十三章 第6話 襲撃計画
~予告~
父の悪道に見え隠れする花街の女主人、ドニオンの影。
来る対決にそなえ、アクセラはアレニカに秘密を白状する。
次回、村の柵
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手紙をもらった三日後、俺たち「雪花兎」のメンバーはネンスの応接室に集まっていた。
ソファに腰かけ、ホットレモネードのマグを手に包み、いつもように『完全隠蔽』であらゆる耳目をシャットアウトする。一連の動作を終えて王太子殿下を見ると、彼はイエロートパーズの目を細めて俺を睨んでいた。
「アクセラ、お前な……」
その視線が一瞬アレニカを捉える。呼び付けたのは彼だが、まさか彼女まで連れて俺がやってくるとは思わなかったのだろう。
「アレニカも雪花兎のメンバー。なら仕事には加える必要がある」
「そうそう。それにニカちゃんは人柄も腕前も信頼できるでしょ?」
「……」
俺たちの主張にもう一度アレニカを見るネンス。真正面からネンスを見返すアレニカ。イエロートパーズとガーネット、二つの美しい色の瞳で互いを見つめ合う二人は、整った顔も相まって意味深な絵画のようだ。
「迷いは?」
「もう、ありませんわ」
含まれる意味の全てを察しきれないほど短い受け答え。
「……はぁ」
さらに数秒の沈黙を経てネンスは小さくため息をつく。
二人の間でどのような感情と思考が巡ったのかは分からないが、そのやり取りで十分だったらしい。
(なるほど)
エレナに言われずともネンスはアレニカに信を預けているのだ。それこそ舞踏会の日に言っていたように、騎士たちに向けるような深い信を。
「いいだろう」
短くそう言うと、彼はもうこの話は終わりだとばかりにエレナへ視線を向ける。
「だがその様子では、三人の間で情報の共有はできていないだろう?」
「うん、まだだよ」
「依頼人がダメって言ったら困るから、まだしてない」
「私が首を横に振る余地などなかったと思うがな」
呆れ声の彼だが、俺は本当にネンスがアレニカの参加を拒否したら彼女は外すつもりでいた。
今回の違法奴隷摘発は金もコネも実績も作れるいいチャンスだが、同時に取りこぼしが発生すれば裏社会から恨みを買う危険も孕んでいる。過保護にするつもりはない。それでも初手でそのリスクを負うべきか否かは議論の余地がある話だ。
「エレナ、教えてあげて」
「えっとね、ニカちゃんに分かるようにすっごく短く言うと、王都にいる違法奴隷商を全部潰しちゃおう!って作戦なんだけど」
丸投げしたところエレナは前振り一切なしで本当に肝の部分だけを言った。
当然アレニカは目を丸くして驚いた様子だったが、すぐにこちらの顔ぶれの意味を理解したようで表情を引き締める。
「もし叶うなら素晴らしいことですわ。でも、それはつまりアクセラさんのお父様を……」
「そこがポイントでな。オルクス伯爵は既に説得に応じ、こちらの陣営に下った」
「え!?」
再び目を見開くアレニカ。
俺の父アドニスはザムロ公爵の説得を受け入れ、現在は周囲の目を欺くためにも自らの屋敷に籠っている。だが裏ではこの数日でひそかに王宮の人間から取り調べを受け、裏の世界に通じる情報を吐いているという。
今日はその情報をもとにどう動くかの指示を受けるわけだが……。
「いまだに信じられない」
「だが事実だ。現時点で得られている情報は全て、法務省の真偽官が三人がかりで確認している」
「三人がかりで、ね」
ネンスの念押しに俺は黙った。
(真偽官が出てきたか……)
冥界神ヴォルネゲアルトの眷属に真偽神カイファシアという上神がいる。俺は直接会ったことがないが、冥府の裁判所にて死者の申し立てを聞き、嘘を見分けて冥界神に伝える役割を持つ神だ。
この神は下手をすると主である冥界神より地上で名を知られているのだが、その理由が彼の神官たち……いわゆる真偽官の存在にある。真偽官は嘘を見破る神官魔法を扱うことができ、神官でありながら原則として国家に所属して法を下支えする役割を担うのだ。
(神官が神と交わす誓いは、悪徳のために破れば激烈な呪いに転じる。悪を成せないウソ発見器とくれば、その価値は計り知れない。まあその分、裁判以外だとよほどのことでもなければ出張ってこないはずだが……)
彼らに対する信頼はあのオルクス伯爵の情報を王宮が作戦の骨子に据えていることからも明白。俺自身、前世で散々に真偽官から詰められた経験がある。
だから連中の精度も知っているし、騙す方法がない事も知っている。ただ、嘘を吐かずに人を騙す方法があることだってよくよく知っている。
(ただソレは役人や大臣なんかの方が上手だろうし、そもそもあの男がそこまで口の上手い男とは思えない)
ぐるぐると巡る思考に俺は口を閉ざしたまま唸る。
「納得はしていなさそうだが、話を進めるぞ」
ネンスの言葉に頷く。
彼の言う通り、納得はしていない。だが今こだわった所でどうにかなる話でもない。
「大まかな段取りだが、作戦は三つのフェーズに分かれる」
剣だこができては潰れを繰り返した硬い指が一つ立てられる。
「フェーズ1がテスト段階。先ほどは真偽官が確認したと太鼓判を押したが、そうは言っても大勢の命がかかる作戦だ。処理しやすいターゲットに絞り、試験的に攻撃をかける」
やはり予防線は張っているか。
そもそもアドニスが嘘を言っていなくても、その情報が正しくない可能性もある。あるいは違法奴隷商を前に今回の作戦に投入する戦力が想定外のトラブルを起こすことも考えられる。
(エグい現場になるだろうしな、それは分かる)
普通の奴隷では考えられないような扱いを違法奴隷は受ける。当然、地獄絵図が繰り広げられていることもありうるのだ。
そんな場所に突入して正気を失う兵士は意外と多い。
「次が本番ともいえるフェーズ2。大物を一斉に襲撃し検挙することになる」
二本目の指が立てられた。
このフェーズ2で王都の違法奴隷商をどれだけ始末できるか。それが作戦の成否を決めるだろう。まさに彼が言った通り、本番中の本番だ。
「そした最後、フェーズ3が残党狩りだ。こちらは国の正規戦力で行うからな、お前たちに回す仕事はない」
残党狩りは長くかかりがちだ。延々と冒険者を雇っておくわけにいかないのだろう。
俺たち「雪花兎」が依頼での参加となるのは、関係者すぎる俺を作戦に参加させる方便にすぎない。だが方便ならばこそ、そのあたりをなあなあにはできないのかもしれない。
「フェーズ1で奴隷商が摘発されていると漏れれば、フェーズ2に支障があるのではありませんかしら?」
アレニカが手を挙げて質問した。
「いい質問だ。それを防ぐため、最初に狙うのはオルクス伯爵の情報の中でも横の繋がりを持たない小規模なところになる。王都は広く、表と裏の全てを把握することなど我々にもできない。だがそれは奴隷商たちにも言えること。フェーズ1の対象から詳細まで露見することはないだろう」
「ん、伯爵はなぜそいつらを知っている?」
「そこは敵ながら天晴というべきか、公然の秘密とされながらも摘発を免れてきた慎重さだな。表に詳しくない代わりに裏は随分深くまで把握しているようだった」
都合がよすぎる。そう思うのは俺がアドニスを信用していないからか。あるいは真偽官の持つスキルに対して、頭で思うほどに信頼感を抱いていないからか。
(俺はどこまで行っても、根っこの部分でスキルを信用していないんだろうな)
こればっかりは生まれたときからのスキルとの関係性だ。今更変えることはできない。
「ただオルクス伯と同じくらい深く知る者がいた場合、気取られる危険性がある。なので法務省と騎士団、軍を中心に私主導で違法風俗の大規模摘発が計画されているという噂を流す。欺瞞情報というやつだな」
もしフェーズ1の対象者が潰されたことを裏の誰かが知ったとしても、違法奴隷ではなく違法風俗の方でガサ入れをしたと言い張ればいい。そういう主張だ。
「強引すぎない?」
「私もそう思うがな、実際はそこまでの情報を統合的に集め、真実だけを選りすぐれる者などいない。この程度の粗さでも必要な時間は稼げるというのが法務大臣の考えだ」
横のつながりの強い相手ならそうはいかないが、フェーズ1の相手ははぐれ者。全てを目撃したうえで逃げおおせるような奴がいないかぎり、全体像はどうとでも王宮側で捻じ曲げられるということらしい。
(権力、怖いなぁ)
むしろ細部まで凝った設定を作ると噂にバリエーションができなくなって、受け取り手に曖昧な情報が届かなくなる。そんな説明をされると頭の悪い俺は「そんなものか」としか言えない。
「ところでなんでその三か所から?」
「違法奴隷や違法風俗に関係する貴族が網を張るとしたらそのあたりだ。例えば外務省にツテを持っていても仕方がないだろう?」
「あー、なるほどね」
しかし、これだけしっかり噂を扱うということは、トライラント本家が関わっているのかもしれない。ここにアベルがいない以上、違うかもしれないが。
「このカバーストーリーを隠れ蓑に私や騎士、兵は動く。信頼のおける少数での作戦となるが、こればかりは仕方ないだろうな」
「冒険者は?」
「現時点で信用できる者は目立ちすぎる。フェーズ2では雇うかもしれないが、そこはギルマスと相談だ」
肩を竦めるネンスに俺は納得の首肯を返す。
信頼できる冒険者となると真っ先に思いつくのはオンザだが、たしかに見た目もハデだしギルマスの腹心だから周囲の目を引く。変に裏で動かすのはリスクそのものだ。
「捉えた奴隷商と救出した奴隷はどうする?」
「新市街にいくつか場所を用意している。どちらも分散して護送だな。奴隷商はその後、法務大臣直轄の執行官に引き渡すが……奴隷については悩ましいところだ。首輪の有無や解除の成否、個々人の状態によるとしか言えない」
奴隷と一口に言ってもその待遇や縛りは個々に違う。魔道具としての首輪をつけられている者もいれば、単純な暴力や金銭的な契約で隷属している者もいる。首輪のグレードだって四つか五つに別れているのだ。
そのあたりは十把一絡げに扱うわけにはいかない。
(そのあたりは俺が一番よく分かっている)
知識においてもそうだが、なにより奴隷を縛る手管を出し抜く技術を持っている。それが奴隷たちの都市、エクセララの強みだから。
「必要なら全面的に協力する」
「というと?」
藪から棒な俺の言葉にネンスは片方の眉を上げた。
「治療ということなら専門の連中を連れていくが」
「もちろんそれも手伝える。けどそうじゃない。私はエクセララの秘儀が使える」
「エクセララの秘儀ですの?それはどういう……」
「な、なんだとっ!?」
ピンときていない様子のアレニカとは逆に、ネンスは整った顔が台無しになるほど口をあけて固まった。それどころかソファからバネ仕掛けのように立ち上がり、テーブルに身を乗り出し、俺にぐいっと顔を寄せてくる。
「あ、す、すまん!いや、しかし!?」
普段は紳士な彼にあるまじき動作で、エレナとアレニカからの視線が瞬間的に険しくなる。が、それすら彼は気づいていないようだ。
「エクセララの秘儀とは、まさかあのエクセララの秘儀か!?」
「ん、それ」
「しかしあれは門外不出どころか、誰が使えるかも伏せられているはず……いや、そうか!お前ならありうるのか……ありうる、のか?」
彼の中で「技術神の使徒なのだから当然か」という思いと「使徒ってそういうものだったか」という思いが混じっているのが手に取るようにわかる。
使徒なら当然アレを使う権利は認められるはずだが、神々から事前知識として与えられるかといえばノーのはず。だから彼の困惑は正しい。
「ネンスくん、とりあえず座ったら?」
「あ、ああ。すまない。だが、そうか……」
エレナに言われて尻を落ち着けるネンスだが、その心はまだここにあらずといった雰囲気だ。
「えっと……」
「エクセララの秘儀は奴隷の首輪を強制解除する技術」
「は、はあ」
「例えば、そうだな。最上級奴隷用の首輪は本人の生命と直結している」
再び首を傾げるアレニカに、ネンスが自分のホットレモネードを一気に呷ってから口を開いた。
「解除は正規の鍵、それも物理的な鍵と魔法による照合が揃わなくてはできないようになっているのだ。懲罰術式は屈強な獣人の戦士でさえ耐えきれず、他人が無理に外せば死に至るほど強力な呪いも込められている」
「そんな……っ」
アレニカが息を飲む横で俺は渋い顔をするしかない。
「エクセララの秘儀はそれを解除できる。違法だがな」
「知ったことじゃない」
この秘儀は俺たちエクセララの初期メンバーが必死になって編み出した、悲願の集大成ともいえる技術だ。これがあるからこそ、ロンドハイム以外の周辺国には「エクセララまで逃げ切った奴隷は自由になる」という条約が承認されている。四の五の言っても解放できてしまうのだから仕方ない、と。
ただしやっていることはシンプル、というか……長年改良もなにもされてこなかったスキルメイドの魔道具の、あまりに単純な脆弱性を突いた処置でしかない。だから全てが伏せられている。スキルが必要なのか、熟練の技なのか、魔法なのか。道具がいるのかも、誰がそれを知っているのかも、全てが。
(バレたらお仕舞だからね)
対策されれば今後助かるかもしれない奴隷が助からなくなる。それを防ぐためなら、奪われる危険があれば道具は躊躇いなく破壊するし、口を割らされそうになれば自ら死なねばならない。そんな鉄の掟がある。
「感情的になる気持ちが分からないとは言わん。だがこの国では合法な奴隷を勝手に解放することは犯罪だ。彼らが非合法な手段で奴隷にされていると分かるまでは手を出さないでくれ。もちろん必要があれば頼るが」
「……ん」
そのくらいなら従える。というか犯罪奴隷でないかはエクセララでも確認する。
「あ、一つ提案いいかな?」
俺たちの会話が一段落したところでエレナが手を挙げた。
「言ってくれ」
「フェーズ1での奇襲さ、賊の仕業ってことにできない?」
「賊の?」
「そうそう。ね、アクセラちゃん。その方がいいよね」
話を振られて思い出すのは、やはり数年前にオルクス領で違法奴隷を摘発したときのこと。乗り込んでいった俺とエレナを主犯とグルだった衛兵隊長は賊として始末しようとしたのだ。
今度はこちらがその発想を使うわけか。
「たしかに。賊の仕業として発表すれば、最初の数件は怪しまれにくい」
「……なるほど。いずれバレるとしても角度の違う欺瞞を流しておくのは、情報を錯綜させる上ではいいかもしれない。治安維持を担う部隊との折衝が必要だが、ナシではないな」
ネンスは数度頷くと席をたち、壁際のカートからホットレモネードを注ぎ足した。
「いるか?」
「今はいい」
「わ、私もですわ」
「あ、わたしお願い」
令嬢二人が辞退する中、王太子に茶を注がせる侍女。
(ウチの教育はどうなってるんだ、とか言われそうだな)
なんて関係のないことを思うが、ネンスはいやな顔一つせずエレナのカップを受け取った。
「ではフェーズ1の時期と立ち回りだが……」
こぽこぽと甘酸っぱい香りのする液体をカップに流しつつ、ネンスは具体的な予定を話し始める。最初の決行は二週間後。くしくも年度末試験が終わるその翌日らしい。
俺たちの一年が、終わりに近づいてきていた。
~★~
「そうだ、アクセラ。お前に伝えておくことがある」
一通りの打ち合わせが終わったあと、ちょっとした雑談を経て俺たちは御前を辞すことにした。しかしそこでネンスが思い出したように……いや、思い出した風を装って俺を呼び止める。
「……」
俺はエレナとアレニカに視線を送った。その意味を察した二人が小さく頷き、先に応接室を出る。
扉が閉まると同時、俺はもう一度『完全隠蔽』を使ってあらゆる干渉を断ち切った。
「手短に言おう。伯爵が違法奴隷に手を出した背景が気になっているだろうと思ってな。といってもあまり情報はないんだが……時期は十六から十七年ほど前だそうだ。理由は未だに明かしていない」
「金のため。違う?」
違法奴隷を捌いて手に入るものなど金以外ないのだから当然だ。
「いや、本人も金のためだと言っている。問題は何のための金か……噂では悪趣味な交友関係に費やしている、豪遊しているといった話が多い」
「ほら」
「それがそうとも言えないのだ」
ネンスは何かを憂うような顔で首を振った。
「オルクス家の金の流れを洗う作業は後回しになっている。あまり大々的にやって彼が我々の手中にあると露見しては意味がないからな。だから確実なことは言えないのだが……ざっと調べた限り、彼が豪遊しているという事実は出てこない」
アドニスの評判が周囲の証言を歪めているのではないか、憶測でモノを言っているのではないのか。そんな風にネンスは思っているようだ。
「なら何に使っている」
「さてな。しかしオルクス伯爵の動機は、我々が思っているような単純なものではないかもしれない」
莫大な金が継続的に必要となるような事情。外道に落ちてでも成し遂げたい何かしらの動機。そういうものがアドニスにある。
(ない話じゃない)
ネンスの言葉にも一理あると思う。だが、その上で俺は肺の中の空気をゆっくり吐き出して首を振る。
「動機なんて関係ない」
「それはオルクス家のアクセラとしての判断か?それともエクセル神の使徒としての判断か?」
「……」
間髪いれずに返された言葉。俺は再び口を閉じるしかなかった。
「即答できないということは、そういうことだ」
なんとなく含みのある言葉を残して王太子は肩を竦め、テーブルの上の茶器をカートへ移し始めた。
「ああ、それとな」
「……まだあるの?」
「これが最後だ」
不機嫌なことを隠しもせずにソファの背へ尻を預ける。
「伯爵を奴隷商という稼ぎに誘ったのはドニオン女伯爵だそうだ」
「!」
ネンスは変わらず手元でカチャカチャと音をさせながら、そのまま何でもない事のように言った。
しかし、何でもないことのはずがない。俺とトレイス、エレナ、ビクターやラナ、それ以外のオルクス家に関わる人々。その人生に大きな影を落とす切っ掛けが例の女伯爵だった。それは俺たちにとって重大なことだ。
「……なるほど」
「驚かないのだな」
「驚いてるよ」
意外そうなネンスに声に首を振る。
ああ、驚いている。そこでそう繋がるか、とな。




