないことは、きっとアクセラちゃんもエクセル様も分ってるだろうから」
「……ん、それは」
「だけど」
俺の返事を遮るエレナ 。大きな声ではなかったが、凛とした声だった。
「だけどこれから先、アクセラちゃんが違法奴隷を助けて、奴隷を守る仕組みを作って、弟子を取って……前へ進む限り、わたしはその隣で支え続ける。姉妹として、恋人として、それに同志としても、弟子としても!」
一際強く抱きしめられる。
同時、反対側からがばっとアレニカまで抱きついてきた。
彼女の方はいつからか、ぐずぐずに泣いていたらしい。
「わ、私だって!私だって同志で、弟子ですわ!なにより、二人に助けられて生きている身ですわよ!!だから、答えなんて、あってもなくてもいいじゃありませんの!だって、前へ向いて歩くしかないなら、そうするしかないなら……ッ」
言葉の勢いと溢れる涙に訳が分からなくなったようなアレニカの叫びを聞いて、俺はなんだか胸が一杯になった。
「え、えへへ。ニカちゃんが何言ってるのか全然わからないや 」
「う、うっさいですわよ!ぐすっ、大体伝わるでしょう!?」
迷っても、躊躇っても、前に進む限り隣にいると言ってくれたエレナ。
答えを探すのではなく、前を見ろと背中を押してくれたアレニカ。
そんな二人のパーティメンバーに挟まれて泣く俺は、きっと幸せなのだろう。
(ああ、シャーリー。それにみんな。俺は、誓いを貫けそうだ)
百年生きてなおこんな簡単に道を見失いかけた俺だけど、転生してなお肩を並べてくれる仲間がいて、今がこれだけ幸せなら……きっと二度目の人生も誓いを全うできる。全うできるように、前に向いて走り続けられる。
「ありがと、二人とも」
涙をぬぐいながら、俺は左右の仲間に微笑んだ。
~★~
大騒ぎを聞きつけたボルボン司祭からのお説教を済ませ、目元の赤い俺たち三人はベッドに並んで腰かけていた。
「あれ絶対、話が終わるまで待っててくれてたよね」
「ん、アレニカが叫ぶから」
「うっ!」
エレナが言っているのはあまりにドンピシャすぎるタイミングで入ってきた司祭のことだ。
話の途中からかなりうるさかったはずなのに、俺たちがひとしきり青春を終えてからあの丸々した先生はやってきたのだ。待ってくれていたのだろう。
「でもアクセラちゃんが泣いてるの、久しぶりに見た気がする」
「わたくしは初めてでしたわね」
「う……わ、忘れてもらって」
いっそ晴れやかな表情で頷きあう二人に、俺は唇を尖らせた。
「絶対にイヤ!」
「別にいいのではなくて?むしろこれでようやくフェアですわ」
いい笑顔のエレナとやれやれ顔のアレニカ。
たしかにアレニカについては、一方的に彼女の泣き顔を見ている気がする。
悪魔の一件とか、家族とのコトとか……。
「それにしても、エクセル様は酷なことをされますわね」
「ん?」
「むぅ、ちょっと今回は酷いよね」
俺がじっと赤い目の横顔を見ていると、彼女はふとそんなことを言い出した。しかも事情をよく知るエレナまで同意するではないか。
(今回は俺、悪くないよな)
などと思いつつキョトンとすること数拍、俺は一つ伝え忘れていたことに気が付く。
「だってそうじゃありませんこと?いくら使徒だからって成人したばかりの娘にそんな残酷な記憶を押し付けて暴走させるなんて……」
「ん、それは別の奴」
「え?」
「はい?」
そう、事の起こりや過程を曖昧にしようとしたせいで、彼女たちに例の角の生えた悪鬼の話をしていなかったのだ。だから今回の記憶の一件も、奴隷の守護者としてのエクセルが起こしたことだと思っている。
(なんというセルフ冤罪)
これは俺が悪い。俺による俺への酷い誤解というやつだ。
「なんか、私の頭の中に別の誰かがいるらしい。それで今後は……」
「いや、待って待って!普通に話し続けないで!?」
「ほんとですわよ!別の誰かってどなたですのよ!?」
一気にまたボルボン司祭が突撃してきそうなボリューム跳ね上がる少女たち。
当然の疑問に俺はこめかみのあたりを指一本でぐりぐりとやってから、軽く肩を上げて見せた。
「それを確かめるためにも……明日はまず、戦神神殿に行く」
久しぶりに確認したステータスの、半透明のボードの上。スキルの欄にいつの間にか加わっていた『鬼化』の文字を思い出しながら。
重大なお知らせです。
来週の更新を持ちまして、技典は休載に入ります。
突然のことで、また章の途中のことで、大変申し訳ございません。
詳しい胸中はまた活動報告にでも乗せさせていただきますが、
理由はひとえにこの章のオチに納得がいかないからです。
友人である逢神天景さんの「異世界なう」最新話を査読し、
自分がいかに「話を進める」という一点で焦って物語を
書いていたか痛感しました。
(めっちゃ面白かったんです。連載的に言うとまだ先の話だけど)
この大切な章のラスト10話分くらいが妥協の産物なんて許せません。
読者さんにお見せできるシロモノができるまで、少し時間をください。
詳しい日程などは決まり次第追記or活動報告にてお伝えします。
Twitterでもアップしますので、見てやってください。
最後にもう一度、章の途中という読者的に一番いやなところでの
休載になってしまうこと、心からお詫びいたします。
~予告~
アクセラの怒りを煽り立てた幻影・悪鬼とはなんだったのか。
彼女に纏わりつく飴色の雷光の正体は。
創世神ミアの語る『鬼化』の真実とは。
次回、鬼神




