十二章 第28話 アーリオーネ
創世神の使徒アーリオーネ=ロゴス=ハーディングが扉を豪快に開け放ち、私たちと使節団の会談の場へと闖入してきた。その瞬間、私は流れが変わったことを肌で感じ取った。
「……」
見れば無言を貫く外務大臣もまた同じのようで、狡猾さがにじみ出る蛇のような顔に緊張感を走らせていた。
「使徒殿、お早いお戻りで」
「ア、アーリオーネ様!パレードはどうされたのです!?」
私の挨拶とほぼ同時、ファルミア司教が腰を浮かせて叫んだ。それまで瞬間的に声を荒げることはあっても慌てる様子はあまり見せなかったというのに。
「もちろん終えてきたともさ!」
聖騎士の服装を改造したアシンメトリーで特徴的な衣装を纏う使徒は、前髪に手を梳き入れて後ろへ流した。細い金属棒を連ねたような耳飾りがシャランと音を立てる。
整った顔立ちに凛とした佇まいの美人がやると実に爽やかな仕草だ。きちんと出ることころは出た女性らしい体付きだが、浮かんでくるのは王子という言葉。ただしシネンシス殿下のような地に足の着いたそれではなく、歌劇や恋物語に描かれる偶像の王子だ。
(これはさぞ令嬢たちが黄色い声をあげるであろうな)
私はこれから連日開かれる夜会を思って苦笑いを噛み締める。
「トゥバス、君がボクのいない間にコソコソやってると聞いてね。仕方ないから飛んできたのさ」
男装の麗人はキザな笑みを浮かべて使節団長にウィンクを飛ばす。
(飛んできた……そうか、使徒アーリオーネは翼を持つのだったな)
一部の鳥系獣人のように、この使徒は空を飛ぶための大きな翼を持っている。と言っても華麗な舞台衣装のような服の背にそれらしきものはない。スキルを発動させたときだけ、光の翼が現れるのだとか。
「た、他国の王都で翼を出して飛ばれたのですかな!?」
マテオス司祭がありえない事を聞いたように叫んだ。
「し、使徒様っ、神々より賜った『使徒』の能力は神聖にして至高のものと聖典にも記されております!それをちょっとした移動手段のように使われては、神々の威信というものがですなぁ!!」
「マテオス、君は頭が固いな。その程度で陰る太陽ではないことくらい自明だろ?君は本ばかり読んでいないで、時々は空を見上げたまえよ。いつだって神々の恩寵、その証明はそこにあるのだから」
「むっ!」
顔を赤くして口を噤むマテオス司祭。聖典を重んじる「書戒の民」に本を読んでいないで空を見ろとは、派閥が違うとはいえ随分尖ったことを言う女性だ。
(しかし、その言い様……)
私が先ほど彼らに言い聞かせた、民の信仰の拠り所についての話と同じだ。もしかするとスキルを使って外から聞いていたのかもしれない。
(こんな奴ばかりだな)
半年ほど前にもザムロの馬鹿タレが御前会議を盗み聞きしていた。あの時も盗聴犯は扉を豪快にブチ開けてやってきたのだ。
壁の防音性と扉の堅牢さを今一度見直そう。私は口出しのできない教会側のやり取りを見ながらそう固く心に決めた。
「アーリオーネ様。たとえ太陽が陰ることなくとも、あまり軽率なことをされると教会を軽んじる者が現れます。自重していただきたい」
苦々しくファルミア司教が言うのを聞いて私は吹き出しそうになる。
神への信心と教会への信認は必ずしも同一ではない。それも私がつらつらと述べて彼を追い込むのに使った論だ。
(なんだ、分かっているのではないか)
自分でそれを言うという事は、最初から神々への信仰を盾にこちらの譲歩を断るという路線に無理があると自覚していたことになる。散々下手な政治家の真似と言ったが、腹の内と違うことを意外とサッパリ口にしていたわけだ。
(これは少々侮りすぎたかもしれんな)
などと思っている私をよそに、使徒は豪奢な衣装の飾りを揺らして肩を竦めた。
「トゥバス、それは本来自由であるボクたち使徒を教会の宣伝に使おうなんて思うから起きる問題だよ。そういう意味では、上手く理屈をこねて周囲を納得させるのが神官の務めだとすら言える。言い訳が仕事とは悲しいね」
「あ、貴女は神官をそのように見ていたのですか!?」
絶句するマテオス司祭だが、ファルミア司教は分かり切っていたとでも言いたげに渋面を悪化させた。
「もちろん違うけど、使徒を縛るというのはソレを求められることだよ」
「なっ」
「ボクがそれに協力する義務はないし、自分たちが善意と信心でやっているからって周りがそれに賛同し支えてくれるとは思いこまない方がいい。百回は言っていることだけど、君たちは自分たちの正しさと周囲の人間の善性を履き違えていると思うね」
「な、な、なっ……!」
突き抜けた自信と大きな態度から放たれる鋭い言葉の数々。外の人間である我々の前で繰り広げていいのかと、この私までもが少し心配になってくる勢いだ。
マテオス司祭は口を開けっ放し、聖典を胸に抱き、虚脱したように椅子の背もたれへ体を預ける。その横でファルミア司教は眉間を揉み解しながら暴言に近い苦言を受け入れていた。
「ゴルネイ、君も何か言いたいことがあるのかな?」
口を噤んだまま動かない司祭へと使徒は視線を向ける。
元聖騎士であるという武闘派のゴルネイ司祭は気が短い印象だ。これはまた言い合いになるのだろうかと観客気分で見ていると、意外なことに筋肉質な神官は首を横へ振った。
「ございませぬ。使徒の御心のままに」
極めて従順な態度。信仰をベースとした身分観で言うなら使徒が限りなく上位者であるからに違いない。
ただその無抵抗にすら彼女は不満があるようで、目を細めて巌のような男を見降ろした。
「はぁ……ゴルネイ、君はこの二人の仲間だろう?それならボクに一言くらい苦言を呈しておかないとあちらのお歴々に一枚岩ではないと思われてしまうよ。真面目なのは美徳だが、どう見えるかを少しは考えた方がいいね」
「う、ぐ……精進いたします」
なんとまあ、反論しなかったゴルネイにまで言葉をザクザク突き立てていくではないか。意外な展開に私も大臣たちも、使徒の性格を測りかねて閉口してしまう。
しかし彼女はこちらに煌めくオレンジの目を向ける。
(……嫌な目だ)
しがらみの少ない人間の目をしている。彼女は自分で言った通り、本質的に自由な存在なのだろう。人間に縛られることなく、どこであろうと自分を自分として貫けるタイプだ。
(こういう人間は扱いが難しい。懐柔しづらく、脅迫はもっとしづらいからな)
私が警戒をぐっと引き上げる中、アーリオーネはニコッと微笑んだ。義娘より若い女性の笑顔を見て、私の背を冷たいものが駆け下りていった。
「やあやあ、宰相閣下。貴方がたの会話は廊下の端あたりから聞かせてもらったよ。教会の人間が随分と困らせたようで、申し訳ないと思ってる」
使徒は芝居の役者がそうするように、仰々しい仕草で頭を下げた。
「「「「「!」」」」」
神直属の部下ともいえる存在があっさりと首を垂れるものだから、私も大臣たちも息を飲んで言葉に詰まってしまう。財務大臣などは露骨に怯えを見せている。
「……それで、使徒殿。謝罪はお受けするとして、我々の提示した三つの要求は呑んでいただけるのだろうか?内容は……」
どこから聞いていたのか分からないし、何より盗み聞きを聞いていたウチに入れるわけにはいかない。私は簡潔に三つの要求を宣言しなおした。
(この女性と長話をするのは危険だ)
私の政治家としての勘がそう告げる。
彼女は我々とも教会とも違う価値観で動いている気配がある。
「そう結論を急がないでもいいじゃないか、と言いたいところだけど貴方がたは忙しい身だろうね。ではここは使徒としての権限においてササっと決めてしまおう」
「……それは助かりますな」
「なっ、アーリオーネ様!」
こちらが踏み込んだ以上の速度で本題が動く。そのことに違和感と気味の悪さを覚えつつ、私は手を組んで少し前のめりになった。
ファルミア司教がすっかり余裕を失って慌てた声を出すが、使徒は人好きのする笑みを浮かべるばかりだ。
「アーリオーネ様!いくら使徒でもそのような……っ」
「権限ならあるだろう?」
司教が食い下がる気配を見せた途端、彼女はぐるっと体を私から青年の方へ向ける。そしてそれまで見せていた芝居っけのある凛々しい表情から一転、飼い主を困らせる猫のような顔を見せた。
「なあ、トビー、僕に任せておくれよ」
「そ、その呼び方は止めろ!」
おそらくトゥバルを崩して呼んだのであろう。それを言われた途端に司教は丁寧な口調を失って吼える。
(なるほど)
二人の関係を薄っすらと察し、こんな状況だが私は内心で生暖かい笑みを浮かべる。
(宮廷ロマンスは王宮の華だ。私もそれなりに理解はあるが……他所でやってほしいものだな)
そんな私の穏やかで呆れの混じった気配を察したのか、使徒は顔だけこちらに向けて口角を吊り上げた。
「ああ、失礼。ボクと彼はいわゆる幼馴染でね。今回も外交慣れしているボクが補佐としてつけられたようなモノなのさ」
使徒アーリオーネのほっそりとした指が伸びて、赤いマニキュアに彩られた先がファルミア司教の頬に刺さる。
「とはいえこうして爪弾きにされてしまったけど」
「爪弾きなど……っ」
「大司教を除け者にしたことも、こちらで謝っておくので気にしないでほしい。彼らの対応は使節団の、ひいては教会の総意ではないからね。もちろん、それなりに手間を取らせた詫びは後日させてもらう」
「こ、こちらの事情をべらべらと話すのは止めていただきたいのですが!!」
つらつらと聞いてもいないのに返ってくる言葉の数々。
司教はもはやしばらく前の、歯噛みをしながらもなんとか自分の目的を達成させようとしていた、経験の浅い鋭才の気配はない。
「バレバレだよ。というかむしろそこを利用されて追い込まれているとしか見えないよ?そうだろう、宰相閣下」
「さて、私には分かりかねますな」
目を閉じて首を振る私に彼女はもう一度肩を竦めてみせた。
むき出しの肌に描かれた深紅の紋章が、照明魔道具の光を押し返して輝いた。
「まあいいさ。そういうわけで、ここからは悪いけどボクが仕切らせてもらう」
「結構ですが、詫びよりも何よりも我々としては、本題での成果が上がる方が百倍喜ばしいですな」
「それもそうか。で、宰相閣下、三つの要求だったね。順番に行こう」
十枚の深紅のネイルを備えた白い手がパンと音を立てて合わされる。
彼女はそこが特等席とばかりに、ファルミア司教の椅子の背に腕を乗せて姿勢を崩した。肘置きに腰かける様は公的な会談では失礼もいいところだが、華やかな美人がすると絵にはなる。
「一つ目の要求だけど、枢機卿の謝罪は難しいと思うね」
そんな姿勢のまますげなく我々の要求を断る使徒。しかしこちらが何かを言う前に彼女は言葉を続けた。
「勘違いしないでほしい、ボクも筋としては謝るべきだと思う」
「……ほう?」
「実はだね」
アーリオーネ曰く、創世教会の総本山でも今回の対応の責任については議論がなされているのだという。そして三つある大派閥のうち、責任はないと主張しているのは「書戒の民」だけらしい。
「ただクローサス枢機卿も一切の慰問や援助を断るなんてつもりはないのさ。だからこそ責任を認めようっていうボクを同行させたわけだしね」
クローサス枢機卿は「書戒の民」の重鎮であり、ファルミア司教の育て親である。どうやら私の当初の読み通り、枢機卿の親心は司教に伝わっていなかったようだ。
「ボクの主義は内に厳しく外には甘くだからね、本当に今回のことは枢機卿クラスが頭を下げに来るべきだと思うよ。それこそ教会の取るべきスタンスだ」
しかし、と彼女は続ける。
「現実問題、枢機卿が頭を下げるにはマテオスとゴルネイが言ったように神の代理人がどうこうみたいな宗教論争を内部でゴリゴリやる必要がある」
「それは少々ならず厄介ですな」
使徒の所属する「聖跡の代行者」は神官一人一人が神の代理人を標榜しているが、「書戒の民」は聖王と枢機卿だけを代理人として捉えている。教会の中でも神の代理人が頭を下げる、という言葉の解釈に相当な違いがある。
その説明に私は納得顔で頷いておいた。もちろん最初から知っている。その上で吹っ掛けているのだ。
「そうだね……最速で二年後くらいになるけど、そこまでやってしまうと俗世からすれば有耶無耶にしたようにしか見えないだろう?」
「二年!?」
「そ、そこまでかかるか……?」
大臣たちがざわつく。私にしてもそれは想像よりはるかに長い時間だった。
だが使徒に冗談や誤魔化しを言っている様子はない。
「……ではどうして頂けると?」
自分が言い出したのだから代案があるのだろう、と言外に尋ねる。
「さっき見てもらったようにボクはフットワークが軽い。使徒だから民衆からのウケもいいし、教会の顔っぽくも見える。そういうわけで一般への謝罪はボクがしよう」
絶対的な自信を伺わせながら、彼女は胸元に手を当てて澄まし顔をしてみせた。
「名目だけの謝罪に聞こえますな?」
「そんなことはないさ」
ねっとりと問う外務大臣に使徒は透明感のある笑みのまま首を振ってみせる。
「国家に対してはしかるべき教会組織の上の方から文書での謝罪を行う。でも早急に民を納得させる必要があるだろう?ボクはいい道具だと思うよ」
「つまり……一つ目の要求は二つに分けて執行すると」
国家の体面に対する配慮としての文書の謝罪と、民心を安んじるためのパフォーマンスとしての謝罪。これを分けるというのは合理的な提案だ。ただ合理性を重んじるあまり、もう一つ重要な物が抜けている。そう私は感じた。
「申し出はありがたいが」
「待ってくれ、まだある。二つじゃなくて三つなのさ」
「ほう」
長引かせたくはないが交渉はもう一度引っ張らせてもらおう。そう考えた矢先、使徒は手を上げて私の発言を遮った。
「今回の訪問が終わるまでに慰霊の儀式をボクが行う。それでどうだろうか?」
「!」
私を含め、こちら側の五人全員の目つきが変わった。
それを理解したのだろう。すっかり大人しくなった使節の三人は気圧されたように身を引いた。
「使徒としてのスキルを使って、という理解でよろしいか」
「もちろん。鎮魂と浄化はボクの得意分野だ。しっかりと誠心誠意、励ませてもらう」
神官の大きな勤めの一つに弔いの儀式がある。それは大きな戦争や災害で大勢の犠牲者が出たとき、節目の日を定めて死者を鎮め、大地を清める重要な儀式だ。
通常でも管区長が務め、国家的な事態になれば大司教と複数の管区長が合同で行う。それを創世神の使徒が執り行うというのは、最大級の弔慰といえた。
私は左右の大臣たちと視線を交わす。彼らが頷くのを見て、自分も大きく頷いた。
「よろしい。それであれば否と言う余地はありますまい」
日程はまた後日、マルリーン大司教も交えて決めることに決まった。
最初のやり取りが何だったのかという程の即決だ。
「さて、二つ目、三つ目だね」
話題を次に進める使徒。彼女はその美貌をわずかに歪めた。
「……ちょっと難しいね。賠償まで行くと、言い方は悪いけれど、悪しき前例となりかねない。教会は色々な事を監視して、色々な情報を握っているからね。全てに責任を取って毎回賠償をしていては活動資金が尽きてしまうしよ」
それは宗教的なスタンスではなく、極めて現実的な金銭の問題だった。
「なるほど。確かに一理ありますな。財務大臣、意見はあるかね」
「ひぇ」
話題を振れば大臣は小さく悲鳴を上げた。
「そ、そうですな、名目を賠償金から弔慰金にしても、対外的な印象は変わりますまい……さきほど使徒様が仰られた支援という形で、物品を頂くというのはどうでしょう」
期待したほど鋭い回答は来なかった。
財務大臣は小心者だが金の亡者だ。それも自分の懐の金ではなく国庫の金を回し、増やすことが好きという奇特な男。予算と経済のためには強面の騎士団にも真っ向から物を言う変わり者だ。
(が、金貨が絡まぬとどうも冴えない……)
物品による支援というアイデアは悪くないが、黄金色をしていないからか頭の回転はそこまで早く行っていないらしい。
「物品か……トゥバル、君はどう思う?」
使徒に話を振られた司教は、鋭い青い目を伏せて数秒思考する。それから目を上げ、言葉を紡いだ。
「換金できるものは望ましくありませんね。ユーレントハイムには隣国が少ない。外貨を所有する有利もあまりないし、適正な相場もない。となれば……食料しかないかと。たしか今、貴国では食料価格の高騰が発生しているはずです」
「そ、その通りだ。反乱の影響で国内に難民が発生し、食料価格に影響を及ぼしている」
青い目に見つめられて内務大臣が頷く。
先ほどまでの青二才、あるいは振り回される若者といった気配はどこにもない。
(なるほど、内政でのし上がったというだけはある)
「ただ……教会にもガイラテインにもそのような食糧はありません」
「ああ、何せ寒いからね」
聞いていた使徒がお手上げとばかりに笑った。
総本山のあるガイラテイン聖王国は我が国の北方、ティロン王国よりさらに北だ。聖なる咢と呼ばれる峻険な山に囲まれ、年中雪が降り続ける。極北の要塞国家。そのように形容される通り、畑はほぼないと言っても過言ではない。
「ちなみに三つ目に難色を示されたの内政干渉になるから、ですな?」
「その通りさ、宰相閣下。僕たちは紛争中でない限り、国と国の関係に口を出さない」
頷くアーリオーネ。一つ目の要求のときと違って、自分にできることはないと理解しているのだろう。一転して話題に積極関与する様子を見せない。
「逆に三つ目の要求の意味を聞いてもよろしいですか?」
代わりに人が変わったような冷静さで質問をしてくるのがファルミア司教だ。
「外務大臣」
「承知いたしました。司教殿、彼の国は平素より我々の北部国境にちょっかいをかけてきておりましてな。トワリの反乱以前からのことであり、以降も激しさを増しております。厚顔無恥なことに」
ただでさえ細い目をさらに細めて外務大臣は語る。
「今、北方は異端者の反乱で大いに傷ついております。外から見れば取り崩す好機なのでしょうな……そういうわけで、憂いは断っておきたい」
「異端者による被害地を脅かすなどと、そのような愚を犯すものですか?」
マテオス司祭が不快気に訊ねれば、外務大臣は陰気な顔に嘲笑を浮かべて見せた。
「あの国はこれまでの長きに渡る権力闘争で心が荒んでいるのです。そして最近、外へ責め出る形で国内をまとめたフシがある。善良なる神官の皆様には分からぬことでしょうが、これは俗世の感覚で警戒して十分な状況でありましょう」
「外務大臣」
「失敬」
些か露骨な嫌味を吐く部下を窘める。しかし内容としては彼の言う通りだ。
「ふむ……」
「……それについては、オレもそのように思う」
「ゴルネイ司祭?」
納得のいかなそうなマテオス司祭だが、意外なところから賛意が上がった。ゴルネイ司祭が浮かない顔で頷いたのだ。
「聖騎士団に在籍していた頃、オレの部隊はティロン王国での任務に赴いていた。大勢の貴族に歓待を受け、なお大勢の騎士と轡を並べたが……これほど俗世の権力者とは醜いものかと呆れたものだ」
(おい、ティロンの馬鹿共よ。この男の偏向した身分観は貴様らのせいではないのか?)
ポツポツと語る元聖騎士の言葉に私は思わず顔をしかめた。だとすれば、なんとまあ我々の邪魔ばかりしてくれる隣人だろうか。
「なるほど……」
外務大臣とゴルネイ司祭の言葉を聞いていたファルミア司教が、数度頷いて再び口を開いた。その目には先ほどよりさらにハッキリとした思考が宿っている。
「道筋が見えました。ティロン王国から教会が穀物を買い付けましょう。それを貴国への食糧支援に当てます」
「ほぅ、ほぅほぅほぅ。面白いことを」
「……そう来たか」
彼の出した答えに外務大臣が珍しく嘲りの色を消して笑った。
私も青年の意図を察して唸る。
「どういうことかな?」
分からない様子の面々を代表して使徒アーリオーネが問う。
「ユーレントハイムの穀物価格が上がれば、関係性からティロンは凄まじい高値で売りつけようとするでしょう」
「暴利を貪ろうと言うことか?下衆な……」
吐き捨てるゴルネイ司祭にファルミア司教は首を振った。
「いいえ、既存の輸入分が値上がりするとなれば国内の価格はさらに跳ね上がります。食糧難を加速させることが目的でしょう」
「その通り、まさに我々が危惧しているシナリオだ。言い当てるとは、司教殿もやるではありませぬか」
外務大臣がにんまり笑う。
「へえ、ユーレントハイムではそれを睨んでいたってことか」
「そういうことです、使徒殿!難民問題と食料問題がそのレベルに達すれば、上手くいっていない領地は荒れる……反乱の可能性すら出てくることでしょう」
「そこまでいけばティロン王国が困窮した北方貴族の助力願いを受けて、という形で越境してくる可能性は高い」
「な、なんと……」
使徒の言葉に頷く内務大臣。彼の言葉を受け継いで淡々と予測を述べる法務大臣。二人の言葉にマテオス司祭とゴルネイ司祭は絶句した様子だ。
異端者の起こした被害を利用して紛争を有利に進めるという発想は、神官である彼らには抱きにくい物なのだろう。私たちなど、真っ先に思いつくのだが。
「なのでティロンから我々が適正な値段で穀物を買い上げ、貴国への食糧支援に当てます。教会に無理な値段で売りつけはしないでしょう」
「ははあ、なるほどね。ティロンの小麦を買って、ボクたちが人道支援をする。たしかにその対象へ表立った干渉はしにくくなるね。いいアイデアだと思うよ。宰相閣下は、どうかな?」
いっそ生き生きした様子で語るファルミア司祭。そしてどこか自慢げに彼の案を推す使徒アーリオーネ。
正直、私はティロンが教会相手に値を吹っ掛けないほど常識的だとは思わない。ただ彼らの目と鼻の先で国境を越えてくるほど盲目でもないと思っている。
(ふむ)
一通りの可能性を頭の中で巡らせ、大臣たちに視線を向ける。帰ってくるのは首肯。特に外務大臣と内務大臣は司教の見せた変化が気に入ったのか、強めに頷いている。
「……よろしい。ファルミア司教の提案を受け入れよう。ただし奴らは想像を絶して愚かなことをしでかす国だ。その点は気を付けていただきたい」
そのような結論を以て、最初の会談は終わりを告げた。
~★~
ユーレントハイム王国の宮殿、国賓に割り当てられる迎賓館の廊下を一組の男女が歩いていた。一人は何か考え込んでいる様子のファルミア司祭。もう一人は麗々しい雰囲気を失うことなく僅かに稚気を見せる使徒アーリオーネだ。
「トビー」
「アーリオーネ様、その呼び方は……」
子供のころからの愛称で呼ぶ使徒に司教は思索から意識を引き上げ、苦い顔で文句を言おうとする。
しかしそれよりも早く彼女の真っ赤な爪が青年の頬を突いた。
「トービーイー?」
「分かった、分かったって……リオ」
グリグリと捻じ込まれる爪。綺麗にカットされ、やすりが掛かり、その上からネイルを塗られているので痛くはない。けれどそこに込められた抗議の意思にファルミア司教は……トゥバルは音を上げ、幼馴染の愛称を口にした。
「最初からそう呼んでおくれよ」
少し拗ねたような口調で彼女は言う。
「二人きりの時だけだろ?さっきの会談で呼ばれたときは、バレるんじゃないかって」
「宰相閣下に?あれはバラしたのさ」
「なんだって……?」
溜息混じりだったトゥバルの声が凍り付く。足も止まった。
「トビー、君は本当に内政というか……資源、食料、兵数なんかの数字が絡むと天才的なのに、どうして人の機微にそう疎いのかな?」
「わ、悪かったな。そんなことより、バラしたってどういうことだよ」
口調が荒くなると途端に幼さが見え隠れする司教に使徒は微笑む。
「あの手の御仁は、こちらも人間らしさを見せた方が容赦してくれるのさ。だからボクたちの関係を悟らせた。ついでに彼の懸案もさっさと頷いて、険悪ムードを解消したわけだよ」
アーリオーネは赤い指先を伸ばして青年の前髪を摘まみ、セットされたそれを房ごとに解き崩し始める。
「あ、それより悪かったね、さっきは。皆の面前で叱る様な真似をして」
「髪を弄るなって……さっきのことは、まあいいよ。教会に厳しいのはリオの信仰の在り方だ」
「そう言ってもらえると気が楽だよ。実際、ボクを追い出して会談に臨んだのはどうかと思うしね」
抵抗虚しく前髪を全て下ろされたトゥバル。
アーリオーネの指はお構いなしにサイドやトップの髪にまで伸びる。彼女は整髪剤で硬くなった髪の毛が嫌いなのだ。
「……仕方ないだろう。リオが居たら俺がメインで動けなくなる」
「そんなことないさ。言っただろ、経験値の差を考慮した補佐役だって。それに今回はボクが顔を出さなきゃ拙かったんだぞ、君さ」
「……」
彼は肩を落として傍若無人な使徒の攻撃を受け入れた。
「この国は王も貴族もわりと善良で、しかも民をちゃんと愛している。宰相が怒っていたのは利益の問題じゃなくて、君が犠牲者を弔うより教会を守ることを優先したからさ」
「……そうだったのか」
「そういうこと。だからもう少し人を見ろっていうわけさ」
苦言を呈しつつ、彼女は軽くつま先立ちになって最後の髪の房を分解し終える。
背の高い男装の麗人だが、さすがに司教の方が頭半分弱ほど高い。
トンと踵を床に下したアーリオーネはすっかり情けない髪形になった自分の男を見て満足そうに頷いた。
「まあ、反省は後々してもらうとして……ちょっとこの後部屋に行ってもいいかい?」
「アーリオーネ、そう言うコトを廊下で言うんじゃない!」
さっと廊下の左右を見るトゥバル。幸い誰もいないが、ここはあくまで他国の王城。どこに耳があるか分からない。そう考えると司教の心臓は凍りそうになる。
「あはは、そういう意味じゃないよ。可愛い奴だな」
使徒はそんな司教に、恋人に、ころころと意地の悪さを混ぜた笑みを向ける。
それから夕焼け色の目で彼を見つめながら、声をぐっと潜めた。
「未確認の使徒の件でさ」
「!」
トゥバルの顔に真剣な色が宿った。
「パレードの時にね、神の匂いがする子たちがいたんだ。その筋で探りを入れようかと思うんだけど、打ち合わせをしておきたいだろ?」
「な、なるほど。わかった」
頷く青年を指で招いて軽く屈ませ、耳に唇を寄せて、アーリオーネはもっと抑えた声を出す。
「もちろん早く終わったら、このボクを好きにする権利をあげよう」
「ばっ、そ、外でそういうことを言うな!」
弾けた爆竹のように跳ねて下がるトゥバル。その真っ赤な顔を見てアーリオーネは得心が行ったように大きく頷いて、それからくるりと踵を返した。
「では、とりあえず着替えてくるよ」
「ぐ……揶揄いやがって!」
まるで意識した様子のない、飄々とした態度の彼女。
その背中に少年のような捨て台詞を投げ、司教も自室へ引き上げるのだった。
さて、この章も残すところ3話となりました。
恐ろしいことに現在、まだ次の章が書き上がっていません。
進捗で言うとまさかの60%ちょっとです。
必死に書いているんですが、物語のヤマに差し掛かることもあり難航中。
一応、毎回恒例の章末休暇は以下の予定です。
伸びる可能性も大いにあります、本当に申し訳ない。
↓一応予定↓
6月24日(土)十二章最終更新
~章末休暇~
8月5日(土)十三章第1話
※たぶん恒例の間章を特別連続更新で!とかは無理ですゴメンナサイ
~予告~
一人の男へと変わりつつある少年。
その双肩に伸し掛かるのは国という大きな現実。
次回、王太子ネンス




