十二章 第24話 昏き太陽の真実
ミアが俺を通したのは、パーティーホールから少し離れた会議室のような場所だった。広さは俺とエレナの部屋にある応接室よりやや広いだけで、家具も一枚板のテーブルに六脚の椅子のみ。そんなこじんまりした空間だ。
「なぜトーゼスも一緒?」
俺が首を傾げながら片側の椅子に座ると、難しい表情をしたミアは反対側に座った。そして共にこの部屋へやってきた大柄で筋肉質な神、戦武神トーゼスもミアの側に着座する。
ミアの戦乙女であるシェリエルが共にいるのは分かるが、雄々しい戦神の同席には首を傾げざるを得ない。
「この話に直接関わっておるということと、それからこやつが其方に詫びたいと言うておったのでな」
「詫び?」
「ああ」
以前少し言葉を交わした時の陽気さはどこへやら、厳めしい顔で肉体美の権化のような男は頷いた。しかしその先を口にしない。
(詫び……?)
首を傾げる。
戦神三兄妹の中で俺が交流を持っていると言えるのは末子である戦幸神テナスだけで、長兄にして最強の武神と呼ばれるトーゼスとは大した繋がりがない。
強いて言うなら俺が神の座に戻った暁には手合わせをしようと約束していることくらいで、当然ながら詫びてもらうような心当たりはなかった。
「私も、今回は当事者としての参加です」
「シェリエルも?」
意外な言葉に俺はもう一度首を傾げた。
「まあ、その話はおいおいじゃ」
ミアは片手をあげてそう言った。こちらにも普段の天真爛漫な雰囲気は残っていなかった。
「先に言っておくとな、エクセルよ」
「ん」
「其方の遭遇した「昏き太陽」という異経典信者について、わしらも正確なことは把握しておらん」
意外な前置きに俺は首を反対側へと傾ける。
「そうなの?」
「出自においては、これより其方に語って聞かせる以上、よくよく知っておる……じゃが人数や規模については、推測の域を出ぬ」
それは要点ではなくその外側だけを摘まんでいるかのような、ぼんやりと気持ちの悪い解答。
ミアの力を、神の権能をもってすれば地上に存在する邪教徒の数など簡単に把握できる。少なくとも俺はそう思っていたのだが。
「う、うむ……やはり順を追って話すとしよう。少々ヤヤコシイ話じゃからな」
俺がよほど怪訝そうな顔をしていたのか、ミアは苦笑を浮かべて頬を掻いた。しかし次の瞬間にわずかに和らいだ雰囲気は霧消し、険しい眼差しが戻ってくる。
まるで彼女が司る世界の中から、ことさらに無情を映し出したような表情だった。
「わしは創世神であり太陽神でもある」
「ん、知ってる」
「創世神としてのわしに眷属神はおらぬ。というより万物をそれぞれ司る神々が全て眷属神なのじゃ」
「ん。でも太陽神としてはいる、よね」
ミアは大きく頷く。
「うむ、その通りじゃ。季節や時間を司る神々、すなわち黄道三十八太陽神を差す」
「太陽の運行を決める重要な神々、だったはず」
神力、魔力、光、熱……多くの恵みを大地に降り注がせる太陽という存在はあまりに強大で、たとえそれを司るミアといえど一人では正しい運航を行えないのだそうだ。それゆえに季節や時間帯によって司る上位神が別々におり、協力してこの重要な物体を細かく動かしているわけだ。その神々を纏めて黄道三十八太陽神と呼ぶ。
「その一柱に日蝕神という者がおった……今は存在を抹消された神じゃ」
抹消された神という物々しいワードに俺は自然と背筋が伸びた。
「主、その前に一つ。エクセル様は日蝕をご存じなのでしょうか?」
「ん?あー、確かに神の知識は最近取り戻したばかりじゃったな。どうじゃ、エクセル」
シェリエルとミアの質問に俺は頷く。
「太陽を月が隠す現象。輝く太陽が一昼夜休み、太陽神は深い眠りについて自らを癒す」
「その通りじゃ。相変わらず神話の造詣が深いな」
「ありがと」
「差し出口をいたしました。申し訳ございません」
「ん、いい。確認してくれてありがとう」
応えつつ横目でトーゼスを見る。彼は腕を組み、目を閉じ、石造のようにミアの隣で微動だにせず座ったままだ。
「太陽は魔力、神力、光に熱と地上に必要なリソースを供給しておる」
説明は続く。
「しかし膨大なエネルギーを持ち、それを放出し続ける以上は相応の負荷がかかっておるともいえる。それゆえに長いスパンでときおりメンテをせねばならぬのじゃ」
つまり太陽という存在もまた、輪廻転生システムやスキルシステムのような神話的メカニズムなのだ。この世界という一つの仕組みを正しく運営するために必要な、一種の舞台装置である。
そして日蝕の間、太陽のメンテナンスと並行してミアは眠りにつく。太陽と同じく膨大な力を持つ存在として、また破壊と再生を司る創世の神として、仮死と呼んでもいいほどの深い深い眠りにつくのだ。そして一昼夜の後、太陽と共に復活を遂げる。より強大な存在となって。
「その期間はさすがのわしも無防備になるし、我が戦乙女たちも力が減じる」
シェリエルが悔し気に顔を伏せた。
「ゆえに月が太陽を隠すように、月光神シャロス=シャロスが守ってくれておるわけじゃ」
太陽神復活のための部屋はこの宮殿の最奥にあり、名を再臨の石室というらしい。その扉を月光神が封印し、同じく一昼夜の間守護し続けるのだとか。
ちなみに月が太陽を隠すのも、そうして結界に包み込んで活動を抑制するためらしい。
「しかし遥かな昔は違ったのじゃ」
そう続けたミアの声はワントーン低くなっており、話がようやく本題に差し掛かったのだと分かった。
同時に瞑目していたトーゼスの瞼が開かれ、真鍮色の瞳が鋭い眼光を露わにした。
「古において、日蝕に至った太陽は自ずから結界を張って黒く染まっていたのじゃ」
「太陽が黒く……?」
「うむ。そして再臨の石室の扉は日蝕神が守っておった」
机の上でぎゅっとミアの手が握り込まれる。
「ミア」
「……大丈夫じゃ」
辛いようなら止めてもらおうとした俺だが、彼女はそれを言うより早く首を横へ振った。
「まあ、あれじゃ……平たく言うとな、其方に懸想して暴虐を働いた男が居ったじゃろう?あやつと同じよ」
思い出されるのはトワリ侯爵ただ一人。俺に対して抱いていた歪んだ愛をもとに、多くの民の命を散らせた大逆人。
あの男と同じということは、つまり……。
「日蝕神はわしに懸想しておった。それも真っ当な、トーニヒカが祝福するような想いではない。もっと暗く、邪悪で、独善的なものじゃった」
狂気に取りつかれたトワリの笑みが脳裏に浮かぶ。
「従順な守護者の顔をし、その裏で歪んだ想いを育んでおった彼の神は、悪しき計画を立てよった」
感情を極力押し殺した声でミアは続ける。
「ある日蝕の朝じゃった。日蝕神の奴はわしが眠りについた直後を狙い、自らが施した石室の封印を破壊し、押し入ったのじゃ」
ミアはその時、再臨の石室にもう一人の女神といたという。
「もう一人?」
「……蘇生神アイレーン、冥界神ヴォルネゲアルトの妻じゃ」
聞き覚えが薄っすらとだけある名前だ。たしか冥界神の妻であり、昇天神アルキアルトと輪廻神ヴォーレンの母。そして冥界の裁判所であり要塞でもあるアイレーン・パレスの名の由来だったか。
「今は自然回復の分でどうにか賄っておるのじゃが、当時はアイレーンが仮死となったわしと太陽を復活させる役割を担っておった」
「なるほど、蘇生の神だから」
「うむ」
そこで言葉を切ったミアはテーブルの天板をじっと睨みつけたまま数瞬の沈黙を保った。それから決心をつける様に大きく息を吸って、その先を口にする。
「日蝕神はそのまま施術の途中じゃったアイレーンを殺害したのじゃ」
「……!」
善なる神が善なる神を殺す。この場合の殺害はしばらくすれば復活する普通の死ではなく、神にとっても終わりという意味の、すなわち消滅のことを指しているのだろう。
(そうか……)
わざわざ居城に妻の名前をつけるあたり、ヴォルネゲアルトが配偶者を失っているのだろうということは察しがついていた。しかしまさかそれが仲間であったはずの善神による殺害だったとは。
「アイレーンの献身と時間稼ぎのおかげでシェリエルや戦乙女たちは間に合ったのじゃ」
「我々からもかなりの犠牲が出ましたが、主をお守りすることは叶いました。全てはアイレーン様のおかげです」
消沈したシェリエルがそう言い添えた。拳を怒りに固めながら。
「其方らの献身も分かっておるよ」
ミアが振り向いて戦乙女の手を取り、優しくそれを撫でた。
「皆のおかげでわしは指一本触れられることなく終わったのじゃが……」
「肝心の日蝕神は、逃げ延びた?」
「討ち漏らしたのだ。このオレが」
確認の意味で投げかけた質問に答えたのは、それまでひたすら黙したままだったトーゼスだった。
「トーゼスは異変を察してわしの下に駆けつけてくれた。間に合ったのは、部下たちが血で時間を購ってくれたおかげじゃな」
戦乙女だけではない。その時は文官である天使たちも身を投げ出してミアと日蝕神の間に割り込み、多くが無残にも殺害されていったという。
「失敗を悟り暴走を始めていた日蝕神を、トーゼスは宮殿の外へと叩き出し、そのまま追討してくれたのじゃ」
「……」
感謝していることを言葉の端々にうかがわせるミアだが、当の男神は険しい表情を崩さない。
「オレは前々から日蝕神の動向が気になっていた。それが駆けつけることができた最大の要因だ」
そう前置いてからトーゼスは重たい口を開いた。
「奴は器用だった。エクセル、お前が現れる前に最も技術という分野に近かったのは、日蝕神なのだ。しかしお前と違い狡猾で、その性質は善なる神らしからぬものがあった」
「じゃが当時はまだ、トーゼスですらわしの権能の強さに距離を置いていた頃でな。そうした此奴の懸念をわしは察することができなんだ」
ミアはあまりに強力な創造神としての格のせいで、同じ大神からも畏れられていた。今でこそ愉快に酒盛りを開き、女神たちと談笑に花を咲かせているが……それは俺が友人となったことで変化した性質である。
「オレはその警戒から、奴を追いかけるときに一つの過ちを犯した」
「過ち?」
「神器の選択を間違えたのだ」
戦神はオールマイティで最強の戦士だが、それでも得意とする武器はある。トーゼスなら鎗、バリアノスなら剣、そしてテナスなら弓がそれだ。
複数の神器を持つ大神なら他の武具もあるのだろうが、警戒心から選んだと言うなら鎗だったのだろう。
(逃げる相手を必ず殺したいとき、何を選ぶ……?)
できるだけ少ない手数で簡単に殺せる、扱いの難しくないモノがいいはずだ。そうとなるとトーゼスは最適解を一つ所有している。
「マールヴィングルの黒鎗?」
「……知っていたか」
「ん、まあ、有名だから」
マールヴィングルの黒鎗はトーゼスの神器の中でも異質な一振りだ。
善神と悪神の戦いが最も激しかった頃、ある悪神の手違いによって生み出されたのが一級魔獣マールヴィングルだった。それは果ての見えないほど長い体と一滴で大神すら死に至らしめる猛毒を持った、黄昏色の大百足だったと言われている。
死闘の末にこれを討ち倒したトーゼスは遺骸から神器を生み出した。甲殻と同じ黄昏色に輝く柄と猛毒に塗れた黒い穂先を持つ万物即殺の魔鎗、マールヴィングルの黒鎗である。
「猛毒による即死、正しい選択に思える」
「オレもそう思っていた」
「日蝕神の権能は太陽をも御す封印の力。そしてあらゆる神力への強固な耐性じゃった」
ミアの補足で俺はすぐに理解した。
(そうか。神代の生物から大神が生み出した神器、そこに宿る「神すら殺す毒」という概念的な毒……あまりに神力のウェイトが高くて、抵抗されたときの減衰が大きかったんだ)
「察したか。その通り、奴は黒鎗の毒を己が権能の全てで抑え込んだ。一撃に全てを賭け、それを耐えきられてしまったのだ」
「……トーゼスよ、あれは相性が悪かったのじゃ」
「しかし取り逃がしたことは事実だ。別の鎗で徹底的な斬撃による殺害を試みていれば、奴はあそこで死んでいただろうよ」
戦武神は断固として自分の失態だという態度を崩さずに頭を振る。
「……つまり、「昏き太陽」はその逃げ延びた日蝕神を崇めてる?」
話の要点を纏めて本来の切り口へと繋げると、ミアは首を横に振って否定した。
「結論を言うのであればじゃな、奴自身がその異経典信者の指導者なのじゃ」
「……ん」
俺は口を開くことなく唸る。
しかしそれでは神が地上に直接干渉するという事になりはしないだろうか。
善神であろうと悪神であろうと、それは厳しく制限されている。しかもルールを守る守らないの話ではなく、破れば相応の不利益を被る類の制限だ。
具体的には割に合わない損耗を強いられ、敵対派閥の神々に捕捉され、同じだけの干渉権限を相手にも与えてしまうことになる。
「どういうこと?」
「日蝕神は確かにマールヴィングルの黒鎗の死毒から逃れた。しかし無事だったわけでもないのじゃ」
「あの毒は神を殺すものだ。即死せずとも神格は酷く汚され、壊されていたはずだ。それに穂先はヤツの腹を穿っていた。本来であればまるで大穴の空いた服が解れて損なわれるように、そこから奴という神は崩れて最後は消滅していただろう」
本来であれば、という含みある言葉に俺は眉を寄せる。
「奴は毒に侵された神格を刻み、壊れいく己を再構成し、より下位の存在になることで生き延びたのじゃ。具体的に言うと、半神半人となったのじゃよ」
半神半人。読んで字のごとく神と人の中間に位置する存在。神話には幾例か語られているが、それが具体的にどういうモノなのかは俺も知らなかった。
「半神半人というのは厄介でな、神ではないがゆえに善でも悪でもない。強いて言うなら中立になるじゃろうか」
続けてミアはいくつか半神半人の特徴を語った。
寿命がなく、並大抵の傷で死ぬこともなく、限定的な権能を扱い、その上人間であるがゆえに一部のスキルを習得する可能性がある。
しかし命は一つであり、胴と首が離れればさすがに死ぬ。力の総量も神に遠く及ばず、所持する権能は己に深く根差した物だけ。
「まあ、上位の吸血鬼よりは殺しやすい……?」
ほぼ不死身のSランク魔物と比較して弱いというのもどうなのかとは思うが、アレも人類にとってギリギリ倒せない相手ではない。
「いや、奴は戦いの才のない神だ。直接的な戦闘力だけなら今のお前で十分に倒せる」
「そうなの?」
トーゼスの意外な言葉に俺は首を傾げた。
「そうじゃな」
これにはミアも同意するが、その表情はすぐれない。
「じゃが奴は直接戦わぬからこそ厄介なのじゃ」
そう言われて自分の疑問がいかに的外れなものだったか、すぐに理解する。
(いかんいかん)
そもそも全ては「昏き太陽」という厄介極まりない狂信者集団の話だったのだから、敵の本質が半神半人の戦闘力にないのは明白だ。
「日蝕神が半神半人だから、「昏き太陽」の勢力がつかめない?」
「そういうことじゃ」
頷くミア。
「神の与えたものどころか、使徒のソレよりも更に力は薄いのじゃが、奴は己のシンパに劣化版の加護を与えておる。神々の力を抑え、退ける加護じゃ」
それがあるせいで神々の瞳に「昏き太陽」の構成員は見えないのだという。また中立神の扱いであるがゆえに、神塞結界に彼らが弾かれることもない。
「それは、拙くない?」
俺の問いにミアは表情を更に歪める。
「本来であればそこまで影響はないのじゃ。なにせ奴は弱い加護を与える以外、権能でシンパを強化できるわけではないからな」
ミアは断言する。たとえばメルケ先生に強欲神が貸し与えていた邪悪な黒霧のようなものを与えることはできないのだと。
日蝕神の権能の及ぶ範囲は長年かけて善なる神々の神殿や教会が情報を蓄えているので、まず間違いないそうだ。
「それにお前が特定してくれた手先の一人、金輪屋のように悪魔の力を使っていれば瘴気を帯びる。結界に弾かれるのだ」
「なるほど……」
彼らの説明を聞き終え、俺は自分の中でそれらを咀嚼した。腕を組んで、目を閉じて、ゆっくりと。
「……」
「……」
「……」
確かにネンスからの報告では、金輪屋は必ず取引場所を都市結界の外に指定していたという。トワリも彼が結界の中に入れないと言っていた。直接的に悪神や悪魔の力を使える部下は神塞結界を通れないというのは、おそらく正しいのだろう。
そうなると他にも悪神信奉者をはじめとする狂信者が闇にうごめくこの世界にあって、人類から見れば少しだけ面倒なだけの普通の異経典信者という事になる。
(野放しになった邪悪な半神半人……もしこれが広く知れ渡っていれば)
大混乱が起きていたことだろう。
なにせ都市部に暮らす大多数の人間にとって、悪神や魔獣でも破壊できない神塞結界の存在こそが安心の拠り所なのだ。それをすり抜けることができる中立神……いや、事実上悪神の手下がいるなどとなればどうなるか。
(いや、本当は同じだけのリスクが「昏き太陽」抜きでもある。あるけれど……)
悪神を信奉している何の力もない男がいきなりナイフを通行人に突き立てるリスクと、神々から見えないだけでやはり何の力もない「昏き太陽」のメンバーが凶行に及ぶリスクは結局同じだ。違いは地上の人間や国家に認識できるトコロにないのだから。
けれど耳で聞いた時、前者は「そんなこと気にしたって仕方がない」とため息を吐かれるのに対して、後者は確かな不安感と恐怖を与える。その直感的な恐怖を前に百万の言葉を費やして説明したところで、為政者と知識層の一部以外に誰が安堵するだろうか。
(だから教会は各国にこの情報を伏せているんだろうな。そしてミアたちもその判断を神託で覆すことはしなかった)
人類を守ることが創世教会の使命であり、彼らの肩書は地上世界の盾なのだ。馬鹿正直なだけでは、なにも守れない。
(納得はできる。合理的な判断だし、それが正解だったのだろう)
理解しつつ、俺はテーブルの下で握った拳に力が籠るのを止められなかった。
「……でも」
自然と食いしばる歯の隙間から、そんな声を漏らすのを止められなかった。
(分かっている。俺だってそうしたさ)
神々はすでに悪神や魔物に対抗する術としてスキルシステムや加護を与え、安住の地として神塞結界の秘儀すら授けている。それより先は自助努力に任せたいという意思も、分かっている。
(ああ、分かっている。分かっているよ)
各教会を通じて被害を最小限に抑える働きかけすらしているのだから、ここで彼らを責めるのは一から百まで神々に頼りきってしまうことに繋がる、堕落の道だ。
(全部、人としても、神としても、俺は理解できている)
「…………でも」
そう、それでも、一つだけ神々の思惑から外れる事態がおきた。「昏き太陽」が悪魔の短剣を生み出したことだ。
封印の力をもつ中立神による結界。それはまさしく悪魔の短剣の肝だ。今までの話から考えるに日蝕神の権能が絡んでいるとし考えられない。
アレの存在は神塞結界を無視して運搬できる犯人の存在と組み合わせることで、急激に危険なモノとなる。その証拠がロンドハイムで確認された都市内で発生したという悪魔であり、マレシスであり、トワリの暴挙なのだ。
(結果だけを見れば……違う。そうじゃないだろう。それは、後知恵だ……っ)
握った拳を太ももに落とす。トン、と軽く。もう一度トン、と。
(自分にできないことで人を責めるべきじゃない……そうだろう?)
神々にしても、日蝕神がそんなモノを作り出すとは想像すらしなかったのだろう。
俺だってそうだ。事前にこの話を聞いていたとして、日々の中で具体的に悪魔の短剣を想定して動けていたかと言えば、そんなはずがない。
トン、トン。
(……知っていたからって、何が変わったわけでもないんだ)
でも知っていれば、何かが変わったのではないかと、そう思ってしまうのだ。
知っていれば、マレシスの死は避けられたのではないかと、思ってしまうのだ。
(そんなわけ、ないのにな)
トン、トン、トン。
下唇の端を浅く噛んで、太股を軽く打ちながら、俺はじくじくと溢れてくる感情と向き合う。
「………………」
いつまでも続くかのような沈黙。俺が静かに拳を振り下ろす音だけがする空間を終わらせたのは、トーゼスが椅子を引く音だった。
「エクセルよ」
立ち上がった武の神は見上げるほどに大きい。しかし雷に打たれて焼け焦げた大木のように力なく見えた。
「そもそもの過ちはオレが日蝕神を殺しきれなかったことだ」
トーゼスの言葉に俺は何も言わず、ただ彫の深い男の顔が苦悩に歪むを見上げ続けた。
「お前の友人を死に追いやった事件の始まりは、オレの戦士としての不甲斐なさだ」
友人を死に追いやった。その言葉で、太股を討つ手にあの感触が蘇ってくる。
マレシスの心臓をこの指が貫いたときの、柔らかく、弾力があって、とても熱い感触。溢れだした血の臭気は濃く、そしてやはり熱かった。
(そう、何もかもが熱かった)
忠義と使命感に塗り固められた心の奥に滾る、彼の騎士の魂と同じくらい、火傷しそうなほどに熱かった。
「エクセル。お前に友を殺させたのは、オレだ……すまない」
苦痛に満ちた声とともに、褐色の偉丈夫は頭を下げた。テーブルすれすれまで下がった短い金髪。それを見ても、俺はすぐに言葉を出せなかった。
「わしもじゃ、エクセル」
トーゼスの横でミアも椅子を押しやって立つ。
「全ては奴の堕落に気付けなかったわしの不徳が招いたことじゃ。申し訳なかった、エクセルよ」
そう言ってミアもまた頭を下げる。
揃って深々と頭を下げた最上位神二柱の前で、俺は数秒間もただ黙って座っていた。結論は出ているのに、言葉が出てこなかったからだ。
「……分かってる」
その一言を吐き出すのに随分とかかった。
「どうしようもなかった、っていうのは、私の嫌いな言葉だけど……」
それでも俺の嫌いなモノはこの世界に沢山あって、百年生きても、神になっても、新しい経験を重ねても、それはなくなることはなくて。
「すぅ……はぁ……」
深呼吸をして込み上げて来ていたモノを飲み下す。
「ユーレントハイムの王は、トワリの反乱において、私を責めなかった」
あの戦いも、そこに至るまでの非人道的な試みの数々も、全ては彼が俺を好きになったことが原因だった。それはミア自身が言ったように、日蝕神が離反した理由にぴったりと重なる。
「あの王様は、一方的で身勝手な欲望を抱いたトワリこそ責められるべきで、ただ想いを向けられただけの私は被害者だと言い切った。私も、それが道理だと思う」
ミアが驚いたように顔を上げた。その目には涙が溜まっていた。
「この件、ミアは被害者だ。その後のことだって、人類のための最善を選んでくれたと、分かってる」
「エクセル、其方は……わしを恨まぬのか?」
「恨むつもりはない」
キッパリと言う。それがアクセラとしての、俺の結論だ。
誰にもどうしようもなかったことだ。強いて言うなら俺はまだ自分がしっかりしていれば防ぐ道があったのではないかと思っているが……ミアや教会が情報を開示していれば防げたなどと安直なことは、どうやっても思えなかった。
「エクセル……エクセルぅ……っ!!」
とうとう泣き出したミアを手招きすると、彼女は本当に幼子のような足取りで机を回り込んで、俺に抱きついてきた。軽い体を片膝に座らせ、プラチナで紡いだ糸のような髪を撫でる。
「トーゼス」
それからもう一人、頭を下げたままの神に声をかける。
「トーゼスは最強の戦士だ。それは私の目から見ても揺らぐことはない」
片手ですすり泣くミアの背中を優しく叩きながら、顔を上げた戦武神と真鍮色の目を合わせる。
「君に討てなかったなら、その時は誰にも討てなかった。それだけのこと」
「それは、いや、しかしだな……」
渋い顔を崩さないトーゼスに俺はあえて微笑んだ。
「戦士が敵を討ち漏らすのは恥?」
「そうだろう?」
「その責任感と自負は流石、戦士の中の戦士」
「……嫌味に聞こえるぞ」
トーゼスは種類の違う渋さを混ぜて余計に顔を顰めた。
俺は首を横に振る。
「違う。君は最強の戦士だけど、だからこそ知らないことがある」
「……なんだ」
「戦はいつだって時の運。実力があって、状況があって、策略があって、その上に運が乗っかる。まさに戦神三兄妹の司るとおりに」
個人の武勇を司る戦武神トーゼス、集団の戦術を司る戦論神バリアノス、そして戦場でのツキを司る戦幸神テナス。彼らは戦場の全てを三柱で大まかにカバーしている。
「地上で最も強いと言われる超越者にだって格下を討ち損ねることはある。それは相手の力のせいであったり、策略のせいであったり、運のせいであったり」
そこにあるバラつきを、この最強の神は知らないのだ。
「君は実力の部分で他の要素を塗りつぶせてしまう。だから実感がない。相手の能力でそこをイーブンに持ち込まれて、初めて搦め手と運要素が戦いに顔を出した」
話を聞く限り、それこそがトーゼスの敗因だ。
「半神半人に成って死を逃れたのは搦め手。それが成功してしまったのは運。そこは結果が出てしまった以上、受け入れて進むほかない」
例えば別の神と挟み撃ちの状況に持ち込めていれば、あるいは殺すのではなく捕らえることを主眼に置いていれば……言い出せば切がないし、後知恵の塊でしかないが、結果を変えられたとすればそのあたりだろう。
「だが取り逃がした責任は……!」
「私は君の上官じゃないし、雇い主でもない。だから決め手になるのは責任の所在ではなく気持ちの部分」
言い募るトーゼスに俺はもう一度首を振って見せる。
「お前は、その気持ちの部分で、このオレを許せるのか?同じ戦士として、オレの失態のせいでお前は友を失ったというのに、許せるのか?」
地響きのような声は自分に対しての怒りなのか、それともマレシスの死を彼にぶつけようとしない俺のスタンスに対してなのか。
(もし後者だとすれば、呆れるほどのお人好しだ……)
だからこそ最も善良なる神の一柱だと崇められるのかもしれないが。
それでも俺は俺の経験と信念に基づいて大きく頷く。
「私は地上で一度最強とまで呼ばれた剣士として、君の苦い経験に寄り添い、許そう」
その言葉に激昂するかと思われたトーゼスだが、数秒おいてガクッと肩から力を抜いた。
「……なぜだ」
「自分が討てる確証のない敵を討ち漏らしたからって、それを責めることはしない。それが私の剣士としてのスタンスだから」
トーゼスの悲しみすら感じさせる問いかけに真っ直ぐ答える。
他人の勝負に大口を叩いていいのは全く関係がなく、思慮と配慮もない第三者だけだ。俺はそのいずれでもない。
「それに前提が違う」
「何……?」
「マレシスを死なせたのはトーゼスじゃない。短剣の悪魔とそれを持ち込んだ誰か、金輪屋、日蝕神……そいつらが仇だ」
当然のことだと思うのだが、あまりに当然だからか、トーゼスは何とも言えない顔で黙り込んでしまった。
けれど俺にとっては当然のことであると同時に、具体的な敵そのものなのだ。
「短剣の悪魔は殺した。持ち込んだ奴は分からないから保留。でも金輪屋と日蝕神は、いつか絶対に私が斬る」
それまで抑え込み、飲み下していた怒りが言葉に乗る。
制御不能の激情として込み上げてくるのではなく、まだ荒いながらも刀の形を得て魂の奥底に浮かび上がってくる。魂膜に包まれる感情の源泉、蒼玉色に輝く魂核の深い部分から。
「もし二人がそれでも私に贖罪をというなら、私に奴を討たせてほしい」
「……っ」
トーゼスが気圧されたように一歩下がった。
メラメラと炉のように燃え盛る魂核が、海のような青から神秘的な若紫に変わっていく。そんな幻覚を脳裏に描きながら、俺は彼に視線を向け続けた。
「……わ、分かった」
椅子に腰を落ち着けながらトーゼスが頷く。
「どのみち半神半人を倒すにしても、地上への干渉制限がオレたちにはある。いずれ時が来た時に使徒か勇者へ働きかける手筈ではあったからな」
「ん。その使徒が私でもいい、ってこと?」
「ああ、状況さえ整えばだがな」
まるで敵意がないと示すかのように両手を上げて、彼はやや投げやりに応えた。
「それで充分。ミアも、それでいい?」
腕の中、俺の胸に顔を押し当てたままのプラチナの旋風に問う。
「……」
「……?」
返事はない。
「ミア?」
もう一度呼びかけても言葉が返ってこないので耳を澄ますと、小さくリズミカルな呼吸が聞こえてきた。
「……すぅ……すぅ」
抱きなおすとその体からは力が抜けており、くったりと首が傾いた。
どうやら泣きつかれて寝てしまったらしい。
「ふっ、ふはは……本当に子どもみたいだ」
思わず笑いが込み上げる。
(謝り、許され、泣き、そして疲れて眠る。まさに幼い世界を体現する存在だ)
俺たち全ての生きとし生ける者の母であり、同時に世界という幼子である神ロゴミアス。その小さな玉体を腕の中に抱えていると、燃え盛っていた魂の炎が少しずつ穏やかになっていくのを実感する。
「……私怨もあるけど、ミアのためにも、日蝕神は私が討つ」
「……そうだな。最初の友である、お前が討ってくれ」
口の端にわずかな笑みを取り戻したトーゼスともう一度頷きあい、俺は彼女が目覚めるまでのしばらく、椅子に座して子守歌を歌うことにしたのだった。
先日、誕生日を迎えました。もう30歳手前。
そろそろストゼロであやふやにしたい色々な不安が脳内を席巻するお年頃です。
いつまで小説を書いていられるのか、書いていていいのか。
渦巻く思考の中で確実に言えるのは「技典は何としても完結させたい」ことと、
「全力投球100%の本を出したい」ということです。
頑張るしかないんだから、頑張るぞ。(春先の名物、気圧頭痛で支離滅裂)
~予告~
アクセラが神々の懺悔を聞いている頃。
地上は王都を上げて使徒を歓迎していた。
次回、パレード




