表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十二章 光陰の編
286/367

十二章 第2話 最初で最後の酒宴

 ここはブルーバード寮で一番広い会議室。

 普段は打ち合わせに使われるダークウッドの長いテーブルには薄水色のクロスと銀の雪模様の入ったランナーが敷かれ、その上に大皿へと盛られた料理がずらっと並んでいた。

 骨付きソーセージのグリル、蒸し鶏と葉野菜の香草和え、豚バラの塊を甘辛いタレで焼き付けたもの。パーティーというには肉が多く野趣を感じさせるが、まあ参加者の好みには合うだろう。

 ちゃんとハムやチーズ、魚の燻製、オリーブなどを楊枝でクラッカーに留めた軽いアテも用意されているところに抜かりない配慮を感じる。サラダやフルーツだってある。


「さて、揃ったな」


 ネンスが一同を見渡して頷いた。今日の参加者は俺とエレナ、アベル、レイルとマリアに加えてアロッサス姉弟にディーンとアレニカだ。主催者本人を合わせて十人ということでそれなりに賑わって見える。仲間内の食事では過去最大人数ではなかろうか。


「飲み物は行き渡ったか?」


 彼の言葉に全員がお互いを見回してから首肯した。俺たちの手には揃いの細いグラス。優美な金の線でブドウの蔓が描かれたその中には、一口で飲めてしまうほど少量のワインが入っていた。


「では改めて、大舞踏会はご苦労だった!」

「「おー!」」


 ネンスが声を張り上げ、レイルとティゼルが力強く声を張り上げる。


「特にエレナは飾りつけなど、殊更に苦労をかけたな」

「いいよ、あの規模で魔法使うの楽しかったし」

「「おー!」」


 笑って答えるエレナとやはり声を張り上げる男二人。レイルは変にテンションが高く、ティゼルも珍しく落ち着きがないというかハイな感じだ。


(大丈夫かこいつら)


「レイル、お前は何もしていないだろう……」

「おい、ご苦労はしたぞ?」

「……うむ」


 いつも通りの苦笑いでネンスが指摘。途端に真顔で返すレイル。

 初めての舞踏会でいい雰囲気だったところ、ネンスとアレニカの騒ぎのせいでレイルはマリアに置いてきぼりを喰らったのだ。どうやらテンションの高さで誤魔化しているだけで、まだ結構堪えているらしい。


(珍しくロマンチックな雰囲気だったらしいしなぁ、哀れなレイル)


「てなわけで、今日は楽しむぞっ、おー!!」

「おー!」


(空元気にしても空しい……)


 一人で雄たけびを上げる赤髪の少年に同情的な視線が集まる。ティゼルだけが一切気にした様子もなく肩を組んで友人をバンバン叩いているが…‥それはそれでどうなのか。


「う、うむ、その……うむ、すまん」

「ご、ごご、ごめんね!?」

「その、私も申し訳ない限りですわ……」

「い、いや、別にいいんだけどよ……!?」


 昨日はレイルとディーンのダンスを笑っていたネンスだが、今ばかりは何とも言えない表情で謝る。マリアとアレニカがしおらしく頭を下げ、レイルが慌ててそれに首を振った。


「ま、まあともかくだ!昨日はそれぞれ、大忙しの夜を過ごしたことだと思う。今日は無礼講で……」

「無礼講ならあれやろうぜ!シャンパン振ってかけるヤツ!」

「レディーにナニさせるのよ、透けるでしょうがッ」

「どふっ……!!」


 気を取り直したネンス。その言葉を遮って吠えたティゼルは、しかし次の瞬間ツッコミというには重いボディーブローを喰らって横に吹っ飛んだ。それを慌てて入ったディーンがキャッチ。


「……!?!?」


 直前まで肩を組んでいた友人がぶっ飛ばされたレイルは目を白黒させている。


「い、一撃でティゼルお……!?」

「アティネ……先に飲んできた?」

「ち、違うわよ!ちょっと小突くだけのつもりで、寝不足で力加減が……距離を取るな!」

「いやうっかりであの威力は怖ぇよ…‥」

「ティゼルが軽すぎるのよ!」

「え、俺ぇー?」

「アティネさん、どうどう」

「うがー!」


 どうにも様子のおかしいアロッサス姉弟から一同、二歩ほど距離を取る。そっとレイルとディーンが位置を変えてアティネの隣に陣取った。


「あー、うむ、まあなんだ……」


 早くもグダグダの様相を呈し始めた会場を見回してネンスは言葉を探した。


「何の話をしようとしたんだったか……そう、今日からは私たちも法的に大人だ、という自覚を……本当に、本ッ当に持ってくれると助かる……本当に」


 もとから用意してきたセリフだろうに、何とも切実に噛み締めて王子は言った。それから彼はイエロートパーズの瞳で俺たちを見回し、大きく息を吸い込んだ。


「あんまり長々と喋ってまた茶々が入っても困るからな……よし!今日を迎えることができた喜びを噛み締めよう!迎えることができなかった者を偲ぼう!俺たちは友達だ!ほら乾杯だ、乾杯!」


 ワイングラスをゴブレットのように突き上げて彼は締めくくった。ヤケクソ気味で、しかし俺たちにある意味で相応しい勢いのある言葉だった。


「俺が言うのもなんだけど、やけっぱちじゃねえか……でもまあ、悪くねえな!」

「俺までそう言って頂けるなんて、光栄です殿下!」

「う、うん!うん!」


 騎士二人がそれに倣い、コクコクと頷くマリアもグラスを光にかざす。


「いやー、クサいけどこういうのもイイね!」

「しっちゃかめっちゃかだけど、イイんじゃないかしら!」

「概ね賛成ですけど、誰のせいだと?」


 姉弟が自分を棚に上げながら、アベルがため息をこぼしながら、それに倣う。


「ずっと、友達……ええ、素敵ですわね」

「うん、ずっと友達だよ!」


 小さい声でアレニカが呟き、エレナが満面の笑みを向ける。


「ん、ネンスの言う通り」


 そして俺も。

 敵も味方も、質の良し悪しを問わないのであれば、望めばいつでもできる。しかし友達は巡り合わせだ。それだけに大事にしないといけない。


「では改めて、友に!」

「「「「「「「「「友に!」」」」」」」」」


 十人の声が揃った。そしてそれぞれが人生初の酒を口に含む。


「「甘っ!」」

「え、苦くないかしら!?」

「わ、わたしには、か、辛い、かな……」

「思った以上に鼻にキますね……!」

「あ、これいいワインだね」

「む、たしかにな」

「これがお酒かぁ」

「ふわってしますわ」

「ん」


 十人十色の反応で思わず笑ってしまう。


「面白いね、お酒のカンジ」


 エレナが大きく息をしながら興味深そうに言う。後味や香りを感じ取っているのだろう。


「……ん」


 俺は俺で胃の中から熱がゆるやかに広がるような感触を覚えつつ、後ろで短く括った髪を触る。なんとなく妙な感じだ。一口でクラッとくるというか、夏ごろに林檎酒を飲んだときとは違う感がある。


「ああ、そうだ。忘れていたが、先日陛下より内示を受けて王太子になった。まあ公的行事以外ではあまり変わらないから、よろしく頼む」

「「おー!」」


 ネンスがさらっととんでもないことを言い、馬鹿二人が拳を突き上げて唱和する。


「いや待って!?」

「そ、そうですよ!立太子したんですか!?ちょ、初耳ですよ!」


 エレナとアベルは流石に食いついたが、当の王太子殿下は肩をすくめて苦笑い。


「どうせ成人したらなると分かっていただろう」

「それは、そうですけど……」

「だからって、何にもお祝いとか用意してないよ!」


 俺は死にかけていたので直接は知らないが、反乱での功績を称える場でそのような発言があったとかなかったとか。


「今は色々あってな、冬休み中に発表されて春のゴタゴタが落ち着いたころに式典だと言われている。だから大事はナシだ」


 俺はてっきり即位戴冠の儀式のように、式典を行うことで初めてなのれるのだと思っていたが……どうやら王太子と立太子の儀式はもっと実務的な関係らしい。


「さて、あとは好きにしろ!今日は各々の寮に門限の延長申請をしてあるし、帰りの護衛も手配済みだ!ただしシャンパンをぶちまけるのはナシだからな!?」


 いつになく陽気なネンスがそう言うや否や、エレナとレイルとディーンが種々の酒が置いてあるコーナーへと我先に向かう。それぞれ好奇心や憧れに浮足立っているのがよく分かる。


(子供だなぁ……)


 酒と煙草が大人の象徴というのはどの時代も同じらしい。さっぱり分からないであろう酒瓶同士を見比べてアレコレと言い合う三人は、このところの大人びた成長が嘘のように年相応だ。


(そういえば俺も酒を解禁されたときは、大人の仲間入りをしたようで嬉しかったっけ)


 もう随分と前のことだが、鼻に残る瑞々しい葡萄の香りにそんなことを思い出した。懐かしい記憶と重なる光景に自然と微笑みが浮かぶ。


「なにおじいちゃんみたいな顔してんのよ!」

「そうだよアクセラ!」


 そんな中、なぜか酒ではなく俺にめがけて突進してくるアロッサス姉弟。


(あ、嫌な予感……)


 両脇をガッと掴まれて料理からも酒からも離れた端っこへと連行される。抵抗する暇もなしだ。

 さきほどのティゼルワンパン事件があるからか、ネンスが心配そうにこちらを見ている。とりあえず手を振って無事だと伝えておいた。


「どうしたの?」


 首をかしげると二人は興奮しきった様子でグイっと顔を寄せてきた。暗紫の瞳は今日も蠱惑的で美しいが、四つ揃ってかなり充血していた。目の下のクマもすごい。ただしこちらは至近距離でようやく分かるくらい上手に化粧で隠している。


「どうしたじゃないよ!?」

「そうよ!結局エレナとどうなったのか白状しなさい!」

「昨日、舞踏会が終わってから小闘技場で戦ってたのは調べがついてるぜ?」

「喧嘩したわけじゃないんでしょう?さっきから仲良さそうだものね!」

「見せつけてくれるよ、まったくさ!」

「で、どこまで行ったのよ!?」


 怒涛。言葉が津波の様に押し寄せる。その眼差しはギラギラと重い輝きを宿し、二人の匂い立つような色気を台無しにしている。


(こ、怖……いや、ちょっと待て)


「なんで闘技場のこと」

「知ってるかって?愚問だよアクセラ!」

「ダンスが終わってからアンタが出てくるまで、表でずっと張ってたのよ!そっから尾行して、闘技場の外まで行ったってわけ!」

「怖い」

「失礼ね、最後まで見届けようと思っただけよ!」

「そうさ、友達の勇士を拝もうと思っただけさ!」


(ピッタリ声が揃うあたり、双子だなぁ)


 圧倒されすぎてそんなくだらない感想が一番に浮かんだ。


「初めての告白なんて一大事なのよ?どうなるのか心配で……」

「それにそんな美味しいイベント、あとで弄らないと後悔するだろ!?」

「アンタは黙ってなさい!」

「ホントに馬鹿なの?」


 少し落ち着かせて話を聞いてみると、どうやらこの姉弟は他数名の同士と共に出歯亀をやっていたらしい。


「同士って何……あとなんで昨日告白すると思ったの……?」


 軽い頭痛を覚えながら問うと二人は顔を見合わせて、なんだ知らないのかとでも言いたげな表情を浮かべた。


「アンタのファンクラブよ」

「ふあ……?」

「下のクラス中心にね、あるんだよ。上のクラスの中でも見た目がイイ奴とか、能力の飛び抜けた奴とかのファンクラブが」

「地味に多いわよ、アンタのファン。エレナは意外とそうでもないわね。貴族じゃないのもあるんでしょうけど……それでもコアな魔法使いのファンがいたはずよ」


(エレナのファンが少ないとは、見る目がない……むしろなんで俺?)


 ますます意味が分からず首をかしげる。オルクスの悪名はどこへ行ったのかと。


「好意は簡単に憎しみへ変わるけど、その逆も意外と真ってことさ」

「この前ベルベンスをぶっ飛ばそうの会が発足したのと一緒よ」


(そんな名前だったのか、あの集団)


「ある意味であの変態侯爵の反乱のおかげだね」

「嫌な奴だと思ってたのがすごくいい奴で、しかも瀕死の大けがを負ってまで自分たちを守ってくれた!ってワケよ」

「ちなみに麗しの姉上にもあの反乱でファンクラブができたんだぜ。カッコイイ啖呵切ったもんだからさ」

「鬱陶しいったらないわ!」


 既に情報量が多くてちょっと頭がついていかなくなった俺は、そっと指一本でこめかみをもみほぐす。

 この際、ファンクラブがどうとかいうのは置いておこう。それはそれでうまく使えば布教にもお家騒動にも使えそうな気がするが、下手に関わって好悪がもう一回転されても困る。


「で、なんで昨日だと思ったの?」

「ヘタレが根性だすのにいいイベントだったじゃない、舞踏会」

「覚悟が重たい系ロマンチストの選びそうな日程一位だったよね」


(コイツ等……一回シメてやろうか?)


 あまりに不名誉な返答だった。


「まあそれは半分嘘で、最初は覗く気なんてなかったんだけどさ」

「たまたまファンクラブの連中と会話になったよ。で、向こうもなんか気にしてたから」


 なんで俺の恋愛事情が、俺の認知していないファンクラブとやらに知られているのか。ベラベラと喋るような奴は仲間内にいないはずだが……そこまで考えて、やっぱり怖くなってきたので考えるのを止めた。割と本当に頭が痛い。


「俺たちも盛り上がって、その場で覗きに行くか!みたいな話になっただけなんだよね」

「正直ちょっと浮かれてたコトは認めるわ……でもあんな目に合うと思わないじゃない!」


 アティネが綺麗にセットした髪を崩さないよう、極めて器用に頭を掻き毟る。その横でティゼルも酷く疲れた笑みを浮かべて息を吐いた。


「君が最後の曲まで踊るもんだから、追いかけ始める時点でほとんど興ざめして帰っちゃったんだよ」

「残ったメンバーもあとは執念で食い下がってたカンジよ」


 解散の瀬戸際になってパーティーが終わり、俺が出てきたので寮まで追いかけたんだそうな。そこで帰宅したんだと思って更に数人が諦めて脱落。深夜も過ぎて判断力の鈍っていた双子とわずか三人の同士とやらも諦めようとしたところで、再び俺が出てきたのである。そこから闘技場に向かったので追いかけ……。


(諦めとけよ、もう)


「着いてみたら闘技場の中の声は防音の魔法で聞こえないし、侵入しようにも鍵かかってるし」

「アンタみたいに壁をひょいひょい上ったりはできないもの、アタシたち」

「寒いし眠いし、明け方近いし……けど引っ込みつかないし」

「もうこうなったら二人が出てきたとこに盛大にオメデトウって言って、サプライズが成功したら帰りましょうって……」


 身を寄せ合って凍えながら俺とエレナを待つうちに、最後のバカたちはとうとう朝を迎えたらしい。しかし俺は足で登りやすい側から上り、エレナは俺を担いで別の低い場所から魔法で帰ったので、ついぞ会わずに終わったわけである。


(そりゃ寝不足にもなるわ)


 先ほどからの奇行というか、制御がおかしくなったような二人の言動にようやく納得がいく。断じて俺のせいではないし、同情もまったくできないが。


「「で?」」


 もう聞くまで引き下がらないという、不退転の覚悟を滲ませて詰め寄る二人。そこへソロリと近寄ってくる人影がもう一つ。アレニカだ。


「私もその話には興味がありますわね」

「ん、出歯亀の話?」

「違いますわよ!」


 ぐるりと姉弟の頭がそちらを向く。寝不足で淀んだ視線を受けて苺色の髪の少女は一瞬ひるんだようだが、俺に噛み付く勢いで立て直し、すぐに背筋をのばしてもう一歩彼らに歩み寄った。


「アンタも応援してたクチかしら?それとも好奇心?」

「い、一応、応援してましたわよ?」

「ふぅん……」


 じろりとこちらに視線が向く。


「ん……エレナの相談相手になってくれてた。私もアドバイス、もらったし」


 ぐるりとまた二対の目玉はアレニカに。


(ピッタリ同期した動きで顔の向きを変えるの、滅茶苦茶怖いんだが……)


「……」

「……」

「うん、なら仲間ね」


 しばしの沈黙を挟み、もうひと悶着あるかと思いきや、あっさりアティネは受け入れた。眠くてそこまでの体力がないのだろう。ここから酒を飲んで果たして大丈夫なのか、そっちが心配になってくる。


(最後まで俺と酒を飲んでくれるのは、誰だろうなぁ……?)


「アクセラ、もういいだろう?さっさと言っちまえって!眠いんだよぉ!!」

「それは知らないけど」


 ティゼルはもとからアレニカのことなど気にしていないのか、俺の肩を掴んでガクガクと揺すった。三対に増えた目がこちらをじっと見ている。


(これは逃げられないか)


 それに手伝ってもらったのは本当だし、ちゃんと報告するのが筋だろう。


「んー……お、おかげさまで」


 少し照れが混じってしまい、明後日の方向を向いてそうとだけ答える。が、アティネに顎を掴まれて前を向かせられる。


「おかげさまでナンなのよ!どこまで行ったのかも教えなさいよ!」

「んん……痛い」

「いいから言いなさい。早く」


 容赦なく指で顎の骨をロックしてぐらぐら横にやるアティネ。脳が揺れるような嫌な感覚にみまわれる。


「ゆ、揺らさないで……」

「はーやーくーいーえー!」

「言う、言うから、ストップ……!」


 しまいにはガックンガックンとやられ、耐え切れずに俺はその手を引きはがした。一気に酔いが回ったようなカンジがする。


「ん………………い、いくとこまで」

「え、うそ!?ホントに?ホントに!?きゃー!マジ?マジで本当に行ったのね!?」


 それまでの不機嫌な態度から一転、絶叫と共にバネ仕掛けのごとく跳ね上がったアティネが抱き着いてくる。


「ぐぇっ」


 俺とほとんど変わらない小さな体から想像できないほど逞しい腕が首を絞めつける。視界の端ではそこまで露骨なことを聞くつもりがなかったのか、アレニカが顔を真っ赤にしてそっぽを向いていた。ティゼルはなぜか鼻高々という顔で。


(腹立つ顔だなぁ……ぐぇ)


「やったわね!おめでとう!」

「う、ぐっ」


 本当に嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねるアティネ。俺とエレナのことでそこまで喜んでくれるのは友達冥利に尽きるというか、とてもありがたいのだが……肩が喉に入っている。


「ぐぅっ、ぐぇ、ぐぇっ」

「アティネ、アティネ!キマってるから!跳ねるたびに女の子の口から出ちゃいけない音が出てるから!」

「ぐぇ」

「あ、ごめんなさい!でもよかったわ!!」


 ティゼルが引き離してくれたおかげでようやく新鮮な空気が吸えた。


「よし、それが聞きたかっただけだから、食事に戻るわよ!」

「え、それだけでいいの?」

「ホントだよ、もっと根掘り葉掘り聞こうぜ」


 ひとしきりの祝福を言い終えたアティネはあっさり踵を返す。当然のようにティゼルの腕を掴んだまま。あまりの切り替えに俺も困惑するほかない。


「ダメよ。アクセラにはまたの機会にちゃんと聞くけど、アンタ放っておいたらトンでもない猥談始めるでしょ」

「始めないよ!?俺をなんだと思ってるのさっ」

「淫行騎士」

「月泪だって!」


 ティゼルは以前俺のことを男友達として見ると言ってくれていたが、その延長でもっと細かい話を聞きたかったのだろう。ボーイズトークというやつは、割と場所を問わず繰り広げられる。

 アティネはというと、彼女も恋バナ大好きお嬢様なのでロマンスのディテールに興味はあるだろう。しかしガールズトークはこっそり行われるものだ。そこらへんは男女の、あるいは令息と令嬢の感覚の違いか。


「さ、お祝いのソーセージよ!」

「引っ張るなって!アクセラ、またあとでじっくり聞かせてくれよー!」


 結局本当にそれだけ聞いて彼女はずんずんと料理の方へと去っていった。引きずられていくティゼルを見送り、俺はアレニカの方を向く。


「アレニカもありがと」

「い、いいんですわよ!私はエレナの友達ですもの」


 お礼一つに慌てふためくアレニカ。その様子が楽しくてついつい揶揄いたくなる。


「私とは?」

「えっ……」

「私とは友達じゃない?」

「えぇっ!?」


 そんな返しが来るとは思っていなかったのか、目を見開いて彼女は俺を見返してきた。


「そ、そそそうですわねっ、ア、アクセラさんも、と、友達ですわよ?」

「ん、ありがと」


 顔を熟れたトマトのような色にして、毛先を指にからめつつ彼女は答える。まるで不本意なことを言っているかのように唇を尖らせているが、その内容はとても可愛らしいものだ。


「ふ、ふん!こ、こ」

「コッコー?」

「違いますわよ!光栄に思ってくださいましって言おうとしただけですわよ!っていうか前にやりましたわよねこのやり取り!?」


(やったなぁ、だいぶ前に。しかしそう考えると、まだそのお嬢様キャラを維持するつもりなのか……)


 長年やり続けていたことだけに、見栄の張り方をそれしか知らないのかもしれない。そう考えればつくづく不器用な娘だと、つい見守るような気持ちで見てしまう。それがどう映ったのか走らないが、真っ赤な珊瑚色の瞳にジロリと睨み返されてしまった。


「貴女のそういう、私を辱めて遊ぶクセだけは嫌いですわ!」


 だけ(・・)なんだ、とはさすがに言わないでおこう。


「もう!エレナにも声をかけてきますわねっ」


 怒ったようにさっさか立ち去るその姿を見て、俺はなんともくすぐったい気持ちになるのだった。


 ~★~


「あっつ……」


 チビチビと銅製のマグの中身を啜りながらぼやく。ほろ苦く弾ける舌触りは西部で作られたエールの特徴らしい。まだ一杯目だが、なんだか炭酸が面白くて気に入ってしまった。


「……あっつい」


 もう一度呟いてから左手を肘まで覆う長手袋を外す。汗で湿った傷跡に外気が冷たく、少しだけ心地よかった。


(冬だからって、暖房効かせ過ぎだよ)


 結局エールを飲み終える頃には火照りに耐え兼ねて上着も脱いでしまった。どこへ置いたかは……不思議と思い出せなかったが。それどころかドレスシャツの袖も肘までまくって、まるで夏場の鍛錬中のような格好だ。


「ん、アベル」

「はい?」


 たまたま料理を片手に目の前を通り過ぎようとした眼鏡を捕まえる。指でチョイチョイと招いて飲み物のあたりまで移動し、彼のグラスにワインを注ぎ足した。


「ありがとうございます。でも、どうしたんですか?随分暑そうですけど」

「お礼を言ってなかったから。あと暑い。すごく暑い」


 自分のマグにもほろ苦いエールを足す。味に反して薄い琥珀色の液体がシュワシュワと音を立てた。


「お礼ですか?」

「トライラント伯爵とアベルのおかげで、オルクスはかなり潤った。ありがとう」

「なんだ、そのことですか」


 俺が軽く頭を下げると彼はなんでもないと言って首を振る。しかし俺にしてみれば大きな恩だ。

 オルクスはその悪名から結構な相手から商取引を拒まれていたのだが、この数か月でそれがかなり改善された。もちろんビクターの地道な交渉の成果もあるのだが、夏にアベルを通じて交わした密約による部分もまた大きい。トライラント家がウチから農産物を仕入れ、売るルートを担ってくれるという約束だ。


「現金が増えて、想定より早く街道を再整備できそうだって。流通が改善されれば治安維持も商業も、ずっと良くなる」

「それは何よりですが、値が上がったのはトワリ家の反乱のせいですからね……」


 はたしてトライラントのおかげと言えるのか、という顔で頬を掻くアベル。

 利益が出た直接の理由は農産物の価格高騰。あの反乱によってトワリ侯爵領という大きな土地が宙に浮いてしまったことに端を発する。少なくない数の民が忌まわしい故郷を捨て他領へと逃れ、救援物資としても備蓄としても需要が高まったのだ。


「でもトライラントが間に入ってくれなければ、買い叩かれて終わりだった」

「それはそうかもしれませんが、ウチも利益が出てますからね……ほら、それにお礼なら先払いでもらっていますし」


 アベルが望むときに三度、俺は戦力を彼個人に貸し与える。たしかにそんな条件で俺は密約を持ちかけた。だがそれはそれ、これはこれだ。


「対価じゃない。お礼の気持ちはお礼の気持ち」

「あはは、わかりましたよ。そんなに食い下がられたら受け取らない方が失礼ですからね」


 眼鏡のブリッジを軽く押し上げて彼は微笑んだ。それから一度立ち去りかけて足を止め、ふとこんなことを言い出した。


「そうだ、ちょうどイイです。あとでお伝えしようと思っていたコトなんですが、耳寄り情報があるんですよ」

「……ん」


 つまり情報を買わないか、ということだろう。


(意外だな)


 チビリと酒を飲んでそう思う。

 以前は友人相手に情報の商売はあまりしたくないと言っていた彼だが、何かしら心境の変化があったらしい。自分が交わした約束がとんでもない額の商取引になってしまった、今回の件で思うところができたのか。


「ん、買うよ」

「ありがとうございます。まあ、舞踏会で聞き出せる程度の情報ですからね。友達価格にしておきますよ」


 そう言って困ったように笑う彼を見て思い出す。舞踏会の序盤、抜け出してどこかに行っていたのだったな、と。気が付いたら戻ってきていたが、その時には既にかなり疲れた様子だったのを覚えている。何かの取引をしていたのか?


(まあいいや。そこを掘り下げてもお互い良いことがないし)


「いくら?」

「現金ではなくアクセラさんへの依頼という形で払ってもらっても?」

「ん、いいよ」

「助かります。やっぱり学友と金貨のやり取りをするというのは、どうしても抵抗があるので……」


(まあ、気持ちは分からなくもない)


「それで依頼なんですが、ちょっと顔を繋ぎたい方がいるんです。その人は大変な美食家で、特に魔物肉などの珍味を好まれるらしくて」

「魔物の珍味……ヒック、ごめん」

「別にいいですけど、大丈夫ですか?」

「ん」


 それはたしかに珍しい。貴族は家畜化された一部の魔物以外、魔物の肉を食べたがらない場合が多い。遠征企画の時もアレニカをはじめ、躊躇っていた者は多かった。最終的には森にいた生徒は一番取り澄ましたご令嬢ですら、ブチ殺したばっかりの魔物肉を塩と雑草で茹でたゲロ不味鍋を食っていたわけだが。


(ハハ、面白い……んぐっ)


 マグを傾けたら思った以上にエールが口の中へと流れ込んできて咽そうになる。慌てて飲み込むが、喉を押し広げて液塊が落ちていくのが分かった。結構痛い。


「なので注目を浴びるためにも、その方のパーティーに持ち込む珍しい肉が欲しいんです。なにか美味しい魔物を獲ってきてください」


 珍しい魔物の肉で味がいいやつ。これは意外と難しい依頼だ。なにせ王都の冒険者は大抵が王都の上質な物流に支えられている。魔物肉を食べるとしても一般人が食べる程度のものしか食べない。ゲテモノをあえて喰らう必要がないのだ。

 逆にゲテモノしか食えない奴は美味い魔物も知らない。稼げないくらいに弱いから。そんなわけで上ギルドはおろか下ギルドに持ち込んでもあまり変わったモノは出てこないだろう。

(まあその点、俺はなんでも食べるしソッチの知識も豊富だからなー)


「ん!わかった。アビサル系魔物の目玉にしよう」

「め、目玉……」

「アビサル系は王都とケイサルの特別なダンジョンにだけ生息する目玉だらけの魔物。見た目はだいぶキモい。キモいけど美味しい。冷たくてトロッとしてて、甘くて濃厚」

「ま、まあ、珍味だってことだけは伝わりました。あとで必要な数とか、そのあたりの詳細を書いて指名依頼にしておきます」


 ある意味で故郷の味だし、ついでに自分たちの分も貰ってこよう。


「さて、情報ですが……教育大臣の件の音頭をレグムント子爵、つまり副学院長が執っているのは覚えていますよね」

「もちろん」


 ベルベンスの起こした事件を切っ掛けに副学院長が国王陛下に直訴し、この春から教育大臣があたらしく置かれることになる。大臣旗下にて全国の学校組織へ統一された教育方針が打ち出され、その運用が正しく行われているか監査が入るのだ。


「どうもその裏で侯爵の方が動いているようです」

「侯爵……?んー、あぁ、レグムント侯爵」


 一瞬言われて分からなかった。なんというか、瞬間的に頭の回転が鈍ったような。


(もとから鈍いけどね、ってうるさいよ。しかし侯爵の関与かぁ……)


 それ自体はおかしなことではない。彼は技術教育や人道的価値観の西側化を標榜しているのだから、こんなチャンスを見逃すはずがない。是が非でもそこらへんを教育方針に食い込ませたいだろう。


「ザムロ公爵が黙ってなさそう」


 技術を推し進めたいレグムントに対して同じ四大貴族の武闘派、ザムロはスキル至上主義を掲げている。彼は血統主義であることも有名だ。


「ところがですね、どうも両者がここにきて急接近しているらしいんです」

「……?」


 急接近と言われてあのオラついた紳士のレグムント侯とムキムキ爺さんといった風貌のザムロ公が仲良く肩を組んでいる姿を思い描く。暑苦しくて胸焼けがしそうだ。

(そうでなくても暑いのに……)


 額の汗を手の甲で拭い、マグの中のエールをグイッと飲む。視界が大きく歪んだような気がして、もう一度手で目元を擦った。


「具体的に何を話し合っているのかは分かりませんでした。おそらく近しいほんの一握りしか知らないのではないでしょうか。そういうニュアンスを感じました」

「にゅあんす……」


 いや、そこじゃない。復唱してから思った。


「この二人の動きはそのままアクセラさんに影響を及ぼしますからね。もし情報が入ったら真っ先にお声掛けしますよ」

「ん、んぅ……わかった……」

「あの、アクセラさん?さっきから顔が凄く赤いですけど、大丈夫ですか?」

「らいじょうぶ」


 この程度の酒で酔うはずもなし、大丈夫だ。視界がグニャグニャと不規則に歪んでいるようだが、大丈夫だろう。何が大丈夫なのかもよく分からないが、大丈夫のはずだ。


「まあ、ぅん、わかった……気を付けて、んにゅ、付けておく」

「アクセラさん、一旦座りませんか?ちょっと様子が変ですよ」

「いいの、らいじょうぶ、いいから……」


 地面がたわむ。思わずアベルの肩を掴んで支えにしてしまい、しかし、もう一度大きく揺れると同時に上下の感覚が失われた。


「アクセラさん!?」


 視界がぐるんと反転し、それまで暑かったのが急激に寒くなっていく。慌てたようなアベルの声を聴きながら、俺はそのまま闇に落ちた。

~予告~

酒宴にて倒れたアクセラ。

彼女の身に刻まれた爪痕は、

まだ癒えてはいなかった。

次回、後遺症

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ