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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十二章 光陰の編
291/367

十二章 第7話 代理告解【修正済み】

誤って次話「目玉狩り」の内容を掲載していました。

年の瀬のラスト、しかも結構重要な回なのに!

大変申し訳ございません。

(2023/01/10修正)

 昼下がりのレグムント侯爵領、領都ネヴァラの中心地区に建つ創世教の大教会。


「あのなぁ」


 瘦身に白衣を纏った三十半ばの男があきれ顔で髪を掻き上げる。息を切らせて走ってきた俺とエレナを見下ろして。


「仮にも貴族の女が、護衛もつけずに街から街へ走ってくるってのはどうなんだよ」


 呆れた様子で問う彼は、レグムント領に腰を落ち着ける医者のジャンだ。

 彼と初めて会ったのは五年前、王都に向かう道中でウチの馬車の前に飛び出した子供を手当てする場面でのことだ。貴族相手にも尻込みしない風来坊、自分のスキルとレグムント侯爵の施設で学んだ技術だけを頼りにする反骨の医師。そんなタイプの男である。


「まあいいさ、他人のマナーをどうこう言える身じゃねえし。とりあえずお疲れさん」

「ん、ジャンも」


 彼は肩を竦めてみせた。


「こっちはコレが仕事でな。で、走って来たところ悪いが婆さんは今起きたばっかりだ」

「ん」

「少し、待つ間に話でもしよう」


 気力のなさそうな笑みを浮かべ、男は俺たちを小規模な礼拝室に通してくれた。

 扉を閉め、長椅子に腰かけ、ダラっと力を抜くジャン。


「手紙が届いてからそんなに経ってないだろ、よく来れたな」

「冬休みだから。船は足が速いのを金で雇った」

「はっ、ホント昔から使うときはドンと使うよな、貧乏貴族のくせに」

「アポルトからは魔法とスキルで強化して、あとはただ走った」

「どういう体力してんだよ」


 からからと笑っているが、俺たちが予定をキャンセルしてネヴァラへ馳せ参じたのは全て彼の手紙を見たからだ。


 ―エベレア管区長、病状悪化につき余命いくばく。急ぎ来られたし―


 そんな風に書かれたギルドの急速便が届いたことで、俺とエレナは押っ取り刀でやってきたのだ。


「あ、あの!」


 俺と彼が言葉を交わしていると、焦れたようにエレナが身を乗り出してきた。


「エベレア管区長は、その、どう……なんですか」


 真っ直ぐな質問にジャンは数秒黙った。次に口を開いたときには、祈るように目を閉じていた。


「大腸周りに悪性の変容がある。かなり広範囲で骨にも食い込んでやがるし、もう切った張ったでどうにかなるレベルじゃねえヤツだ。もとから魔法はこういうのに効きが悪いし、薬も適した物がない」


 守秘義務でつっぱねられるかと思いきや、彼はすらすらと教えてくれた。どうも本人から関係者には包み隠さず話してよいと言われているらしい。


(大腸がん、だろうか)


 師から授かった異界の知識を引っ張り出す。たしか相当悪化するまで自覚症状が出ないこともある病気で、しかも一度なるとあちこちに広がる。

 ジャンが言った通り骨まで食い込むと俺たちの医術……スキルと魔法と発展途上の技術では、もう手の施しようがない。


「……そう、ですか」


 魔法でもどうにもならないと言われ、エレナの声は目に見えた力を失った。


「余命はあと二か月から半年。ただし延命は簡単なものしかするなと言われているから、本当のところ何処まで行けるかは運の世界だ」

「……っ」


 隣でエレナがスカートをぎゅっと握った。

 もし最短の二か月だったとしたら、俺たちがトレイスを学院に迎える頃には、もう管区長はこの世にいないことになる。


「エレナ」


 白くなるほど強く握り込まれた拳。その上に手を乗せる。

 エレナにとって、幼少期から知る人間が死に瀕しているという状況は、初めての経験だった。それだけにどう振る舞っていいのか分からないのだろう。沈痛な面持ちで、ただじっとスカートを握りしめている。


(できること……できること……あるわけ、ないか)


 ジャンは腕のいい医者だ。スキルレベルも高いし、技術的な視点も持っている。それに手術の経験がとにかく多い。

 そしてここは王都のそれに次ぐ規模の教会。管区長自身や高位の神官たちの方が、使徒とはいえ剣士である俺よりも聖属性には詳しい。この二つが揃ってどうにもならない状況は、俺にもエレナにも、どうやっても覆せないのだ。

 王都を出発した時点で分かっていたことだが、改めてそうと認識するのはキツいものがある。


「ジャン、その……何か注意事項は?」


 結局俺が訊ねたのはそんなことだった。

 彼は首を振って特にないと言う。


「スキルにしろ薬にしろ、大抵の緩和療法は意識をアヤフヤにしちまう。けど婆さんに関しては、本人の希望で意識と思考力の確保を最優先にしてるんだ。だからその辺りは気にしなくていい」


 俺とエレナは顔を見合わせ、何とも言えない表情を共有する。

 ジャンはそう言ってくれたが、痛みでも思考は鈍るものだと冒険者である俺たちはよく知っていた。そして彼の言葉の意味……それが緩和療法をしていないというコトではなく、強烈で副作用のある手段も使い、意識と思考力を確保(・・)しているのだということも、理解できてしまったからだ。

 伝えたかったのか、偶然だったのか。いずれにせよ俺たちに伝わったと、ジャンにも伝わったのだろう。ただ無言の時間が訪れる。


 コンコン


 しばらくして神官の一人がやってきた。

 管区長の用意ができたから来てほしい、と。案内を担当してくれるらしい。


「ジャン、また」

「先生、その、失礼します」

「……ああ」


 言葉少なに挨拶を交わし、ジャンを置いて俺たちは礼拝堂を後にした。

 背後で強く、ベンチを殴る音が聞こえた。


 ~★~


 創世教会ネヴァラ管区長エベレア=ロゴス=カーネイン。彼女と俺たちの付き合いは、かれこれ十二年にもなる。

 出会いは俺たちが三歳のころ。慈母神エカテアンサの加護とステータスを授かる祝福式を、ビクターとラナに乞われてケイサルまで執り行いに来てくれた神官が彼女だった。

 当時はまだ司教で、恰幅がよかった。壊れた蛇口のように喋り、話題もあっちへこっちへ脱線しまくる。賑やかで陽気な中年女性。それが俺たちの、彼女に抱くイメージだ。

 関係を一言で言うなら親戚の小母さん、だろうか。

 オルクスの名が悪すぎて、俺もエレナも貴族とは思えないほど親戚付き合いが乏しいままに育ってきた。まともに交流がある血縁はビクターの兄のカールトン子爵くらいで、彼にしても年に一度の誕生日にだけ手紙とプレゼントを贈ってくれるのが精一杯。

 そんな俺たちに彼女はよく手紙を送ってくれた。俺たちもラナに書いてもらって返事を出した。文字を習ってからは自分で書いたし、押し花や紅葉の栞なんて庶民的な物を作って添えたりもした。

 神話に造詣の深かった彼女は手紙の中で、色々な話題から面白い伝説に繋げて俺たちを楽しませてくれた。屋敷の蔵書を制覇してからは管区長の物語をお互いに読んで寝物語にしたこともある。


(エベレア管区長……エベレア司祭……エベレア、おばさん)


 ついぞそんな風に呼んだことはなかったが、今になってどうしてそうしてこなかったのかと思ってしまう。俺は、俺たちは、彼女のことを家族同然に思っていたらしい。


(ミアは、俺に何をさせたいんだろうか)


 啓示にあった「懐かしき者からの手紙」はジャンからのものだった。

 では「わしの代わりに救済を成せ」という言葉の意味は?

 この状況で、俺にできる何かとは?

 分からないまま、俺たちは管区長の部屋へと通されてしまった。


 ~★~


「ここでお待ちを……管区長様、お連れいたしました」


 教会の奥にある一室。扉を開けて中へと入った神官の報告が、外で待たされている俺たちの所にも聞こえてくる。


「ありがとう。貴女は下がっていいわ、ゆっくりお話がしたいの」

「かしこまりました……どうぞ、お入りください」


 出てきた神官が俺たちに道を譲ってくれる。入れ替わるように入室した俺たちを、ベッドの上の老婆が微笑みでもって迎え入れてくれた。


「ああ、いらっしゃい。アクセラさん、エレナさん」


 大きなベッドの上、重ねた枕に背中を預けて一人の女性が俺たちを待っていた。


「エベレア管区長、お久しぶりです」


 腰を折って頭を下げる。感謝と敬意を示すために……同時に、心を落ち着けるために。

 恰幅の良さも、髪の艶も、声の張りも、漲る生命力も、今は見る影もないその姿に。瘦せ細り、艶を失い、力なく穏やかな笑みを浮かべている。


(まるで一気に老いたみたいだ)


 まだ五十代に入ったばかりだろう。けれど目の前の彼女は七十後半に見えた。半年前に会ったときも痩せたと思ったが、ここまで衰えた印象はなかったはずである。


「こんな格好でごめんなさいね」


 掠れた声で彼女は寝間着のままの面会を謝った。

 俺たちは首を振ってそれに応える。


「王都からここまで、遠かったでしょう?」

「ん、ちょっとね」

「ふ、船酔い、しちゃいました」

「あらあら、それはごめんなさいね」


 普通のことのように答える俺と、それを真似るエレナ。そんな俺たちを見て彼女は柔らかく微笑んだ。


「手紙では言いましたが改めて、成人おめでとう二人とも。大人のお嬢さんになったわねぇ」


 エベレア管区長は少し考えるように視線を彷徨わせ、それからサイドテーブルを見た。


「二番目の引き出しを開けてくださるかしら?中にお祝いを用意しているの」

「は、はい」


 エレナが言われるままにサイドテーブルの側面を開き、引き出しからお祝い(・・・)を取り出す。それは一通の手紙だった。といっても封筒は何かの書類が入っているのかと思う程に分厚い。


「これ、ですか?」

「ええ、そうなの。無骨でごめんなさいね」


 謝る彼女にエレナは無言で首を振る。


「アクセラさん、それは王都のマルリーン大司教に宛てた手紙よ」

「マルリーン大司教?」

「そう、ユーレンにある創世教会の。甘いもののお好きな、おちゃめな人で……いえ、それは今いいわね。私の上司みたいな方よ」


 一瞬それかけた話題を本題に戻す。その会話の運びに、俺は酷く違和感を覚えた。

 話を脱線させる名人で、その脱線した話題も面白いのがエベレア管区長という人だ。手紙の上でも饒舌だった彼女が、自らに脱線を許さず会話を進める。そのことに俺は焦りを感じ取る。


(死を悟った者の、焦りだ)


 どれだけ長く生きても、人はソレから逃げられない。

 まだやることがあるのではないか、忘れている仕事があるのではないか、後人は育ち切っているだろうか、自分が居てやらなくてはならないのではないか……死を前に人は悩む。


「……これはね、私の告解なの」


 沈黙を破って彼女はそう言った。

 告解、あるいは懺悔。神や神官に己の罪を明かし、許しを得る行為だ。


「私達神官は、使徒様を見つけたら教会に報告する義務があるのよ。だけど私は、自分の判断でそれをしなかった」


 天上を見上げてポツポツと語るエベレア管区長。その顔には苦悩が色濃く浮かんでいる。

 俺のことだ。俺が使徒であるということを伏せていた、そのことが彼女の心を蝕んでいる。薄々気づきながら、俺は改めて告げられたその事実に唇を強く引き結んだ。


「教会が知れば、貴女は保護されたことでしょう。貴族の世界で貴女のご実家は、あまりいい噂がないわ……そんなところに使徒様をおいてはおけないと、マルリーン様は思われたでしょうから」


 エレナが息を飲む。

 もし教会が俺を使徒として保護したのなら、きっと彼女と俺は離れ離れになっていたことだろう。そんな危機が自分たちの幼い頃にあったなんて、彼女は知らなかったのだ。


「でも、私はエレナさんのご両親を、マクミレッツ夫妻をよく知っているわ。とても素敵な……賢くて、善良で、本当の苦悩と喜びを知っている人たちよ」


 管区長はやせ細り、黄色くなった腕をそっと伸ばしてエレナの手を取る。


「それに貴女たちが気高い魂を持っていることも、よく分かっていたわ。強く結びついていることもね」


 そう言うとエベレア管区長はふぅ、とゆっくり息を吐いた。


「どうしても、アクセラさんを教会で育てることが正しいとは思えなかった。だから、私は主に誓いを立てたの。良心に従わせてください、いつか必ず義務は果たします……と」


 そして彼女は俺たちの要請に応じてくれた。俺が使徒であると言う事実を教会本部に対して、この十二年隠し続けてくれたのだ。

 しかし約束は成人まで。先日、とうとうその期日が来てしまった。彼女が教会へ背いてまで作ってくれた時間は、終わってしまった。


「今、貴女がどういう状況にあるかは知っているわ。あのやんちゃさんが、ドレスを着て舞踏会に参加しているんですってね……?」


 くすりと笑うエベレア管区長。俺とエレナも釣られて口元を緩めた。


「悩んだわ……ええ、とても、とても悩んだわ」


 しみじみと彼女は語る。


「主への誓いを破るわけにはいかないわ。私は物心つく頃から教会と、主と、信仰のために生きてきたの。その生き方をこれ以上曲げることはできない」

「ん」

「でも、あの日、私が人生で一度だけ神官の使命に背いた時……あの時の私は、こんな苦境にある貴女を追い詰めるようなことのために、あの選択をしたわけではなかったはず」


 神官としての使命と良心。その板挟みにあっている彼女は苦悶に顔を歪める。


「だからね、その手紙は告解なの」


 口ぶりに迷いはない。もう決めたのだという強い意思が感じられた。けれど同時に、そのことが苦痛を増していることも察しがつく。


「私があの日、使命に背いたことの告解よ。そして、このズルい逃げ道を使うことへの告解でもあるの」

「逃げ道?」


 エレナと繋いでいた手を離し、代わりに俺の方へ差し出す管区長。

 その弱々しく骨ばった小さな手を、俺は黒い長手袋に包まれた手で受け止める。


「ねぇ、使徒様」

「……ん」


 俺は膝を屈してベッドの上の彼女と目線を揃えた。


「死に瀕した愚かな女の願いを、聞いてくださいますかしら」

「……」


 その言葉の意味を分かりかねて、俺は口を閉じる。


(聞く、と答えればいいのだろうか)


 しかし俺が聞いたところで何になるだろう。違う神の使徒で、正式な神官でもなく、そして何より彼女の苦悩の元凶だ。

 そんな疑問は、エレナの呟きによって晴らされる。


「代理告解……?」

「?」


 エベレア管区長が微笑んで頷く。

 俺はエレナを見上げ、視線だけで先を促した。


「えっと、告解って教会の礼拝堂か、同じ神様の神官にじゃないとできないでしょ?」

「そうなの?」

「その通りよ。ただし自分が神官なら、ですけど」


 誰でも神官相手ならできると思っていたが、違うらしい。


「でも、例えば旅の途中に教会のないところで倒れちゃったりしたら、どれだけ告解したいことがあってもできないでしょ?」


 告解の本来の意味は、平たく言ってしまえば自首による減刑のようなものだ。死んでヴォルネゲアルトの裁判にかけられる前、まだ生きているうちに神の僕である神官に罪を告白する。神官とその向こうに居る神から許しを得ることで、裁判で情状酌量が得られる。


(って言うとすごく俗っぽいけど)


 しかし、人は多くの苦悩を抱えて生きるものだ。それを少しでも軽くし、許され、その先を生きていくには必要なプロセスだと思う。


「神官にとって告解はとても重要なの」


 管区長は言う。神官は神の御心に思いを馳せ、それを市井にもたらす仕事だ。大きく背けばスキルを剥奪されるが、意図せず添えなかったり、今の彼女のようにどちらも神官として名分の立つ選択をしたりする際には誰も道を示してくれはしない。

 神官たちは常に自分の行動は正しいのか、一種の疑心暗鬼に陥りながら生きていくことになる。だからこそ、その憂いを告解で許されないままに死ぬことを恐れる。


「だから、代理?」

「うん。別の神様の神官でも、そういう場合には告解することができるんだよ」


 つまりそれは緊急避難的な選択肢なのだろう。こんな教会の中でとるような手段では決してない。それこそ管区長が「ズル」と評したように。


「代理告解された神官は、必ずした神官の教会に行って、位の高い神官に伝えなくてはいけないの。道半ばで倒れた神官の罪を運んであげる、ということね」


 つまり彼女は俺に代理告解を行い、運ぶべき罪を書状にしたためて託そうというのだ。


(これが「わしの代わりに救済を成せ」か)


 ミアの啓示の意味が分かった。そしてその啓示こそ、彼女が自分の(しもべ)たる管区長を許しているという証拠に他ならない。


(なら、そうしてあげるのが俺の務めだな)


 エベレア管区長を小母のように慕う身として、またミアの友として。

 俺は深く息を吐いてから頷いた。


「わかった。代理告解、受ける」

「ありがとう、アクセラさん」


 ホッとしたように微笑む彼女のため、俺は目を神眼に切り替える。

 真鍮色に輝く瞳を見た管区長は大きく目を瞠り、それからそっと閉じた。


「なんて美しい目かしら……私には、直視できないわ」

「……大丈夫、告解が終われば、いくらでも見られる」


 皺の寄った手をとり、聖属性の魔力を部屋いっぱいに広げる。


「天にまします我らが主、我らの願いを聞き届け、その御力を以ってこの地を清め、悪しきを祓う祝福を与えたまへ」


 聖魔法上級・サンクチュアリ


 浄化の魔法で一時的にこの場所を俺の聖域にする。他の神の聖域でするべきではなかったかもしれないが、代理告解の定義を考えるならこうするのがいいだろうと思ったのだ。


「貴女という神々の御宝に、私の罪と秘密を明かします」


 空気が変わったことを察した管区長は、目を閉じたままゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 使命に背いて俺の秘密を守ってきたこと。代理告解という抜け道を使って立てた誓いを欺くこと。一度話始めると、それ以外にも本人が気がかりだった己の人生の反省を、彼女は堰を切ったように吐き出した。


(この人は、本当に高潔な神官だ)


 エベレア管区長はずっと己の管区をよくするため、身を粉にして働いてきた人だ。

 炊き出し、定期的な無償医療行為の提供、それに商工会と連携しての職の斡旋など貧民救済に力を入れてきた。寒村への神官の定期的な派遣や教会の騎士団による独自の見回り、私学での説法にも力を入れてきた。位が上がる前から上がってからも、市井からの告解を自分で聞いていたりもしたらしい。


(ずっと、ずっと戦ってきたんだ。彼女は神官として、ここで、優しくはない世界を少しでも優しい場所にするために)


 そんな誰もに慕われる偉大な宗教人でありながら、己の至らなさと救えなかった命への悔いをこれだけ持ち続けていられるのは……この上なく善良な証だ。


「この罪と秘密をいつの日か、必ず我が主の下にお運びください」

「ん……必ず」


 滔々と続いた告解は数十分におよび、病床の婦人は息を切らしていた。


「さ、目を開けて」


 頬に手を添えて言う。

 管区長は疲労と感情の高ぶりで赤くなった顔で数度頷き、瞼をあけて俺の目を見た。


「ああ、ああ……美しい、本当に美しい瞳ね」


 そう言って涙を流す彼女の手を、俺とエレナは二人で握った。


「エベレア管区長、告解は終わったんだから、楽しい話をしよ?」

「そ、そうだよ!ね、色々あったんですよ、この数日で」

「ええ、そうね、そのとおりね」


 空いている方の手で目元をぬぐい、彼女は俺たちの手を握り返す。


「それならダンスの話を聞かせて頂戴。きっと二人とも、美しかったのでしょう?」

「ア、アクセラちゃん、すごかったんですよ!」

「エレナも可愛かった」

「まあ、何曲踊ったのかしら?」


 それからしばらく、俺たちは他愛もない話をした。

 デビュッタントボールのこと、貴族の夜会のこと、新しい刀や魔法を手に入れたこと、大人気のAランク冒険者「黄金剣」と知り合ったこと、パーティメンバーが増えそうなこと、気になる脱走奴隷の少女がいること……そして二人が付き合い始めたことも。


「そう、貴女たちが……素敵ね、おめでとう」

「あはは、創世教としてはアウトですけどね」

「そう言う人もいるけど、私はいいと思いますよ?」

「そうなんですか?」


 朗らかに笑って彼女は、寝間着の胸元から長い鎖につながれたペンダントトップを引っ張り出す。鞘に納められた十字剣の形をしていた。白陽剣ミスラ・マリナを模っているのだろう。


「ええ。子供が生まれない結婚は上げられないのが創世教会だけれど、ヒト二人が愛し合うことで生まれるのは命だけじゃないわ」


 ペンダントトップをエレナに見せる管区長。

 彼女が聖印ではなく、白陽剣のお守りを付けているのは意外だった。


「剣は戦いの道具よ。それ自体が何かを生み出すわけではないわ」

「ん」

「でも、誰かを守ることができる道具でもある。きっと守られたモノから、何かが生まれるわね?」

「は、はい」

「それと同じ……人の善き心から生まれるものは、どんな形の何であれ、世を創る奇跡の一片よ」


 そう言って笑みを深め、彼女はそっとお守りをしまう。


「私が旅立った日には……うッ!」

「エベレア管区長!?」


 何か重要な事を言おうとしたのだと思う。

 しかし言い切る前に彼女は鳩尾の下あたりを押さえて呻いた。


「ジャン、呼んでくる」

「ま、待って、大丈夫よ……!」


 立ちかけた俺を押しとどめ、苦痛に耐えながら彼女は首を振った。


「大丈夫、大丈夫だから……この痛みは生きている証拠だもの。主に頂いた肉体で、主の僕として、主の試練の中で旅を終える……神官にふさわしい最後だわ」


 無理に浮かべた笑顔を前に、俺とエレナは顔を見合わせて、浮かせた腰を落ち着けた。


「ちょっと、失礼……主よ」


 管区長の腹に手を添え、聖属性ペインアブソーブを使う。回復させるわけではなく、単純に痛みを軽減する魔法だ。


「アクセラさん……?」

「使徒からの、心遣い」


 彼女は脂汗の浮かぶ顔にかすかな微笑みを取り戻す。


「……そういうことなら、受け取らないとね……うふふ、でも、少し疲れてしまったわね」


 痛みを訴える前より意識が薄らいでいるのか、声がやや不安定になってきている。

 眉を寄せるエレナを見て、彼女はあやすように蜂蜜色の髪を撫でた。


「大丈夫、眠くなってきただけよ……ジャンくんは良くしてくれているけれど、私の体力が落ちているのね……こうして、とっても眠くなるときがあるの……」

「アクセラさん、一つお願いをしても、いいかしら……?」

「なんでも」

「背中の、使徒様の紋章を、見せてくれないかしら……」

「お安い御用」


 俺は頷いてから立ち上がる。ベッドに背を向けてドレスシャツのボタンを上から順にお腹まで外し、袖を抜いて上裸になる。


「ん」


 後ろに手を回し、白いブラのホックを弾いた。片手で緩む胸元を押さえつつストラップを引っ張る。むき出しになった背中に、伸びた白髪がかかる感触。もう片手で後ろ髪を首に沿わせて前へ流す。


「そう……そうなのね……これが技術神の、エクセル様の……」


 振り向くとエベレア管区長は再び涙ぐんで俺を見上げていた。

 背に負う大きな技術神の紋章。金槌、刀、杖が交差し、稲穂と本の描かれた技術の印。そして真鍮色に煌めく双眸。この時代に四人しかいない使徒の証を見て、敬虔な彼女はたしかに神の存在を感じているようだった。


「アクセラさん……ずっと、ずっと気がかりだった……人として、神官として、正しいことをしたつもりだったけれども……教会の一員として、主の定めの中で生きる者として、正しかったのか……」


 一度の告解ではその重い荷物は下ろしきれなかったのか、彼女は泣きそうな顔でうわごとのように繰り返す。


「人として正しいことをした者を、ロゴミアスが否定するはずない」

「そう……そうかもしれないわね……使徒様に、そう言ってもらえると……安心、できるわ……」


 俺は少し考えて、それから言うか言うまいか悩んだ言葉を贈ることにする。


「私に啓示を与え、ここに差し向けたのはエクセルじゃない。何も恐れる必要はない。ロゴミアスは貴女を祝福する」


 それで意味は伝わったのだろうか。もう明けていられないとばかりに目を閉じながら、エベレア管区長はもう一度涙を流した。


「そう……そう……ああ、ありがとう……ありがとう……」


 それを最後に、彼女は意識を失った。


「……寝ちゃったね」

「ん」


 呼吸を確かめ、もう一度ペインアブソーブを施し、掛布を肩までかける。


「……ミア様、祝福してくれるかな」

「する。ミアは人を愛してるし、自分の神官を大切に思ってる」


 一人一人死後に会いはしないだろうが、それでいいのだ。

 エベレア管区長だって神に褒められたいから神官として頑張ってきたわけじゃない。そういう生き方を選んだ女性がいて、それを見届ける神がいて、それだけでいいのだ。それが神官というものなのだろうから。


「……帰ろうか」

「……うん」


 俺たちは頷き合い、エベレア管区長の寝室を後にした。


大晦日にこんなお話で、ちょっと申し訳ない限りです。

母の入院から始まる諸々の遅延さえなければ、

エレナの派手な活躍で一年を〆られる予定だったのですが……。


ともあれ、今年も技神聖典に一年間お付き合い頂き、

ありがとうございました。心からの感謝をm(__)m

かれこれ五年も連載している拙作ですが、

開始からの読者さんはまだおられるのでしょうか。

もしいらっしゃるなら、とても嬉しいです。


これから技典は野放図に放ってきた伏線を回収し、

一応のフィナーレへ向けて物語を固めていく予定をしています。


オルクスのお家騒動、ジントハイム公国の干渉、創世教の使徒、そして「昏き太陽」。

消化するにはまだ何章もかかるとは思いますが、

最後までアクセラたちの人生に付き合って頂けると幸いです。


それではよいお年をお迎えください。


~予告~

久々のダンジョンへ挑む少女たち。

冒険者となったアレニカを伴い

新しい戦い方を確かめるために。

次回、目玉狩り

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新していただき、ありがとうございます。 毎週楽しみにしていたので、ちょっとモヤモヤしてましたw これからも、完結に向かって頑張ってください。 (いつの日か、アニメ化されることを夢見てます。…
[気になる点] これ、もしかして7話の代わりに8話の内容が入ってます?
[一言] よいおとしをー
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