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間章 第三話 討ち入り準備

 リオスを保護した二日後の夜、俺とエレナとトレイスはビクターに呼び出されて彼の執務室に集まった。


「お嬢様、随分とお怒りだね」


 応接用のソファにどっかりと腰を落とした俺を見て、ビクターは苦笑を浮かべてみせた。伯爵令嬢の振る舞いとしてよろしくないと思われたのだろう。


「手がかりがないままは、イライラする」


 はっきりと不満を口にする。エレナもトレイスもそんな俺の態度が珍しかったのか、左右から目を丸くしてこちらを見てきた。

 だがこればかりは仕方ない。なにせ俺はビクターから軽挙妄動を禁ずと、態々命じられているのだ。


「ごめんね。でもお嬢様、いつ焦れて飛び出して行くか分からない雰囲気だったからさ。でもその代わり、ここからはちゃんと仕事を用意してあるよ」


 ほんのり剣呑な気配を滲ませつつ微笑むビクター。彼はそのまま続きを口にするのではなく、すっと手を差し伸べてテーブルの上のカップを示した。


「最近は少し寒くなってきたね。冷めないうちに飲んで」

「……」


 俺のペースを崩すのが上手い。なにかあればとりあえずお茶という、この国の貴族の妙な風習に俺も染まり切っているようだ。勧められれば手がカップに伸びる。

 芳醇な香りの液体を一口飲むと、胃の中が少しだけ熱くなった。それだけのことで感情の棘がわずかに丸くなる。分かっていて勧めてくるのだから、本当にこの男はやりにくい。


「さて、いい報せと悪い知らせがあるんだけど、どちらから聞きたい?」


 その問いかけにエレナとトレイスの視線が再びこちらへ集中した。


「……いい報せから」

「わかった。リオスを売り飛ばそうとしていた組織だが、拠点が割れたよ」

「え!?」

「ん……早くない?」


 顔を見合わせる俺たち。ビクターは同意するように肩を竦めてみせた。


「お嬢様に禁足をお願いしたんだ、これくらいはしてみせないとね。と言っても、あの男が結構色々知っていたというだけなんだけど」


 彼の言うあの男とは、リオスを樽に詰めて都市から出ようとしたあの男だろう。


「あのバカっぽい人が?」

「こら、エレナ。母様に怒られるよ」

「う……あんまり賢くはなさそうな人が?」

「そう、その極めて賢くない男が、何もかも喋ってくれた」


 ざわりと騒ぎ出す身の内の感情に、俺は紅茶を啜る。


「もっと下っ端だと思ってた」

「私もだよ」


 衛兵相手に凄んだり喚き立てたりして逃れられると思うのは、常識も人生経験もよほどにない人間だけだ。一般人なら早々に諦めて応じるし、裏の人間ならもっとスマートにやる。


(ああいうのは冒険者になる気概もなく、ただ町の中で燻ってるゴロツキだ)


 前世でも散々見てきた連中だが、彼らはいつでも切れる消耗品として使われる運命にある。当然ながら拠点や取引の規模、メンバーの顔触れなど重要な情報は何一つ与えられないはずである。


「結論から言うとだね、相手はゴロツキが集まって立ち上げたばかりの新規参入者だったんだ。少なくとも今、我々の目の前にいる組織はね」

「新興勢力……なら、あの男も中核メンバー?」

「中核というか、総勢で十数名程度の組織だからね。情報統制や構成員の役割分担なんて存在していないみたいなんだ。平たく言うと野盗レベルさ」


 その言葉に今度はエレナが首を傾げる。


「えっと、違法奴隷の売買は危険だし大がかりにならざるを得ないから、そういう人たちがするのは難しいって本に書いてあったけど」

「どんな本を読んでるんだい……」

「それが書いてあったのは古いウチの判例集。私も読んだ」


 俺の補足にビクターが変な顔をする。十二歳が読む書物ではないが、書庫にあったのだから仕方ない。俺もエレナも、粗方読み尽くしてしまったのだから。


「まあ、今はいいとしよう」


 そのことを追求しだすと話が逸れると思ったのか、彼は軽く肩を竦めて話題を引き戻した。


「結果だけ纏めるとエレナの言った通りだ。でも実際には小規模な旗揚げの試みはよくある話だよ。違法奴隷商に限らず、非合法ビジネスは新規参入の多い業界だから」

「え、そうなの?」

「始めるのに許可も資格もいらないからね。ただその多くは衛兵や冒険者によって暴かれる。あるいはすでにその地域に根を張っている裏の住人が、利権を維持するために潰してしまう。だから結果的に難しいって表現に落ち着くのさ」


 分かるかな、と俺、エレナ、トレイスの順番に見るビクター。


(よくよく知っているとも)


 そう内心で独り言を呟く。

 新顔が勢力を伸ばすと潰される。これは野盗時代に散々経験したことだ。そして組織力のない犯罪者が潰しやすいのは、潰す側でこれも山ほど経験してきた。


「それで、拠点は?」

「隣街のマイゼルがあるだろう。そこから少し行ったところに小さな森がある。その中に拠点を構えているそうだ。アジトは一本道の穴倉で賊の人数は十人前後。うち一人が魔法使い。今のところ捕えている奴隷は二人。あとは、何かまだ裏がありそうだったけど……肝心の本人がよく理解していない様子でね」


 本当に必要な情報がボロボロ出てくる。一周回って気味が悪いくらいだ。


「その、ウソを吐いているとかないのかな……あっ、その、ないんでしょうか」


 トレイスの質問に家宰は首を横へやる。


「今回ばかりはないだろうね。レメナ様を相手に嘘が吐けるほど胆力はないはずさ」

「レメナ爺が尋問したの?」

「そうだよ」


 それはそれは、恐ろしかったことだろう。あの爺さんは雷魔法の名手だ。雷魔法というやつは、尋問にも拷問にも使い勝手がいい。


(ざまあみろ)


 口にはしないが、クズ野郎の震え上がる様を想像して少しだけ溜飲を下げる。


「ん、大体分かった。悪い知らせは?」

「さっきの裏がありそうって話なんだけど、どうもパトロンがいるらしいんだ。ただこれが色々と不明な点が多くて困ってる」

「ゴロツキにパトロン?」


 貴族や商人が新規事業に対してパトロンを名乗り出るのはよくある話だが、大コケする気配しかないゴロツキの違法なビジネスに誰が出資などするのか。


「そこなんだ。正体はおろか、なぜそんな連中に金を与えたのかも、違法奴隷とどこまで関わっているかも分からない。不気味だろ?」

「不気味。販路から辿れない?」

「いいね、お嬢様。なかなかすぐには出てこない視点だ」


 満足げに頷いてからビクターは紅茶で口を潤す。


「リオスくんを買った人間ならあの男が吐いた。このケイサルで違法な男娼館を経営していた老人だったよ」

「ダンショーカンって何ですか?」

「え?あ、あー……トレイス様、その説明は時間がかかるから、また今度にしよう。オホン」


 言葉を濁すビクター。トレイスは困ったように首を傾げている。エレナは何とも言えない表情で視線を逸らしているから、意味は十分に分かっているのだろう。

 まあ、乱読家だからな。


「で、その老人は?」

「数日前に階段で足を滑らせて亡くなったらしい」

「残念」

「残念かな……?」


 幼さゆえの潔癖か、エレナは首を傾げる。

 だが死んだ人間からは証言が得られない。残念と言うほかあるまい。


「でもこれで一つ分かった」

「アクセラ姉さま?」


 トレイスが首を傾げるので、その綿毛のような頭を撫でる。


「ケイサルほどでなくとも、どの都市でも荷物の検査はする。だから違法奴隷商は極力出入りを減らす」

「あ、そっか。都市に出入りすればするほどバレる危険性が高まるんだ」

「ん。マイゼルからなら一日あればケイサルより遠くにも行ける。わざわざケイサルに来たのは売り先だったから。商品を乗せたまま出立しようとしたのは、相手が死んでいたから」


 これで変な動き自体には説明がつく。


(残りの問題はパトロンの存在だけど)


 阿呆の考え休むに似たり。俺がここで頭を捻ったところで分かることではない。


(それなら前に進み、剣を取り、戦おう)


 二日も焦がれるような思いで待ち望んだ時がきた。


「ビクター、作戦は?」

「突入する気満々だね」


 呆れ声の中に諦めの混じる父親代行に、俺は小さく笑みを返す。


「もちろん。私はエクセルの使徒」

「わたしも、アクセラちゃんの専属侍女だからね!」

「……そうだね」


 俺の隣でエレナも腰に手を当て、育った胸をむんと張った。何とも勇ましいことである。


「ぼ、ボクは……ボクもっ」


 逡巡のあと、トレイスが俺を真っ直ぐに見て口を開いた。

 けれど、俺は手を伸ばし、指を唇に当てて遮った。


「トレイスはリオスの傍にいてあげて。家族が心配なはずだから」

「……はい」


 リオスの母親と妹も攫われ、違法奴隷に落とされているらしい。馬鹿男がいう捕まえてある二人とは、その二人のことだ。今この時もまだその拠点にいるのかは分からないが……。

 ただ、家族を思う少年の心痛はその小さな身に余るものだ。トレイスにはそういう痛みに寄り添い、少しでも支えられる人間になってほしい。いずれ領主となり、この家と領地を継いでいくのであれば、それは必要な事だ。


「それで、ビクター?」

「うん。大勢で行って万が一にでも見つかると大変だ。少数精鋭になるだろう」

「私とエレナと……あと誰?」


 さすがに二人だけということはあるまい。しかし隠居を公言しているレメナ爺さんが出てくるとも思えない。となると騎士の誰かか、冒険者を雇うことになるはずだ。


「トニーに頼みたいところなんだけど、彼は今イザベルに付いてネヴァラだろう?」

「ん」

「他の騎士も考えたんだが、せっかく腕のいい冒険者が増えてきたんだ。ここらで依頼を出して、うまく繋がりも作っておきたくてね」

「ん」

「Aランク、彫刻刀のカサンドラを雇っておいたよ」

「んぐ……っ」


 相槌がてら飲んでいた紅茶を危うく噴き出すところだった。なんとか飲み込みビクターの微笑みを見返す。


「カサンドラ=カナハン?え、父様、嘘でしょ!?」

「ウソじゃないさ。ソロで軽戦士、身軽で君たちにピッタリだろう?」


 Aランク、カサンドラ=カナハン。そのランクに見合う抜群の腕前と、媚びたところのないキレのあるルックス、そして深い芸術への造詣で冒険者にも有力者にも人気の女冒険者だ。巷の二つ名は「彫刻刀」。

 リオス発見のときも一緒にいたから事情の説明が簡単で、腕も立ち、同性で、そして単独行動に慣れている。確かにビクターの言う通り俺たちとの相性はいいが……問題は重度の変態だということか。

 攻略したダンジョンや討伐した難敵のねぐらに署名を残す冒険者は一定数居るが、カサンドラの署名はその場で刻み込む裸婦像。しかも実在の少女や女性がモチーフだ。エレナが一緒に仕事をするのを嫌がるわけである。


「でも仕方ない。もう雇ったんでしょ?」

「そうだね。明日には出発したいだろうと思って」


 苦笑を浮かべるビクター。彼の判断は間違っていない。


「キャンセルして新しい人を探すのは手間。エレナ、我慢して」

「う……そりゃあもちろん、助けに行くのが優先だよ。アクセラちゃんにも早く力抜いてほしいし。でも、ちゃんと釘はさしておいてね!」

「もちろん」


 キッパリ答えるビクターに免じてエレナが頷き、作戦は決行となった。

 俺、エレナ、カサンドラの三人で、クズ共の巣に夜襲を掛けるという作戦が。


 ~★~


 翌日の朝方、俺とエレナはケイサルの門でカサンドラを待っていた。装備はいつも通りにバッチリ整え、雇った馬車とその御者もいつでも出発できる状態だ。あとはAランク様が来れば任務開始である。


「どう思う?」

「カサンドラのこと?」

「そっちは父様がなんとかしてくれるからいいよ。そうじゃなくて、リオス君の家族のこと」


 エレナの質問に俺はブレストプレートの前で腕を組む。

 リオスは今、捕まっている間に感染したらしい寄生虫の影響で伏せていた。栄養のある食事と治癒魔法で復活したのは宿主だけではなかったということだ。そんなわけで強めの虫下しを与えられて治療中。トレイスや孤児院の皆が看病をしてくれている。


「熱にうかされて、ずっとお母さんと妹のことを口にしてるって……」

「らしいね」

「……助けられるかな」

「……」


 エレナの問いに自然と握った拳へ力が入る。ただ、正直、分からないとしか言えない。

 リオスが連れ出された直後に売り先が決まってしまっていれば、すでにどこかへ飛ばされている可能性もある。逆に売れていなければ残っているだろう。新興の小さな組織だというのなら、商品を無駄にしてしまうような余裕はないはずだが……。


(いや、短慮が売りのゴロツキだからな)


 うっかり殺ってしまっている可能性も、ゼロではないだろう。余計に安請け合いはできなかった。


「アクセラちゃん」


 俺の沈黙に不穏なものを感じ取ったのか、エレナが俺の袖を掴む。

 しかし何かを言うよりも早く、待ち人が門を潜って顔を出した。


「どうもぉ、お二人さん」

「……カサンドラ」

「……ありゃま」


 挨拶を返すより先に、俺とエレナは驚きの声を漏らす。

 カサンドラは均整の取れた肉体を露出の多い衣装に包み、ナイフだらけのベルトを巻き付けた特徴的な美女だ。派手な装いと異国の血を感じさせるエキゾチックな顔で、一度見たら忘れられないタイプである。

 なのだが……自他ともに認める美しい顔が、今はしおしおに萎れて見えた。足取りにも力が入っていないようで、ふらふらとしている。


「なに、酷い二日酔い?」

「ひどいのは二日酔いじゃなくてアンタたちのパパよ……」


 わずかに苛立ちを込めて聞くが、普段のやかましさも陽気さも消え失せたカサンドラは呻くようにそう返してきた。さすがAランク、俺程度の不機嫌は物ともしない様子だ。


「ビクターに釘刺された?」

「ぶっといのをねぇ……くぅ、今回の依頼で二人のアートを作成したら訴えるって言われたわよ!アタシと、監督者のギルドと、そういう芸術を支援してる芸術家組合を!!」


 急激にテンションが跳ね上げ、カサンドラは天へと声を上げた。

 芸術家組合とは都市や領地ごとにいくつも存在する、ギルドを模した互助会の一つだ。名前の通り芸術家たちがパトロン探しのツテや画材の安定供給を求めて所属している。


「カサンドラさん、芸術家組合に所属してるんですか?」


 待たせていた馬車に乗り込みながらエレナが訊ねる。


「まあ、彫刻の師匠を紹介してもらったからね。長居する場所の組合には登録して、上納金を納めてるのよ」

「い、意外と律儀……」


 全員が乗り込むと馬車は走り出した。数時間もすれば目的地だ。

 しかしこうした金のある所属者からの献金があり、芸術家組合は随分と金銭的に余力があるらしい。冒険者ギルドも外部からの法的なアプローチには比較的強硬に応じる組織だ。果たして訴えなど起こして意味があるのか。


「訴えの理由は?」

「……未婚の貴族女性の裸像を合意なく作成、公開したことによる侮辱罪」


 言いづらそうに小さな声でカサンドラは呟いた。


「通るよね、訴え」

「普通に通ると思う」

「うぐっ」


 いくら実物の再現ではなく想像だと主張しても、未婚の貴族の顔つきで裸像など出したら、普通は問題になる。カサンドラが変態として有名で、俺もエレナも冒険者で、ここが異常事態のオルクス領だから見過ごされてきただけで……。

 これが他家で、万が一にも婚姻に影響したとしよう。とんでもない額の賠償請求か、最悪は犯罪奴隷という未来が待っているのだ。


「その、それはそれ、これはこれよ」

「はぁ……奴隷解放作戦の帰りにカサンドラの売却決定は笑えない。気を付けて」

「は、はい」

「本当に笑えないから」

「わ、分かってるわよ」


 二重三重の釘を刺しながら、俺は荷物に背を預けて目を閉じる。夜襲に体を合わせるため、今から仮眠を取っておくのだ。

 相手はたかがゴロツキだが、そう簡単にカタはつくまい。これだけ杜撰な組織の癖にバックがある。ということは、その背後関係とやらが必ず顔を出してくるはずだ。ねらい目はそこ。


(長い夜になる)


 そんな予感を覚えながら、俺はゆるゆると息を吐いて気持ちを落ち着かせる。


「おやすみ」


 カサンドラの馬鹿な状況に少し緊張がほぐれたのか、思ったより早く眠りに落ちることができた。


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