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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十三章 瀉炎の編
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十三章 第4話 神格の記憶

 放課後、いつもの図書館にて。算術の試験勉強をするために集まった友達の前で、アレニカは俺たち「雪花兎」に加入した報告をした。


「へえ、いいじゃねーか」

「雪花兎なら間違いないしね」

「アンタ結構ガッツあるみたいだから、大丈夫よ」


 レイルやアロッサス姉弟はアレニカに祝福の言葉を送ってくれた。他の皆も概ね好意的な反応だが、ディーンあたりは内心ちょっと複雑そうにしている。

 図書館のど真ん中で家出のことまで言うわけにいかなかったのだが、先日のデビュッタントボールの件からおおよその察しはついているのだろう。騎士として家と国に人生を捧げる彼にとっては、色々思うところのある話題かもしれない。

 それでも口に出さないあたり、義務感の強い騎士としてはむしろ柔軟な少年だと思う。

 レイル?あれはなんていうか、騎士の善性だけを固めたみたいな男だから……。


(ティゼルに至っては不良淫行騎士だしな)


「あーあ、オレも冒険に出てーなー。こんな調子じゃすぐアレニカにランク抜かされそうだぜ」

「私もそれはちょっとな……ああ、いや、アレニカの栄達は喜ばしいが」


 一転して何とも言えない表情になるレイルとネンス。彼らとアロッサス姉弟はトワリの反乱での戦闘力をギルドからも認められ、一つ昇格してDランクになっている。


「でも次、つまりCっていったらいわゆる一人前の冒険者だろう?俺たちにはまだ足りないんじゃないの、知識とか」

「ふん、弱気なことを言うんじゃないわよ!アタシはもう十分だと思ってるけど?」

「よく言うよ、冬休み中の依頼なんて野営中に変なキノコ焼いて食べてゲロぼぐぁ!」


 ティゼル、連日の退場。


「お前そろそろ懲りろよ……」


 レイルが心底バカを見る目で親友を見下ろした。


(言ってやるな。きっとこれがこの姉弟のコミュニケーションなんだ。たぶん)


 そう言いつつ、俺もアホを見る目でティゼルを見ているのだが。


「いや、それよりアティネさん、キノコを『目利き』や『鑑定』なしで食べるのは流石に止めましょうよ」

「そ、そうだ、よ。あの、見分けがつきにくくて、あ、危ないって、聞くし」

「まあ、身体強化系があると多少の毒キノコじゃ死なねーのもマジだけどな」


 アベルとマリアの諫言にレイルが笑う。


「ん、でも本当に危ないのもある。確実に食べられる奴が分からないうちは止めておいた方がいい」

「一番そのへんのキノコ拾って食べてそうなアンタに言われると癪だわ」


 俺が深々頷いてみせると、なぜかアティネに軽く睨まれた。


(俺のイメージどうなってんだよ)


 確かにキノコは遠征の時も拾って料理に使っていたが、俺はちゃんと食べられるキノコの特徴を覚えて、確実にそうだと分かるものしか使わない。その上で皆に食べさせる前に自分で食べている。失礼な奴だ。


「もちろん入れる前にちょっと齧って『解毒』が発動しないかも確認してる」

「いわゆるダンジョントラップの漢解除みてーな発想だな。いやまあ、そういうスキル構成ってのも一つの選択肢ではあるのか?」


 首をひねるレイル。他の面々も微妙な表情だが、彼の言う通り冒険者のスキル構成とはそういうモノだ。


「あ、そうそう。見た目で毒と分からないキノコの話なんだけどね」

「おい、すでに嫌な予感がするぞ」


 嬉々として話始めたエレナに一同の顔が青くなる。


「昔図鑑で見たケイサルの方に生えるヤツで、顎食い茸っていうのがあって」

「名前がもうエグイんだけど……」


 普段は俺なんかより倫理的な彼女だが、好奇心が脳みその代わりを果たしている間だけは別だ。人間性とかTPOとかいう概念はこの少女から失われ、大抵は一番に好奇心を刺激された……つまり過激なネタをぶち込んでくる。


「絶対グロいやつよ」

「冒険者を苗床にするキノコとかでしょ」

「そんな普通のやつじゃなくて、もっと面白い生態のが色々いるんだよ!」

「枕の時点で邪気が凄いですわね」


 心外そうに言うエレナ。慣れたものでアレニカも目を細めている。


「そのキノコは見た目がマッシュルームそっくりで、香りもすごくいいんだ。煮ても焼いても普通のマッシュルームで、変なところは何もないの。でも食べると菌糸全体が唾液に反応して黄色い強酸性の液になるから顎が」

「よせよせ!」


 全員がじゅわっと音を立てて溶け崩れる下顎を想像し「おぇ……」という顔をした。


「え、でも面白くない?唾液としか反応しないの。あとは目生(めば)え椎茸っていうのが」

「どう考えても公共の空間で話題にしていいヤツじゃねえ!」

「マッシュルームも椎茸も食べれなくなりそうです」

「今晩の付け合わせがローストマッシュルームだったらぶん殴るわよ、エレナ」

「胃から目にいくなんてすごく面白いよね!これの亜種で目散(めち)る椎茸も」

「エレナ、黙りなさい」

「ストップ、エレナ」

「むぐぅ」


 俺とアレニカ、左右から口を塞がれてようやく黙る知識馬鹿。

 マリアは全部想像してしまったのか、涙目でレイルの腕にひっついている。


「アベル、アンタなんか別の話題出しなさいよ」

「え?」


 アティネに雑に振られたアベルはぎょっとしつつ、うーんと唸って話題を探す。


(商品になる話題か、雑談にしていい話題か、選別が大変そうだ)


 などと他人事に思う俺である。


「えー……あ、それなら最近王都を騒がせている話なんですが、喪服の暗殺者って知ってますか?」

「血生臭い話題からは離れられねーのな」

「ひのほはひははふはふなひほ(きのこはちなまぐさくないよ)!」


 手の下でエレナが抗議の声を上げているが無視だ。


「喪服の暗殺者ぁ?なんかサムいミステリ小説の犯人みたいな通り名ね」

「名前からわかるように、喪に服するときのドレスを着た暗殺者です」

「動きづらそう……」


 なんでも、去年の秋口から王都に出没している通り魔だそうだ。真っ黒なドレスに真っ黒な軽鎧をまとい、貴族や豪商を不定期で襲っているのだとか。

 しかしターゲットと目された人物をきっちり殺せたことはあまりなく、下級貴族の当主が二人ほど討ち取られただけだそうで……。・


「腕の悪ぃ暗殺者だな、おい」

「ん……あ」


 レイルの呆れ声を聞いて思い出した。

 そういえば冬休み入ってすぐに父アドニスから呼び出しをくらった際、衛兵からその話を聞いた気がする。貴族街の入り口で馬車の検査を受けたときだ。


(たしか七人襲われて一人死亡だったか……犠牲者が出たんだな、他にも)


 まあ、殺されたターゲットが二人というだけで、御者や護衛にはもっと被害が出ているのかもしれないが。


「まあ、そういうのがいるのね。それで?」

「……それだけです」


 先を促されたアベルは一瞬黙ってから、首を振った。


「はぁ?」

「いや、急に振られてぱっと出てきた話題がそれくらいしかなくて……」

「続きは有料とかでもなく?」

「ぼ、募集中です」


 バツが悪そうに頬を掻く友人の姿に、俺たちはため息と苦笑が混じったものを吐き出す。

 ずいぶん情報屋らしくなってきたものだと思ったが、どうやらまだまだ中身は俺たちのよく知るアベルのようだ。


「あー、なら話を戻すんだがよ、兄弟といえば」

「ほ、ほんとに、すっごく戻る、ね」


 助け船のつもりか、単なる興味か。レイルの話題転換にマリアが苦笑を浮かべた。


「兄弟がどうかしたのか」

「いや、試験が終わって二年に上がったらさ、アクセラの弟が入ってくるんだろ?」

「ん、そう」

「あー、なんか凄く似てるんですって?」


 夏休みにアロッサス姉弟とネンス、ディーン以外はトレイスと会っていた。特にレイルとアベルはよく遊んでくれていた印象だ。


「似ているんですか……それはなんというか、来年の一年生も大変そうですね」


 ディーンがしみじみと言う。


(こいつ、親しくなるとわりと失礼だな?)


 まあ、そういうタイプは嫌いじゃないが。


「ん、顔はそっくり。顔だけは」

「そうだね、アクセラちゃんとトレイスくんは、顔はそっくりだけど……」


 横からエレナの指がのびてきて、俺の頬をむにむにと突いた。


「んむぅ……トレイスは私と違っておとなしい。戦いより詩や歴史が好き。ん、あと表情が豊か」

「なんだ、アクセラ。無表情を気にしているのか?」

「あんまり?よく笑うトレイスは可愛い。私が無表情なのは、理にかなってる」

「り、理にかなってるって……」


 マリアが困ったように笑うが、こればかりは本音だからなんともしがたい。

 俺はこんな性格だから表情筋が死んでいても困らないが、自己主張の抑え目なトレイスに素直で暖かな表情がなければ、それはもう悲劇としか言いようがない。


「しかしそうか、アクセラの弟が来るのだな。実は私の妹もその予定なのだ」

「ルフナ王女殿下ですね」


 ネンスの告白にアベルが頷いた。

 ルフナ=ディエナ=ユーレントハイム。ラトナビュラ=サファイア=ユーレントハイムの長女でありこの国の第一王女だ。だ、というか、らしい。


「ネンスは兄弟が多い……よね?」

「そうだが、せめて自国の王族の数と名前くらい覚えておけ……」

「多い」

「他国に比べれば少ない方だ!」


 ネンス……シネンシスの下には今話題に上った第一王女ルフナ以外に四人の子供がいるそうだ。

 双子の姉妹、第二王女ランカと第三王女セイラン。第二王子ジョルジ。それから三歳未満なので公的な記録には乗っていないが、末弟で第三皇子のグレイ。三男三女の都合六人兄弟である。


「やっぱ多い……」

「人の兄弟を多いとか言うな」

「ん、たしかに。ごめん」


 あまり言いすぎても不敬罪になりそうなので、ネンスの兄弟の話題はこのあたりで終了。


「ほ、他に、その、目立つ新入生の子って、いない、のかな?」

「どうなのよ、アベル」

「当然のような顔をしてタダで情報を聞こうとしないでください」


 マリアがなんとなく発した質問を自分一人に投げ込んでくるアティネに、アベルは苦味の強い笑みを向ける。

 彼は高貴なる情報屋、トライラント伯爵の嫡男なのだ。そこはそれなりに対価を出すのが礼儀だろう、というわけである。

 たしかにそれが筋だが、これまでのアベルなら友人には取らなかった態度だった。


「なんだか強かになりましたね」

「目標ができましたから」


 ディーンが不思議そうに首を傾げると彼は大人びた表情を口の端に乗せる。それを見てアティネがニヤリと笑ったのを俺は見逃さなかった。


(冬休みにアティネがアベルに喝を入れたんだっけ?)


 例の馬車の君の話だとか、ヴィオレッタという女子のことだとか、色々やっていたらしい。青春だな。


「で、新入生の情報は?」

「何事もなかったかのようにタダで要求しやがった……」

「えげつない神経の太さですね……」

「まあ、晩御飯くらい奢ってあげるわ。友達料金ね」


 騎士二人の引いた視線をひらひらと手で払い、のしっと机に身を乗り出すアティネ。エレナを越える豊満な胸が天板に乗って、制服越しにすら激しい主張を展開する。


「アクセラちゃん?」

「ナンデモナイヨ」


 横から氷属性の気配がしたので視線を天井へ向ける。


「はあ。まあ、どうせそろそろ売り出しの情報ですから、それでいいですよ」

「そうこなくっちゃね」


 諦めて口を開いたアベル。彼の話では今年も相当濃いメンツが揃っていたが、来年の新入生も同じくらい濃いらしいとのこと。

 たとえば国立魔法研究所副所長の息子とか、どこかの師団長の娘とか。トレイスも注目されているそうなので、そこは気を付けてやらないとな。


「結構面白そうな奴がいるなあ」


 英雄好きのレイルからすると、気になる誰かの子供がいるのだろう。


「ウチの派閥はあんまり関係ないわね。まあ、余計な面倒見なくていいのはイイけど」


 アティネはほっと一息ついている。アベルには友達料金で情報を吐かせておいて、自分はきっちり仕事がらみで聞いているのだから、結構抜け目がない。

 しかし二年生から面倒を見てもらった記憶はないのだが、寮の気風なのか、オルクスの悪名のせいなのか。


(なんにせよ、俺もちゃんと聞いておかないとな)


 折角の有料情報だ。トレイスのこともあるし、今回は俺もちゃんと耳を傾ける。

 社交界のゴタゴタで情報の重要性は痛いほど身に染みた。いや、ほどというか、実際かなり痛い思いをして覚えたのだ。夜通しダンスして足をボロボロにするという形で。


(トレイスに同じ目を見せるわけにはいかないからな)


 そんな極めて個人的な理由で、俺もアティネ並みにアベルの情報をいただくのであった。


 ~★~


 夜、夕食も風呂も終えた俺は荷物部屋と化しているもう一つの寝室で横になっていた。

 別にエレナにベッドを追い出されたとかではない。というか本来こちらが彼女の部屋だ。


『以上が現在の加護の付与状況です』


 暗い物置代わりの部屋に、わずかなエコーを伴って骨のある男の声がした。エクセル神の筆頭天使パリエルだ。今日は定期連絡の日なのだ。


「ん、分かった。ありがとう、パリエル」

『滅相もございません』


 エクセララの様子や信仰の推移、加護の付与具合など事務的な情報の羅列を咀嚼する。今日はどうにも情報のインプットが多い日だ。


(しかし、思った以上に西側では俺が受け入れられているな)


 それだけエクセララの技術の価値が認められているのだと考えると嬉しくなる。一方で俺を神と崇める人間がぞろぞろいるかと思うと、言ってはなんだが、ちょっと気持ち悪いなとも……。


「ん、ところでパリエル」

『はい、なんでしょう』


 こう、神様的にダメなことを考えかけたので、俺は話題を切り替える。いくつか聞いておきたいことを心のメモ帳に書き出しておいたのだ。よく存在を忘れるメモ帳に。


「ミアの使徒、アーリオーネ。知ってる?」

『ええ。関わりはありませんが、存在だけなら』


 副官の返事に目を閉じたまま頷く。


「知ってる範囲でいい。教えて」

『そうですね……』


 パリエルは少しの沈黙を望んだ。

 慌てて調べている、という雰囲気ではない。なら情報を整理しているのだろう。さすがは武の道一辺倒の俺を補佐すべく付けられた優秀なる天使様だ。


『使徒アーリオーネはロゴミアス聖下が数百年ぶりに定められた使徒です』


 纏まったらしい。パリエルはその穏やかな声で語り始めた。


『前の使徒が没してから、幾人も他の神の使徒が地上には現れました。しかし創世教会からすれば神の御使いでもあくまで他所の神に仕える、他所の神殿や教会の使徒。もちろん支援はしていたようですが……』


 人類守護の要として創世教会は全ての神官、全ての使徒に支援を行う。だがそれは義務感からくるものであり、本気の信仰からではない。何世代経っても仕えるべき神が使徒を遣わしてくれないのは、神官たちからすれば結構なフラストレーションだったのだろう。

 となれば、なんとなく想像はつく。


「そこにきてアーリオーネ爆誕。初孫に喜ぶ爺のノリ?」

『そこまで朗らかなものではないようですが、心理としては主の仰る通りかと』


 仰る通りなのかよ。


『彼女は創世教会の全面的なバックアップを受け、異端者や魔獣、悪神の眷属を幾度も討伐しています。必然的にスキルや能力も充実しており、純粋な使徒としての権能においては主を軽く上回ることでしょう』


 使徒は悪神の眷属を倒すことでスキルシステムから一種のボーナスを得ることができる。魔獣討伐の称号やそれに付随するレアスキルとは別枠でだ。

 例えば俺は幼少期の灰狼君討伐と強欲神の契約者だったメルケ先生打倒で神器招来を獲得した。


(燃費最悪で一回しか使ってないけど)


 しかし一太刀で強欲神の現身を斬ることができる威力は、準とはいえさすがの神器だと思たものだ。


「アーリオーネも神器招来が使える?」

『分かりません。使徒が獲得する能力は千差万別ですから。しかし彼女の持つ権能の一つはとても有名ですよ。純白の翼を生み出し、空を飛ぶ能力。聞いたこともおありでは?』

「ん、おあり」


 といってもつい最近聞いたのだが。

 パレードの日に実演してみせたとかで、王都では一時期大いに話題になっていた。


「便利そう。欲しい」

『主が翼を持たない神ですから、それは厳しいかと……』


 ミアにも翼はないが、創世の神には些末な問題なのかもしれない。


(羨ましい)


 師の世界では人が空を飛ぶくらいワケない話だったそうだが、俺たちはそうもいかない。レアなスキルを手に入れるか、翼を持つ種族に生まれつくか。その二手しか空を飛ぶ方法はなく、前世の俺も未体験の世界だ。


(ああ、いや、風属性の最上級魔法に飛ぶ魔法があったっけ)


 エレナすら習得できていない魔法だ。レメナ爺さんは使えると言っていたか。

 そういう方向もあるにはあるらしい。


(しかし、軽く上回ると言われると)


 戦ってみたい。そんな気持ちがムクムクと膨らんでいく。


(いや、いかんいかん)


 そんな事を言っている場合ではない。


「なんにしても、手札が分からない以上は会わないのがベスト」


 言葉に出して自分の欲望を否定する。ここで俺が使徒であることを明かすのは最悪だ。俺の無計画はすでにいい加減、陛下に引っぱたかれても文句が言えないレベルなのだから。

 というか色々特別な使徒のスキルを持っているというなら、直接対決どころか視界に入るのすら避けなくてはいけないのだ。

 たしかに俺には『完全隠蔽』がある。可視光線以外のすべてを断ち切る絶対的なこのスキルは、神の知識で調べたところ神々の探索すら掻い潜る破格のスキルだ。だがアーリオーネがそれをも看破する未知のスキルや権能を持っていないとは限らない。


「ありがと……ん、権能と言えば、もう一つあった」

『私に判ることであればなんなりと』

「ん、神の記憶について」

『記憶……?』


 パリエルはこちらの意図を測りかねているような声で復唱した。


「使徒には神から記憶の流入があると聞いた」


 先日の話し合いのときのことだ。レグムント侯爵の提案にかつてないほど鮮明で濃厚な記憶が蘇り、感情がからめとられ、それがべっ甲色のスパークとなって体の中に溢れるイメージが生じた。

 アレがソレなのか?と疑問に思っていたのだ。


『なるほど。しかし、そういう現象が存在するのは事実ですが、主はいくら違う人格を形成しているとはいえ元が同一の存在。記憶は流入せずとも、もとから保持しているわけで……』

「ん、そこ」


 パリエルの言葉に俺は頷く。

 数年前、オルクス領の奴隷商を潰したことがある。その時も地下牢に詰め込まれた奴隷たちを見て、俺は無抵抗の主犯を半殺しにするほど怒り狂った。だがあのときと今回は、感覚的な話だが、記憶や感情の湧き上がり方が違ったのだ。


「今回はもっと……」


 そう、実物を前に記憶が蘇るのは分かる。だがその話題から突然、鮮明な記憶と共に怒りが沸き起こることがあるだろうか。

 人の記憶は褪せるものだ。今を生きるため、そのようにミアが創ってくれている。その観点に立つと、先日の感覚は鮮明過ぎたのだ。だから記憶の流入かと思った。

 だがそうでないとすると、アレはなんなのだという話になる。


『そうですね……あくまで仮説ですが』


 さすがは頭脳労働担当。パリエルは俺の曖昧な説明を聞いて少し考えた後、そのように前置きして再び口を開いた。


『考えられることとしては技術神エクセル、あるいは奴隷の守護神エクセルという神格にその怒りや記憶が刻まれている場合でしょうか?』

「神格に刻まれている……」


 神格。神格とはすなわち、その神の中心的な要素である。人間はあるがままの姿が本質だ。本質のために人があるのではなく、人の在り方を本質と後付けで呼ぶ。しかし神はその逆で、神格に基づいて神の姿や人格が維持されている。例えばミアは幼い外見を持ち、幼く振る舞う部分がある。それは見たままに幼いから幼く振る舞うのではなく、神格に「永遠長に成長を続ける永遠の幼さ」が刻まれているために姿も振る舞いも幼く……。


「んぐっ、ちょっとストップ!」

『主?』

「頭の中に堂々巡りの長文解説があふれ出て止まらない、待って」


 神の知識がだらだらと解説を脳内にぶちまけ始め、頭痛と気持ち悪さで俺は悲鳴を上げた。読むのを止めたのに本の文章が目から流れ込んでくるような、そういう気持ちの悪い感覚だ。


「おぇ……止まった」

『た、大変なようですね』

「大変」


 先日解放された『技術神』の神の知識だが、気を抜くとこうして、欲しい情報を際限なく溢れさせるときがある。まるで説明癖が爆発したときのエレナのように。


「ん、えっと、なんだっけ」

『はい、つまり奴隷の守護神という神格に、奴隷として虐げられる当事者としての怒りや経験が含まれているのではないかと。そう考えれば主の神格が解放された結果、こうした強いフィードバックが生じるようになったというのも理解できます。推測ですが』


 この脳内リトルエレナもとい神の知識や、魔導神に指摘された技術神としての権能のように、『技術神』の一要素として記憶のフィードバックが発生しているのではないかと。


「……だとしたら、厄介」


 あれは紛れもなく俺自身の記憶だ。しかし先ほども触れたように、人間の記憶は風化するようにできている。俺というメインの人格にとっては色褪せたものなのだ。

 それを『技術神』側から生々しい状態で押し付けられては、ダブった部分を呼び水に褪せた全体像が甦りかねない。

 怒りよりも生きることに必死で、暴れるには力が足りなかった頃の一番濃い感情。それを今、強引に叩き起こされて飲み込まれでもしたら……。


(エレナには、過去を思い出して憑りつかれるのが怖いと言ったけど)


 そんな生易しい話では済まない。今まさに奴隷から解放されたような激烈な感情と、使徒としての高い戦闘力。その両方を宿した復讐鬼となることを、自分自身に強要されるかもしれないのだ。


「精神修養が必要。面倒くさいコトばっかり……ん、べっ甲色のバチバチは?」

『それは……抽象的なので、私では何とも。申し訳ございません』

「ん、仕方ない」


 パリエルは恐縮した様子で謝るが、俺は特に落胆していなかった。神の知識をもってしてもあのバチバチは何か分からなかったからだ。

 ただ、イメージの中の存在ではあったが、あれはまさしく聖刻のときに迸るスパークと同じものだった。ベルベンスや黄金剣オーウェンも纏っていたやつだ。

 となれば神の知識に存在しないような未知の何かということはあるまい。おそらく名前の分からないものを辞書の索引で調べようとしているように、俺が見つけ出せていないのだろう。


「ミアに近々会いに行くと伝えて。用件も事前に共有してくれると助かる。毎回、聞こうと思って忘れるから」

『承知いたしました』


 頷く気配がパリエルの側から伝わってくる。

 と、そのタイミングで扉を誰かがノックした。誰かというか、エレナだが。


(何か用だろうか)


 普段は定期連絡が終わって出てくるまで、彼女の方から邪魔をすることはない。


「ん、今日はこのくらいで」

『はい。ご武運をお祈りしております』

「そっちは、無理しすぎないでね」


 手短に労い、俺は『神託』を解除して天上界との繋がりを断った。

 それから扉を開け、恋人の立つ光の中に踏み出す。


「あ、ごめんね。お話し中に」

「ん、大丈夫。丁度終わるところだった。それで?」


 ゆったりした部屋着に身を包む彼女は、不安げな表情で一通の手紙を差し出してきた。

 上質な紙に上品な箔押し。それに香水を垂らしてあるらしく、甘い香りがした。

 差出人はネンスになっているが、彼がたまに纏っている香りではない。


「誰から?」

「ネンスくんのところの執事さん。たまたまアクセラちゃんの落とし物を見つけたからって届けてくれたんだけど、その包に入ってて」


 落とし物と呼ばれた包の中身は知らないアクセサリーだった。


「手紙が本体だね、どう考えても」

「ん。しかも緊急」


 夕飯までは一緒にいたので、それから今までの間に学院外からもたらされた話である可能性が高い。しかもネンスのではない香りの手紙ということは、コレも情報と一緒に持ち込まれたものであるハズで。


「プライベートとはいえ、王太子の名を騙るのは重罪」

「じゃあ陛下とか?」

「かもしれない」


 そこまで分かればこれ以上仮定の話をしても仕方ない。

 俺は指先にマナブレードを出して封筒を開き、中の手紙を取り出した。中身も最高級の便せんだ。


「……なるほど」


 ざっと目を通したその内容は、とてもシンプルだった。

 そのシンプルな文言に、俺は眉間に皺が寄るのを自覚した。


「なんて?」


 首を傾げるエレナ。


「今日、ザムロがオルクスの説得に成功した」

「早くない!?」

「……私は、できるとは思ってなかった」


 驚愕するエレナに便箋を押し付け、俺は暗い部屋のベッドにすとんと腰を落とした。


(あれだけ尻尾を掴ませなかった男が説得を受け入れた……違法奴隷のことを悔いるつもりがある?それとも生き延びたいだけ?ザムロとアドニスの間には、一体何があるんだ)


 訳が分からない。その気持ちを飲み込んだまま、俺はこれからの展開に頭を振り向ける。


 春を待たずして、事態は動き始めていた。


~予告~

オルクス伯爵家の説得成功。

衝撃の報せの裏で、老人は苦悩に震える。

ザムロとオルクス、二人の間には何があったのか……。

次回、真実の欠片


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