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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第7話 村の柵

 今生の父アドニスを断固として許さないという俺のスタンスは、果たしてアクセラとしてのものなのか。それとも技術神の使徒としてのものなのか。

 ネンスに問いかけられたその言葉に、俺は二つが本質的に同じものだと即答できなかった。本来はできてしかるべきだ。なにせ使徒どうの以前にエクセルこそが俺なのだから。


(でも、できなかった)


 先日の強烈な怒りのフラッシュバックとパリエルの仮説……奴隷の守護者としての神格が俺に怒りを思い出すよう仕向けているのではないかという話を加味すると、どうしてもできなかった。


「ただいま」


 ブルーアイリス寮の自室にたどり着く。一足先に帰っていたエレナとアレニカがソファでお茶をしていた。


「あ、おかえり」

「お邪魔していますわ」

「……ん」


 早苗色の瞳を細めてひらひらと手を振ってくれる俺の恋人。今すぐその大きな双丘に顔を埋めて面倒な思考を全て放棄してしまいたい欲求に駆られる。

 だがそれはできない。色々な、本当に色々な意味で。


「アクセラちゃん?」

「なんでもない。私にもお茶、頂戴」


 疲れ切った欲望をぐっと飲み込み、代わりに俺はネンスから聞いたもう一つの話を共有する。すなわちドニオン女伯爵がウチの親父殿に違法奴隷というヤバい商売を授けた張本人、黒幕だという話を。


「……らしい」

「いや、いやいやいや!らしい、じゃないからね!?」


 聞き終えて真っ先に声を上げたのは、丁度お茶を注ぎ終えたエレナだった。

 湯気の立つカップを鼻先に持って行くと、少しツンとしたレモンの匂いがする。


「何の香り?」

「え、あ、レモンバームだけど……いや、今それはどうでもいいでしょ!」


 レモンバームか。本物のレモンとも、レモングラスとも違う少し薬草感というか、ミントっぽさのあるハーブティーだ。


「ネンスくんも王宮の人たちも、何考えてるの!?もしドニオン女伯爵が黒幕なんだったら、違法風俗を欺瞞情報として流しちゃダメでしょ!だってあの人……」

「ん、たしかソッチが主流」


 ドニオン女伯爵が娼館経営で財を成した人物であることは有名だ。王都に古くからある歓楽街を根城にしていて、第二都市ナルヌクや他領にも店を構えているらしい。またまことしやかな噂にすぎないが、裏では違法な風俗も手掛けているとのこと。

 つまり今回の欺瞞情報は真っ向からドニオン女伯爵のシマに手を突っ込む所業であり、違法奴隷商への刺激を抑えることができたとしてもウチの問題の黒幕を思いっきり刺激する行為なのだ。


「ん、でもネンスは問題ないって」

「どこが!?」

「問題ないというか、ドニオンを取り逃がしてでも、他の大部分を摘発できるならメリットがある。そう王宮は判断したみたい」

「そんな!いや、それは、まあ、分からなくもないような……むぅ」


 鼻息荒く反駁しようとしたエレナだが、その勢いは尻すぼみに消えていく。

 全て分かった上で「それは割り切っている」と言われてしまうと、こちらも「あ、そう」としか言いようがないのだ。賢い彼女はすぐにそれを理解し、勢いを維持できなくなったのだろう。


(無理に二兎を追うことはせず、片方を仕留めることに注力する。まあ、国家ってそういうもんだわな)


 個人や小さな組織でできない大きなコトをやれるのが国の強みだが、小回りはどうしても効かなくなってくる。両立させようと無理を通せば、どちらも中途半端になる可能性がある。そしてコトが大きいだけに、国の作戦の失敗や中途半端な瓦解は後始末が大変なものだ。


「分かるけど……むぅ、ニカちゃんはどう思う?」

「そうですわね。私も王宮の皆さまと同じ見解ですわ」


 大人しく紅茶を啜っていたアレニカ。話の矛先が向くと焦ることなく彼女はそう答えた。


「えー!?」

「エレナ、考えてもごらんなさい。ドニオン伯爵家は自分たちの領地は持っていない、いわゆる法衣貴族ですわよ?つまり、もし逃亡するとしたら国外しかありえません」

「まあ、そりゃあ国外逃亡はたしかにハードル高いけど……」


 エレナの勢いがぐっと削がれる。

 ユーレントハイムは他国に逃げるのが極端に難しい土地だ。東は海、西は魔の森、南は紛争中のジントハイム。北も犯罪者に厳しいガイラテインを避けるとなると、北方貴族を通じて干渉を強めているバカの国ことティロン王国しかない。


「でも、お金があればできなくはないでしょ?後ろ盾を買えるくらいのお金があればさ」

「ええ。けれどメリットは薄いでしょうね。あの家はルロワやオルクスのような建国以来の古参貴族でこそありませんが、それなりに長く続く家柄ですわ。長く続く貴族ということは、それだけ捨てられないものが多いということ。伯爵位も、それに付随する貴族特権も、何もかも捨ててティロンへ逃げるというのは」

「考えられない?」


 俺の問いにアレニカはこくりと頷いた。


「それよりは違法風俗の証拠を全て消し、摘発を免れる方に舵を切るのではないかしら」


 落ち着いた調子で推論を並べるアレニカ。確かに彼女の言う通り、その方が手間は圧倒的に少なくて済む。

 この娘はエレナともまたちょっと違う方向に頭の回転がいいらしい。


「でもそれって足を洗うわけじゃなくて、ほとぼりが冷めるまで隠れてるだけじゃない?」

「一年二年では済みませんわよ。貴族の噂話の執拗さは私も貴女達も、お互いよく知っていますでしょ」

「た、たしかに……」


 苦い物の混じった声で彼女は微笑む。


「それに違法風俗摘発がだとしても、違法奴隷の摘発は事実なのです。アクセラさんのお父様に奴隷商としての立場を用意したというなら、その件で法務省は激しく追及するはずですわ。なおのこと数年は控えるのではないかしら」

「ん……」


 その指摘に俺は自分の不明を悟った。

 確かにアドニスの証言があれば捕縛までいかずとも取り調べはできる。彼に斡旋したのであれば、事実として違法奴隷の業界とも繋がりを持っているはずだ。追い詰める手立てはきっとある。


「そっか!一度被疑者になった過去があれば、ほとぼりが冷めたように見えても監視が付き続けるだろうし……どこかで再逮捕ってことも可能なんだね」

「王宮はそう考えていらっしゃると思いますわよ」

「なるほど……」


 オルクスを十六年も捕まえられないでいるのにどの口で言うのか、と少し思わなくもない。だが二兎を追って両方逃がすくらいなら最初から一兎に絞るというのは、国家として当然の判断だと納得もできる。


「でもさすがだねぇ、ニカちゃんは」

「ん、伊達に貴族のお嬢様してたわけじゃない」

「貴女たちもそうでしょうに……」


 呆れたように半眼で俺たちを睨むアレニカだが、ややあって表情を真面目なものに改める。


「ところでアクセラさん」

「ん?」

「私からお二人のパーティに入れて頂いて言うのもなんですが、ここまで関わった以上は教えて下さらないかしら。お二人の家の事情や、ネンス様と何を企まれているのかについて」


 血赤珊瑚の瞳に真っ直ぐ見つめられ、俺とエレナは互いに顔を見合わせた。


「まあ、たしかにそれが筋だよね」

「ん、私達もアレニカを信頼している。だから話すのは問題ないけど」

「けど、なんですの?」


 首を傾げるアレニカに俺は一度口を噤む。


(問題はどこまで話すのか、だ)


 俺たちは結構色々な秘密を抱えている。その最たるものはお家騒動、ではなく使徒の話だ。

 パーティメンバーには極力隠し事をしたくない。道義的な意味もあるが、なにより動きにくくなってしまうから。しかし、これまでは俺なりに慎重な判断で明かす相手を選んできたわけで……。


「アクセラちゃんが話したいなら全部でいいんじゃない?」


 ぱっと答えを出せないでいる俺にエレナが言う。


「でも……」

「たぶん、問題ないと思うから」

「?」


 俺の言いたいことを理解した上で言っているのか、極端に曖昧なことを言って彼女は嗤った。


「もしお二人がどうしても話せないというなら、私もそれ以上は聞きません。でも話してもいいと思って頂けるなら、全てを聞いた上で私はお二人と道を同じくしたいと思っていますわ」

「アレニカ……わかった」


 それだけこのパーティに入るということを重い選択として捉えてくれているのなら、話せる限界地点まで共有するのが俺の示せる最大の誠意だ。


「まず、当座の目的。私とエレナ、弟、そして家宰を含む領地の主だったメンバーはオルクス伯爵への反逆を企てている」

「は、反逆……」


 端的に口にした思惑に彼女は息を飲む。


「驚いた?」

「いえ、分かっていたことではありますわ。それに陛下やネンス様がそれを承認、あるいは黙認されているのも察しています。でも、その、やっぱりドキッとしますわね……」

「ん、まあね」


 今回の違法奴隷商摘発で半ば陛下公認の作戦と化した感があるが、それでも国王に認められた貴族の当主を排除しようというのだ。家族といえど伯爵家への反逆であり、ひいては王権への挑戦と受け取られかねない。

 それを無視するとしても、方法や理由によっては表沙汰になったときに新しい当主の正当性を他家から疑われることもあり得る。いまだ俺たちの先行きは不透明なものなのだ。


「逆にお二人がそんな企てをしながら平然と学院での生活を続けていられる神経の方が、私は信じられませんわよ」

「そんなにかな?」

「そんなに、ですわ。先ほども言った通り、貴族にとって家というのは重いんですのよ。生まれたときから背負うことが定められていて、そのことを誇りに思うよう育てられ、子へと引き継いでいくことが人生の目的となる」


 言われてみればアレニカはまさしくその感性と宿命に捕らわれていたわけで、そこには俺たちが理解していないだけで強烈な圧力があるのだろう。周囲からのものであれ、本人の心中のものであれ。


「私の父ほど忠実にそれだけを考えて生きている方は多くないでしょうが、程度の差こそあれ貴族というものはそうやって生きるのです」

「ん、なるほど」

「大変そうだよね」


 俺もエレナは完全に他人事のような顔で頷くしかないのだが、こちらの反応を見たアレニカは肩透かしを食らった様子だ。


「ど、どうでもよさそうですわね」

「どうでもいいとは思わない。でも私とエレナを育てたのは()マクミレッツ子爵だから、そのあたりはギャップがあると思う」

「あ、ああ……そういえばそうでしたわね」


 アレニカの頬が一瞬ひきつる。


「ちょっと、人の父様を怪人か何かみたいに言わないでよ!」

「真っ当な貴族からしたら怪人」

「言ってはなんですけれど……まあ」

「むぅ!!」


 俺たちの反応にエレナの頬が膨らむ。

 だがビクター=ララ=マクミレッツは知る人ぞ知る貴族界の怪人だ。これはアベルの言なので、割と浸透した認識なのだと思う。

 アドニスが伯爵位を継ぐなりオルクス領を捨てて王都に籠り、派閥の鞍替えをやらかし、多くの家臣を手放すことになった際。ビクターはウチを代々支えてきた由緒あるマクミレッツ子爵家の爵位を陛下に返上した。継承争いがいつの日か起きることを恐れてのことだ。


(俺とトレイスを殺せば、筆頭家臣として何度かオルクスやレグムントとも婚姻を結んでいるマクミレッツ家は、爵位がそのままなら養子という形でお家を乗っ取れるからなぁ)


 誰かに担ぎ上げられて俺やトレイスとエレナが争い合うようなことのないよう、子供たちの平穏のためだけに千年続いた先祖代々の爵位を捨てた。貴族の世界で狂人と言われるのも無理のない話だった。


「むぅぅ……まあ、人は誰しも自分の住む村の柵に囲まれているって言葉もあるから、貴族村の柵の中から見たらそうなのかもね!中から見たらね!」

「村の柵、ですの?」


 揶揄するような言い方でエレナが放ったセリフに今度はアレニカが首を傾げた。


「ん。多くの村人は自分が住む村の柵から外に出ない。だからその人たちにとって世界はその柵の中を意味していて、柵の中の法律は世界の法律になるし、柵の外で何か重大事件が起きてもそれは起きていないに等しいんだっていう考え方だよ」


 神聖ディストハイム帝国中期の思想家のナントカ=カントカが唱えた説だ。

 ……哲学の本は眠くなるからエレナほど真面目に覚えていない俺である。


「つまりどういうことですのよ?」

「すっごく平たく言うと、常識は人によってちょっとずつ違うってことだね」

「自分の常識は相手の常識でないかもしれない、ということかしら……」

「そうそう」


 頷くエレナに俺は溜息を吐く。


「アレニカ、騙されちゃダメ。エレナは劣勢を悟ってソレを言い訳に話を打ち切っただけ」

「そ、そんなことないよ?」


 俺までビクター怪人説を推すものだから、そして貴族の価値観は自分に飲み込めなさそうだから、早々に「まあ、そういう考え方もあるよね」と耳当たりのいい言葉で流そうとしているのだ。しかも相手側にちょっと責任を押し付ける言い方で。


(エレナって知識欲の塊だし哲学書とかも好きなくせに、あんまり他人の考え方とか視点に興味がないんだよな……あと微妙に姑息)


 まあ、姑息とまで言うと言葉がキツイか。こういう所は年相応に子供っぽいと捉えてあげよう。

 あるいはここ半年、命だの正しさだの哲学じみた話の絡む修羅場に行きあいすぎて面倒くさくなっているだけかもしれない。自分で「考え続けるのが答え」と言った以上、ちゃんとどこかで向き合うのならそれでいいのだが……。


「ちなみにこれを唱えた思想家、ナンドゥス=カンカーは貴族の怒りを買って殺されたんだって。村人と貴族を同列に扱った罪でね」

「殺されているんですの!?」

「神聖帝国中期は割と暗黒時代だからねぇ」

「エレナ、歴史の話はまた今度」

「はぁい」


 とまあ、逸れ始めた話をその辺りで打ち切り、俺はアレニカにオルクス家転覆計画の全貌を色々と語って聞かせた。ザムロ、レグムント、王家がそれぞれに描いているヴィジョンが違うことや、俺とエレナが……というよりビクターがどういう幕引きを目指しているかということについて。


「私の望みはシンプル。当主になったトレイスが平穏に暮らせること。領地の皆が不利益を被らないこと。それから現当主、アドニスが相応しい罰を受けること」

「シンプルではないでしょ」

「少なくとも実現するとなると絶対違いますわね」


 二人からはツッコミを食らったが、俺は実際にそれが最低限のラインだと思っている。


「前々から思っていたのですけれど、アクセラさんが自分で当主になるおつもりはないんですのね?」

「ない」

「あるもないも、向いてなさそうだけどね、そもそも」

「エレナ、ちゃちゃ入れない」

「いてっ」


 身を乗り出しニヤっと笑って顔を覗き込んでくる恋人。

 腹の立つ顔だったので指先で額をはたいてやった。


「ん、でも、そこについても話さないとね」


 俺は喉を潤すため、適温になった紅茶を口に含む。

 爽やかな香りで鼻腔を満たしながらふと考えるのは、アレニカがどういう反応をするかということだ。


(使徒の存在は大きい)


 それは少し前にあった創世神の使徒アーリオーネを歓迎するパレードで実感したことだ。身分の貴賤に関わらず、老いも若きも沿道に集まって彼女と彼女の肩に輝く紋章を見ていた……らしい。あとから聞いた話だが、中には手を合わせたり聖印を結んだりして祈っている者もいたそうだ。


(神々の存在がどれだけ人間にとって大きいかがよく分かる)


 この世界は神々の力に強く依存している。人類の生存圏を確立している神塞結界、万事を支えるスキルシステム、それに冥界神の裁判と魂の修復を含む輪廻転生。魔力の循環もそうだ。そして世界を支えるそうした神話的メカニズムの恩恵を最も受け、その庇護下で繫栄しているのが人なのだ。

 前世は奴隷でブランク、今生は大神の一角でありその第一使徒。そんな俺には分かりづらいことだが……。


「アクセラさん?」

「ん、考えている」


 お茶を飲むなり黙りこくった俺を、アレニカが怪訝な顔で覗き込む。


「アクセラちゃん、話まとめるの苦手だものね」


 他方、俺の手が届かないようソファに深く座ったエレナは、額を押さえたままにまた揶揄うような笑みを浮かべていた。


「んぅ」


 このことを打ち明けた時、彼女はどんな反応をしただろうか。

 もう一口、お茶を含んで記憶を手繰る。


(たしか……そうだ、それどころじゃなかったんだ)


 灰狼君との戦いや、その前の俺の言動、誘拐事件、果てはそのままエクセルの話まで。色々ありすぎて、俺と彼女の長い長い話し合いは他人とのケースに当てはめられないくらい特別なものになった。彼女が幼かったのもある。

 ビクターとラナは驚きこそしたが、俺を変わらず娘として扱ってくれた。ネンスのときもマレシスのことやメルケ先生のこと、それに国王陛下との会談があってうやむやのまま終わったはずだ。


(レグムント侯爵は神だろうがなんだろうが、利用できるか否かで考える徹底したリアリストだしな)


 それに侯爵はスキルを無効化する特殊なスキルを持っているせいで、あまりスキルへの信仰というか、信頼がもともないようだ。それが技術への注目の原点にあると聞いたことがある。


(俺は不安なのか……?)


 意識をレモンバームの香りに浸しながら自問する。

 折角得た新しいパーティメンバーが、使徒という存在をどう捉えるか。もっと分かり易く言うなら、アレニカの態度がどう変わるかを心配しているのだろう。

 信仰や宗教的な重みを除いたとしてもだ。一国の王にあれだけ対等な態度を取らせる使徒の権威は、弁えた上流階級の者ほどてき面に効果を発揮しかねない。


「アクセラちゃん」


 更に数秒、考えに捕らわれているとまたもエレナに呼ばれた。しかし今度は、彼女は優しい笑みを浮かべていた。


「大丈夫だから」


 短いその言葉と穏やかな早苗色の瞳。それだけでなぜか俺はふっと力が抜けるのを自覚した。


(いかんな、本当に。俺はどうにも最近、考えすぎる)


 最後に一口、お茶で喉を潤そうと思ったが、考えながら飲み干していたらしい。空っぽのカップをソーサーに戻し、アレニカの方を改めて見る。


「アレニカ。これはさっきの話より大切な秘密。だけど仲間になった以上、ちゃんと話しておきたい。聞いてくれる?」

「もちろんですわ。エレナの柵の話で言えば、私は雪花兎という新しい柵に入る村人。迎え入れてもらう以上、村の掟はよくよく理解しておきませんとね」


 彼女は少しおどけて笑みを浮かべた。

 これから自分の世界は貴族界でも、ルロワ家でもなく、雪花兎という冒険者パーティになるのだ。そうハッキリと言ったその顔は、どことなくワクワクして見えた。


「ん、何度も確認してごめん」

「いえ、お気遣いには感謝いたしますわ」


 俺は覚悟を決めて、自分の目に神力を通わせる。途端に世界が魔力で彩られ、肉眼では見えないものが色々と浮かび上がってきた。紫水晶やラベンダーのようと言われる瞳は、きっと真鍮色に輝いていることだろう。


「!」


 その変化を前に、アレニカは驚きの表情を浮かべる。


「その輝く目は……」

「ん、落ち着いて聞いてほしい。私は、技術神エクセルという神の第一使徒」

「え、ええ」


 率直にはなった俺の告白にアレニカが頷く。


(んん?頷く……?)


 彼女は驚きを払拭し、何かを待ち構えるような表情をしていた。まるで俺の次の言葉を待っているかのように。


「……?」


 何かが噛み合っていない。瞬間的にそんな違和感を覚えて首を傾げる。


「使徒、なんだけど」

「ええ、知ってますわよ」

「知ってますの……?」


 それで?と先を促されそうな返事。

 自然と首の傾きが急になる。


「……」

「……?」


 俺が困惑しているのが伝わったのだろう。彼女の顔にも困惑が浮かんだ。


「え、もしかして秘密って、それのことですの?」

「そ、それのことですの……」


 当然知っていたような反応には、俺も面食らってオウム返しに肯定するしかない。


「待って。なんで、驚かない?」

「驚くと思っていたことに驚きそうですわよ!?」


 力強く叫ぶアレニカに俺は首をさらに傾げる。

 俺が使徒のことを話したのはビクターを始めとする屋敷の中枢人物、エベレア司教、ネンスと国王陛下、レグムント侯爵……だけのはず。だけと言うには結構多いが。


「どうして知ってた?言った覚え、ないんだけど」

「はぁ……私がエレナともども攫われた日のことを覚えていますかしら?」

「ん」


 忘れるはずがない。アレニカとエレナが友人になった日であり、マレシスとメルケ先生を失った日でもある。

 だがあの日、俺は彼女にそんな話をしただろうか。マレシスを依り代として顕現した悪魔を倒し、アレニカを救け、ネンスにあずけてメルケ先生を追いかけた。その短時間の間に、分かりやすく聖属性を使ったのはトドメの一撃だけだったはずだが。


(そもそも精神衰弱で意識を失ってたはず……)


 そんな俺の疑問が鉄面皮越しにも出ていたのか、彼女はもう一度溜息をついてみせた。


「私に精神保護の魔法、トランクイリティを使ってくださったでしょう?」

「つ、使ったかも……?」


 覚えていない。いや、しかし悪魔のせいで精神が疲弊していた彼女を守るためにトランクイリティは最適だ。使っていそうではある。


「ん、でも目の前で詠唱はしてないはず。なんで分かったの?」

「効果からそれしかないだろうなと思いましたの。私、魔法は結構詳しんですのよ」


 アレニカは膨大な魔力を持つ魔力過剰の患者でありながら、属性魔法を使う才能が一切ない稀有な人間だ。それがコンプレックスで、相当な魔法の勉強をしていたとは聞いたことがある。


(だからって神官魔法や聖属性まで詳しかったとは……)


 それに、とアレニカは言う。


「一連の戦いのあと、国はあの方が……メルケが異端者として、技術神の使徒に打倒されたと発表しましたわよね」

「んー……された。されたね。ん、されてた」


 詳細をかなりボカした情報だったし、なにより自分のことだったのも手伝ってほとんど意識していなかった。だが、世の中一般には大ニュースだったのだろう。

 たしかに駆けつけた俺、聖属性の魔法、そしてそんな重大発表と順序だてて情報が出ていれば、俺の正体に気付けていてもおかしくない。


(むしろ半年以上も全くその可能性に気づいていなかった俺は大馬鹿なのでは?)


 エレナが妙に自信満々だった理由もハッキリした。


「たぶん大丈夫って言ったのは」

「そーだよ。状況的にニカちゃんはアクセラちゃんが使徒だって分かってるだろうなーって思ったから。まあ、わざわざ聞いたことはなかったから、予想でしかなかったけどね」


 俺は自分の間抜け加減に閉口する。


「アレニカは分かったうえで、黙っててくれたの?」

「最初は私自身、参ってしまっていたのもありますわ。でも下手にバレれば大事になるのは分かっていましたもの。恩人の秘密を守るのは、貴族の淑女として当然のことですわよ」

「な、なるほど」


 随分と凛々しいことを言ってくれる。なんだか今日はアレニカの評価が爆上がりだ。

 俺の自己評価が地に落ちる勢いだがな。


「それで、アクセラさんが当主になるつもりはないんですの?」

「ん。知らない?使徒の政治利用は禁忌」


 改めてアレニカに問われた俺は首を横に振る。


「そうでしたの?でも自分の生家の当主になるのは、政治利用なのかしら」

「まあ、一応」

「けれどそれを言い始めれば、今回の作戦への参加や反逆はなお禁忌に抵触するのではなくて?」

「伯爵が関わっているのが違法奴隷問題だから大丈夫。エクセルは技術の神であり、奴隷の守護者」


 俺とエレナは再び顔を見合わせて内心の「いいやら悪いやら」という気持ちを共有する。

 一方で俺の説明に納得した様子のアレニカは、別の角度の質問を出してきた。


「使徒と一口で言いましても、伝説には色々な方が記録されていますわよね」

「ん」

「アクセラさんはどういったことができますの?」

「私の使える権能としては……」


 それから俺は自分の能力について説明を始めた。

 しかし喋り出すとアレニカからの質問の多いこと多いこと。使用回数や制限時間、人前で使えるものとそうでないもの、はては召喚できる準神器の性質まで及んだ。

 本人曰く、後方から援護射撃をするために手札を知れるだけ知っておきたいとのこと。確かに撃とうと思った瞬間に俺が変な挙動をして誤射しました、では笑えないから理にはかなっているが……。


(なんだろう、エレナが二人に増えた気分)


 天文学が好きだったり魔導銃にすぐ馴染んだり、もともと理屈の科学に馴染みやすいタイプだったのかもしれない。


「あ、色々聞かれるの、お嫌でした?」


 しばらくして止まった頃には、俺も答えられない使徒に関する不明点がこんもりと山になっていた。


「んぅ……もう、この際だからなんでも聞いて。ただしペースは落としてほしい」


 神の知識を漁るにしても、こう矢継ぎ早に聞かれては俺の頭が追い付かない。


「でしたら、少し踏み込んだ質問なのですけど……」

「じゃあわたしも聞いてみたいんだけど……」

「エレナも!?」


 折角の機会ということで、三人での質問会はそれから夕飯時まで続いたのであった。

 翌朝、脳内リトルエレナの乱用で軽く熱が出たのは言うまでもない。


~予告~

アクセラたちが信頼を深める裏で蠢く闇。

迫る摘発の軍靴の音色は、王都に巣食う欲望の化身達の耳にも届いていた。

次回、ドニオン女伯爵


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