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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第23話 思い出せ

――注意事項――

描写が過去一番の閲覧注意になっています。

ムリだなって方は我慢せず飛ばしてください。

次回の前書きでざっくりあらすじを書き添えておきます。

 薄明りに辛うじて照らし出される石畳の通路、その真ん中。そこにぽつんと俺は立っていた。

 窓一つない空間に満ちる湿気た空気には、松明の煤と何かしらのカビの臭いが混じっている。

 地下の臭いだ。それも城の地下牢の。すぐにそうと分かった。嗅いだことのある臭いだから。いや、嗅いだことがあるどころではない。俺はコイツを鼻の奥に染み付いて取れなくなるほど嗅ぎ慣れている。

 あの時代(・・・・)あの腐った国(アピスハイム)の連中は金を持つほど古い城だの砦だのに住みたがった。古いものが買えない新興貴族や貴族籍を持たない豪商は新しく建てたりもした。そして大体の場合、奴隷は地下牢に押し込められるのだ。

 これはそんな古ぼけた城塞の地下牢の臭気だった。


「俺は……」


 ぼんやりとした頭で周囲を見回す。

 通路の両側には石柱が並び、その間へ鉄格子が填め込まれている。誰が見ても地下牢で間違いない。

 だが前を見ても、後ろを見ても、石畳の通路は闇の中までずっと続いていた。非現実的なほどに、どこまでも。


(俺は今、何をしているんだったか)


 まるで寝起きのように頭がハッキリしない。

 何かとても大切なことをしている最中だったことしか思い出せない。


「おい」


 急に真後ろから声をかけられた。

 突然のことに驚き振り向くと、そこには少年が立っていた。

 襤褸切れの裾から枝のような手足を生やした、やせっぽちの小僧。満足に食べていないどころではない。飢えに飢えて腹だけがぽっこりと膨らみ、目は落ちくぼんで光を宿さず、垢の浮いた肌には蠅がたかっている。


「……私?」


 スラムの片隅に転がる死体のようなひどい有様の子供は、墨で染めたような髪を野放図に伸ばしていた。この変わった髪色は前世の鏡の中でしか見たことがない。


「そう、お前だ」


 生気のない顔で「俺」が言う。

 まだエクセル=ジン=ミヤマにも、盗賊の墨頭にもなっていない、どこかの奴隷の胎から生まれた無価値なガキ。戦う力も、逃げる気力もなかった無力で脆弱な生き物。

 この世界には切れかけの蝋燭より明るいものがあることも、腐っていない食べ物があることも、ヒトとネズミ以外の動物がいることさえも……何も知らない人間未満。そんな頃のエクセルだ。


「思い出せ」


 そうとだけ言うと「俺」はすぐそばの牢の中を指さした。

 つられてそちらを見た俺の目に飛び込んできたのは、屈強な男に踏みつけられた一人の老人の姿だった。


「あれは」


 苔むした壁。カビて黒ずんだ床板。短くなった蠟燭の神経質な揺らめき。

 水滴の落ちる音。虫の這いまわるかすかな足音。

 淀んだ溜水と滞った空気の饐えた悪臭。

 視界の端に映るそれらに、聞こえるそれらに、臭うそれらに、俺は胸が詰まるような感情を覚えた。記憶の果てに擦り切れたと思っていた実感がまざまざと浮かび上がってくる。


(この牢は、俺の生まれた……)


 懐かしみたくもない光景の中、老人が笑っている。

「俺」と同じような、もはやみすぼらしいと言うさえ贅沢な格好のその人は、筋骨隆々たる大男に胸を踏まれてなお、真っ青な顔で必死に笑みを作ってこちらへ向けていた。

 それはきっと、俺の最も古い記憶の中で一番に意味のあるワンシーン。


『なに笑ってやがる!』


 野太く卑しい声が聞こえたかと思うと、すぐに老人の顔は苦痛で歪み始めた。大男が足に力を籠めだしたのだ。


 ミシ、ミシ、ミシ、……グキャッ!


 老いて脆くなった骨が砕けるのに、時間はそうかからなかった。虚しいほど乾いた音がして、老人は口と鼻から血を吹き絶命した。胸郭を踏み抜かれて死んだのだ。


「……ッ!」


 大男が足を引き抜く湿った音色。それを聞く俺の胸に言い様のない悲しみがせり上がってくる。悲しみと、怒りと、それに自責が。

 老人の名前を俺は知らない。だが彼は物心つく前から意味もなく殴られ、血を流し、死にかけては生き残る俺を憐れんでくれた数少ない奴隷仲間だった。

 それ以外の人生を知らない当時の俺は、彼が何を嘆き、何に憤っているのか分からなかった。仲間意識という概念すらなく、きっと無感動に、じっとその最後を見返していたのだろう。


(今なら分かる。あの人は、俺を安心させようと笑ったんだ)


 俺の記憶が確かなら、彼はこっそり自分のエサを俺に与えてくれていた。それが世話役にバレて、勘気を被ったのだ。

 それなのに俺は、悲しむでも怒るでもなく、ただぼんやりとそれを見ていた。そのことだけはハッキリ覚えている。

 知らず知らずのうち、俺は下唇を噛み締めていた。


「思い出せ」


 あの頃の俺と同じ、感情というものを持たない声で「俺」が繰り返す。

 虚ろな視線が舐めるように、廊下の両側へ並んだ牢の一つ一つを示していく。

 見たくなどなかった。止めろと言いたかった。風化した記憶を奥底から汲み上げられ、目の前に突き付けられるのは、分厚いカサブタを強引に剥がして血の色を確かめられるようなものだ。


「思い出せ……!」


 俺の抵抗を感じ取ったように「俺」の語気がわずかに強まった。


「思い出せ……ッ!」


 その命令に、俺は抵抗できない。繰り返されるその言葉に体は反応し、勝手に「俺」が示す光景へ向きを変える。


「……ッ」


 今度こそ、俺は息を詰まらせた。


「思い出せ!」


 そこに、牢屋の中に詰め込まれていたのは、俺の記憶の数々だった。

 鎖で吊るされ、背中の皮が残らず剥がれるほど鞭打たれる大柄な戦士。

 ごめんなさい、ごめんなさいと唱えさせられながら指を折られる少年。

 反逆を企てた仲間を首輪の力で無理やり殴殺させられるドワーフ。

 鉱山の奥で力尽き、廃棄用の縦穴へ投げ込まれる青い目の少女。

 賭け闘技で無理やり殺し合いをさせられる獣人の親子。

 食い物で釣られてお互いを絞め殺そうとする兄弟。

 魔法実験の的にされ両手足を消し飛ばされる姉妹。

 目の前で片割れを焼き殺される双子。

 冷たくなった母に縋る赤ん坊。


「もう止めろッ!!」


 気が付くと俺は叫んでいた。


「もう、やめてくれ……」


 俺は「俺」に懇願する。これ以上は止めてくれと。

 だって、そうだろう。


 鞭打たれる戦士は後に拳一つで超越者へと至った我が盟友、アーディオ=シュトラウス。

 指折られる少年はいつかエクセララで魔導工学を確立する魔導士、セーヴル=ホーリー。

 ドワーフの男は魔鉄を使った刀の打ち方を考案することになるオルドヴィン=ドゥ。

 鉱山の少女はロンドハイム戦争で活躍するアサシンのアイリス=クラックス。


 一つ一つの牢獄に囚われた記憶の中の人たちは、俺にとって残らず意味のある者達だった。人の縁で、彼ら一人一人の存在で、何も持っていなかった奴隷のガキは世界一幸せなお山の大将になれたのだ。

 そんな親しい誰かの味わった苦痛を掘り返されることは、もう一度触れさせられることは、俺にとって何よりの拷問だった。自分がこの身で実際に味わった苦痛など、なんら比べ物にならないほどの。


「戦えと、そう言うんだろう!分かってるさ!分かってるんだ!!もう十分、分かってるから、もうやめろ……!!」


 俺は「俺」を力まかせに突き飛ばす。

 けれど「俺」はわずか半歩下がっただけ。


「まだだ。まだ足りない」

「うるさい、もう十分だ!」

「足りない。足りない。怒りが足りない!思い出せッ!!!!! 」

「うるさい、うるさい、うるさい!!」


 どれだけ力を込めて突き放そうと動じないことへの無力感か。それとも廊下に満ちる、見知った者たちの怨嗟と苦痛の声のせいか。俺はやがて膝を屈し、石畳に崩れ落ちる。


「思い出したくないものくらい、俺にだってある……ッ!」


 顔を伏せて叫んだ次の瞬間、小さな手に髪を掴まれて無理やり頭を上げさせられた。

 誰もが美しいと言う白髪が根元からぶちぶちと音を立てる。


「屈するな!怒れ!怒れ、怒れ、怒れ、怒れ、怒れ!!」


 叫ぶほどに俺を見下ろす「俺」の姿が段々と崩れ始める。

 額からはべっ甲色の二本角が伸び、肌にも同色の稲妻模様が刻まれ、そして落ちくぼんだ目からは眼球が失われる。伽藍洞の眼窩で俺の覗き込む「俺」はまるで怒りに憑りつかれた悪鬼のようだった。


「お前は、(エクセル)じゃない……お前は、なんだ……!?」


 俺の問いに「俺」はニタッと嗤った。


「クハッ、いいや、俺はお前さ。お前のあるべき姿さ。怒りを忘れ!使命を忘れ!罪と犠牲を忘れたお前を裁く!!そう、お前の中の憤怒そのものだ……ッ!」


 悪鬼と化した「俺」の指が、鋭い爪の先が、目の前の牢を指し示す。


「さあ、思い出せ、あの怒りを(・・・・・)


 鉄格子の向こうはこれまでで一番小奇麗な空間で、おそらくは上級使用人向けの寝室か何かだ。小さな化粧台や一人用のテーブルセットといった最低限の調度品と、それからやけに大きなベッドが置かれている。


「あれ、は」


 俺は自分の喉がカラカラに乾いていくのを感じた。


 ベッドの上には少女が一人いた。


 さらりと流れる桃色の髪は魔力性の突然変異。そこから突き出すやや短い笹穂のように尖った耳と整った顔立ち、華奢で繊細な骨格はエルフの血の証。けれど豊かな表情とバランスの取れた発育の良さは人間の特徴。少女はクウォーターエルフだった。


 ガチャン!ガチャン!


 無骨な金属の鳴き声が石畳に反響する。

 奇跡的な美しさを宿す十六か七くらいの女は、まるで磔にされたように、鎖で戒められて晒されていた。それも一糸まとわぬ裸の姿で。

 身に着けているのは奴隷としての最高級を示す最も強力な首輪と、魔力を封じる特殊な腕輪、そして両手足を縛る黒い鎖だけ。

 気品と親しみやすさの同居する顔を羞恥と恐怖に歪め、少しでも体を隠そうと手足を引っ張って……その鎖を引っ張る音が、金属の鳴き声の正体だった。


「思い出したか?思い出したか、俺よ?」


 人間として最低限の尊厳すらも踏みにじられる少女。

 当然、俺は知っている。思い出す必要などないほどに、よく知っている。


「シャーリー……!」


 シャーリー=シモンズ。クウォーターエルフ。当時、たしか十六歳。

 彼女を助け出したのは、師と俺がたった二人で奴隷解放の戦いをやっていた頃だった。

 相当な初期だ。当時は助けた誰かを連れ歩くなど考えてもいなかった時期で、解放してはどうにか逃がし、また解放しては逃がしを繰り返していた。

 仲間などおらず、俺たちはただ破れかぶれに理想を掲げて襲撃を繰り返す、腕が立つだけの賊の類だった。


「特別な、特別な、シャーリー=シモンズ。そうだろう?」


 味わうように「俺」が言う。

 これまで幻影が見せた人々は誰もが特別な存在だった。彼ら以外にも俺は大勢助けたし、大勢助けられなかった。死んだ者も、居場所を見つけた者も、逃げきれず再び捕らえられた者もいた。その全員を俺は覚えている。誰も彼もが特別だ。

 けど、彼女の「特別」は他と少し違う。


「彼女は、シャーリー=シモンズは……お前の最初の弟子だからなあ?」


 声量を落として俺の耳で囁く「俺」の吐息は、否が応でも続きを想像させる。

 目の前の光景の、その先を。


「よせ」


 俺の喉から引き攣った声が漏れた。

 覚えている。あの日、あの地域で最も悪辣な奴隷狩りを行っていた貴族の本拠へ攻め込んだ俺たちは、その最奥部で彼女を見つけ保護した。

 覚えている。その時の彼女の状況がどんなものであったかを。彼女があの貴族に何をされていたかを。俺は思い出さなくとも、覚えている。


「頼むから、それだけはもう、見せないでくれ」


 けれど俺の言葉をこの悪鬼のような「俺」が聞くはずもない。


「お前はまだ、思い出していない」


 突き放すような宣告と同時、こちらの懇願を嘲笑うように、視界の外からでっぷりと太った醜い巨漢が牢の光景に入って来た。悪趣味なローブを纏った規格外のデブ野郎。あの要塞の主、俺たちがその首を狙って攻め込んだアピスハイム貴族本人だ。


 ばさり。


 クソブタ貴族がローブを脱ぎ捨て、脂ぎった醜悪極まりない裸身を見せる。

 膨れ上がったニキビ顔に獣欲丸出しの卑しい笑みを浮かべて。

 そして鈍重な動きでシャーリーの横たわるベッドに這い上がり……。


「止せッ!!」


 これは所詮記憶だと、そう訴える冷静な部分を押しやって俺は鉄格子に飛び掛かる。

「俺」に掴まれていた髪が千切れて鋭い痛みが走るが、そんなものはどうだっていい。


「ぐっ、うぉおおおおぁああああああああ!!」


 冷たい金属の棒を掴み、あらん限りの力で引く。

 しかし普段なら捻じ曲げられるようなそれが、どうやっても壊れない。

 豚男は意にも介さず、少女の上にのしかかった。


「いやぁああああああああああああああああああああ!!」


 絹を裂くような悲鳴が迸った。


「退け!その子は、その子は私の弟子だぞ!私の、俺の……ッ」


 魔力も、魔術も、魔法も、聖刻も、あらゆるモノを重ねて雷神のごとき輝きを纏いながら引き、叩き、蹴りを入れるが壊れない。


「豚がッそれ以上触るな!止めろ!俺の弟子から離れろ!殺すぞ、クソ!」


 どれだけ叫ぼうと、どれだけ力を込めようと、男は止まらず鉄格子もびくともしない。

 その間もシャーリーの悲鳴は寝室に響き、鎖がガッチャンガッチャンと派手に鳴る。


「止めろォ!!止めろォァアアアアアアアアアア!!!!」


 喉が裂けそうなほど絶叫する俺の横へ「俺」がやってくる。

 満足そうな喜びの表情を浮かべて。


「ク、クハハッ!いいぞ、いい!おめでとう!その濃密な怒りを待っていた!かつてお前を支配していた強烈な感情を!!」


 ベッドの激しい軋みを伴奏に「俺」が嗤った。


「まだとっかかりだが、怒りを取り戻したお前には、コレを手にする権利がある!さあ、怒り狂う資格持つ者よ、最も多くの怒りを刻んだ男よ、百年越しに、今こそようやくッ……っておい、聞いているのか?」


「俺」の言葉はほとんど頭に入ってきていなかった。

 腕が異音を立てるほどに強く鉄格子を引いていたから。

 ただ、愛弟子(シャーリー)をどうにかしたかった。助けたかった。

 たとえそれが無駄なことだと知っていても、それでも……。


「クカッ、怒り狂っているのはいいが……いや、まあいいか。受け取れよ、なぁ、俺」


 だから目の前に差し出されるまで、俺はソレに気が付いていなかった。

「俺」が手にし、差し出していたもの。それは刀だ。

 黒い鞘、黒い柄、黒い紐に黒い鍔の、ただひたすら黒い刀。


「必要だろう?」


 そう言われて手を伸ばさない冷静さは、とっくの昔に失っていた。


「寄越せッ!」


 躊躇いなく、奪い取るように漆黒の鞘を掴み、柄を握り、引き抜いて鞘を捨てる。現れた刀身はくすんだ橙色で、玻璃のように向こうが透けて見えた。その様、まさしくべっ甲細工。

 魔力を込める。ありったけの、膨大な魔力を。すると刀身は薄く輝きを帯び、神々しいオーラを刃に纏うようになった。例の雷のようなオーラを。


「クフハハハッ!流石だ!行け、行けよ我が体現者!煮え立つ怒りのままにッ!!」


 魔力と感情が結び付き、内側から破裂してしまいそうな憤怒が刀に流れ込む。


「がぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 吼える。

「俺」の顔が歓喜に満ちるのを後目に、俺は大上段に構えたべっ甲の刀を振り下ろす。

 全力全開。持てる魔力と感情の限りねじ込んで放つ、躊躇いなど欠片もない一撃。


 仰紫流刀技術・魔ノ型ムラクモ「九字雪崩」


 一刀の斬線から迸るは九つの閃。

 縦に四本、横に五本の魔力刃は格子状に噛み合いながら、視界の全てを覆い尽くすほどに広がって、牢とその中の幻影へ牙を剥く。残照の最も濃くて暗い部分を持ってきたような魔力の嵐は、そのことごとく切り崩して瓦礫へと変える。


 ミシッ……ビシッ……ガゴッ!!!!


 地下全体が強烈な衝撃に耐えかね、異音をあげ、数秒と持たずして崩落した。

 タイルもブロックも関係なく破壊に呑まれ、混ざり合い、砕け、外へと崩れ去る。

 石造りの構造物が弾け飛んだ外には、絵具を塗りたくったような黒が広がっていた。


「はぁ!はぁ!はぁ!」


 振り抜いたままの姿勢で荒く息を吐く。

 目の前には九字雪崩の爪痕に縁どられた真っ黒な虚空。

 もう寝室も、クソブタ貴族も、そしてシャーリーもいない。

 全て今の一撃で霧が晴れるように消えてなくなった。


「クハッ?いや、おいおい、まさか弟子ごとぶっ飛ばすとは思わなかったが。助けるんじゃなかっ」


「俺」の呆れたような声が途切れる。

 俺が振り向きざまにその首を刎ねたからだ。奴に渡されたべっ甲細工の刀で。


「……ッ!?!?」


 ぐらりと傾く胴。勢いよく跳んだ頭は石畳の床に落下し、二度ほどバウンドしてから、こちらを向いて止まった。


「ク、クフハハッ、そう来たか……!」


 目のない目を見開いて驚いていた「俺」だが、頭だけになってなお死ぬ気配はない。

 むしろ状況を理解するなりそのまま笑い始めた。


「弟子を助けるより俺を始末する方を選ぶとはな」


 その言葉に、俺は呼吸の整わないまま口を開く。


「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……たかっ……た」

「なに?」

「うる、せえよ……あぁ、あぁ、そうだッ……たすけ、たかったさ……!」


 ガン!とべっ甲色の刀を石畳に突き立てる。

 それを支えに、どうにか立ち続ける力をかき集める。


「けどな、奴隷から解放されたからって、誰も彼もが救われるわけじゃ……ないんだよ」


 ぐらりと身を起こし、角の生えたガキの頃の俺の頭を睨む。


「シャーリーは死んだ。俺の弟子になって三年半のときにな」


 あの子は俺にとって救うべき誰かの象徴じゃない。救えなかった誰かの象徴だ。

 だから「俺」の煽った怒りの矛先は最後の最後で逸れ、自分へと向かった。


「俺を怒りに飲み込むなら、子供たちをダシにするんだったな。最初と同じように」


 刀から離した左手には、いつの間にか例の帳簿が握られていた。

 癖のある字で書かれた違法奴隷たちの命の値段表には、獣人の兄妹を含む四人の「在庫」の記述がある。これを見た瞬間、この妙な夢に連れ込まれたのだ。今ならそのことがハッキリと思い出せる。


「正直、滅茶苦茶に効いたさ。お前の攻撃はな」


 触れられたくないモノを引きずり出され、目の前に陳列され、今でも俺は心臓が張り裂けそうなくらいの幻痛を感じている。血の一滴に至るまで怒りと憎悪が混じり、全身へ流れていくような錯覚さえ覚える。


「けどな、シャーリーの墓に俺は誓ったんだ。あの子の後に出会い、死んでいった奴にも。一人一人に俺は同じ誓いを立ててきた」


 言いながら、石畳から刀を引き抜く。


「誓いは二つ。一つは弟子をちゃんと見てやること。もう一つは今、助けられる奴を助けるってことだ」


 この帳簿に書かれた四人を救い出すためなら俺はなんだってする。

 たとえそれがどんなことであってもだ。


「逆に言えば、こんなところで道草を食ってるヒマは、一秒もないんだよ」


 たったの一撃でふらふらになった足を踏ん張り、前に大きく一歩踏み出す。


「夢魔か何か知らないが、失せろクソボケ!!」


 石畳を削りながら掬い上げる力任せの一刀。

 火花を引き連れたべっ甲細工の刃は「俺」の頭を真っ二つに切断した。


「クフハハハハッ!言っただろう、俺はお前の中の憤怒だと」


 鼻の辺りで真横に斬れた頭の下側が、それでも戯言を叫び散らす。


「今回はダメだったかもしれないが、お前の中にはこの世界の誰よりも濃く深い怒りが渦巻いている!眠らせておくには勿体ないほどの、破滅的な激情がなぁ!!まあ、いずれまた話をする機会もあるだろうよ……それまでこの炎を忘れるんじゃねえぞ、俺ェエエエエ!!!!」


 嗤いながら、断面からざわりと闇に解けて消える頭。

 気が付けば体の方も消えていて、半壊した地下牢だけが残された。


「この、クソ悪鬼……チッ!」


 俺は手の中の刀に一瞥をくれ、石畳の上に投げ捨てた。

 くすんだ橙色の一振りは床に転がり、一拍置いて砕けて消えた。


「……時間、食っちゃったな」


 じくじくと痛む胸を抑えながら、俺は黒一色の穴を覗き込む。

 この先から優しい魔力の気配がする。きっと、そこにエレナがいる。


「シャーリー、俺は……私は、行くよ」


 立てた誓いを確かめるようにもう一度だけ牢獄の世界を見回して、俺は穴に飛び込んだ。


 ~★~


「な、なにやってるの、アクセラちゃん!!」


 作戦中にもかかわらず、俺の名前を叫ぶエレナの声。

 目を開いて最初に見えたのは、やはり愛しい人の顔だったのだが……一階にいたはずの俺は、どうしてか空に浮かんでいた。

 高さ的には丁度、二階くらいか。目線の合う位置の床にエレナが立っていて、彼女のいる以外の壁や床や天井は倒壊している。

 残った部分の鋭くも滑らかな切断面と、整然と刻まれた合計九本の特徴的な傷。自分がつい先ほど放った流派きっての大技と嫌なくらいに合致する惨状だ。


(あのクソ悪鬼、マジで許さん)


 見れば手の中には聖刻を失敗したときのように、半分以上が灰となった大鉈が握られている。これで魔力刃を生み出して九字雪崩を放ったのだろう。

 幸い人が住んでいないエリアということもあり、野次馬などは出ていないが……隣の建物からルオーデン子爵とその部下が飛び出してきてこちらを見上げていた。


「アクセラちゃん、意識ある……?」


 緊張の面持ちで杖を構えるエレナ。その瞳に映る俺はべっ甲色の雷を纏い、同じ色の光の角を生やした俺の姿で。

 まるでスキルに乗っ取られて暴走しだしたベルベンスや、黄金剣オーウェンのもう一面ことブレイクのような姿。たしかブレイクは『鬼化』と呼んでいたか。


(怒り、角、鬼化、力、暴走……あ)


 勝手に頭の中で巡り始めた神の知識に、何かとても嫌なものがヒットした気がした。

 しかし、その内容を意識が追いかけるまえに視界がぐらりと傾く。

 早苗色の瞳の中の俺がべっ甲色のオプションパーツを失いながら、落下を始めていた。


「アクセラちゃん!?」


 魔力切れだ。そう理解すると同時、俺は最後の力で言葉を紡ぐ。


「全部、エクセルのせいにしといて」


 情けない責任の押し付けだけ果たし、地面に吸い込まれる感覚の中で俺は意識を失った。


新年早々、嫌な話で申し訳ない。

アクセラの、というかエクセルの根源を暴こうとするとどうしても……。


~予告~

心に巣食う鬼と相対するアクセラ。

彼女に重く圧し掛かるのは、

あまりに苦い過去の経験で。

次回、初弟子

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― 新着の感想 ―
[一言]  分かってはいたけど、アクセラってめちゃくちゃ弱くなってたんだな。
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