間章 第六話 いつの日か来る顛末
エレナが俺の視界から消えるのと前後し、正面を塞ぐ大岩に罅が入る。少なくとも一人は土属性使いのようだ。魔法による作用でバキバキと罅は広がり、数秒もすると大岩は大小の破片となってがらがら崩れ落ちた。
「突入!」
「火の理は我が手に寄らん!」
「なに!?」
夜闇から室内へと相手が雪崩れ込もうとした矢先、俺は火魔法を放って出鼻をくじく。
「止まれ!止まれ!!火属性の魔法使いもいるぞ!」
「あの少女か?あ、足元を見ろ!ベズケ商会長殿だ!!」
隊長らしき男以外に槍が六人、剣が六人、魔法使いが三人。総勢十六名はマイゼルの規模から考えて、一つの案件に差し向けるには多すぎる。いかにロンダリア商会が特別視されているかが分かるというものだ。
「そこの冒険者!マイゼルの名士であるロンダリア商会へのこれ以上の狼藉、我らマイゼル衛兵隊が許すと思うな!!ただちに投降し……」
「笑止!」
隊長の言葉を遮って一喝する。それから久しぶりに腹の底から声を出す。
「賊とは言ってくれる。私はアクセラ=ラナ=オルクス。このオルクス伯爵領の領主令嬢。剣を下げ、今すぐこの男を捕らえよ!さもなくば反逆と見做す!!」
「な、ば、馬鹿なことをぬかすな!」
まさかの主張、というやつだったのだろう。隊長は口上も忘れて怒鳴り返してきた。
「お前が伯爵令嬢だと!?ベズケ殿を捕らえろだと!?何を訳の分からないことを」
「この白髪と、この印章が証拠」
再び隊長の台詞を遮って、チェストプレートの裏から一枚のメダルを取り出す。銀色に輝くそれは表面に王国の紋章が、裏面には伯爵家の紋章が描かれている。貴族子女であることを示す印章だ。
普段はギルドカードか顔パスで済むから使わないが、マイゼルの門を開けさせるのにも活躍した切り札の一つである。
「た、隊長……!」
「に、偽物だ!偽物に決まっている!でなければ、ほ、本物の伯爵令嬢だというのなら、ロンダリア商会を襲う道理などないではないか!!」
「しかし!?」
「問答無用、全隊構えィ!!」
動揺の走る部隊に隊長は檄を飛ばし、指揮官用らしい少し装飾のついた剣を抜く。
「敵は貴族の名を騙り、善良な商家へ強盗を働く凶賊だ!き、切り捨てていい!いや、必ず息の根を止めろ!!」
殺してから遺体もメダルも処分し、街に入った記録まで消してしまえばいい。あとはうやむやになる。そういうことだろう。
「浅はか。違法奴隷商に抱き込まれるだけある」
「な、何にを言うか!ロンダリア商会はマイゼルにいたく貢献してきた……」
「黙れ、不浄役人が」
俺は隊長の言葉を遮り、魔力糸を凝縮して玉にする。
「光の理は……」
「ま、魔法です!」
「こいつ『詠唱短縮』を!?」
「……我が手に寄らん」
慌てる男達の目の前に魔力の玉を飛ばし、一気に魔法化。
爆発的なライトの輝きが解き放たれる。
「ぎゃあ!?」
「目が、目が見えない!!」
夜の薄暗い中、『暗視眼』も使っていたのだろう。強烈な光に目をやられ、隊列は一気に乱れた。
しかしここで仕掛けるようなことはしない。今俺が彼らに剣を向けると、殺してしまうから。全盛期の力を取り戻せていない俺では全員を無傷で倒すことは難しいし、何より加減ができる気分じゃない。
(さすがに、それは拙い)
エレナに釘を刺されたからではないが、衛兵の殺害は避けたい。不正に関わっている者とそうでない者の区別がつかないし、マイゼルの防衛力や治安維持能力に致命的な影響を与えかねない。
(本当はあの隊長だけでも、両手両足斬り落としてやりたいけど)
だが主犯格の一人だ。証人として生かし、関係者全員を芋づるにしなくては。
「ふぅ……カサンドラ!」
「はいはぁい」
俺の叫びに応じて、彫刻刀の異名を持つ女が音もなく降ってきた。
アジト制圧をもってビクターからの依頼を完了した彼女に、俺はマイゼルでの延長戦にも参加するよう依頼したのだ。報酬は自腹だが、その価値はあると踏んだ。
「あー、まったくもう!出番ないまま楽な仕事で終わるかと思ったのに」
「依頼料の分は働いて」
「心配ご無用、それはもちのろんよ!」
台詞のわりにうきうきとこの場にそぐわない陽気を振りまきながら、カサンドラはベルトからナイフを引き抜く。左手に大ぶりな物を一つ、右手に小ぶりな物を三つという変則スタイルだ。
「賊だ!賊の仲間が出たぞ!」
「目の治った者はまだの者をカバーしろ!隊列を保て!」
もう視界を取り戻したか。さすがに腐っても衛兵、異常からの回復が早い。
しかし状況はもう決したと言ってもいい。カサンドラは、強い。
「そりゃ!」
右手が紅色に輝いたかと思うと、カサンドラは霞むほどの速度で三本のナイフを投擲した。
「くっ」
「ぐぁ!?」
持ち方から投擲用だろうと誰もが予想していたが、それでも二人は回避できずに足の甲を射貫かれる。最後の一本をすんでのところで隊長は弾き、剣に濃い青の光を宿して反撃の一撃を振り抜いた。
魔力刃が軌道に沿って放たれる。いわゆる飛ぶ斬撃の系統だが、カサンドラは左手のナイフでこれを正面から迎撃。橙色のスキル光が濃い青を切断した。
「はぁ!」
「やあ!」
「あっぶな。はい、お返しのナイフ」
繰り出される二本の槍を下がって回避し、手加減したナイフを衛兵の顔に投げる。遅いそれを引き戻した槍の柄で難なく弾いた彼らは、がら空きになった足元へ滑り込んでくるカサンドラに対処できない。
新しいナイフをベルトから抜いた彼女は、容赦なくそれを足の甲に突き立てて地面まで縫い留める。男たちの悲鳴が上がるが、気にも留めずに彼女は後ろへ潜り抜けた。
「三人目、四人目、いっちょ上がり!」
「こ、この女、強いぞ!」
「同時に攻撃するな、波状に切り替えろ!」
隊長は指揮の腕自体は悪くないようで、すぐさま陣形の変更を命じる。
その後ろで弓兵たちが矢をつがえて射線を探しているのが見える。完全に視力を取り戻したようだ。
「カサンドラ」
「任すわ!」
矢がカサンドラめがけて放たれる。指揮系スキルのおかげか、前衛にあたる心配を一切していない豪快な射撃だ。
俺は彼女の前に飛び出し、紅兎をぐるりと斬り払ってそれらを叩き落す。さらに弓兵が確保した射線を逆に利用して、両手の火焔魔術を発動した。肘から指先まで赤い幾何学模様が肌を透かして輝き、ボッと火弾が迸る。
「!」
結果を確認するより早く、今度はカサンドラが俺の前に滑り出た。
「死ねぇえええ!」
「一昨日きやがれっての!」
剣を肩に担いで迫る衛兵に、それまで刃として使っていた左手のナイフを投げつけるカサンドラ。スキルでもなんでもないその動作に意表を突かれ、衛兵の勢いが瞬間的に鈍った。
「とう!」
彼女はナイフを抜かず、代わりに足を揃えてドロップキック。『体術』の赤い輝きを纏った一撃は衛兵の胸当てをへこませ、大柄な体を来た道へ送り返す。
「燃えよ、赤き火よ、熱き……」
「闇の理は我が手に寄らん」
体勢を立て直そうとする弓兵に火弾を飛ばして牽制しつつ、攻撃魔法の詠唱を始める魔法使いへ黒い魔力糸を伸ばし妨害。夜ということもあり睡魔に集中を乱されたローブ姿の男は、たたらを踏んでなんとか倒れるのを免れた。
「うっ……フォ、フォールスリープだと……あの子供、三属性使いです!」
「三属性使いの賊だって?隊長、やはり何かがおかしいですよ!」
「なんだと!?ではお前はロンダリア商会や私が法を犯していると、そう言うのか!」
「そ、そうではありませんが、その……」
魔法使いの発した警鐘に衛兵たちがざわめき始める。迷いの見え始めた彼らを指揮官は怒鳴りつけるが、一度鈍った剣はなかなか戻らない。
足を深く傷つけられて倒れ伏した仲間が周囲で呻いているのも、衛兵の勢いを削いでいる。
「くっ……もういい!そこの女、この私と一騎打ちをしろ!!」
「え、なに、アタシをバッサリやって部下の士気を上げようって魂胆?うわぁ、舐められてるわねぇ」
忌々しそうに衛兵たちを退けて前に出る指揮官だが、対するカサンドラは心底面倒臭そうに肩を落とした。殺さず制圧しろという依頼なのだから当然だ。
「一騎打ちを申し込まれて逃げるか!」
「アタシ騎士でも衛兵でもないんだけど」
「言い訳だな。貴様の姑息なスキルや低い筋力では剣士と真正面から戦えないだけだろう。盗賊風情が強者振るでないわ」
「チッ、Bランクいくかどうかの腕前のくせに腹立つわね……どうする、依頼主さん」
カサンドラの顔に本気の苛立ちが浮かぶ。Aランクだなんだといって、彼女もやはり荒くれ者の冒険者。格下に侮られれば、それが安い挑発だと分かっていても気に障るらしい。
(しかし、一騎打ちか)
ありかもしれない。どうせ衛兵隊でロンダリアに加担しているのは彼だけではないだろう。最悪、ここでこの男を潰しても問題はないはずだ。
それにいい加減、この騒動を鎮圧しないと拙い。巻き込まれるのを恐れてか、野次馬は現れていないが、あまり長引けば不審に思った後詰の衛兵が来るはずだ。
(幕引きの仕方を考えずに突撃したのは、よくなかったなぁ)
そう、俺はどのようにこの騒動を締めくくるかを、全く考えずに来てしまったのだ。怒りに任せてここまで攻め込んだ愚を今更ながらに少し後悔する。
だがまあ、日が明ける頃にはビクターがゴロツキ奴隷商を引っ立てるために人を寄越してくれる手はずになっている。彼らはケイサルからアジトまで進み、マイゼルで色々と補給して戻る予定だ。
(ケイサルの衛兵数名に冒険者で水増しした部隊になるだろうけど、罪人をゾロゾロ連れての復路だ。執事の誰かがマイゼルへの説明に帯同するのは確実)
それが来れば俺たちの勝ちだ。小娘二人と女一人を消せば隠蔽が可能だと思うような大馬鹿でも、さすがに家宰の代理として代官宛てにやってきた執事を消してしまおうとは思わないだろう。
「一騎打ち、いいよ」
「あら、意外」
目を丸くするカサンドラだが、俺は彼女の前に出る。
「ただし、私が相手をする」
「ちょっと、アタシが売られた喧嘩よ?」
「今は依頼中」
「む……」
依頼だからと俺に伺いを立てた以上、俺の指示に従わざるを得ない。不承不承ながらナイフをベルトに納めるカサンドラ。諦めたように二、三歩下がって場所を開けてくれた。
「貴様が一騎打ちだと?」
衛兵隊長の顔が怪訝に歪むが、無視して紅兎を正眼に構える。
「一騎打ちに私が勝てば、この場の衛兵は全員退却し明日の朝まで待機する。飲める?」
「魔法使いの剣にこの私が打ち負けると?」
俺のことを三属性の魔法使いと思っているらしい衛兵隊長は露骨に侮りを顔に浮かべた。指揮官としてのスキルはいいが、本人の資質には大きな問題を感じさせる男だ。
(いや、奴隷商人に抱き込まれるような奴だ、当然か)
脳裏に浮かぶのは地下に居たやせ細った奴隷たち。彼らから絞った血も、涙も、苦悶の声さえも、金に変えてロンダリアやこの男は我が物としているのだ。
他人の人生を潰して、滴たる蜜でのどを潤す。それは……人間の所業ではない。
「飲めるの、飲めないの」
刀を握る手に力が籠る。柄巻の感触が増し、鋼とミスリルの刃に溢れ出る魔力が通った。
応じた瞬間に烈火装で両腕を斬り落とし、両膝を踏み砕き、金床打ちで圧し潰して意識を狩る。必殺の意思を込め、研ぎ澄ました刃の筋を立てる。
「舐めるな!いいだろう、お前の条件で一騎打ちを……」
「っ」
踏み込みの一歩に全てをかけるつもりで重心を前に映したのと、ほぼ同時だった。
「止めよ!衛兵隊長!ただちに!剣を!下ろせぇ!!」
遠くから深夜の空気を揺るがす必死な叫び声が聞こえてきた。俺も、カサンドラも、衛兵隊長や衛兵たちも、揃ってその声の方を向く。
「な、なんだ……え、あれは、だ、代官閣下!?」
馬に乗ってメインストリートを爆走する中年男性。それを見て衛兵の誰かが驚愕の声を上げる。
「代官……?」
マイゼルの代官らしき男性は俺たちの間に割り込むように馬を乗り入れ、転がり落ちるように下馬した。それから事態が飲み込めていない隊長に縋りつくようにして叫ぶ。
「け、剣を納めよ!お前たちもだ!今すぐ、全員、武器をしまうのだ!!」
「な、いや、しかし……!」
目を白黒させる隊長にもう言うことはないと身を翻し、代官は俺の方に向き直った。そして今度は崩れ落ちるようにその場に膝をつき、汗をだらだらと流しながら頭を垂れる。
「お、お初にお目にかかります!マイゼルの代官を拝命するオサリス=バリエストと申します!ア、アクセラ様におかれましては、ご機嫌うるわ……あっ、いやその、こ、この状況!この状況は、重大な行き違いがあってのことでございまして……ッ!」
「だ、代官閣下!?何をしておいでなのか!」
「何をしておいではこちらの台詞だ、衛兵隊長!」
狼狽える衛兵隊長に目の玉が零れ落ちそうな表情で代官は怒鳴る。その額には土の跡がくっきりと付いている。
「貴様はいつまで剣を抜いているつもりか!こ、このお方がどなただと思っている!!」
あまりの剣幕とへりくだり方に、殺人の一歩手前までの覚悟を決めていた俺も、呆気にとられてしまった。
「い、いや、しかし、その者はロンダリア商会を……!」
「喧しい!業突く張りの悪徳商人など、どうでもよいわ!!」
「な、なにを言われるか!」
「もういい、貴様は黙っていろ!今はマイゼルの一大事なのだ!!」
衛兵隊長が慄いたように数歩後退った。衛兵の多くも愕然とした様子で視線を代官と隊長の間で往復させる。
「代官バリエスト」
「ひっ、は、はいっ」
声をかけると男は再び平伏した。その怯えようはとても俺一人に向けたものとは思えず、どうしても自分の背後に微笑む家宰の幻影がいる気がしてしまう。
「……どういうこと」
「こ、ことの次第は家宰様の部下より聞き及んでおります。全てはロンダリア商会の長年の悪事!私も、衛兵たちも、マイゼルの街も全て無関係でございます!」
「ら、らいふぁんろの!ほれは、ほれはあんまひら!!」
店の中から悲鳴が聞こえてきたが、今は無視だ。
「た、ただちにマクミレッツ家宰の差配に従い、容疑者の確保と被害者の救済に全力を傾ける所存でございます!この場は私に、どうか、どうかお任せくださいますようお願いいたします!!」
「……なるほど」
あくまでロンダリアの勝手であり、街は違法奴隷の存在など知らなかったと。そう主張するわけだ。損切の速さはそれこそ商人並かもしれない。
「代官は、そこの隊長よりは頭が回るらしい」
「きょ、恐縮でございます!」
紅兎を鞘に戻す。剣呑な赤い刀が目の前から消えたことで、代官の体からわずかに力が抜けた。
「私は基本的に、人にはチャンスを与えるべきだと思ってる。間違った人には、それを正すチャンスを。失敗した人には、そこから這いあがるチャンスを」
「か、寛大なお心に……」
「でも奴隷商人だけは別だ」
抜刀。一度納めた刃を弧月の要領で放ち、代官の首の五ミリ手前で止める。
「え、は……ひぃっ!?」
数秒遅れて首元の刀に気付いた代官は、飛び上がって驚き、そのまま後ろにひっくり返る。俺は離れた分の距離を歩いて詰め、切っ先を鼻の頭に突き付けた。
「自分の撒き散らした不幸の清算くらい、きっちりしてもらう」
「や、お、お止めください!わたしは、わたしは知らなかったのですッ!衛兵たちの多くも、や、役人たちも、ど、どど、奴隷のことなど、知らなかったのです!!」
「信じると思うか」
わずかに紅兎を前に押し出す。鋭利な刃が男の鼻の頭に刺さり、血が数的浮かんでくる。
「痛ッ、ほ、ほんとう、でござい、ます……!」
代官は震え上がりながらボロボロと涙をこぼし、それでも白を切る。
しかしそこで、また新しい声が割って入った。
「お嬢様、お止めください」
「……」
視線を動かす。そこには普通の商人のような格好をした青年が。だが顔に見覚えがある。
「君は……」
そうだ、ビクターの部下の一人だ。騎士でも衛兵でもないが、何年か前は屋敷の中の警備をしていた。ここ数年は見ていなかったが。
(そうか)
どういう立ち位置の人間かは分からないが、ビクターが自分の目として方々へ放っているのだろう。ということは代官を呼んだのも彼か。
「ビクターの指示?」
「はい。昨日、急ぎの手紙で何かあれば動くようにと。状況が複雑になってまいりましたので、そのようにさせて頂きました」
マイゼルに俺が寄る予定はなかったというのに、トラブルに備えて連絡をしておくとは。まったくうちの家宰は抜かりがない。
「……ビクターにあとは任せろ。そういうこと?」
「ご明察でございます、お嬢様」
頷く男に、なんだか全てビクターの手のひらの上のような気がして、俺は毒気を抜かれてしまった。
「……チッ」
もう一度代官と隊長を睨みつけ、俺は一つ深々としたため息を吐き、最後にのろのろと納刀した。
「勝手にして。ただし被害者救済は徹底すること」
「もちろんです」
男は徹頭徹尾、取り乱すことなく頷いた。
~★~
事件から二週間ほどが経った。屋敷に戻った俺は無謀な突撃についてこっ酷くラナに叱られ、今日にいたるまで禁足を命じられてしまった。
その間の俺の仕事といえば、カサンドラへの報酬……石像のヌードモデルを務めることだけ。当然、完成しても俺が買い取る約束だが、それでも合法に俺が彫れるとあって彼女は日々ご満悦だ。
リオスはというと、すっかり体調を整えて、アジトと地下でそれぞれ助けた母親と妹に再会し、三人で一時的に孤児院預かりとなっている。いずれは住んでいた自由村落に戻るのだろうが、今はトレイスに文字を教わったりしているらしい。
エレナも俺と連座で禁足だが、レメナ爺さんに雷魔法の特別講義をしてもらっているとかで退屈そうな様子はない。ずるいと思う。
そんなある日、夕食も風呂も終えて部屋で伸びていた俺を副侍女長のアンナが呼びに来た。ビクターが来てほしいと言っている、と言って。
「こんな時間に呼び出して申し訳ないね、お嬢様」
「いい。それで?」
ラフな格好で執務室に入った俺を待っていたのは、ビクターとあの日の部下の男だった。すぐさま例の事件の結末についてだと察する。
「一通りの取り調べと処断が決まってね。順番に説明しよう」
「ん」
俺が頷いてソファに座ると、彼は手ずから淹れたお茶をテーブルにおいてくれた。
「ゴロツキたちは反抗的すぎて扱いが難しくてね。体だけは立派なものだから、犯罪奴隷として国に買い取ってもらうことにしたよ。取り押さえたのは君たちだが、今回は領地の仕事だから売上は金庫行きだね」
「ん」
俺は特にこだわることなく頷く。犯罪奴隷とはいえ、奴隷を売って得た金を貰うつもりはない。
「あ、でもゴロツキの用心棒だった魔法使いはギルドの指名手配を受けていたから、そっちは賞金が出るらしいよ。痴情のもつれによるパーティメンバーの殺害と強姦だそうだ。エレナやカサンドラ=カナハンと分けるといい」
「分かった」
「それから」
ビクターは口を開きかけ、数秒黙った。しかしすぐに机に肘をつき、組んだ手で口元を隠すようにして、続きを語りだした。
「ロンダリア商会は商会長ベズケ=ロンダリア以下八名が死刑、他七名が奴隷刑、二名が懲役刑だ」
「ん……」
意外なほどの大ナタを振ったものだ。そう思ったのだが、続く彼の説明に俺は納得する。
というのも死刑となったロンダリア商会幹部は皆、今回の事件だけでなく二年前に摘発された別の違法奴隷事件についても責任を認められたらしいのだ。
「二年前?」
「マイゼルを挟んでもう一つ向こうの都市で二年前に摘発した組織があったんだ。どうもそこがロンダリア商会の傘下にあったと、今回の捜査で分かってね」
二年前の摘発で組織の人員のほとんどを喪失した奴隷商会が、ロンダリア商会に直接吸収されるかたちで違法奴隷商売を続けていた。それが本店の地下に隠されていた奴隷たちの正体らしい。
ちなみに衛兵隊長と数名の衛兵は金をもらい、違法奴隷の搬入搬出に合わせて警備シフトを変えていたらしい。背任行為とあって本来なら犯罪奴隷だが、指揮系スキルと戦闘力を惜しまれて南方のコーキンス辺境伯領、ジントハイム公国との小競り合いの前線へ送られることがきまったらしい。
「ロンダリアはなんでゴロツキを援助した?」
「援助というより、ロンダリア側からそそのかしたらしい。さすがに連中も本店の地下で奴隷を売り買いするのは、いくら衛兵隊長を抱き込んでいても拙いと思っていたようでね。安価な調達経路といざというときのスケープゴートにするため、マイゼルのスラムから選んだゴロツキを飼っていたようだ」
「スケープゴートから火がついて母屋に引火?奴隷商人らしい間抜けさ」
俺が露骨な嘲笑を浮かべると、ビクターは少し表情を憂いの混じったものに変える。
「お嬢様は、奴隷商人が相手となると随分口が悪くなるね」
「……ごめん」
「いや、謝ることじゃないから、大丈夫だよ。ただ……そうだね。お嬢様の中には奴隷商に対する強い嫌悪感が見て取れる。それも普通に暮らしている人間が抱くような曖昧なものじゃない、もっと濃くて深い怒りと嫌悪だ」
彼の指摘に俺は口ごもるしかない。その通りだから。
「エクセル神のせいかい?」
その一言と共に、彼の視線の鋭さが一気に増した。
(なるほど)
ビクターからすれば俺も大切な娘。その娘がまだ幼い内に、神からの干渉で偏った思想を植え付けられているのではないか。そんな不安と疑念が彼の中にはあるのだろう。当然のことだと言わざるを得ない。
「大丈夫。少し、記憶を持ってるだけ」
「記憶というと?」
「エクセルの歩んできた人生の記憶。私の強さの秘訣」
これは以前から何か言われたら答えようと思っていた答えだ。第一使徒として神の記憶をもらっており、それゆえに魔法や剣術に秀でている、と。
実際、一桁番台の使徒にはたまにあることらしい。
「そうか……そのことが負担だと思ったことは?」
「今はない」
俺が頷くと、ビクターは席を立ってぐるりと机を回り込み、俺の隣に膝をついた。筋張った細い手を俺の手に重ね、真摯な瞳で俺の瞳を覗き込む。
「もし思ったら遠慮なく言っておくれ。私にできることがあれば、なんだってしてあげるから」
魂の奥底から溢れ出るような強い献身と慈愛が込められた言葉に、俺は小さく頷き返す。
「もちろん」
重ねられた彼の手にもう片方の手を添えて、しっかりと握り返す。その力強さに納得したのか、彼は二、三度頷いてから襟を正して自分の席へと戻った。
「ん、そういえば代官は?」
ここまで処罰された人間のリストに上がってきていない唯一の人物を上げる。
「ああ、バリエスト卿か。彼は本当に違法奴隷の問題に気づいていなかったみたいだよ」
「そんな馬鹿な」
「まあ、多額の献金をしてくるロンダリア商会が何かしら後ろ暗いことを抱えているのは察していたというし、なにより足元でこれだけの腐敗を見落としたのは大失態だね。でも徹底的に調べて、本当に無関係らしいということしか分からなかったんだ」
「ん……」
今一つ納得しがたい思いを抱えつつ、ビクターが調べてそうだというならそうなのだろうと、俺は疑問を飲み込んだ。彼は意図的に俺への情報を絞ることはあっても、明確な嘘をつくことはないから。
「処遇は?」
「うん、ここが難しいところでね。今回の大失態でお咎めなしは無理がある。でもそれ以外の分野において彼は優秀な代官なんだよ。見えていない不正を探す根性はないが、不正に加担して私を裏切るような根性はもっとない。そしてなにより、マイゼルの街をとても愛している。その愛の強さはお嬢様も見ただろう」
確かに根性無しだという割に、彼は俺の刃の前に立ってみせた。震えあがり、涙しながらではあったが。
「使い込みの酷かった代官を罷免せずに再教育したことがあったの、覚えてるかい?」
「ん、シザリアの代官ボノス」
お披露目のために王都へ向かう途中で立ち寄った平原の街シザリア。そこの代官であるボノスは単純に無能で、しかも少年奴隷二人を囲って貢いでいた。
どうしようもないバカタレではあるが、本人がバカなりに穏やかで優しい性格だったこともあり、ビクターは部下を送り込んで彼を再教育してのけた。人材に乏しいオルクス領では信用できるかどうかを第一に考えて代官を任命せざるを得ないのだ。
(下手に有能で裏のある人間をいれると、瓦解しかねないからな)
そういう意味でバリエストはお買い得だと言えよう。有能で小心者、そして街に愛がある。
「結果、減俸三か月と私の部下を監査役に据えるだけとした」
「私が監査役として入らせていただきます」
一歩前に出たのはずっと黙っていたビクターの部下の男。彼はバリエストとマイゼルを守ったようなものなので、代官自身も強くは出られない相手だろう。いい人選だ。
(良い人選ではある、けど……)
軽い処分だ。もっとバリエストが目を光らせていれば、早い段階で違法奴隷の流れは止められたかもしれないのに。
(でも)
そう。でも、だ。もっと重い罰を与えるべきだと思う一方で、政治を加味するならそれが落し処だろうとも分かっている。
前世は散々に奴隷商狩りと奴隷解放を繰り返してきたエクセルという老兵として、こうした政治的判断の場面には立ち会ってきている。自分で考えるのは苦手だが、相場観くらいなら身に着けているつもりだ。
「……マイゼルを一掃するより、その方がいい」
一掃してしまえば、空いた場所に何が流れ込むか分かったものではない。それならロンダリアがしたように、スラムの人間に金を与えて緩やかな裏の管理者を仕立て上げる方がマシだ。そうなれば背後関係の一部だったバリエストの残る意味が一層際立ってくる。
そんな事情が分かる。分かってしまう。オルクスに生まれ、一応の統治についても学んだ結果だ。
「ビクター、それで進めて」
「そう言ってもらえて助かるよ」
俺が拒まないと分かっていたかのように、ビクターは浮かべた微笑みを濃くした。とりあえずは信頼の証だと思っておきたい。
それから彼はパンと一つ手を叩いた。
「さあ、話はおしまいだ。もう遅い時間だし、部屋に戻ってお眠り。お嬢様」
途端に子ども扱いするような物言いは、俺に日常へと帰りなさいと言っているように聞こえた。まだしばらくオルクスの、大本命の違法奴隷商は手出しができない。だからその日が来るまで、怒りなど置いておいて日々を楽しみなさいと諭すように。
ビクターの言葉に込められているのは願いだ。傷つくことなく穏やかに生きていってほしいという願い。これからお家騒動に臨むというのに、それは矛盾した願いだと思う。
だが俺やトレイスのためにオルクス伯爵と、乳兄弟と対決することを選んだビクターにとって、それは背反の感情であったとしても、迷いの現れであったとしても、確かな願いなのだろう。
「ん。おやすみなさい」
「ああ、お休み」
「お休みなさいませ、お嬢様」
男たちに別れを告げ、俺は執務室を後にした。
「……ごめんね、ビクター」
誰もいない廊下に小さく呟く。
俺はきっと彼の言う通り、これからしばらく日常へと戻っていくことだろう。無意識に、あるいは意識的に、違法奴隷に落とされた者たちの恨みと悲しみの声を忘れることだってあるかもしれない。時が来るまでにその声に押しつぶされてしまうことがないように。
だがこの胸にある焦げ付くような怒りは、眠るとしても、消えることはない。ソレが心臓より深い場所に存在し続けているのが俺という人間なのだ。
(だから、ごめん)
俺はいつかビクターの願いを無碍にする。本当は乳兄弟と争いたくない。親子で争ってほしくない。怒りの炎に焼かれるような想いはしてほしくない。そんな彼の優しい迷いの念を、踏みつけて前に進む日が来る。
「救済のための報いが必要なら、それを成すのが私だ」
いつか俺はアドニス=ララ=オルクスを斬るのだから。
選んだ道の先にはその結末が待つ。それが、俺の信念だから。
というわけで宣言より多い6話でお送りいたしました。
これから貴族の話やオルクス家の騒動が動き始めますので、
その前にアクセラが前に進む理由と根源にある感情と
信念にちゃんと触れておきたかった。そんな間章でございます。
さて、次の土曜日から本編の毎週連載が再開です。
政治の話がどうしても多くなる予定ですが、アクセラとエレナの
ゴールイン後の生活や冒険、戦いもちゃんと描いております。
というわけで、ここから遅ればせながら加速する技神聖典を
今後ともよろしくお願いいたします!
感想や評価を頂けると完結まで走る原動力になります。是非是非!!
~予告~
舞踏会の夜、晴れて恋人となったアクセラとエレナ。
何も変わらない気がした。全てが変わった気がした。
次回、一夜明けて




