十二章 第6話 記憶の復活
「はぁ、はぁ、はぁ」
「ふー……」
ブルーアイリス寮の自室のベッドの上。俺とエレナは一糸纏わぬ姿でぐったり横になっていた。シーツ一枚被ることなく、掛布も全て蹴飛ばしてしまって、ひどくあられもない寝姿で。
「エレナ、激しくしすぎ……」
「今日はさすがにアクセラちゃんでしょ……うぅ、腰だるぅ」
力なくエレナが呻く。今この部屋はガンガンに空調魔道具で暖房をきかせている。汗だくで火照った肌にすら暑く感じるほどに。
「一回止めれば……?」
「止めてー……」
「自分でしなよ……」
「うぅ」
魔道具のスイッチはエレナ側のベッドサイドだ。彼女は起き上がることなく片手をそちらへ伸ばし……届かず断念した。
「むりぃ」
「横着しないの」
「横着じゃないもん、アクセラちゃんのせいで起き上がれないだけだもん」
「そんな激しいコトしてない」
「足ガクガクですぅ」
なぜか自慢げにそんなことを言う俺の恋人。絶対そんなことはないだろうと思いながら、腕に抱き着いて甘えるエレナを見ると「まあいいか」という気持ちになってくる。惚れた弱み、という奴だろうか。
「もう……よいしょっと」
仕方がないので気怠い体を起こし、エレナの頭を超えてベッドサイドに腕を伸ばす。ギリギリ届いた指先でスイッチを弾けば、空調魔道具は少し低い音を立てて停止した。
(ミッション完了)
自分の定位置に戻ろうとしたときだった。
「んひゃ」
いきなり下から抱きつかれて、俺は変な声を上げた。
まるでアリジゴクか何かのように、腕を背中に回して絡みついて来るエレナ。欲情してというよりはただ甘えているカンジで、俺の薄い胸に顔をごしごし当ててくる。
「エレナ?」
「むぎゅー」
「ん……もう」
仕方がないので体を彼女に預け、代わりにフリーになった手で蜂蜜色の髪をがしゃがしゃとかき混ぜてやる。それから鼻を押し当てて、旋毛の匂いを嗅ぐ。シャンプーと汗とヒトの匂いがした。
「……アクセラちゃん」
「なに?」
「……すき」
胸元でそんなことを言うエレナが可愛くて、俺はもっとぐしゃぐしゃに髪をかき混ぜた。
「ちょ、頭すごい事になるから……」
「もうなってる」
少し前までかなり激しく動いていたのもあって、すでに彼女の髪の毛は嵐の後の森のようになっている。それは自覚があるのか、言葉の割に抵抗は帰ってこなかった。
「私も好きだよ」
「えへへ」
一頻り髪を掻き乱してから、俺はエレナの頭頂部に唇を当てて返事をする。彼女は照れ臭そうに笑って、もう一度強く俺に抱きついてきた。
それでじゃれ合いはお仕舞。腕が解かれたので、今度こそ定位置に寝転がって冷えてきた空気を胸いっぱいに吸い込む。
「まだ暑い……」
今度は自分のベッドサイドのテーブルから水差しを取り、コップによく冷えた水を注いでエレナに渡す。二つ目のコップを取り、注ぎ、二口ほど飲んでから俺は息をついた。
「あー……ちょっと熱出てきたかも」
「え、調子悪い!?」
エレナが慌てて体を起こす。俺はそれに首を振って応える。
「違う、ミアが言ってた『技術神』の解放に伴う記憶開放」
「え、あれって寝てる間にされるとかじゃないの?」
本当は寝ている間に行われるもので、俺がなかなか寝ないから勝手に始まったのではないだろうか。
「寝る?」
「ん……ちょっと気になる情報を思い出したから、待って」
まるで透明な水の中からガラス製の文字が浮かび上がってくるように、曖昧でそこにあると認識できなかったものが続々と目の前に姿を現していく感覚。
その中で最初に完成した意味を持つ知識は、まるで一冊の本のように意識を通過して既知の中へと組み込まれて行く。
(『技術神』は神である俺が転生使徒として活動するために、神性をスキルの形で分離し運用しやすくまとめたもの……うん、それは覚えているぞ)
しかし俺が魔獣ペインと戦ったとき、アクセラとしての肉体を大幅強化する『技術神』のアップデートを使ってしまった。結果、あまりの負荷に精神が耐えられなくなり、そのスキルは安定する成人の頃まで封印されたわけである。
(ただ急激にスキルとそれに付随する天界の知識を全て封印すると、負荷が瞬間的に高まってしまう危険性があった。なるほど、なるほど)
溢れてくる知識を取捨選択し、とりあえず欲しい部分だけ速読のように理解していく。
(知識の封印は段階的に数日かけて、記憶の齟齬を緩和するためある程度曖昧な条件で、自然な忘却に近い形で行われる。ふむふむ)
つまり、あの事件の前後の記憶には俺が気づいていないだけでいくつも欠落があるんだそうだ。
俺が今日ミアに言った「神々の知識と関係ない記憶の封印」が実際に起きていたというわけである。理由は彼女のウッカリではなかったが。
(しかし五年以上前の話だしな……普通に忘れてることの方が多いような)
とそこまで考えた俺だが、ふと確かに欠落した記憶があることに今気づいた。
「エレナの加護紋章が違う理由、調べてなかった……」
「えっと、何の話だっけそれ」
封印と関係なくエレナも忘れているようだが、俺はハッキリ思い出してしまった。
「エレナ、紋章見せて」
「え、えっと……はい」
今更少し恥ずかしそうに顔を赤らめつつ、エレナはその豊満な胸を両腕で挟んで差し出してきた。妙に煽情的なポーズである。
まだ引き切らない火照りで薄赤く染まった胸元。たわわな左の膨らみの上にその紋章は刻まれていた。開かれた本の上に長さの違う杖が三本交差して置かれ、その後ろへ二対の翼……俺本来の紋章とは似ても似つかないソレ。
(やっぱり)
俺が彼女の体に紋章を刻み込んだとき、二対の翼はどちらも閉じた状態だった。しかし今は一対が完全に開かれている。タイミング的に考えて魔眼の発現が理由だろうか。
「……」
「あんっ」
無言で紋章を指でなぞると、驚いたのか少し色のある声を上げるエレナ。直後に掌が頬っぺたへ押し当てられた。
「急なセクハラ禁止!」
「セクハラ大魔神のくせに……」
自分は散々触るくせに、とちょっと唇が尖る。
「それはいいの!とりゃーっ」
意味不明なことを言いつつ俺の胸に手を伸ばすエレナ。魔手が到着するより早く鼻の頭を弾いてやる。
「成敗」
「いてっ……むぅ!」
「むぅじゃないよ、もう……で、エレナの紋章が私のと違う理由だけど」
「え、あー……確かに違うよね」
もう一度触れようと指を伸ばし、ぺしっと戦き落される。お返しとばかりにべっと舌を出すエレナ。可愛い。
「トレイスくんも違うから、あんまり気にしてなかったなぁ」
トレイスの紋章は正しいエクセルの紋章に対して、全てのパーツが逆向きにセットされている。それは「未来の可能性を花開かせる」という加護を改造し「過去の努力を結実させる」という機能に改編したから。
(今考えると恐ろしいことしたよな、俺)
トレイスの魂を直接操作し、改造した加護を根付かせる。いくら暴走し続ける魔力過多症を止めなくては彼の命がなかったとはいえ、失敗したらしたでやはり死なせてしまうような施術だった。
よくまあ不慣れな神力操作をあの場で強引に敢行したものだと、我がことながらあきれてしまう。もしかするとアレもアクセラという未完成な子供の脳を通して考えていたからこその蛮勇だったのかもしれない。
(まあ、それは今はいいや)
「エレナの紋章が杖ばっかりな理由を調べようと……あ、分かった」
「え、うん……?」
会話の途中でいきなり理解したようなことを言ったせいで、エレナに変な物を見る目で見られた。
「丁度そのあたりの知識が復活したから」
「な、なるほど」
それは紋章の特徴に関する神々の基礎知識だ。おおまかに何が何の象徴で、どういう系統の神に使用されることが多いかという、本当に基礎的な知識。しかし同じアイテムでも神が違えば意味や解釈も変わるわけで、この知識だけでは詳しいことは分からないようだ。
(ほぼ百パーセント紋章学に則っている貴族の家紋とはワケが違うってことか)
そしてエレナの杖はというと。
「ん、才能が魔法に偏り過ぎてるから、みたい」
「なんていうか、まあ察しはついてたよね」
エレナが半笑いで肩をすくめる。紋章の描かれた果実が小さく揺れる。
「あ、じゃあ翼は?杖は分かり切ってるけど、翼はよく分からないもんね」
彼女の言葉に俺は基礎知識を漁る。
「翼は……駄目、解釈がしづらすぎ」
翼そのものはあまり使われないが、神々の紋章に存在しないモチーフではないらしい。ただ飛翔や鳥とか、そういう直接的な意味合いが多いようだ。
「紋章が途中で変わること自体は珍しくない。タイミングも考えると、可能性の開花とか?」
「まあ、それくらいしか思いつかないよね」
ただ可能性の開花となると、言葉通りの蕾が花になったり若芽が木になったりする方が、紋章としては一般的なんだとか。
「そういえば話は変わるけどさ、エクセル様って、今どうなってるの?」
「目の前にいるけど……」
哲学的な事を言い出すエレナに俺は首をかしげる。すると彼女は唇を尖らせて俺の頬をつついた。
「むぅ、そうじゃなくてさ」
「ん」
「今目の前のアクセラちゃんは、アクセラちゃんであってエクセル様じゃない……みたいなコト言ってなかった?」
「言った……?」
「大分昔に」
エレナの指摘に記憶を遡るがまったく思い出せない。次々に思い出される膨大な知識のせいなのか、単純に覚えてないのか、そこまでは分からないが。
「よいしょっと。で、どうなの、そのあたり」
うつ伏せになって肘をつき、顎を乗せて俺を覗き込むエレナ。片手で頬をつつき回すのはやめる気がないようだ。
(可愛いな……あ、俺がエクセルか否かだっけ)
ぼうっと愛らしい顔を見上げながら考える。
「今の私は……んん、確かにエクセルとちょっと違う。それは事実」
段々と脳を圧迫しだす情報の圧に辟易としながら、それは前々から覚えていたことなので整理して言葉にする。
「でも別にエクセルが天界にいるとか、意識のない体だけがあるとか、そういうことはない」
「そうなの?」
「ん……」
もう少し考える。何かいい例えはできないだろうかと。
それからふと、数日前のおやつだったあるお菓子を思い出した。
「アーモンドが入ったチョコのお菓子、あるでしょ」
「えっと……あるね?」
「アーモンドがエクセルなら、それをチョコで包んだお菓子そのものが私」
(これはいい例えだろう)
「アーモンドは外から見えないけどそこにある……ってこと?」
「ん。それにアーモンドはチョコ菓子に加工しなくてもアーモンド。でもチョコ菓子はアーモンドなしに成り立たない。私とエクセルはそういう関係」
(うん、完璧な例えだ)
そう自画自賛するも、エレナはなんだかピンと来ていない様子。
「……アーモンドチョコ食べたくなっちゃった」
「……太るよ」
何か別の例えをするべきだろうかと考え始めたのとほぼ同時、彼女は俺の頬に突き立てていた指を額に動かした。
「ほんとにちょっと熱出てるね」
なんだか熱のせいで変な事を言ったような扱いをされた。不服だ。
「知識は別に今日一晩で現れて消えるわけじゃないんでしょ?」
「もちろん」
また何か無茶をやって『技術神』を再封印でもされない限り、この記憶と知識は俺の物として死ぬまでついてくるのだろう。歳を取ってボケたら知らないが。
「じゃあ体調がよくなってからにしよ。もう時間も遅いし」
「それは、そうだね」
明日はダンジョンに行く予定なのだ。それに早めに始めたとはいえ、盛り上がってそれなりの時間を爛れて過ごしてしまった。この上、記憶の更新を挟んでなお夜更かしなどしたら、本格的に差しさわりがあるだろう。
「わたしはざっと汗だけ流してこようかな」
「時間が時間だから、そっとね」
「はぁい。もし眠くなったら先に寝てていいからね」
「ん」
脱ぎ散らした服を広い集めて抱え、部屋を出ていくエレナ。その引き締まった背筋と丸いお尻、筋肉質な足へのラインを目で追いかけながら、俺は脳内に増えていく知識へもう一度だけフォーカスする。
(ミアに相談する前に、少しだけ調べておこう)
探すのはトワリの砦で逃がした奴隷のイーハと悪魔のバロン、二人のために作るつもりの封印魔道具についてだ。
結界を無視して彼を壁の内外へ移動させられ、もしもの時にその戦闘力を制限でき、究極的には生殺与奪を掌握する。そんな凶悪で都合のいい魔道具が、あれほどの大悪魔と切り離すことなく彼女に居場所と教育を与えようと思うと、必須となってくる。
(それでもミアが許可を出すかは怪しいけど)
とはいえ、まずはソレがないとミアともバロンとも交渉ができない。
(理論はあるんだがな)
邪悪を退ける神塞結界にかかることなく悪魔を持ち運びする方法。どこかで聞いたことのある機能だ。
そう、参考にするのも業腹だが、根本的にはマレシスの人生を狂わせた例の短剣と同じなのである。
「……ん」
手に蘇る友人の心臓を貫く感触。それを振り払うように、俺はエレナの匂いの染みついた枕に顔をうずめた。
「すー……はぁ……」
深呼吸して気持ちを落ち着かせ、知識の洪水を読み解く。輪廻転生やスキルシステムの基本概念など、微妙に覚えていた情報が補完されていく中、一つの情報を辿って。
(悪魔の短剣に使われていた結界、あれは神の手によるものだった)
神力を用いた結界は、その神力の属性で誰が施したか分かるらしい。俺は神としての経験が浅すぎてどの神のものかまでは分からないが、それでも少しだけ読み取れたことがあった。
それはあの悪魔の短剣が、マレシスやトワリ領の民の命を奪った邪悪の塊が、悪神ではなく中立神の力によるものだということ。
「中立神の結界……ん、これかな?」
飛び交う知識の中から一つを捕まえる。
「えっと……」
目的の知識を「見聞きしたことがある」レベルから「分かっている」レベルまで引き上げてやる。
(この結界、封印に関わる中級神以上が使える汎用結界なのか)
神力を扱う能力というのは、基本的に神の格と系統に影響されるらしい。つまり格が高いほど複雑で大規模な神力操作が可能であり、系統に沿う内容である場合にはこれにボーナスがつく、らしい。系統ごとに得意なもの、よく使うもの、そして固有のものまである……らしい。
(あー……いい加減、自分の頭の中に伝聞調の知識があるの、気持ち悪くなってきたな)
具合が悪くなってきたので知識を漁るのを止め、枕を離して仰向けに戻った。
(あのナイフに関わっているのは中級以上の格で、その権能が封印に関わっている、中立にある神の誰かってことか)
そこまで分かれば、次にミアに会った時にでもヒントが貰えそうだ。よく書いたら書きっぱなしで忘れがちな心のメモ帳へそのことを書き添えておく。
(しかし、俺はそういうこともできるのか)
技術神の権能に封印は関係ないが、俺は割とあっさり例の結界を再現できるようになっている。まだ実践はしていないが、十中八九できるだろう感触あった。
つまりかつて俺が天使パリエルを改変したように、あるいはトレイスへ細工した加護を与えたように、俺の権能の根幹はまさしく「器用である」ということのようだ。
(これなら案外、実物さえ手に入ればなんとかなるかもしれない)
バロンを封じる道具の素材は最高級の奴隷用首輪を検討している。アレは危険なものだが、同時に魔道具としては最高峰の存在でもあるのだ。なにせ細かい命令を処理する機能があり、多くの魔法を詰め込める素材的キャパシティがあり、そして英雄クラスの存在をも支配する強制力がある。
ただそれだけに、王家のツテがあっても中々手に入れられない。『完全隠蔽』と同じ効果のある魔道具、隠者の外套と同じで管理責任があるからだ。外套との違いは、そもそも国の管理下にあまり置かれておらず、闇に相当数が出回っていること。
(イーハに使われていたのも闇の品だろうし)
まともな奴隷商が悪魔持ちを奴隷にしようとするとは思えない。
(親父殿なら、オルクス伯爵なら、手に入れられるんだろうか……)
蛇の道は蛇というし、あの男ならソレを入手できるのかもしれない。もしそうならこれからの動き次第では証拠品の中から一つくすねさせてもらいたいものだ。
そんな物騒なことを考えているうちに、さすがに疲れて来たのか、俺の瞼は段々と重くなっていく。思い出したように気怠さが手足を絡め取り、意識がふわふわと不安定になる。
「ふわぁ……あふぅ」
大きくあくびをした俺は行儀悪く足で引き上げた掛布を口元まで被る。そのままパジャマを纏うのすら面倒になり、一糸纏わぬまま眠りに落ちるのだった。
わずかに微睡んだあと、エレナに起こされて服を着せられたのは言うまでもない。
~予告~
ミアの啓示に示された古い知人からの便り。
それは親愛なる人物の急報だった。
次回、代理告解




