十三章 第16話 聖なる者の露払い
「マスター・フェネス、これはどういうこと?」
俺は苛立ちも露に目の前の老人へ問うた。
ここは学院の教員棟に設けられたギルド出張所の中。といっても窓口のある廊下側の部屋ではなくもっと奥の方、生徒は立ち入りが禁止のバックヤードだ。
さほど広くもない、木箱や書類棚の並ぶその場所に は現在五人もの人間が詰めていた。俺とエレナ、アレニカの「雪花兎」に下ギルドを統括する老獪なギルドマスター・フェネス=ウェッジホーン、そしてその護衛のオンザである。
「まずは忙しいのに呼び立ててすまなかった、アクセラ君。エレナ君とアレニカ君も」
「前口上は結構。忙しいと分かっていてこんな臨時依頼が届いた理由を聞かせて」
好々爺然とした男の眼前に、俺は真っ赤な封筒を突き付けた。ネンスへの報告から一夜あけた今朝、出張所を差配するカレムが部屋まで持ってきてくれたものだ。
「おい、アクセラ」
攻撃的ともとれる態度にオンザが顔をしかめる。
だがこちらとしても諾々と話を受け取るわけにはいかない。
「臨時依頼はギルド発行の指名依頼。冒険者は原則、拒否できない。そのルールに異を唱える気はない」
ギルドはあくまで互助組織だ。依頼の斡旋や報酬の保証など俺たちが助けられている分、俺たちもギルドを通じて他の冒険者に貢献しなくてはならない。
エクセルだった時代は、古の定義の通り国を持たない自由人としてギルドに身を寄せていた身だ。そういう意識は大抵の同業者より強く抱いている自負がある。
だが、モノには限度というものがあるのだ。
「いくらなんでも明日、ダンジョンを一つ潰してこいというのは横暴が過ぎる」
声にこそ出さないが、背後でエレナとアレニカが力強く頷いたのが気配で分かった。
「一年を締めくくる最後の試験まで一週間を切っている。これを落としたら拙いことくらい、ギルマスも知っているはず」
刺すような視線で問い詰めると、ギルマスはモノクルの奥で目を細めて片手を上げた。
「もちろん、もちろん分かっているとも。だからこそ、こうして直接説明に出向いたのだ。そこをひとまずは汲んでもらえないだろうか?」
トントン。老人はもう片手に携えたステッキで板張りの床を軽く打つ。
「ん……」
確かにBランク冒険者のためにギルマスがわざわざ出向いて説明をしようというのは、珍しい事ではある。普通は呼び出すところをそうしたのは、こちらが忙しいのを慮ってのことなのだろう。
「……」
「助かるよ」
俺が苦り切った無表情で黙ると、ギルマスは上品に微笑んだ。
それから空いている方の手でモノクルの縁に触れる。
「まずは前提の確認だ。依頼内容は暫定ダンジョン、ハリスクの地下墓所の攻略。日取りは明日の一日。指名先はアクセラ君の雪花兎と他に五組のパーティ、七名のソロ。ここまでは良いかな?」
暫定ダンジョン「ハリスクの地下墓所」は夏頃に俺とエレナが落ちた例のスケルトン窟だ。不死王を名乗るネクロリッチと、ユーレントハイム以前の為政者が殺した女たちの怨霊がいた場所である。
王都に近すぎること、湧くのが人骨系のスケルトンばかりであること、そして最奥部に不死神の祭壇と練達のネクロマンサーが封じられていること。それらを加味して等級査定中から破壊の方針に転換したと聞くが……。
「創世神の使徒がやると思っていた」
「うむ。その認識で間違ってはいないとも、アクセラ君」
「……露払いか」
整えられた白髭を揺らして頷くギルマス。
創世神の使徒アーリオーネがトワリの反乱で犠牲になった者達のため、大規模な慰霊祭を近々執り行うことが発表されている。地下墳墓はそれに合わせて処理されることが決まった、というような話を老人は言い添えた。
「使徒を無駄に消耗させるわけにもいかず、またこの国としても一切合切を任せきってしまうことは許されず……そのような事情が王宮の中で渦巻いたようでね。事前にスケルトンの数を減らして不死神の呪い、つまり邪気を抑え込んでおこうという案でまとまったようだ」
極めて他人事な口調。ギルドはその決定に口を挟めなかったのだろう。
(いや。あくまでギルドに対しては大口の依頼でしかない、ということか)
どのみち王宮からの依頼をギルドはほとんど拒まない。当たり前といえば当たり前だが。
「依頼は可能な限り深い場所までの処置を求めている。ここまで言えば察しがつくかね?」
「……案内役が必要?」
ギルマスは再び頷いた。
ハリスクの地下墓所を最終層まで下りたことがあるのは俺とエレナしかいない。封鎖後の調査でも邪気の濃さを理由に中層までしか入らなかったと聞く。
「まあ、あのダンジョン深いからね……」
後ろでエレナの納得するような、諦めるような声がした。
だが俺は諦めきれない。
「でもなぜ今?慰霊祭はまだ二週間以上も先。掃除は来週でも間に合う」
「もちろん私もそのように進言したさ。ギルドから依頼に対するアドバイスとしてね」
珍しく嫌気がさしたようなため息をついて老人は首を振る。
かなり調整段階で難航したらしいことが、その老いた息遣いに感じられた。
「教会側も王宮側も、今週中に実行することを絶対条件として譲らなかった」
随分と杓子定規なお役所仕事というか、上からな物言いだ。そんな苛立ちも込み上げるが、それは俺がネンスや陛下相手に直接ものを言える立場だからそう感じるだけで、意外と普通はそんなものなのかもしれない。
これがユーレントハイム以外の国だったとすれば……。
(いや、まあ、そんなもんか)
改めてそう考えると、自分がいつの間にかネンスの権力をアテにしていたことに気づかされる。
あまりいい気分ではないが、責められるとすればそういう状況に慣れてしまった自分自身しかいない。
「ちっ……具体的な攻略方法は」
やり場のない感情に舌打ちを一つ零した。
続く問いには、マスター・フェネスは自分で答えることはせず、背後の巨人を振り返る。
主の視線を受け、奇抜な頭のBランクはゴホンと咳払いをする。
「聖王国からお越しのご一行サマが魔道具をくれるそうだ。不死の邪気を封じ込めるとかなんとかいう、銀の杭みたいなヤツだ」
男は俺の腕くらいの長さを両手で作って「これくらいの長さだな」と。
「骨野郎を叩き潰す。杭を打つ。次に行く。それだけだ。まあ気休めになるかは分からんが、普通の臨時依頼より割はいいぞ」
「こらこら、オンザ。ギルドマスターの前でそれはないだろう」
「いや、ギルマス。申し訳ねえことですが、臨時依頼は擁護できねえ不味さですぜ」
朗らかに笑う老人と苦笑を浮かべる巨漢。不思議な取り合わせを前に、封筒の中の報酬規程を思い出す。
臨時依頼は拒否権がないからか、危険度のわりに報酬が不味い。一種の奉仕活動のようなものだ。その中では確かにかなり割のいい額が書かれていたように思う。
(そこはさすが国と教会がバックの案件ってことか)
日程の非常識さを一旦横に置くのであれば、こちらの財布が寂しいのも事実。考えようによってはありがたい話とも……捉えられないこともない、ような、そんなこともないような。
そんな俺の悩みを老いた冒険者の長は敏感に嗅ぎ取ったのか、穏やかな笑みを取り戻して肩を竦めた。
「我々ギルドも、アクセラ君も、どのみち拒否できない依頼だ。それならいい面だけを見てはどうかね?」
「んぅ……」
腹の立つ物言いではあるが的を射てもいる。
なにより、彼の言う通りギルドにもそう選択肢はない話なのだ。
「あの、臨時依頼を断るとどうなるんですの?」
「冒険者の身分を剥奪される」
「なっ……!?」
俺の即答に興味本位で聞いたらしいアレニカが息を呑む。
マスター・フェネスは苦笑ぎみにそれを訂正した。
「さすがに直ぐ剥奪というわけではないとも。状況や影響を鑑みて処罰は決定される。この場合なら……Cランクへの降格といったところか」
「十分な痛手」
「今となってはそうだろうね」
含みのある相槌だ。
たしかに俺がBランクになった当時は、冒険者としてのランクをそこまで重要視していなかった時期だった。だがやはり高位冒険者と言う立場はなにかと便利なのだ。
それに降格したとなれば社交界で四苦八苦して積み上げたキャリアにも傷がつく。ただでさえハリボテなのに。
「アクセラちゃん、これもうムリだよ」
「……ん」
あっさり抵抗を止めたエレナの一言が後押しとなり、俺は力なく項垂れる。
「依頼を受諾する」
「助かるよ、石蒜姫」
貴族を中心にいつのまに定着していた大仰な二つ名。わざわざそれを口へ登らせてにっこり笑うタヌキ爺に、俺は唇をへの字に曲げるのだった。
~★~
学院を離れていくギルドの馬車の中。洒落たスリーピースに身を包む老紳士へ、その向かいに座った熊のような大男は不満そうに問うた。
「ギルマス、良かったんですかい?」
「なにがかね?」
外したモノクルを布で磨きながら問い返すフェネス。しわ深い面相には穏やかな微笑みが浮かんでいる。
その感情の読めなさにオンザは顔を歪めた。
「アクセラのあの態度でさ。王宮側が日程をゴリ押したのは、どっちかっていうと……」
「ああ、そのことか。構わないさ」
「けどギルマスが責められるのはお門違いでやしょう?」
「まあまあ、そう怒ってくれるな」
言い募る部下に上司はくつくつと忍び笑いをこぼす。
「君が私に恩義を感じてくれているのも、私を立てようとしてくれているのも分っている。嬉しくも思っている。だが、公正さを欠いてはいけないよ」
「……欠いてるつもりはないんですがね」
「それがどういう思惑からのものであれ、ギルドは外から冒険者に向けられる悪意を防がなくてはならない。だから今回の無茶な日程は、通してしまった以上私の責任さ。立場とはそういうものだよ」
車窓から差し込む春の日差しを映してキラリと光るモノクル。磨き終えたそれを目元にあてがいつつ、ギルドマスターは弟子を諭すようにそう言った。
「まあいずれにしても、彼女たちはほどなくそのあたりを理解するだろう。新しく加わったアレニカ君、彼女は政治に鼻が利きそうだからね」
「そうですかい?一番頼りなさそうに見えやしたが」
「河原を埋め尽くす石蒜はぞっとするほど美しいが、王宮の庭には似合わない。それと同じことさ。花は生え出た場所と、置かれた場所で違った見え方をする」
「はあ……?」
ゴトン。馬車が軽く跳ねた。オンザの巨体が座席の上でのっしと微かに浮かんで落ちる。
堀の深い顔には意味が分からないとい書いてあったが、フェネスはそれ以上その件に触れることをしなかった。代わりにインバネスの下の細い肩をすくめて話を一つ前に戻す。
「そもそもこの日程を一番強硬に求めたのは教会側だ。彼女たちのしがらみとばかりも言えぬよ」
「それは、そうかもしれやせんね。しかし何を考えてやがるんでやしょう、聖王国のご一行サマは」
「神の御心は神のみぞ知る。いわんや、それを推し量ろうと足掻く坊主の心中や。案外と神々より人間の方が凝ったことを考えるものさ」
「学がねえんで、あんまり難しい言い方せんでください」
困った様子の護衛に再び、王都の冒険者を束ねる老傑は静かに微笑んだ。
馬車はゆっくりと王都を目指す。とりどりの思惑に染まる煌びやかな都市を。
~★~
「アクセラさん、エレナ、ちょっといいかしら」
「?」
「どしたの?」
マスター・フェネスとの話を終えた俺たちは寮の部屋へと引き上げ、明日への準備を急いで進めていた。そんな中で、自分の道具一式を持ち込んで点検作業をしていたアレニカがふと声を上げた。
「手を留めて聞いて頂くほどのことではないんですの。耳だけかしてくださいまし」
彼女は自分も中近距離用の拳銃型魔導銃スワローズダイブを分解清掃しながらそう続ける。
「先ほどのギルドマスターのお話しと、封筒の中身と、それにお二人が教えてくれた昨今の状況を合わせて少し考え事をしていたのだけれど……もしかするとこの臨時依頼の日取りはお二人への嫌がらせなのではないかしら」
「嫌がらせ?」
「というと?」
俺とエレナはピンと来ず顔を見合わせる。
「嫌がらせというと言葉が軽いですわね。妨害工作のほうが正しいかしら」
「妨害……」
ガッチャン!と音高らかにチャンバーを開き、アレニカは銃床の金具ごとカード状のクリスタルロッドを引き抜いた。
美しいを通り越して美味しそうなほど綺麗な赤色の結晶に光を当てて傷を確かめる姿は、半年前の彼女からは想像できないほどに堂に入っている。
「ハリスクの地下墓所が見つかった経緯と最奥部までの道のりを思えば、この件に雪花兎が駆り出されるのは自明の理。であれば日程を調整することで、お二人を一日拘束することができますわね?」
「それはまあ、できると思うけど……でもなんのために?」
「王宮側で私たちを拘束したいなら、ネンスを通じて言った方が手っ取り早い」
俺が雨狩綱平を拭う手を止めて言うと、血のように赤い瞳がじろっとこっちを睨みつけて来た。
「アクセラさん」
「ん……」
呆れが籠った声に、不思議と気おされる俺である。
「貴女、王宮全体を国王陛下やネンス様のイメージで捉えてはいませんでしょうね?」
「……否定しづらい」
「あの方々は王宮ではなく、王族ですわよ!」
深く考えずにぼそりと答えたら叱責が飛んできた。
そこまで怒らなくてもいいのに……と思うが、考えてみれば彼女はいわゆる王家の信奉者だ。その根幹にあるのが幼い頃からの恋心というのがどうかとも思うが、俺たちと温度感に差があっても仕方ない。
(ああ、違うか。こっちが緩すぎる……いや、甘すぎるんだ)
エレナも同じことを思ったのか、眉間にしわを寄せて呟く。
「そっか……王宮の判断、王宮の依頼だからって陛下やネンスくんの判断や依頼だとは限らないんだ」
「分かっているつもりで、実感がなくなっていたのかも。反省」
「壮大な反省ですわね」
深々とため息を吐き、スワローズダイブを両方ともケースに収めるアレニカ。
「王宮には多くの貴族が務めていますわね?もちろん中には我が子や親戚が学院に通っているという方もおられるでしょう」
「ん」
「Bクラスでトップに近い成績を取っており、あとはAクラスに席が空きさえすればその栄誉を掴める……という生徒の親御さんもおられるかもしれませんわ」
「……ん」
「子供のため、ひいては家のため、どうにか席が空くように仕向けたいと思う者がいてもおかしくないのではなくって?」
そう言った少女の薄い微笑みからは、何かしらの熱の名残のようなものが感じられた。
親と子。当主と一族。家と自分。色々と思うところがあるのだろう。
「え、待って待って!じゃあ教会の要望にかこつけて、わたしたちのテストの邪魔になるようにわざわざ依頼を出したってこと!?」
エレナの非難がましい問いにもアレニカは涼しい顔のまま、替えのロッドの点検を始める。
「賄賂や脅迫に比べればまともな妨害だと思いますわよ。ハリスクの地下墓所と雪花兎の関りは知る人なら知っている話ですわ。そしてお二人の素性や立ち位置は社交的な貴族なら大勢が把握していますもの」
自分の仕事を粛々と、しかしほんのわずかに都合がいいよう誘導しただけ。そう言われると確かに何ら法を犯しているわけでも、職業倫理に反しているわけでもない。ただ少々職権を私的に応用してはいるが……。
(いや、担当者が犯人とも限らないのか。王宮内の別の有力者からの圧力とか)
なんにせよ、やられたこちらは業腹だが、向こうは役得に預かったにすぎないのだ。
「味方作りの社交界が仇になったか」
「社交の場に出るということは諸刃の剣ですわよ」
再び呆れが混じるアレニカの台詞に、そういえば当時も何度か釘を刺されたなと思い出す。ただその頃の俺には、刺された釘の意味が分からなかっただけで。
「それ以前にそんな、だって学院への干渉じゃん!それってアリなの!?」
「アリ」
「アリですわよ」
憤慨するエレナに俺は力なく、アレニカはフラットな空気で頷いた。
「たしかに学院へ直接干渉すれば法や不文律への違反となりますが、学外で活動する冒険者という側面になら干渉できますわね」
「どっちも学院の外でおきてることだから。学外にトラブルの種を放置した私たちの自業自得」
「そんなぁ……せこい!」
最後のは苦し紛れの不平だが、一番思うコトでもある。
それにはアレニカさえも同意だったのか、「ですわね」と苦笑していた。
エレナは宝珠を右手に、調整用のよく分からない魔道具を左手に持ってゴロンと背もたれに身を預ける。そして大きく、本当に大きくため息をついて、最後にポツリと呟いた。
「……ギルマスに怒ったのは、ちょっとまずかったかもね」
「謝った方がいいかもしれませんわね。私も察するのが遅かったですし」
肩を落とす恋人とその友人に、しかし俺はキッパリ首を振った。
「謝罪は不要。学外のことに関知しないのが学院なら、そういう干渉から私たちの利益を守るのがギルマスの仕事。どのみちマスター・フェネスの落ち度に変わりはない」
「それは、そうなんだけど……」
もにょもにょと口の中で何かを言う少女の頭を撫でようとして、手が鉱物油で汚れていることに気付き引っ込める。
アレニカがそれを見てニンマリと変な笑みを浮かべた。顔に「見てしまいましたわ」と書いてある。
「コホン。でも、こっちのせいで労力をかけたのは事実。感謝はしておくべき」
「そうですわね。試験が終わったらお茶菓子の差し入れでもしたらいいのではないかしら?」
「そうだねぇ……」
それからしばらく、準備が整うまで俺たちは何の菓子が適当かで会話に花を咲かせた。
もちろんその後は二日分の詰め込み勉強が待っていた。
~予告~
臨時依頼に集う、歴戦の冒険者たち。
いざ怨念渦巻く地下墓所の掃討へ。
次回、憧れのドワーフ




