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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第10話 最悪の脅迫状

 その日、俺は夜のブルーバード寮を訪れるはめになっていた。

 勉強会も食事も終えてあとは寝るだけの遅い時間だ。当然のように寮の職員から苦言を呈されたし、寮の上級生には好奇の目で見られた。だが無理を言ってネンスを呼んでもらうと、彼は呆れつつも会議室をとって俺を迎え入れてくれた。ありがたい。


「ネンス、困ったことになった」


 開口一番にそう言うと、彼は露骨に難しい顔になる。けれどすぐにふっと息を吐いて、少し大げさな苦笑に改めた。


「まあ、透明化して部屋に押し入って来たわけでないだけマシな状況か」

「ん、まあね」


 彼が言っているのはエレナとアレニカが攫われた日のことだろう。確かにあそこまで切羽詰まってはいない。そう思って俺も少しだけ頬の力を抜く。


「とりあえず座ったらどうだ、水くらい入れてやる。その間に要件を聞こう」

「ドニオンから脅迫状がきた」

「……なんだと?」


 部屋に備え付けの食器棚に爪先を向けていたネンスだが、俺の言葉にたっぷり一秒は固まってからそう問い返してきた。


「これ」


 俺はソファへ腰かけるなりテーブルに激烈な紅色の封筒を置き、反対側に指先で押しやる。ネンスは水差しさえ取らずにこちらへ歩み寄り、慌ただしく俺の正面に座った。

 受け取って裏を見たイエロートパーズの目が細くなった。


「たしかにこの封蝋はドニオン家の紋章だな」


 剣だこで分厚くなった指が丁寧に中の便箋を取り出す。


「なになに。親愛なるオルクス伯爵家のご令嬢、アクセラ様におかれましては」

「そこはいい。二枚目」

「一枚目は全部挨拶か。脅迫状のクセに丁寧だな……」


 意外そうに片方の眉を上げるネンス。


「前置きが滅茶苦茶に長い」

「貴族らしいと言えば貴族らしいが」


 何とも言えない表情のまま彼は二枚目の便箋に目を移す。

 左右に動き始めた視線がしばらくして止まる頃には、形のいいアッシュブロンドの眉尻は一層吊り上がり、纏う空気さえも剣呑なものになっていた。


「ほう」


 短い息に乗せられた複雑すぎる感情。それを処理するのに数秒を要してから、王太子はこちらへ眼差しを寄越した。苛立ちに満ちた刺々しい視線だった。


「要約すると、これはあれか。自分が摘発のターゲットであることは分かっている。お前の母の命は彼女の手中にあり、私を裏切って軍門に下らないのであればどうなるか分からない。つまり、こういうことか」

「ん」


 そう、まさしく脅迫状だった。帰宅してエレナと郵便物を仕分けしているときに出て来たソレを読んで俺がどれだけ驚いたか。

 ネンスは俺が頷いたのを見て、そっと片手で目元を覆った。


「……欺瞞情報に刺激された結果だとすれば、想像の遥か斜めに行ったな」

「上か下か分からないけど」

「そんなことは心の底からどちらでもいい」


 ずるずると背もたれに身を預けてソファに溶け落ちるネンス。凝り固まった背骨だろうか、パキパキと小気味のいい音が彼の体から聞こえる。


「そうきたか」


 一つ呟いてテーブルの上に気だるげな動作で便箋と封筒を投げ捨てた。

 過去最高に王子らしくない仕草だ。


「そう来たか。いやはや、そう来たか……あの女、思ったより馬鹿だったのだな」

「ん」


 怒りもなにもない、ただ気が抜けたような弱々しい声での罵倒。俺は深く頷くほかない。


「お前を引き込んで何をどうするつもりなのだ。全面戦争でもする気か。違法風俗の摘発一つで?」


 たかが、と言ってはいけない犯罪ではある。だが、さすがに行動の過激さが釣り合わない。思惑が読めない……というより読みたくない。

 そんな諦めに似た嫌悪感がネンスから立ち昇る。


「今夜中にドニオン家に星でも落ちて全て消し飛ばないだろうか」

「気を確かに持って」

「持ちたくない」


 即答してくるあたり、この頓珍漢な脅迫状はネンスの心を大きく挫いてしまったらしい。

 目元を覆った指がぐにぐにと動いている。文字通り頭の痛い話だ。


「はぁー……」

「ん……」


 聞いたことがないくらい深いため息を吐いている彼の心中、俺は良くよく分かる。すなわち「お前じゃねーよ!」だ。しかし欺瞞情報の意味を考えるとそれを言うわけにもいかない。


「そもそも、このお前の母についての情報はどこまで信頼できるのだ」

「なんとも言えない。母とドニオンの関係は、完全にノーマーク」

「藪から棒すぎて逆に真実味があるのが怖いな」

「ん」


 余りに突飛すぎて何かしらの真実を含んでいるとしか思えない。その結論は俺も同じだ。だからこそ大至急ここへやってきて、こうして相談しているのだ。


「……」

「……」


 目元を押さえたままソファに崩れ、やる気が死んでしまったネンス。

 さすがに状況が特殊すぎてすぐには言葉が出てこない俺。

 二人の間で嫌な沈黙が数分にわたって続いた。


「裏切るか?」


 だらりとしたまま、おもむろにネンスが言う。


「裏切っていいの?」

「いいわけないだろう。だがどうせ違法風俗の摘発は欺瞞にすぎないからな」


 確かに。あちらとこちらの認識にはズレがありすぎるのだ。別にドニオンの下に一時身を寄せても、ネンスを裏切ることにはならない。俺は真面目な顔をして実行されない違法風俗摘発に備えておけばそれで終わりだ。違法奴隷の方はノータッチ。それで済む。


「まあ、お前が抜けるのは痛いというか、もはや土台がひっくり返る勢いだが。それどころか作戦の規模と内容を鑑みれば、王太子としては母親を諦めろと言わねばならないわけだが。しかし、使徒は無理に縛れない。お前が行くと言うなら私は頷く以外の首の動かし方を知らん」


 ネンスは背もたれから起き上がる様子もなく、投げやりに義務的なセリフをつらつらと吐き出す。


「どのみち母親を見殺しにしろなどと、お前にそんなことは言いたくないしな。ははっ、その点はお前が使徒でありがたいくらいか?」

「皮肉がキツい」

「皮肉の十や二十、言いたくなるさ。この局面で欺瞞情報に踊らされたまったくの外野に主軸を押さえられるなど、作戦変更の理由としてくだらなすぎてもはや怒る気力も湧かない」


 彼の中で俺がドニオンの下へ行くことは決定事項のようだ。というより、そのように思ったからこそやる気が死んでしまっているわけで。


「……」

「悩んでいるのか?」

「まあ」


 黙っているとネンスは指の隙間からこちらを見、そして問うてきた。


(俺はつくづく母親という存在と縁がない人間だ)


 エクセルとしての俺を産んだのはアピスハイム貴族の奴隷だった女性だが、物心ついた頃の奴隷仲間にそれらしき人はいなかった。アクセラとしての実母セシリアも絵を一枚見たことがある以外、何の接点もない。


(俺に母がいるとすればラナだけ)


 だからセシリアが人質になっていると言われても、通り一遍の義憤と心配しか浮かばない。あるいは生死も不明な謎の人物と捉えていただけに、一般的なそれを下回るレベルかもしれない。

 だが、アドニスに対するように隔意を抱いているわけでもない。そういう意味ではセシリアに対する感情は全くのフラット、ゼロなのだ。


「でもまあ、トレイスにとっては母親だし」

「?」


 ネンスには意味の分からない言葉として映っただろうが、俺にとって一番の関心はそこなのだ。俺の弟トレイス、あの綿毛のようなふわふわ髪の少年には母親と一度会ってみるくらいの権利があるのではないだろうか。そんな風に思えてならない。

 アベルやホランに頼んでセシリアの行方を探ってもらったのも、結局のところはそれが一番大きな理由だ。


「助けられるなら、助けた方がいい」

「アクセラ?」

「見殺しにするのも、寝覚めが悪いし」


 俺がぽつぽつと理由を挙げると、ネンスはようやく体を起こしてこちらを見た。

 イエロートパーズの目は細められ、俺への疑問で鈍く輝いていた。


「歯切れが悪いな。そんなに違法奴隷の方が気になるのか?」

「ならないと思う?」

「使徒だからか」

「……」


 間髪入れずにネンスが重ねてきたのは、数日前にも投げかけられた質問。

 真っ直ぐな黄緑の視線に、俺は再び答えを出せず黙す。


「私には分からん」


 沈黙が三秒ほども続いたところで、ネンスが深いところから息を吐き出して言った。


「お前がそこまで違法奴隷に拘る理由も、使徒の使命そのものも、私には分からない」

「ネンス?」

「当り前といえば当たり前だろうな。私は奴隷に人並み以上の感慨はないし、使徒でもないのだから」


 まるで突き放すような、あるいは諦めるような口調でそう言った彼はソファを立った。

 今度こそ食器棚へと向かい、グラスを二つ取り出して水差しの水を注ぐ。


「一方で、お前にもきっと私の王太子という立場は分かるまい。日々、雪のように肩の上へと降り積もっていく期待と責任はな。だからそういうものだと言われれば、そうなのだと納得するしかない」


 棚に戻された水差しの中で香りづけのハーブと果実がうねるように舞った。


「お前はお前で、私は私。お互いに分からない悩みがあることを尊重すべきなのだろう。だがそれは……」


 トン、と音をたててトールグラスを俺の前に置いたネンス。彼はぼさっとソファに座り直して、変わらず強い意思で満たされた瞳をこちらに向ける。


「それは、なんだか友達甲斐のないことだと思わないか」


 小さく笑みを浮かべた王太子はグラスの中の水を一気に半分飲み干す。

 ネンスとはなんだかんだ、それなりに一緒の戦場を経験してきた。その経験が、彼が言葉にしきらなかった思いに形を与える。黙っていないで洗いざらい喋ってしまえ、という荒っぽい気遣いの形を。


「そう、だね」


 自覚は特にないが、アレニカに諸々を打ち明けたことで少し心境に変化があったのか、俺はネンスの視線に首肯を返した。


「ん、使徒は神の記憶をいくらか引き継ぐ。だからエクセルの記憶の一部は、私の記憶でもある。違法奴隷の悲惨さは……我が事のように分かる」

「我が事のように、というのはどういうことだ」


 ネンスの言葉に俺は左手の長手袋を外す。


「こうして、生身に刻まれた傷と同じように、私の記憶として」

「!」


 彼の目が腕の傷を撫で、驚愕に小さく見開かれた。

 トワリ侯爵との戦いで刻まれた火傷跡が手の甲から肘まで、絡みつくように刻まれた白い肌。


(これは奴隷としての傷じゃないけれど)


 前の体は、エクセルの体には、いくつもの傷があった。戦いの中で受けたものもあれば、幼い日の暴行の傷もあった。


「エクセルが生まれた頃のアピスハイムでは奴隷は人じゃなかった」

「人ではない?それは、どういう……いやまて、借金奴隷などの、普通の奴隷でもか?」

「借金奴隷、違法奴隷、犯罪奴隷。そんな区別はなかった。理由によらず、奴隷に落ちればそれでおしまい。腐った残飯やそこに湧いた蛆を食べ、汚泥混じりの水を啜って生きるしかない。這い上がる道なんて、ない」

「待て!そんな、そのような乱暴な話があるか!?」


 ネンスは堪えきれない様子で叫んだ。


「借金奴隷や犯罪奴隷は、労働力であり抑止力であると同時に受け皿なのだぞ!それを、一度落ちれば人扱いされないなどと、制度が腐っているとしか思えない!!」


 ネンスの感性は人としてマトモだと、俺は少なくともそう思う。

 だが、アピスハイムの当時の常識では違った。表社会から一歩踏み外せば二度と戻れない人未満の世界だ。人の理屈は、法は、慈悲や情けは、人未満に適用されない。

 果たして腐っていたのは制度なのか、人なのか。


「扱いはとても酷かった。町で飼われている犬の方がまだマシなくらい。鞭で皮が剥がれるまで打たれ、くだらない理由で歯が折れるほど殴られる。体を壊しても誰も治してはくれない。病気になると臭うから、冷たい水を掛けられる」

「そんなことをすれば……!」

「死ぬ」


 俺のシンプルな答えに、ネンスの手の中でグラスがミシッと音を立てた。


「移りそうな病気だったらそのまま焼かれることすらある。魔物狩りの餌にされることも、魔法の試し撃ちの的にされることも。壊れかけの安い奴隷は、新しく買った方が手っ取り早いし面倒がないから」

「人の、命だぞ」


 ネンスが絞り出すようにそう言った。その額には青筋がくっきりと浮かんでいる。


「その言葉が出てくるネンスは、とても真っ当な人間。でもあいつらはもっともっと歪んでいた。悲鳴を楽しむために刻まれる奴隷がいた。見世物として素手で猛獣に挑まされた奴隷がいた。口にするのもおぞましい理由で赤子を欲して、繰り返し孕まされる奴隷もいた」

「……それが、我が国の奴隷でも同じだと?」


 上ずった彼の声に俺は首を振った。


「ユーレントハイムでは普通の奴隷はもっとマシな扱いを受けられる。少なくとも娯楽のために殺されることはない」


 オルクス家にいないだけで、奴隷を使用人として所有している貴族は多い。

 実を言うと俺の友人の家でもそういうケースはあって、レイルのところでは伯爵が見込んだ奴隷が結構な人数領軍に所属しているし、トライラントの諜報部隊の一部は特別なスキルを持った奴隷で構成されているそうだ。

 もちろん彼らの実家はその奴隷たちを拷問したりしていないし、まともな食事も出している。借金奴隷なら借金相当の働きをすれば解放されたり、正規の兵士や諜報員に格上げされるというのだから夢のある話だ。


「奴隷制度のセーフティネットとしての側面が機能している。エクセララと関りがない国でこれだけマトモなのは初めてみた」


 俺の言葉に一瞬だけネンスはほっと息を吐いた。だがすぐに表情を引き締める。


「その代わりに違法奴隷がいる、ということか」

「ん」


 俺は頷いた。

 この国でも懲罰として鞭打ちなどが許可されているが、それは今言っても仕方のないことだから飲み込んだ。話がブレる。


「学院に入る前、実際に違法奴隷を見た。あの時代のあの場所が、そこにあった」

「……」

「違法奴隷の摘発に奴隷の守護者の使徒が関わっていた。その事実はこの国の違法奴隷ビジネスに大きな圧をかける契機になる。オルクスの問題を抜きにしても、どうしても関わりたかった理由がそれ」

「……そうか」


 重く頷く彼に俺は笑いかける。このことをそれだけしっかり受け止めてくれる王が立つというだけで、一つの光が見えた思いだった。


「それはそれとして、オルクス伯爵はぶん殴りたい」

「ぶん殴りたいのは私もだ。よくも私の未来の臣民をすきにしてくれたな、とな」


 空気を入れ替える様におどけてみせる。ネンスもそれを察したように今度は少し明るい笑みを浮かべた。


「本当に?皆守ろうとするから」

「ああ、父上と公爵たちか。まあ、立場がな……首がもげない程度なら私が許すぞ」

「まじ?」


 思わず問い返す。

 冗談めかしているが、明らかにトーンが違う。今のは本気で言っている声だ。


「ああ、マジだ。顎が割れるくらいまでならやっていい」

「ん……分かった。できるだけ細かくなるよう頑張る」

「顎だけだからな」

「ん、顎だけ」


 俺たちはニヤッと物騒な取り決めをした。


「さて、行ってこい、アクセラ」


 ソファから立ち上がったネンスがいっそ晴れやかな口調で俺に手を差し出す。


「さっきの話を聞いてむしろ確信した。親子の関りがないに等しいとしても、命脈を他人に握られたままの女性を見殺しにすればお前は気に病むぞ」

「そう、かな?」


 ネンスの台詞に俺の口からようやく率直な迷いがこぼれ出た。


(俺は並の他人以上にセシリアという人物を扱いかねているんだな……)


 思い入れも何もないというのに、母子という濃い繋がりがある。また彼女は様々な因縁の絡んだ我が家にとって、ミッシングリンクでもある。

 正直、どういう距離感で物事を判断すればいいか分からないのだ。


「お前がずっとマレシスの死に責任を感じているのは分かっている。半年に満たない付き合いの、それも最初は自分を酷く敵視していた男だ。しかもあの事件は、お前にどうこうできた話ではないのに」


 俺の迷いを理解してなおネンスは呆れと寂寥と自責が混じった口調で続け、もう一度ぐっと手を差し出してくる。


「分からないなら分からないでいい。だが自分が節を曲げれば救える命を、大義のためと切ればお前はまた背負い込むことになる」

「でも……」

「どうせ私や他の誰かに分けて背負わせてはくれないのだろう?それなら最初から背負わない方向で動くしかないではないか」


 肩をすくめて少し皮肉交じりの言葉を吐いて、ネンスは最後に表情を緩めた。


「前に進まないお前は、お前らしくないぞ」


 彼はもはや俺の返事を待つことをせず、こちらの手を、火傷跡の刻まれた左手を強引にとって引っ張った。無理くり立たされた俺の前に彼の拳が出てきた。


「行ってこい、アクセラ。お前の想いは受け取った。あとは私に、王太子シネンシス=アモレア=ユーレントハイムに任せておけ」

「……ありがと」


 セシリアを助けるために何をすべきか。どこまでなら踏み込んでいくべきか。そもそも助けるべきなのか。ぐるぐるとした思考の迷路を抜けだせはしないが、それでも前に進むことだけは正しいとネンスは言う。


(確かに、進むだけ進むのが俺のやり方か)


 言われてしまうと、否定のしようがなかった。


「ありがと」


 短く礼を重ねて、俺は自分の拳を彼の拳にぶつけた。コツンと、軽い感触がした。


 ~★~


「アクセラちゃん!」

「アクセラさん!」

「ん」


 ブルーアイリス寮の自室に戻ると、エレナとアレニカが俺を待っていた。

 心配そうな様子で駆け寄ってくる二人をなだめつつ、リビングのソファまで押し戻す。


「ネンスくんは何て……?」

「裏切ってよしって」

「そ、そっか」

「はい?」


 俺の端的な報告にエレナはほっと息を吐き、お茶を入れるためにせわしなく席を立つ。

 一方でアレニカは目を丸くし、口を開けて俺を凝視していた。


「裏切る、は比喩。ん、まあ、比喩ではないか……冗談みたいなもの」


 凍り付いた彼女に肩を竦めてみせ、俺はネンスとした会話を要点に絞って聞かせた。エレナにも聞こえる様に少し声を張って。


「なるほど、そういうことだったんですわね」


 むしろネンスに行くよう背中を押されたという話にアレニカは深々と頷く。彼と彼女にある奇妙な友情と通じる部分を感じ取ったのかもしれない。


「でもホントに厄介なことになったよね。いいから黙ってて!ってかんじだよ」

「ん、まさしく。でも相手が必ずしも賢明な選択をすると踏んで動くのはよくない。改めて思い知らされた」

「まあ、あんまりそれを言い始めますと何もできなくなりますけど」

「たしかにね」


 戻って来たエレナの注いでくれるジンジャーレモンティーに口を付ける。爽やかさが鼻から抜け、生姜の味わいが喉を温めてくれる。


「ではアクセラさん、今後の流れですけれど」


 同じものを一口、二口と飲んでからアレニカが口を開いた。


「アクセラさんはドニオン女伯爵の要請に応じ、エレナと私はネンス様の指揮下で動く。そういうことでよろしいですわね?」

「ん、そうなる……?」

「え、わたしも!?」

「そうですわよ」


 頷くアレニカ。意外な提案に俺とエレナは顔を見合わせた。

 てっきり三人のこのことドニオン傘下におさまるものだと思っていたからだが、むしろ彼女は俺たちが驚いていることに驚いている様子だ。


「だって先方が欲しいのはアクセラさんだけでしょう?脅された張本人が抵抗感もなくパーティを引き連れてやってきたら不自然極まりないじゃありませんの」

「た、たしか……」


 言われてみればそうかもしれない。

 なにせパーティは依頼中こそ死なば諸共の関係だが、本来は一人一人の冒険者がそれぞれの理由のために結成、あるいは所属するものだ。行き先が違う、方針が違う、飯の好みが違う……様々な理由で解散や脱退、再結成や加入を繰り返して冒険者は生きていく。

 そこに来て自分の事情でパーティメンバーを危機に引き込むようなヤツは、疫病神扱いされ忌避されることになる。ギルドの互助以上の保証などないヤクザな仕事なのだから、それは当たり前のこと。気を付けねば。


(エレナと何をするにも一緒すぎて、勝手にパーティ単位で一蓮托生だと思い込んでいたのかも)


 こうやって指摘されると、なんだか学生業やら色恋やらにうつつを抜かしすぎて冒険者としての思考が錆び付いている気がする。まったく恐ろしいことだ。


「それに私たち二人がネンス様の側で参加すれば雪花兎は関わったことになるのではありませんか?そうすれば後々アクセラさんが使徒だと公表した時、違法奴隷摘発に使徒のパーティが参加していたことにできますわよ」

「ん……それは、少し詐欺じゃない?」


 リーダーが、それも肝心かなめの使徒が参加していないのだ。許されるのだろうか。

 しかし俺の疑問に、なんとも思っていない様子でアレニカは微笑んでエレナの方を手で示した。


「大丈夫ですわよ。エレナは複数属性使いで有名ですし、何より勲一等の魔法使い。ネームバリューは抜群ですもの、自分の代わりに派遣したとあれば、誰もが顔を立ててくださいますわ」

「あー……それはそうかも」


 言われてみれば俺は勲二等でエレナは一等。加えて、今回のメンツと面識があるかは分からないが、トワリの反乱においては騎士や軍とも一時期行動を共にしている。認知度は俺よりいいかもしれない。


「乳兄弟で専属侍女と言うのも大きいですわね。貴族社会ではどちらも、分かちがたい強い繋がりと見做されますから。戦でも乳兄弟が名代を務めることはあると聞きますし」

「アクセラちゃんが腹心の部下を差し向けた!って、そう思ってもらえる?」

「そういう解釈になりますわね」


 アレニカの解説に俺たちは「ほほう」と揃って納得する。


「それに私が同道すれば希少な魔導銃使いも送り込んだことになりますわ」


 確かに今回の作戦、アレニカのような全体を俯瞰できる攻撃手がいるのは大きい。配置によっては一人で裏口などをカバーすることもできるのだから。


「これだけ重要な戦力を投入したのが使徒であるアクセラさんと分かって、功績に便乗してきたなどと陰口を叩ける者はいませんわ」


 というか、叩かせないという意気込みをアレニカから感じる。

 どうにもメンタルをやられていた時のことばかり印象として先行するが、これで学生サロンの女主人を務めていた侯爵令嬢である。俺やエレナのような身分に似合わぬ田舎令嬢とは違い、しっかり口が立つらしい。


「ん、アレニカ凄い」

「さすが貴族だね、ニカちゃん!」


 完璧な理論武装に俺とエレナはパチパチと手を叩く。

 褒められてアレニカは嬉しそうに胸を張る……かと思いきや、額に手を当てて半眼で俺たちを睨んできた。


「全然褒められている感じがしませんわ。というか待ってくださいまし、このくらいは普通に思いつくでしょう!今まで作戦とか売り込みとか、どうやってたんですの!?」


 途中から叱責に近い剣幕で訊ねられたので、俺は指を二つ立てて見せた。


「ん。作戦はシンプル。攻め込むか、おびき出すか。その二択」

「だね。あとは臨機応変に纏めてドーンと、臨機応変にバラけて撃破かな」


 エレナが深々と頷いた。


「売り込みはしたことない」

「ギルドに行けば大体何か依頼はあったしね」

「ね」


 仲良く頷いてやると、アレニカは額に指を置いて低く唸った。


「冒険者なのに作戦も売り込みもナシ……?」


 彼女の視線がバカを見るそれに代わる。

 だが待ってほしい。俺たちは長閑な田舎の令嬢である。権謀術数が渦巻く王都でプロモーションとプロパガンダに明け暮れてきたアレニカ基準で見れば作戦や売り込みの概念すらないアホかもしれないが……と言うと「これが権謀術数などへそで茶が沸く」といった内容のことをとても上品に言われた 。


「あ、でもさ。作戦っていうならもっと簡単なのがあるよ」

「さっきの話を聞いた後だと嫌な予感しかしませんわね」


 エレナが少し考えてから「ひらめいた!」という顔をしたが、アレニカの表情はすぐれない。


「ドニオン女伯爵に従うふりをして捕まえちゃえばいいんじゃないかな。命が惜しければアクセラちゃんのお母様を解放しろって、逆に脅せばさ」

「今捕まえて違法奴隷界隈を刺激したくない」


 そもそもドニオンはあくまで欺瞞情報に踊らされているのだ。それなら望むままに俺を餌として与え、踊ってもらっていた方がいいというのが俺とネンスの考えなのだが……。

 しかしエレナはあっさりとこう続けた。


「じゃあアクセラちゃんのお父様みたいに、内緒で捕まえて謹慎させておくとか。リスクはあるけど、こうなったらどうしたって多少のリスクがあるでしょ?」

「エレナ……それができれば世話のない話ですわよ」


 深々とした溜息を聞きつつ俺は少し考える。


「ん、まあ、できなくはない」

「できなくはないんですの!?」


 それは当然、ドニオンの首元に剣を突き付けて極秘逮捕に応じるよう脅迫することは可能だ。ただ継続的にとなると、ややこしい話になってくる。

 これだけ欺瞞情報に強い反応を見せたドニオンが起死回生を図らないはずはないだろう。界隈の注目度が高い彼女の動きは、一つでも未然に潰せなければ大きなリスクに繋がる。

 かといって監視要員を四六時中貼り付けておくとなると、その動き自体が周囲に気取られ蟻の一穴になりかねない。これもまた大きなリスクである。


(どういうリスクを許容するか。まさにその一点に尽きる)


 それを考えるうえで一番のボトルネックは、セシリアの命を握っていると言われても具体的な状況が分からないところだ。

 ドニオンを脅迫して極秘裏に逮捕したとして、それでセシリアの問題が解決しない類のものであった場合……俺は産みの母の、トレイスの母の命脈を断つことになる。


「ニカちゃん、なにもわたしだって最初からこんな力押しの作戦ばっかり立ててたんじゃないんだよ?ただアクセラちゃんの突き抜けた暴力を加味すると、結局そんな感じになるの。諦めだよ、諦め」

「暴力は全てを解決する……?」

「酷いこと言われてる」


 俺が真面目に考えている間に、二人は酷いことを言っていた。


「脅すのは可能。でも少し問題がある」

「伯爵を脅して従わせる時点で法的に問題しかありませんけど!?」

「向こうが脅してきたのに?」

「そうだよ!」

「だからって武器を向け、力で脅し返して無罪になるほど伯爵位は軽くありませんわよ!大体、アクセラさんは陛下からもネンス様からも逮捕権を与えられていませんでしょうに!」


 アレニカが呆れを越えて焦りの滲む声でそう主張した。彼女の中では俺たちはウッカリ大罪おかしそうで危なっかしい……否、アブナイ奴扱いと化しているらしい。

 まあ、逮捕権については彼女が全面的に正しいわけだが。


「でも本当にオルクス伯爵夫人の命を握っているなら?」

「……証拠が得られるのであればドニオン女伯爵の非が認められるでしょうね」


 アレニカの返事にエレナは得意げな笑みを浮かべて大きく頷いた。


「じゃあこういうのは?逮捕はせずに、アクセラちゃんが直接女伯爵を脅す」

「悪化していますわよ……!」


 頭痛が痛いような顔で呻くアレニカだが、俺は長い付き合いからエレナの言いたいことを察した。


「殺されたくなければ母を自由にしろと迫る。そういうことでしょ」

「え?全然違うけど……」


 全然違った。馬鹿、黙ります。


「アクセラちゃんのお母さまに何をしてるのか、その証拠を掴んで、騎士につきだされたくなければ解放しろって脅すの!証拠をこっそり探し出すのはアクセラちゃん得意でしょ?」

「ん?あ、ん、なるほど。そういえばそう」


 そのセリフに俺は自信の思い違いを理解した。

 そうだ、別に命の脅しをかけなくともいい。


「アクセラさんが……?」

「冗談はよしてくれみたいな顔しないでよ、ニカちゃん」


 全く信じていない顔だが、俺は意外とコソコソ侵入したりするのが得意な方だ。『完全隠蔽』と光魔法インビジブルの組み合わせは凶悪の一言で、物理的な障害がない限りは人目も並みの探知魔法も無視してどこまでも入れる。


(まあ、扉が開け放たれていて人もいない場所なんてあんまりないから、思ったより使い勝手がいいわけじゃないけどな)


 なんにせよ、証拠を見つけるという考えは一つアリかもしれない。


「証拠を押さえて脅せば、ただ脅すより無理をきかせられる」

「まあ、たしかに喉元の剣は引けば終わりですが、情報は握っている限り有効ですわね」

「あとは全部終わった頃に証拠をネンスくんへ提出して、女伯爵もおしまい!」

「騙す気満々ですわね……」

「クズに通してやる義理はない」


 エレナの言っていることは、もう一周回って正道の解決法だ。一番最初、初めの初めに誰もが考える、首謀者を逮捕して人質を解放すればいいというヤツである。

 しかしトンチキ脅迫状が届いた時には無理筋だと思っていたそのシナリオが、段々と手の中に落ちてくる感覚が今はあった。


(ネンスに許しをもらえたこと。アレニカが真面目に作戦を考えてくれたこと。そしてエレナが俺の手札をよく覚えていて、俺とは違う視点でそれの切り方を考えてくれていること……)


 それらの要素が組み合わさって、俺は半年前より自分の動ける範囲が広がったような気がした。遠征企画の前に感じた、自分の腕と刀の長さを足しても全然遠くに届かない感覚はもうない。


(そうか、本当に成長しているんだな)


 あの頃の俺が悩んでいた理由は、エクセルだった俺には自分に並び立つ同志が居て、アクセラになった俺には実力的にそこまでの仲間がいないことだった。

 しかしトワリの反乱を乗り越え、ベルベンスを乗り越え、成人を迎え……誰もが成長していた。気づけばその成長は俺の背中をしっかり支えて、一歩遠くまで踏み込ませてくれるまでに至っていたのだ。


「ね、アクセラちゃん。そうすれば違法奴隷の摘発にも間に合うよ」


 にぱっと笑うエレナの頭に手を伸ばし、ハニーブロンドの髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。


「ん、それでいこう」

「図らずも最善策に至れましたわね」


 アレニカも優しく微笑んでくれた。


「ネンスに翌朝、この案で話をしてみる」


 二人して格好をつけた手前、のこのこ戻って理想的な解決策を提案するのは少々恥ずかしいところだ。でも彼なら少し顔を赤らめて悪態をついてから、最大限のバックアップをしてくれることに違いない。


 呼び出しの日は明後日の夜。場所はホランに見張らせている倉庫街の一角だ。


~予告~

緊迫した状況へ乱入するドニオン女伯爵。

アクセラの糾弾が風俗街の女王に迫る。

次回、ユキカブリの実

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