十二章 第16話 雨狩綱平
「国王陛下、御入場!!」
衛兵の声に俺は膝をつく。
場所はユーレントハイム王城のはずれにある、人目を忍んだ小さな謁見場。教室二つほどの狭い空間に並べられた柱とそこにかけられたコバルトブルーの幕、描かれた王家の紋章、その裏に潜む薄暮騎士団の護衛。何もかもが初めて王と言葉を交わした、あの秘密の会談と同じだ。
あの時と違うのは、俺の気持ち一つだろう。
(ついに来た!ついに来た!ついに来た!)
いつになく高ぶる心を実感しながら、俺は上座に現れる国王を待った。
コツ、コツ、コツ。
王笏の床を打つ音色が、豊かな絨毯を刺し貫いて響く。そうして悠々と玉座へ歩みよる国王、ラトナビュラ=サファイア=ユーレントハイム。この人物もまた、あの日とまったく変わらない様子だった。
右手に黄金の王笏、腰に派手な白陽剣ミスラ・マリナのレプリカのレプリカ、頭に精緻な彫刻の施された金の冠。アッシュグレイの髪を後ろになでつけ、イエロートパーズのような瞳には深い思慮を宿す。
中年にしていまだ全身に覇気がみなぎり、それでいて理性の人だと一目でわかる品位と落ち着きを纏っている。まさに王の風格。
「アクセラ=ラナ=オルクス」
「はっ」
玉座についた王に名を呼ばれ、俺は目を伏せたままはっきりと応えた。
「……意外であるな。使徒として膝はつかぬかと思っていた」
本当に驚いた様子で王は言う。たしかに前回はそうしたが、今回は事情が違うのだ。
「褒美を頂くので、礼儀かなと思いました」
「うむ、うむ……姿勢として間違ってはおらんが、いっそ清々しいほどに余のことを敬っておらんな、貴殿は」
ため息交じりの台詞だが、そこには呆れと共に笑みが同量含まれていた。
初めて謁見した日から、直接の対話こそなかったものの、俺とこの御仁の間には色々な事件があった。ネンスの護衛という半ばプライベートに足を突っ込んだ依頼、国を左右しかねない大事となったトワリの反乱、金に糸目を付けぬ治療の恩、こちらからの七面倒くさい褒美の要求……それらの出来事のせいだろうか、その言葉からは親しみやすさを感じる。
(俺が使徒だと知っていることもあるんだろうな)
使徒は地上の権力に首を垂れない。それは神の直臣のような立ち位置だからだ。一方で王もまた使徒に膝を屈することはない。神ならぬ人を相手にそうすることは、国を背負う立場として許されないからだ。
(交わらない権力の系統だからこそ、ある意味で対等……いや上下の概念がないフラットな関係なんだ)
そんな関係性は王にとっても、そしてある意味俺にとっても、得難いものである。だからこそのこなれた言葉遣い。配慮として、あえてのフランクな態度。いわば半分ほどポーズなのである。
そう考えると自分の息子と同い年の少女に態度を変えられる彼の王の資質も凄まじい。同時にこちらも若輩として一歩下がる姿勢を示すのも、配慮として必要になってくる。
「いえ、陛下。王と使徒、その立場とは別に、私は陛下を敬っています」
最初に会った時の様に、お互いの立場をぶつける場ではもうない。お互いに譲り合う場であればこそ、俺は本心から思ったことを告げた。
「社交に触れて、陛下がいてくださる重みを少しは理解できたつもりです。それに、ネンスのお父上としても、尊敬しています」
「そうか。そうであったな……もう社交の場に立つ齢だったな」
つい先日、自分で俺たちの成人を祝ってくれた国王だ。しかし父としての感慨となると、やはりそこは違ってくるのだ。しみじみと彼は言った。
(分かる分かる)
心の中でうんうんと頷く俺だが、当然そんなことは伝わるわけもなく。ただ陛下はその立派な口髭の下で苦笑を浮かべた。
「貴殿の考えはよく分かった。だが、こういう場の敬礼は膝をつかないものだ」
「そうなのですか?」
「うむ。ガーニス」
国王に促され、玉座の近くに侍っていた白い服の男が一歩前に出る。
「ハッ、陛下。使徒アクセラ様、お初にお目にかかります。私は次席儀典官のガーニスと申します」
真っ白の祭服のような衣装にピッチリと整えられた藍色の七三頭。丸眼鏡とこけた頬。以前の謁見の際に同席していた王の声、ベニテスに通じるなんとも神経質そうな雰囲気の男性だ。
「これは論功行賞と同じく、陛下より褒美を賜る場であります。本来なら使徒であるアクセラ様におかれましては、特段の敬礼を必要とせぬものであります」
「ん」
「しかし礼儀を通したいと仰るのでありましたら、僭越ながらご指導をさせて頂きましょう。まず陛下直々にお褒め頂くほどの功績があるのでありますからして、背筋は伸ばし、胸は張り、堂々とお立ちになってください」
言われた通り膝立ちを止め、足を肩幅に開き、ない胸をぐっと張るようにして立つ。
「恐れ多くも陛下を真っ直ぐ見上げるなど臣下の態度にあらず、ということで視線だけ下げて頂くわけでございます。ここは先ほど申しましたように、アクセラ様のお好きなようになさってください」
「ん」
ああ言った手前、視線は下げて軽く俯くことにする。
「はい、完璧でございます」
「うむ。ガーニス、ご苦労であった。それでは早速、例の物をここに」
「ハッ」
「!」
視線を落とした俺の視界ではガーニスの裾くらいしか見えないが、彼が優雅な動作でそれを翻してどこかへ行くのが分かった。そしてこの場で持ってこさせる例の物とくれば一つしかない。
(よし!来た来た来た!!)
すぐにでも視線を上げてしまいそうなくらい待ち遠しいが、ここはぐっと我慢だ。なんなら自分でとりに行きたいくらいが、我慢我慢。我慢である。
「陛下、お持ちいたしましてございます」
視界に白い裾が復帰する。ゆらゆらと揺れる裾。その動きすらじれったい。
「アクセラ=ラナ=オルクス」
ガーニスが俺の名を呼ぶ。飛び上がりそうな体を地面に縫い付ける様に、頭を下げたままその言葉を待つ。
「先の反乱にて王子殿下を含む大勢の命を救うため奮戦し、正体不明の敵を含む魔物の群れを撃破。また現れたる魔獣三体のうち一体を討伐、更に一体を撃退せしめた功績あり。その後に主犯トワリ元侯爵の虜囚となるも抗い、これの討伐に大きく貢献せり。その身を挺した貢献をもってユーレントハイム王国は貴殿を勲二等と認めるものである」
次席儀典官が長々とした口上を告げ終えると、今度は威儀を正した国王の声が耳に届く。
「勲二等、アクセラ=ラナ=オルクス。これは其方が望んだ褒美だ。余の権力の及ぶ限りにおいて求めさせた、西方の大砂漠はエクセララのカタナである。受け取るがよい」
「ありがとうございます!」
待って、待って、待ちわびた俺はがばっと顔を上げた。俺と国王を繋ぐ道から少し脇にそれた場所に立つガーニス。その腕の中には白く長い木箱が。
「……っ」
俺が大きくそちらへ踏み出そうとした瞬間、慌ててガーニスの方から近づいてきた。それから小声で耳打ちを一つ。
「私の言う手順で受け取ってくださいませ。まず箱を」
「……ん」
思わず舌打ちしそうな自分を制御しながら、言われるままに箱を受け取る。アピスハイムあたりの香木を削って作ったのであろう、純白の木箱だ。どこか懐かしい、少し煙っぽさのある香りが漂う。
上蓋には「贈答品」と筆で書かれた漢字。それにエクセララの紋章、俺の聖印、ユーレントハイムの紋章が並ぶように焼き印で押されている。
(贈答品はなんか違わないか?いやもう、なんだっていいんだけどさ)
そう、今はどうだっていいことだ。箱より中身、大事なのは中身である。
「まずは箱を鑑賞……は、待てなさそうでございますね。よろしいですか、下賜品は箱まで含めて下賜品でございます。大切に保管なさってください」
「ん、分かった、保管する。ちゃんとする」
「では私が蓋を取らせて頂きます。その上に箱を置くように、こちらへ一旦……そうです、その通りです」
ガーニスが蓋を外して捧げ持ち、俺はその上に箱を置いて中を覗き込む。薄紫の布が恭しくかけられたそのシルエットは、まさしく俺の欲した刀だ。
(あー、もうっ、焦らすなぁ!!)
「では布をめくって、中の刀を取ってくださいませ」
身長差もあり、なかなか厳しい中腰のままガーニスが言う。彼の負担を軽くしてやるためにも、俺は手早く布を剥いで中身を露にした。
「おお……」
思わず声が漏れる。手が自然と収められた鉄の塊へ伸び、その美しい武器を掴んだ。箱から抜き取るように取り出した刀。
「おお」
もう一度唸る。
艶消しの黒が落ち着いた雰囲気を醸す鞘には、金の二本線が斜めに引かれている。鍔は紅兎と同じで前面に透かし彫りを施した透鍔。模様は半分が傘の骨のような放射条の軸線で、もう半分が瑞雲とエクセララの象徴である砂稲の穂三つ。柄巻は緑をわずかに含む醒めたような青の糸で、お洒落な撮み巻になっていた。
「綺麗」
「うむ、余も取り寄せてみてなんと美しい剣かと驚いたものだ」
国王の言葉に俺は頷きながら、指で柄巻を撫でた。固く編み上げてある。鞘を指で軽く打ち鳴らし、鍔を上下に推してみる。緩みは一切ない。実戦にも耐える拵えだろう。
「そうであるな」
ふと国王が何かを考えているように呟いた。俺は鞘を撫でる指の感覚からほんのわずかな意識を割いて上座の人物を視界に納める。
「お前が儀典官長に提出した要望書からは、お前自身が随分と刀に詳しいことが察せられた」
まるで楽しんでいるように、この国の支配者は左手で顎髭を撫でている。そのイエロートパーズのような目には、確かに好奇心の光が宿っていた。
「うむ。よければその一振りのこと、推察してみせよ」
「ん……はい」
その瞬間、俺のことを見定めたいであろう王と、刀を見定めたい俺と、両者の感情が不思議なリンクを遂げた。
『目利き:刀剣』を使えば一瞬で分かるだろうが、それでは面白くない。もう一度指の背で鞘をコツ、コツ、コツと打ち鳴らした。
「素材は鞘が黒鋼?……違う、硬すぎる。黒錆を塗したような滑らかさ……ガルガタイトに粗い硫化被膜を作ったものかな」
ガルガタイトはエクセララの誇る合金技術の生み出した硬く耐久性に優れる金属だ。ただあまり綺麗に結晶化しないので、刃には向かない。またチタンやジルコニウムの酸化被膜のように多種多様な色を生み出すことができた。
「ほう、ではその金色の線は?」
「これは違う。金色の線は金泥。あくまで装飾」
もう一つ特徴的なのが鞘の横に填め込まれた細長い小柄だろう。日用品の域を出ない小刀は、専用のナイフをいくつも持ち歩くこの世界の冒険者にはあまり必要がない。そのためエクセララの刀では省かれることも多いのだが……なぜかあった。
反対側を見ても普通はセットでつけられている笄、簪のようなものはなかった。
「柄は……なるほど」
土台は砂鮫の皮。これは標準的なものだ。しかし柄糸はアピスハイムの鬼蜘蛛糸だろう。あれは元からこのように特徴的な青色をしている。手触りがよく頑丈。その上、水洗いができる。
「鬼蜘蛛糸と金泥の塗りをした黒鞘。笄はないのに小柄はある。ハリファス=クライドの好んだ技法と姿……クライドの一門?」
俺が問うと国王はガーニスに視線をやる。すると次席儀典官は頷いて見せた。
「ニコライ=クライド氏の作だそうでございます」
「見事なものだ。続けるがよかろう」
「ん。でも鍔の模様は見たことがない」
エクセララでは刀鍛冶の工房一つにつき鍔のデザインを一つだけと定めている。これは登録制で、作られた刀がどこのものか分かるようになっているのだ。なお偽造は重罪。
「でも傘の模様はジンジャー=フェルメノーの鍔。半分の傘はその外弟子かも?」
傘軸の間隔はきっちり等しく、縁起のよい瑞雲の下で今にも揺れ始めそうな穂が並んでいる。小柄穴は稲穂の邪魔にならないよう地味に切ってあるのが分かる。
「ん」
透かし彫りを指でなぞる。角をそのままにした武骨な仕上がりだが、粗っぽさは一切感じられない。彫金の腕は確かなことが伺えた。
「……抜いても?」
「褒美であるから、構わぬ」
さすがに困った様子で主をうかがうガーニスだが、当の国王は面白そうに笑んで許しをくれる。俺はそれならと、一切のためらいもなく抜刀した。
「おぅ……これ凄い」
思わず三度唸ってしまった。
魔法の明りを吸って輝く一振りの打刀。その地金は海の色を借りてきて白銀にさっと一塗りしたような、明るくも深みのある青色だった。刃は同じ青でもずっと暗いものを孕んだ鉄色。
「心鉄にはエクセララの魔鉄。皮鉄には……なんだろう?」
こんな色の金属を俺は知らなかった。
「でも刃文は見事」
刃を目の高さにかかげ、根元から切っ先を一直線に望む。
大小の波が複雑に連なったような動きのある刃文は大湾れ刃。そこに刃と平行に走る微細な亀裂のような金筋という模様がわずかに加わり、刃文の縁が三日月状にほつれる打ちのけも見られる。切っ先は刃文と地金がクッキリと分かれて見え、小刻みな波の形を刻む。しかし刃元では境目が曖昧になり、解けるような湯走りという現象が加わり……総じて言うならかなり賑やかな刃文だ。
(やかましい。でも美しい)
荒々しく始まり、月を映し、素早く流れ、そして砕けて霧となる。まるで切っ先から刃元に目掛けて水が流れてくるような模様の刀だった。
「フェルメノーの系譜。この技法を取り混ぜまくるやり方はそれしかない」
美術品としての刀の性質を追求していた男だ。一部の者には技術の最先端だと持ち上げられ、また一部の者からは刃文がゴチャゴチャしてうるさいと罵られていた。
(俺はまあ、嫌いじゃないが……もっと刀そのもののクオリティを上げてほしいと思っていたっけな)
しかしその点、俺のいない間に大きく彼の系譜は進歩したのだろう。皮鉄の素材は分からないが、それでもこの刀がよくできた武器であることは疑いようがない。
そう伝えると国王に促されたガーニスが咳払いに続けて答えを教えてくれる。
「セリーナ=フェルメノー=グンツという方の作だそうでございます。素材は心鉄がエクセララ産の魔鉄玉鋼、皮鉄が海根鋼だとあります」
セリーナという名前は知らないが、やはりフェルメノーの系統だったらしい。だが俺の知る限り刀工ジンジャー=フェルメノーと拵え匠ハリファス=クライドは犬猿の仲だったはず。
(世代交代に伴って和解したのか?)
「おお、またも正解だな。『鑑定』か『目利き』を持っているのか?それとも自慢の技術であろうか」
「これはただの知識です」
そしてだからこそ、この青い金属の性質が分からない。知らない素材は、当然だが知識ではどうにもできない。
「海根鋼についての説明はありましたか?」
問われたガーニスは顔色を変えることなく頷く。どうやら本当に刀の素性と説明を暗記しているらしい。
「海根鋼はロンドハイム帝国南部の海に眠る金属だそうでございます。やや深い場所に珊瑚と混じって露出する、植物の根のような形状の物とのことで……採掘難易度と流通量の少なさから稀少な物だとか」
(奪ったな)
そういう金属は高貴な身分の人間やそれなりの立場……それこそ近衛騎士の一部くらいしか持っていないのではないだろうか。それが刀にできるほど手に入ったということは、そういう相手と戦って手に入れたのだろう。まあ、よくある話ではある。
「性質は水と魔力に馴染みこれを吸い、油を弾き、また非常に錆びにくいそうでございます。使った後もたっぷりの水で流せば汚れは落ちると」
(使うときには脂で鈍りにくいし手入れも楽。でも保管はちょっと面倒……水を吸う?)
ちょっと引っかかるワードだが、それはあとで試してみればいいこと。それよりも問題はやはり保管、油を塗って錆止めをするのが普通だからだ。錆びにくいと言っても限界があるだろうし、何か別の方法を考えないといけない。
「また柄が魔道具になっておりまして」
「ん……?」
「柄尻にセットしたクリスタルで刃を水洗いできるそうでございます」
(なんだその意味の分からない……いや、そうか。大砂漠では便利か)
手入れが水洗いなのは武器として破格の性質である。しかし水が潤沢ではない大砂漠では活かしづらい。そこに来て自分で洗う分の水を生成する刀は優秀だろう。
(飲み水にもなるしな)
刀から滴る水を舐めるのは絵面が最悪だが。
「それで、銘は?」
問われたガーニスは咳払い一つを前置きに、新しいアクセラの刀の名前を告げた。
「雨狩綱平」
「雨狩……綱平?」
もう一度刀を見る。青のグラデーションに染まる絢爛な刃文の刀。雨狩。狩には集めるという意味があるので、雨を集めたものが川になり、流れになるという意味でつけられたのだろう。
(砂漠にあって雨狩とは、風流じゃないか。しかし綱平?)
師が異界より持ち込んだ刀は掻雲丸綱兼と檀切り綱守。それぞれ作った刀工の名前だ。しかし今回の作刀はセリーナというフェルメノーの系譜の女性。名乗っているのか、それともエクセララで何か新しい決まり事でもできたのか……。
(これはパリエルに聞くことが増えたな)
「さて、気に入ってもらえたかな、使徒殿」
しばらく刀を眺めていた俺に、あえて使徒と呼んで率直な意見を求める国王。
俺は青い刀身を鞘に納め、上座の偉丈夫を見上げる。確かにいい刀だが、まだそうと答えるわけにはいかない。
「試し切りさえできれば、すぐにお答えできる」
「なるほど、使って見なくては分からないか。道理だな。ガーニス」
王は分かっていたように頷く。
「ハッ。アクセラ様、試し切りはいくつかご用意がございます。藁の打ち込み人形、木の打ち込み人形、宮廷魔法使いの使役するスライムゴーレム、牛の枝肉、鬼蜥蜴の尾、生きた豚、生きた罪人でございますが、いかがいたしましょう。もちろん罪人は死刑囚でございます」
ガーニスもまた待ち構えていたようにすらすらと候補を挙げた。平然と罪人が混じっているが、たしかに動く人間を斬るのとそれ以外では大きく違う。
(とはいえ生きた人間か……)
死刑囚を殺すことに抵抗はないが、あまり平然と命を散らす人間にはなりたくない。必要に迫られた時だけにしたいという思いは、エクセルだった頃から変わらないものだ。
「罪人は密輸の現場を目撃した村娘三人を口封じのため襲った男です。一人を暴行後に殺害。二人にも危害を加え、更に奴隷として売り払おうとしたところで警邏に見つかり捕らえられた者でございます」
それだけの罪であれば、王国法では犯罪奴隷か死刑か微妙なライン。しかし密輸は国の禁止品目を多く含んでいたらしい。禁止品目は物によって量刑が変わる。
(あと確か、未成年への性犯罪は領地で判断が違ったな……一番重いのが安定している王家の領地と四大貴族領、軽いのが荒くれ者の使いどころがある辺境伯領や国境沿いの領地だったっけ)
「事件が起きたのはフラメル川流域の天領でございます。陛下の名のもとに死罪の判決が下っております。本来であれば二日前に斬首となっていた男でございますな」
「なんら良心の呵責を覚える相手ではないということだ」
自分も幼い娘を持つユーレントハイム王は吐き捨てるように言う。その言葉の裏にはさっさと切り捨ててしまえという怒りが透けて見えた。
(ここで殺せないと思われても、あとあとに障るか)
「……藁人形、木人形、鬼蜥蜴の尾、スライムと罪人で」
しばらく考えた結果、俺はそう答えた。相手をくれるというなら、贅沢な話だが、ありがたく受けるとしよう。
柔らかいが繊維質で意外と斬りづらい藁人形、頑丈で厚みのある木人形、堅さと特性の違う素材が一塊となった生体パーツである鬼蜥蜴の尾、本来は切断するに柔らかすぎるスライム、そして生きた人間。感触の違う敵を複数斬ることでこの刀の性質も詳しく分かるはずだ。
(打ち込み人形って言っていたけど、木人形は切断してもいい……んだよな?)
刀の試し切りと騎士剣の試し切りは違う。俺たちは打ち込んだ感触など確認しない。使う感覚を試すわけではないのだ。目的はただ切れ味を試すだけ。生きた豚や罪人といった実戦向きの相手を用意してくれるのは助かるが。
「そうかそうか、ではガーニスよ」
「ハッ。それではアクセラ様、この者がご案内いたしますのでどうぞ。私と陛下はすぐに参ります」
「ん、分かった」
俺は貰ったばかりの刀を手に、楚々と近づいてきた女性兵士に案内されるまま謁見の間を去るのだった。
~★~
アクセラの出ていった謁見の間。残された国王ラトナビュラはガーニスに視線を向けた。
微笑みの次席儀典官はそんな王をじっと見上げ……突如その顔がグニャリと崩れる。
「……うぅむ」
「だから気が悪くなるなら見なければよろしかろうにと言っているではありませぬか」
不定形の顔と体型から揺らぐような声でため息を吐く、ガーニスだと思われていた者。
「分かっておる。分かっておるのだが……なぜかつい見てしまうのだ」
疲れたように言う王の前で、蠢く人型はやがて枯れた印象のエルフ男性の姿に落ち着く。手入れの悪そうなくすんだ金色の髪と枯草色の目を持つ、少しトウの立った優男だ。
ユーレントハイムの暗部たる薄暮騎士団の団長ズティーユ。「黄昏」の二つ名を持つ超越者である。
「して、どう思う」
王の問いに国の抱える最強の戦士は顎へ手をやる。夏ごろに初めて王の声ベニテスという仮面越しにアクセラを見た彼は、今は自分が圧倒できる存在だと言い切った。しかし将来的には分からないとも。
主からの問いかけが、それについての物であることを彼はきちんと理解していた。
「そうですな……まあ、今でも私が勝てるでしょう。さすがに超越者としてそれは保証させて頂きます」
「含みのある言い方だな」
「あの娘、前回見たときから随分と力量を上げている様子。それも並の上がり方ではありませんな。死にかけるほどの戦いで何かを得たのか、それとも新しく技術とやらを編み出したか」
ズティーユの分析に王は数度頷く。
彼とて王子だった頃は今のネンスのように冒険者として活動していたこともある身だ。アクセラの強さはそれなりに察していた。刀を手に取る前と後では、明確に少女の纏う気配が変わっていることも見抜いている。
「罪人での試し切り、反応を見られるよい試金石となるかと思ったが……少々舐めすぎであったな」
「そうでしょか。試金石にはなったのでは?彼女の年齢であれば、人を斬ることにもっと抵抗がある方が自然ではありましょう。それがないのは、まあさすがのBランク冒険者といったところかと」
王は自らの息子とその友人たちを思い出す。彼らもその生まれの責任と自負から、きっと必要に迫られれば相手を切る選択をできるのだろう。だが武具を試すために死刑囚とはいえ、人間を切れるかというと……。
「それに処刑を担う騎士や兵士に少しだけ楽をさせられたと思えば、たまには死刑囚の有効活用などという横紙破りも悪くありますまい」
「お前なぁ」
物騒なことを言い出すズティーユに王は呆れた様子で息を吐いた。
「しかし技術、か」
「レグムント家とザムロ家の接近ですな、ご懸念は」
長きを生きたエルフの問い。しかし王は否を返した。
「その件は懸念しておらぬ。対立しようとも四大貴族は四大貴族。彼らが国体を揺るがすことはまずあり得ぬよ」
「では……?」
二人の付き合いは長い。存在を秘匿されている超越者のズティーユ。実力があり、忠誠心があり、口が高く、そして独自の利権を持たない。宮廷内にいくつもの仮面を持つが、その心は王家にだけ託されている。ある意味で四大貴族よりも国王が信頼し胸中を明かせる相手だろう。
「……なに、時代が変わろうとしているのだなと、そう考えただけだ」
それでも王は胸の内に渦巻いた感情を飲み込んだ。エルフの賢人もまた、それを汲んで追及をしない。
「ええ、変革が訪れますな」
国の一番高い場所から見ている男達には、迫りくる大きな嵐が見えているようだった。
~予告~
雨狩綱平の試し切りを終えたアクセラ。
話題はひたひたと迫るお家騒動へと向かい……。
次回、二度目の会談




