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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第12話 倉庫街の戦い

「誰かの血を啜って生きて来たお前に、明日なんてこさせない」


 蒼銀に輝く雨狩綱平の切っ先をドニオンに突き付け、俺は静かにそう告げた。

 いやに冷たい思考といっそ穏やかな口調。しかしそれらに反して俺がそこに込めた怒りは強く、熱く、濃密だ。

 心臓の裏側からどろどろと湧き出す、赤黒い溶岩じみた魔力。それが声から、体から、刀から溢れ出て、倉庫を満たす闇をわずかに濃くする。

 まるで燻る煙のような、言葉通りに太陽の光を塗りつぶすそれは、いわゆる感情に伴う上級属性の魔法化というやつだった。


「ひぃいいいい!?な、何よ!何よソレぇ!?」


 不吉に立ち上る魔法の闇に悲鳴を上げ、じたばたと地面を這いまわり、木箱と木箱の間の狭い空間に逃げ込もうとするドニオン。

 美女の微笑みが描かれていた化粧と言う名の仮面は砕け落ち、不摂生と厚すぎる白粉に赤く爛れた老婆の素顔が剥き出しになっている。怯えるしかできない、非力で脆弱なツラが。


「ジュメイ!こ、殺しなさい!そいつを殺して!!」


 必死に隙間へ巨体をねじ込みながらヒステリックに叫ぶ惨めな女伯爵。

 その金切り声に応えて黒髪の美男、ジュメイが一歩前に進み出た。


「もちろんです、マイレディ」


 一切動じた様子のない口調。しかしその整った顔には、冷たい表情を溶かすようにして残忍な笑みが広がっていく。

 彼はちょうどその背に主人を庇える場所で止まり、コンクライトの片手剣を下段に置いている。


「アクセラ=ラナ=オルクス。いえ、エクセララの剣士。随分な迫力をお持ちですが、果たして見合う実力か……お手並み拝見と行きましょう」

「私は君に興味なんてない。退け」

「ふふ、嫌です」


 素気無くあしらうが男は何が嬉しいのか意味深な笑みを深めるばかり。


「ジュメイ!早く!早くそいつをな、な、なんとかしなさいよ!!」


 癪に障る態度の男から、その背後で喚く首魁に再び視線を落とす。


「……チッ」


 数えきれないほどの人に不幸を振りまいてきた女が一人前に怯え、慄き、震える様は溜飲が下がるどころか不快の一言に尽きた。


(叶うなら、今ここで始末してやりたいが……)


 熱いのか冷たいのか分からない、胸の内から込み上げてくる衝動。だが俺はぐっと奥歯を噛んでそれを堪えた。


(落ち着け。落ち着け。冷静になれ)


 魔力が魔法化するほど心動かされていながら、どこか白けた気分がぬぐえない。その理由は、きっとこの感情の大部分が『技術神』からのフィードバックだからだ。

 とりあえずドニオンもジュメイも、生きたまま捕えてネンスに引き渡さなくてはいけない。今後の摘発をふっ飛ばさないためにも、そこは上手くやらなくては。


「ふー……」


 大きく息を吐く。怒りも記憶もすぐには抜けないが、体内に溜まった熱だけは吐き出すように。冷たい部分だけを残すように。


「まあ、いいよ。君がソレを庇って戦うというなら、私はどちらもぶん殴って騎士に引き渡すだけ」


 吐き切った息を短く吸って、俺はなるべく余裕の声を作りそう告げる。

 その返事に男は満足そうにしながら、首を横へ振った。


「いえいえ、させはしませんよ。私が貴女を打ち倒し、屈服させ、マイレディに有用な駒を献上する。それがこれから始まる戦いのエンディングなのです」


 芝居がかった調子で嗤う男。彼は戦うことしか考えていない者の目をしていた。


(こいつ……)


 それだけで分かる。この男は意図的にドニオンを騙して俺と接触させたのだと。そうと理解した途端、彼のマイレディという呼び方が薄ら寒い物に思えてくる。

 ドニオンは典型的な裏社会のドンだ。彼女のようなタイプは独善的で他者を信用せず、己の才能と嗅覚だけを頼りにする。

 それが間違った調査内容、間違った人物像、そして間違った未来予想図を与えられて容易く操られていたということは、この男を駒以上の存在として頼っていたのだろう。彼女自身がそれを自覚しているかどうかは別として。


(敵ながら反吐が出る)


 決してドニオンを哀れに思うわけではない。言った通り、この女はとんでもないクズだ。だが、だからと言ってザマを見ろと嘲笑する気にもなれなかった。ただただジュメイに対して不快感が募るばかりである。


(……せめて、俺がクールダウンする間は立っていられる程度に強いことを期待しておくよ)


 自慢の鉄面皮にハッキリと渋い表情を作ったまま、俺は雨狩綱平を水平に構えた。火魔法の身体強化で全身の筋力を底上げするのも忘れない。


「ところで、始める前に少しお話でもいかがですか?」

「寝言は寝て言え」

「そう言わず」

「くどい。来ないなら大人しく捕まれ。そうでないなら来い」


 訳の分からない提案を一刀両断する。ジュメイは微笑みの中に残念そうなニュアンスを浮かべ、トトンとその場で軽く跳んだ。


「仕方ありませんね」


 準備運動かと思うほどの軽やかさだったが、次の着地をそのまま踏み込みと変えて突っ込んできた。地面に一度沈んでから上がってくるような、不思議な重心移動を伴う疾走。中々の速度だ。


「シッ」


 鬱金色の片手剣に薄青い光が灯り、下段にあったその切っ先が真っ直ぐに顎を狙って駆け上がってくる。


「ん?」


 その斬撃は想像していたより遅い。そのことに違和感を覚えつつ半歩引くことで完全に避け、空振ったところへその場で一回転して回し蹴りを叩き込んだ。金属補強されたブーツの踵がジュメイの脇腹を捉えるギリギリ、奴も自由な方の足を引いて身を躱す。

 俺は蹴り足を床に着けるなりそれを軸足と変えて大きく踏み込む。そのまま綱平を真横に二度、三度と斬り払うが彼はその全てを滑らかに引き下がることで難なく回避していく。足首を狙った一撃は膝から後ろに跳び、腹ならば身を翻し、胸より上なら上体を丸ごと反らして。


「シッ!」


 反撃の『剣術』が一文字の軌道を描く。だがやはり遅い。軽く首を動かしてやり過ごす。

 狙いを外したコンクライトの剣身はバキャっと音をたてて、高く積まれた木箱の腹を穿った。砕けた側面から飛び散る青臭い汁と何かの欠片。まぎれもなく何かの植物、それも果実の箱だ。


(これ、ユキカブリの箱か!)


 壊れた荷物の中身に俺の反応がわずかばかり遅れる。


「フッ」


 そこへねじ込むように彼は踏み止まり、胸の高さまで上げた片手剣の先を俺の顔に向けた。もう片方の手を添えた瞬間、再び灯る薄青い光。そしてスキルアシストによって打ち出される突き。


「チッ」


 俺は舌打ちして金の刃に刀を合わせ、強引に押し通ろうとする力を流鉄で崩してスキルブレイクを行う。


「おお……!?」


 薄青い光が内側から弾けるように消えると、ジュメイの笑みに驚きが走った。スキルによって動いていた体が強制力を喪失した瞬間、人の脳はどうしてもコンマ数秒の混乱に陥る。

 重力に引かれてわずかに下がった剣に刀を絡めつつ、俺はそんな当然の反応に構うことなく前へ踏み出した。


「!」


 特徴的な木目調の地金を雨狩綱平の海色が撫で、倉庫内に不似合いに美しい音色が鳴る。

 やや上から突き下ろされていた片手剣の上手を取った俺は、そのまま下向きの鍔迫り合いに持ち込んだ。綱平の鍔で片手剣のガードをがっちり抑え込む形。背の低い俺の方がこの体勢では強く力を掛けられる。


「おっと……!聞いていた以上の馬鹿力ですね」


 嬉しそうな男を下から睨み上げる。


「……腹の立つ男」

「ふふ」


 ぐっと剣を逃がそうとする力が強くなる。組み方、押さえ方の有利があるとはいえ、基礎的な筋力は流石に大きく開いているらしい。

 俺は、綱平を傷めたくないのもあり、抵抗せずに変則的な鍔迫り合い解いて跳び下がった。


「こんなものではないでしょう、貴女の実力は!」


 喜々として跳び込んでくるジュメイ。見せつける様に薄青いスキル光を纏った片手剣を上段に掲げ、男はヘタクソな切り下ろしを放つ。


「ん……!」


 踏み込まれただけ下がって薄皮一前の間合いで斬撃を回避。丁寧に砥がれた鬱金色のエッジが眼前を通過するなり、その背側を思い切り踏みつける。


「!?」


 停まるはずの位置を突き抜け、けたたましい音をさせて片手剣は倉庫の床に食い込んだ。しかし俺の足がそれで切れることはない。刃筋を完璧に読んだ上でずらす様にブーツを置いたのだ、切れるはずがない。

 足下に剣を踏みしめたまま、真横に深く振りかぶった雨狩綱平。魔力を受けて内側から鈍く光る青のグラデーションに、流石に慌てた様子で剣の柄を離すジュメイ。だが俺の狙いは、今回に限ってはそもそも目の前の男ではない。


 キンッ!!


 澄んだ音が一つ。男の後に残されたのは、剣身の半ばから両断されたコンクライトの片手剣。支えを失った柄側は落ちて床を打ち、倉庫に金気の音がもう一度響いた。


「剣士でないなら、その剣に何かを込めないなら、さっさと捨てて無手になれ」


 苛立ちも露に俺が言うと、彼はますます笑みを濃く深いものにして肩を揺する。


「ふはっ……やはり気付いていましたか。しかしコンクライトは類稀なる剛性と銀のような軽さを備えた理想の金属。それをいとも容易く切断するとは」

「気づかないと?舐めるなよ。本気を出すか、尻尾を撒いて逃げるか、今すぐ選べ」


 うんちく混じりに感心してみせるその声を無視して切っ先を突き付ける。

 この男の回避や踏み込みなどの立ち回りは誰が見ても達人の域にある。そうでなければ最初の二、三太刀で俺はこいつの手足をすっぱり斬り落としていただろう。

 だが一方でその攻め手たる『剣術』は酷いものだ。アシストの強度や出力、速度から考えてスキルレベルはおそらく五あるかないか。


(話にならん)


 そもそもの話、武器系の基礎スキルは一定水準を超える実戦で使うようなものではない。スキルを寄る辺に剣士だ騎士だと名乗るなら尚更で、派生スキルを持っていなくては論ずるに値しないのだ。

 レイルやディーンが『長剣術』、『速剣術』、『剛剣術』などを使い分けているように、メルケ先生が『両手剣』でツーハンデッドを巧みに操ったように。


(あの動きができてそんなレベルだとは思えないし、なによりコイツの足運びは剣士のそれではない)


 武器を繰り出すときに必要なのは確かな足場だ。あのトントンしたステップは機動性と瞬間的な踏ん張りを担っているのだろうが、剣を振るには向かない。


「ああ、イイですね」


 ジュメイは味わうように呟いた。

 その意味を察し、深い青の峰に手を当て、魔鉄色の刃を天に向けるように綱平を構える。


「すぅ、はぁ……」


 まだ冷たい夜の空気を吸って吐く。魔力と酸素が肺から流れ込み、心臓から全身へ、そして刀の中へとめぐる感覚……「俺」が研ぎ澄まされていく。


「イイ、実にイイです。貴女を侮っていました。そのことをお詫びしましょう」


 くつくつと笑いながら、丁寧な動作でブラックスーツの上着から袖を抜くジュメイ。襟の所で摘まみ、皺が寄らないように近くの木箱の上に寝かせる。


「ここからは私も本気で行きます」


 彼は白手袋をそのままに、くりくりと袖を巻いて前腕を露出させた。少し日に焼けた肌には古そうな傷痕がいくつか残されている。やけに真っ直ぐな……まるで手術の痕のようなものが。


「ああ、でも一つ勘違いをされていると思うので、その誤解だけは解いておきましょう」

「興味ない」

「貴女と話をしてみたいのです。なにせ私は……」


 この期に及んで無駄口を叩こうとしたジュメイ。俺は無視して床を蹴った。

 一直線に間合いへ入って首筋へ海色の刃を突き入れる。


「おっと……!」


 筋張った頸動脈を切っ先に引っ掛けて斬る。その寸前にジュメイは体を大きく反らして刃から逃れた。

 しかし突きからわずかに外へ動かしただけの刀に勢いは乗っていない。つまり筋力で速度を殺す必要もない。すぐさま綱平の向きを翻して袈裟の斬り下ろしへと太刀筋を変える。

 男はそれすら足運びでゆらりと紙一重に避け、そのまま後ろへ軽やかに跳躍。俺の斬撃は奴のベストを掠るにとどまった。


「まったく、気の早い人だ!」

「まどろっこしいのは嫌い」

「ふふ、まどろっこしいなどと……ん?」


 カツン。着地した先で小さく硬質な音がした。彼の視線が床に落ちる。そこには両断されたグレーのボタンが一つ。ベストの真ん中を留めていたボタンだ。


「……マイレディに頂いた一張羅なのですが」


 初めて男の眉間に不愉快そうな皺が寄った。


「傷付けるのが嫌なら戦場に着てくるな」

「まあ、ごもっともで」


 ため息を吐きつつベストも脱ぎ、男はそれを手近な箱の上に投げた。その投げ方もやけに丁寧で、本当にその服を大切にしていたことが伺える。


「しかし誤算でしたね。貴女がこんな閉所でも自在にカタナを振り回してくるとは。それでも、矛盾するようで恐縮ですが、ボタン一つしか届かないというのもまた誤算。そんなものですか?」


 男は気を取り直したように言いながら、今度こそ自分も構えを取った。軽く握った両手を顔の高さに掲げ、軽やかにその場でステップを繰り返す。やはり拳を使って戦う戦士の中でも、足裁きを身上とするタイプの立ち姿だ。


「……」


 俺は黙って再び刀身を寝かせるように構える。攻撃スタイルは突きが主体。まさに彼が言った通り、閉所での立ち回りを念頭に置いたものである。


「では改めて、本気で行きます」


 そう宣言するなり、今度は彼の方から動いた。短い跳躍を連ねるような独特の歩法で距離を詰め、一気に刀の間合いを超えて滑り込んでくる。


「シッ」


 薄い唇の間から息が漏れ、ジュメイの右手が赤く染まったかと思うと……信じられない速度で打ち出された。


「!」


 急加速をなんとか捉えて構えを解き、首を振って直撃を避ける。頬の産毛を撫でるように空を貫いた拳打は、再び赤く輝いたかと思うともう引き戻されていた。


「痛ッ」


 なぜか避け切ったはずの頬に痛みが走る。だがそれを確認する暇はない。暗い倉庫の中で繰り出す瞬間と引き戻す瞬間の二度、赤い線が描かれる。先ほどと同じ肩から打ち出すような距離の短い、素早いパンチだ。

 俺は反対側に首を反らして避ける。ただし、より大きく間を設けて。正体不明の攻撃を二度も三度も受ける気はない。


 ヴン……!


 耳元を過ぎ去る拳から、風を切るのとは違う音がした。その正体を見極めることはできない。その時間はやはり与えてもらえない。


「シッ!シュ、シュシュ、シィッ!!」


 鋭いブレスを伴って次々に放たれる左右の拳。射程が短いことを見切れさえすれば躱すことは難しくないが、その代わり次の出が異様に早い。それに足りないレンジを補うようにフットワークで張り付かれると、刀が振りにくくて仕方がない。


「邪魔くさい……!」


 パンチにリズムがあることをすぐに理解し、その間を縫うように刀を突き入れる。しかし腰の入らぬ斬撃を、男は前後左右に滑るように動くことで回避していく。

 逆にジュメイは一撃一撃に足からの捻りを乗せており、掠るだけでもこちらには小さな傷ができる。それどころか、直撃を喰らった木箱や壁は熊が激しく爪とぎをしたようにゴッソリと削り取られていて。


「さあ、さあ、さあ!もっと貴女の実力を見せてくださいよ!」


 木っ端とレンガ片をまき散らしながら、興奮した様子で吠え立てる目の前の男。

 俺はこのままでは埒が明かないと、その猛追を振り切るべく魔力を両足の回路に流し込んだ。生命魔術・強化 を励起、その恩恵を引き出して大きく後ろへ跳躍。距離を開けるが……なんと男も一気に加速し、難なく追従してくるではないか。


(チッ、やはり足もか……!)


 途切れることのない拳の嵐を凌ぎながら内心で舌打ちする。

 ジュメイの腕に灯る赤い光はスキルではない。素早くてハッキリと視認するのは骨だが、肌の奥から浮き上がるような幾何学模様が見て取れる。つまりこれは魔術だ。魔術回路特有の発光現象だ。


「その急激な加速、やはり貴女も魔術使いか!」


 魔術。それは大砂漠に住まう砂塵の民が伝えてきた独自の魔法体系であり、エクセララにおいて花開いた戦士のための生体兵装。属性と術の種類を規定したフィルム状の回路を外科的に埋め込むことで、魔力の流れだけで発動を可能とする。

 俺はエクセルから引き継ぐ形で治癒や強化など、いくつもの魔術回路をこの身に宿している。そして目の前の男もまた、手術によっていくつか隠しているらしい。腕の古傷は施術の痕跡か。


「このような東の果てで魔術使いと相まみえるのは意外ですか?意外でしょうね!ふふ、ふふふふっ!」


 湧き出してくるような笑いと共にジュメイの体が更に加速する。右、左、右、左、右。短い流星が矢継ぎ早に、交互に放たれる。そこから引き戻したばかりの左腕を大きくしならせ、体を巻き込むようにそれまでとは全く違う軌道のパンチが……。


「しま……根源たる力よ!」


 あまりの至近距離。それに体格差。そして交互に来るという先入観。俺の視界、認識の範囲からコンマ数秒脱出した拳は、右側から魔弾のように飛んできた。

 咄嗟に系統外魔法・中級マナアーマーを展開。虹色にきらめく半透明の盾が生まれると同時に爆発するように砕かれ、ジュメイの拳は俺の脇腹の高い位置に突き刺さった。


「がふっ……!!」


 魔力強化された肋骨が悲鳴を上げ、片肺だけから強引に息を吐き出させられる妙な痛みが胸の中を焼く。激痛に右腕から力が抜け、綱平の柄から滑り落ちそうになる。

 だが、そこで止まる俺ではない。力の入る左腕だけで斜め上、背伸びすればかぶりつけそうな近さにある喉目がけて刃を突き出す。


「な!?」


 完全に一撃が入った状態からノータイムで放った反撃。クリーンヒットにほんの少し気が緩んだのか、ジュメイの回避に寸分の遅れが生じる。

 顎から目まで斬り裂いてやる。そう思ったのだが、男はギリギリで顔を背け、青鋼色(あおがねいろ)の刃は前髪を幾筋か斬り落とすに留まった。


「らぁっ!!」

「ぐぅ!」


 あげくカウンター気味の回し蹴りまで食らう。マナアーマーとスキルで強化した鞘を盾にダメージを押さえつつ、床を転がって距離を取る。


「ふふっ」


 何が面白いのか、男は俺を見て頬を歪めた。曖昧な微笑みなどではなく、はっきりとした悦楽の笑みを。


(クソ痛い……まあ、治ったけど)


 押さえた手の中で最小限の聖属性を使い、生体魔術・治癒を促進させたのだ。頬のときのような口の開いた傷になっていなかったので、修復は極めつけに早かった。

 一か八か、蜂の羽音のような怪しい音を魔術の効果だと仮定し、魔法防御に長けたマナアーマーを展開したのはアタリだった。


(しかし、速いな……回路が新しいのか?)


 先ほどの一撃、俺が初歩的なミスリードに引っかかったのもあるが、瞬間的にジュメイの速度は俺の反応できる領域を振り切っていた。つまり単純に速さで負けたのだ。

 俺の魔術回路はエクセルが使っていたモノの複製だ。実戦に裏打ちされた確かな技術であると同時に、百年も前の設計に基づいた骨董品でもある。時代の流れが性能の差に繋がった可能性は否定できない。


「ちょっと興味が出てきちゃったな……」


 戦士としても人としても尊敬できる要素のないジュメイという男。

 俺は彼との戦闘をあまり楽しいとは感じていなかったし、いかに大怪我をさせず、こちらも手札を見せず、対処を済ませてしまおうかとしか考えていなかった。

 が、こうなってくると話は別だ。


(俺の知らない方式、性能の魔術回路。気になる。ならないはずがない)


 それに俺自身の速度を超えて動けるのなら、いかに中身がクズでも一目置くべき戦士に違いはない。強いと言うことは、一面においては絶対的な価値だ。


(いや……いっそ本気の本気で聖刻を試すのもありだな)


 今まで聖刻を使わなかったのは手加減がしにくいからだ。それと念のため不文律に守られていない学院外では控えておこう、くらいの予防線的な気持ちが少々。

 しかしジュメイが少なくともスピードの一点で俺を上回っているのなら、念のための予防線など捨てて実戦投入するだけのメリットが出てくる。


(どうせ一番警戒すべき使徒は遠く王城の中だ。うん、使おう。使ってしまおう)


 そうと決めれば怒りを押しやってワクワク感が出てくるのだから、現金なものだ。

 試合でも慣らし運転でもない、本気の戦いの中での確認と習熟。戦士に最も必要な経験という資産。この状況は目の前に期待していなかった金の鉱脈が出てきたに等しい。

 となると……。


「狭いか」


 小さくため息をついて、俺は壁から背を離す。

 この倉庫にはユキカブリの実以外にも風のクリスタルなど、色々な物がぎゅう詰めに詰め込んである。そのうちどれとどれがセシリアの生命線となる物資かは分からないが、これ以上壊すわけにもいかない。


「おや、もうよろしいので?」

「打ち身程度で長々と休めない」


 これ見よがしに肩をぐりぐりと回して無事であるとアピールする。

 ジュメイの顔にわずかな困惑が見えた。


「おかしいですね。少なくともヒビくらい入れられたと思ったのですが」


 左手を開き、閉じ、その感触を確かめる男。

 俺は肩の力を抜いてから、おもむろに剣を握った拳を彼に突き出す。


「勘違いじゃない?知らないけど……光よ」

「ぐっ、な、なにを!?」


 今度こそ盛大な驚愕。しかしその顔は強烈な光量のフラッシュに呑まれて見えない。

 俺も、ジュメイも、そして端っこで蹲るドニオンも。全ての者の視界を奪う輝きの中で、俺は躊躇いなく真横へ飛び出していた。そちらは敵のいる方ではない。そちらは扉。俺が入って来た倉庫の通用口だ。

 バン!と蹴り破って外気に踏み出す。真っ白に焼けた視界では分からないが、夜風が屋外であることをハッキリ教えてくれる。冷たく静かな倉庫街には相変わらず人の気配がない。


「天にまします我らが主……それと、闇よ……」


 聖属性と闇属性の二つでフラッシュの影響を治し、少し進んで踵を返す。


「くっ、逃がしませんよ!」


 俺を追ってジュメイが月光の下へと躍り出た。目はまだ眩んでいるようだが、目を凝らして俺を睨んでいるあたり、既におおよそ見えてはいるようだ。


「仕切り直しといこう、クソ男」


 雨狩綱平を正眼にぴったりと構えて言う。


「まずは君のくだらない話を聞いてあげる。好きに喋れ」


 目一杯の挑発を込めて、俺は唇の端をニッと吊り上げた。

~予告~

明かされるジュメイの過去。

それは百年前、エクセルの時代に生まれた遺恨。

大砂漠の果てから流離い来る無垢なる殺意に、アクセラは何を思う。

次回、クルソスの末裔

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