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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第15話 ドニオンの死

 戦いを終えた次の早朝、俺はネンスから呼び出しを喰らってまたもブルーバード寮の会議室へやってきていた。今回はエレナも当事者として参加だ。

 ちなみにアレニカは昨日の段階から体調不良にて欠席である。本人は射手として倉庫街の作戦にも参加するつもり満々だったのだが、まあ、女の子のアレでね……。

 俺も女性歴十五年になったが、ときどき急に来るのだけは戦士としても冒険者としてもどうにかしてほしい部分。聞いているか、神々よ。アップデートを求む。


「……つまり、お前としてはその従者には情状酌量を与えたいということか?」


 俺が益体もない事を考えながら一通りの報告を終えると、ネンスは少し厳しい視線でそう訊ねてきた。ジュメイの事情を加味して俺がやつの腕をくっつけたと言ったからだが。


「そうは言わない。罪に応じた罰を与えてほしい」


 ただまあ、一定の監視を付けつつ戦闘で奉仕させるというのはアリかもなとは思う。それだけあいつの力は有用だ。少なくとも鞭打ちに処したり炭鉱に送ったりするよりはよほど生産性がある。

 実際、エクセララには魔物狩りや犯罪鎮圧に貢献させることで短期間での償いを済ませるという特殊な労働刑があった。この国にそういった刑罰があるのかは知らないが。


「そこのところ、どう?」

「残念ながら存在しないな」


 直接聞いてみたところ、ネンスはきっぱり首を横に振った。


「だが何事も特例を設けることは可能だ。検討する価値はあると、私は思うぞ」


 現実的には長い道のりかもしれないがな、と付け加える王太子。

 昔は「魔の森」に分け入って魔物討伐と開拓を進めるなんて刑罰もあったらしい。だがそれはもう二百年ほど執行されていない、カルナール百科事典にしか載っていないような話。

 まあ、厳しそうだな。


「なんにせよ、ここからは司法と政治の領域だ」

「ん」


 俺は一つ頷いて、すっかり温くなったジンジャーレモンティーを飲む。寒さが緩んできたところへまた冷え込んだので、こういう温まる飲み物は助かる。


「しかしコンクライトの剣を斬るか。ふふ、少々引くぞ」


 同じように飲み物で口を湿らせたネンスが、今度は冗談交じりに言う。

 それに対し、俺は肩をすくめて微笑んだ。


「ん、たしかにコンクライトは硬度に優れた材質。でも斬るのは意外と簡単」

「ほう。後学のために聞いておきたいな」


 彼も白陽剣ミスラ・マリナのレプリカを使わないときはコンクライトの宝剣を使う身だ。あの材質のずば抜けた頑強さはよく知っている。それだけに斬るのは簡単などと言われれば、聞きたくなるのは当然だ。


「木目みたいな模様がある。あれを目安にすると斬線が読みやすい。そこをきっちり斬れば一撃」

「私は未だにお前の言う斬線を読むということができないのだが?」

「それは練習あるのみ」


 本当に、斬線のなんたるかはどうやっても説明できない。というより俺の感覚を言葉にすることは可能でも、聞いた側がそれを我が事として理解できないのだ。


(まあ、何においても極意とはそういうモノなわけだが)


 見て盗めというのは師として怠慢だと思う。それでも、どうしても最後はそうなりがち。

 弟子も修行の身なれば、師もまた同じ修行の身というわけだ。


「あ、そうだ。わたしもちょっと気になってることがあるんだけどいい?」


 話の流れが雑談に傾いたからか、それまで適宜聞かれたことに応えるだけだったエレナが手を上げる。


「ああ、構わないぞ。もう報告会はお開きだからな」

「ん」

「じゃあ遠慮なく」


 ネンスお許しも出た。


「クルソス氏族だっけ、エクセララの剣士に滅ぼされたっていう……詳しく知りたいって言ったら困る?」


 やや躊躇いがちに提示される疑問。それは好奇心の塊であり、かつ俺の正体を知っているエレナにとって当然のモノであった。

 むしろ昨晩、俺の疲労を考えて黙っていてくれた方が驚きというもので……いや、流石に失礼か。


「んー……困りはしない」


 が、苦い思い出だ。どうしても口は重たくなる。

 それでも話す必要があるだろう。なにせ俺が自分の正体を彼女に告げたとき、エクセルについて知りたいなら何でも話すと約束してしまっているのだから。


「少し長いけど、ネンスも聞く?」

「ああ。実を言うと私も気になってはいたんだ」


 ちらっと見て尋ねると部屋のホストも頷いて見せるので、俺はこの場で歴史の講釈を垂れることに決める。


「クルソスの氏族がエクセララの剣士との戦いで滅びたのは、事実」

「「……」」


 反応はない。エレナと、それにネンスも口を噤んで次の言葉を待っている。

 俺はもう一口お茶を含んだ。


「……私たちは、エクセララの剣士は聖王国の騎士とは違う。正義と公正のために戦ったりはしない。だから必要なら、そして避けられないのなら、躊躇いなく相手を滅ぼす」

「そうだろうな」


 ネンスが頷く。彼は王太子として、ある意味で当時の俺たちに近い立場にあるからだ。


「クルソス氏族との戦いも、避けられなかったってこと?」

「ん、結果から言うと。戦いを避ける手段がなかったわけじゃない。でも彼らが避けなかった」


 俺は痛ましい末路を思い出して首を振る。


「先に言っておく。ジュメイが両親から聞かされた話はかなり歪んでいる。そもそも砂塵の民は流浪者。父祖の土地という概念を持たない」

「定住しない者たちなら遊牧民などがあるが、彼らにはテリトリーがあるだろう?そのことではないのか」

「砂塵の民は襲い来る魔物を狩って肉と素材を手に入れ、それを加工して貿易を行う。大砂漠は魔物が多すぎて狩場にも困らない。遊牧民とは勝手が違う」


 父祖の土地、神聖な水場、誇り、命……全て奪われ、女子供も殺され、滅んだ。

 出鱈目ばっかりぬかしやがって、というのが俺の率直な感想である。


「エクセルたちは当時、多くの脱走奴隷を抱えて敵に追われていた。元の持ち主だった貴族、新手の奴隷商、跋扈する奴隷狩り、大規模な盗賊。アピスハイムとロンドハイムの二方向から追い回されて、逃げ場も物資もなくなっていた」


 だから大砂漠に踏み込んだ。安住の地が欲しい、その一心で不可侵迷宮に数えられる過酷な土地へと。


「砂塵の民は氏族ごとに細分化されていて、それぞれが独特の価値観を有する。でも水辺を共有し合って生きているからか、厳しい環境に反して寛大で友好的な者が多い」


 極限の世界では厳しいルールが求められるが、同時に生きるための連帯も不可欠。だからこそ意思の統一が図れる少人数の部族を形成しつつ、それらが互いに助け合っているのだ。


「エクセルたちに物資はなかった。でも奴隷狩りが横行する状況を憂慮していた聖王国とのツテがあって、それに圧倒的な武力があった。AからBランクの魔物が溢れる大砂漠において、強さは水の次に尊ばれる」


 二つの手土産を持って大砂漠に乗り込んだ俺たちを、砂塵の民は予想外に歓迎してくれた。

 特に効果があったのが聖王国とのツテ。ガイラテインの宗教的影響を受けていない砂塵の民は、国によっては蛮族扱いされており、そうした対立解消の手立てとして対話のチャンネルが求められていたのだ。


(いや、あれは予想外だったわ)


 なにせ当時の俺たちにとってみれば、アピスハイムとロンドハイムという二大国に睨まれて動きを牽制されていた聖王国は実に頼りない味方。それがまさか砂しかない土地にきて威光を発揮するとは。


「クルソスはエクセルが友誼を結んだ三番目の氏族だった。彼らは一行に大砂漠での狩りの仕方を教えてくれ、累計で考えればほかのどの部族より沢山の物資を支援してくれた」

「累計で……?」


 俺の物言いにエレナが首を傾げる。


「ん。最初はそこまででもなかった。けど一行が自分たちの都市を、のちのエクセララを建設しようとなったときから、クルソスは食料も建材も多くを援助してくれるようになった」

「最初期ではなく、そのタイミングでか?どうにもキナ臭いな」


 これだけの情報でネンスは何かを嗅ぎ取ったらしい。当時の俺たちはさっぱりだったから、そこは王太子の面目躍如といったところか。


「それだけじゃない。エクセララが今ある場所は、クルソスが用意してくれた土地。周辺で一番の水場、量も質も文句なしの一等地。岩盤が露出していて、広く安定した地盤が期待できた」

「父祖の地というのはそれか」

「むぅ。自分たちで紹介したのに奪われたって、なんか嫌な言い方だよね」

「それに不気味なほど至れり尽くせりなのがな……」

「でもタダじゃないでしょ?対価はなんだったの」


 エレナの疑問に俺は肩を竦めて言う。タダ同然だった、と。


「その水場の水には魔力が豊富に含まれていて、当然、強い魔物の巣窟になっていた。そこをエクセルたちが平定して都市を建てることは、使える給水地が増えるということ。お礼は今後の水の使用権だけでいい。そう言われた」


 当時の俺たちはわずかに訝しみつつもありがたくその申し出を受けたわけだ。今になってみれば、どれだけ学のない浅慮な判断だったかよく分かる。


「彼らがその真意を明かしたのは、エクセララが完成する間近になってから。連中はある夜、大挙して都市を取り囲んでこう言った。その街を渡してもらおうか、ってね」

「そんな……!」


 そう、彼らは最初から都市が欲しかったのだ。だから俺たちに一等地を切り拓かせ、都市を建てさせた。そして機が熟したのを見届け、実った果実だけを刈り取ろうと動いたのだ。


「エクセルたちには友好的な顔をみせていたけれど、クルソスは珍しく排他的な砂塵の民だった。他の砂塵の民から距離を置かれていて、衰退がはじまっていた。血が濃くなり始めていた。だからいずれ危険な放浪生活を維持できなくなると踏んで、定住することを考えていた……らしい」


 だが定住は簡単なことではない。異民族を丸ごと受け入れてくれる砂漠の外の都市などないし、大砂漠に新しい都市を立てるとなると一大事業になる。

 俺たちはそうするしかなかったから執念でやり遂げたが、彼らは自分たちでそれを始めるほどに当時の生活がひっ迫していなかった。


「だ、だからって人にやらせて乗っ取るなんて考えるかな!?」


 憤慨するエレナだが、対面のネンスは口元に手をやって「そうか」と頷いた。


「焚きつけた誰かがいたのだな」

「正解」


 背後にいたのはロンドハイム帝国。エクセララの立地と戦力があれば大砂漠の東西を繋ぐ要衝になり得ると分かった途端、あの国は一気に侵略の意志を見せ始めた。


「ああ、そっか。それまではロンドハイム帝国が大砂漠の両側を繋いでたんだもんね」

「交易の利益を奪われると考えたのだな」

「そう」


 最初は俺たちの元飼い主であるアピスハイムの方が干渉は強かったのだが、そちらは教会が俺たちへの神塞結界の貸与審査を簡単に通したことでこれ以上食い下がるのは危険だと判断し、攻勢を弱めていた。

 神塞結界を与えると言うことは、創世教会が神の名においてその都市を人類の生存圏、すなわち教会の庇護対象であると認めること。いくらなんでも認定されたばかりの都市を攻め滅ぼそうとすれば聖王国も日和見してくれない。


(逆に言えば、ロンドハイムは聖王国と一戦交えてでもエクセララを潰したかったというわけだ。本当に我の強い国だこと)


 それだけ軍事大国であり軍神を奉る宗教大国でもあるという自負は強力なのだろう。


「しかし、そう美味い話があるか?ロンドハイムにとっては誰が住もうとエクセララの立地が拙い。それは住人がクルソス氏族になっても同じはずだが」


 砂塵の民が自分たちでやりくりする分の貿易を行うのは問題ないが、都市を構えて双方向の通商を始めるのは看過できない。それが帝国の基本的な理由。となればネンスの疑問は当たり前のもので……。


「クルソスが勝っても、あるいは接戦で負けても、ロンドハイムは進軍するつもりだったと思う。エクセララを自分たちが手に入れて新しい通商路さえも押さえるか、あるいは木っ端みじんに壊すか。どちらかしか考えていなかったと思う」

「つもりだった、とは?」

「クルソスが大敗したから、ロンドハイムも動かなかった」

「えぇ……」


 エレナが困惑したような顔になる。

 言いたいことは分かる。向こうも勝算があったから挑んだのではないのかと、そういうことだろう。


「原因は二つ。まず十分に警戒していたつもりで、超越者を侮っていたこと」


 超越者が超越者と呼ばれる所以は数の理論、軍事上の絶対的な暴力を字義通りに超越してしまうから。だがそれを傍目に測ることは難しい。それは例えば討伐難易度Cまでの魔物しか出ない土地ではBもAもSも十把一絡げにC以上と判定されてしまうような、そういう類の難しさだ。

 クルソスは超越者たちの戦闘を見ていたにも関わらず、この理屈に囚われてその戦闘力の底を見誤った。


「もう一つは、砂塵の民に拠点攻略のノウハウがなかったこと」

「あー……」

「そうか、要塞がないのか」


 大砂漠を北東に進めば砂漠国家群があるが、砂塵の民は基本的に大砂漠の中央と以南に住んでいる。ロンドハイムやアピスハイムのような大国に攻め入ることもないので、都市を相手取った戦いのやり方を知らなかった。

 対してこっちは奴隷上がりばかりだが、戦争で兵役を経験した者がそれなりに居た。なによりこれまでの奴隷解放で散々石造りの建物は攻略してきた手前、扱い方もそれなりに理解していたのだ。


「攻守が共にエクセララ側の有利。天秤が反対に傾くことはなく、一方的に戦いは終わった。攻めてきた戦士たちを徹底的に撃滅しておしまい」

「おしまい?女子供まで殺されたというのは、ではロンドハイムの仕業か」

「違う。この件、帝国は最後まで後ろで糸を引いてるだけだった」

「じゃあ誰がそんなことを?」


 二人の疑問に俺はもう一口茶を飲む。


「端的に言うなら、自滅だった」

「自滅?」


 クルソスの男達はエクセララの城壁を貫くことができず、超越者の攻撃を防ぐこともできず、それでもなお戦う道を選んだことでほとんどが戦死した。

 逃げ延びた少数とその帰りを待つ者たちへ、俺たちは講和を持ちかけた。エクセララ側の圧勝とはいえこちらも多少の犠牲は出していた。それでもしかるべき賠償さえしてくれるなら手打ちにしよう、とな。腹の内はどうであれ、彼らの援助で我々が助かったのは事実だったからだ。


「けど彼らは恐れた。やっとの思いで奴隷から解放され、ようやく安住の地を得ようとしていたエクセルたち。その思いの強さを間近で見てきたからこそ、ロンドハイムと組んで再び奴隷に落とそうとした自分達を許すはずがない……そう思い詰めて、彼らは禁忌を犯した」


 呪術師を中心に魔界へのパスを繋ぎ、大悪魔を召喚して起死回生を図ろうとしたのだ。


「「!!」」


 聞いていた二人の顔に緊張が走る。


「でも術は失敗。儀式の場にいたクルソス氏族の生き残りは魂を食われて全滅。それでも契約に足りなかったのか、悪魔は顕現せず。後味の悪い形で事件は終わりを迎えた」


 あっけない最後だった。だが、忘れることのできない嫌な最後でもある。


「……」

「……」


 思いの外な展開にエレナもネンスも難しい顔をして黙ってしまう。

 その沈黙の中、俺はあの日戦った男達と、昨日戦ったジュメイの間をつなぐ人々を思う。

 ジュメイの親は世代的に当事者ではなくその孫かひ孫だろう。あの惨状を生き延びた者たちが紆余曲折を経てユーレントハイムにたどり着くまで何を経験し、何を思ってそんな歪んだ歴史を伝えたのか。

 敗走を恥じて隠したかったのか、一矢報いるために憎悪の鏃を研ぎ澄ましたかったのか、それとも百年以上前の時点で氏族の末端は詳しい経緯を知らなかったのか。


(そんな呪いを継がなくとも、落ち延びた先で定住の道を探していればよかったものを)


 今更言っても仕方のないことだが、そう思わずにはいられない。そして、ことここに至って願うことがあるとすれば、それはジュメイが罪を償ったうえで再び俺の前に立ってくれることだけ。


 コンコン!


 色々と考え事をしていたときだった。慌てた様子で扉をノックする音が聞こえた。

 ネンスを見ると特に何かしらの予定があったわけではないようで、怪訝そうな顔をしている。もちろん俺やエレナだって思い当たることはない。


「なんだろうな……入れ!」

「はっ!」


 扉を押し開いて入ってきたのはネンスの政務を補助している初老の執事だった。手には銀の盆を持ち、なぜだかびっしり顔に汗をかいている。


「何事だ、来客中だぞ」

「殿下、も、申し訳ございません。しかしこれが届きましたので」


 恭しく腰を折って銀本を差し出す執事。鏡のように磨き抜かれたそこに乗っていたのは二通の手紙だ。両方ともセルリアンブルーの封筒に王家の紋章が刻まれている。


(なるほど)


 俺も何度か貰ったことのあるそれは、国王やその政務に関わる側近だけが使える形式だ。陛下から急ぎの手紙であれば、大抵の来客より優先されて当然である。


「と、取り急ぎお読み頂きたいと、お持ちになられた近衛騎士の方が仰せでした。門にて待機するので、お返事をお待ちしていると」

「……分かった」


 頷いたネンスは手紙を手に取って開封しようとする。だが会議室にはペーパーナイフの類が何もないことに気付き顔をしかめた。


「使って」


 机の下で制服の白いスカートをたくし上げ、太腿にベルトで固定していたナイフを抜いて渡す。

 王族の前で平然と刃を見せた俺を老人がギョっとして見たが、ネンスは顔を赤らめて首を横に振った。


「お前がガサツなのは知っているが、いくらなんでもスカートの中から出したモノを異性に使わせるんじゃない」

「ん、見えた?」

「見えてない!だがお前がそこにナイフを仕舞っていることくらい、クラスメイトなら誰でも知っている!」


 なるほど。

 納得したところでエレナに横から小突かれた。


「むぅ!」


 ご不満の様子。俺の体温でおんぼり温いナイフをネンスに使わせる、というのは恋人的にアウトらしい。仕方なくすごすごと刃物をスカートの中に戻し、代わりに剣帯に吊るした雨狩綱平を持ち上げる。


「ならこっち、使って」


 金泥で二本線が引かれたガルガタイト製の黒い鞘、その鯉口付近に設けられた溝に填め込まれた小柄を抜く。


「先にそちらを出してくれ、頼むから」


 俺と言うより俺の隣を伺いながら、ネンスは綱平本体と同じ海根鋼の青い刃を受け取った。それは太腿のナイフより細い、本当に生活用品としての刃物。


「よく切れるから、気を付けて」


 俺の忠告通り、ネンスが封筒の口筋にあてて走らせれば滑らかな音をたてて厚手の紙が切り開かれる。


「たしかに凄まじいな……いや、助かった」


 二通とも開封したネンスから小柄が帰ってくる。俺がそれを鞘に戻している間に、彼は中の便箋を取り出して読み始めた。

 イエロートパーズの瞳がかなりの速度で左から右へと動き、戻ってはまた左から右へと動く。エレナが集中して本を読んでいる時と同じくらいの速さで、もし俺があれをやったら目が滑って何も理解できないまま終わるだろう。


(なんて呑気なこと、言っている場合じゃなさそうだな)


 読み進める彼の表情がだんだんと険しくなっていくのを見て、俺は自分の思考を打ち切った。


「アポリー、近衛騎士には委細承知したと伝えて帰してくれ」

「し、承知いたしました」


 二通とも読み終えたネンスの命令に、老人は再び腰を折ってから退室する。

 それを見届け、一度大きく息を吐いてから机上に肘をつく王太子。行儀悪く手を組み、口元を覆ってもう一度息を吐いてみせる。


「アクセラ、とりあえずいい話からするが」

「いい話があるの?」

「ああ、片方は間違いなくいい話だった」


 苦り切った顔のままいい話と言われても困るのだが。

 何とも言えない気分で続きを待つ。


「お前が依頼していた農園の確保、あれが無事に成ったらしい」

「ん!」

「たしかにそれはいいお話だね!」


 俺とエレナが顔を見合わせる。

 農園とはドニオンが俺を脅すために言及した、ユキカブリ農園のことだ。セシリアの命脈を何かしらの形で保っているというアレである。


「農園は第四師団が重要証拠物件の扱いで差し押さえた。現状維持の名目で管理人や小作人もそのまま使っているから、収穫も見込めるだろうとのことだ。詳しくはここに書いてあるから、読んでくれ」


 手渡されたのは二通目の手紙。差出人は宰相を務めるリデンジャー公爵で、内容は概ねネンスが口にしたもので全てだった。

 ドニオンは自分からの連絡が朝までになければ、農園が焼き払われる手はずになっていると言っていた。俺はそれを無視してジュメイとの戦闘をはじめ、二人を逮捕に追い込んだわけだが……。


(手はちゃんと打ったんだな、これが)


 戦闘が一段落したところで、俺は薄暮騎士団のメンバーに陛下への伝言を頼んだ。

 内容は北方の守護を務める第四師団を動かし、農園を確保してほしいというもの。


「まさか師団を動かしてもらうとは、ドニオン女伯爵も思わなかったよね」

「ん、とても助かった」

「使徒としての依頼だと言われれば無碍にはできないからな。だが借り一つだぞ」

「もちろん。存分に使ってほしい」


 俺が頷くとネンスはほんの小さな笑みを浮かべた。

 しかしすぐにそれを消し、深々と溜息を吐く。


「では、悪い話になるが……飛び切りだからな、心してくれ」

「ん」

「う、うん」


 王太子は手元に残った方の手紙を両手で握り、気持ちを入れ替える様にもう一度息をした。それからイエロートパーズの瞳で俺たちを真っ直ぐに見て、その事実を口にする。


「ドニオンが今朝、未明に死亡した」

「……!」

「えぇ!?」

「王宮へ秘密裏に移送する途中、襲撃されたようだ。担当していたのはこういった後ろ暗い司法処理を担当する役人と騎士で、全員が薄暮騎士団に籍を置く手練れだった……が、一人残らず殺害された」


 薄暮騎士団は正規、魔導、近衛に並ぶ第四の騎士団。公には存在しないが、国王直轄で護衛や裏方を務める連中だ。その性質上、対人戦闘に特化していると聞く。


(それが全滅か……)


 一番に思いつくのは魔物や魔獣の仕業だ。トワリの反乱でもそうだったが、薄暮騎士団は人間との戦闘に特化しすぎていて、それ以外の敵と極めて相性が悪い。

 もちろん神塞結界の中にそれらは入れないが、何事にも例外というものはある。例えばテイマーなどがスキルで従属させている魔物は通行が可能だったりする。実際にはテイマー自体が極めて珍しく、持ち込んだ魔物も厳正に記録、管理されるので違うはずだ。だが、手段がないわけではない。

 なおジュメイは現場に遺体がなく、連れ去られたのかグルだったのか、何もわからない状況らしい 。


「犯人の手掛かりは?」

「ある。場所は富裕街。偶然にも犯行を目撃した住人が衛兵に駆け込み発覚した。その住人の話しから察するに、例の喪服の暗殺者と呼ばれている奴が犯人だ」

「えっと、黒尽くめで貴族を襲ってるっていう、あの?」


 喪服のような黒いドレスに黒い鎧、顔を隠すベール。そして正体を隠す認識阻害の魔道具。それが通称、喪服の暗殺者。ここ数か月、王都で暗躍している通り魔だ。

 ただ先日アベルが話していた内容からは、どうにもこんなハデな殺人を犯すタイプには思えない。それに十人以上を襲って二人しか殺せていないようなポンコツだと聞くが。


「実力を隠していた?」

「そのあたりの事情は分からないが、外見的特徴から同一人物だと思われるそうだ」


 務めて冷静にしているが、手紙に刻まれた皺が彼の手に籠る力を想像させた。


「父上と宰相がすでに方針を打ち出し、対処の指示も済ませてあるそうだ。やけに遅いこの報せは事後報告というわけだな。ふぅ……まったく、フットワークのない己が恨めしいな」


 細く吐き出す息に自嘲が混じる。


「手紙を読む限り現場は惨劇と呼ぶに値する状況だ。ドニオンの死亡は隠し通せない」

「拙いね」

「拙い。一旦は参考人として王宮へ呼び出されたところを襲撃されたという扱いにして、逮捕自体を誤魔化す方向にしたようだが……それだけでどうにかなってくれるほど貴族は簡単な相手ではない。父たちがそのように対応するしかないくらい、状況そのものに無理があったということだ」


 ゴン。ネンスの拳が机を打った。


「そもそも何故殺されたかが分からない。何故ドニオンなのか、何故このタイミングなのか、何故護衛まで殺されたのか。数か月も前から現れているのに喪服の暗殺者とやらがどこの誰かも、被害にあった貴族や商人の共通性も分からない」


 何も分からないと呻くネンス。

 俺にとっては名前も知らない騎士たちという、報告書の数字でしかない。だがネンスにとっては血の通った人間なのだ。殺されましたと聞かされて心中穏やかなはずもない。


(だが、難しいな)


 一般街と富裕街の間には壁があり、検問が設置されている。しかしそれを潜れる身分の人間に絞ったところで、他の手がかりが背丈と性別だけでは無理だ。そもそも王都にどれだけの人が暮らしているのか、という話だ。

 それに街区を隔てる壁は都市外壁と比べると低く、貼られている結界も柔い。無理やりスキルに任せて飛び越えたり割ったりができないこともないわけで。

 あまりにも手がかりがない。


「私達の方で何かできることは?」

「気持ちはありがたいが、ないな」

「……」


 力なく首を振る友人に、俺とエレナは口をつぐむ。

 こちらは一人勝ちのように欲しいネタも農園も手に入れ、あの女の煩わしい干渉からも解放された身だ。どの口でネンスを慰められるだろうか。


(嫌な感じだ)


 貴族、奴隷商、そして蠢く何者かの思惑……王都の暗闇に不気味なナニカが潜んでいる。

 今はまだ、それが何であるかまでは見通せない。


(だが、尻尾を掴んだ暁には、絶対に始末してやる)


 それが俺にできる、ネンスへの最大の貢献だと信じて。


~予告~

後味の悪い幕切れから日は過ぎ、

ギルマスが学院を訪ねてくる。

持ち込まれたのは飛び切り面倒な依頼で……。

次回、聖なる者の露払い


※※※変更履歴※※※

2023/12/18 「魔の森」での開拓刑について、廃止ではなく執行されなくなっただけと修正

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