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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十二章 光陰の編
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十二章 第27話 使節団と宰相

「宰相閣下、そろそろお時間です」

「ああ、すぐに行く」


 政務官の呼びかけに私、ユーレントハイム王国宰相でありリデンジャー公爵でもあるバハルは頷いた。

 王都がパレードに賑わう裏で、今日は創世教会総本山からの使節と最初の会談が行われる。これから向かうのが正にその議場であった。


(こちらからの参加は内務、外務、法務、財務の四大臣……外務大臣の苛立ちと財務大臣の小心が懸念だが、彼らも職歴の長い政治家だ、上手くやってくれると信じよう)


 最後に手元の書類をざっと見る。それは使節のメンバーについて纏めた調査報告書であった。


(あちらの参加者はマテオス司祭、ゴルネイ司祭、そして使節団長のファルミア司教だったか……偏った人員で臨んだものだ)


 マテオス司祭は経典の解読とその解釈を行う部署に所属する、典型的な聖典至上主義者だ。頭が固く、信仰と陶酔が強い。しかし理屈を扱う人間である以上、論破されると弱い傾向にあるらしい。ダブルスタンダードを平然と使いこなす政治家連中に比べれば、実に神官らしくて真っ直ぐな人物だと言えた。

 ゴルネイ司祭は聖騎士の出身。どういう理由で神官に転向したのかは調べられなかったが、真面目で腕もいいとの評判だ。ただし理論的な思考には明るくなく、また宗教的身分への拘りが強い。神により近い自分たちの方が俗世の権力より上だと考えているフシがある。この辺りは神の刃たる聖騎士での経験が影響しているのかもしれない。


(クセが強く面倒な性格ではあるが、両者ともに善良で高潔という話だった。我々とは噛み合わせが悪かろう)


 そしてファルミア司教、使節団を束ねる若き鋭才。彼の両親は共に「書戒の民」の神官だが早くに亡くなっており、後見人である派閥トップの枢機卿に目をかけられて育ったらしい。幼いころから勉学と信仰に励み、持ち前の利発さと気の強さを以て内政で実績を積み上げ、この若さで司教までのし上がったようだ。一方で外交や折衝の経験は乏しく、代表を務めるのもこれが初めてのこと。


(しかし内政畑の人間か)


 内務と外務はコインの裏と表だとよく言われる。それは切っても切り離せない関係であると同時に、決してお互いの見ている景色を共有できないからでもある。

 もちろん大臣のように頂点から俯瞰しだすと変わるのだが、現場の人間にとって相手は自分たちの苦労を何もわからずに無理難題をこさえてくる厄介な相手という風に見えてしまいがちだ。


(この若い司祭が初めての外務でコケないように、他人ながら祈っておくとしようか)


 老婆心で私はそう思いながら、すでにそれが無理なことであると察していた。

 なにせ使節団はそれなりの人数だったが、今日の会談にはこの三人しか参加しないと聞いている。橋渡しを務めるべき我が国の教会代表たるマルリーン大司教は留守の日であり、肝心の使徒などパレードの真っ最中。明らかにこの状況を狙ってスケジュールを入れてきているのだ。


(今日の会談は、荒れるだろうな)


 全ての背後にある青臭い空回りをすでに察し、年甲斐もなく脂の強い肉を食べたような、そんな感覚を覚えた。

 胃のあたりを軽くさすりながら、壁の時計を見てから私は執務室を後にするのだった。


 ~★~


「以上が創世教会より開示いたします情報でございます」


 マテオス司祭が朗々と、まるでお気に入りの神話の高説でも垂れるような調子で語り終えたとき、私は自分の悪い予想が大当たりしたことを理解して眉間を揉んだ。


(半神半人の率いる異経典信者(セクト)、神話レベルの諍い……非常に濃いが、今更な上に使えない情報ばかりではないか)


 落胆と共に細く息を吐く。

 衝撃的な情報の数々。しかしどれもこれもが「今更聞かせていただいてもな」と呆れるほかない内容だった。

 悪神と契約したり悪魔を使役できたりするホンモノは神塞結界に弾かれ、それ以外の一般構成員は素通りできてしまう。それは邪教徒の常であり、「昏き太陽」も他の連中も同じこと。神々の目に見えるからどうかなど我々為政者にとってはどうだっていい話だ。分かったからと言ってそこに対策も打ちようがない。


「ま、まあ、民には聞かせられぬ話でありましたね。その、不安を煽ると言う意味では」


 小心者の財務大臣が相手の言い分を汲んでそう言った。

 今の話、たしかに民にとっては聞こえ方が変わるものであったろう。創世神の直臣であり戦武神から逃げ延びた邪悪な半神半人、その加護を得た邪教徒が結界を超えて入っているかもしれない……目につきやすい情報だけを並べるとさも危険な存在に聞こえる。これを前に冷静でいられるだろうか。


「だがそれは平民の話。我々為政者にまで隠していたのは判断ミスもいいところでしたな!」

「止されよ、彼らには王侯貴族と商人農民の区別はつきませぬからな」


 内務大臣が語気を荒げ、外務大臣が薄い笑みで嫌味を口にする。


(全くその通りだ、戯けめ)


 私は内心で外務大臣に同意する一方で、それが仕方のないことだと言うことも分かっていた。

 なにせ教会総本山の人間は俗世と切り離され過ぎている。彼らは清廉で義務感が強く、悪徳と不信心を嫌い、ある意味で最も純粋な善意の人だ。それゆえに何事も神と人という関係性を大前提に置く。

 まさに外務大臣の言うように、王も貴族も民なのだと思っているフシがあるのだ。民に伝えないことと為政者に伝えないことが平気でイコールになっている可能性が、冗談抜きで非常に高かった。


(これだから神官は)


 私は内心で辟易としながら、長身の司祭から若き司教へと視線を移す。

 トゥバル=ロゴス=ファルミアは黒い癖毛にアクアマリンのような瞳を持つなかなかの美青年だ。しかし今挙げた教会の人間の特徴に反してやや攻撃的と言うか、身構えたような表情をしている。


(やはり履き違えているようだな……)


 再度心の中でため息を吐く。

 それでも大臣たちの反応に声を荒げて反論しないあたり、内務限定とはいえ交渉の経験を確かに感じさせる。若くとも司教の地位は伊達ではないのだろう。


「さて、皆様方。状況についてはご理解いただけたものと思います」


 ファルミア司教は最後まで大臣たちを無視し抜いて、私から目を反らさぬまま平然とそう言ってのけた。これには四大臣も眉を動かす。


「これを踏まえて、今後の「昏き太陽」に対する教会と王国での協力関係を」

「待ちたまえ」


 粛々と進めるような口振りの青年を、しかし私は止めた。


「……なんでしょうか」


 やはり私だけを交渉相手と絞ってきている。司教の声に含まれるわずかなニュアンス、焦りと落胆を嗅ぎ取って私はそう判断した。


「情報提供をしてそれでお仕舞とでも言いたげだが、そう簡単に先へ進んでもらっては困る。貴公も分かっているのだろう、ファルミア司教」

「分かりかねますが?」


 司教はあくまで惚けようとする。交渉の基本だが、下手くそな政治家の真似にも見える。そのあたりが彼の内政担当者としての鋭さと、外交担当者としての素人手腕の境目なのだろう。

 そのアンバランスさに私はもどかしさを覚える。肩甲骨あたりの手が届かない場所が痒いような、そういう感覚だ。


「貴公らの言い分は分かった。それについては私も同じ判断をするだろう。ゆえに我が国はその件を過度に追及することはするまい」


 為政者と民を混同していることについてはこの若者に言っても仕方のないこと。そちらについては書状にて後程したため、彼に持たせて枢機卿のところまで運んで頂くとしよう。


「それは、ご理解頂けたようで我々としても」

「しかしだ」

「……」


 止められた上で賛同されるとは思っていなかったようで、困惑気味に応じようとした司教。私は彼を再度遮り、細く枯れた指を一本立てて見せる。


「しかしだ、司教。それは最初の事件について、つまり初めて国内で悪魔の短剣が発見された瞬間までのこと」

「……そこから先は事情が違う、と?」

「その通り」


 むしろ違うと思っていない者がいるだろうか。そう私は問うてやりたかったが、少なくとも彼の左右に座る司祭は思っていなさそうだ。となれば嫌味に過ぎるので口を噤むほかない。


「ギルド経由で反乱に前後して入って来た情報なのだが、ロンドハイム帝国でも結界内に悪魔が突如発生するという事件があったそうだな。数千年の鉄壁を誇って来た神塞結界が抜かれた大事件……当然教会も把握していることと思うが」

「……ええ、聞き及んでおります」


 司教の声が一段低くなる。


「しかし不確かな情報でしたので、混乱を招くと思い伏せておりました」

「であろうな」


 これについては、おそらく現地での状況確認があまりできなかったのだろう。距離があるからか、協力を拒まれたのか、そこは分からないが。

 中途半端な情報開示は無用な民の混乱を招くとして秘匿した。理解できる判断だ。理解はできるが、倫理的にも情報提供を巡る国際条約的にもにかなりのグレーゾーンであり、かつ我々国家を無力と侮った選択であることは明白であった。


「内務大臣、当時の捜査方針について説明を」

「はっ!当時我々は想定される素材の希少性と過去に類を見ない性質であったことから、例の忌まわしい呪物が単品一点モノの魔道具だと考えていたため、捜査は再発を念頭に置いたものではありませんでした」


 私の指示のもと、内務大臣が用意していた資料を基にハキハキと情報を並べ始める。動員人数やバックアップ体制、情報統制、情報収集、容疑者などについてだ。


「方針だけに視点を戻すのであれば、送り込まれた場所が王都中枢ではなく学院だったことから、邪教や異端者による攻撃ではなく呪物を入手した個人の犯行という線で捜査を進めていたことになります。以上です!」


 そう締めくくった彼に私は一つ頷く。


「よろしい。では外務大臣、この件の他国への通達はどうなっていた」

「外務省としましては内務省での単品呪物、個人犯行という予測を受けて対応を行っておりました。そのため諸外国への通達などは行わず、王都の創世教会を通じて各教会へ可能な限り詳細な情報共有を行った……といったところですな」


 もう一つ頷く。


「その連絡が総本山へと届いているかの確認は?」

「もちろん創世教会側との会合にて確認済みです」


 つまり総本山ではロンドハイムの事件を把握しており、我々からの報告も受け取っていたということになる。


「神塞結界を素通りした悪魔という特徴的過ぎる情報を二件も把握していて、教会側から調査協力の打診などは頂いていない。この時点で類似性に着目し、両国へ正式な協力を要請していれば……「昏き太陽」の介在あるいはそのヒントとなる何かが発見できたのではないか。我々はそう疑っている」

「い、いくら何でも結果からの逆算が過ぎます」


 若き司教の声がわずかに震えた。ほかの使節の表情も険悪なものになる。


「ロンドハイムの事件については、確かに詳細な調査を行えませんでした。しかしそれはあちらの国教、戦滅神ゲアルゲイン様の神殿に拒否されたためです」


 第二代皇帝にして類まれなる戦術構築で戦論神バリアノス旗下の上神になった、技術神エクセルの前の昇神者。その苛烈な統一主義は緩やかな連帯を旨とする創世教と相性が悪いが、悪魔関連の事件を正面から突っぱねるほどだとは思っていなかった。


「それに貴国の事件に関しては王都の教会が動くことで対応したと記憶しています。我々の到着は言われるように少々遅かったかもしれない。しかし急いだとして秋に間に合ったとは思えません」


 しかし私はため息交じりに首を振った。


「確かにそうかもしれぬな。だが小さな懸念であろうと、ハズレかもしれない情報であろうと、手紙一つ飛ばしてくれていたなら……少なくとも一点モノの呪物による一回限りの犯行でないことは分かったのではないか」

「それは……」


 彼らの言い分に理があることは認める。しかし我々は我々の理でそれを押し包み、押し切る。


「確定情報である必要はどこにもないのだ。例えば……我が国とロンドハイムは非常に遠い。ジントハイムか貴国、あるいは彼の不可侵迷宮たる魔の森を越えなくてはいけない。それほど広い範囲で活動を行っているとなると個人ではあり得ぬ。この時点で捜査方針が覆る」


 もっと言うと、その三つのルートはどれもただの邪教に利用できるものではない。ジントハイムは厳しい鎖国体制を敷いているし、聖王国の公的ルートを通るなどもってのほか。そして魔の森は超越者にとっても難関と言われる難易度だ。

 つまり、移動の難易度を加味すれば単純な距離以上に広範囲の影響力を持つ組織と言えた。下野だけを移動させて問題のない基盤が各国にあるか、欺く手段があるか、魔の森を突破する戦力があるか。


「その上、極めて特殊な呪物を複数用意できる邪教だ。教会で把握しているそうした組織はいくつあるのだね。百か、千か……いやいや、そのような数になるはずもない。そうでなくては神塞結界が絶対だという幻想、誰も抱かぬからな」


 まさしく辟易としている。そんな態度で言うと、先ほどの背の高い司祭が目を見開いて椅子から立ち上がった。


「失敬なっ、神塞結界の優位性は聖典により保障されたものであります!加えて有史以来我々を守り続けてきた実績もある、これは幻想などではありませんぞ!」

「マテオス司祭だったな。幻想は言い過ぎた、取り消そう。しかし絶対不可侵でないことは認めていただかなくてはいけない」

「そ、それは、その……」


 あっさり引き下がったことで彼は勢いをどこへやっていいのか分からなくなったようで、所在なく尻を落ち着けた。


「ふん、極めて特殊な例外だ!」


 ファルミア司教の反対隣りに座っている巌のような司祭、ゴルネイが吐き捨てる。


「ほう」

「ぐぬっ……!?」


 私はそちらに数倍の力を込めて視線を飛ばした。『公爵』と『宰相』の威圧を正面からぶつけられ、いかにも強面な男は椅子の上で仰け反る。


「ただ一つの例外も許されぬのが、生存圏の要たる神塞結界であろう。失われるのはそれこそ貴公らが散々引き合いに出した民の命だ……軽々なことを言ってくれるな」

「……部下が失礼いたしました、宰相閣下」


 素早くファルミア司教が頭を下げた。

 判断の速さは評価に値するが、左右の手綱を握れているのかどうか。意図的に二人をある程度暴走しうる状態で置いているのだとすれば、それはそれで面白い考えだと言えた。


「さて、話を戻そう。つまり一つ目の事件のあとの対応が遅れたこと、そして二度目の事件まで何一つ情報提供がなかったこと。この二つは明確に貴公ら創世教会総本山での対応の誤りある。そのように我々は考えている」


 そもそも世界中の出来事からヒントを拾い、この状況を予測して対処するのが教会の仕事である。

 もちろんそれは並大抵の難事ではない。世界は広く、情報の伝達速度には限度がある。人をやるにも時間と金と護衛などへのツテが必要だし、調査そのものにもまた時間がかかる。

 だが彼らが神に人類の守護を一任されている銀の盾だと言うのなら、分かりませんでした、できませんでしたでは済まないのだ。それは戦争において敵の作戦を予測する参謀たちにも通じる、緊迫感のある使命なのだから。


「これによって我が国は実を結ばない捜査と悪魔の短剣に纏わる反乱という被害を被ったのだ。分かるかね?」

「反乱の責まで我々に被せられるつもりか!?」


 私の言葉にゴルネイ司祭が机を叩く。今度はファルミア司教も止めずに目を細めている。私はそれに対して首を横に振って否を示した。


「そのような厚顔無恥を曝すつもりはない。反乱そのものは我が国の不徳だ。しかし、それゆえに我ら自身の兵を以てこれを討ち、断罪し、戦後処理にも努めている」


 どう足掻いてみても、我々の把握している限りではトワリこそが主犯。もちろん道具を用意した「昏き太陽」も「琥珀の歯車」も許すつもりはないが、そこの責任を誰かに押し付けるつもりは微塵もない。


(道理を説く以上、こちらも道理を守らねばな)


 これが純粋に政治の場であれば、そしてそれが必要かつ可能であるならば、私は容赦なく相手に自らの責任すら押し付けて封殺することだろう。

 しかし教会は、彼らの下手糞な真似事に目を瞑って何度でも言うが、政治的な集団ではないのだ。信仰と人類守護の超国家的、超人類的な組織である以上、必要ないパワーゲームは行いたくない。


「だが」

「っ」


 使節団の肩がもう一段低くなった私の声に跳ねる。

 そう。だが、である。

 必要なところでまで譲歩するつもりもなければ、中途半端な政治家ごっこに付き合うつもりも毛頭ないことは示さねばならない。こちらは国家という極めて俗人的な政治組織であるからして。


「悪魔の短剣が絡まなければ被害はずっと少なく済んだ。これは明白な事実だ。よって我が国は教会総本山に対し三つの要求を突きつけるものである。よいかな?」

「……」

「三つもですと!?」

「なんと図々しい!」


 ファルミア司教の顔が不快気に歪み、マテオス司祭が目を剥いて悲鳴を上げる。ゴルネイ司祭の怒りは少々お門違いだが。


「軽々に怒りなど見せてはいけませんな、神官ともあろうものが」


 外務大臣の薄い笑みを後目に、私はファルミア司教の青い瞳を覗き込んだ。

 私には彼の心情が手に取るように分かった。


(貴公と私はよく似ている)


 派閥の生え抜きで才能もある努力家。向上心があり、何より動機は枢機卿と教会のためという本人なりに崇高なもの……それは自分で言うのもなんだが、若き日の私そのものだ。

 四大貴族に生まれ、いずれ宰相となる運命を背負い、国と王家のためという崇高な目的を抱いていた。そしてそのためには理詰めで考えればよく、相手をやり込めるのが最適だと思っていた。


(付け込まれぬよう、やり込められぬよう、完璧な勝利(・・・・・)を得るために……そうであろう?)


 顔にこそ出さないが、私は苦り切った笑みを口の中で噛み締める。


(勝ち負けに拘ると本質が見えなくなる、それが文官の罠なのだよ)


 私は目を細めて司祭たちを睨みつける。


「死者が出ているのだ。騎士団からも、軍からも、将来ある若者からも死者が出ている。すでに血は流され屍が積みあがっているのだ」

「ひ……っ」

「ぬ……っ」


 マテオス司祭が短く悲鳴を上げ、ゴルネイ司祭が顔色を悪くして黙る。

 被害は成った。その意味で我々はすでに敗者であり、彼らはそんな我々を倒すために来たわけではない。つまり、この会談に勝者は初めからいない。


(それを焦って見誤ったのだ、司教は)


 この日程、他派閥の使節メンバーを遠ざけたのは意見を取りまとめ難くなるからだろう。特に大司教はこの国の出身であり、使徒も超越的な権限と破天荒な思考の持ち主と聞く。この二人を除外することで自分が制御できる場を整え、私に全力を注ぎたかった。


(それほど難敵と思ってもらえたことは光栄だがな、私を敵にするか味方にするかは君次第だったのだよ)


 本来ならまず自分たちもパレードへ参加し、使徒ではなく教会の存在をアピールすべきだった。それから戦死者への慰霊を行い、可能であるなら最初の被害者であるシーメンス近衛騎士の家族に面会し、その上でマルリーン大司教の執り成しの下に会談を始めるべきだったのだ。それなら私は彼を聖職者として敬い、彼らの言い分にもっと大きな配慮と譲歩をしてやったことだろう。


(だが現実はそうならなかった)


 憐れみを込めて私は心の中で言葉を重ねる。しかし口には出さない。それはあまりに彼の名誉を傷つける行いだ。そして同時に、このまま私は我が国に有利な形で会談を終えるつもりである。老婆心で譲歩を繰り返すほど私は優しくない。


「……要求とやら、お聞きしましょう」


 若者は絞り出すように言った。


「ではまず一つ目」


 諦めて諸々の感情を飲み込み、指を一つ立てる。


「いずれかの枢機卿から正式かつ公的な謝罪を頂きたい」


 もう一つ立てる。


「しかるべき賠償金を支払って頂きたい」


 最後に三つ目を立てる。


「北の国境を接するティロン王国、あの馬鹿者どもとの仲裁をお願いしたい」


 全てを挙げてから私は立てた指を下ろし、テーブルに肘をついて両手を組んだ。


「いかに?」

「……随分と吹っ掛けられましたね」


 問われたファルミア司教は端正な顔を今度こそ明確な怒りに歪めて吐き捨てる。

 私の要求に内政畑の人間として一番避けたいことが詰め込まれていると感じたのだろう。それぞれ我が国なら内務大臣、財務大臣、外務大臣が猛反発していそうな内容だ。


「せっ、聖王陛下と枢機卿方は!」


 ファルミア司教が青い目を鋭く尖らせている横で、先に立ち上がって声を上げたのは先ほど萎縮していたマテオス司祭だった。


「聖王陛下と枢機卿方は聖典に記されし神の代理人ですぞ!直接頭を下げよなどとっ、ぞ、俗世の者が一体何様のつもりですか!!」

「ふむ、何様か……初めて言われたな」


 相手が怒り狂っているところ悪いが、私は大国の宰相をしていて初めて投げつけられた言葉にいっそ面白さを感じていた。

 ただまあ、そのような余裕があったのは当人である私だけで、大臣たちはこの発言に色めき立ってしまう。


「マテオス司祭!宰相閣下は陛下に次ぐお方である、言葉に気を付けられよ!」

「その通り。貴殿らの仕組みに例えるなら宰相閣下はまさに枢機卿猊下と同じナンバー2。それこそ我ら大臣よりも下にある司祭風情があまり無礼な口を利かないでいただこうか」


 内務大臣が声を荒げ、法務大臣が底冷えする視線で司祭を貫く。

 これにゴルネイ司祭も机を叩いて立ち上がり咆哮した。


「教会の役職は神から賜ったものだぞ!上から数えて何番などという単純な話で同等など、貴殿らはモノの本質が何も見えていない!!」

「そ、その通りですぞ!聖典に各国の王は神々の代理人たる教会にその王権を認められるとありますっ。その王権によって任命される者が、神々の代理人その人と等しいなどと、その傲慢は背信の域!!」


 事前情報の通り、ゴルネイ司祭は信仰と身分意識が密接につながっているらしい。一方でマテオス司祭は二言目に聖典、聖典とうるさい。


「ま、まずは両者落ち着かれては……」

「財務大臣、そのような事を言っている場合かね。彼らの論を放置するは宰相閣下だけでなく我らが陛下への侮辱でしょうぞ?」

「ひぇ」


 事なかれ主義の財務大臣がとりなそうと声を上げるが、外務大臣に睨まれて蛇に巻き付かれた蛙のような顔をする。

 そんな二人を後目に激昂する内務大臣と静かに怒る法務大臣。自前の聖典を振り上げて長広舌を打ち始めるマテオス司祭と今にも殴りかかりそうなゴルネイ司祭。


(まったく、権威と信仰……お互い譲れぬ部分とはいえ、ここは見世物小屋ではないのだがな)


 加熱する議場の中心で私が見つめるのは、代わらず相手方の責任者だけだ。

 彼は一瞬狼狽えたような表情で二人を見上げたが、私の目に気づくとすぐに使節団長としての仮面を被りなおす。


「マ、マテオス司祭、ゴルネイ司祭、やめなさい」

「しかしですな!」

「そうだぞ司教!」

「やめなさい、と言っているのです」


 若きリーダーの視線を受け、盛り上がっていた二人は流石にその先を飲み込んだ。そして渋い顔のまま居住まいを正し、椅子に尻を落ち着け直す。


「宰相閣下、こちらもカッとなって言葉が過ぎました。部下たちの発言にはお詫びを」

「なに、貴公らの立場を考えれば仕方のないこと。こちらも教会の威信を不当に貶める意図はないこと、改めて伝えておこう」


 司教の殊勝な態度に私が微笑みを返す。それで大臣たちも口を閉じた。

 財務大臣だけは顔を青くして早く帰りたいという顔をしていたが、もう少し堂々としてほしいものだ。


「しかし教会は人類守護の要であり、枢機卿猊下が神々の代理人であることも事実。そちらの意図に関わらず頭を下げて非を認める……弱さを見せ、俗世にへりくだるということは現状の教会を中心とした平和維持の仕組みと諸信徒の信仰が揺るぎましょう」


 すぐさま落ち着いた口調のまま反論を再展開する司教。そのもっともらしい返しに私は笑みを深めた。


「今回のことが明るみに出た時点でそれは揺らいでいると思うのだがな。いや、もちろん毅然とした態度は重要だ。我が国ほど教会の枠組みに協力的な国ばかりではないからな」


 使節団は揃って嫌味を言われたような顔になるが、これは事実だ。

 ティロン王国をはじめとするいくつかの小国は危機感もなく、また聞き分けもよくない。大国であっても遥か西の獣人至上主義国家アル・ラ・バード連邦や最初の被害が確認されているロンドハイムは、国の気質もあって我々の数百倍の権幕で押し返してくることだろう。ジントハイムに至っては鎖国している以上、使節が辿り着けるかすら謎だ。


「ただ今回必要とされているのは毅然とした態度だろうか?私にはそう思えない。むしろ、しかるべき謝罪なくして信頼の回復は難しいと考えるが?」

「見解の相違ですね。我々の威信の裏付けはあくまで神々の御威光であり、民が神々へ向ける信仰です。国家の面子ではない」

「それは違うぞ、司教。神々への信仰が貴公らの威信になるのは、神官が神の絶対的な僕であるからに相違ない。貴公らが大きく民の信頼を損ねるのであれば、神々への信心と教会への信認は乖離するであろうよ」

「やはり見解の相違ですね」


 国交上の利害に加えて信仰と歴史的立場の問題が絡んでいるからか、ファルミア司教はソツがない代わりになおさら硬質な返事を返すようになった。


「はぁ」


 私はこれ見よがしに溜息を吐く。


「書戒の民の者にこのようなことを言う失礼は重々承知の上だが、誰も彼もが聖典を熟読しているわけではない。聖典を一言一句覚え、その言葉を実践し、それを拠り所にあらゆる判断を下しているわけではないのだ」

「……それは我々の信仰への批判でしょうか?」


 視線を鋭くする司教に私はゆるゆると首を横へ振る。


「そうではない。だが民の信仰は聖職者や聖典が一心に集めているのではないと言うことだ。もっと緩く、身に感じる日差しの熱や夜の月の明るさ、炎の頼もしさや水の恵みのありがたさ……そうした物から神へ祈りの心を抱くのが民なのだ」


 小さな村の樵や猟師、荘園の小作人、低ランクの冒険者、奴隷……そうした者達の中には文字が読めない者も多い。読めても聖典を紐解き神学を身に着けようなど、思い立つことすらないはずだ。

 ただ聖典を読め、聖典を信じよと言うだけで誰もが付いてくるわけではない。そのことはいかに聖典を最重要視する彼らでも理解していることだろう。


「付いてこない民を見捨てるかね?創世神の御心を聖典であるとし、それに従わんと志すなら、それはできまい?」

「それは……そうですが」


 ファルミア司教は言葉に詰まる。


「国という枠組みは、結果と過程であれば結果を重んじる。それは最も多くの民に理解される言語だからだ。この結果という動き得ぬモノが国と王と民の明日を切り拓く」


 反論しない司教と司祭たち。これに否を突きつけるのは頑迷なだけであると理解しているのだ。理解できるだけの教養があり、その上で無視するだけのツラの皮の厚さがない。


「その上で言うなら、教会は彼の異教典信者(セクト)の企みを捉え切れなかった。それが国家とそこに属する者にとっての結果なのだ」

「……」


 教会の三人からはそれまでの勢いが失われた。突然の失速にも感じるが、思い返せば強硬的なゴルネイ司祭も犠牲者に言及したときは大いに怯んでいたのだ。


(なるほど、確かに善良な神官だ)


 私は苦笑のような曖昧な表情を心の中に浮かばせた。どれだけ政治家の真似をしていても、順序を間違えて死者をないがしろにしても、それは彼らの善性を否定するものではない。むしろ不器用さ、とでも捉えるべきなのだろう。


(好ましいが……このまま押し切らせてもらおう)


 感慨を封じてわずかに身を乗り出す。


「納得頂けたかね?」

「それは……」


 司教は唇を噛む。否とは言えぬのであろう。しかし彼の心中と思惑を察するに応とも言い難いはず。


「納得、頂けたかね?」


 それでも私は圧を強めた。


「……な、納得は」

「納得するともさ!」


 司教が折れようとした瞬間だった。溌剌とした肯定とともに会議室の扉が内側へ勢いよく開かれた。まるで外から爆撃されたかのような派手な音。壁際に待機していた騎士たちが一斉に抜剣した。


「やあ、遅れてすまないね」


 臨戦態勢の騎士たちを気にすることもなく芝居がかった仕草でそう言ってのけた人物は、背の高い女性だった。使節団のそれとは趣の違う白と真鍮と深紅の衣装に身を包んだ男装の麗人。


「使徒殿……」

「アーリオーネ様……!」


 私と司教は同時にその者の名を呼んでいた。

 飛び込んできたのは創世神ロゴミアスの使徒、アーリオーネ=ロゴス=ハーディングであった。


~予告~

青年司祭の窮地に駆け付けた男装の使徒。

しかしその舌鋒はむしろ味方に向いており……。

次回、アーリオーネ

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