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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第20話 ブリーフィング

「はい、そこまで!」


 教室にヴィア先生の声が響く。戦場のように張りつめていた空気がそれを合図に途切れ、あちこちで大息を吐く気配がした。

 三日に及ぶ学年末の試験、その最終科目が今終わった。冬休み以来、俺たちを悩ませていた難敵がようやく去ったのだ。

 まあ、戦績の如何が分かるのはもう一週間ほど先のことで、それまでは多くの生徒が胃の痛い思いをすることになるわけだが。


「長いテスト、お疲れ様でした。監督している先生まで緊張してしまうほど集中できていて、素晴らしかったと思います」


 ヴィア先生がしみじみと労わるように言う。


「明日と明後日はお休みですが、そこからはテスト結果の公示まで解説と来年度の予習がありますからね。これで終わったと気を抜かず、一年生の最後までがんばりましょう。ハメを外しすぎないようにだけ気を付けて……それでは、今日は解散です!」


 驚くほど短いお言葉を頂戴して放課後となった。

 なんでもヴィア先生の学生時代、尊敬していた担任の唯一の欠点がテスト終わりの長いお話だったそうで……絶対にそれだけは真似するまいと心に決めていたそうだ。大変ありがたい心がけだと思う。


「じゃあ、わたしたちは帰るから」

「ん、おつかれ」

「お先に失礼いたしますわ」


 俺とエレナ、アレニカはすぐさま荷物を纏め、レイルたちに別れを告げる。

 折角ヴィア先生が早々と切り上げてくれたのに悪いが、俺たちがハメを外して遊ぶのはまだ先のことだ。


「おう、気をつけてな」


 仔細は伝えていないが用事があることは前々から教えていたので、仲のいいメンバーは察して手を振ってくれる。

 気楽な見送りを背にそそくさと一番乗りで廊下へ出れば、やはりまだどのクラスも担任の演説を傾聴しているのか、授業中のようにがらんとしていた。


「今のうちに行っちゃお!」

「ですわね」


 すぐそこにある階段から降りて誰よりも早く教室棟を離れ、俺たちが向かったのは正面ロータリーに停めてある一台の馬車。冒険者ギルドの紋章が控えめにあしらわれた中型のものだ。

 試験前から載せておいた荷物に埋もれるようにして飛び込む。


「出して」


 短く言うと御者は無言で手綱を鳴らし、馬車は滑るように動き始めた。

 こうして門の守衛以外の誰にも見つかることなく、俺たちは学院を出立した。


 ~★~


 冒険者ギルド新市街本部、通称を下ギルド。その本館は二階建ての木造だが、ケイサルのギルドがそうであるように、周囲の建物は大半が関連施設や別館だ。

 貸会議室ばかりを集めたこの建物もそんな中の一つで、今俺たちがいるのは上位貴族を交えた話し合いや重要機密に触れるような依頼の説明に使われる、窓がなくて壁の分厚い部屋だった。


「ようこそ、新生・雪花兎の諸君。ひとまず試験の終了おめでとう、と言っておこう」


 ニヤッと笑って俺たちを出迎えてくれたのは刺繍を凝らしたコート、ウェストコート、ブリーチズといった大時代的な盛装に身を包む貴族男性。ルオーデン子爵フェルブレイ氏だ。

 洒落てはいるが派手すぎる格好、手入れの行き届いた赤茶けた髪と髭、底の読めない表情、高い背丈とほんのすこしぽっちゃりとした腹回り……かなり露骨に変わり者の香りが漂っている。

 俺はそんな男に夜会向きの礼儀正しい口調で挨拶した。


「お久しぶりです、子爵閣下」

「アクセラ嬢、それにエレナ嬢も。冬休みの終わりにあったレンデルク卿の夜会以来かな?随分と久しぶりな気がするが。ハハハ!」


 嬉しそうに笑い、大きな手のひらで俺の肩をバシバシ叩く。

 子爵は冬休みの間に出席した夜会で知り合った、いわゆる煙草倶楽部のメンバーの一人だ。本人は煙草より無類のワイン好きで、俺とはアテの話題で何度も盛り上がった仲である。


(陽気でよく笑うが、腹の底では冷静に状況を見ているタイプだな)


 一冬の濃い交流で掴んだ彼の為人を思い出す。

 その間にも男の目はもう一人の少女、アレニカに向けられる。


「はじめてお目にかかりますわ、ルオーデン子爵閣下。アレニカ=フラウ=ルロ……いえ、アレニカ=フラウと申します。以後お見知りおきを」

「ほほう、これはご丁寧に。冒険者アレニカ=フラウ、記憶しておこう」


 彼女がルロワまで名乗らないことで自分の立場を暗に示すと、彼はそれをさりげなく汲み取って軽い握手を交わした。

 二人がなにやら貴族的な会話を繰り広げている横で俺はというと、挨拶もせずに棒立ちになっているエレナの手をぎゅっと握っていた。


「アクセラ嬢とエレナ嬢がそういう関係だという話は聞いていたが、随分とお熱いことだな?」


 それに気づいてわずかな呆れを滲ませる子爵だが、俺はそれに首を振って見せる。


「お熱いのは否定しませんが、コレは違います」

「ふむ、違うとは?」

「こうやって捕まえておかないと、この娘はソレを勝手に弄りかねませんから」


 空いている方の手で俺は部屋の中心、テーブルに設置された三台の魔道具を指さした。それは、なんといえばいいか……たわしに一本足を付けたような物体と黒い箱のセットだった。

 まあ、足付きたわしをよく見てみると、形が似ているだけでたわしではないのだが。実際は金属フレームで細長い球形を作り、その上から黒い布を張ったような構造をしている。魔道具である証拠に、布の奥にはミントグリーンに輝くダンジョンクリスタルが透けて見えた。

 黒い箱の方も、前側には同じ黒い布で蓋をされた穴が大きく二つ口を開けている。こちらはシンプルな足つきたわしと違って側面にダイアルが二つあり、それぞれ音量と波長と書いてあった。他にも上部から細い金属の枝が何本も伸びていて、枝と枝の間に糸状のミスリル合金が張り巡らせてあったりする。


(たしかあのダイアルを回すと枝が開いたり閉じたりするんだったか)


 ちなみに三台とも枝の開き具合がちょっとずつ違う 。


「そんな、勝手に設定変えたりなんてしないよ!あ、子爵様、お久しぶりです」

「う、うむ。いや待て、まさか儂に今気づいたのか?」

「申し訳ないです。魔道具バカなので……で、設定は変えないけど弄るんでしょ?」

「う……そ、そんなことは」


 心外だとでも言うように憤慨して見せるエレナだが、その間も珍しい魔道具に目を奪われたままでまったく説得力がない。

 ルオーデン子爵はまさか貴族の子女でもないエレナに見えない存在扱いされていたとは思っていなかったようで、面食らった様子で目をパチクリとさせている。


「あー……ほら、今日ってなんか暑いよね!手、離す?」

「多少暑くてもエレナを離したりしない。ほら、座るよ」

「あぁん、今だけは嬉しくないー!」


 これ見よがしに言ってやると半泣きで抵抗してきた。お構いなしに引っ立てて椅子に座らせるんだが。


「天才というやつは多少変わり者というのが相場だが、いやはや、まさか儂が無視されるとは」


 怒りというより呆れ半分の愉快半分といった顔で繰り返しながら、ルオーデン子爵はテーブル右辺の上座に最も近い位置へ座る。俺はその隣で下座方向へエレナ、アレニカと続く。

 人はそれだけ。今回は「雪花兎」とルオーデン子爵の商談ということで施設を予約しているので、他の冒険者やギルマスの姿は当然ない。


(ギルドの施設なのに貴族サイドの人間だけというのも、なんだか妙な感じだ)


 俺にとっては貴族令嬢と冒険者という人生の二面が、微妙に境界を超えて混じっている状況。そう考えるとやはり変な感じがした 。


「おお、そうだ!儂としたことが忘れていた」


 俺が歯に物が挟まったような感覚でもぞもぞしていると、ルオーデン子爵がはっとした顔をして立ち上がる。

 ドタドタと小走りで部屋の隅に置かれた大きなケースへ向かうと、何かを取り出して戻ってきた。そして魔道具のすぐそばにコトリとソレを置いた。


「……」

「……」

「……」


 美麗な衣装を着た男がやり切った顔で席へと戻ってくる中、俺とエレナ、アレニカはそれぞれなんとも言えない顔でお互いを見る。

 彼の手によって設置されたのは小さな絵画立てに入った我が友ネンスの肖像画だった。

 物自体は何の変哲もない肖像画だ。大体の国で王や有力な王族、人気のある貴族は一種のプロパガンダとして『絵画』系スキル持ちに自分たちの肖像画を描いて売ることを許可しているので、これもそういうありふれた品だろう。


(けどさあ……)


 なんというか、無機質な魔道具に微笑むネンスの肖像画が添えられているだけで変な面白さが醸し出されてしまっている。まるで黒い箱と足の付いたたわしがネンスであるかのように見える……というと流石に不敬かもしれないが、そういうシュールさがあった。

 しかもだ。


『ギ、ギュイ、ギュイユイ……オホン。皆の者、待たせた』


 聞いたこともない(ひず)んだ音を引き連れて、ネンスの声が室内に聞こえ始めるではないか。


「こちらはルオーデン子爵フェルブレイにございます。問題なく聞こえておりますぞ、殿下」


 くすりとも笑わず、よく通る声で応じる子爵。その視線は黒い箱に向いている。

 当然だがネンスの姿はここにない。ではどこから声が出ているかというと……やはりその黒い魔道具からだ。この魔道具、遠くにいる誰かの声で喋るのである。


(いや、それだと勝手に喋ってるみたいだな)


 もちろん恐れ多くも王太子の声真似をするアブナイ魔道具ではない。ちゃんと喋っているのはネンスだ。ただ、彼は学院の自室にいる。ここにではない。


「おぉ……」


 エレナが感嘆のため息をこぼす。

 この魔道具は彼女がトワリの反乱に際して作った短距離通信魔道具の元祖のようなもので、王都の半径程度の長距離で会話を可能とするものだ。

 順序としては、もとから興味があって調べていたからこそ、あのときアレが造れたわけで。しかも高価で珍しい魔道具だけに実物を見たのは初めて。そう考えると彼女の好奇心が今、どれだけ刺激されているかも分かろうというものである。


『今のはエレナだな?』

「すごい、学院はあんなに遠いのに、普通に喋れてる!ノイズも少ないし、音が飛んだりとかもしないし!すごい、すごいよこれ!!」

『アクセラ、アレニカ、勝手に弄って壊さないように見張っておいてくれ』

「ん」

「は、はいですわ!」

「なんでみんなしてそんなコト言うの!?」


 日頃の行い。そんな言葉を学生組の全員が思い浮かべたことだろう。


『喋るときはそこの収音装置に向かって話してくれ』

「この足の生えたたわし?」

『足の生えたたわし……いや、まあそうだ』


 そんな会話をしていると、もう二台の魔道具もギュイギュイとノイズを吐き始めた。


『あー、あー……これで聞こえておるのだろうか?えー、こちら作戦本部、騎士オリバー!ダゼン男爵オリバーである!部下ともども配置についておりますが、どなたかおられましょうや!?』

『オリバー殿、そう大声を出さずとも聞こえていますよ。こちらは近衛騎士ランバート。書記官と政務官も来ています』

『オリバー、ランバート、聞こえている。参集、ご苦労』


 ネンス以外の二台に肖像画はないが、代わりに木彫りのプレートが添えてある。上座に近い方が「王宮/近衛騎士ランバート」、遠い方が「作戦本部/騎士オリバー」となっていた。

 これから開かれるのは前代未聞、長距離通信魔道具を三台も投入して行う遠隔での会議だ 。


(しかしそうか、ダゼン男爵か)


 騎士オリバーことダゼン男爵も、ルオーデン子爵と同じ夜会仲間だ。

 俺とエレナを最初の夜会に招待してくれたレンデルク子爵の友人で、実直な中年騎士である。俺のことも実力ある剣士として評価してくれているし、煙草倶楽部ではお互いの武勇伝を披露しあって盛り上がったりもした。


(知り合いが二人か。ある意味、納得の人選ではあるな。誰の差し金かは知らないが)


 そんな風に色々と背景を考えたくなるが、今はそれどころではない。

 実際、通信に問題ないと分かるや否や、ネンスは咳払いを一つ挟んで口火を切った。


『では、揃ったところで始めよう』


 大きな声ではなかったが、威厳のある声だ。国王陛下の岩山のような重い風格ではない。その代わりに凛々しく清々しい正義感を感じさせる何かがある。

 ここにいないにも関わらず、部屋の空気がピシっと締まった気がする。それは他の二拠点でも同じのはずで、お互いの顔も見えない中に本物の緊張感が生まれた。

 一拍の沈黙。異論が出ないことを確かめるように置かれたその静けさの向こうで、少年が一つ頷くのが見えた気がした。


『これより違法奴隷商摘発作戦、第一フェーズの最終会議を始める』


 断固たる意志の込められた宣言だ。

 そう、これから始まるのは念願の違法奴隷商に対する摘発作戦の第一歩。

 俺の胸の奥深くでうねる熱い記憶と感情が、小さく泡立つのを自覚する。


『今回の作戦はこのシネンシス=アモレア=ユーレントハイムが総指揮を執る。現場指揮官は魔導騎士フェルブレイ、作戦本部統括は正規騎士オリバーとし、王宮からの支援窓口および作戦後の法務関係担当を近衛騎士ランバートとする。また外部協力者にBランクパーティ雪花兎の三名を迎えて行う。これは私と宰相、そしてなにより国王陛下のご意思による決定である』


 朗々と語る声に反対意見を差し挟む者はいない。

 ランバートなる近衛騎士も、俺に対して特段思う所はないということらしい。


『異論はないようだな。それでは各自、手元の資料を見てくれ』


 通信魔道具越しにざらついた音が聞こえた。紙をめくる音だろうか。

 俺たちも机の上に配られていた資料を手に取り、一枚めくって中を見た。


『最初の目標は西第七地区にあるゴブリンの巣穴という酒場だ。情報提供者の話ではその店の実態は小規模な違法奴隷の業者であり、かつ他の同業者と繋がりが極めて希薄とのことだ』


 情報提供者とはつまりオルクス伯爵アドニスのことだな。


「汚そうな名前」

『実際汚い連中の巣窟だからな』


 ゴブリンの巣穴なる汚そうな名前の酒場は、意外にも新市街ができた頃からある古い古い店らしい。ただオーナーは何度も変わっており、現在は立地と相まって客の入らない忘れられた場所と化しているとか。


(たしか西第七街区って治安悪いとこだよな)


 そう思って資料をめくってみると、悪所というわけではないらしいことが分かった。

 むしろ隣接する地区が再開発され始めてからは裏の人間やホームレスが散って、いよいよ人がいないエリアとなっているようだ。


『騎士オリバー、この件で報告はあるか?』

『はっ!スラム出身の兵士を土木作業員に変装させ様子見に送りましたが、評判通り表には人通りがほとんどなかったそうで。ただゴブリンの巣穴なる酒場、行かせたところ無人の通りに反して客が8名もいたとか。酒を頼むと今日は貸し切りだから帰れと言われたようですな。ただ見た限りにおいて、店の内外の広さから奴隷を何人も隠せる場所があるとは思えなかったと、そのように報告を受けております』

『ご苦労。最後に触れてくれた部分だが、先ほどの情報提供者によるとその酒場から隣の建物に繋がる隠し通路があると聞いている。違法奴隷はそちらの建物に留め置かれており、酒場での商談が終われば連れてくる仕組みだとな』


 酒場にいた大勢は護衛か従業員といったところだろう。いや、兼務か。


「盗賊に扮してことを運ぶと聞いておりますが、具体的な流れはいかがいたします」

『悪いが初回だ、簡単に済まさせてもらう』


 ルオーデン子爵の問いにネンスはすらすらと答えていく。


『作戦本部から実行メンバーを抽出し、雪花兎のアクセラ、エレナと突入させる。人員を制圧し、違法奴隷を確保。奴隷を移送する班と犯人を移送する班に別れ、それぞれの目的地に移動を開始する。雪花兎は目立ちすぎるからな、二人はその時点で撤収だ』

「細かい差配は儂にお任せいただけると思ってよいようですな。アレニカ嬢は?」

『店の表口を見張ってもらう。場所は資料7ページのB地点、建物の屋上だ。狙撃に向いた場所をオリバーが調べてくれている』

『表口はアレニカ嬢お一人ですか?』

『そうだ。裏口は兵士が監視するが、賊の仕業だと言い張るためにも見える範囲へ人数を割くわけにいかない。なにより前後にツーマンセルで歩哨を置くのは軍事的な教養を臭わせすぎる』


 ペラペラと7ページまでの資料をめくってみる。

 賊に見せかけるための変装についてや、輸送先、ルート、使用可能な物資の位置などが細かく記載されている。どうやら俺は染め粉で髪色を変えることになっているのだが……。


「髪、魔法で色を変えるだけじゃダメ?」

『染め粉の方が確実ではないか?かなり強力な物をすでに用意してあるのだが』

「なかなか落ちないから困る」


 強力な染め粉ほど落ちにくいのは当然のことで、下手をすると数日は色が変わったままだ。まあ、長く色落ちしないことを目的に作られているのだから当たり前だが。


『お嬢さん、美容に気を遣う気持ちは分からなくありませんが……』

『安心しろランバート。こいつはそんな思考、持っていない』


 嫌味と言うより純粋に困った様子で苦言を呈した近衛騎士だが、他ならぬ王太子がそれを否定した。


「失礼な、と言いたいけれど正解。色落ちしないと、染めていたってすぐわかる」

『多少色が残ったくらいで気付きますかね?』

『気づきますぞ』

「気づくでしょうな」


 なおも腑に落ちない様子のランバートだが、今度はダゼン男爵とルオーデン子爵が口を揃える。


『ランバート殿はアクセラ嬢と会ったことがないのでしたな。であれば確かに多少残っていても大丈夫だろうと思われても仕方がありますまい』

「然り然り」

『と言われますと?』

『彼女の髪は元が白ですからな。色味が少しでも変われば、周りは気づくでしょう。それほどまでに純粋な色なのです、レグムントの白というのは』

「儂もダゼン男爵の見解に同意する。今まさに目にしているのでな」

『む、そう言われると……』


 納得いただけた様子だが、俺が難色を示しているのはまさに彼らが言ってくれた通りの理由。一回染めたら完全に色が抜けるまで、いくらエレナの魔法を使っても数日はかかってしまう。

 染めていたとバレてしまえば、染めてまで隠す意味自体がなくなってしまうのではないか?とまあ、つまりそういうことだ。


『ふむ……では騎士フェルブレイ、申し訳ないが今そこで彼女の魔法とやらを見てくれ。染め粉の代わりにしてもよい仕上がりかどうか、我々はこの目で確かめることができないのでな』

「承知いたしました。では、頼むぞアクセラ嬢」

「ん」


 一つ頷いてオリジナル闇魔法初級・ブラックダイを発動させる。

 視界にかかる乳白色の髪がぞわりと黒……というか、影色に染まった。


『どうだ?』


 ネンスの問いにルオーデン子爵は俺をまじまじと見て目を細める。


「ふむ、そうですな。黒ではなく濃いグレー、強いて言うなら極度に暗いところで見たアクセラ嬢の髪色といった具合で……しかしアクセラ嬢、これは暗がりに立てば使っていないのと同じに見えるのではないかね?」

「それは大丈夫です」


 闇魔法で本当に影をかけているだけなら彼の疑念の通りなのだが、これはそこまで単純な魔法ではない。


「暗がりではより暗くなる。実際はほぼ黒になるはず」

「テスト結果から考えれば月明りでダークグレー、夜天光では黒に見えると思います。少なくとも実際に見た人は元の色が白だとは思わないかなと」

『ふむ……』


 エレナの補足にネンスが唸る。


『分かった、いいだろう。折角試しの第一フェーズだ、今回はそれで参加してくれ。念の為にフードのある上着を着用するように。その結果次第で次回も魔法で対応するのか、違う色の染め粉を使うのか、考えることにする』

「了解。でも次回、身分を隠す必要ある?」

『なければないでいいがな』

『差し出がましい疑問を一つよろしいですかな』


 俺の髪色問題が解決したと同時、作戦本部と繋がる魔道具から伺う声が聞こえた。


『オリバー、貴殿は歴戦の騎士だ。気になる部分があるのであれば躊躇いなく言ってほしい』

『はっはっ、そう言って頂けますと老身が奮い立ちますな!』


 ダゼン男爵は中年の盛り。まったく老身と言う年ではないのだが、若者の前で年寄りぶりたい気持ちも分からなくはない。なにかと俺……というより、エクセルと気の合うオヤジだ。

 そんな悪戯オヤジの渋い声に、しかし今回はまじめな憂いが混じる。


『喪服の暗殺者などと呼ばれておる例の輩、あの暗躍を踏まえて新たに市中へ賊が現れたとなると、王都の民から衛兵への不信が沸き上がるのではないかと思いまして』


 確かに無差別とも思える暗殺者が野放しになっている中で新たな賊の出現だ。しかもこちらはコトが決着を見るまでこちらも「成果ナシ」で取り逃がしていることにしなくてはいけない状況。

 先日のドニオン暗殺の直後ということもあり、衛兵は何をやっているのかと糾弾する声も出てくるだろう。


『もっともな意見だ。それについては我々も懸念しているが、正直に言って取れる手立てがない。全て終わってからおとり捜査と欺瞞情報であったと明かし、衛兵の顔を立ててやるくらいしかないだろうな。これは私だけでなく陛下、宰相の出した結論でもある』

『吟味なさった上でのことでございましたか。このオリバー、大変失礼を申しました』

『気にするな。今後も何かあれば言ってくれ』


 と会議の上では早々に決着した話題だが、現実問題として賊を名乗るリスクとメリット、デメリットはよくよく考えなくて動かなくてはいけない。


「話題に上りました喪服の暗殺者ですが、今回現れる可能性について殿下はどうお考えでいらっしゃいますかな?」


 問いかける子爵の目が鋭さを増した。

 まるで推し量るような問いかけに、彼がネンスの味方と言うわけでもないことを察する。ここにいる以上は友好的で信用できる関係なのだろうが、だからといってお互いが信頼で結ばれているわけではない……それくらいの絶妙な距離があった。


『現れるかもしれないし、現れないかもしれない。奴の目的が不明である以上、こればかりは分からないとしか言いようがない。だがもし現れれば雪花兎への依頼は喪服の暗殺者の捕縛または殺害にシフトするだろう』

「本来の作戦は放棄して構わないと?」

『残りの人員で続行する。今回の目標は人数も規模が大したものではない、貴殿ならやりとげられよう』

「ハハハ。若き英傑にそう言われますと、儂も奮起せねば」


 本心とも口先とも取れない笑いを残して子爵は引き下がった。


『さて、そのほかに質問のある者はいるか?』

『殿下、よろしいでしょうか』

『構わん、ランバート』

『4ページの経路についてなのですが……』


 その後もいくつかの質問が飛び出し、ネンスはそれらに淡々と応じて行った。

 結局全体の確認が終わったのは開始から二時間近くが経過してのことである。


『よし。各自、疑問は解消してもらえたと思う』


 ネンスの言葉に俺たちは頷く 。


『第一フェーズはこのように不自由な形で進めることとなったが、時間を追うごとにドニオンの死が状況を変化させることだろう。想定より有機的な作戦を要する事態となったが、各員が最大の貢献をしてくれることを期待している。私からは以上だ』

『必ずや殿下に成功を!』

『成功を』


 唱和する騎士たちの声を聞きつつ、俺たち冒険者組はそっと笑って肩を竦めあった。


『我々は変装の準備にかかりますので、これにて失礼』

『こちらも事後の根回しを再確認いたします。失礼いたします』


 ぴぽっ。みょうちきりんな音を残して通話から消える二つの声。


『ご苦労だった。騎士フェルブレイ、最後に少しいいか』

「はっ」

「いや、なに今の」


 相変わらず気にした様子のない王宮勢だが、俺としては待てと言いたい。


「なに、今のぴぽって」

「うーん、魔力の波長が途切れて、それが変な音に変換されたんじゃないかな?」

「ださい……」


 騎士達の力強く凛とした声の締めくくりが、聞いたこともない気の間抜けな音とは。

 もしこれを最後に討ち死にでもしたらそいつの末期の記憶は「ぴぽっ」である。間抜けすぎてゾッとする。


(もうちょっとどうにかならんのか、この魔道具)


 呆れる俺を他所に、残った子爵とネンスも簡単なやり取りを済ませたようだ。


『ではフェルブレイ、雪花兎、よろしく頼むぞ』

「もちろんでございます」

「依頼の通りに」


 最後に残ったネンスは短く言い置いて、同じようにぴぽっと消えて行った。


「ださすぎる……」

「オホン」


 子爵が嗜めるように咳払いをするが、微笑むネンスの顔がイイだけに余計シュールだ。


「まあ、ん。とにかく、明日だ」

「うん、明日だね」

「ええ、明日ですわね」


 なんとなく締まらない空気を振り切るように三人で口に出す。

 今日はギルドで体を休めつつ、鍛えつつ、頭を低くして過ごす予定だ。

 それが終われば……ついに前へ踏み出す時が来る。


「絶対に、成し遂げよう」


 俺たちはそっと拳を打ち合わせた。


明けましておめでたい方も、そうでない方も、

本年もなにとぞよろしくお願いいたします。


さて、技神聖典の三が日連続投稿が始まりました。

晴れ晴れとした新春に相応しいほっこりエピソードを書こうと思っていたのですが

笑うほど年末が忙しかったのであえなく断念いたしました。

まあ、ほら、笑う門には福来るってね。残業代という名の福がね。


そんなわけで年始から重たい話が動き出します。

頑張って納得のいくオチを目指し、執筆も進めております。

重ねて本年もよろしくお願いいたしますm(__)m


~予告~

日はわずかに進み、作戦当日。

アクセラは胸の内に熾火のような

不安と激情を抱え、騎士団の元へと出立する。

次回、フェーズ・ワン

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