十三章 第2話 アクセラ先生
「ん、全員揃ってるね」
冬休みが明けたその日の昼過ぎ、授業科目は戦闘学。
ネンスも、レイルも、ディーンも……指定の練習着を纏ったAクラスの参加者は全員、真面目な顔つきで練習場に整列している。
そんな彼らを前に、俺は一人だけ正面に出て、そして全員と向き合う。
「?」
誰もが困惑の表情を浮かべた。
それはそうだろう。俺の服装は動きやすいシャツにジーンズで、腰には拝領の愛刀、雨狩綱平まで佩いているのだ。それにベルベンスの後任となるべき戦闘学教諭の姿がどこにもない。
「おい、まさか」
何か嫌なものを感じ取ったようにネンスが声を漏らす。俺はそちらに薄い微笑みだけを向け、改めて全員へ聞こえるように少し声を張り上げた。
「知ってるとは思うけど、私はアクセラ=ラナ=オルクス」
「そりゃ知ってるに決まってんだろ……?」
怪訝な顔のレイルを片手で制し、もう片手で雨狩綱平の柄をトントンと叩く。
「帯刀の理由とか、いろいろ気になってると思うけど、簡潔に答えるなら……今日からしばらく、みんなの戦闘学を担当することになった」
音が消えた。驚くほど綺麗に、ざわめきが消えていた。
彼らの顔には驚愕と、さらなる困惑と、なぜか恐怖と、そしてわずかな期待が浮かんでいる。
「ん、まあ、よろしく」
しんと静まり返った練習場に、俺の挨拶だけが響いた。
~❖~
ベルベンスが捕縛されたあと、その後任をどうするかは学院上層部でもそれなりに揉めたそうだ。
最初に上がったのはすぐさま後任者を現役の騎士から迎える案。だがトワリの反乱から続く難民問題や南北の国境線のキナ臭さは市井に流れている噂以上のものらしく、優秀な騎士を教育の場に移動させることは厳しかったようだ。
次に上がったのは引退した者や間近となった者の採用だが、上官の査定が重んじられる現役騎士と違ってそういう連中は縁故の力が強く働く。普段ならそれも貴族社会の倣いとして問題視はされないのだが、なにせベルベンスがそのルートでやってきたクチで……厳正な審査を行うにはとても数か月では足りない、とこの話はナシになった。
(他にも色々と案は出たらしいが、どれも結局は時間がネックとなった、と)
最終的に採択された消極的な解決策が、Aクラスの戦闘学の単位をこのまま認定してしまおうというものだったらしい。
彼らはベルベンスとの戦いで団結力と戦闘力の高さを見せつけている。これ以上の何を一年生に求めるのか、と言われれば首を横に振れる人間はいなかったそうだ。
「というわけで、みんなの単位はもう安泰」
「お、おう……」
前提をざっと説明してみせると、レイルが難しい顔で頷いてくれた。
「いや、お前が担当になった理由が全然わかんねえけど」
他の連中もうんうんと頷いている。
「単位認定したからって授業をしないでいいのか、という話になったらしい」
「なるほど。剣であれ槍であれ、戦う術は日々の鍛錬の積み重ね。戦闘学を単位ありきで休講にすることの是非が問われたということか」
「ネンス、正解」
とりあえず来年度まで単位を与える権限を持った正規の教師を雇う必要はなくなったが、何かしら戦闘を教えられる人間は手配しなくてはいけない。
そんな微妙に当初から緩和された課題を抱えた学院上層部は……というか副学院長は、俺を代理に指名した。
(このあたりは新設される教育大臣の監督のもと、技術教育が模索されることになるからだろう)
とはいえオブザーバーのような大人が配置されているわけでもなし、どの程度本気でこっちをサンプルにしたいのかは俺にも分からない。あるいは何かしらの方法で分からないように監視しているのか……。
「ん、まあ、そんなかんじ」
「そこまで明かしてよかったのかは疑問だが、まあ、大体の事情は飲み込めた」
全員を代表して頷くネンス。彼はすぐに表情を砕けた笑みに変え、「それで」と先を促してきた。俺がどういう方針で授業を進めるのかが知りたいらしい。
「勲二等に輝いたオレたちの期待の星だからな、楽しみにしてるぜ!」
調子のいいレイルなど、戸惑っていた数秒前までの記憶を全て失ったかのように目を輝かせている。
しかしそれは生徒の一部、とくに前の方に並んでいる騎士を目指す連中に共通で、他の生とも何か面白いことが始まるんじゃないかとソワソワした様子だ。
(まあ、ベルベンスのシゴキに比べたらなんだって期待できるか……いや)
改めてクラスメイトの、生徒の顔を見る。
(そうか、先生をやるんだ)
土壇場に立って初めてそれを実感した。
(そうか、俺は副学院長に指名されたとき、心のどこかで昔と同じようにやろうと思ってたんだな)
旅をしながらも、道場を構えてからも、俺は大勢の弟子や孫弟子を見てきた。人を教えることには慣れているつもりだった。だが、やはり師匠と先生は違うのだなと、そう思わされる。
「アクセラ?」
「……ん」
急に黙った俺を不審そうな目でネンスが覗き込んでいる。
俺は顔を上げ、言葉を選びながら自分の中の「先生」を探す。
「派手なことはない。日々の鍛錬はただひたすら地味な反復。その意味ではベルベンスのやり方も……ん、やり方は間違ってるか……ベルベンスの言う根性論も、的外れではない」
いや、的を射ているかと言われれば外しているのだが。
頭の中に巡る形の不確かな思考を言葉にしようとすると、なんだか大変くだらない話が口から飛び出した。
「当たらずとも遠からず、というほど近くもないくらいには当たっている」
「当たっていないと言うのではないか、それは」
「射てる方向は間違ってない、くらい……?」
「そのニュアンスの違いはどうでもいいぜ?」
レイルに呆れられてしまった。だがまあ、実際どうでもいい話だ。
考えが綺麗にまとまらない。
「ん、まあ、つまり、私は剣士で、剣士の師にはなれる。結構優秀だとも思う。自分で言うのもなんだけど」
もう一度、雨狩綱平の柄をトントンとやる。
コイツの扱いに関しては、俺はこの国でもトップクラスの師である自負がある。継続の意味を教えることも、無駄を削ぎ落すルーティンの組み方も、足りない一手を埋めるための考え方も、誰より丁寧に教えられる。
「でも剣士になりたくない人を、剣士以外の何かにしてあげることはできない」
その言葉に今度は後ろの方の生徒からざわめきが生じた。騎士になるつもりはなく、ただ護身や貴族男子の嗜みとして戦闘学を受講している者達だ。
「戦士、騎士になりたい者にとっても、剣が正しい選択であるとは限らない。そうなりたくない者に至っては、私の教えることが正しくない可能性はとても高い。だから、つまり……」
ついに前側の生徒まで「おや?」という表情になり、お互いを見始めた。
「あー……アクセラ、何かお前はその、空回りしていないか?」
「おう、なんか小難しいこと言おうとしすぎて変なカンジになってんぞ」
「ん……」
付き合いの長い二人からの素早い指摘に、俺は口を噤んだ。
それから二、三度呼吸を整えて、もう一度口を開く。
「んー……むずかしい」
忘れがちだが、このアクセラという肉体は俺のただでさえ直截すぎる思考を、極めて不愛想で率直な言葉に置き換えて吐き出す傾向にある。
(考えながら喋ろうとか、馬鹿な事をするんじゃなかった)
要は大勢に分かりやすく長文で喋るのが苦手なのだ。
「尖っていようが、失礼だろうが、言いたいことをシンプルに言え。お前がそういう奴だということくらい、このクラスの連中はもう分かっている」
呆れの割合がどんどん高くなっていくネンスの言葉に、他のクラスメイトたちが苦笑で頷いた。
「ん……まあ、私は先生というより師匠。その違いは、ピンとこないかもしれないけど、たぶん教わっている間に感じるようになるハズ」
そう、今は分かるはずがない。俺の中にある感覚の違いなのだから、言葉にしたって無駄だ。
それでもあえて真っ先にその話をしようとしたのは、きっと彼らもその違いの意味するところを段々と理解するようになると思ったからだ。
(焦るな)
師匠ではなく、先生として人に教える。それは初めての経験で、慣れた事に近い内容だからこそ変に先走りそうになる。奇妙な感覚だ。
「だからこそ、違うなと思ったら素直に言ってほしい。使いたい武器がこれじゃないと思った時、私の求めるレベルと自分の目指すレベルが違うと思った時、今日は剣を握りたい気分じゃないなと思った時も」
俺が言いたいのは、メルケ先生のように生徒の意志を汲んでフォローはできないし、かといってベルベンスのような反論を許さない体制をしきたいわけでもない……とまあ、そういうことだ。その程度が伝われば、とりあえずはヨシとしよう。
「言ったら、アクセラさんはどうするのですか?」
ディーンが少しだけ試すような口ぶりで問うてきた。
「……そのとき、考える」
「いやそこは考えとけよ!」
「…‥おいおいで」
レイルが盛大にツッコみ、俺が肩を竦める。
そこで緊張の糸が途切れたのだろう、前列も後列もなく、彼らは気が抜けたように小声で笑い始めた。
「なんだか不思議ですね」
「氷の砦の時の方がリラックスしてるんだもんな」
「私も初めてのことには緊張する」
「それでも普通、逆だろ?」
誰かのそんな声に、俺はもう一度だけ薄く笑う。
(それは、そうだな)
それから手を叩いて場の空気を切り替える。
「ん、そろそろ授業を始める」
「「「「「「おー!」」」」」」
~❖~
さて、記念すべき第一回の授業だが、戦闘学は意外とレベルが上がるほどに座学的な側面が増えていく。
「斬るという行為は三種類ある」
ネンス、レイル、ディーン、ドレン、イヴァン、バノン、カスパー、ジェイス、それからロミオ。ベルベンスとの戦いで前衛を担った我がクラスの一軍ともいうべき九人を前に、俺は説明を始めた。
ちなみに騎士志望だが実力のない二軍、護身術レベルを欲している三軍、嗜みでいいという四軍についてはそれぞれメルケ先生の授業を流用したカリキュラムをこなしてもらっている。剣に拘らず、得意そうな武器スキルの取得をひとまず目指すと言うあれだ。
(ときどき見に行くのを忘れないようにしないとな)
道場持ちだったころは二軍以下にはそれぞれ高弟が当たってくれていたが、当然この授業にそんな奴はいない。
「刃で斬る、切っ先で突く、ガードや柄尻で打つ……そういう話か?」
「それは剣の使い方を三つに分けたもの。私が言いたいのは、斬撃の使い方が三つあるということ」
いくらスキル頼みで技術的な理が伴っていないとはいえ、人が自分の肉体で実際の剣を振り回し、それで命のやり取りをするのだ。『剣術』を教えるメジャーな流派なら斬る、突く、打つの使い分けくらい教えてくれるだろう。
だが、今日から俺が教えるのは全然違う内容だ。それはもちろんこの国の流派が教えるスキルについてではないが、小手先の技でも基礎練習といった技術の分かりやすい側面でもない。
「まず物の端を斬り落とすこと。次に物の表面を浅く斬ること。そして最後、芯を捉えて切断すること。これが三つの斬るということ」
極めて抽象的で、聞きようによっては木の伐採の話のような俺の言葉。九人ともチンプンカンプンという顔だ。
だがそれもそのはず。この考え方は紫伝一刀流でも一つの奥義、あるいは真理に位置づけられている。そういう難しい話なのだ。
(今日から俺はこの話を、できるだけ簡単にして彼らに教え込む)
彼らは曲がりなりにもあのベルベンスの猛攻を防ぎ続けた有望な騎士だ。盾を持たない俺にその方面を教えることはできないし、おそらくその必要もないだろう。
だがこの刃の扱いの真理は、たとえ理解できずとも、知識として知っておくだけでも先々が何か変わるはずだ。そうだと、信じている。
「例えば指、耳、時には足の甲」
立てた指でそれらの場所をトンと叩く。
「これらは体の末端、つまり枝葉にあたる」
「まあ、端の方ですよね」
理解したようなしていないような声でディーンが頷いた。
「おい、ちょっとまて、端を斬り落とすって……」
「レイル、正解。つまりこの枝葉を、指や耳や足の甲を斬り落とすこと」
「うぇ!?」
あっさり飛び出した血生臭い説明に誰かが頓狂な声を上げた。
魔物は殺し慣れていても、この中の多くは人を斬った経験がない。
レイルだけは、夏休みの「燃える斧」を相手取った姿から察せることだが、経験があるのだろう。一人だけ、瞬時に眼差しの質を変えてきた。俺が何を与えようとしているのか分かったらしい。
「枝葉を失えば、人の動きは精彩を欠く。指がなくなれば武器の握りが甘くなる。耳を落とされれば、その痛みは目や頭、つまり思考に及ぶ。足の甲を切られれば踏ん張りがきかなくなる」
「それは……」
「端を斬り落とすことは技を奪うことに繋がる。それはやがて、相手の死に繋がる」
ただ盗賊を斬るというような話ではない。どのように考え、何を狙えば卓越した相手を殺せるか。命を刈り取るのではなく、命のやり取りの中で相手からそれを奪い取るための知恵だ。
「……」
学生にあるまじき練度と経験を誇る少年たちが、顔を青くしたり唇を引き結んだりして俺の話を聞いている。魔物をもう何体も打倒し、先日はオーガのように暴れ狂うベルベンスを相手に獅子奮迅の戦いを演じてみせた少年たちがだ。
彼らは今まさにその肌で俺の言わんとすることを察し、これまでの授業との明確な違いを理解した。
「アクセラ、お前」
レイルが俺の名を呼んだ。
もうすっかり、最初のちょっと浮かれた空気はなくなっている。
「そう、この授業で私は君たち九人に、人との戦い方を教える。戦って、殺す方法を」
彼らも貴族だ。それも騎士を目指すべく育てられてきた子供達だ。エレナのように殺しへの抵抗感で剣を抜けなくなるようなことはないだろう。
だが殺したことがあるかないか、慣れているかいないかは、覚悟の有無に続いて立ちはだかる壁だ。勢いで殺しの境界線を超えられても、それだけでベルベンスのような熟練の騎士は殺せない。
(弾みや勢いで殺してしまう事と、死力を尽くした戦いの果てに殺すことは違うからな)
師匠と教師の違いに関係なく、俺が短期間でこの一軍に贈ってやれるもの。それは……強者の牙城を崩し、命を奪うための知識だ。
「どうする?」
もちろん彼らが拒否するなら俺は授業内容を変える。それが正しいかは分からないが、先生というなら多少は生徒の希望に寄り添うべきだろうから。
面白いことに、ネンスとレイルは二人で視線を合わせ、それから揃って一歩下がって見せた。まるで投票を辞退するかのように。
(なるほど)
二人には俺が個人的に教えている。それにこちらの関係は先生と生徒ではなく師と弟子。必要と判断すれば、俺が否応なく叩き込むと分かっているのだ。
だからこの場ではクラスメイトたちの判断に任せた。
「……お願いします」
数秒の沈黙を挟んでそう答えたのはディーン。
「ただ騎士らしく己の剣を高める。そんな考え方では、同じように剣を高めてきた誰かを倒すことは難しい。その思いは、正直、レイルくんや殿下を見ていて痛感していました」
彼は一瞬だけレイルを見てから俺にそう言った。
「相手をどうやって追い込むか、自分を有利にするか……そういう生々しい発想が、俺たちには足りない。いや、俺たちだけじゃないんでしょうね。きっとこの国の騎士には、そういう駆け引きが足りないはずだから」
「なるほど」
思ったよりディーンは周りを見ているらしい。
ユーレントハイムにおいて騎士とは対人戦の専門家で、魔物との戦いでは冒険者に譲る部分が多い。しかし他国の騎士と比べると、人より魔物との戦いに向いていた。この国が魔物とダンジョンに恵まれ、戦争を長らく経験していないからだ。
この国の騎士は、対人戦においては一対一の決闘を重視している。その方法は派手なスキルの打ち合いが中心。勝敗がルール化されているだけに、目的は殺すことではなくソレを満たすことに置かれがち。
一方で魔物との戦闘は真逆だ。集団でのスキルシナジーを最大限に発揮し、大勢が抑え込んで最強の一撃をアタッカーが叩き込む。堅実さと損耗の少なさを重視した戦い方と言える。
(つまり、いつもの戦闘学で教えるのは戦い方で、人間を惨たらしく殺す手管じゃない)
「俺はネンス殿下の御代を守る騎士として、狡猾さを懐に持つ騎士でありたい……というと変ですが、でもアクセラさんを見ていてそう思うんです」
ディーンは剣と盾を握り続けてきた硬い手のひらで、そっと左肩に触れた。
練習着の今は、そこにはなにもない。だが正装を纏うなら別だ。トワリの反乱での功績を讃えて国王陛下から与えられた紅のマントが、その肩には掛けられているはず。生き残った俺たちと、死んでいった者達を繋ぐ象徴が。
「僕もだ」
「私も」
「俺もですよ」
ディーンが言い終えると他の六人が一歩前に出て頷いた。
それを見届けてからネンスとレイルも彼らに並び立つ。
「分った」
短く応えた俺も一歩進み、ディーンの硬い胸板を軽く小突く。
「意気やよし。ならこれから私が言うことを全て覚えて、それから少しずつ体に覚えさせて」
「はい、先生」
静かだがいい返事だ。
「授業を再開する」
俺は今一度距離を取り、今度は腕捲りをして火傷痕の残る左腕を見せる。美しくはないが、自慢の筋肉の形が白い肌より分かりやすい。
「三つの斬撃の続き。二つ目、表面といっても皮膚じゃない。肉。体の外側はほとんどが筋肉だから……」
淡々と技を紐解く俺に、彼らは終鈴が鳴る瞬間まで真剣な表情で聞き入ってくれた。
~予告~
絡まる貴族の思惑。浮上する違法奴隷問題。
しかし迫る課題はそれだけではなく……。
次回、試験勉強
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