十一章 第24話 宗教派閥
コンコン。
ブルーバード寮の応接室にそのノックはよく響いた。特に返事をするまでもなく、扉を開いてネンスが大股で入ってくる。紐やら勲章やらはついていないが、それでも公務用だと分かる上等な上着を着こんでいた。
「すまない、待たせたか?」
入室するなり、彼は申し訳なさそうに言った。
「気にしないで」
俺とエレナは首を振る。あと二週間のところまで迫った冬の大社交界のため、俺もエレナも大忙しだ。彼はそのことを気にしているのだろう。実際、前の客がなかなか帰らなかったのか、俺たちはそこそこ待たされていた。
「いい休憩になった」
「飾り付けの準備も疲れちゃったしね」
色とりどりのフルーツが刻み入れられた果実水のピッチャーと、適度に塩を利かせた小さな固焼きビスケットの大皿を視線で示す。二つのグラスには飲み物が半分ほど残っているが、これも二杯飲んだあとだ。十分もてなしは受けている。
「二人そろってうんざりといった顔だな」
ネンスは小さく笑いながら上着を脱いで椅子の背にかけた。シャツのボタンも一つ外してどっかりと腰かけ、手つかずだった三つ目のグラスに果実水を注ぐ。
「わたしは氷魔法で彫像とか作るだけだし、形は他の人が整えてくれるから単純に疲れただけかな」
「ダンスの補習、神経が磨り減る」
「アクセラがダンスを嫌うのは想像通りだが、苦手というのは意外だな」
果実水をぐいっと飲み干してネンスが笑う。
「お前ならあんなもの、スキルにまかせてぼぅとしていればいいだけだとか言いそうなものだが」
「ネンスも知ってるでしょ。芸術系のスキルは全自動じゃない」
『油絵』にしても『陶芸』にしても『舞踏』にしても、スキルによる動作のアシストは完全な自動操縦を意味しない。例えば『彫刻』なら削りたい部分を意識すると色違いで見ることができる視覚系アシスト、指定した長さの直線や曲がり方のカーブを掘りぬくシンプルな動作アシスト、意図した滑らかさまで紙やすりを当て続ける自動アシストなど複数のスキルアシストを組み合わせて作品を作っていく。上位スキルまで育てると伝統的なパターンなどは全自動で作れるらしいが、それでも集中力やデザイン力は人間に左右される。
「もっとも技術に近いスキルが生産系、芸術系といわれる所以」
「言われてみれば複数の戦闘系スキルを組み合わせる、スキルチェインの技術に似ているな」
「というよりスキルチェインがあれを模倣した技術として確立したもの」
「ならなおのことお前の得意分野ではないか。それともあれか、スキルレベルが低いのか?」
生産系と芸術系はしかし、スキルレベルを上げないと思い描いた動作には近づかない。アシストが洗練されないのだ。『舞踏』だとステップの鋭さ、ターンの優雅さ、テンポとのシンクロ度合いなどがレベルに左右される。貴族の子女なら最低でも5は欲しいと言われる部分だが……。
「私の『舞踏』はレベル8」
「貴族の中でも踊りの名手と言われるような領域ではないか!?」
ネンスが思わず叫ぶのも仕方のないことだ。この朴念仁にして残念貴族令嬢の俺が高レベルのダンサーなのだから。しかし補習を受けさせられている高レベルダンサーだ。
「スキルのシンクロを無視してアクセラちゃんのテンポが速くなっていくんだよね……」
「……は?」
ネンスが理解できないとばかりに間の抜けた声を漏らす。
「スキルアシストは正しい動きをするよう、強制的に体を動かす力だ。アシストを無視して早く動くなんてことができるのか?」
ネンスの疑問はもっともなことだ。しかし抜け出すだけなら普段から目にしている現象だったりする。
「戦闘でも強い力で敵のアシストを崩すことがある」
「ああ、パワー系スキルの押し合いになったときはよく見るな」
「あとアシストが弱い、低レベルでもよくおきる。共通点は?」
「あれは……そうか、アシストが効かないほど体勢が崩れれば不成立になるのか」
すぐに察して唸るネンス。スキルレベルが低いときにアシストがすぐ消えるのは、大きく崩れた姿勢を補助するだけのアシストの強度がないからだ。一方でパワー系スキルを打ち合ったときは、押し負けて激しく崩れた姿勢を無理やり高い強度のアシストで動かせば体がもたないからである。
「それは理解できるが、自分でそれをしようと思えば相当な抵抗にあうだろう?」
もちろん合う。そもそもアシストの存在意義がおかしな動作をさせないことなのだから、意図的にそれに背こうとすれば真っ向からスキルと押し合いをする羽目になる。
「そうなんだよねぇ……うっかりできる芸当じゃないんだけど」
エレナが奇妙なものを見る目でこっちを見た。
「スキルアシストは常に同じだけの強制力で体を動かしてるわけじゃない」
剣を振り回すとき、筋肉だって緊張と弛緩を複雑に繰り返している。スキルアシストだって同じだ。極めて精緻に強弱を変えて体に作用している。そうでなくては誰が使っても同じ太刀筋というスキルの原則が再現できないからだ。
「その弱まったときにするっと」
「……すまん、説明されたことで余計に意味が分からなくなった」
「スキルアシストが弱い瞬間を狙って不成立にさせてるんだって。無意識に」
眉間にしわを寄せて首をかしげるネンス。エレナは相変わらず変なものを見る目をよこしながら端的な説明を付け加えてくれる。
「勝手に体が動くの、気持ち悪い」
「……わからん」
生まれてこの方、スキルアシストが発生するのが当然の環境で生きてきたネンスやエレナからはやはり感覚的な理解が得られないのだろう。まあ、エレナの方はそれがどれだけ面倒な技術か理解できるだけに「うっかり」やるのが飲み込めないでいるのもあるか。
「ん、まあ、なんにせよスキルを抜け出す癖がある」
一度破綻したスキルは一から発動しなくてはいけない。踏み込んで切る動作は切る段階からスタートできないのだ。そしてダンスの最中に仕切り直しというわけには、当然だがいかない。
「あと単純に組み合わせるセンスがないよね」
「うぐ……」
ステップやターンの一つ一つにアシストがつく『舞踏』だが、高レベルになると次の動作もお勧めがなんとなく分かるようになるのだ。しかし俺はその選択がヘタクソで、全体のダンスとして見たときにとてもレベル8とは思えない奇妙な舞を踊っていたりする。
「まあ、リードじゃなくてフォローならどうにかなるでしょ」
エレナは肩をすくめて見せるが、同性で踊ることもあるのがこの国の舞踏会だという。つまり誰かをリードする可能性もあるわけだ。
「誰かに主導権を渡すアクセラか。俄然、社交界が楽しみになってきた」
俺の弱点を聞いてネンスが人の悪い笑みを浮かべる。俺は恨めしい視線をひとしきり送った後、諦めてグラスの中身を干した。
是が非でも踊れるようになってやる。腹が立つからな。
「忙しそうというなら、そっちは相当忙しそう」
「そうだな。なにせ例の使節の到着が遅れている」
「ああ、教会の?」
「そう、例の教会のだ。今日の本題だがな」
ガイラテイン聖王国から対悪魔の調査協力としてやってくる使節のことだ。本来なら冬の社交界直前に到着する予定だと聞いていたが、どうやら遅れてくるらしい。
「数日前の豪雨でフラメル川の流量が増しているのは知っているだろう?」
「あー、そっか。船で来るなら厳しいよね」
このところ冬の嵐が二、三回王都を襲っており、その雨水が大河に流れ込んでいるのだ。フラメル川の流れはかなり荒れ、流速も増してしまっている。流れに乗って北へ向かうならまだしも、遡上して王都を目指すのはかなり困難だろう。
「加えてあちらの代表があまり船に慣れていないらしい。エレナも相当だが……」
「ん、グロッキー?」
頷くネンスに俺は苦笑いを返す。
エレナを引き合いに出すレベルで船が苦手なのか。それは苦労するな。
「今は途中の港町で川が落ち着くのを待っているそうだ」
「到着はだいぶ遅れそうだね」
「社交界の後になることは確実だろう」
「ありがたいとえば、ありがたいけど」
使節と直接関わり合うことは、少なくとも公式な予定としてはだが、一切ないはずだ。しかし社交界の前後は色々と忙しいし、なにより俺にはそろそろ個人的に決着を付けなくてはいけないネタがある。そんなときに限ってトラブルは向こうからやってくるものだと、俺の長い長い人生経験は諦めめいた声で主張している。つまりだ、総じて嫌な予感がする。だから近寄りたくない。
「それでだな。本題というのは、今日は二人に情報共有をしようと思って呼んだのだが」
「?」
疲れを隠しもせずに眉間を指でもみほぐしながら彼は言った。
「結論から言うと、使節に使徒がいる」
「……なるほど」
ほらみろ、もうトラブルの悪臭が漂ってきた。
「ガイラテインから来る創世教の使節に使徒……創世神の使徒ってこと?」
「そうなるな」
俺以外に現在、地上で活動している使徒は都合3人いる。少なくとも転生の前にミアはそう言っていた。そのうちの一人、主神の使徒サマがやってくるわけだ。
ミアの、あのウッカリ駄目神の使徒か。ああ、香しきかなトラブルの気配。
すでに頭痛を覚え始めた俺に気づく様子もなくネンスは二杯目の果実水をグラスに注いだ。
「教会にもいろいろと派閥があるのは知っているか?」
「うすぼんやりとは」
「意識が低いぞ、使徒殿」
俺の答えに王子殿下はこれ見よがしの渋面を作って見せた。それが冗談であることは分かっているが、俺は肩を竦めてこう返した。
「実は私、技術神信仰の内部派閥もよく知らない」
「……おい、それは本当に意識が低すぎるんじゃないか?」
今度はマジの呆れが返ってきた。エレナも微妙な笑みだ。
仕方ないだろう。エクセルがこうして使徒をやっている関係で、ウチの宗教は神が一番物知らずなんだよ。
「まあ、使徒に求められるのは普通の活動ではないというし……そういえばお前の使命を聞いたことがないな」
テーブルに肘をついてネンスが首を傾げる。
「布教」
「……神々も人選ミスをすると知れて肩の荷が下りたぞ」
「ちゃんと背負っておいて」
なんだか今日のネンスは嫌味っぽいな。いや、悪いのは俺なんだが。
「ネンスくん、アクセラちゃんの野放図さを指摘しだすと春が来るよ」
「酷い」
「それもそうだ。では本題に移ろう」
「酷すぎる」
あまりの言い様に少しだけ頬を膨らませる。すかさずエレナに指を突き立てられた。それを見て微笑ましそうに唇を歪めたネンスだが、すぐに咳払いをして姿勢を正した。本当に本題を始めるという合図だろう。
「どうぞ」
「ああ。それで今回来る使徒だが、ガイラテインを治める聖王と同じ「聖跡の代行者」という教派にある」
なんとなく聞いたことがあるな。聖王家と呼ばれる複数の家の中から最も優れた者が合議で戴冠するのがガイラテインの王の選出方法だったと思うが、現聖王を輩出している以上は昔からある派閥のはずだ。つまり俺の前世の時代にもあってしかるべき。
「……ん、思い出せない」
「おい、アクセラ。神学の授業でやったぞ」
「戦闘学がどうにかなってもAクラス落ちしそうな怖さがあるよね、アクセラちゃん」
「止めてくれ、俺たちが道化になる……」
ネンスが頭を抱えて呻いた。確かにあれだけの騒動をやってもらったのに戦闘学以外で単位を落としたら、たぶん俺はAクラスの戦闘学受講者から袋叩きにされるな。勝てる勝てないではなくて、そればっかりは袋叩きにされてしかるべきだ。
……拙いな、真面目に全教科ちゃんとやらないと。
「はぁ。「聖跡の代行者」は聖職者を神の代行者と捉えて、各々が各々の判断を重んじ、もっともその時その場所でよいと思うことをするべきだっていう派閥だよ」
「詳しいな」
「エレナはウチの書庫の中身ほとんど読んでるからね」
「アクセラ、お前が誇ることではない」
胸を張ったところ、そこそこ本格的に棘のある視線を頂戴した。それまでは割と冗談めいた感じだったのだが、先ほどのやり取りで警戒レベルが上がってしまったのか。
うん、まあ、認めてもらっている自覚は持った方がよさそうだ。俺も友人に失望はされたくない。
「スタンドプレイが得意で個々人の能力が高く、一方で集団での魔法行使なんかは他派閥に譲るって書かれてたかな。冒険者をやってる聖職者はこの派閥がほとんどだって」
「ああ、はぐれビショップ」
「お前、それを絶対に使節の前で言うなよ」
ポンと手を叩いて納得しているとネンスにもう一本釘を刺されてしまった。はぐれビショップという呼び方は冒険者のスラングであり、本来群れで行動するはずの魔物の中で極稀に一匹狼をやっている固体を指す「はぐれ」からきている。神の僕を魔物の群れに例えるなど言語道断だ、と教会所属の正統派な神官には大変不人気な単語でもある。
「さすがに言わない」
はぐれ個体は強い。地力が高く多彩な魔物が多い。そのことから冒険者のブラックジョークにしてはめずらしく褒めるニュアンスが込められているし、当のはぐれビショップたちも冒険者らしくそうしたノリを楽しんでいるのだが……まあ、内輪の楽しみ方だからな。
「で、その「聖跡の代行者」以外もこの使節にはいるんでしょ?」
「ああ、その辺りはあちらも権料構造がある以上、一色で統一できないのだろう」
「あとのメジャー派閥、名前は忘れたけど聖典原理主義があったよね。それから「聖帝国統一戦線」だっけ、バリバリ武闘派の」
エレナが残る二つの派閥を上げると同時にポツ、ポツと雨が窓を叩く音が聞こえ始めた。示し合わせたように我々はそちらを見る。いつの間にか空には雲が厚く垂れ込めていた。
「本当によく覚えているんだな」
あっと言う間に水の筋ができはじめた硝子から視線を戻してネンスが言う。それから後を引き継いでくれた。
「聖典原理主義は「書戒の民」という。聖典の規律と戒律を厳粛に守り、その文言に従って生きるべきだという連中だな。原理主義というだけあってかなり頭が固く押し付けがましい。だが内部統制がとれ、戒律がしっかりしている組織というのは強力だ。概ね行儀もいいし行動の予想もしやすい。対立しない限りは頼もしい相手でもある」
対立すると面倒くさいことこの上ないがな。
「最後の「聖帝国統一戦線」は神聖ディストハイム帝国のような一大帝国を聖王の名のもとに作り上げ、一致団結して悪神や魔獣に対する積極的な戦線を張ろうという連中だ」
「ロンドハイムと似てる」
エクセララの怨敵であるロンドハイム帝国もそうした大帝国を再び作りだし、悪神との戦いを一歩リードすべしという思想を持っている。侵略はあくまで人類を守るための手段であり、地位的野心によるものではないのだ。少なくともエクセララが生まれた頃は大まじめにその理想を掲げていた。
人類至上主義さえなければ少しは歩み寄れる相手だったんだがな……。
「そうだな、神聖帝国再建を掲げる武闘派という意味では同じだろう。ただあそこまで攻撃的ではない。それに創世教の派閥だからな、人間至上主義というわけでもない」
それはそうだ。創世教会は明確に人類がその細かい(・・・)亜種間で差別をすることを禁じている。どこまで俗世がそれを聞き届けるかは別として、ミアの聖職者に人種差別的な人間はいない。
「使徒が「聖跡の代行者」なのはいい。問題は?」
「責任者が使徒ではないことだ。使節団長はトゥバル=ロゴス=ファルミア。「書戒の民」の重鎮とされるクローサス枢機卿とかなり近しい司教だ。随分と派閥の思想に忠実で、それから神経質な男らしい」
「うわ、ウチの貴族と根本的に合わなさそう」
「エレナ、お前は自国の貴族をどういう人種だと思っているんだ?」
「よく言えば豪放磊落、悪く言えば大ざっぱかな」
堂々と返されて王子も黙る。ロンドハイムの貴人は真面目で公正だが傲慢で厳格。アピスハイムは優雅で繊細だが神経質で華美に偏る。ガイラテインは清貧だが潔癖。そしてユーレントハイムは大らかで豪胆だが血統主義が強い。昔から貴族の間での国際的な認識はこんなかんじらしい。
前世は一介の剣士だった俺からすれば全員貴族らしい回りくどさと形式の中で生きているように見えるが、見知った顔を思い浮かべればやや斜めにではあるが頷くほかない気がしてくる。レグムント侯爵みたいなフランクで大味な大貴族は少なくともロンドハイムとアピスハイムにはいまい。
「でもユーレントハイムは遺跡とダンジョン、魔物が他の国に比べて多いでしょ?国同士の戦いが多い他国と傾向が違うのは仕方なくないかな?」
「それを仕方ないと飲み込める人間は神経質とは呼ばれないだろうな」
俺としてはエレナの理屈に同意だが、ネンスの諦めも理解できる。他人とのコミュニケーションは畢竟、相手がどう認識しているかで全てが決まってくる。
「ユーレントハイムの創世教会を束ねるオルバ=ロゴス=マルリーン大司教は聖王と同じ「聖跡の代行者」だ。話のできる柔軟なご老人だが、それだけにトゥバル使節団長がどう出てくるか分からない」
全てを受け止めてやわやわと包み込み、そのまま動けなくしてしまうような恐ろしいところがある。好爺だが老練、優しいがヌルくはない。そうネンスは大司教を評した。
「それで、態々それだけの情報共有のために呼んだの?」
「そんなわけがないだろう。既にして飛び切り面倒な話が浮上しているとも。使徒と使節団長、揃って新たなる使徒との面会を希望している」
「……」
俺は喉の奥で低く唸った。新たなる使徒、夏前の事件で現出した悪神の現身を撃破したその存在とコンタクトを取りたいというのはおかしな話ではない。ただそれを国に正式に申し入れるという部分がどうにも引っかかる。
「情報が漏れている可能性は?」
「王家の関係ではありえないな。徹底して情報に触れられる人間を制限している。あとはお前がどの程度言いふらしているかにもよるが……」
「うっ」
言いふらしているつもりはないが、なんだかんだ使っている気はする。王家、レグムント侯爵、ケイサルの屋敷に関わる人間、それからイーハとバロン。トワリ侯爵は……死んだし、最後の数日の間にコンタクトを取っていたとは思えない。
「教会関係者などで知っている者はいないのか?」
「ケイサルの教会のシスターとネヴァラの管区長をしてるエベレア司教だけ」
「その二人は信用できるのか?」
「シスター・ケニーは敬虔な下級神官。中央との伝手はないはずだし、使徒との約束を破ってまで報告をするような神経の太さはしてない」
あの娘がデカいのは胸と信仰心だけだ。その信仰心も教会ではなく素朴に神々へと向いている。こんな俗物には辛いくらいキラキラした目で使徒である俺を見てくるのだ。
「エベレア司教も大丈夫だと思うよ。私たちが成人するまでは国の教会にも隠してくれるって約束してくれたし」
「あの人は約束を破らない。報告せざるを得ない状況になったら、ちゃんと教えてくれる」
よく喋る親戚のおばちゃんといった風情の女性だが、口は堅い人だ。そこまで交流が多かったわけではないが、そういう部分の人を見る目はあるつもりだ。
「エベレア管区長はたしか無派閥だったな」
ネンスの言葉に俺たちは顔を見合わせる。気にしたこともなければ、聞いたこともないからだ。相手は国に五人しかいない管区長とはいえ、それを覚えている彼の方に驚いたくらいだった。
「直接会ったことはないが、レグムント侯爵領とその周囲を治める三本柱の一人だ。人柄はよいと聞いている」
ちなみに残り二本は政治と公的な救済策によって領地外まで影響を及ぼすレグムント侯爵本人と、荒くれ共の手綱を引き締め魔物被害を抑え込むギルドマスターのマザー・ドウェイラだそうだ。宗教的な支えを一手に担う管区長と揃って納得の三本柱である。
「しかしそうなると、使節団は我々が真実を知っていると思って要求してきているわけではなさそうだな」
「探して会わせろってことかな?だとしたらちょっと上から目線すぎるような気もするけど……」
エレナの言う通りだ。ネンスは眉間に皺を寄せたまま果実水を飲む。俺もそれに倣おうとして既に空になっていることに気づき、身を乗り出してピッチャーを奪い取った。
「あるいは対象を絞ってほしいのかもしれない」
グラスから唇を離して彼は言う。
「なんらかの協力を引き出したいのはその通りだろう。本題に関係がないとも言い切れないしな。あまりにしつこいので外務大臣などは眉間に深いしわが寄っているが……我々が隠し立てているとでもいう気か、と」
「隠し立ててはいるけどね」
「それは言いっこなしだ」
二人で軽く笑ってから話題を変える。
「それはそうとアクセラ、神学を担当している例のシスターは熱心な「書戒の民」だ。気を付けてくれよ?」
名前がなんだったかは覚えていないが、原理主義者だったのは記憶にシッカリと刻まれている。どうにも原理主義的な宗教家にはアレルギーが出るので、必然的に印象には残る。
「あのシスターにどうこうできるとは思えないが、トゥバル使節団長の元までお前の活躍の情報が伝われば厄介だ。立場に見合った頭のキレはあると思っておいた方がいいぞ」
「ん、敵が馬鹿であることを期待するのは愚策」
「時々やるけどね、アクセラちゃん」
「それは馬鹿でもやることが変わらないとき」
「でもしっかり守ってくれるんだね、陛下も」
そろそろこの話も終わりという空気になったのでビスケットを三枚重ねて口に放り込む。一気に噛み砕く感触を楽しんでいると、ふとエレナがそんなことをしみじみ言いだす。
「密約があるしね」
「寮の応接室で密約などと言ってくれるな……」
「あ、ごめん。『完全隠蔽』かけたの言い忘れてた」
「お前なぁ」
呆れる彼には悪いが、今までも大勢で喋るとき以外は大抵使ってきた。ヤバい話をする機会に恵まれ過ぎて、言われなくても『完全隠蔽』で部屋全体を覆っておくクセが付いてしまったのだ。俺は悪くない。
「たしかに密約のこともあるが……使徒の力で二度、厄介事を始末してもらっている」
「手放すには惜しいと思われてる?」
「信頼を賜っていると言ってほしいが、まあそういう側面もあるな」
すっかり苦みの強い笑みを浮かべることの増えたネンスが口の端を吊り上げた。こっちとしては依頼人にはそれくらい正直でいてもらった方が色々と楽なので結構だが、友人としてはやや心配になるな。たとえ苦味の素が俺自身であったとしても。
「大変だねぇ」
俺とネンスを見比べてから他人事みたいに言うエレナ。それにネンスはニヤリと毛色の違う笑みを浮かべる。
「対岸の火事とでも言いたげだが、おそらく一番に使徒の疑いをかけられるのはエレナだぞ」
「え!?」
ビスケットへ伸びていたエレナの手が止まる。よほど予想外だったのか、急に尻尾を掴まれた猫のように目が丸くしている。かわいい。
「それはそうだろう。何の神の使徒かは分かっていないだろうが、ここには局所的な技術思想が蔓延りすぎている。交流のある西側諸国ならまだしも、皆無のユーレントハイムでこれは異常だ」
くつくつと喉の奥で笑いながらネンスがいうほどにエレナの顔色が悪くなっていく。あまりにも慣れ親しみすぎて特になんとも思っていなかったらしい。
「そ、それはでもレグムント侯爵様が……」
「少し調べれば学院の戦闘技術がレグムント領のそれでないことは分かるだろう。なあ、アクセラ」
「ん。彼のは書物と自己流の試行錯誤。本流を知っているなら違いに気づくはず。ガイラテインなら、知っていてもおかしくない」
「調べていくと辿り着くのはアクセラとエレナ、お前たち二人だ」
「た、確かにそうだけど!ていうかアクセラちゃん、何を気付いてましたみたいな顔でネンスくんの側にいるのかな!?」
俺はちゃんと気付いていたぞ。気付いていたけど、どうしようもないからそこは相手が気付かないでいてくれることを期待しているだけで。
「まさに相手が馬鹿だと祈る愚策そのものだよねそれ!!待って、ポカやらかさなくても結構リスクない!?」
青ざめるエレナにネンスは手をパタパタと振る。
「いや、実際にそんな細い手掛かりを掘り返すとは思えないがな。だがもしそうなったらアクセラではなくエレナに目がいくだろうという話だ」
「私は勲二等、エレナは勲一等」
「兵士の前で大規模な上級属性を連発してみせたらしいな。城に寄ったときに軍の者が話していたぞ」
「氷の砦もインパクトあった」
「ああ、あれは凄かった。今回の飾りつけも手伝うのだろう?王城でもなにかあったら頼みたいくらいだ」
「単身、異端に落ちた侯爵を討ち取ったのも使徒っぽい」
「実に使徒っぽいな」
「属性が多いのも、調べれば分かる」
二人でニヤニヤと笑いながら列挙して行く。実際、これだけあると俺よりエレナの方が圧倒的に使徒っぽいのだ。あと彼女単独で揚げた成果は色々あるのに対し、俺がエレナ抜きで揚げた戦果はあまりない。見比べたときによりそれっぽいのがどちらかは明白だった。
「祭り上げられるな、これは」
「がんばって、使徒エレナ」
あうあうと口を開け閉めするばかりの生き物になったエレナへ親指を立ててやる。
「ちょ、ちょっとぉ!!」
本当に泣きが入ってきたので止めてやろうか。俺たちはもう一度顔を見合わせて肩をすくめた。
「冗談だ、冗談」
「大丈夫、バレることになったらちゃんと私が名乗るから」
蜂蜜色の髪をくしゃりと掻き混ぜて抱き寄せる。
「ふぅ、久々に誰かを弄って遊んだ気がする」
王子のストレス発散になったならエレナも恐悦至極だろう。
「むぅ、性悪王子……っ」
そうでもないか。
~予告~
直に時期に始まる社交界。
アクセラも、覚悟を求められていた。
次回、社交界前夜




