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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第22話 帳簿

 分岐点まで廊下を戻り、エレナたちが入った北側へ曲がる。

 砂を被った古い板張りを軋ませて進むこと数瞬、俺は焼け落ちた壁に辿り着いた。


「エレナの仕業だね」


 真っ黒な縁取りの穴は彼女の青い炎によって焼き切られた証拠だ。それ以外で延焼なしにこの大きさの壁を、壁だけを(・・・・)焼き落とす魔法はない。

 穴から首を出して隣の建物を覗くと、左の壁も焼け落ちていた。こちらは床に溶けかけた槍のような金属棒が転がっている。おそらくトラップが設置されていたのだろう。


「しかしこれは……」


 外から見たここはいたって普通の建物だったが、中に入ってみるとかなり様子が違った。まず窓がない。それに天井も壁も床も、粗末な板材が繋ぎ合わされてパッチワークのようになっているのだ。


(トラップで壊れるから、安い板材で内装を済ませてあるのか)


 一部だけがそうなっていれば当然、その場所に罠があると分かってしまう。だから全面をそのようにしてある。いたって合理的だが、店側に居たチンピラ共には似つかわしくない工夫だ。


「ボスは多少、頭の切れるタイプか」


 似つかわしくないと言えば、もう一つ気になるのは微かに臭うツンとした臭気だ。『侍女』や『解体師』が使う殺菌、清掃系スキルの残り香のような……平たく言うなら塩素臭さ。


(トラップのメンテに使っているのか?)


 もし犠牲者がいるなら、血肉をどうにかしないと虫が湧くし臭いも酷いことになる。そのためにきちんと手入れをしているのかもしれない


(説明はつくが、何か妙だな)


 隣り合う二つの建物で、どうにも支配している人間に程度の差があるような気がする。


(……行けば分かるか)


 最悪は分からずともいい。奴隷に堕とされた者を救けだし、堕とした者を引きずり出すのが俺の仕事だ。謎解きやら背後関係の洗い出しは宮仕えの人間の担当である。

 焼け落ちた穴を超えたこの場所はちょうど通路の角にあたるようで、正面と右手に道は続いている。そして後者からは焦げ臭さが漂ってきている。そちらがエレナの進んだ道ということだ。


「正面から行こう」


 そう思って足を踏み出し、ようやく三歩と歩いた瞬間。猛烈に嫌な予感がして俺は魔術回路を起動、板張りの床を力強く踏み切った。

 ドガン!と背後の壁を貫き、直前まで俺の居た空間を五本の槍が貫く。


「ん!」


 嫌な気配はそれだけでは終わらない。連鎖的に警鐘を鳴らす直感に従い、俺はそのまま赤い魔術の光を纏って走った。上下左右から飛び出す殺意の塊のような槍、剣、矢に鈍器の数々が追いかけてくる。


「ちっ」


 突き当りまで至ると同時に目の前の壁が弾け、牛刀のような大振りの刃が飛び出してきた。掻い潜った先は左右に続く分かれ道だったが、確認する暇もなく右へ折れる。追撃にマントの裾が裁断される音がした。


「多い!」


 どれだけのトラップが敷き詰められているのか、足を止める暇はまったくない。背後からジャキジャキと鋼が空気を咀嚼する音が追いかけてくる。

 一本道を駆け抜け再び右に、もう一度さらに右に。その先の扉を蹴破る。真上で金属質な射出音がするのを無視して室内へ転がり込み、とりあえず机の上に跳び乗った。


 ザン!


 振り向くと扉の上に隠されていたギロチンの刃が落ちて、退路を塞いでいた。その向こうに見える廊下はというと、四方八方から凶器が突き出した死地と化している。


(加減というものを知らないのか……?)


 トラップ尽くめにもほどがあるだろう。

 エレナが最初に曲がることを選んだのもよく分かる。共律の魔眼によって魔道具を感知できる彼女には、真っ直ぐ行く道の異様なトラップ群が見えていたはずだ。いくら彼女が魔法の制御に長けているといっても、その全てを火魔法で焼いていては大火事である。


(火属性の魔法使いというカモフラージュは、ちょっと考え物だな)


 単属性の魔法使いにカモフラージュするなら風か土の方が応用も利くだろう。

 火の方が一目見てそうと分かりやすい、という意見も分からないではないが……。


「ん、まあそれは後にしよう」


 そっと息を吐いて机を降りた俺は神眼を開いてから改めて部屋を見回す。俺が足場にしている机以外にも本棚や書類棚といった調度が置かれており、書斎のような印象を与える部屋だった。

 魔眼のように魔力を見出す真鍮色の瞳には……ギロチン以外のトラップが映らなかった。


(侵入者を追い詰めるための場所じゃないな)


 そもそも壁や天井がそれなりにいい材質でできている。パッチワークでもない。


(となると何かしらの意味がある部屋……応接室か?)


 チンピラの稼業とはいえ人身売買である以上、それなりの金が動くというのはルオーデン子爵の言葉の通りだ。つまり商売相手は必然的に金持ち。最低限の応接室くらいあっても不思議ではない。

 それにしては道中が物騒だが、相手を懐に入れるからには命を預かるという意思表示なのか。


(応接室……書斎……人身売買……)


 思考を巡らせながら、神眼を閉じて机から降りる。

 すぐそばの書類棚を見ればどこかの貴族らしき家名が書かれた紙束が。ざっとめくるとどうやら男爵家の領地経営に関するもののようだ。


「何でこんなものが」


 あとは大きめの銀のベルが一台。こちらは見慣れたもので、屋敷や学院でもよく見かける呼び出し用の魔道具の受信側である。ハンドベル型が店側にあったので、あれと対応しているのだろう。


(となると普段ここにボスは籠っているのか?)


 本棚に目を移し、背表紙を追いかける。

 小難しそうな経営の本と王都近郊の旅について書かれた本。高そうな図鑑が一冊だけ。そして最後に学院でよく見かけるレーベルの恋愛小説がざっと十冊以上も。

 下半分は戸棚になっており、開けると中は高そうな食料と酒瓶ばかり。


(住んでいるのは確実だが……いや、そうか)


 この部屋が何か大体察しの付いた俺は本棚を離れ、机に戻って引出しを引っ張り出して外した。中には羊皮紙、木紙、筆記具に質の悪い判子が転がされているが、お構いなしにひっくり返して空にする。そしてその底板を思い切り殴りつけた。

 破砕音と共に割れた引出しは当然のように二重底で、中には書類が詰め込まれていた。


「あった」


 用済みの引出しはその辺に捨て、中身を机に広げてみる。そこには日付といくつかの項目が書き込まれたリストがあった。


(人間の女、二十代、怪我無し、金貨31枚、チェック。獣人の女、十代、指欠損あり、金貨24枚、チェック。人間の男、十以下、頭に怪我、金貨37枚を消して0、バツ……)


 癖のあるペン文字で書かれた種族と年齢、性別、簡単な備考と金貨の枚数、それにマークが一つ。その無機質な表記を追うにつれ、俺は視界が赤黒く染まっていくような感覚に陥った。


「やっぱりそうだ」


 雑極まりないが、これは帳簿だ。商品とそれがいくらで売れたかという、単純な記録。

 めくってみると一枚目より新しい日付のリストが出てくる。ページ当たりの人数と枚数から考えて、五十人ほどいるだろうか。大半が女か子供で、大人の男は備考欄に手足の欠損などと書かれている者ばかり。


(クズが……ッ)


 仕入金額が書いていないことから、自分たちで調達(ゆうかい)できる弱者ばかり扱っているのだと分かる。


(人間の女、二十代、美人、金貨49枚、チェック)


 金貨49枚。490万クロム。大金貨にも満たない金額。王都に住む普通の男が三年間、休日返上で必死に働いたら丁度それくらいの収入になる。

 それがこの女性の全てに付けられた値段だ。


(人間の男、二十代、片膝欠損、金貨28枚を消して0、バツ。獣人の女、十代、反抗的、金貨15枚を消して0、バツ……数字が消されて0に直されている者は全てバツ印だ)


 死んだのだ。売れる前に死んで、一枚の金貨にもならなかった。

 一番新しい0は二月ほど前、頭に怪我を負った男女となっている。きっと捕まえるときに抵抗され、食堂にいた連中が加減を間違えたのだろう。


(一方的に襲って、怪我を負わせて、死ねば残るのは帳簿のゼロとバツか……!)


 ゴリッと口の中で鈍い音がして、俺は自分がどれほど強く歯を食いしばっていたかを知る。血の味が広がっていく。鈍い痛みは奥歯に亀裂でも入ったせいだろうが、不思議とそこまで気にはならなかった。


(この部屋は、巣だ)


 入り口からできるだけ距離を稼ぎ、そこに過剰ともいえるトラップをしかけているのは臆病さの表れ。部屋の中にトラップがないのはここの主がもう大丈夫だと安心したから。

 食う物も酒も、仕事も娯楽も詰め込んで作られた、部下すら寄せ付けない自分だけのセーフゾーン。おぞましい毒虫の、心休まる巣だ。


 ヂヂ……ッ


 人間一人を金貨数十枚で売り飛ばし、その死さえ平気でゼロとバツだけで書き記すような奴が、殻のように閉じこもった場所で飯を食い、酒を飲み、本を読んでぬくぬくと過ごす。これほど醜悪なことがあるだろうか。


 ヂッ……バチッ……


 目に障る癖文字の筆跡をなぞると、最後に四つだけチェックもバツもまだ書かれていない行があった。


 人間の女、十代、美人、金貨45枚、空欄。

 人間の女、二十代、片腕欠損、金貨22枚、空欄。

 獣人の男、十代、兄妹、金貨53枚、空欄。

 獣人の女、十以下、兄妹、金貨30枚、空欄。


「獣人、兄妹……あ、ぐぅッ!!」


 ヂヂッ、バヂチッ、ヂ……バチッ


 最後の二行を認識した途端、鋭い頭痛に襲われる。

 側頭部から奥深くへ抉り込むような激痛に、反射的に目を強く閉じる。

 手から帳簿が零れる感触がして、紙束が床を打つくしゃくしゃした音が聞こえた。


 バチッ……!


 暗い、ただひたすら暗い瞼の裏の世界に稲妻が走る。

 エクセルの若紫色と正体不明のべっ甲色。二色の稲妻が絡まって駆け抜ける。

 あとには頭蓋へじんじんと響く余韻が……。


「な、なにが……あぐっ、ぅうううッ!」


 弱まったか、そう思った瞬間に再び脳を貫く感覚と、稲妻の幻覚。

 吐き気すら催す深い疼痛に、俺は膝から崩れ落ちた 。


「ふぅ、く、ふぅ……あ?」


 荒い息を吐きながら耐える俺の視界に、床に落ちていた紙切れが入った。

 適当に捨てた引出しから落ちたのだろう。それは何かの契約書だ。


「はぁ、はぁ、はぁ……処分、契約?」


 処分契約書。当たり障りない清掃業者の名前と、異様に高い契約金。内容は野犬の死骸の処理。数は二体。日付は二月前。


「これは……これはッ……!」


 痛みに喘ぐような声が俺の喉から溢れる。

 その日付はさっき見た帳簿にあった日付だ。二か月前、売れずに死んだ奴隷が二人。

 ここの連中は死んだ人間を、裏の業者に野犬の死体として処分させていたのだ。


「命を、人を、なんだと思ってる……ッ!!」


 バヂチッ!!


 一際強く、まるで花火のように、紫の光が飛び散った。

 残光の中にある光景が浮かび上がる。それを見る。見てしまう。

 灰色の空間のイメージ。石畳の敷かれた真っ直ぐな通路。整然と並ぶ石柱。その間に填め込まれた鉄格子。闇に沈むような石色の陰鬱な場所……どこかの地下牢の景色だ。


 ヂッ……!


 今度は小さく雷が爆ぜる。その音は後ろからした。

 いや、違う。後ろじゃない。現実の後ろじゃない。

 けれど、その音は確かに俺の後ろ(・・・・)からしたのだ。


(うるさい、うるさい、うるさいッ)


 怒りに支配された俺は振り返る。

 目を閉じたまま、蹲ったまま、微動だにしないまま。

 暗い地下牢の通路で、俺は振り返った。


 どぶん……重たい音がした。


 ~★~


 北の建物の二階、ソファとローテーブルを備えた応接室に怒号が飛び交う。


「武器を捨てろ!」

「うるせえ、このガキが見えねえのか!」

「そうよ、そっちが捨てなさいよ!」


 片やトラップに次ぐトラップで殺気立ってる軍人さん達とわたし。

 片や追い詰められて半狂乱になった違法奴隷商一味。男が二人、女が一人。

 それなりに広い部屋で間に転がる成金趣味な安物調度を緩衝地帯としつつ、お互いに武器を向けて叫ぶ。


「今すぐ武器を捨てるなら殺さずにおいてやる!」

「短剣とワンドを床に捨てろ!捨てるんだ!」

「うるせえ!それ以上、一歩でも近づいてみやがれ!このガキの腹ァ搔っ捌くぞ!!」

「出はアタシらの方が早いんだからね!火だるまになりたいの!?」


 盛んに声を張り上げてる敵は二人。中心に立つ髭面の大男と、その左に立つワンドを握った女。

 大男の方は抱きかかえた女の子のお腹に幅広の短剣を突き付けて叫ぶ。


「このナイフは人間の解体に特化したモンだぜ!一撃でハラワタとご対面だ、いいのかオラ!?」


 女の子は下着同然の改造侍女服に身を包んだ片腕のない人間族。違法奴隷の一人だろう。

 彼女は逃れようと必死で暴れてるけれど、丸太のような腕はびくともしない。

 いつ刺さないとも限らない、ビリビリする空気感。


「ふざけるな!我々は盗賊だ、人質など……ッ」

「ハッ、テメエらが盗賊なワケねえだろ!」


 人質の価値を下げて危険から遠ざける。それは、本で読んだ限り、交渉の一つのセオリーらしい。それに従って啖呵を切る軍人さんを、けれど大男は一喝し、赤い顔で嘲笑する。


「こっちは百戦錬磨なモンでなぁ、ワカるんだよォ!テメエらの動き、無駄がなさすぎる!そんな盗賊がなんの噂もなくいきなり現れるなんてなぁ、ありえねえのさ!」

「……ッ」


 軍人さんの目が鋭くなる。それを動揺と取ったのか、目の前の男とその隣に立つ細身のもう一人は極度の緊張と殺意に染まった顔へ、にやっと薄い笑みを浮かべた。


「ふっ……さてはキサマら、あまりこういう場面に慣れていないな?」

「ハッ、だっせえな!どっかのお貴族様の兵隊か、国の騎士か……なんにせよ人質が効くようでなによりだぜ!!」


 それまで油断なく、けれど言葉もなく、じっと身構えるだけだった細身の男が嗤う。

 大男も呼応するように唇を吊り上げ、短剣の先で女の子の肌を軽く撫でた。

 白い皮膚に傷がついて、真っ赤な血がつぷっと玉を結ぶ。


「よ、よし、いいわ……いいわよ、いいわよ!いい流れよ!」


 勝ち誇ってるというより、自分を鼓舞するような口振りの女。彼女は神経質そうにわたしたちへ杖先をつきつけ、世話しなく三白眼を動かして回りを見てる。状況を打開しようと必死に頭を回してる人間の顔だ。


(さーて、どうしようかな)


 緊迫した状況の中、わたしはややもすれば呑気に構えていた。状況はたしかに膠着してるし、人質もいるし、いつ何が起きてもおかしくない。あんまりよくはない。

 けれどこっちだって素人じゃない。いや、わたしは素人だけど。軍人さん二人はさすがに人質救出も見越した訓練を積んでるはずで、それは油断も焦りもなくじっと短剣を手に姿勢を低く保つ様子からも伺える。


「いつまで突っ立ってんのよ!ひ、人質がどうなってもいいの!?」


 金切り声をあげる女。誰がどう見てもこの部屋で彼女が一番荒事慣れしてない。


(うーん、一回整理しよ)


 わたしはとりあえず耳にキンキンくるその声から意識を離し、『静寂の瞳』で加速させた思考に没入する。


(まず三人いるのが厄介だよね)


 真ん中の大男。筋肉質で高身長。武器は幅広の短剣一つ。でも多分、体術が使える。

 右の細い男。中背だけど立ち姿はしなやか。ベルトに刃物が七つ。速度重視の剣士。

 左の女。中肉中背。腰が退けてる、素人。ベルトには単発型の攻撃魔道具ワンドが沢山。


(人質、場慣れ具合、体術使い、速度型の剣士、ワンドを持った素人……)


 視界の中の情報が洪水みたいに言語化され、わたしの想像上の作業台へ並んでいく。


(他の要素は……)


 人質の少女。諦めず、ずっと藻掻いてる。勇敢。けど危ないから止めてほしい。

 軍人さんたち。人質救出のノウハウありそう。でも状況が窮屈で動きにくいのかな。

 男二人は言うだけあって劣勢にも屈しない、場数を踏んできた強さが感じられる。

 大男が体術使いだとすれば短剣を弾くことに意味はない。

 細い男もスピード特化だとすれば、この距離ならギリギリ魔法に反応してくるかも。

 一番厄介なのはワンド。あれは便利な使い捨ての攻撃魔道具だ。


(わたしみたいな本職の魔法使いからすれば大した攻撃じゃない。けど攻撃魔法は攻撃魔法だしなあ)


 詠唱がいらないから出がとにかく早い。

 それに素人がどんなタイミングで撃ってくるか、それが分からないのも怖いところ。


(部屋も中途半端に狭いし……テーブルセットが邪魔すぎる)


 部屋自体は広い。調度はやけに幅広なソファが対面で二つ、ローテーブルが一つ。おかげで彼我の距離がかなり開いてる。

 飛び越えるのは……天井が低い。一息では無理。けどテーブルを介してなら二歩。


(なら壁際を回り込むのは?ううん、真横移動のタイムロスが致命的)


 水の中で動いてるようなゆっくり、ねっとりとした動作で大男が短剣を女の子の胸元にあてる。ざっと、下着みたいな改造侍女服が切り裂かれて、白い乳房が曝された。


(なっ、最ッ低……!)


 恐怖と羞恥で顔を真っ青にする女の子。大男は何か吼えてるけど、音がゆっくりすぎて意味を理解できない。


『静寂の瞳』内包スキル『アイスマインド』

『静寂の瞳』内包スキル『フラットサイト』

『静寂の瞳』内包スキル『感情抑制』

『静寂の瞳』内包スキル『忍耐』


 わたしは腹が立ちすぎて沸騰しそうになる頭をスキルで強引に冷やす。


(魔法で一気に始末しちゃおうか?いや、まあ、できなくはないよね。でもそれは……)


 するべきじゃない。理由は二つ。

 まず一つ、絶対に成功させられると断言できないこと。

 なにせ三人同時に攻撃したとして、それぞれに懸念点がある。大男のタフネス、細身の男の反応速度、そして女のワンドの暴発だ。

 つまり死なせないギリギリの高威力で、出の早い攻撃を、それなりに精密に当てないといけない。さすがに気取られないよう、予備動作なしでやるのは難しい。


(いや、でもどうにか軍人さんと連携すれば……?)


 もう一つ。そもそもこれは第二フェーズのためのテストケースだということ。

 ここでの対応を後から評価し、第二フェーズの作戦は練られる。この局面は評価対象として肝心の部分で、それをわたしの器用さと魔力で押し通るのは避けるべきだ。

 次の作戦は同時多発的な襲撃になる。当たり前ながらわたしは一か所にしか向えないし、自分で言うのもなんだけど、わたしと同じことができる魔法使いは多くない。


(いやいや、魔法使い増やせって進言すればいいんじゃん。盤面ひっくり返すのは魔法の専売特許なんだし)


 今回は普段の戦いとは違う。倒せばよし、救えればよしとはならないのだ。


(でも救えないと……アクセラちゃんが、また悲しむ)


 十数秒の内に繰り広げられた理性的で論理的でロジカルでエシカルな思考の結果、わたしは行動方針を固めた。


(よし、ぶっ潰しちゃえ)


 というわけで思考の加速を打ち切り、魔力糸を操作して敵の背後に向かわせる。


「……?」

「……!」


 隣に立つ軍人さんがソレに気付いたのが、気配で分かった。

 まあ、気付かない方がどうかしてるというくらいハッキリ、相手の背後の壁に文字を書いたからだけど。魔法で操った水で、遠くても読めるくらいこう大書してやった。


『魔法攻撃、対象三。中央、道あけます。右と人質はお願い!』


 単純明快。ショート&シンプルは連絡の基本だ。


「いつまでいやがんだ!下がれって言ってんだよ、ボケがッ!」

「……分かった」

「いいだろう、言う通りにする」


 大男に応じる形で返事をくれる二人。さすがは軍人さん、やっぱり慣れてる。

 わたしは壁の水を操って今度は数字を描く。大きく3と。


「……ッ」


 一気にこちらの緊張感が跳ね上がった。

 数字が2に変わる。


「む……?」


 細身の男が空気の変化を察知した。

 数字が1に変わる。


「何を……ッ」


 手が柄に伸びる。けど、もう遅い。

 数字が0になった。


「風の理は我が手に依らん!」


 二種類の風魔法を同時に発動。

 ダン!っと凄まじい音をさせ、ゲイルハチェットの肉厚な刃がテーブルセットを真ん中で割断。余波で半切れの家具は左右に弾き飛ばされ、道が開く。


「なっ……ぎゃっ!?」


 野太い悲鳴が上がる。風の鉈を振り下ろすのと同時に放ったウィンドアローが、隙間風のように細く鋭く大男の両手首へ突き立つ。貫通はしてない。でもそれでいい。突然の痛みにナイフと少女、双方から手が離れたから。


「……ぬぐっ!!」


 耳を打つ、刃と刃が噛み合う甲高い音。細身の男が軍人さんの斬撃を弾いたのだ。

 事態が動き出してから誰よりも早く三人は動いた。軍人さんたちは道ができるなり。細身の男は異変を察知した時点で。

 速度は相手の方が上、だけど二対一の有利を覆すほどじゃない。


 ギギギン……ッ!


 青いスキル光が弧を描いて二合、三合と瞬間の内に三者の剣は交わる。

 常人には文字通り瞬きのような間。でもそれは大男が立ち直るのにも、女がパニックを起こすのにも十分な時間だった。


「ち、畜生ッ、舐めやがってよォ!」

「う、うわああああ!!」


 大男は人質に固執するより直接戦闘を選んだようで、真っ赤なスキルの光を溢れさせる。

 でもこの間は、もちろん、わたしにとっても十分なもので。


「風の原理は我が手に依らん」


 追加で発動する魔法の数は五。

 全身をスキル色に染めた大男の顔には、空気を固定するエアステイシスを。

 左の女が振り上げたワンドの周囲には、風を圧縮するウィンドコンプレスを。

 そして人質の女の子には、突風で無理やり緊急回避をとらせるウィンドアクセルを。


 バオン!!


 気圧差が奇妙なくらい斑になった部屋の中で、変に(ひず)んだ破裂音がした。深海のように跳ね上がった外圧に負けてワンドが圧壊し、小粒のクリスタルが爆発したんだ。

 その爆風から逃れるように女の子はこっちへ射出されてるけど、キャッチする余力はない。わたしを掠めてさらに後ろへ剛速で飛び去る人質。でも大丈夫、背後でエアクッションの魔法に飛び込む音がボヒュン!と聞こえた。


「いぎぃぁああああああ!?」


 一拍遅れて女の絶叫。

 衝撃もできるだけ圧力で抑え込みはした。けど、それでも余波で女の指はあらぬ方へひん曲がってしまったらしい。見た所、ワンドを握ってた方の指が四本は明後日を向いてる。


(痛そう。ざまーみろ、だね)


 冷たい思考でばっさり切り捨てた。

 さて、大男はというと……その場に立ったまま顔を真っ赤にして藻掻いてる。まるで陸にいるのに溺れてるように。

 それもそのはず。エアステイシスは空気を固定する魔法。固定する、流動性をゼロにするってことは、吸っても吐いても空気が邪魔で(・・・・・・)呼吸ができないってことに等しい。いうなれば石の中に頭を突っ込んでるのと同じ状況だ。


「……ッ!……ッ!!」


 振動もしないから声すら聞こえない。

 ただ窒息する恐怖と苦しさに悶える様子だけは、透明な空気なのでよく見える。

 しかも固定された空気はその場から動かない。どれだけ暴れても、包まれた頭は同じ空間にとどめ置かれたまま。まるで溺れながら踊る死のダンス。


「兄貴!!」


 細身の男が悲鳴を上げる。

 見ると一見ノーダメージな用心棒の姿。けれど右手の剣が違うものになってる。元のヤツは……へし折れて床に落ちてた。

 五発目の魔法は彼に向けてのウィンドバレットだったけど、どうやら剣一本を犠牲に対処されてしまったらしい。


「……ッ!……ッッ!!」

「兄貴ィ!!」


 段々と赤紫に代わり、血走った目で天を睨み、首から下だけでのたうち回る大男。それはまるで溺れながら踊る死のダンス。

 細身の男は駆け寄ろうとし、軍人さんの連携に阻まれる。


「二属性遣いだったとはッ……ええい、どけぇ!!」

「断る!」


 それまでの寡黙さをかなぐり捨て、青い流星群のように左右の剣を放つ彼。だけど軍人さんはあくまで相手を抑え込むことを考え動いてる。手数の差を埋められ、その上で妨害に徹されれば、腕がよくともどうにもできない。

 だから、わたしがチャンスをあげる。


「抵抗を止めたらお兄さん?は助けてあげる」

「な……ッ!?」


 剣筋に迷いが生まれた。

 わたしは剣士じゃないけれど、アクセラちゃんに基礎は仕込まれてるからよく分かる。彼の心は今、大きく揺れ動いた。


「抵抗するならこのままお兄さんは窒息死させる。でも今すぐ投降するなら、この場では殺さない」

「今度はそちらが人質を取ると?貴様、それが騎士のすることか!」

「好きに言えば?わたしは散々好き勝手して、誰かの人生をメチャクチャにしてきたあなたたちに同情なんてしないし、手加減もしない」


 言いながら、視界の端で女が床を這って逃げようとしてるのを見つける。


「風よ」


 キュリオシティの先を向け、強烈な下降気流を生み出すダウンドラフトを発動。女は真上からの突風に叩き潰され、床に縫い付けられ、骨折を刺激されて甲高い悲鳴を上げた。


「大人しくしててよ……で、そろそろ意識なくなるけど、いいの?」


 首元を必死に搔き毟ってた大男だけど、その動きは段々と遅くなってきてる。太い指先も空中を彷徨い、足もガクガクと震えて、今にも落ちそうだ。それでも頭の位置は変わらないから倒れることは許されない。


「う……」


 一歩飛び下がる細身の男。軍人さんたちは追いかけない。向こうも突撃はせず、足を止めて兄弟の方を見る。その目にはっきりと葛藤が浮かんだ。


「だが、しかし……いや、ど、どうせ捕まれば死罪だ!」

「あたりまえでしょ、馬鹿じゃないの?」

「それなら……!」


 勢い任せに吼えようとする細身の男。たしかにどうせ死ぬなら大差ないとも言える。けれど彼は自分でも分かってるはずだ。そうじゃない(・・・・・・)ということを。


「でも法に裁かれて死ぬのと、弟に見殺しにされるのと、お兄さんにとっては違うんじゃないかな?」

「……ッ」


 細身の男の顔がくっきりと歪む。

 真っ先にしてやられた兄の心配をして叫んだ男だ。違法奴隷なんかに関わる最底の犯罪者だけど、兄弟の情はちゃんとあるんだと思う。それなら、その気持ちはわたしだってよく分かる。


「助けてあげないの?」


 そう言って杖の先で彼の兄を示す。

 白目をむき、舌を出し、口から泡を吹く大男。とうとう体の力が抜けて、首を起点にだらりとクマみたいな体がぶら下がった状態に……まるで絞首刑に処された遺体だ。

 でも首が折れてるわけでなし、まだ今なら息を吹き返す。


「く、うぅ……クソッタレ!降参する!!」

「はい、よろしい」


 逡巡の後に切っ先を下ろした男。

 わたしはすぐにエアステイシスを解除し、床に崩れる大男をざっと『分析』した。幸い、体力や生命力に関するスキルが多くて大事には至ってない。放っておいても死にはしない程度には大丈夫そう。


「残りの剣を抜いて床に捨て、部屋の端に蹴れ!妙な動きをすれば許さんぞ!」

「お疲れ様です、青杖殿」


 片方の軍人さんが細身の男の武装解除を始め、もう片方が警戒態勢を解くことなくわたしを労ってくれる。


「お疲れ様です。あれだね、わたしからの提言は、相手にバレずに意思疎通する方法が欲しいよねってことと、あと魔法使いを倍くらい動員してくださいってコトで」

「はは、倍は辛いですね。ですが今回は手柄をほとんど持って行かれましたから、きちんと報告を……」


 ひと段落したような雰囲気の中、軍人さんの言葉が終わる寸前のことだった。


『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』


 建物全体を揺るがすほどの壮絶な大音声が轟き渡った。

 同時に膨れ上がるこれまで感じたこともないような膨大で荒々しい殺気。

 わたしたちを恐怖でその場に縛り付ける、まるで上位の魔獣が怒り狂ってあげる雄叫びのようなそれは……聞き覚えのある響きを宿してる。


「な、なんだ!?」

「貴様ら、まだ何か隠しているのか!!」

「し、知らん!」


 軍人さん達と細身の男が顔を真っ青にして怒鳴り合う。

 けどわたしはそれどころじゃない。


(だって、だって、今の声は、どう考えても……ッ)


 斬。

 風が吹いた。

 べっ甲色の光がチカッと瞬いた。

 そして破壊がやってきた。


 ガッシャァアアアアン……ッ!!!!


「おわぁ!?」

「きゃあ!!」

「ひぃい!!」


 奥側の壁が、いや、その壁より向こうの全てが、通路が、部屋が、天井や外壁や床や各所に仕込まれたトラップが、バラバラに壊れて吹き飛んだんだ。まるで巨人の掌で豪快に薙ぎ払われたように。


 剥ぎ取られた傷口から春の夜の風が吹き込む。視界に広がるのは月のない濃紺の空。


 そして佇む、一人の少女。


 それは額から二本の鋭い角を生やした……わたしの恋人だった。


三が日連続更新、最終回です!

次はほんの三日後ですが、6日(土)です('◇')ゞ

それでは皆さん、良い一年にしていきましょう~!!


~予告~

闇に落ちるアクセラの意識。

そこに居たのは、彼女の過去の幻影。

天地を引き裂く怒りの記憶は、何を見せるのか。

次回、思い出せ

※精神的にグロ注意です

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