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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第21話 フェーズ・ワン

 一 夜明け、日が沈み、そして再び夜がやってきた。

 ギルドの施設から秘密裏に移動した俺、エレナ、アレニカは今、ダゼン男爵が指揮する作戦本部にいる。より厳密にいうならばその中でも女性用の更衣室としてあてがわれた一室に。


「先に出ますわね」


 魔導銃の点検を終えたらしいアレニカが立ち上がる。いつもの服装の上に黒いマントを羽織り、肩には道具一式の入ったケースを担いで。


「うん、気を付けてね」


 支給品の革鎧に豊満な胸を納めつつエレナが応じる。

 革鎧は一見すると粗末に見える、しかし上等な魔物革の逸品だ。


「私よりも断然そちらですわよ、気を付けるのは」

「あはは、そうだね。でも、気を付けて」

「ええ、分かっていますわ」


 アレニカは微笑みを残して部屋を出ていく。

 俺はその後ろ姿を横目で捉えながら、壁に両手ついて肩と肩甲骨を解しはじめた。

 鍛えた筋肉は滑らかに動き、異音がするということもない。筋も、関節も、魔力の通りも問題なし。フィジカルの調子は良好だ。

 それでもエレナがかけてくれた声は心配そうなものだった。


「アクセラちゃん、大丈夫?」


 彼女は俺が手のひらを置く壁に背を付けて、首を傾げて顔を覗き込んでくる。早苗色の目にはこちらの胸の内を透かそうとする意志が見えた。


「お昼くらいからずっと口数少ないし、過去一で不安そうな顔してるよ」

「……ん」


 素直に頷く。

 まるで眠気のようにしつこく思考に絡みついてくる感情を平たく言葉に表せば、確かに彼女が言う通り「不安」となるのだろう。


「エレナは本当によく見てる」


 さすが研究系のスキル持ち。そうやって茶化すと、彼女は俺の額を指先で軽く弾いた。


「わたしはいつだってアクセラちゃんのことを見てるんだから、そんなのなくても気づいて当然なの」

「……ん」


 そのままぴしぴしと額を突きまわされる。

 かなり鬱陶しいが、それがまた妙に嬉しい。


「で、何を悩んでるの?やっぱりあの記憶と感情の重複ってやつ?」

「そうとも言えるし、違うとも言える」


 壁から手を離した俺は、自分の手を胸の真ん中に押し当てる。

 革鎧の硬い感触の奥、心臓の裏に音もなくあり続ける黒く硬い塊をイメージする。

 これは怒りだ。俺の怒りであって、俺の怒りではない、複雑な情念。その塊だ。


「火をつけたのは、きっとあの生々しい記憶」


 エクセル神の使徒として、奴隷の守護者として、俺の体には権能と共にいくつかの記憶と感情が封印されている。

 それは奴隷だった幼少期の体験についてであったり、その出自から受けた扱いについてであったり、あるいは奴隷商を襲う解放者として目の当たりにしてきた光景についてであったり……エクセルという男の歩んできた苦難と葛藤と激情の生々しい実感だ。


「でも、風化していたとしても、元から私の中にあった感情」


 それは他人の記憶であると同時に、俺の記憶でもある。もう遠退いてしまった過去の、褪せきった記憶と感情。

 しかしソレはたしかに俺の中にあったもので、だからこそ始末に負えない。


「空気の足りてない石炭みたいに、熱だけを残して黒く冷えたような顔をしてたんだと思う。真ん中は赤いままにね。それが今、燃え盛ろうとしてるのが……よく分かる」


 今の俺と昔の俺、二人の怒りが混じり合って燃え上る瞬間を待っている。

 俺は果たしてその感情に乗っ取られず、陛下やネンスとの約束通りに動けるのだろうか。


(これまでも、二回ほど乗っ取られかけてるからな)


 一度目は三年ほど前か、オルクス伯爵領で違法奴隷商を摘発したときだ。初めて自分の中に今の自分の物ではない、燃え滾る感情が秘められていることを自覚した。そのまま激情に駆られ、俺はかなり激しく犯人を傷めつけてしまった。

 二度目は未遂だが、つい先日、ドニオン女伯爵を前にしてのこと。あの時は戦う相手がドニオン本人ではなくジュメイだったことと、そのジュメイの芯が戦士という一点に絞られていたことで俺は自分を見失う前に立て直せた。

 それ以外にも、父アドニスについてやレグムント侯爵との話し合いにおいて、度々俺はこの感情の重複に判断を左右されてきた……ように思う。


「その瞬間の感情が神のエコーなのか、自分が本当にそう感じているのか。私には判断がつかない」


 例えばとても暑い日に昼飯を食べ損ねたまま仕事をしていたとする。当然イライラとしてくるだろうが、それが空腹でイラついているのか暑くてイラついているのか、人は区別がつくのか?ハッキリとはつかないだろう。

 だから、俺はこの件で俺自身を信用することができないでいる。


「いっそ、止める?」

「……大丈夫」


 エレナの豪快な提案に小さく首を振る。

 無責任だからではないし、まして俺が抜けることで作戦が失敗するのではなどという思い上がりからでもない。その点はイレギュラーへの対処を確かめるためのフェーズ1であり、随所に安全マージンを取ってあるのだ。

 だからきっと俺が土壇場で抜けたとしてもルオーデン子爵とダゼン男爵はうまくコトを済ませてくれるだろう。


(だが、それでは意味がない。ないんだよ)


 今に限って言えば、その可能性は安堵よりもむしろ焦りを抱かせる類のものだった。


(俺がやらないと)


 俺は近々、アドニス=ララ=オルクスと対面する必要がある。聞くことがあるのだ。

 彼が何を思って違法奴隷に手を出し、どういう訳で今更王宮に下ったのか。俺とトレイスの生母、セシリアはどうして魔道具の助け無くしては生きられない有様になったのか。そしてなぜ俺たち姉弟をかたくなに遠ざけたのか。

 ぶん殴ってでもそれらを聞きだす義務がある。


(俺はいいんだ、俺は二度目だから……)


 最初の二親は物心ついた頃にはもういなかった。奴隷だったことは間違いないので、売られたのか死んだのかしたのだろう。

 俺にとっての父とは盗賊ヤブサメのジンであり、紫伝一刀流師範ハヅキ=ミヤマであり、そしてオルクス家家宰ビクター=ララ=マクミレッツである。

 母はラナ=ロロア=マクミレッツただ一人でいい。


(けれどトレイスは違う)


 エレナの隣の壁に背を付けて息を吐く。

 トレイスは、あれは聡い子だ。自分の境遇を理解し、俺に倣って家宰夫婦を本当の親のように慕っている。俺のことも、エレナのことも、等しく姉と思って接してくれる。

 だが聡いからこそ、父の所業には悩まされることもあるだろう。なまじ生きて悪名を世に流しているだけに。

 ならばこそ、その裏に何か理由があるのなら……自分の生みの親について知っておく権利が彼にはある。


(ここで逃げれば、俺は作戦を外される)


 それを思うと頭の奥が痺れるような感覚に襲われる。

 アドニスの前に立つためにも、俺は記憶の中の奴隷たちではなく今の違法奴隷を見なくてはいけない。現実を知らない者が今を生きる人間を裁くわけにはいかないのだ。

 逃げるわけにはいかない。ここで逃げるようでは、話にならない。


「じゃあ、わたしが頑張るね」


 考え込む俺の手に自分の指を絡め、エレナがぐいっと身を寄せてそう言った。


「アクセラちゃんが無茶しそうになったら、わたしが止めてあげるから」

「エレナが?」


 明るい声の提案に彼女の方を見る。

 すると止める間もない早業でちゅっと唇を奪われた。


「そ。だって、恋人だからね」

「……ん、そうだね」


 悪戯が成功した子供のように笑う彼女につられ、俺も小さく笑みを浮かべる。

 不思議と口角を上げるだけで、少し胸の中の石炭が軽くなった気がした。


 ~★~


 二時間後、新市街の西第七地区……放棄されたに等しいその場所にある古酒場「ゴブリンの巣穴」を目指し、俺たちを乗せた幌馬車はガタゴトと進む。

 この日の夜は春先の柔らかな風に包まれており、これから始まる作戦にはまったく似つかわしくない穏やかさであった。

 だが馬車の中は違う。乗員である俺、エレナ、ルオーデン子爵と六人の兵士たちは全員が意図的に汚した鎧と室内で取り回しのいい武器を備えており、揃ってじっと息を詰めてその時を待っている。


 ゴトン。


 わずかな音と振動を残して馬車が止まる。目的地まではあと半ブロック。そのまま乗りつけては音で異変を察知されるから、馬車はここまでだ。


「ふむふむ。本物の月は雲に隠れているな、暗くてよい天気だ。それで……首尾はどうだね、青杖殿」


 マントとフードに加えて顔の半分までも隠し、すっかり盗賊姿の子爵がエレナに問う。

 すると彼女は青い布を巻いて特徴を隠した大杖を揺らし、視線だけを通りの向こうにやった。


「むぅ……あ、見えました。月光から、異常なし。」


 早苗色の魔眼は遠くB地点の屋上に潜むアレニカを見ている。少し早めに現地入りして状況を見張っていた狙撃手の、魔力を使ったサインを読んでいるのだ。


「ますますもって素晴らしい。大鉈殿、青杖殿は手はず通りに頼むぞ」

「ん。わかり、ました」


 俺は腰に吊るした分厚い大鉈の柄を握る。

 雨狩綱平は目立ちすぎるので今回ばかりは置いてきた。


「ハハハ、敬語が崩れているぞ大鉈殿?あまり気を張るな、ワインと戦いはリラックスして楽しむものだぞ」


 俺の内心の緊張を別のものと捉えたのか、彼は不敵な笑みを浮かべて俺の肩を叩いた。

 そしてすぐに表情を引き締める。冒険者にはない切り替えの明確さは騎士特有のものか。


 (ぽっちゃりのくせに……)


 などと内心で軽く毒づく。


「さて、では参ろう」

 

 無言で頷き合った俺たちは幌馬車を飛び降りた。見た目に似合わぬ機敏な動きで先導する子爵に付き従い、軒先の影を伝うように酒場の入っている建物へ走る。

 その角へ着いたところで、子爵と兵士たちは路地へ飛び込んだ。裏口に回るのだ。

 俺とエレナはそれに加わらず、正面扉へ駆け寄って細工を始める。


「氷よ」


 布に包まれたキュリオシティを扉に向けて息だけで唱える少女。


「何秒?」

「三十かな」


 氷は魔法で急速に成長させると擦れて独特の音がする。それを抑えて現象を引き出そうとすると、エレナでも意外と時間がかかるらしい。


「よし」


 とはいえたかが三十秒だ。内心で数え終わる頃、エレナがそっと扉から離れた。

 人はおろか猫一匹通らず。事前の調査通り誰も住んでいないのだろう。


「行こう」

「うん」


 俺たちは互いに頷き、さきほどの兵士たちを追って路地に入る。

 狭苦しい細道を慎重に、しかし急いで走り抜ける。

 建物の裏に出ると待機してくれていた子爵と目が合った。


「仕込みはバッチリ、です」

「ほほう、さすがの手際だ。承知した、では突入を」


 短い指示を受け、彼と先頭を代わった兵士が勝手口の鍵に細い棒を二本突っ込む。暗い黄色の光が灯ったかと思うと、彼の手はスキルアシストを得て複雑に動いた。鍵開けに関するスキルを持っているのだ。

 コクリ。頷いたのを確認して別の兵士がそっと扉を開き、滑るように中へと入る。そのまま見張り二人を残し、俺たちは順次建物の中へと侵入していった。

 まずは厨房。誰もいない。あるのはぴちょぴちょと締りの悪い蛇口から水が滴る音だけ。


「……」


 内部へ続く唯一の扉を前に兵士が振り向く。

 子爵が頷くと彼はまたそっとそれを開き、外を確認してもう一度振り向いた。それから腕を真横、正面、斜め上へ順に構えて見せる。


(こっちに向いて真横ということは西、表側か。あとは北と二階……ルートは三つだな)


 建物の幅を思い出し、厨房の広さを考える。北は部屋があるというより隣の建物に繋がっているのではなかろうか。たしかアジトというか、トラップハウスになっていて違法奴隷はそちらに捕まえられているという話だった。

 ルオーデン子爵は少し考える仕草をしたあと、先頭の一人と鍵開け担当を指さして親指を立てる。上に行け、と。それからエレナを含む三人にも同じような仕草で隣の建物行きを命じた。


(上の階は足音を消せる斥候系のスキル持ち、隣へは対応力のある冒険者であるエレナ、正面には制圧力のある俺か)


 上担当の片方が手でなにかしらのサインを作って見せる。確か合流ポイントを尋ねる動作だったような。

 それに子爵は自分の胸鎧へ触れ、正面の方を指さして答えた。「儂が店側にいる」だろうか。上の制圧が終わればそこにいるから報告に来いという意味のようだ。

 質問はそれだけかと問うように視線を巡らせる子爵。兵士たちは揃って首肯を寄越した。彼もそれに頷き返し、手をパタパタとやる。それが最後の合図となって、男達は音もなく、流れるような動作で扉から出ていく。

 慌ててエレナもそのあとを追い、俺の視界から消えて行った。


「……」


 残った俺と子爵はじっとその場で十数秒の沈黙を過ごした。先行した二チームが静かに動き回る時間を確保するためだ。こちらはどうやっても人数的に騒ぎになるからな。

 そろそろいいかというタイミングで男は振り返って、口が見えるように布を引き下げた。


「では大鉈殿、ハデに行くとしよう」


 口の形でそれだけ言い、また布を戻してから目元でニッと笑う。意外とお茶目なオヤジだ。

 俺は頷く代わりに開け放たれた扉から飛び出る。埃っぽい廊下を足音のしない限界の速度で疾駆し、扉のない突き当りから店側の空間へ突入。


「あ?」


 赤ら顔の男と目が合った。

 俺は一切の躊躇なくそいつの下へ駆け、勢いを乗せた蹴りを右膝へ叩き込んだ。

 ゴシャ……複雑な関節が正面から踏み砕かれる、複合的な破砕音。それに続く絶叫。


「あぎゃぁあああああああああああああああああ!!」


 上等な酒の香りに満ちた部屋へ、苦悶の叫びが轟いた。


「な、なんだ!?」


 慌てて立ち上がる男たち。その数、九。いや、八だ。

 一人が急加速した子爵の拳を顔面に食らって吹き飛ぶ。


「誰だ、お前ぇら!!」

「誰かと問われれば……そうだな。盗賊だ」

「と、盗賊だぁ!?ふざけやがって!」

「たかが二人だ、囲んで潰せ!」


 ようやく腰の物を抜くトロ臭い小悪党ども。だがもう手遅れだ。こちらは二人といってもBランク冒険者と魔導騎士、チンピラに負ける道理はない。


「ボスに知らせろ!」

「させんよ」


 テーブルの片隅に置かれていたハンドベルのような魔道具。音を伝えるそれに手を伸ばした者もいたが、届くより先に子爵の鉄拳を食らって沈んだ。

 そこからは本当に一方的な制圧。エレナが扉を凍らせていたこともあり、ほどなく全員がどこかしらを破壊されて床に転がることとなった。


「弱すぎるな。ツマミにもならん。本当にそんな大した悪党なのか?」


 事が済むと子爵は退屈を隠そうともせずぼやいた。

 俺はというと、それに肩を竦める。


「意外とこんなもの」


 違法奴隷商に必要なのは運と勘であって戦闘力ではない。

 なにせバレれば一発縛り首確定の重罪。こうして騎士や軍が雪崩れ込んでくるわけで、荒事になった時点で負けなのである。


「同業者でのいざこざなどもあるのでは?」

「お互いバレたくないから、こういう連中はハデな戦闘はしない、です」


 彼らは昔、オルクス領で潰した違法奴隷商に似ている。バックにいた商会の方ではなく、俺に尻尾を掴まれたマヌケなチンピラの方に。

 本当なら人身売買のような大きな仕事ができるほどの実力もツテもない子悪党で、無知と無謀から極刑に値する犯罪に手を出してしまった。それが偶々、ほんとうに偶然、摘発されずに生き残ってしまった。そういう手合いだ。

 ドニオンやオルクスのように用意周到で残るべくして残って来た悪党ではない。言うなれば巨大な農場で農家に見つからずに残ってしまった腐った果実。

 だが当の本人たちはそれを実力だと勘違いしている。だから気が緩む。本当ならいつ捕まるかと震え上がっていなければいけないというのに。


「つまり運が良かっただけの連中。どのみち抗争になったら勝てない、です」

「ふむ、そういうモノか」


 俺の説明に納得した様子の子爵。彼ら魔導騎士団はその単体での戦闘力と応用力の高さから要人警護、王城や軍の施設などの警邏を担当している。一般的な治安維持には関わらないのだ。

 今回は陛下から権限を預かったネンスの差配でシフトを離れてこの作戦に従事しているわけだが、こういうところにそうした感覚の違いが見えていた。


「しかし大鉈殿は詳しいな」

「……まあ、そう、です」


 詳しくもなろう。俺は生涯、刀の腕を鍛えること以外ではこいつらを追いかけることばかりしてきたのだから。


「お頭、上は終わりました。チンピラが二人だけです」

「ほう、よい知らせだな。こちらも終わった所だ、縛っておいてくれ」


 二階に上がっていた兵士たちが戻ってきて子爵と言葉を交わす。

 その間に俺は床に転がる男たちの中から、傷の少なそうなやつを一人選びだした。


「質問がある。答えろ」

「うぐ……っ」


 つま先で靴ごと足を蹴とばす。男は痛そうに呻き、反抗的な光の宿る目でこちらを睨み上げる。


「こ、こんなことしてどうなるか分かってんのか……!オレたちの用心棒はあのぶげっ」

「黙れ」


 囀る口に俺はもう一発蹴りを入れた。堅い物が折れる感触。口から赤黒い血と数かけの歯を吐き出して男はのたうち回る。

 その腹を踏みつけて動きを止めさせた。


「初めに役割を明確にしよう。私が聞く、お前が答える。それだけ。シンプルでしょう?」

「わ゛、わがっだ!わがっだから足をっ、傷が……うぐぅ!?」

「答えるときも簡潔に。いい?」


 足に力を強める。男は涙を流して何度も頷いた。


「仲間はあと何人いる」

「ご、ごにんだ……にがいにふだり、ど、どなりに、ざんにん」

「隣にいるのが用心棒と親分?」

「ぞ、ぞう」

「奴隷は?違法奴隷は、どこに置いている」

「……!」


 違法奴隷。その致命的な一言が出た途端、男は言葉を詰まらせた。

 視線を逸らす馬鹿めがけて、今度は容赦なく足を踏み下ろす。


「おげぇッ……!!」


 内臓がひっくり返るような濁った悲鳴を上げ、苦痛から逃れようと手足をバタつかせる。

 だが 俺はそれを許さない。痛みからも、この場からも、逃がすつもりはない。


「今更取り繕っても意味はない。言え」

「じ、じらないっ、どれい、なんで、じらない……!」

「居るか居ないかは聞いていない。どこに居るかを聞いている」

「ぐぇ、うげっ、おげっ……!」


 数度踏みつけるが男は中々最後の最後で口が堅かった。

 当たり前といえば当たり前か。違法奴隷に関わっていると認めれば死罪確定なのだから、いくら明白でもそう簡単に白状するわけがない。

 だがそんな抵抗はそれこそ今更だ。白状しなければ罪を逃れられるなどと、子供の理屈が通るはずもない。


「それが分からないような馬鹿だから、こういうことをするんだろうけど」

「ぐはっ、ぐぅ、おぐぇ……や、やめへ……がはっ!」

「お前が奴隷にそう言われて止めてあげた回数だけ、止めてあげる」


 そう言って一際強く踏みつけようとしたときだった、横から腕を掴まれた。

 見るとやや険しい顔でルオーデン子爵が立っていた。


「大鉈殿。情熱的なのは結構だが、やりすぎだぞ」


 見下ろすと男の捲れ上がったシャツからは内出血で赤黒く腫れあがった腹が見えた。白目を剥いてかすかに痙攣するそいつは、あと少し蹴っていたら内臓破裂で死んでいただろう。


(……しまった)


 すっと頭が冷えた。

 というより、頭に登っていた血が降りる感覚でようやく、自分は頭に血が上っていたのだと理解した。


「こちらでやらせることもできるが、どうするね?」

「大丈夫、です」


 子爵の提案に首を横に振る。

 魔法で影色に染まった長髪がフードから零れた。


「ふー……」


 深く息を吐く。


(大丈夫、大丈夫、大丈夫)


 胸を押さえて三度深呼吸を繰り返す。

 すっかり飲み込まれていたが、もう大丈夫だ。子爵の、というより彼の冷静な目のおかげで、こちらも頭を冷やせた。


「ん……交代、次はお前」

「ひっ」


 周りを見て近くに転がっていた怪我の少ない男を見つける。

 男は俺と最初の男を交互に見て顔を青くした。


「こっちに来い」


 襟を掴んで力づくで引き上げ、瀕死の一人目の隣へ転がす。

 一瞬おまけで一発蹴飛ばしそうになったが、それはぐっと堪える。


(あぶないあぶない)


 まだ自分で思っている以上にイライラしているらしい。

 もう一度深く息を吐き、熱を逃がしてから男を見下ろした。


「安心して。蹴りは加減がむずかしいから、コレでやる」


 気合いを入れて腰から名前の通りの大鉈を引き抜く。

 ランタンが揺らめき、肉厚の刃に浮かぶ重い照り返しもぞわりと蠢いた。

 男の青い顔が土気色へと変じる。


「指を無くしても死にはしない」

「あ、ぅあ、や、やめてくれ……!」

「止めてほしければ、分かるな」


 内側に反るような独特の刃物を目の前に迫らせて問えば、男はガクガクと痙攣するように頷いた。


「もう一度、順番に聞く」


 そこからの聴取は簡単に終わった。とはいえ彼らも隣の建物にはほとんど入らないらしく、得られた情報は安宿のスープくらい薄く物足りないものだった。

 隣の建物は前情報通りのトラップ小屋と化しており、そのどこかに奴隷が捕らわれていること。その数は現在、四人だということ。全員が王都や近隣都市から攫ってきた女であること。それに彼らの頭目、ボスと呼ばれる人物には腕利きの用心棒が二人ついていること。

 有用そうなのはその三つくらいか。


「トラップの解除方法は?」

「か、解除は、できない。ボスが、ペ、ペンダントを持ってんだ。トラップが反応しないような、そ、そういうやつさ」

「トラップが反応しなくなるペンダント、例外指定のアイテムか。不似合いなものを仕入れたものだな」

「なるほど」


 子爵が言うには、拠点防衛などに使われるトラップ魔道具には例外指定アイテムというものがあるそうだ。あらかじめ設定しておくとこのアイテムの付近ではトラップが作動しないようにできるのだとか。

 砦や城門で言えば指揮官や伝令が所持しており、防衛機構を無視して非常時でもあちこち動き回るときに使う。


「例外指定アイテムと対応するトラップ魔道具をそれほどの量となると、揃えるだけで良物のソフラニーノ九十年が二、三十本買えるだろうよ」


 思案気に口元へ手をやる子爵。

 ソフラニーノの九十年がどんな値段で売り買いされているのかは知らないが、社交界きってのワイン好きと呼ばれる彼が引き合いに出すくらいだ。一本で家が建つような代物なのだろう。それが三十本とは。


「しかも、スンスン……上等な酒の匂いがするな」

「ん、たしかに」

「これはゴーディスウィスキーの香りか。賊には過ぎたものだが、違法奴隷商は金回りがいいということか」


 独り呟きながら答えを見出した子爵は、転がる男たちに侮蔑の視線をなげかけた。


「金だけで蛆虫共が入手できる類のものでもない。儂はその辺りを尋問し、聞き出すとしよう」

「そうして、ください」


 大鉈をホルダーに戻して踵を返す。奴隷の居場所と数が分かった以上、この部屋に用はない。


「行くのだな」

「拙い、ですか?」


 念押しするような問いかけに足を止める。

 見れば中年騎士の顔には苦笑めいた笑みがあった。


「いや。トラップの踏破であれば大鉈殿と青杖殿に任せた方がいいだろう。少なくとも儂はそういう細かい魔法が苦手でな」

「……ん」

「ただどうにも今日の大鉈殿は、普段にない焦りがあるようだ。無理のないように」

「わかり、ました」


 指揮官として最前列に出ることを希望するかと思ったが、どうやら彼はネンスと違って対局の見える中間地点に構えるのを好むタイプのようだ。


(口では血気盛んなことを言うくせに、面白いオヤジだ)


 彼は夜会でも俺の武勇伝に大盛り上がりするくせに、変にありがたがったりせずワインのアテ程度に捉えている節がある。他の場面でも無理にこちらを立てようとはしないし、それでいて冒険者ごときと侮ることもない。

 掴み処があるようでないような、独特のバランス感覚を持った男だ。


(この戦いが終わったら、ルオーデン子爵とは改めて酒を交わしたいものだ……俺は飲めないが)


 親しくなってもこちらを測っているような目を向けてくるのはちょっとナンだが。

 しかしおかげで少しだけいつものペースが戻ってきた気がする。


「では、頼むぞ」

「了解」


 俺は腰の刀、ではなく鉈の柄をトンと叩いて走り出した。


三が日連続更新の2日目です!


ウチは毎年、今日が初詣の日なんですよ。

そのあと祖父母の家に寄るのが常なんですが、今年からは祖父が施設なんですよね。

さてさて、どうしたものやら……。


~予告~

違法奴隷商のアジト深くへ踏み込むアクセラ。

そこで彼女は対峙する。胸に巣食う、黒く燃え立つ己の怒りと。

次回、帳簿

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