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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十二章 光陰の編
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十二章 第5話 死神と乙女

「ホラン」


 屋敷の敷地に建つ別館、アトリエでありギャラリーであるその白い建物に入った俺は執事頭の青年を見つけて名前を呼んだ。展示されている絵の一幅を見上げていた彼はすぐさまこちらへ向き直る。


「お嬢様、ご足労をおかけいたします」

「ん、いい」


 隣に立ち、ホランの見ていた絵を俺も見上げる。その部屋には勇ましい絵がいくつも飾られているが、中でもソレはかなり大きな一幅だった。


「死神と乙女……?」


 絵の下には金のプレートが釘止めされており、そんなタイトルが刻まれていた。油絵だ。内容はそのまま、死神と乙女が対峙する姿を描いたもの。死神は病的な痩身で、纏う衣には死者の顔や手が克明に浮かび上がっている。一方の乙女は白髪をたなびかせ、光の槍を携えて死神を睨んでいた。


「この絵は?」

「ノルス=ソディアクという画家の新作です」

「ん……」


 さすがに画家の名前を聞いても分からない。そう俺が言うとホランは、ノルスなる画家が王都全体でそれなりに人気のある人物なんだと教えてくれた。この画廊には伯爵が自ら描いた絵と集めてきた絵が両方あるが、ノルス=ソディアクによる作品は少なくないらしい。


(お気に入り、なんだろうか)


「トワリの反乱を描いたそうで……乙女は貴女です」

「なんとなく似てると思った」


 体形は違うが顔が似ている。ただどちらかというと、画廊の奥に飾られている俺の母の方に似ているような気もした。俺の髪も伸びてきたが、絵の乙女や肖像画の母に比べればまだ短いからだろう。


(それよりも気になるのが……)


「私、槍を使うことになってる?」

「いえ、そういう話は聞きませんが……」


 なら堂々と光の槍を持つ俺というモチーフはどこから来たのだろうか。


「先代当主様は槍の名手だったそうですから、そこからではないでしょうか」

「……なるほど」


 それにしてもなぜ打ち取ったエレナではなく俺なのか。見れば見るほど奇妙な絵で、俺はただ首をかしげる。


「お嫌いですか?」

「そんなことない。綺麗な絵」


 自分が描かれていると考えればビミョウだが、絵自体は嫌いじゃない。そう伝えると彼は少しだけ優しい笑みを浮かべた。しかし俺がその表情の意味を問うより早く、彼の方から別の質問が投げかけられた。


「お父上からは何か?」

「……色々」


 苛立っているばかりの印象が強かった彼だが、今日は随分と見え方が違って見えた。より不安定で、より弱っていて、そして……より哀れだった。


(少し重なるのはトワリ侯爵の狂態、だろうか)


 そう思えば人間に興味を失っていたトワリが父にだけは妙に同情的だったのも頷ける。二人はともに建国以来の貴族家に生まれ、一族の在り方に人生を歪められ、父親から虐待同然の仕打ちを受けてきた。そこにシンパシーが生まれるのは必然だったのかもしれない。

 もちろん実際に相対してみた感覚は明確に違う。トワリは人間としておかしくなっていたが、アドニスはあくまで精神が不安定になっているだけの人間といった印象だった。


(いや、前にあんな感じの、あの唐突に呆然としてしまう姿、見たことがあるな……)


 幸か不幸か、その記憶はすぐに蘇ってくる。悩んで悩んで変な方向にぶっ飛んでしまった前世の友人ネイザイアスの、ぶっ飛ぶ少し前だ。


(……ああ)


 それを念頭に置いてみればアドニスの振る舞いは、抱えきれないほどの苦悩に押しつぶされて思考が纏まらなくなってしまった……有体に言って心の病に陥りかけている人間特有のあやうさに思える。


(……でも、それを言ってもな)


 何度想っても同じだ。俺たちの目的は変わらない。違法奴隷商を潰し、オルクス領の安泰を図る。そのためには悪事に染まったアドニスを排し、多くの貴族たちに祝福……は難しくとも承認される形でトレイスを当主に据えなくてはいけない。そこまでやってようやくスタートを切れるのだ。


「お嬢様?」

「……なんでもない。それで今日は?」


 俺は生じた迷いを横によけて、絵画からホランに視線を戻す。彼は何か言いたげだったが、いつも通り領分を出ないように飲み込んで話題を戻してくれた。


「倉庫で動きがありました」


 王都の倉庫街の一角を彼らは見張ってくれている。オルクスが裏で繋がっているという違法奴隷商がかなり迂遠な偽装を挟んで借りている倉庫だ。人の出入りからして奴隷を置いているわけではなさそうだったが……。


「設定した暗号で伝えるには難しい内容でしたので」

「なるほど」


 倉庫の件ができてから、俺たちは秘密の会話を手紙でするために暗号を作った。しかし本当に簡単な連絡を取るための物なので、内容が長く成ったり複雑になったりするとうまく暗号化できないのだ。


「資材が数度ほど運び込まれました」

「中身は?」

「分かる範囲では風のクリスタルとユキカブリの実ですね」

「ユキカブリ?」


 あまり聞かない植物の名前に俺は首をかしげる。


「北のティロン王国で採れる赤い実です。色鮮やかで食べられそうですが、実際は渋くて食用にはなりません」


 食用にならない実となると、考えられるのは薬用や飼料用。渋いなら家畜の餌にもならないか。

 そう思っているとホランは懐かしそうな顔で薄く微笑んだ。事務的な彼には珍しい個人的な色を含んだ表情だ。


「二十年ほど前に観賞用として流行ったものです。私の実家でも当時、育てていました。この国の気候では半年と持ちませんでしたが……実だけでも十分美しいですよ」


 珍しくて発色のいい実となれば、貴族がパーティーで重用することも考えられるか。


(奴隷商がそんなものを、隠し立ててまでさばくとは思えないが)


「ん……風のクリスタルともども、用途や売り先が分かったら教えて」

「承知いたしました」


 あの倉庫はたしか商会の番頭が数人を介して借りているハズ。そんな場所を使って真っ当な商材を仕入れているとは考えにくい。ただ事態が奇妙であればあるほど、何かしら意外な情報の手がかりになってくれるはずだ。


「それと不審者が倉庫に一人、出入りしていました」

「不審者?」


 言っては何だが、こちらのほうが不審者だ。そんなことを思いながらホランの話を聞いてみて、俺は目を見張ることとなる。


「搬入の際についてくる護衛です。黒いドレスに黒いベールを纏った黒尽くめの女で、細い双剣を腰に吊っていたと」

「それ、通り魔の……」

「はい、特徴と一致します」


 ちょうどここに来る道すがら、衛兵たちから聞いた姿そのものだ。つまり今、貴族を震え上がらせている通り魔の女とやらはオルクスかその取引相手と関りがあるということで……。


(おいおいおい、これ以上厄介な話にしないでくれよ)


 突然飛び出してきた厄介事に俺は奥歯を噛み締める。

 違法奴隷を扱っているだけでも、果たしてアドニス排除と奴隷商の摘発だけで済むか怪しいのだ。余罪が増えれば増えるほどオルクス家、ひいては領民に打撃となる。屋敷の皆やトレイスにも被害が及ぶ。


「人相が分かったりは?」


 俺の質問に執事頭は首を振った。


「魔道具のベールを使っているようで、顔や髪色などが印象に残りません」

「……ん」


 製造と所有が国の許可制である隠者の外套や、悪魔の短剣に使われている御禁制の素材のようなモノ……のもっと効果が薄いアイテムだろう。限定的な認識阻害や印象を操作する魔道具は結構多い。


「……はぁ」


 通報すべきか否か。逡巡して俺はため息を吐く。


「衛兵には?」

「連絡していません。確実なことが分からない状況で通報すると、どのような事態になるか読めませんから。それに我々からすれば貴重な情報源です」

「……ん」


 通報すべきなのかもしれない。これで新たな犠牲者が出たら、俺はきっと後悔するだろう。しかし守りたいモノのために優先順位はつけるべきだ。


「はぁ」


 苦い思いを息に乗せて吐き切る。この業は、選ぶ以上は誰もが背負わなくてはいけないものだ。


(苦いなぁ……)


 自分が刀一つ引っ掴んで走っていけないというのは、今生になって度々味わってきた感覚ではあるが、慣れることなくひたすらに苦いものだ。


「危険だと思ったら引き下がって」

「承知いたしました」


 頷くホラン。俺は今一度、壁の絵を見上げた。絵の中の乙女は凛としている。油絵具の隆起や筆の跡を目で追いながら言う。力強い絵の描き方だが、どこか整然とした秩序も感じさせる、不思議なタッチだ。


「あと、伯爵はたぶん病気。体のか、心のかは分からないけど。調べてみて」

「聞いたことがありませんが……わかりました」


(聞いたことがない、か)


 ホランが知らないなら表立って医者が出入りしているわけではないのだろう。


(血の発火は……止めておくか)


 そんな特徴的なキーワードについて思い当たる節があるなら、放っておいても彼は報告してきたはずだ。それにあまり色々と頼んでミスをされても困る。


(説明が難しいしな……)


 そう結論付けて俺は彼との密談をそこで切り上げた。

「死神と乙女」を見る。不思議と心に残る絵だ。父の絵もそうだが、力強さと精密さが同居している様が見ていて飽きをこさせない。そこまで考え、ふと理解する。


(ああ、俺……あの人の絵だけは昔から好きなんだな)


 そう思うとこれまでの関係が、そしてこれからの結末が、ひどく惜しいような気になる。違う可能性があったのではないかと、つい考えてしまうのは俺の悪癖だ。


「……神殿にいく。馬車をお願い」


 凛とした乙女の姿から目を離し、俺はホランにそう告げた。


 ~★~


 屋敷を後にした俺は戦神神殿へと足を運んだ。


「ようこそおいでくださいました」

「ん」


 顔見知りの神官が飛んできて恭しく迎え入れてくれる。ここには時折足を運んでいるし、その都度ちゃんとお布施もしている。だからこその対応だろう。


「いつもの個室でよろしいでしょうか?」

「ん、お願い」


 王都の教会や神殿で個室の祈禱室を使うには、結構な額のお布施が必要だ。信仰は自由でタダだが、祈り方に贅沢を言い出すと高くつくわけである。ということで俺は神官にずっしり重い革袋を手渡し、邪魔の入らない静かな部屋へと案内をしてもらった。


「もし万が一、ご懸念の方の来訪があるようでしたら、外のベルにてお知らせをさせて頂きます」

「ん、ありがと」


 去り際に彼が言ったのは、事前に俺が手紙で依頼をしていた内容。今朝、学院を出て屋敷に向かうときに速達で出しておいたのだ。

 ご懸念の来訪というのはガイラテイン聖王国から今、この国に来ている使節団のことだ。先日まで季節外れの嵐のせいで川下に留められていた彼らだが、とうとう昨日王都入りを果たしたのである。


(もう数日遅れてくれればいいのに)


 使節団の王都入りは大々的に都中へ報せがあった。ただの使節団ならまだしも、今回は創世神ロゴミアスの使徒が同道している。本来ならもっと早い段階で告知され、歓迎パレードには国中から大勢の人が集まる大イベントになったのだろう。


(でも人が動くとモノの値段が上がるからな)


 使徒とは神々と直接契約を交わした存在。天使や戦乙女に次いで創造主たちに近いモノであり、一目見たいと思う者は多いそうだ。普段ならその客寄せ効果も景気活性に役立つのだが、今は反乱の影響で既に物価が上がりつつある状況。王家としては歓迎のパレード含め、さっさと終わらせて影響を最小限に留めたいのだろう。


(しかし尊い、ねぇ)


 荷物や剣を外して壁際の棚に置きながら、何とも言えない気持ちを口の中で転がす。

 現在四人いるという地上で活動する使徒。その一人が歓迎パレードだなんだと言われている一方で、もう一人はこっそりこうして祈禱室に隠れているのである。

 ちなみに神官には自分が同性愛者なので、創世教の使徒に憚りがあるのだと伝えてある。戦神神殿は寡黙で個人主義の者が多いからうまく配慮をしてもらえたが、なんとも惨めな隠れ方だと自分でも思う。


「ん、さて……」


 いつまでも潰せるような時間はない。俺は目を閉じ、椅子に体を預け、心を水面の様に落ち着ける。そして、意識は暗転した。




 目を開けるとそこは広い部屋だった。真っ白の石材で造られた清廉な部屋。正面には扉が一つだけ。天上界の宮殿にある転移部屋だ。

 その扉を押し開けて白と青のドレスアーマーに身を包んだ美女が入ってくる。


「お待ちしておりました、エクセル様」


 鈴の音のような美しい声の戦乙女、ミアの側近を務めるシェリエルだ。


「久しぶり」

「はい、お久しぶりです」


 真鍮の瞳に映る俺もまた、目は神々の証であるその色に染まっている。姿かたちはいまだアクセラのままだが。


「ミアが呼んでるって聞いた」

「はい。ご案内いたします」


 踵を返して歩き始めるシェリエル。俺はその先導に従って創世神の天上宮殿を進む。短縮の魔法がかけられ数歩で渡り切れる長い長い廊下や、二歩で上まで登れる長い長い階段を通って、到着したのはミアの私室だ。

 コンコン

 軽いノックのあと、シェリエルが扉を開ける。俺は促されるまま中に入り、部屋の中央のテーブルでお茶を啜る最高神に手を挙げて挨拶する。


「おひさ、ミア」

「おー、久しいなエクセルよ!」


 大陽を司る万物の創造主ロゴミアスは腰まで届くプラチナの髪を椅子の背にかけ、真鍮の瞳を笑みの形にしてこちらへ手を振った。その様には小柄な少女の見た目に相応しい、毒気のない歓迎の気持ちが溢れている。


「さあさあ、座るがよいのじゃ。そなたのために今日は特別なお茶を用意しておるからな!」

「特別なお茶?」


 首をかしげつつ座る俺に、ミアは偉そうに腕を組んでふんぞり返った。


「そなた、肝臓に怪我を負ったのじゃろう?」

「……ん」


 遠慮のない指摘に俺は頷く。半ば無意識に自分の腹をさすり、それからもう一度首を傾げる。


「それが?」

「分からんか?天上界は精神の世界、肉体は関係ないじゃろう」

「あ、お酒…………飲める?」

「そういうことじゃ!」


(そうか、そうか……すっかり忘れていた)


 驚きに固まった俺の頭は、数拍遅れてじわっと喜びを覚えた。もう飲めないと聞いたときのショックと同じで、染み出すようにあとからあとからその気持ちは強くなっていく。


「つまり……今日はお酒?」

「茶じゃというとるじゃろうが」

「お茶の、お酒……?」

「そういうのではなくてな……」


 呆れた目で見られてしまった。しかし酒が飲めるのだ。もう飲めないと思っていた酒が。とりあえず駆けつけに一杯頂きたい。お代わりも頂けると嬉しい。


「天上界に肉体は持ち込めぬ。それは今言ったとおりじゃ。しかし、そなたのように肉体と魂が歪に繋がっておる場合は……確実に影響せぬとも言えぬ」


 言われて思い出した。そういえば俺の精神は、魂と肉体を繋ぐ不可視の紐は、転生時に性別が反転したことやその後の無理な使徒覚醒のせいでグチャグチャになっていたのだ。そして精神は魂と肉体の相互に影響を伝え合う。これがおかしくなっている今の俺は、予期せぬフィードバックがあるかもしれないということだ。


「お酒……」

「すっかり吞兵衛の地金が見えておるんじゃが……まあ、そういうわけじゃ。今日は特別なお茶で手を打つがよかろう」


 俺は深々とため息をついてソレを受け入れた。とりあえず飲めるかもしれない希望が見えたということで、今回は溜飲を下げておくべきだ。少なくとも祈祷室から泥酔して発見される危険は冒すべきじゃないだろう。


「というわけで、こちらをどうぞ」


 シェリエルがテーブルに置いてくれたのは瀟洒な皿に乗ったティーカップ。その上にはスプーンが橋の様に架けられている。しかしこれが変わったスプーンだった。なにせ丸みを帯びた先の両側から足が飛び出し、カップの縁を掴んでいるのだ。これで何かを掬って食べるのは無理だろう、というデザインである。


「ん、ティーロワイヤル」

「知っておったか」


 カップには既に紅茶が注がれていた。シェリエルは水面すれすれに架けられたスプーンの窪みへ角砂糖を一つ乗せる。そして細いガラスの容器からスプーン一杯に褐色の酒を。


「では失礼いたしまして」


 酒を吸い上げて茶色に染まり、瑞々しくなった角砂糖へ戦乙女は指を向け、魔法で火を灯す。酒精をたっぷり含んだ砂糖は音もなく真っ青に燃え上がった。


「ん、綺麗」

「そうじゃろう、そうじゃろう。あ、酒精が全部飛ぶ前に入れるのじゃぞ」

「分かってる」


 しばらく俺たちは三人で角砂糖が燃え上がり、溶けていく様を眺めた。それから程よいところでスプーンをお茶に沈める。かすかな音を立てて青い火は水面に消え、砂糖もほろりと崩れてしまう。


「……いい香り」


 カップに口を付けた俺は呟く。鼻に抜ける爽やかな紅茶と、喉に落ちていく芳醇な蒸留酒の香り。その後に続くほろ苦い甘さとそれでもスッキリとした味。


(酒ではないけど、でも美味しい)


 ほんのり体温が上がるような感覚。燃え残った酒精は六割といったところか。元の量が少ないので大して感じない。


「これで様子見じゃな」

「ん、ありがと。天界だけでもお酒が飲めたら、とてもいい」

「いいんじゃよ、そなたはわしの友じゃ」


 少し照れたように手をヒラヒラと振って見せるロゴミアス。彼女は自分のカップを綺麗に干し、シェリエルに二杯目を注がせながら少しだけ目を細めた。


「問題がなさそうなら次は酒を酌み交わすのじゃ」

「もちろん。けど次がいつになるか……」

「それはまた近いうちに場を設けるのじゃ。色々とそなたも聞きたいことがあるじゃろうし、わしだけでなく神々一同、共有しておくべき情報もあるからな」

「ん、分かった」


 たしかに聞きたいことは山ほどある。エレナの魔眼に始まり、昏き太陽と呼ばれるセクトの存在や放浪悪魔バロンの処遇についてなど。しかしそれならそれで、俺たち二人だけよりエレナや諸神にも同席してもらった方がいい。


「さて」


 俺がティーロワイヤルを飲み終えるのを見計らい、ミアは手を一つ叩いて話題を変えた。


「今日そなたを呼んだのは、専用スキル『技術神』が解放されるからじゃ」

「ん」


 俺は予想通りの話題に頷いた。

『技術神』は俺の神としての権能をスキルの形でまとめたモノ。使徒よりも更に上の奇跡を起こし、まさに地上に在る神として振る舞うことができる。ただ前述の通りの理由から俺の精神構造に多大な負荷が累積していたため、成人までは使用不能の状態に追い込まれていたのだ。


「とはいえ、何が変わるというわけでもないじゃろうがな」

「まあ、当座は」


 肩をすくめるミアに俺は微笑みを返した。

 神々は万能のように思われがちだが、まったくもって万能ではない。俺の直面している無数の問題をポンと解決してしまうようなコトはできないのだ。特にスキルの形で限定的に行使できるだけでは、加護を与えたり条件を満たした相手に天罰を下したりが関の山。

 そもそも神々はその力を地上へ行使するにあたって、厳格なルールを自分たちに課している。自分や他の神の司る理を乱さないため、人間を含む被造物の健全な発展を妨げないため、そして悪神の干渉を退けるために。


(善なる神の干渉は、同じだけ悪なる神に干渉の余地を与える……気を付けないと)


 人間への干渉を行い過ぎた神としては、交流のあった人々の死を悲しむあまり悪神へと堕ちた不死神アルヘオディスが有名だ。


(人間としての感覚がまだ生々しく残っている俺は、警戒対象でもあるんだろう)


 その不死神にしても、世界の始まりから存在する大神の力をもっても完全な不死は達成できないということを証明している。一方で不可逆な死という理は、アンデッドという歪みを抱えてしまった。百害あって一利なしなのだ。


「おそらく今晩辺り、そなたの記憶に改めて神々の規範が浮かんでくるじゃろうな」


 ミア曰く、スキルシステムについてや輪廻転生システムについてなど、天上界の重要な基礎知識が思い出せる(・・・・・)らしい。


「思い出せるってことは」

「うむ、今のそなたはソレを知っておるが忘れておる。思い返せば心当たりがあるじゃろう?」

「あるような、ないような」


 忘れていることを忘れていると認識することは難しい。しかしなんとなく神になってから天界で学んだこと、覚えた技が思い出せないような気もするのだ。


「人間の頭には入りきらぬことや、一介の使徒に与えられるべきでない知識は封印されておるのじゃ」


 少し申し訳なさそうな様子に俺は嫌な予感を覚える。


「……ミアがした?」

「いや、それは別の神の所業じゃな」


 聞いてみると記憶の神の中に専門の中位神がいるのだとか。俺はそれを聞いてほっと胸を撫でおろす。


「ミアだったらウッカリ、他の記憶も封印してそうだったから」

「なんじゃとー!」


 ミアは机を大きく叩いて飛び上がるが、一瞬でシェリエルに捕まって着座させられた。


「お行儀が悪いです」

「行儀が悪いのはそこの男の方……いや、男でよいんじゃろうか?」


 尻尾を掴まれた猫の様に気炎を上げていた最高神は、しかし嫌なところで躓いて首を傾げた。


「いいよ……というか、そこに引っかかるな」

「いや、咄嗟に紛らわしいんじゃもん……」

「もとはと言えば誰のせいで紛らわしくなったと思ってる?」

「うっ……あ、あー、そうじゃ!忘れるところじゃったー、わしもう一つ話があってなー?」


(都合が悪くなった途端に話題変えやがった)


 視線を逸らして空のティーカップを摘まみ、ウッカリ駄目神はとんでもない棒読みを炸裂させる。横からシェリエルがお茶を足してやればそそくさと口をつけ、手振りで俺にも勧めてくる。


(これで逃げ切れると思っているのかね……まあ、逃がしてやるんだけどさ)


「はぁ……それで?」


 促されるままシェリエルにお茶だけお代わりをもらって尋ねる。


「う、うむ。使徒も成人を迎えることで一つ権能が解放されるんじゃよ」

「そうなの?」

「年越し祭のタイミングで成人と見做すんじゃが、まあ少し早くても問題ないじゃろう」


(そういうモノなのか……?)


 俺の疑問は誰にも拾われることなく話が進む。


「使徒アクセラよ。そなたに啓示を得る資格を授ける」


 啓示。その言葉に俺は首を傾げる。


「使徒とは言うなれば神々からの依頼を受ける専属冒険者。その依頼が啓示なのじゃ」

「一方通行の神託のような形でもたらされます」


 シェリエルの補足に俺は何となく、急にアレをしろコレをしろと指示が耳に届く光景を想像した。正直かなり鬱陶しいような気がするのだが…‥。


「そんな頻繁に出さぬわ」


 伝え方もシェリエルに細かく聞くと、どうやらもう少し(おごそ)からしい。


「なるほど。使徒は誰もがそれの頼みを聞く?」

「大体は聞くじゃろうな。神々の望むことは基本的に世界がよりよくなるためのモノじゃし、本人のメリットになるような啓示も出すしな」


 使徒の行動を誘発させるのが啓示の目的だとミアは言う。多くの場合は使徒本人にも恩恵があったり、時には窮地を逃れるヒントになったりするのだそうだ。


「まあわしらも勝手に使徒を押し付けとるわけじゃし、聞かずとも罰を与えたりはせぬよ。加護は薄まるじゃろうが」


 生まれたときから持っている能力が薄まるのであれば、それは実質的に罰ではなかろうか。そんなふうにも思うが、神々とて悪神とのせめぎ合いの中で捻出したリソースを分け与えているのだ。仕事もしない奴に褒美だけ与えることはできないのだろう。


「というわけで早速じゃが、啓示を二つ与えるのじゃ」


(いきなり二つもか……珍しいんじゃなかったのか)


 それにとてもフランクに切り出されたのだが、厳かとはいったい何だったのだろう。そんな俺のモヤっとした気持ちは汲まれることなく、ミアはティーカップを手に持ったまま咳払いをした。


「ゴホン。一つ目の啓示じゃ。この休みの間に懐かしい者から手紙がくるじゃろう。それに応え、わしの代わりに救済を成せ」


 創世神の代わりに救済を成す、というと大仕事にも聞こえる。だが使徒は神の手先となって地上でその意思を遂行する者。広く言えば啓示に応えることは全て救済をもたらすことなのかもしれない。


「二つ目じゃ。魔の森のユーレントハイム側に聳える山へと向かい、黎明の光を確かなものとするのじゃ。期限は一年以内じゃぞ」


 一つ目はタイミングが指定され、二つ目は期限が設定された。そして両方とも、内容がこれだと分かるほどの情報がない。神託のようなものというだけあって中途半端に曖昧な物らしい。


(厳かというよりフワっとしてるなぁ)


 イマイチ締まらない初めての啓示を受け取る俺。ミアはこの鉄面皮をどう読んだのか知らないが、満足そうに頷いてから二杯目を飲み終えてカップを置いた。


「というわけで、気が向いたら応えてほしいのじゃ。今日のところはそれくらいなのじゃが、そなたの方から何かあるかな?」


 俺も自分の唇を紅茶で湿らせてから準備していた質問を投げかける。おしゃべりなこの最高神が先を促すということは、そろそろ時間が迫っているのだろうから。


「ん……ミアの使徒ってどんな子?」

「アーリオーネじゃな。歳はたしか十八か」

「十九ですね」

「じゃったか。アーリオーネ=ロゴス=ハーディング、いい子じゃよ。少々派手好きなところがあるがな」


 アーリオーネ、十九歳、派手好きな少女。とりあえず覚えた。


「まあ、嫌でも直に巡り合うじゃろう。よければ力になってやってほしいな」

「……ん、わかった」


 タイミングがいつかとか、色々聞きたいことはある。しかしそれをミアが教えてくれるとは思えなかった。神々は未来を完全に読めるわけではないし、運命などというものは存在しない。俺が今ミアに見えている未来を知ってしまえば、きっと何かが変わってしまうのだろう。


「質問はそれだけ」

「うむ、よろしいのじゃ。次はまた近々、宴会がてらそなたの疑問に答えるとしよう。エレナもつれてくるのじゃぞ」


 視界が段々と光に飲まれ始め、意識が肉体へと引き戻されようとしているのが分かる。


「何の宴会?」

「決まっとるじゃろう、そなたたちが付き合い始めた祝いじゃ!」


 創世神の満面の笑みを最後に、俺の意識はまた暗転した。


次回はクリスマスイブですが、普通の更新です。

いや、ある意味でクリスマスらしい出だしかもしれませんが。


~予告~

蘇る封印されていた神の記憶。

それは色々と置き忘れてきた確認事項の山で……。

次回、記憶の復活

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― 新着の感想 ―
[良い点] こうしんおつ [一言] 12章まできてやっと他の使徒か… なんで使徒より先に邪神に会ってるんですかねぇ…
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