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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十二章 光陰の編
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十二章 第3話 後遺症

 酒宴の翌日、目が覚めた俺は校医にこれでもかと小言を食らった。酒を解禁された学生が陥るありふれたミスだと盛大に溜息をつかれ、貴族の令嬢ともあろうものがとアホほど説教され、どれだけ毎年俺のような生徒が校医に負担をかけているか懇々と説明された。二日酔いでガンガンと痛む脳には本当に苦行だった。


(まあ、毒かと思うよな、普通は。そういう意味では迷惑極まりないだろうさ)


 そのあともネンスたちに心配をかけたことと酒宴を台無しにしたことの謝罪をし、担任として様子を見に来てくれたヴィア先生や涙目のエレナにも謝り、あちこちに頭を下げて回った。エクセララの道場の庭にあった鹿威しの気分だ。


(でも、そんなに飲んでないんだよな……)


 ちょっと納得できないモヤモヤを抱えつつ、この件は校医の言う通りしょうもない失敗として終わり……それがそうも行きそうにないと分かったのは、翌日ある男が学院へやってきたためである。

 ボルボン司祭。王立治療院の主任医師であり、トワリ戦で死の縁まで追い込まれた俺の治療を担当してくれた薬医神殿の司祭だ。


「精密検査をさせていただきたい」


 走るより転がった方が速そうな体形を白衣に包んだ中年男は、俺を呼びつけるなり険しい顔でそう言った。場所は学院の医務室。苦い顔の校医を追い出し、軽傷できていた生徒数名をサクっと魔法で癒して追い返し、権威ある治療院の先生はそこを立ち入り禁止の聖域としてしまった。


「お酒を召されたあと、倒れたと聞きました」


 いったい誰から聞いたのかとか、そんなに飲んでないとか、そんなコトで主任医師が来るなよとか、色々と言いたいことはあったのだが……あまりに真剣な表情だったもので、俺は全てのみ込んだ。


「今日は何にもないから大丈夫、です」

「では早速」


 余計な言葉は一切なし。彼はテキパキと持ち込んだ道具を取り出し、俺を下着姿に剥き、カーテンの奥のベッドに転がしてスキルを使い始めた。あまりの手際と勢いにちょっと怖くなる。


「飲酒量は?」

「ワイン一口とエール二杯。そんなに飲んでない、です」

「以前に飲んだ経験は?」

「……林檎酒を一瓶」


 褒められたことではないと分かっているので少し躊躇ったが、医者に見栄を張るとロクなことがない。素直に答えた俺に、しかし彼は呆れた視線など一切向けずに数度頷いた。


「その時に吐き気などは?」

「眠くなって寝ました」

「倒れるように?」

「普通に」

「醸造酒二杯ちょっとで倒れるはずがない、と」

「!」


 その言葉に俺は大きく頷いた。実際倒れてしまったので校医にもネンスたちにも強くは言えなかったが、やはりあの量で意識を失うのはおかしいのだ。


「特殊な薬を接種した形跡はなし。デートドラッグの代謝残渣もなし」


(しれっと恐ろしいことを言うな)


「む?筋肉と神経系に妙な反応が……魔法?何か思い当たるコトは?」

「い、イロイロと」

「ふむ。まあ冒険者に肉体強化の是非を問うてもしたかありますまいな」


 聖刻によって変質した組織を非活性の状態でも見分けたのは彼の腕がいいからか、それとも俺が思っている以上に変質させてしまっているのか。


「答えにくいことをお聞きしますが、この二週間で性交の経験は?」

「……」


 何も口に含んでいなくてよかった。うっかり噴き出すところだった。


(すごいタイムリーな質問だなオイ……!)


 どうして前世から続く百十数年の人生で初めてされる質問を、よりによって初体験の数日後に聞かれるのだろう。ただまあ、医学的な意味で聞いているのなら、やはりちゃんと答えざるを得ない。


「言いふらしたりはしません」

「そこは信用してます……まあ、その、同性と」

「その時に特殊な道具などは?」

「特殊な道具!?つ、使ってない、です」


 救い出した奴隷のメディカルチェックに立ち会ったこともあるから、聞きたいことの意図は分かる。内臓やデリケートな部分に負担のかかるような行為をしたかどうかだろう。分かる。分かるが。


「他には……」


 続いて投げかけられる同じ意図の極めて答えにくい質問。俺は全てノーで答えた。嘘はついていない。ついていないが、恥ずかしさで頭がおかしくなりそうなことも聞かれた。


(……死にたい……シテ、コロシテ……)


 とりあえず顔だけでも覆いたいところだが、ポーズまで指定されて『身体走査』や『探査』をかけられているのでそれもできない。結局全ての検査が終わるまで居た堪れない気持ちのまま過ごすハメになった。


「……服を着ていただいて結構です」


 そう言ったボルボン司祭の顔は、こっちの真っ赤とは正反対に青を通り越して土気色だ。


(いや怖い怖い!)


 ただならぬものを感じながら手早く制服を着こむ。それからベッドに腰掛ける様に言われ、椅子を持ってきて座った司祭と相対した。


「……まず、筋肉や神経に問題はありませんでした。骨格と合わせてかなり強化されており、おそらく戦闘において何かしらの支障を感じることはないでしょう。完治と考えていただいて結構です」

「ん、はい」


 彼は言葉のわりにまったく嬉しそうでも明るくもない。むしろこれから腹を切る覚悟をしたような、悲壮なエネルギーを宿していた。それでも医師らしい直截さで彼は続きを口にした。そこに躊躇いはない。


「内臓に二つの後遺症が認められました。瀕死の貴女を治療した際のものです」

「…………ん」


 分かってはいたが、腹の奥に鉛を飲んだような重い感覚が生まれる。前世の晩年にもあちこち悪くなっていたが、十五で二か所も内臓をやったとなると……やはりナニカが胸に詰まったような言い様のない気分になる。


「……ふぅー」


 極力ボルボン司祭に気を回させないように、ゆっくりと息を吐いて胸の圧を抜く。それから彼の説明に耳を傾けた。

 そもそも、当時の俺の損傷は普通に治すにはあまりに酷いものだった、らしい。神官魔法とスキルの『医師』を併用してこれまで行ったことがないような、複雑かつ場当たり的な施術をせざるを得なかったそうだ。


「私が引き継いだとき、現場で対応をしていた従軍神官は泣きながらこう言っていました。もう何度も心臓が止まっている。治るとは思えない。無理に引き留めるより、いっそ死なせてあげた方がいいのかもしれない……と」


 王宮から湯水のように供給された最高級ポーション、複数の神官による高度な魔法、『医師』スキルの『手術制御』による強引な環境制御と内臓の処置、エレナが最初に施してくれた無数の属性魔法。一つでも欠けていたら確実に死んでいたし、もう一回やれと言われても成功確率は二割を切るらしい。


「施術直後には表面化していなかった後遺症が、時間を経て現れてきたのだと思います」


 そう言ってから彼は項垂れた。腹の前で握った手には指が白くなるほど力が籠っている。


「後遺症の一つは肝臓です。術後によくみられる肝炎や肝硬変ではなく、著しい機能低下がみられます」

「ん、それですぐ酔いが回った」

「はい」


 肝臓での酒精分解がほぼされておらず、あっというまに血中濃度が跳ね上がったわけだ。それは二杯で泥酔するのも頷ける。昨日一日、どうやっても二日酔いが覚めなかった理由でもあるだろう。


「どれだけ検査を行っても原因が分かりませんでした。おそらく施した治療の何かが妙な噛み合い方をしているのでしょうが……申し訳ございません!」

「ん……まあ、しかたない」


 内臓の三割が失われ、心臓が何度も止まり、夥しい量の出血をしていた。その状態から戦える程度まで治してくれたのだから、文句を言うのは筋が違いすぎる。


「毒物への耐性だけ、あとで調べてもらえると」

「もちろんです。おそらくスキルがあるならあまり影響はないと思われますが……それと食事の補助薬をお出しします」


 肝臓がやられていると脂や塩にも耐性が落ちる。だがそちらはある程度薬で緩和できるそうで、冒険者としての偏った食生活もあまり長期でなければ大丈夫だそうだ。一方で飲酒は無期限の全面禁止。


(あーあー、お酒解禁からの秒速で禁止か……)


 つらい。だが昔の冒険仲間に同じく肝臓を傷つけて禁酒するよう言い渡されていたにもかかわらず、お構いなしに酒をかっ食らってそのまま死んだバカがいた。同じ道を辿るわけにもいかないだろう。


(あ、ダメだ。理論武装しても泣きそう……あー、クソ。酒……楽しみだったのになぁ)


「それで、その……もう一つの後遺症ですが」


 じっと涙を堪えショックと戦っていた俺だが、続きを口にしようとするボルボン司祭の顔色は先ほどよりさらに悪くなっている。


(ぐす……ああ、にしても、肝臓がイカれてる以上に嫌な症状……分からん)


 剣士として筋肉や骨、それらの動作については医者並の知識だと自負する俺だが、内臓とかになるとさっぱり分からない。


(でもこれだけボルボン司祭が躊躇うってことは、相当な問題だよなぁ)


 吐き切ったはずの息がまた灰の中にドロドロと溜まるような感覚がし始める。しかし先ほどの直截な物言いからするに、そうとしか考えられない。

 たとえば当時の出血がどこかで血栓として残っていた、とかだろうか。重要臓器でそれが詰まったりすれば突然死の原因になることも考えられる。あるいは腸の機能低下。栄養吸収に支障が出れば肝臓を遥かに超える支障が日常生活に出る。最悪なのは腎臓だった場合だが、ここまで中毒も起こさず無事に過ごせているので違うはず。


「いいですか、落ち着いて聞いていただきたい」

「……ん」


 げんなりした気持ちで頷く。前世で余命宣告を受けたときにも似た息苦しさだ。同じくらい具合の悪そうな顔でボルボン司祭が言葉を紡ぐのを、俺はただ聞くだけだ。


「二つ目の後遺症ですが……子宮に、肝臓以上の著しい機能低下が見られます」

「そう、子宮に………………ん?」

「おそらく……将来、お子を期待することはできないでしょう」


 食い縛った歯の奥から呻くように告げられた診断。その内容を耳にし、理解すると共に俺はこう思った。


(そういやあったな、そんな臓器……)


 胸いっぱいに水を詰め込んだような重苦しい感覚は、嘘のように消えていた。


 ~★~


 ゴト ゴト ゴト

 王都の石畳を車輪が打つリズミカルな音。それに合わせて早朝の景色が馬車の小さな窓に映り、流れていく。


「アクセラちゃん」

「ん……」


 ぼんやりと眺めるその風景には冒険者の姿も紛れている。これからギルドに行く者と依頼を受けて出発する者。見慣れているとすぐどちらか分かる。自然とその中に少しだけ混じる、朝から酒場に向かう不景気な連中も分かってしまう。


「アクセラちゃんてば」

「ん……」


(お酒……お酒……禁止されると余計飲みたくなる)


 もちろん飲まない。そんなことで体を壊すのは馬鹿のすることだし、酒は好きだが二日酔いの頭痛は大嫌いだ。アレを我慢してでも大酒を飲むというヤツの気が知れないと、前世からずっとそう思ってきた。お酒はほどほどが一番である。


(そのほどほどがゼロでも……あー、ウソ、ウソです。それでも飲みたい衝動はなくならない。それでも体は酒を求める……あ、ジョッキの看板)


「むぅ、アクセラちゃん!」


 過ぎ去る酒場の看板を見送ってぼうっとしていると、エレナに思いっきり頬を引っ張られた。


「いひゃいいひゃい」


 気を引くためだったようで、振り向いたらすぐに指は離れていく。代わりに今度は手を添えられた。


「大丈夫?やっぱり具合悪い?」

「ん、大丈夫」


 一応彼女には肝臓の件を伝えている。食生活に影響しかねないし、冒険者の仲間としては不安要素を隠すわけにもいかない。ただ逆に言うと、肝機能の低下についてしか触れていない。


(俺は気にしないけど、エレナは絶対ショックを受けるしな)


 女の体にも慣れてきたが、俺の心はあくまで男……のつもりだ。そういう臓器が自分の腹に収まっていることも意識したことはなかった。

 自分が妊娠することはイコール男に抱かれるということで、ぶっちゃけ想像もしたくない。このあたりの感覚はエレナには分からないだろう。だから言っても無用の心配と心労をかけるだけだ。


(まあ、ボルボン司祭が真っ青になるのも分かるけどね)


 男女問わず貴族にとって子供が成せなくなるというのは死刑宣告にも等しい。既婚者や当主であれば養子を迎えるという選択もある。しかし未婚で家を継ぐ立場にもないのであれば、嫁入りや婿入りの相手はまず見つからないだろう。なれて愛妾。

 そこにきて俺は貴族として家を継いだり嫁いだりはしない身。ボルボン司祭にもそれを伝え、気にしないようにと言い含めてある。頼みたいのは肝臓の世話だけだ。


(ついでに月のアレもナシにできないかって聞いたら、微妙な顔されたなぁ)


 子供ができるできないに関わらず、色々なサイクルが狂うから下手に弄らない方がいいらしい。


「やっぱりお酒が飲めないの、つらい?」

「んー……」


 バカ正直に言うのもどうかと思うが、ここで嘘を吐くのも違う気がする。迷って曖昧な声をあげた俺だが、エレナはやはりしゅんとしてしまった。


「その、ごめんね」


 一番最初に俺の傷を手当した身として、責任を感じているのだろう。その様子に俺はもう一つの後遺症を教えなかったことが正解だと感じた。


「死と天秤にかけて禁酒なら格安。違う?」

「それはそうかもしれないけど」


 言葉が届いた様子はない。うなだれて、思い詰めて、無力感に苛まれている。俺はそんな、肩を落としたままのエレナの頬っぺたを摘まんで軽く引っ張った。


「むぎゅ……?」

「肝臓はチョット残ってれば普通は再生できる、らしい」

「ちょっとも残ってなかったってこと……?」

「それは禁酒ですまない」

「……そっか」


 思った以上にショックで頭の回転が遅くなっているようだ。ポンコツなことを言う少女の頬を弄ぶ。


「保存状態はよかった。だから治った」

「治りきってないじゃん」

「治ったけど、不具合がおきた。それは別」


 他の臓器を修復するときに使ったスキルや魔法の副作用が変に噛み合ってしまっただけ。俺は一番の責任者であるボルボン司祭に対しても、そこの責任を問うつもりはない。三割も吹き飛んだ内臓をその一点以外は治し切ってくれたのだから。


「魔道具の開発失敗をしたとする」


 むにむにと頬を捏ねながら言う。


「回路書き間違えたのが理由。でも素材屋がウチのせいです!って謝ってきた。嫌じゃない?」

「それはイヤだけど、なんか違うような気がする……」


 やはり納得できないようで眉を寄せて首をかしげる。もちもちの頬がひっぱられてよく伸びた。それを眺めながら「つまり」と続ける。


「他人の仕事にまで責任を感じるのは傲慢」

「うっ……」


 ドストレートな言葉に彼女の声が詰まった。心配している相手に傲慢とまで言われてはそうもなろう。俺自身、言っていて少し強い言葉だと思う。それでも、それくらい言わないと彼女の自責は矛先を逸らせない。


「それに」


 顔を曇らせたエレナに、俺は否定的な雰囲気をひっこめた。小窓のカーテンを閉め、ベルベット地の席上を横にズレて距離を詰める。


「?」


 頬を摘まむ指を離せばそのまま落ちていく少女の視線。目尻と肩を下げた最愛の女性の顎に指を添え、こちらを向かせる。これは少々強めの気付け薬が必要だ。


「お酒が飲めない分、他で楽しみは見つける」

「他って……修行?」


 どれだけ修行馬鹿だと思われているのか。呆れる本心は隠して身を乗り出し、頭一つ背の高い恋人に体を寄せた。


「え、な、なに……?」


 長手袋に包まれた左手ではちみつ色の髪を掻き上げる。露になった形のいい耳に唇を寄せ、と息の領域まで抑えた言葉を吹き込む。


「わたしがお酒より、修行より、好きな物……分からない?」

「ひゃっ!?」


 俺の方からそういうことをされると思っていなかったのか、彼女は驚き、耳を押えて飛び退こうとする。が、覆いかぶさるように身を乗り出した俺がそれをさせない。弾力のある双丘に押し上げられながら、構わず耳たぶを噛んでやった。


「ルール改定、しばらくは一杯相手して貰うから」

「っ!!」


 熟した苺のようになったエレナは目を白黒とさせる。視線が至近距離であう。ついつい可愛くて口の端が吊り上がった。作り物めいた美しい顔が嗜虐的に薄く笑んでいるのが、早苗色の瞳に映り込む。


「……わ、わーッ!」

「んぎゃ!?」


 瞬間、奇声を上げたエレナが頭を勢いよく振る。額に額を打ち据えられ、視界がぐわんと歪む。遅れて鈍い痛みが頭を襲った。


「い、痛い……エレナ、アホ……」

「あ、ご、ごめん!で、でも、アクセラちゃんから来るの慣れてなさ過ぎて、心臓がっ!」


 ちょっとだけ涙目になる俺だが、一方でエレナは顔を赤くしているだけでノーダメージ。


(そういえばこの娘、意外と石頭だったっけ……)


 頭突きをされることも頭を殴ることも、日常生活で滅多にないので失念していた。そんなわけで不平等なダメージを喰らい呻く俺を、彼女はぐいっと遠ざけて怒鳴る。


「それにしても!ア、アクセラちゃん!何考えてるの、ここ馬車の中だよ!?それも家の、オルクス家の馬車なんだよ!?見られたり聞かれたりしたらどうするのさ!」

「そう思うなら叫ばないの」


 この馬車を手配したのは確かにオルクス伯爵、つまり俺の親父殿だ。御者も信用できない。『完全隠蔽』でも張ればなんだってできるが、そこまでするかというと……。


「そ、その、そう言ってくれるのは嬉しいけど、馬車の中はやっぱり」

「馬車でするとは言ってない……」


 ふいに馬車が止まった。


「あれ、早くない?」


 いぶかるエレナから距離を開けて座り直し、小窓のカーテンを指でどけて覗き見る。彼女の言う通りまだ屋敷どころか貴族街の入り口の門だ。


「門で止められてる」

「あれかな、嫌がらせの」


 貴族街の門に詰める衛兵には強い権限が与えられている。通過するほとんどの馬車を止め、通行手形と車内を検める権限だ。これは伯爵以上の上級貴族相手でも行使可能だが、実際に貴族の手形を見せてなお臨検を申し渡されるコトはほぼない。


(ウチとかは例外だけど)


 エレナが懸念したように、この権限を使って落ち目の貴族や嫌われ者に嫌がらせを行う衛兵もいるのだ。裏切りのオルクスはその恰好の的で、俺も何度か執拗な検めに付き合わされたことがある。実にケツの穴の狭い話だ。

 案の定、武装した衛兵が二人ほど御者とともにこちらへ回り込んできた。


「んー……面倒」

「まあ仕方ないよね」


 臨検を拒否することはできない。それに向こうも盗賊ではないので、するとしても開けて質問をしておしまいだ。それが嫌がらせになるのは馬車の中を検められるということ自体、貴族にとっては結構侮辱的なことだから。つまり俺は気にしない。


(家名が最底辺だと周りの目を気にする必要もないしな)


 カーテンから顔を離してぼんやり待っていると、外から控えめなノックが聞こえてきた。


「お、お嬢様。警備の者が臨検をしたいと申しておりまして」

「ん、いいよ」

「あ、ありがとうございます!」


 雇われの御者は主の勘気を恐れているようで、開く扉に隠れて顔も見せなかった。代わりにこちらを見上げてきたのは二人の衛兵。両方とも若く、こちらはこちらで緊張した様子だ。


「失礼いたします!」


 馬車の箱の中に響き渡るような大きな声で男は言う。


「オ、オルクス伯爵令嬢のアクセラ様でお間違いありませんでしょうか?」

「ん」

「ご実家へ向かわれるところでありますね」

「そう。冬休みだから、顔を見せろって」


 嘘ではない。なんの天変地異の前触れか、親父殿が顔を出せと言ってきたのだ。それが今日のお出かけの理由の一つ。あとは我が忠実なる筆頭天使パリエルが定期連絡で、教会に来るようミアから言付かっていたのもある。


「屋敷にはお昼までいて、そのあと教会にいく。夕方になる前には学院へ戻る。ルートも言う?」

「あ、い、いえ!そこまで仰っていただかなくても大丈夫です!」

「そうなの?」


 夏前に出張ってきた中年の衛兵はネチネチと日程を細部まで聞いてきた。目つきもいやらしかったし、拘束時間もかなり長かった。ところが今日の二人は礼儀正しく、むしろこんな小娘に恐縮しているようにも見える。


「これにて立ち合いは完了です。お急ぎのところ申し訳ございませんでした!」

「反乱鎮圧の立役者にご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ない限りであります!」


 どうやら勲一等、二等の効果であったらしい。


(イマイチよく分からん……)


 学院では邪魔くさい求婚と引き抜きが群がってきただけでありがたみなどなかったし、舞踏会で会った貴族たちは関心を持ちこそすれこんな小娘に恐れ戦いて敬意を払うようなことはなかった。冒険者はそこまでの情報を拾わないし、俺も一々名乗らないしで……そう考えると初めて一般人からリアクションをもらった気がする。


(悪い気分じゃないな)


 贅沢な話だが、称賛も羨望もエクセルだった頃に飽きるほど浴びてきた。しかしこうやって自分の強さを、その裏にある力を、キラキラとした目で見られるのは気分がいい。技術を浸透させるとっかかりにもなる。


「お二人に限って大丈夫でしょうが」

「ん?」


 色々と思考を巡らせていたところ、衛兵の片方が表情を引き締めて話し始めた。


「このところ物騒な事件が発生しているのです」

「我々もあまり詳しいことは聞かされていないのでありますがね」

「貴族筋の方を狙った通り魔事件で、既に七件になります」


 それはまだ学院には伝わってきていない話だ。


「死者は?」

「一名であります」

「他は軽傷です」

「七人襲って死者一人の通り魔?」


(ヘタクソなのか?)


 それからいくつか知っている情報を教えてもらったが、残念ながらさっぱり役に立ちそうになかった。

 目撃情報によると犯人はおそらく女。小柄で黒いドレスに黒い軽鎧を纏い、喪服のような黒いレースのベールで顔を隠していたとか。それだけ特徴的な外見でありながら、髪や肌の色は誰も覚えていないという。


「ご協力ありがとうございました!」

「お気をつけて行ってらっしゃいませ!」

「ん、ご苦労様」


 結局あまり有益な情報を得られないまま、俺たちは屋敷への道程に戻るのだった。


~予告~

久々の父子対面に望むアクセラ。

アドニスが滲ませる怒りと焦りのワケとは……?

次回、オルクスの秘密

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