十二章 第26話 空貝(うつろがい)
新市街の目抜き通りは、僕のそこそこ長い王都暮らしでもほとんど見たことがないほど、とにかく凄まじい人込みになっていた。通りに面した店は書き入れ時と呼び込みに力を入れ、その合間合間にねじ込むようにして無数の屋台が軒を連ねる。
「おいお前、ウチの店の真横で炭火焼きなんてされたら困るんだよ!」
「何を言うんだい、店の外にまでしゃしゃって来る権利なんてないだろう!」
「おいそこ、営業許可証はあるのか!?」
文句を言う店主。言い返す屋台の女性。それを見つけてやってくる巡回の衛士。そんなやり取りがあちこちで展開されている。
なにも食べ物の屋台だけじゃない。ちょっとしたアクセサリーを売る露店や、珍しいものでは占いなども立っていた。他には生活魔法で作った即席懐炉売り、捨て値の下級ポーション売り、酔い止め専門の薬屋の出張販売などなど……さすが王都、なんでもござれだ。
「賑やかやなぁ……!」
「これほどとは思いませんでしたよ」
一つの流れを見出すのすら困難なほど複雑に入り組んだ人の波。それはまるで故郷の湖の深みのように、苦笑する僕らを当てもない漂着地点へと流していく。
「まだまだパレードには時間があると思うんですけどね……痛っ」
「そらそうやわ。向こうはん、お城から延々練り歩いて来はんねんし……あだっ」
僕たちは今日、パレードを見る前に王都で遊ぼうと少し早く学院かこちらへやって来たのだ。けれどその時点で既に大通りは満杯。普段は人通りがまばらな一本、二本入った道すら賑わっていて、どこへ辿り着くこともなく人に呑まれている。
(う、さっきから凄いぶつかられます……)
王都に慣れていると言っても僕は貴族、ここまでの群衆の中を歩く経験はしたことがない。おかげで人流が変わるたびに誰かとぶつかり、誰かに肩でどつかれている。
「うがー、にしても人多すぎやっちゅうねん!どいつもこいつも暇か!?暇なんか!?」
「それはブーメランってやつですよ……痛いっ!」
吼えるヴィオレッタさん。彼女は小柄なぶん、僕よりは接触事故の頻度も少ない。ただ背が低いだけに、人が増えると一瞬で視界を奪われてしまう。今もぴょんぴょん発作のように飛び跳ねて無駄な足掻きをしているが……。
(意外と高くまで跳んでますけど、さすがにそれで周りが見えるわけはないですって)
このまま流され続けても仕方がないので、僕は無駄に高い背を使って人の流れを見極める。
(まあ、見て抜け出せるならとっくの昔にしているわけで……あ、いや!いけるかも!?)
諦め気味に見ていた僕だが、すぐ前方で大きな道が交差していることに気づく。
ただでさえ行く人と戻る人が入り乱れているこの大通りだ。そこに右と左の人流が接することで、交差点は押し合いへし合いの大騒動になっていた。しかしそのおかげで行きたい方向に行けなかった人々が外側に押し出され、外へ逸れる細かい支流が発生しているのだ。
(まるで舟遊びのルート計算みたいで、ちょっと面白いですね)
領地に行ったときに仕込まれた操船を思い出しながら、僕は抜け出す場所と瞬間を考える。
「よし、行けますね。ヴィオレッタさん、手を」
「え、お、おお……ひゃっ」
なんだか分からない声を上げているけれど、機を逃すとまたどこへ流されるか分からない。僕はヴィオレッタさんの手をとった。
(あ……っ)
小さくて柔らかく、けれど思ったよりずっと硬い手のひら。握ってから、彼女の反応の意味を理解する。
(て、手を、手を繋いで、しまった)
手から伝わる感触が顔で爆発した……ような気がした。頬が熱を帯び、心臓が鼓動のペースを上げ、衝動的に彼女の方を確認したくなる。
(いやいやいや、だから、とりあえず抜け出さないと!)
いい加減自分の位置まで分からなくなって迷子になる。その切実な危機感に僕は邪念を頭から追い出し、ほんの少し手を握る力を強くし、せーので切り替わった人流に飛び込む。
「いてっ……あ、すみません、ちょっと通して、あ、どうも、すみません」
少しタイミングを間違えて後ろの人に嫌な顔をされたり、別方向へ逸れていく一団に足を踏まれかけたりしながら、僕はなんとかヴィオレッタさんを連れて商店の軒先へ逃げ込むことに成功した。
「ふぅー……一苦労でしたね」
「せ、せやな……えっと、アベやん、その……」
「え、あっ、すみません!手、痛くありませんでした!?」
「あ、あー、いや、大丈夫や。モチのロンやで。大丈夫やねんけど……全然、握っててくれてもええねんけど、その、な?」
「あ、あっ、そ、そうでしたね、すみません、離します」
ずっと彼女の手を握りしめていたことに気づく。握ってしまったことをアレだけ意識していたのに、なんだかこの温もりがしっくり来すぎて離すという発想が消失していた。
慌てて小さな熱を手放す。一般的な令嬢の手よりずっと皮膚の硬い手だった。杖を握り続けたエレナさんよりは柔らかく、手仕事を好むマリアさんよりは硬い。そんな不思議な感触だった。
「し、しっかし随分遠くまで流されたんやね。大門があんなトコやで」
「ほ、ほんとですね。これ以上は場所が分からなくなるところでした」
「ほんでどないするん?無事脱出できたんはええけど、座れるトコなんかあらへんで?」
「それなんですよねぇ」
この人だかりだ、当然大通りに面した喫茶店やレストランは満席も満席、待ちの列ができてしまっている。一本入ってもそれは変わらないし、二本奥へ行けばそこは住宅やコアな店が並ぶエリアになってしまう。
(王都のこのあたりで治安が悪いってことはないでしょうけど、あんまり女性を連れて入りたい場所じゃないですしね)
人が増えているということは犯罪者も増えているということだ。スリや引ったくりに出くわしても面白くない。
(まあ、大事をとるにこしたことはありませんね)
などと内心で呟きながら、人込みと店の間隙を歩きだす。何か面白い店があればとりあえず寄って見ようと思いながら。
最初に目に留まったのは、やはり出店数の多い屋台の類だ。特に肉を焼く店は煙と香りで目立つし、人もよく立ち寄っている。
「うーん……お腹はどうです?」
「まだええなぁ」
「ですよね。僕もまだ空いてないです」
こちらで食べられるか分からなかったので、二人とも学院で朝食はしっかり食べてきていた。そんなわけで串焼きにサンドイッチ、飴細工の店などを素通り。
(占いはマレシスくんの一件以来、試してみる気にはなりませんし……あ)
店は多いが変わったものとなるとなかなかない。そう思いながら歩くこと二ブロックほど。レンガ造りの店と白壁の店の間に伸びる路地、隣の道に繋がるその隘路にひっそりと絨毯を広げていた露店が視界に入る。店番は浅黒い肌の青年だった。
(東海諸島の方、ですかね)
服装からそう判断する。よく日に焼けた肌とガッシリした肩は漁師を思わせるが、絨毯に乗せているのは銀細工のアクセサリーばかりだ。
「ヴィオレッタさん、ちょっと見ていきませんか?」
「なんやなんや……あー、お守りやん」
二人で露天商の前に立つ。
すぐさま顔を上げた若い男性はヘラっと笑って手を広げた。
「おう、よく足を止めてくれたやで。オレは遠く東の海から来たアクセサリー商やで。今日は東海諸島で大人気の最新アクセサリーを持ってきてるやで、ぜひ見て行ってくれ!」
などと自慢げに言うが、ヴィオレッタさんが軽くつま先立ちになって僕の耳に囁く。
「アカンわ、アベやん」
「わひゃ!?」
いきなり外耳を撫でた吐息に変な声がでる。
「コイツ、ウソ吐きよった。最新どころか全ぇ部、伝統的なお守りや。珍しいさかいイケるやろて、足元見とんねん。あと方言ガタガタ、出身からしてウソパチのパチモンや」
「そ、そうですか」
言葉とともに耳にかかる吐息がくすぐったい。鎖骨の方へとソクソクとした感触が伝っていくのを、首をすくめて堪えながら半歩横へ距離を取る。
「あの、ちょっと見てもいいですか?彼女が東海諸島の近く出身で」
「「!!」」
僕の申し出になぜか二人はそろって驚いた顔をした。
「か、彼女やなんて、ア、アベやんったら!」
「いっ、そ、そうだったのやな!は、ははは、同胞に会えて嬉しいやで!?」
真っ赤になってくねくねするヴィオレッタさんと、分かりやすく動揺するアクセサリー商。
僕は彼女らの反応に苦笑を浮かべつつ、さっそく絨毯の上の品物に目をやる。わざわざこの店に立ち止まったのは装いが東海諸島風だったからでしかないが、ざっと見たアクセサリーはどれも中々のクオリティだったのだ。
(あまり詳しいわけではないですがね)
とは言っても僕は文官貴族の長男。そのあたりは完璧に近いアレニカさんと比べれば劣るが、それでも宝飾品を見る目はそれなりに養っている。
(特にこれ。この二枚貝のペンダントなんて、繊細な貝に上手く穴をあけてチェーンを通してあります。あとこのブレスレットもかなりのスキルレベルがないと作れない代物ですよ)
『細工師』などのジョブやスキルは、細やかな作業が華だと言われる。けれどお土産物の産業を抱え込むトライラントの息子として、またアクセラさんから技術という視点を学んだ一人として、僕はそれこそが要訣ではないことを理解していた。
(『細工』系の一番凄いところは、壊れやすい素材をうまく加工できる強度に強化すること、ですからね)
貝殻にノミや千枚通しで穴を開けるためには、割れない強度が必要になる。といっても武器に施すような強烈な強化をしてしまうと、今度は穴すら開かなくなる。
この加減と逸脱に対する修正力こそ『細工』系のスキルレベルの表れる部分なのだ。
(その点、この作品はどれも絶妙です)
しゃがみ込んで僕は一通り『目利き:宝飾品』を使い、一通りの品物を見て回った。
「あの、少し品物について教えてください」
「な、なんやで?」
「あ、もうそのエセ東海諸島訛りはもういいんで。ツレが機嫌悪くなるんで、止めてください」
「あ、へ、へい」
少し顔をしかめて言う。流石に面と向かってエセだと断定されれば抵抗する気も起きないのか、商店主は肩を落として頷いた。
(言葉はね……ヘタな物真似が一番嫌われますからね)
地方での情報収集に関して色々と仕込まれたノウハウの一つを思い出しつつ、ヴィオレッタさんの顔を伺う。
(うん、不機嫌そうですね)
それを横目でとらえて苦笑する。
彼女も東海諸島の生まれではないが、その憧れから完璧に近いイントネーションを身に着けている。思い入れがとても強いのは明白で、ある意味本場の人間より騙りに近い商店主の態度は気に食わないだろう。
僕はこれ以上その話題を広げないよう、目をつけていたブレスレットを一つ手に取って青年の前に差し出す。
「これを作ったブレッグ氏というのは貴方ですか?それとも別の方?」
「え!?お、俺でさあ。でもなんで……あ、スキル?」
「ご名答です」
『目利き』系スキルを使えば製作者の名前を見ることができる。ここにある品物はすべてこのガタイのいい露天商が作ったものだったらしい。
「とても作りがいいですね。『細工』系もそれなりに高いのではないですか?」
「え、ほ、本当ですかい?」
彼は褒められるなりニヘっと相好を崩した。
「生まれつき『細工師』を持ってたんでさあ。家の中のモンこまごま直したり、妹や弟に作ってる間にレベルも上がっちまって。へへっ」
出身は東海諸島どころかこの王都にほどちかい農村だという。そのまま細工職人になりたかったそうだが、家族の反対にあって一旦あきらめたんだそうな。たまたま村に逗留した旅人から東海諸島のお守りのデザインを聞き、このパレードでまとまった金にできれば説得できるかもしれないと思い立ってここにいる……という事情らしい。
「ではこの貝はフラメル川の?」
「妹たちが拾い集めてくれたんでさあ」
驚くほど地産地消だった。そのことがおかしくて、ついつい口元がほころんでしまう。ヴィオレッタさんも同じことを思ったのか、その微笑ましいエピソードに笑みを浮かべていた。
「うん、でも丁寧な仕事でいいですね。修行すればやっていけると思うし、小細工なしの方がいいんじゃないですか?」
「こ、小細工って言わないでくだせえよ……あれはセールストークってやつで」
「セールストークやのうてホラや、ホラ。ウソパチ言うて売るんは下の下やで」
「ぐっ」
容赦ないヴィオレッタさんの言葉に顔をそむけるブレッグ氏。
「そうだな……この貝殻のネックレスとブレスレット、あとそのネックレス。この三点はちょっと買ってもいいレベルですね」
特に気に入ったものを選んでから、僕の隣に立つ少女を見上げる。全て二つで一揃えになっている。
「ヴィオレッタさんさえよければ、記念に一組買おうかと思うんですが。どれがいいですか?」
そう言って見上げると、彼女は琥珀色の目を真ん丸に見開いた。
「え、ペアのアクセサリー?ウチとアベやんで?」
「あ、えっと、嫌……でしたか?」
「そ、そんなわけないやん!」
食い気味に否定するヴィオレッタさん。危うく僕はその勢いに負けて尻もちを搗きかけるが、ギリギリでない筋肉を動員しなんとか格好悪い結末を回避する。
「あ、その、大声で言うてごめん」
慌てて僕の手を取って安定させてくれるヴィオレッタさん。
「えっと、全然イヤとかちゃうから!むしろ買うてっ、ア、アベやんとお揃い、ウチ欲しい!!」
彼女は真っ赤な顔でそう捲くし立てた。その姿が愛らしくて、僕はついつい笑み崩れてしまう。
「よ、よかったです。じゃあどれにしましょう?」
もう一度視線を商品に戻すと、ブレッグ氏が目を輝かせて身を乗り出してきた。商売っ気が復活したらしい。
「その三つが気に入ったってことなら、コレもオススメですぜ!」
そういって彼は絨毯の端に置いてあった箱からいくつか他のアクセサリーを取り出す。補充用にいくつか残していたのだろう。
「特にコレ!この鱗がおすすめでさあ!」
掲げられたのは不揃いな銀片をつないだネックレス。トップに据えられた緑の鱗が美しい。全体的に少し荒っぽくワイルドな雰囲気で、一応ペアだが女性に贈る物とはちょっと思えない。
「なんたってオレの弟が山で見つけてきた一番の宝物でね?譲ってもらうのに困ったのなんの!このツヤッツヤな表面ときれいな色、こりゃあもうエメラルドドラゴンの鱗なんじゃないかって」
「鱗はナシや」
「……はい」
興奮した様子で語りだす露天商。しかし極めて冷たい声でヴィオレッタさんにザックリやられ、そっと掲げた商品を絨毯に戻した。
(いやまあ、上級竜であるエメラルドドラゴンの鱗なわけないですけど……)
たしか夏に皆でスプリートへ行ったときも、露天でフロストドラゴンの素材だと偽って別の魔物の一部を売っていた者がいた。よくある商法で、けれどすぐバレる詐術。そう簡単に竜なんて伝説級の魔物素材が扱われてたまるかという話である。
でもちょっと、そのキラキラ光る鱗は僕のオトコノコ心をくすぐる代物だっただけに、門前払いだったのは残念だった。ほんのちょっとだけだが。
「ヴィオレッタさんもしかして蛇とかトカゲ、お嫌い……です……か」
苦笑交じりに彼女のほうを仰ぎ見た僕だが、その表情を視界に収めた途端、言葉を失った。
ヴィオレッタさんはいつもの陽気さを失い、絨毯の上の鱗を睨んでいた。嫌悪に怒りと恥辱を混ぜたような、凄まじい表情だった。
「ヴィ、ヴィオレッタさん……?」
「……蛇もトカゲも竜も、鱗は嫌いや」
低く唸るように言う彼女。そのただならぬ様子に僕は腰を上げた。表情に反して血の気が引いたような顔色をして、手はきつく握りしめられている。
(鱗のある魔物に襲われたことがある、とかでしょうか)
珍しい話ではない。街道沿いでもたまに魔物は出るし、犠牲者が発生することも多々ある。それがトラウマになって特定の生物を受け付けないという人は貴族でも一定数いるのだ。
先日の反乱の折にもトカゲの魔獣が暴れたことで、森の砦で前線を担当していた生徒には同じ症状の者が数名出ていたはずである。
「ヴィオレッタさん、大丈夫ですよ」
確かな理由は語ろうとしないので、僕はその強固な拒絶だけを汲み取ることにする。
固く握りしめられたその両手を取り、白くなった指をほどかせ、視線が合うように軽くかがむ。やや眦が上がったままの彼女の目を覗き込んでから微笑んで見せる。
「もちろん、折角の記念品ですからヴィオレッタさんの気に入る物を買いましょう」
「……うん、おおきに」
ゆっくりと手の熱が戻ってくるまで指を優しくさする。その間もずっと琥珀色の目を見たままだ。
やがて彼女は少しだけ唇をもにょもにょとさせたあと、すっかり赤味を取り戻した顔で視線をそらし、小さく頷いた。
(あ、かわいい……)
シリアスな状況にも関わらず、その仕草が可愛くて僕もちょっと頬が赤くなる。
「え、えーっと……そ、そうだ。他にオススメは?」
気恥ずかしさに耐えきれなくなって彼女の手を離し、吐きそうな顔で壁に持たれているブレッグ氏に尋ねた。
「イチャつきやがって」
「イチャついてなんかっ……オホン!」
それまでの朴訥な雰囲気からは想像できないくらい毒の籠った呟きだった。
僕は思わず反論しかけて、それもなんだかなと慌てて咳払いでごまかす。
「オススメがないんだったら、僕が選んだ三つから買います。ヴィ、ヴィオレッタさんはどれがいいですか?」
「………………コレ」
長い沈黙のあと、彼女は貝殻のネックレスを指さした。
「コレがええ」
声がわずかに震えているのに気づき、もう一度かがんで彼女の様子をうかがう。
「の、覗き込むの、やめーや!」
ヴィオレッタさんは慌てたように僕の額を押し返す。
真冬なのに指先まで火が灯ったような熱さだ。
顔は、今までで一番赤い。ツンとした鼻の頭から耳の先まで、真っ赤だ。
(そ、その顔は反則ですよ……ッ)
心臓がギュッとなって、押し返された部分が熱を持つ。
「お熱いこって……空貝のお守りは恋人のお守りなんで、丁度いいんじゃないですかね」
「こ、恋人の……いえ、待ってください何貝?」
辟易とした声で言うブレッグ氏に僕は顔がカッと熱くなるのを自覚する。紛らわすために聞き取れなかった部分を聞き返す。
「空貝って言って、中身がない状態で漂着した二枚貝でさあ。貝の身がない代わりに、二人の思いが真珠みたいにそこに溜まるとかって、そういう言い伝えがあるんだそうで」
言い方のせいで半減しているが、その言い伝え自体は結構ロマンチックだと思う。二人の思いが真珠のように二枚貝に守られ、育まれていく。
(そ、それは実に、なんというか、恋人のお守りらし言い伝えですけど)
問題は、僕と彼女は恋人でも何でもないということ。友達なのかすら分からないが、少なくともまだ恋人ではない。
(いえ、でも、東海諸島の言い伝えなのでしょう?ヴィオレッタさんは分かっていてコレを選んだということで……)
それはつまり、そういう意味なのか。
思考がそちらに向いた瞬間、血管という血管が開いて血液という血液が沸騰したような錯覚に襲われる。
(待て待て待て待て待つんですよアベル=ローナ=トライラント!早とちりしてはいけません、ヴィオレッタさんは割とそういうトコロのある人でしょう!?)
慌てて血流にブレーキをかける。
彼女は日ごろから貴族令嬢としてあり得ないほどスキンシップが多い、いわゆるよく男子から勘違いをされるタイプだ。しかも仕来りや伝統を嫌っている。大好きな東海諸島であってもそういう古い言い伝えのようなものには興味を持っていないのかもしれない。そうでなくても彼女は僕をからかって遊ぶ悪癖があるので全て分かったうえでおちょくっている可能性も無きにしも非ずだ。
「ア、アベやん……?」
(いや、絶対違うでしょ)
超高速で脳内に推論をまき散らす僕だが、わずかに不安の混じったような、期待のこもったような、熱を帯びた視線を向けられて直感が爆発する。
「く、ください!そのネックレス、ペアで、ください!」
「さ、最初からペアでさあ……」
声を張り上げた僕にブレッグ氏は仰け反りながら、商品をこちらに差し出してくれる。代わりに要求されたより少し多い硬貨を彼の手に握らせ、ヴィオレッタさんの方に向き直る。
「あ、わ、わ……っ」
たじろぐ彼女を前に、僕の頭の中でもう一人の僕が警鐘を鳴らす。
(待て待て待て待て、今勢いで僕は何をしようとしてます?告白とかしようとしてません?待ちましょうって)
とりあえず二つあるネックレスの大きいほうを腕にかけ、小さいほうの留め金を外す。
(アティネさんに怒られた通り、僕は追い込まれて力を発揮するタイプじゃないんです。ここで告白して、退路を断って、それから僕自身の立ち位置改善に取り組むんですか?無理でしょ、どう考えてもまた袋のネズミの煮詰めたやつになりますよ)
たしかにそうだ。そう思って手が止まる。
(ここで完全な答えを出すのはまだ早いです。失敗が見えているのに告白するなんて、それも学院の外ですよここ。仮にも相手は貴族の令嬢、さすがに責任感が欠如しすぎています。勢いで動くと碌なことがないのは身に染みたでしょう)
まったくもってそうだ。
「……ふぅー……ヴィオレッタさん、つけてあげますから、じっとしててください」
「あ、う、うん」
コクコクと頷く少女の首にネックレスを添え、後ろに腕を回し、指の感触で留め金をかみ合わせようとする。まるで抱きしめるような姿勢。腕の中のヴィオレッタさんが火の通ったカニのような色になっている。
(ああ、このまま抱きしめてしまいたい……)
そんな衝動を抑えながら、震える指で留め金をロックする。さっと腕を抜き、自分の首にも同じものをつけた。
「あ、ありがとうな、大事にする。めっちゃ、大事にする」
「え、ええ」
彼女は貝殻を壊さないようそっと、けれど確かに握りしめて数度頷いた。
それだけ喜んでもらえたことが嬉しくて、つい僕も手を伸ばして彼女に髪に触れる。
「……」
「……」
無言の時間が五秒、十秒と流れ、僕たちの顔はお互いそろそろ爆発するんじゃないかというくらい熱く、赤くなっていく。
「ん、んんっ、ゴホゴホっ」
「「……!」」
突然聞こえた咽るような声にハッとする。
(そ、そう言えばブレッグ氏がいたんでした!)
すっかり目の前の彼女以外何も見えなくなっていたことに気づき、僕は慌てて手をひっこめる。
彼女もネックレスを手放し、ささっとチェーンを整え、すまし顔で背筋を正した。
「え、えーっと、ほな、行こか?」
「そ、そうですね!」
二人で揃って平然を装いながら露天商の構える路地を出る。
(……うん、決めた)
隣に立つ少女の姿を盗み見ながら、僕は一つの決意を固めた。
急いで自分の身辺を整えよう。最速で実績をつけ、家からも周囲からもケチのつけられない体制を作り出そう。それからこのもどかしさを捨て去って、彼女に告白するのだ。
(卒業までには……いえ、一年で!)
随分と無茶な決意だが、それくらいしなくてどうなる。他の皆だって一年生には過ぎた重荷を背負って見せたのだから、僕だって自分の背負いたいモノを背負って見せよう。
「ええ、行きましょう」
頷いてからヴィオレッタさんに手を差し出す。
「はぐれるといけないから、手を繋ぎましょう」
「ふぇ……ひゃ、ひゃい……」
一瞬でまた茹で上がる愛しい少女の小さな手を取って、僕は路地から大通りに一歩踏み出すのだった。
~予告~
鬼の居ぬ間になんとやら。
パレードの裏で密かな戦いが幕を開ける。
次回、使節団と宰相




