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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第13話 クルソスの末裔

「仕切り直しといこう、クソ男」


切れ端のような薄い三日月とぼんやりとした夜天光だけが照らす倉庫街。俺は雨狩綱平を正眼に構えたまま目の前の優男、ジュメイを見つめる。


「まずは君のくだらない話を聞いてあげる。好きに喋れ」


目一杯の挑発を込めて、俺は唇の端を二ッと吊り上げた。


「どういう風の吹き回しですか?」


男はこちらの意図を計りかねる様に眉間へ皺を寄せる。


「私も本気でやる。その準備の間、ただ待たすのも悪いから」

「本気ではなかったと?ふふ、酷い負け惜しみだ」

「待たなくてもいい。でも君は本気の私とやりたい。ちがう?」


嘲笑を浮かべてみせたところへ素っ気なく返す。すると彼は意外そうに片眉を上げて「おや」と呟いた。本当に俺がもう一つ先の力を隠しているとは思っていなかったのか。


「ふむ、そういうことなら待ちましょう」

「ん」


お互いに頷き合う。

俺は綱平を納刀し、後頭部で結んでいた髪を解いた。

ふぁさりと肩を覆うように広がる白髪。石鹸と汗の匂いが夜風に溶ける。


「しかし改めて喋れと言われると……ああ、貴女は随分とエクセララの剣術に長けているようだし、それなら色々と歴史についても知っていますよね」

「どうしてそう思う」


手櫛で二度、三度と髪を梳きながら問い返す。


「どうして……どうしてと言われましても。技と歴史、私はセットで教わりましたが、そういうものなのでは?」

「……なるほど」


当然のように言うジュメイに、ベルトポーチから新しいリボンを取り出していた俺の手は止まる。刀の師として同意できるような、できないような微妙な見解だった。

彼自身の考えというより、彼に徒手格闘を教えた師がそういう思想信条を抱いていたのかもしれない。それくらい疑問の余地のない雰囲気がジュメイの物言いからは感じられた。


「それで、歴史がどうかした?」


再びの質問。ジュメイはすぐには答えず、白手袋の指先で自らの頬に触れる。

そこにも魔術回路が埋め込まれていたようで、肌の奥からじわりと赤い線が浮かび、戯画化された蜂の図案を形作った。それもただの蜂ではない。翅と顎が一際発達した大砂漠固有の凶悪な魔物、カリギュラスホーネットの図案を。


「それは……」


どこかで見たことのあるその模様に俺は目を細める。


「私はクルソスの末裔だ、そう言えば分かってもらえますでしょうか」

「!」


どこか満足げなジュメイの言葉に俺は再び手を止める。


(そうか、あの紋章……クルソス、随分と長いこと聞いていなかった名前だ)


エクセルという男の百年に迫る人生の中には、どれほど時間が経過しても薄れることのない苦い記憶というものがいくつも刻まれている。いうなればアクセラとなった今でも魂に残るような古傷だ。クルソスという名もその一つ。


「……分かった」


溜息を吐くようにゆっくりと頷き、俺はリボン片手に己の白髪を纏め直す作業を再開する。応じる声がわずかに低くなったのは、自分の気のせいではないだろう。


(なるほど、クルソスか。なるほどな。魔術が使えるわけだ)


大砂漠に暮らす流浪の者たち、砂塵の民。安住の地を求めて大砂漠に踏み入ったかつての俺たちを助け、魔術を授け、やがてエクセララの良き盟友となってくれた彼らだが、一枚岩の単一部族というわけではない。むしろこの大陸でもっとも細かく分かれた少数部族と言ってよく、その文化や価値観は氏族単位で大きく違っている。

クルソス氏族はその中でも魔術の独自性が強く、武闘派で知られた一派であり、三番目に俺たちを歓迎してくれた連中でもあった。今のエクセララがある場所も、もとはと言えばクルソスが紹介してくれた水場の一つだ。


(忘れるものか。エクセララという都市を建てる最も基礎となる部分で多大な貢献をしてくれた恩人で……ああ、そして俺が滅ぼした唯一の砂漠の民だ)


本当に嫌な記憶だ。できるなら触れたくないほどに。

だが、そうなるとジュメイが俺を狙った理由も分かるというもの。


「これは復讐?」


訊ねると彼は変わらぬ笑みを浮かべたまま、ゆっくりと首を横に振る。それからキッパリ「まさか」と否定してみせた。


「私の両親や兄が生きていれば、貴女を一族の仇に連なる者として執拗に狙ったでしょうね。特に兄は……こう言うと変かもしれませんが、両親の願った通りの模範的な復讐鬼でしたから」


少しだけ懐かしむように言って、もう一度男は首を振った。


「私にそんなつもりはありません。私にとっても貴女にとっても、全ては歴史の話にすぎないのだから」


自分には関係のない話だ。そう臆面もなく言い放つ様は、確かに復讐鬼には見えない。


「改めまして、ジュメイ=ザウサ=クルソスと申します。クルソス氏族最後の戦士です。それ以上でもなく、またそれ以下でもなく、ね」


慇懃な礼をとってから彼は自分の頭をトントンと指でつつく。


「髪を結われるのでしょう?手が止まっていますよ」

「……どうも」


指摘されたままに手を動かすのがなんだか癪で、リボンを手の甲にクルクルと巻き付けその場にしゃがむ。先にブーツのベルトを締め直すために。


「復讐でないなら、ドニオンを騙してまで私と戦いたかったのはなぜ」

「ですから騙したつもりはありません。マイレディは強い手駒を欲していて、私は貴女に会ってみたかった。あれは、そう、お互いのメリットを最大化するための方便です」

「……意図が分からない。何を考えている」

「ふふ、よく言われます」


始めてその笑みが苦笑めいた色を帯びる。


「私はね、基本的に全てがどうでもいいのですよ」


男は肩を竦めてそう言った。

俺は自分の眉がぎゅっと寄るのを自覚する。


「私は生まれたときから両親の意向でクルソスの戦士になることが決まっていました。そこに私の意思はありません。兄にしてもそうですが……魔術回路の施術も、技の鍛錬も、歴史の勉強も、全て父と母がそれを与えてくれたから受け取ったものです」


そこまで言ってからジュメイは己の両親が大砂漠を追われたクルソスの民の二世だったと補足した。彼の一族を俺たちが攻め滅ぼしたのはエクセララの建設が終わった頃だったから、100年間で三世代というのは辻褄が合う。


「ああ、別に虐待されていたとか、苦痛で仕方なかったとかではないですよ。厳しくはありましたが、家族として当然の愛情は持ってくれていました。世にいう血の滲むような修練というものを嫌だと思ったこともありません。私自身、己の出自や家族には愛着がありましたしね」


彼の語りは「でもね」と続く。


「どれだけ歴史を教え込まれても、エクセララがいかにして我々の誇りと命を、父祖の土地と神聖な水場、魔術と伝統を略奪していったかを語られても……両親の抱くような身を焦がすほどの怒りや執着は、私は抱けませんでした。その点は兄と私の違いですね」


彼の両親が彼らに教えた歴史については、かなりモノ申したいことがあった。あったが、そこに拘っていないという彼に当事者としての俺の言葉は不要だろう。

俺は鎧の留め具を確認しながら、ただ彼の言葉を聞いた。


「兄は……そうですね、鏃のようでした。ただ一つの目的のために丁寧に砥がれ、時がくれば放たれて、そして敵を貫きそこで果てる。そんな鏃のような戦士だった」


だが、死んだ。鏃はどこへ放たれることもなくひっそりと。病だったとジュメイは言う。


「だからこれは復讐ではなく、単純な興味なのです。あれほど彼らが固執していたエクセララの剣士とは、兄が放たれて貫くはずだった存在とはどのようなモノか。それを一目見てみたくなった。その程度のことですよ」

「その程度のこと。そう思っていてなお、こんな博打を打った?」


適当な嘘でドニオンをここに連れ出し、それを餌に俺を吊り上げる。自分が勝てれば俺という駒を得られるが、失敗すれば自分も主もおしまい。それがハイリスクな賭けであることは流石に分かっているだろう。

しかもドニオン本人にはここを凌いで魔の森にまで逃れれば、なにかしら起死回生を図れるアテがあるようでもあった。なおのこと、ローリスクローリターンで頭を低くしてコソコソするのが吉に思える。


「それは自分の生活も、主の進退も、全て投げるに足ること?」

「投げたつもりはありませんが、そうですね。足ることだと思っています」


ジュメイの声に一瞬だけ、極めて真面目な音色が混じった。


「もちろんマイレディから頂いた物にはとりわけの愛着がありますよ。壊されて嫌な気がするくらいにはね。私のために仕立ててくださった物ですから。マイレディ自身にも、とりわけ愛着があります」

「愛着……」

「そう、執着ではなく」


奇妙な物言いだが、俺は段々と彼の言いたいことが分かってきた。


「君は、酷く狭い世界で生きている」

「ええ、その通り。私は誰かが私にくれるモノだけでできた、とても狭い世界で生きてきた人間です」

「その狭い世界にすら執着はないの?」

「ないですね。私は執着というものが分からない。愛着はあっても執着はない」


ジュメイという男は良く笑っているが、その実、感情の深度がえらく浅いのだろう。だから一張羅を壊されても「あーあ、これ気に入ってたのに」くらいで済む。そしてきっと、彼はドニオンを失っても同じように「あーあ」と思うのだ。

そう考えれば、彼の笑みは無表情のようなものだと分かる。俺の顔が感情の動きに関係なく動かないのとある意味似たようなもので。


「マイレディが執着する金貨や美、若さ、食の快楽、性の快楽、他者を踏みにじる快楽……どれも愛着以上の感情は湧かない。理解できないことかもしれませんが」


そんな風に言う彼は、俺の目にそれまでと少し違って映った。

執着がない、愛着しかない、だから気になった私と相対すためドニオンを危険に曝すという選択肢を葛藤なく選べてしまった。たしかにそれは異様で、異質で、俺にも本質的には理解できない心の動きだ。


(でも……嗚呼、クソッタレ)


俺は心の中で悪態を吐きながらも、唇の端がニヤッと笑みの形になるのを自覚した。


「君は、執着を知りたくて私に会いに来たんだね」

「……?」


ジュメイの顔がわずかに傾いた。


「両親やお兄さんが執着したエクセララの剣士に会えば、執着が分かるかもしれない。そう思っていたんじゃない?」

「それは……どうでしょう」


困惑と疑問が半々の様子は、少なくとも自覚的なものではなかったことを示している。

だが、もし違うというならどうしてあんなにも俺と喋りたがったのか。こんな自分語りをして、何がしたかったのか。その説明がつかない。


「言われてみれば、ドニオンを守ろうとするときの君は役者のようだった。どこか空々しい雰囲気があった。命を賭してでも守るのだという意思がなかった。魂からこみ上げる感情がなかった。まさしく、そう求められたからそう振る舞っているだけ」

「……」

「でも戦っているときの君は違う。楽しそうだ。私にもっと本気を出せと言うとき、君の目はぎらぎらと燃えていた」


俺の言葉を聞くジュメイの顔から笑みが抜ける。いや、笑みという無表情を越えて、驚きが表面に浮き上がったのだ。それを隠すように白手袋の手が口元に伸びる。


「……それが、執着だと?」

「さあ、それを決めるのは私じゃない」


突き放してから、俺は最後に回した髪の毛に手を伸ばす。改めて数回の手櫛を通し、後頭部の高い位置でぐっとまとめて片手で保持。手に巻いておいたリボンをひらりと解く。


「貴女と喋ってみたいと思っていたのは事実です。それなのにこうして喋っていると、どうにもしっくりこない。この気持ちは……そう、じれったい。こんな事をしている場合ではないと感じる自分が居る」


視線をタイルへ落とし、ぽつぽつと考えを確認するかのように口に出すジュメイ。


「そうか、私は貴女と喋りたかったわけではなく、戦いたかったのか……」


紅色に金線が二本刺繍されたリボン。交わっては離れるその模様を一瞥し、まとめた髪の根元をそれでギュッと縛り上げる。

軽く頭を振ってから顔を上げると、彼もまた口元に当てた手を下ろして顔を上げるところだった。


「準備はおしまい。君は?」

「……ええ、ええ」


何度か頷いて最後の確認を済ませるジュメイ。


「これが執着かは分かりませんが、愛着でないのは確かだ。私はもしかすると、貴方の言う通りソレを探しにここまで来たのかもしれません」


これまでとは違う種類の笑みがジュメイ=ザウサ=クルソスの顔にあった。


「ん、いい顔だ」


興味がない、あるいは他の目的がある。それだけで安易に他者を傷つけられる性質は正直どうかと思う。だがこの男はドニオンのように性根が腐っているわけではない。むしろ戦いの高みに惹かれる戦士の心がある。


(戦うことに、強くなることに執着する心)


それがあるならば、俺が師に巡り合ったように、俺の弟子たちが俺に巡り合ったように、ジュメイもそうした何かに巡り合えば……今更でも変われるのではないか。そんな風にも思う。


(瓢箪から駒ではないが、なかなかどうして俺好みの馬鹿野郎だ)


そういう奴はこんな状況でも構いたくなる。師たる者の難儀な性分である。


「さあ、やろうか。ジュメイ=ザウサ=クルソス」


改めて雨狩綱平の鯉口を切る。打って変わって晴れやかな気分だ。

涼やかな鋼の音色を立てて露になる海色の刀を下げ、俺は小さく笑みを見せた。


「紫伝一刀流、アクセラ=ラナ=オルクスがお相手しよう」


本編のみのカウントで300話に到達いたしました!

これからも読者の皆さんからの応援を支えに、頑張って参ります!!


~予告~

陰謀もしがらみも捨て、刀一振りと拳二つ。

剣士と拳士や、いざ死合え。

次回、罪の先へ

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[良い点] やはりアクセラは師だ
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