十一章 第31話 狂花よ、踊れ
社交界の夜が更けていく。俺は七曲目以外休むことなく踊り続けた。
八曲目、スウィートレッドキャロルは冬の祝祭をテーマにした陽気な音楽だ。トライアングルやチャイム、ハンドベルなどふつうは使わない金属楽器がたくさん使われる。踊りの方もステップとターン以外に軽く跳ねたり手を打ち合わせたり、砕けた動きを多用する楽しいものだ。
相手は品のある若い紳士。侯爵の弟で本人も伯爵位を持つ法衣貴族だ。下心など一切臭わせないあっさりとした表現で俺のドレスと髪型を褒め、少し難しいステップで遊んでくれた。自信にあふれ、好意的で、しかし野心的。いい相手だった。短い曲だったのが残念なくらいだ。
九曲目、黒い森のファンタジア。技巧的になりがちなエチュードかと思うほど複雑なピアノがメインとなり、バイオリンやチェンバロが色を添えるアップテンポでありながら優雅な幻想曲だ。
パートナーになったのは女慣れしていなさそうな青年で、学院を卒業したばかりの男爵令息だという。八曲目の紳士の縁者で、促されて俺の前に立ったときは震えるほど緊張していた。リードを奪う勢いで力強く踊ってやった。それがむしろよかったようで、あわあわとしているうちに彼は楽しそうに笑いだした。大成功だろう。
十曲目、ハイドランジアのワルツは前の二曲と打って変わって、木管楽器を中心とした雄大な主演奏が印象的な少し変わったワルツだった。定石のステップは簡単で、本来は会話を楽しむための曲なのだろう。
ただしでっぷり太った中年エロ親父が相手だった。思い切り尻を揉まれたときは腕をねじ切ってやろうかと思った。それに会話の内容も露骨にこちらの思想やオルクス家の内情、政治的な立ち位置や思惑を探ってくるもので、男爵のくせにどちらが社交界初心者なんだというような有様。まあ、セクハラのお代に都合のいい情報ばかり吹き込んでおいたが。
十一曲目、オルコット砦の凱旋曲。その名の通り勇壮な楽曲で、ユーレントハイム王国黎明期にあった魔物との歴史的な戦いを讃えるものだ。シンバルが主役と言われるほどのけたたましい演奏は、舞踏会の熱気を大いに盛り上げてくれた。
が、パートナーは二連続のハズレ。大方、俺に恥をかかそうと思ったのだろう。狐目の男爵は素早い曲にかこつけてステップのペースをどんどん上げてきた。だが残念、俺は速さが身上の剣士だ。慣れないダンスとはいえ速度で男爵に負けるはずがない。ダブルステップまではいかなかったが、最後は足をもつれさせた狐目をうまくフォローしておしまい。
十二曲目、王妃カストリアのためのパヴァーヌは古典的な舞踏の音楽だった。曲調はゆったりとしていて、定石の動きも激しくはない。ある意味で最も基礎的な舞踏会の定番曲ともいえた。
ただ流石にこの小さな体のスタミナも、これだけ連続して踊れば相当に削れてきた。そのタイミングで名乗り出てくれたのが元騎士だという年嵩の子爵。彼はダンスが非常に上手かった。あまり動かないで済む流れにうまく誘導してくれたのだ。正直助かった。
十三曲目、雲海のワルツ。三拍子であること以外はワルツの定型から随分と離れた旋律と、他で聞いたことのない不思議な楽器の音が混じる面白い曲だ。ただ俺は踊らない。端により、ようやく今夜二杯目のドリンクを手に取って休憩だ。
「……」
いくつかの果物を絞って混ぜ合わせたジュースを飲みながら、視線だけでステータスを確認する。称号に『舞踏会の華』と『舞姫』が追加されていた。
『舞踏会の華』は一度の舞踏会で最も注目を浴びることと、その状態で誘われるままにひたすらダンスを続けることが必要なようだ。所作の美しさや魅力に補正がかかリ、踊っている間の注目度が上がるらしい。
『舞姫』の方は相手の満足するダンスを一夜で何度も踊っていると手に入る称号で、『舞踏』のスキルアシストや魅力に補正がかかる。さらに器用度への補正もついていた。どちらの称号も今の俺には非常に有用だ。
「さすがの君でも、ンンッ、少し息が上がったようですね」
「ごきげんよう、レンデルク子爵閣下」
グラスを返してからどうするか考えていると、五曲目の相手だった優し気な子爵が声をかけてきた。喉に引っかかりのある声が特徴的で、俺のことを冬休みの間に自分の夜会へ呼んでくれると言っていた彼だ。その後ろからは七曲目の相手だった若い伯爵もやってくる。
「ペリドール伯爵閣下も、ごきげんよう」
「先ほどは楽しませてもらったよ、お嬢さん」
ペリドール伯爵は、青い液体を湛えたグラス片手に微笑む。顔がいい以上に振る舞いが実に遊び慣れていそうな彼だが、全体的な佇まいは本当に紳士然としており品格がある。
「ダンスも最高だったが、特にあのアドーレ男爵をあしらったあたりが傑作だったね」
まるでいたずら小僧のような笑みを浮かべるペリドール伯爵だが、そんな姿も似合っているのだからイケメンというのは得なものだ。
しかしアドーレ男爵というと狐目のあれか……見られていたのか。
「お目汚しを」
目を伏せて軽く頭を下げる。そんな俺に伯爵はグラスをゆっくりと回しながら首を振ってみせた。
「構わないさ。むしろ本当にスッキリとした!」
「ええ、大声ではいえませんが、ンンッ、私もでしたよ」
「彼は有名人だからね。悪い意味で、だが」
穏やかそうな子爵までそう言ったことが意外だったのだが、俺の固い表情筋を伯爵は的確に読み解いたらしい。嫌悪の交じった苦笑を揃って浮かべる紳士たち。
「悪い意味で、ですか?」
「そう。悪い意味で、です」
俺の疑問に答えたのはペリドール伯爵ではなく、その肩に気安く触れながら現れた三人目の男性。褐色の肌に切れ長の目を持つ理知的な紳士だ。年の頃は伯爵と同じくらいか。
「目立っているお嬢さんにダンスを申し込んでは相手に恥をかかせるのが趣味なんです。社交界の高みを教え増長しないようにしてやっているんだ、などとうそぶいてね。下種でしょう?」
銀縁の眼鏡の奥で鋭い視線が嘲笑の色を帯びる。話し方や風貌の系統はアベルだが、受ける印象はティゼル寄り。つまり遊び人の気配がする。しかしティゼルが持つ掴み処のない甘さは感じられず、非常に酷薄な香りが漂っていた。
「おお、マルコム。わが友にして人のことを言えないくらいの悪趣味男。お前もこのお嬢さん目当てか?」
「ええ、ええ。ダスティン、わが友にして格好付けの道楽者。面白そうなお嬢さんと一緒にいるので寄ってみたまでですよ。あとダンスはもう結構、三年生相手に散々踊ってきました」
冗談めいて伯爵が芝居がかったセリフを口にすれば、マルコムなる褐色の紳士は眼鏡に触れつつ同じく芝居がかった返事をする。二人は気の置けない仲であるらしい。ただ気になるのはこの銀縁眼鏡を指して伯爵がアドーレ男爵と比較できるほどの悪趣味男と呼んだことだ。正直こっちの方がああいう思いあがった馬鹿より相手しづらそうなんだが。
「初めまして、マルコムです。パーセルス子爵の長男」
うげ……。
折り目正しく礼をするマルコムに俺は内心で盛大なしかめっ面を浮かべた。パーセルス子爵領というとダンジョンクリスタル加工と付与魔法使いの総本山エンチャントバレーのある土地。リオリー商会の本店がある場所でもあり、機嫌を損ねられない相手だった。付き合いたくないなと思った相手に限って、そうもいかない人間だったりするのだから嫌になる。
「お初にお目にかかります、オルクス伯爵家の長女アクセラと申します」
最大限の警戒を胸にカーテシーをする。ラナ仕込みの完璧な挨拶だ。
「ご丁寧にどうも。そして、ええ、存じ上げていますとも。なにせ我が領地最大の成長株であるリオリー商会と縁の深い方ですからね」
微笑んではいるが眼鏡の奥のアンバー色の目は鋭い。そしてどこまでかは知らないが、俺と商会のつながりも知っていると。面倒なことこの上ないな。
「あの商会にはテスターとしていつもお世話になっております」
「なるほど。テスターとして。では貴女の見識があの店の製品に反映されているわけですか」
「見識、ですか……?」
質問の意図が分からず背筋にじわりと汗が浮かぶ。エンチャントバレーの付与魔法使いは非常に閉鎖的なことで有名だし、目の前の男からは捕まえたネズミで遊ぶ猫のような残忍さを感じる。彼は絶対に厄介なタイプだ。
せっかくここまで大きくなった技術関連の商品だ。水は差したくないが……。
身構える俺と薄く笑むマルコム。その嫌な緊張感を破ったのは、ある意味で当然だが、ペリドール伯爵だった。
「おいおい、途中からやってきて俺の話し相手を威圧するのは止めたまえよ」
「失礼な、威圧したつもりなどないですよ。それに彼女は凄腕の冒険者でもある。私のような文弱がいくら凄んでも可愛いものでしょう?」
肩をすくめて見せる軽薄そうな眼鏡、もとい陰険眼鏡。アベルのような素直眼鏡のほうが俺は好きだ。
「マルコム」
「ええ、ええ、不調法だったことは謝ります」
少しだけ声に棘を込めて伯爵が言うと陰険眼鏡はあっさり頭を下げた。
「すまないな。コイツはとにかく波風を立てるのが好きな男なのだ。学院時代からの友人だが、自分でもなぜ友誼を結べたのか分からんよ」
「いえ、お気遣いなく」
ここで下がる相手を追いかけて藪蛇は願い下げだ。俺も軽く目を伏せて謝罪を受け取る。申し訳なさそうな伯爵と違ってマルコム自身はどうということもない、平然とした顔で「それで、アドーレ男爵でしたね」などと話を元に戻しやがった。
「さきほどあちらでご婦人が話しているのを聞きましたよ」
「ンンッ、やはり奥様方も話題にされていましたか」
「ええ、ええ。アクセラさんのダンスは素晴らしかったそうですね」
どうやら本当に社交界の中ではアドーレ男爵の悪癖が有名らしく、見ず知らずの奥様達は俺の家名を差し置いて評価してくれていたようだ。あるいはご令嬢や奥様方からすれば、貴族の名誉を汚したというオルクスより舞踏会をかき回す男爵のほうが身近な敵なのかもしれない。
「ああ、実際にお嬢さんのダンスは素晴らしかったよ。やはり高ステータスの冒険者だからか、動きに独特のキレがある」
ペリドール伯爵の絶賛に俺はもう一度目を伏せる。
「それほどですか。先ほどのご婦人もえらく褒めていましたし……」
「お前も踊ってみれば分かる。彼女のダンスは優雅だが力強く、そしてなにより真っ直ぐだ」
あまりの絶賛にむしろ訝しげな顔をしたマルコムだったが、伯爵の担ぎ上げは止まらない。実に貴族らしく豊富で詩的な語彙でもっていかに俺のダンスが独特のよさを持っているか、そしてそこから俺という人間の何が見えてくるかを語りだした。
「はぁ、ダスティン。踊れば相手のことが分かるという考え方には賛同しかねると、常日頃から言っているでしょう。ダンスはダンス、人は人ですよ」
「何を言うか。貴族たるものの生きざまはダンスに滲み出るものだよ。アドーレを見たまえ、自分を一段高いところにおいて人をおちょくる、あの下品なダンスを」
「ンンッ、お二人とも、いつもの癖が出ておられますよ」
肩をすくめるマルコムと鼻を鳴らして息巻くペリドール伯爵、そして苦笑を浮かべるレンデルク子爵。どうやら彼らがこのネタでぶつかり合うのはよくあることらしい。迷惑な習慣だ。
「お嬢さんもそうは思わないかね?」
俺に振るなよ、と言いたいがそうもいかない。
「……そう、ですね。ダンスはまだ初心者なので分かりませんが、剣術でも似たようなお話は聞きます」
むしろ剣術の世界では喋るより多くのことが剣を重ねることで分かると主張する奴が大半だ。俺はどちらかというと大事なことはちゃんと喋れよと思う方だが、それでも戦いを通じてしか伝わらない物がないとも言わない。
「聞いたか、マルコム。やはり何かを披露するとき、人間の生きざまはそこに現れるのだよ」
「錯覚です。スキルは誰が使っても同じなのですから、それは先入観というものです」
「むむっ……そのあたり、お嬢さんはどう思うね?」
取り付く島もない様子のマルコムに伯爵は一声唸ってから、もう一度俺に水を向けてきた。
「同じレベル、同じステータスのスキルは同じ結果をもたらす。それはそのとおりです」
「御覧なさい」
「お、おいおい」
俺の出だしにそれぞれの反応を見せる二人の紳士だが、俺は止まることなく続きを述べる。
「ただ、スキルの選択は人の経験が出ます。たとえばパワー志向の戦士でも、経験の浅い方は大ぶりな一撃や激しい多段攻撃を選びがちです」
その例えで焦った様子だった伯爵は一転「うむうむ、そういうことか」と納得の様子を見せた。対してマルコムはそれがどうしたという顔だ。
「魔物戦に慣れていれば短距離突進系や三連撃以下の連続スキルを選択するでしょう。対人戦に慣れたパワーファイターはガードブレイク系やモーションが小さくて重めの単発攻撃を好みます」
「つまり普段何と戦っているかで使う技の傾向が変わる、と?しかしそれは戦いの話、ダンスとはまた違うのではないですか」
それでも食い下がるマルコムの相手は伯爵にパスする。視線で俺の意図を組んでくれた若い紳士はもったいぶった様子で指を振ってみせた。
「チッチッチ。マルコム、それは違うとも。彼女が言っているのは、咄嗟の瞬間に何を選ぶかで人柄が分かるという話さ。それは戦いの場であっても、舞踏会であっても同じこと」
長年の論争らしいから優勢になれてうれしいのだろう。意外と子供っぽい面を見せつつ伯爵は得意げに朗々と語る。
「私はこのお嬢さんと踊ってみて、意外な負けん気の強さを感じた。ステップの速度をふいに上げると多くの女性は戸惑うか、テクニシャンならあえて速度を落としてこちらが合わせるよう仕向けてくる。それは君も経験的に分かるだろう?」
「いえいえ、私はそんなこといたしませんが……ダスティン、意外と性格が悪いのでは?」
「ハッ、どの口がぬかすか」
意趣返しのように小さく刺す眼鏡を伯爵は笑い飛ばす。くるりくるりとグラスを揺らして青い飲み物をかき混ぜる様子に上機嫌さが表れていた。
「それでだな、このお嬢さんときたら、すぐさま同じペースまで上げてきたのだ。さすがに戯れであったしそこで止めておいたが、何をしても食い下がってくる真っ直ぐな負けん気を感じたよ」
「際限なく吊り上げればどうなるかは、ンッンンッ、親愛なるアドーレ卿が身をもって教えてくれたことですね」
レンデルク子爵が実に嬉しそうに付け加える。穏やかな男性だと思っていたが、意外と棘を見せるところでは見せてくるタイプらしい。貴族の当主らしいといえばらしいが。
「それで、つまり?」
「つまりだね。さきほど君は先入観だと言ったが、果たして前評判から負けず嫌いという印象を受けるだろうか……ということさ」
伯爵の言葉にマルコムは黙ってこっちを見た。今宵の俺の装いは誰がどう見ても完璧なお嬢様だ。上品さと奥ゆかしさはマリアのお墨付きである。そしてオルクスに抱く先入観とくれば卑怯な裏切り者、後ろ暗い商売に精を出す信用できない手合い。いずれにしても負けず嫌いとは結び付かない。
「レンデルク子爵閣下もそう思われたので?」
「ええ、ンンッ、私も感じましたね。ああも真っ直ぐな張り合い方をするデビュッタントは初めてかもしれません」
しかし、そうか、普通はもっと引きの姿勢で踊るものなのか……。
自分で言っていた「経験が選択を作り上げる」を意図しない所で発揮していたわけだ。そこを指摘されるというのは、若干恥ずかしいものがある。
「ダンスはコミュニケーションだよ、マルコム。お嬢さんも、そのことはよくよく理解しておいた方がいい。語りたいことを語り、語りたくないことを語らないコツというものがある」
半ば語るに落ちていたことを自覚するにつけ、伯爵のそのセリフはマルコムというより、むしろ俺に向けられているように感じてしまう。
いや、実際そうなのか?
「ふむ、お二人がそろってそこまで仰るならば、今日は納得しておきましょう」
「それは納得していない者の言いようだが……」
コミュニケーションとはお互いが会話の通じる人間であると確認する行為だ。今日の俺はそのコミュニケーションを成立させるために着飾っているわけで、本質を隠さず読み取らせるのはむしろ正解かもしれない。怪我の功名を喜んでいるようではダメなんだろうが、覚悟一つで俺の頭がよくなるわけでなし。ここは納得しておこう。
「しかし、なるほど。負けず嫌いという点はなんだかしっくりきますね。覚えておきましょう」
マルコムの言葉に俺は微笑みを返しておく。オルクスという貴族の常識から外れた異常者の娘ではなく、同じ基準で意思疎通のできる存在であると思ってもらう。それがこの舞踏会の目的であり、ビクターやトレイスのために俺ができるせめてもの献身だ。そういう意味で、負けず嫌いと認識されることはむしろプラスである。
「ンンッ、もちろん悪い意味ではありませんよ?負けん気の強さというのは、ンッ、得難い資質ですから」
俺の反応を困惑ととったのか、レンデルク子爵がそっと言葉を添えてくれた。
「冒険者ですから、皆さまの思われる以上に負けず嫌いですよ」
ありがたくソレに乗っかってもう一度軽く微笑む。同じ貴族であると同時に、腕の立つ冒険者という認識を持ってもらえれば最高だ。それから乗っかりついでに話題を戻させていただこう。
「それで、アドーレ男爵ですが……」
「どうして呼ばれているのか、かね?」
さすがはザ・貴族、俺が言い終わるどころか言い始めた段階で残りを持っていかれてしまった。伯爵は心底嫌そうな顔で首を振り、端的にその理由も明かしてくれる。
「資産家なのだよ。それも結構な」
「なるほど。お声かけしないのも、憚られるのですね」
学院や王家も多少の問題行為には目をつぶって大舞踏会に招待するほどの資産家だ、ちょっとやそっとの金持ちではあるまい。金を潤沢に所持し、その上でそれをうまく回しているということだ。金貨は積んでおいても権力にはならないからな。
しかしそんな相手に赤っ恥をかかせたのか……マズい事をしたかもしれん。
「ンンッ、お嬢さんは心配しなくてもいいのですよ。なにせ男爵がリードしていたのは明らかでした。ペース配分はリードの責任です。それに、ンンッ、ペリドール伯爵もそこはご覧でしたし」
「それはもちろんだ。しかも君はきちんとフォローしたのだから。プライドはズタズタだろうが、それは自業自得というものさ」
気のいい二人はそう言って慰めてくれるが、オルクスの状況を考えると後悔は拭えない。いくらウチが食糧生産の一大拠点だからといって、麦もトウモロコシも金貨以上に積んでおくだけでは意味がないのだ。
「しかし彼の『舞踊』はかなりの高レベル。よくあの速さについていけましたね?」
「なんだマルコム。王子殿下とのダンスを見ていなかったのか?」
「つい二曲前まで三年の方にいましたから」
三人の話題はすでに次のものへ移っているが、俺の頭はなかなかアドーレ男爵の件から離れられない。なにせ長年の悪しきネームバリューが祟って、生産量はあれどもブランド力は皆無なのがオルクスの食糧だ。むしろ多少の胡麻を擦ってでも協力を得るべき相手ではなかったろうか。
「体力も気概もこの可憐な姿からは、ンンッ、想像がつかないほど立派です。そこはさすが勲二等の剣士といったところなのでしょう」
「もったいないお言葉です」
えらく俺を高評価してくれているレンデルク子爵の言葉に恐縮してみせる。
「……?」
そのまま少し談笑を続けていると、なんとなく棘のある視線を感じた。振り向くと少し離れたところに恰幅のいい中年女性を中心とした奥様と女子生徒のグループが。
「やはり君は視線に敏感なのだね」
ペリドール伯爵の言葉に俺は再び彼のほうへ向き直った。
「君が並み居る男どもと踊るものだから、一部のご婦人方は少々気が立っておいでなのさ」
たしかにエレナとのダンスを除けばずっと男性とばかり踊っている。しかしそれ自体はそこまで珍しいことでもないと思うのだが。そんな俺の疑問に答えてくれたのは眼鏡だった。
「知らないようなので教えて差し上げましょう」
一言多いな、コイツ。
「ダスティンは社交界のご婦人方から引っ張りだこの有名人なのですよ。レンデルク子爵閣下もダンスの名人として人気を博しておられる」
「私が君に引き合わせた私の甥も、気は弱いが顔がいいので注目の的だな」
ああ、あのオドオドとした彼。楽しんでくれたようなのでよかったが、そんな厄介なポジションの男を紹介しないでほしい。そして紹介されて踊ったのは、俺悪くないだろう。とはいえここで不貞腐れても始まらない。
「そうだったのですか。そんなお二人を独占してしまい、申し訳ないです」
「構わないさ。だがあまり君にばかり構っているとむしろ迷惑をかけてしまいそうだ。そろそろ退散するとしようか」
「ンッ、次の曲ももうすぐ始まりますしね」
色々な意味でちょうどいいころ合いだったのだろう。立ち話は解散の流れとなる。俺はそこでイケメン伯爵に一つお願いをすることにした。
「ペリドール伯爵閣下、どなたか紹介いただけませんでしょうか?」
「女性で、ということか。もちろん構わんよ。多少のことなら君もデビュッタントだ、奥方たちもお目こぼしするだろうさ」
女性は異性に媚びを売る同性を毛嫌いする、というのはよく聞く話。もし彼女らがそういう意味で俺を睨んでいるのだとすれば、手っ取り早く近づいて仲良くなってしまう方がいい。問題は仲良くなれるかどうかだが……ここは彼女たちの流儀に従ってダンスを申し込むとしようか。
「声をかけるのならあの中心にいる黄色いドレスのご婦人にするといい。イオテラ伯爵の奥方で有力なサロンのまとめ役をしている」
「視線は険しいですが、ンンッ、面倒見のよい方ですよ」
「ただしリードされるのがお好きな人だ、そこは頑張ってくれたまえ」
「ありがとうございます、お声掛けしてみます」
そう言ってからふと自分のコンディションを考える。大丈夫だろうか、と。戦闘なら一昼夜続けられると豪語してきた俺だが、休憩に入ってからそろそろ二曲、動きを止めた筋肉は思いのほか強い倦怠感を帯びている。
「お嬢さん、どうかしたかね?」
急に黙り込んだ俺を心配したのだろう。わずかに体を前に倒して伯爵が俺の顔を覗き込んできた。
「いえ、少しお腹がすいたなと。お恥ずかしい限りです」
伯爵は少しだけ驚いたような顔をしてから大きく笑った。
「ハハハ、面白いお嬢さんだ。しかしアレだけ踊っていればそうもなろう。普通は三曲も踊ったらたっぷり談笑に時間を割くのだよ?適度なところで食事をとりなさい」
「はい、そうさせていただきます」
まあ、舞踏会で淑女が「腹減った」はさすがにナシだよな。俺も言ってから思ったよ。
ただ、当たり前だが、空腹が倦怠感の原因ではない。慣れない動きを休みなく続けているせいだ。いくら一曲がダンス用に編纂された短いものでも、慣れない踊りの動きは堪える。それに三曲に一回どころか、俺の休憩は七曲目と今の十三、四曲目だけ。
「ンンッ、それにお嬢さんは叙勲式に出られないほど大怪我をしていたのです。鍛えていて若いといっても、無理をしてはいけませんよ」
「はい、肝に銘じます」
レンデルク子爵の言葉はまさにその通りだった。筋力も体力も、夏ごろより落ちたままだ。聖刻のおかげで上限は跳ね上がったが、それ抜きだとトワリに腹を潰される前の水準には戻り切っていない。
後遺症が残るか、そのまま死んでいておかしくない怪我だったしな……。
「伯爵閣下、子爵閣下、お時間をありがとうございました。マルコム様も」
少し深めの礼で感謝を示し、マルコムにも小さく頭を下げておく。そろそろ戦場を移すぞという合図であり、俺自身に対する小さな喝だ。
「構わんさ。ああ、だが冬の間に依頼があれば持ち込むかもしれない。その時はよろしく頼むよ」
「では、ンッ、失礼しますよ。また落ち着いたころに招待状をお送りしますので」
「またいずれお会いしましょう、アクセラさん」
三者三様の返礼を受け取り、もう一度頭を下げてから俺は踵を返す。目指すはペリドール伯爵が教えてくれた黄色いドレスの奥様、イオテラ伯爵夫人だ。
「ん……」
……お開きまでにあと何曲だったかな。
振り向く動作に思った以上の足首の負担を感じ、舞踏会のセットリストを思い出す。本当に夜半まで続くのかと呆れた覚えがあるから、まだまだ曲数は残っているはずだ。とりあえずこのあとはクロッカスのワルツで、次がカルカネンの帰郷なのは覚えている。どちらもリードパートは踊れるからちょうどよかった。
「称号、パッシブだっけ」
開幕に比べると少し人の減ってきたダンスホールを俺は歩きながらステータスを確認する。ダンスに補正のかかる二つの称号はどちらもパッシブスキル だった。放っておいても作動するわけだから助かる。
「どうせなら負担軽減のスキルもあればいいのに」
口の中で小さくぼやく。このままでは踊り終わる頃には疲労困憊で倒れてしまいそうだ。少なくとも足は攣る気がする。これはレンデルク子爵から舞踏会のお誘いが来るまでにそういうスキルを探して取得した方が良さそうだな。
「……ふぅ」
実は舞踏会のあとにも一つ重大な予定が待ち構えている。が、今は目の前の仕事に集中しなくてはいけない。この舞踏会は是が非でも踊り通さなくてはいけないのだ。できるだけ多くの相手と、できるだけ多くのオーディエンスの前で。
「ご機嫌よう、イオテラ伯爵夫人」
「あら、今宵の花が私に何か御用かしら?」
決して好意的とは言えないツンとした態度の奥様に向き合う。それから伯爵やネンス、ディーンがそうしていたように半歩引いて手を差し出す。
「ペリドール伯爵閣下から夫人がダンスの名手だとお聞きしました。私と一曲、踊っていただけませんでしょうか」
俺の誘いに夫人が意外そうな顔をする。さきほどの伯爵がわざわざ紹介したという信用と、前評判を覆す俺の所作。瞬時に彼女は俺の評価を上方修正してくれたらしい。反応の早い、鋭いご婦人だ。
「閣下の紹介では無碍にもできませんわね。それでは一曲」
イオテラ伯爵夫人の手が俺の手に乗せられる。
さあ、夜はまだ長い。お望み通り「会話」をしようじゃないか。優雅で、上品で、可憐で、そのくせ負けん気が強いタフな少女。今後のために一番都合のいい仮面を演じきってやるよ。
あと3話でこの章も終わりです。
作者としては長いような短いよな、不思議な章でした。(いや明らかに長いんだけど)
多くの問い、多くの試練に結論が示せたのではないかと思っていますが、
大事な問いかけがまだ一つ残っていますよね?
ここからそのお話です……。
現時点での感想や今後の予測等、どんな長文感想でも一言コメントでもお待ちしてます。
時間はかかりますがガッツリお返事するので是非、お気軽に書き込んでやってください^^
~予告~
舞踏会という名の戦いは幕を閉じる。
しかしまだ夜は終われない。
エレナの想いに答えを出すまでは、まだ。
次回、冬の夜の亡霊




