十三章 第1話 為すべき事
王立学院の冬休みも最後の一日となった今日。俺は国王陛下に呼び出され、極秘という形で王城を訪れていた。メルケ先生との戦いの後、俺の方からネンスを通じて会いたいと打診をしたあの日と同じように。
家紋も何もない高級馬車に曇天の下をゆられて到着した俺は、長い机のある大きな部屋に通された。最奥にこの国の紋章が縫われた大きな幕がかけられているが、それ以外は特に権威的な雰囲気もない普通の会議室のような部屋だった。
「よくぞ来た、アクセラ」
幕のすぐ前の椅子に腰かける中年男性が厳かな声で歓迎してくれる。
ラトナビュラ=サファイア=ユーレントハイム。この国の王でありネンスの父でもある彼は、謁見の時とは違って比較的装飾の少ない騎士服に似た衣装を纏っていた。
「お招きどうも、陛下。それに……侯爵閣下も」
「……」
俺を待っていたのは陛下だけではない。上等なスリーピースに身を包んだ虎のような男が長机の右側の席についてこちらを見ていた。レグムント侯爵ヴォイザーク。本来ならば陛下よりなお俺に近しい立場であり、味方であるはずの男だが……。
「侯爵閣下などと、今さらかしこまった呼び方をしてくれるなよ。ザーク小父様でいいんだぞ?」
「そう」
親し気に笑って見せる彼の目を見た瞬間、俺は小さく息を吐いた。
「侯爵は……ザーク小父様は、敵に回るんだ」
「!」
侯爵の顔に一瞬の動揺が浮かんだ。
俺はそれ以上何も言うことなく、空いている右側の席に腰を落ち着けた。
陛下はそれを見て苦笑めいた表情を浮かべる。
「アクセラよ、明日から学院の授業が再開するのであったな」
「ん、はい」
「冬休みは有意義に過ごせたか?」
「おかげさまで」
あちらこちらの貴族と顔を繋いだ。彼らの中にあったオルクスの娘というレッテルを剥がし、美しく強い稀代の剣士という別のレッテル貼り換えることも、大体はできた。
新しい愛刀である雨狩綱平の慣らしもすっかり終わって、もう冬休みに済ませておくべきことは何も残っていない。そういう状況にまで持ってきている。
「それはよいことだ」
陛下は微笑み、俺もそれに薄く微笑み返す。
穏やかな雰囲気は、しかしここまでだ。俺は背筋を正して上座の王を見据える。
「今日は技術神エクセルの使徒として来た。そのつもりで対応をしてほしい」
「なるほど。そういうことならば、余も心得た」
わずかに混ぜていた敬語を廃して言うとあちらも意義を正して頷く。
端的なやり取りを境に場の空気は引き締まり、肌にピリピリとくる緊張感が生まれた。
「では、早速始めるとしようぞ。レグムント侯爵、此度の話し合いは其方の申し出による実現したもの。こちらとしても其方にいくつか問いたいことはあるが、まずはその胸の内を明かすがよかろう」
「はっ。今日は一つ提案がありまして。オルクス伯爵家の今後について是非とも一度考えて頂きたいことです」
礼儀正しいとも、親し気とも、どちらともいえない口調でレグムント侯爵は陛下に言う。四大貴族と王族の距離が近いことは分かっていたが、使徒という異物のいる状況でその話し方を選ぶということは、それが彼らの間での素なのだろう。
「端的に申し上げてこの問題はすでに複雑を極めています。関わる人間と求める事柄が多すぎる」
「その一端を担っているのは其方であると余は理解しておるのだがな?」
「返す言葉もない。そもそもオルクスの離反を招いたのは我がレグムントの先代が不徳。その点は申し訳なく思っています」
侯爵は殊勝な様子で俺と同じ乳白色の頭を陛下に下げた。
「しかし」
そう続けるその顔に引け目はない。あるのは淡々と話を進めるという意思だけ。
シンプルで実直なやり口を好む威風の獣とはいえ、頭の良さと貴族としての悪辣さも兼ね備えているのがレグムント侯爵という男だ。その政治家的な側面が今、十全に発揮されているのを肌で感じる。
「それぞれの目的を、達成すべき要点を並べ立てたとき……ことはそう難しいものではない。そう考えています」
トン、と男の指がテーブルの表面を突く。
「究極的にはたった一つ。違法奴隷の救済と是正、この一点に集約される」
たしかにその通りだ。その通りなのだが、それだけではない。そんなことはレグムント侯爵も分かっているはずだが……。
「陛下は加えてこの国の法が正しく運用されること、そして国益が維持されること。この二つを欲している。アクセラはオルクスという領地、領民、そして家族が安寧を得ることを。ここまではよろしいか?」
「……そうであるな」
陛下の視線が一瞬だけ俺に向いた気がした。
広く言えば俺との約束も国益の範疇、ということだろうか。
「ん、まあ、そう」
俺も頷いておく。彼の言うことは間違いではないから。
「我々レグムント派の目的は技術思想をこれから始まる教育大臣の下での政策に取り入れること。そして西側諸国に近しい倫理観を養うこと。そのための下準備として、オルクスをはじめとする違法奴隷ビジネスの粛清を行いたいと思っています」
「粛清……」
レグムントの言葉選びは少々過激だが、確かにそれは俺や国王陛下が思い描いていたものとほぼ同じものだった。
(たしかにそう言われれば複雑なようで同じ目的を共有しているともいえる……)
本当にそれだけか、という疑問が沸き上がる。
俺は侯爵の目を見た瞬間、戦場の勘でこの男がもはや味方ではないと悟った。その感覚が間違っていないのならば、シンプル化したこの画だけで俺たちの目的が合致していると判断するのは危うい。
(俺の戦場の勘は、ほとんど間違ったことがないしな)
唇をチロリと舐める。
「侯爵、確かに我々は同じ方を向いているようにも見える。それは其方の言う通りだ。しかし、それだけとは思えぬが?」
俺の感じた違和と警戒は、陛下の方でも同じだったらしい。
問われた侯爵はさもありなんと笑みを浮かべる。
「勘繰られるのも仕方ないでしょうが、違法奴隷商の一掃……これについて同じ方向を見ているのは確かです。それは我々と手を組むことを決めたザムロ派も同じ」
「ふむ」
「ん……」
さらりと口にされるその名前に、俺と陛下は小さく息を漏らす。
(ザムロ公爵の派閥は、やはりレグムント侯爵派と手を取り合うのか)
アベルの情報や煙草倶楽部で聞いていた噂話で大体は予想の付いていたことだが、そうなるといよいよ勢力図が分からなくなってくる。
改めて、俺は本来この貴族のお家騒動というモノの中で当事者でありながら参加者、パワーゲームのプレイヤーではないのだと言うことを実感させられる。
「ただ、陛下のご懸念はその通りです。はっきり申し上げて、具体的なアプローチに話を押し上げると同時に、我々の間には合意しづらいモノがある……が、我々の側から提案させていただく方法は、三者の要求を最大限に拾えるものであると自負しています 」
「ふむ、申せ」
短く先を促す陛下の言葉に侯爵は頷いた。
「ザムロ公爵はオルクス伯爵の寄り親ということになりますが、あの二人の絆はそれだけにとどまりません。それはそもそもの話、派閥の乗り換えという禁忌を犯した伯を受け入れたことからも明白」
「なるほど。たしか伯爵と夫人を引き合わせたのもジョイアスだったと聞いた記憶がある。であれば寄り親、寄り子以上の繋がりがあるというのも頷ける話だが……それで?」
目を細める陛下に侯爵は身を乗り出した。
「公爵は自分ならばオルクスを説得できると申しております」
「説得とな?」
「違法奴隷商会の摘発に協力するよう、説得することでございます」
「……それはまた、随分な奇策を思いついたな」
陛下は驚いたように間をおいてそう言った。
俺だって寝耳に水もいいところだ。
そもそもいかにしてオルクスを追い込み、仕留めるかという話だったはず。それが何をどうしたら話し合いで決着を付けようなどと寝ぼけた話になるのか。
(敵に回ったと感じたのは、この心変わりか)
最初に部屋に入ったとき、この男を見た瞬間に覚えた嫌な予感はあっていた。
俺は咎めるような視線を向けるが、彼は国王から目を動かそうとしなかった。
「まさに奇策。しかしこの問題の深くに食い込む伯爵を味方に付けることができるなら、解決は大きく近づくことでしょう。もし目論見通りに事が運べば、公爵はその貢献をもって罪を減じ、オルクス家と本人の命脈を繋ぎたいと」
「ふむ」
「陛下、これは邪道のようにも見えますが実に効率的な発想だと私は考えます。伯爵ほど内部に通じている男の協力があれば、迅速かつ広範囲に違法奴隷の摘発と救済が行えます。用心深い腐敗貴族どもを逃さず、断罪の剣をさしむけることもできましょう」
段々と力強さを帯びる侯爵の語り口。
理屈と実益、そして熱意の全てを込めて振るわれる弁に、俺は膝の上においた拳を強く握りしめる。
「違法奴隷の根は深い。しかし、少なくともこの王都においてはその根深い問題と、その背後にある内憂を一挙に片付けることができるのです。またオルクス家を穏便に存続させることも叶う。最も優れた解決策であると我々は考えております」
そこまで言ったレグムント侯爵は席を立ち、この国を統べる男に深々と頭を下げる。
「どうか、我らレグムントとザムロに事の差配をお任せいただきたい。ユーレントハイムの民と、その未来のために」
最後まで落ち着いた、しかし熱の籠った口調だった。そこにあるのは四大貴族としての使命感と強固な信念、自負心、そして国益に対する徹底的な計算。
その一つ一つが理解できるからだろう。頭を下げれらた陛下は難しい顔で黙し、すぐには答えようとしなかった。
「冗談じゃない」
その沈黙を無遠慮に破り、俺はテーブルに手をついて立ち上がる。
「冗談じゃない……っ」
繰り返してそう告げる俺の頭の中にはいくつもの記憶があった 。
冷たく湿気た石畳の地下牢の風景。錆びた鎖が肌に食い込む感触。餌と称して出される汚物の饐えた臭い。鬱憤を晴らすために殴られる痛み。生まれてきたことを謝らせられる憤り。腹を見せて犬のように許しを請う惨めさ。
それまで日々の記憶の中に埋没していた生々しい感覚が肌の下を這いまわり、突如として黒く焦げる怒りとなって心臓を下から炙っていた 。
「言ったはず。私は技術神の使徒、奴隷の守護神の使徒としてここに居る」
ギリギリと奥歯に力が入る。その隙間から唸るように言うとレグムントは「だからこそだ」と返してきた。
「アクセラ、考えてもみろ。この方法ならオルクスと関わりのある違法奴隷商への突入をほぼ全て奇襲にできるのだぞ?抵抗されにくく、証拠の隠滅も最小限で済む。それはつまり最も早く、最も多くの奴隷を助ける道だということだ。その方が技術神の御心にもかなう。そうだろう?」
レグムント侯爵の顔には心底理解できないという感情と同居して、俺の反応を予期していたような諦観が混じっていた 。
そんな矛盾する表情を浮かべる彼を前に、俺は体の中を駆け巡る怒りの起伏を、一種のスパークのようなものとして感じ始めていた。べっ甲色を脳裏に映し出すスパークとして。
「合理的な答え。でも伯爵がのうのうと生き延びる。それは看過できない」
「なぜだ?なぜそこまで伯爵の生死に拘る?」
なぜか。そう、たしかに俺はオルクスを殺さなくてはいけない絶対的な理由を持たないし、自分の手で殺してやりたいとも思っていなかったはずだ。
しかし、こうして彼が安全に生き延びる道筋が示された今……俺は確かにあの男の死を強く願っていた。
「彼が違法奴隷を商い始めて何年たった」
「……疑惑を聞くようになって十数年ほどになるか」
地を這うような俺の問いに陛下の声が答えをくれる。
「その間に人生を壊された人、どれだけいると思う?」
違法奴隷は本来、売り飛ばされるはずのなかった人々だ。多くが国の庇護を持たない自由村落で、魔物や動物と生存競争を繰り広げながらなんとか生きている。苦しい中で小さな幸せを積み重ねて、命の限り生きているのだ。
「ただ日々を生きているだけの人を狩って、縛って、売って、そうやって搾り上げて滴った血を啜って生きてきた。そういう生き方を選んだ。そんな人間が、最後に少しいい事をしただけで許されていいわけがない」
俺は変わる意思をこそ尊重したいと思っているが、それにしても限度がある。奪った人生の数は重さとなり、その重さによって振り下ろされる断罪の刃は威力を増すのだ。
「つまり?」
「人は選択を重ねて生きる。その結末は、報いは、自分で受けなければいけない」
「道徳規範のために救える奴隷を救わないと?」
ある程度、俺の反論を彼は予想していたのだろう。レグムント侯爵は実に嫌な問いを投げかけてくる。
だが俺はそれに簡単な答えを用意していた。
「説得して、協力させて、そのあとに殺せばいい。それなら承服できる」
「なっ……!」
途端に侯爵は顔色を変えた。机を拳で打ち、椅子を蹴立てて身を乗り出してくる。
「騙して殺せと言うのか!それはあまりに筋が通らんではないか!!」
「外道に通す筋なんてない。利用し、騙し、奪ってきた人間だ。同じようにされて死ぬのが報いというもの。違う?」
「アクセラ、関りが薄いとはいえ其方の実の父であるぞ。よいのか?」
それまで俺たちの口論に意見を挟むことのなかった陛下が訊ねたのは、いたって普通の倫理的な質問。すなわち父性を己の王道におく現ユーレントハイム王の、研ぎ澄ませた問。
「あの男を父と思ったことはない。今生の父は領地の男達で、母は領地の女たちだ」
間髪入れずに返した言葉にレグムントが息を呑む。
逆に国王はそれを理解していたように、小さく息を吐くにとどめた。
「貴族としては褒められたことなのだろうが、な……」
「陛下!」
「いや、分かっておる」
咎めるような、助けを求めるような侯爵の声に陛下が手を上げて応えた。
「アクセラ、さすがに協力をさせておいて何の恩赦も与えず殺すというのは法に背く行為。協力させるからには恩赦を与える、これは絶対だ」
諭すような口調に含まれた断固たるニュアンス。これが陛下にとっての譲れないポイント、つまり侯爵が言った「法が正しく運用されること」に触れるラインなのだろう。
「ただし、組織的な違法奴隷の売買は発覚すれば縛り首の重罪。助命が叶うほどの協力を引き出せるのかは、余も首を傾げるところではあるがな」
俺が目の前に引かれた一線の前であふれ出す熱量を持て余し黙しているうちに、陛下は侯爵の方にも線を引いて見せた。法を執行するうえで俺の独断を許す気はないが、レグムントとザムロの都合で動いてやるつもりない。そう宣言した形だ。
「さて……正直、お伝えした通りそこはザムロの領分でして」
どこか投げやりな雰囲気で侯爵は肩を竦めてみせた。
「ふむ、大体其方らの力学が見えてきたな……アクセラよ。いや、使徒殿と呼ぼうか。其方が最も重んじるのは奴隷の救済、それでよいな?」
「ん」
頷く。ふつふつと、ぐらぐらと、じりじりと吹き上がる強すぎる怒りは収まる様子がないが、目的を見失う程ではない。少なくとも今はまだ。
「そしてアクセラ=ラナ=オルクスとして其方が重んじるのは、領地と領民、そして家族の安寧。レグムント侯爵が述べた通りで相違ないな?」
「……ん」
「ならばその剣を余に預け、我が差配と我が国の法のもとに動いてもらいたい」
頷くや否や返って来たのは重い声色の「依頼」だった。
納得しきれないものを噛み締めながら、しかし己の中にある苛立ち以外の合理的な理由を見いだせずに俺は俯いた。利用するだけして殺してしまえという思いは変わらない。だがそれが違法だというのなら、どちらを取るべきかは考えるまでもない事だ。
俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、陛下は俺たちを交互に見据えてから一つ頷いた。
「それではレグムント候の提案を是とし、ザムロ公によるオルクス伯の説得を認める。その結果、救われる民がどれほどいるのか……恩赦の多寡は余と宰相、そして法務大臣の間にて重々検討しようぞ」
「は、ありがたき……」
「ただし!」
達成すべき交渉内容を完璧とまではいかないものの達成できたレグムント侯爵。彼が深々と下げようとした頭を陛下の言葉が押し留める。
「ただし、重罪を犯した貴族に対する常に倣い、恩赦はオルクス伯の助命よりもまずオルクス家の安寧を優先したものとする」
貴族は個人ではなく家を重んじる。そのためにそうした慣例があるのだとか。
実際にはオルクス伯爵の責任を全て家が共有しているわけではないので、功罪ともにもっと複雑な方法で認定していくのだろうが……。
「レグムント侯爵、この条件を呑めるか」
問われた初老の紳士は口元に手を当てて数秒考える様子をみせ、それから首を縦に振った。
「我々としても、使徒を敵に回したいわけではない。本来なら望むべくもない活路を残して頂けたのだから、ザムロも納得することでしょう」
「しかと言い含めておくのだぞ?アクセラも、それでよいな」
「納得しきれるかと言われれば否……でも、手の打ちどころだとは思う」
まるで固く締めていた蓋が弾け飛んだように溢れ出ていた記憶と感情が段々と収まってくるのを感じながら、俺も深く頷いて同意を示した。
「では今後はそのつもりで、王国騎士団とレグムント、ザムロ両家の力を結集してことにあたるとしよう。アクセラ、其方には学業との両立を強いることになるが、己で関わることを強く望んで来たのだ。こなして見せるのだぞ」
「ん」
結論を取りまとめた陛下はゆったりとした動作で席を立つ。俺たちもそれぞれに椅子を下げて立ち上がり、国王の退席を見送った。
「ときにアクセラ」
部屋を去る直前、足を止めた陛下は俺の方を見る。イエロートパーズの瞳に優しさと厳しさが同居したような、言葉にしづらい輝きを湛えて。
「其方は交わした約束を違えない人物だと、そのように余は見込んでおる。我が期待を裏切ることはないな?」
「もちろん。私もこの国の民で、この国の貴族。今は少なくともそう。陛下に歯向かうことはしない。どうして?」
意図が分からず首を傾げる。
「いや、なに。其方にも見極める時間が必要だろうと思ってな。詳しくは追って伝えさせよう」
なにやら意味深なことだけを言って、陛下はそのまま会議室を出て行った。
~❖~
「アクセラ」
「侯爵」
王城の主がいなくなった大理石の部屋に、俺とレグムント候の声が冷たく響いた。
「先ほどの敵になるのか、という言葉は勘違いに終わったと思っていいんだろうな?」
その問いかけに俺は逡巡する。
「とりあえずは」
「とりあえず、か。これでも俺はできるだけ……いや、伝わらんようだな、この親心は」
「伝わったよ」
少し茶化すように言う侯爵だが、俺は彼の中に俺への配慮があることも理解している。
アベルの話と今回の提案内容、そしてオルクスに対する投げやりさから察するに、彼の派閥はもはや俺の家など消し飛んでしまっても構わないのだ。どころか、そうしてしまう方が後腐れもない。
(それをしないのはザムロが伯爵の助命を願っているからと、俺の実家を消すことに対する抵抗だ)
使徒への配慮と彼が時折口にする親戚への配慮が、どういった割合で含まれているのかは知らないが。
「でも、ザムロ公爵の感傷でオルクス伯爵が報いを受けないのは、間違っている」
きっぱりと重ねて言うと、今度は彼も反論しなかった。
腹の中では筋が通らないことを理解しているのではないか。そう問い詰めてやりたく思いつつも、俺はそれをしない。俺の胸にこの焦げ付くような感情がある様に、彼にも従うべきナニカがあるのだろうから。
「奴隷たちは、誰にも守ってもらえなかった。それなのにオルクスは権力の最高峰に庇われる。それを不公平だと糾弾することが理想論なら、これが現実なら……奴隷の守護神の使徒は、彼らの代弁者として戦う」
それは捕らわれてはいけない類の思考なのだろう。だが同時に、俺が何者であるかを考えるうえで決して忘れてもいけない思考だ。
「守られなかった者達の代弁者……なるほど、気を付けておこう。だが被害者に寄り添うことと被害者を救うことはまた別だ。忘れるなよ」
わずかに突き放すような、同時に心配するかのような、そんな言葉を残して侯爵も部屋を去っていく。
「分っている。言われずとも、よく分かっている」
誰もいなくなった冷たい場所に、今度は俺の声だけが小さく反響した。
大変長らくお待たせいたしました。
技神聖典 十三章 -瀉炎の編-、開幕です。
珍しく結末はまだ書けていない中での更新再開ですが、
クオリティ面で読者さんに不満を与えないよう頑張って参ります。
今回は散々あちこちで言っている通り、連載開始から続いてきた
オルクス伯爵家の物語に決着がつく章となっております。
しかしそれ以外にもあちこちで陰謀が渦巻いており、
果たしてどうなるのやら……最後までお付き合いいただければと思います。
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よろしくお願いいたしますm(__)m
~予告~
残りわずかとなった一年生の授業。
ベルベンスが落とした戦闘学の教鞭を拾うのは……?
次回、アクセラ先生




