十一章 第23話 フィッシュボーン
ベルベンス=ファーン=フィクラと1-Aの間に勃発した諍いから早数週間が経過したある土曜日、俺はいつも通りネンスに呼ばれてブルーバード寮の応接室に来ていた。テーブルを囲むのは呼びつけた本人とレイル、それにアベルだ。まあ、正直いつものメンバーである。
「朝からすまんな」
「ん、構わない」
なんなら今日は朝と言わず昼と言わず、夜まで拘束してほしいくらいだ。後が怖いので実際に言ったりはしないが。
「今日はちょっとした情報共有だ。といっても私とレイルは当事者であり、アベルは当然のように把握している内容だからな。お前に共有しておしまい、ということになる」
ああ、思ったより早く終わりそうだ。残念。
「お前も知っていると思うが、今は学院の上の方が大騒ぎでな」
「ベルベンスのアレだよ」
ネンスとレイルの言う大事は俺も把握している。というかよほどの事情がない限り学生なら誰もがある程度把握しているだろう。戦闘学の教師による過剰な暴力と行き過ぎた指導方針、理不尽極まる暴言の数々、そして実剣で致死性のスキルを行使したという仰天の顛末。あげくそれを穏便に済ませようとせず、むしろ国王陛下へ直接報告することで大々的に問題化させた副学院長の暴挙。この一連の動き、発端こそ俺たちの目の前にあったが、もはや政治のレベルに到達している。
「とうとう昨日の御前会議で結論が出たんですよ。これは、凄い結論ですよ!」
興奮気味にアベルが眼鏡を押し上げる。
俺はむしろそんな最新情報を仕入れているお前が怖いよ。
やはり優しすぎると言ってもトライラント伯爵家の嫡男、高貴なる情報屋のネットワークは凄まじいの一言に尽きる。
「もったいぶらないで、どうなったの?」
まさかベルベンスをそのまま教師としておいておいてくれとは言われないだろうが。そう思いながら訊ねると彼は興奮を隠しきれない様子のまま身を乗り出した。
「なんと、新しく教育大臣が置かれることになりました!」
「ちなみに今年度をもって世襲制の運営委員会そのものが廃止される」
「……ん、たしかに大事だった」
大臣というのは宰相ともども国王を支え、国家の運営をまとめ上げる実務者の頂点だ。そのポストは基本的にどこの国でも似たようなものであり、長年同じ名前のもとに同じ権力が集約され運用されてきた。そこに新しい職を設けるというのは、歴史的な動きに違いない。
「よほど副学院長が上手く動いたのだろうな、問題は王立学院一校だけのものではなくなった」
「あの先生すげえぞ。王立学院だけじゃねえ、騎士学院や私立、領立の学校全部を巻き込んで話をおっぱじめたんだと」
俺たちの王立学院と並ぶ国の教育機関。それがより広い年齢層と階級層から人を募って戦闘と教養の教育を施す騎士学校だ。しかし全国にはそれ以外にも学校と呼べる施設がある。その全てを対象として、教育の方針や基準を定めるのが新しい大臣の仕事らしい。一つの規範のもとに作られた教育体制による全国民の知識レベル引き上げと技能向上が最大の目的と言うが……。
「実際のところは私腹を肥やす貴族への牽制が大きな目的だ」
「今回で言うと学院の運営委員会、それに癒着状態だったコーキンス辺境伯ですね」
南方の守護者であるコーキンス辺境伯にとってベルベンスは外孫である。しかも可愛い可愛い一人娘と目をかけていたお気に入りの騎士の間に生まれた特別な孫だ。全ての始まりはそんな孫が騎士団で問題を起こし、ご老体がその隠蔽に乗り出したことだった。
「副学院長も言っていましたが、彼は怒りを抑えられない性質だったようで……騎士時代に後輩の若い騎士相手に何度も過重暴行を行っています。その度に被害者を買収するなどして、辺境伯が守っていたようですね」
「あげく、騎士団を除隊せざるを得なくなったらここを紹介したってわけだ」
ベルベンスは、本人も度々言っていたらしいが、騎士を育てるような人間になりたかったらしい。しかし騎士学院の教官になればまた問題を起こすことは確実。これ以上の隠蔽は厳しいと思いながらも、可愛い孫の夢をなんとか叶えたいと思ったコーキンス辺境伯は王立学院にアレを捻じ込んだ。運営議員の何人かを擁立している大貴族としてのコネを使って、強引に。
「もうそんなところまで分かってるの?」
「ここまで大事になり、ベルベンス本人が言い逃れできない状況で拘束されている。さすがのコーキンス辺境伯も大人しく事実を語っているそうだ。陛下が直々に問いただしたことも理由だろうがな」
「腐っても国に忠誠心を誓った武人だからな、陛下に嘘はつけねえ……からだといいんだけどよ」
英雄好きのレイルはそれまでの態度から一転、悄然とした様子で老辺境伯に想いを馳せる。同じ国を守ると誓った偉大な先達が晩節を汚す様に思う所があるのだろう。しかしネンスは首を横に振る。
「忠誠を誓ったのならば、陛下の騎士を損なった孫を何度も庇うなどするべきではなかった。今さら正直に話したところでその罪が雪がれるわけではない」
「そうですね。あげく対応も最初は酷かったそうですし」
アベル曰く、辺境伯は今回のことで最初からしおらしく罪を打ち明けていたわけではないそうだ。むしろベルベンスが拘束されたと聞いて彼は王都まですっとんできた。学院への抗議のために。
「レイルのお父上がカンカンに怒られたそうで……」
コーキンス辺境伯は自分を差し置いて大事にしたと副学院長に詰め寄り、たまたま同じ件で当事者の父として学院を訪れていたフォートリン伯爵にも噛みついたそうだ。事の詳細を知ってからはオルクスの娘と自分の孫を天秤にかけるのかと怒鳴り、果ては学生たちを自分に説得させろと言いだす有様。
「そこでフォートリン伯が言ったそうだ。自分の部下にそうしたように、生徒を権力と金貨で殴りつけるのか、とな。辺境伯の怒声が副学院長室から二階下の教員室まで轟いたらしい」
「その後のレイルのお父上の怒声も同じくらい響いたそうですけどね」
「ああ、少しだけオレも呼び出されて説明に加わったけど、漏らすかと思ったぜ」
くつくつと喉で笑うネンス、苦笑を浮かべるアベル、そして思い出したように顔を青くするレイル。
「何が何でもベルベンスを庇おうとしたのだろう。四十歳男の孫を守ってやろうなど、やる方もやられる方もみっともない話だが」
「……でもまあ、分からないでもないけど」
吐き捨てるように言うネンスに俺は小さな声で呟いた。しかしそれはバッチリかれの耳に届いたらしい。
「そうか?」
怪訝な様子で首を傾げられた。他の二人も気になるようで視線をこちらに向けてくる。
「……私もそれ自体はどうかと思うけど、ね」
思うが、分からないわけでもない。なにせ俺自身、孫こそいなかったがお爺様と言っていい年代を一度は過ごしてきたのだから。
「自分の人生、十五年、振り返って長いと思う?」
更なる説明を求める視線に対し、俺はそう訊ねた。突然の質問彼らは目を見合わせる。
「え、いや、どうだろうな……長いような、短いような」
「長いこと生きて来たって気は、あまりしませんね」
「ここ一年を目まぐるしいとは感じるがな」
少年たちの答えに俺は頷く。それは十五年しか生きていないから、ではないのだ。いくつになっても「もう○○歳か」と呟くほど、自分の人生はあっという間に感じるものなのである。
「ある朝、ふと気づく。自分の手はこんなだっけって」
こんなに皺が多かっただろうか。
こんなに筋が張っていただろうか。
こんな濁って乾いた爪だっただろうか。
「気づき始めたら、色々気づくことが増える」
そういえば、刀が前より少しだけ重くなった。
そういえば、少しだけ息が上がりやすく、少しだけ整いにくくなった。
そういえば、子供たちが自分を見るとき、少しだけ優しい顔をするようになった。
そういえば、道を歩いていて人に譲られることが少しだけ増えた。
そうか、自分は老いたのだ。
「何年、何十年を当然のように生きてきて、あと何年が残されているのか。残りの時間を当然のように消費していいのか。そんな不安が湧いて来る」
あと何回、自分は剣を振れるのだろうか。
あと何回、自分は強敵との出会いを楽しめるだろうか。
あと何回、自分は友人と茶を啜れるのだろうか。
あと何回、自分は子供たちと食事ができるのだろうか。
あと何回、自分の行動は許されているのだろうか。
その回数を使い果たした後に、自分は何か残せるのだろうか。
「晩年の王が無駄な建築をしたがるのと同じ。何かをしてあげなくては、何かを残してあげなくては、そう思い始める」
コーキンス辺境伯だってベルベンスがどうしようもないことくらい、とっくに分かっていたのだろう。だから騎士学院には口利きをしなかった。きっとできないわけではなかっただろうに。それでも、どうしようもないのだと認められなかった。残された時間で正しく導いてやることはもうできないと悟っていたから、代わりに少しでも望みを叶えてやろうと……まあ、言ってしまえば逃げたのだ。
「……言わんとすることは分かる。だが付き合わされる我々はいい迷惑だ」
「ん、それはその通り」
副学院長もきっと同じように思ったのだろう。だからあえてベルベンスの事件を大々的に広め、コーキンス辺境伯を吊り出した。案の定、ご老体は激怒して王都までやってきた。そして同じくらい激怒したフォートリン伯爵と激突したのである。
「ベルベンスはどうなる?」
「当然、解任です。たぶん騎士だった頃の行動について、査問会議が開かれるでしょう」
彼の怒りを増幅し、歯止めが効かないほどに強化していた『鬼憤の騎士』。そのパッシブスキルがどう評価されるかで判決は変わってくるだろうが、制御できず再発する可能性が高い以上は二度と学院はおろか、王都に戻ってくること自体ないだろう。危険すぎる。
「じゃあ南方の国境で小競り合いに投入ってとこか」
デリケートな北方でアレを面倒見るのは無理だろうし、それ以外にこの国は前線と呼べる場所を持っていない。昔読んだカルナール百科には西へ「魔の森」開拓部隊として精強な罪人を送りだすこともあったらしいが、実質処刑としか思えないその命令はもう二百年ほど出されていない。
「前線でもコントロール不能と思われたらどうなるんだろうな?」
「暴れられないように回復不能の怪我をさせて幽閉だろうな。その場合の費用はコーキンス辺境伯持ちだ」
アベルが嫌そうな顔をする。手足を潰されて暗い地下室や高い塔に閉じ込められるのを想像したのかもしれない。だがお互いにとって幸いなことに、今回の事件で死者は出ていないのだ。それなら死刑はないだろう。
「死体は少ない方がいい」
「それについては全くの同意見だな」
あとは戦闘学の新しい教員についてだが、おそらく春までは来ないだろう。なにせメルケ先生とベルベンスで毛色は違うが二連続の不祥事。国も新体制に移行してからまともな人間を用意したいはずだ。
「自習になったらアクセラ、お前が教えろ」
「無茶ばっかり言う……」
おどけた調子に俺も微笑みを返す。どうやらこれで用件の方は終わりらしい。
「ん、話が終わりなら今日はもう帰る」
「お昼にでも誘おうかと思っていたのですが」
俺が椅子を引いて立ち上がるとアベルが残念そうに眉を寄せた。魅力的な誘いだったが、昼飯の後には一仕事が待っているのだ。もどって準備を整え、食堂で食べるのがベターだ。
「どうかしたのか?なんだか憂鬱そうだが」
ネンスの疑問に俺は苦笑いを浮かべた。
「アティネとマリアが部屋に来る。社交界用のアクセサリーを決める手伝い」
送られてきたドレスがドレスだったので、エレナが合わせる宝飾品に困って二人を応援に呼んだのだ。すると呼ばれた方も呼ばれた方で思いのほか乗り気になってしまい、各々が合いそうなアクセサリーを携えてやってくると言いだしたのだ。口にこそ出さないが、有難迷惑という言葉が脳裏に燦然と輝く。
「……こういうことを女性に言うのはおかしな話だが、お前は確かに苦手そうだな」
「苦手だよ」
同情的な眼差しを向けてくる男共に手を振って、俺は安息を失った自室へと足を向けた。
~★~
「あー、もう!」
突如としてアティネが自分の髪をぐしゃぐしゃと掻きまわして叫んだ。それからベチンとレースの花があしらわれたカチューシャをベッドへ投げ捨てる。場所はブルーアイリス寮にあるエレナの部屋。そう、普段俺たちが寝起きしている方ではなく、物置と作業場になってしまったエレナの部屋だ。ただし今日この時ばかりはアクセサリーのフィッティング会場である。
「アクセラ、全然決まらないじゃない!!」
「そう言われても……」
ぶっちゃけ、作業は難航していた。俺が見てもよく分からないのだが、どうも少女たちが満場一致で頷ける一品がないらしい。鏡の前に座らされた俺はかれこれ二時間ほど頭を飾り立てられているが、終わる気配はない。
「アクセラ、アンタはコレっていうアクセサリーないの?」
キッとつり上がった目で鏡越しにアティネが聞いてくるが、ないものはない。強いて言うなら幼い頃にレメナ爺さんが買ってくれた補助魔道具の飾りだが、日常使いのデザインだし何よりあんまり似合っていないらしい。あとはエクセル神の使徒として貴色を取り入れればいいのでは?と思う程度だ。
「紫は」
「今ここにある石だと合わないわね。陰気になるわ」
「うん、合わないと思う。目の色が紫だから、あんまり違う色味の同系色を増やしすぎると鬱陶しいよ」
「そ、そうだね。その、ひ、瞳と完全に同じ色、だったら、悪くないかも、だけど」
ということでアクセサリー台の仕事に戻る俺である。それでもじっと椅子に座って色とりどりの飾りを当てられるだけというのは、およそ世界中の男子に耐えがたい時間だ。中身が男の中でも一際肉体派である俺もすぐさま飽きがきてソワソワとなるのだが、その度に少女たちから「じっとしろ」と怒られる。
「……暇」
「適当に喋ってなさいよ、鏡に」
ついつい呟けば、買った覚えも貰った覚えもない煌めく羽根飾りのようなモノを俺の頭頂部に突き立てながら、アティネが冷たく言い放つ。
待って、なにその羽。持ち込んだ自分のやつ?
「でもドレスが結構強い色だから、実際決めにくいよね」
そう、強いて言うならステラが作ってくれたドレスが悪い。ファッション音痴の俺でも美しいと思うし、試着したときは不覚にもちょっとドキドキしたのだが、単品で仕上がりすぎているらしい。もちろんエレナの受け売りだ、俺にはよく分からない。
「ていうかマリア、さっきから何を編みまくってるのよ。途中からアクセサリー選びそっちのけでやってるけど」
「ま、待って。ちょうど……」
左右で編まれた俺の髪。マリアの手で後ろに回されたそれが軽く髪留めか何かで留められる感触がした。アイスブルーの目を数度瞬かせて少女は嬉しそうに頷く。
「う、うん、できた。ど、どうかな?髪飾りより、あ、編んだ方が、綺麗かな、って」
「んー?あら、案外いいわね」
アティネが俺の頭を掴んで思い切り左へ向かせた。首がコキンといい音で鳴る。やや右寄りに作られた分け目から細い四つ編みが二筋、右の後ろへと延びていた。その四つ編みはまるで軍服の飾り紐のように俺の白髪を飾っている。
「あ、ほんとだ!」
エレナも俺の頭を掴んで逆へ向かせた。またコキンと音が鳴る。分け目から左には指三本分ほどの幅がある大きな四つ編みが、やはり左後ろへと伸びている。こちらだけいつもは下している前髪が編まれて生え際まで見えているので、半分だけオールバックにしたような雰囲気だ。前世はときどきこういう髪型だったので懐かしさがある。
「で、でしょ?」
「ええ、アリだわ!素材がよくてドレスが派手ならこれも全然アリ!!」
「そうだね、下手にゴチャゴチャ乗せるより全然映えるし。でもわたしコレ結えるかな……?」
大絶賛にちょっと誇らし気なマリア。彼女の手がそっと後頭部で俺の髪を弄くる。するとあっというまに左右の四つ編みの連結は解かれ、右側が大きく垂れ下がった。左は分け目に沿ってどんどん髪を編み込んでいるらしく、全然崩れるようすがない。
「あ、その、か、簡単だよ。まず、み、右で細いフィッシュボーン、ふ、二つ作って」
この四つ編み、フィッシュボーンと言うのか。まあ、なんとなく魚の骨のような形ではあるけど、見た目の整った感に対してえらく艶消しな名前だな。
そんな感想を抱いている間にもマリアは手早く左側の大きな四つ編み、もといフィッシュボーンを分解していく。あっというまえに解かれた髪が手櫛でざっくりストレートに戻された。
「ひ、左のこれはね、分け目と、前髪から、こ、こう持って来て……」
そしてその解れた毛束を捕まえてもう一度編み始める少女。
「結構きっちり編み込むのね?」
「う、うん。崩しても、その、か、かわいいけど、ドレスならカチッとしてる方が、か、かっこいいから」
「分かるけど、やっぱり結構難しいような……」
鏡越しに見る限り本当にかなりギッチリ編み込まれているが、マリアの手腕なのかまったく痛いとかはない。
「う、うん、編み上がったから、これを後ろに、ま、まわして……右の二つと、重ねて、は、はい」
軽く引っ張られたあとマリアの手が頭から離れる。ピンかなにかで留められたんだろう。
「そ、それから、上の方は一度まとめて、後ろにかけてあげると、い、いいなって」
わさわさと上の方で余っている髪の毛を弄られる。右の髪は二本のフィッシュボーンが髪飾りのように押さえ、左は太めのフィッシュボーンがヘッドドレスのように飾り立て、そして右後ろから真後ろは被せられた髪が留めてある部分を隠す。手順より遥かに複雑そうで、しかしすっきりとした髪型が出来上がった。
「やっぱり素材がいいと髪の毛一つで仕上がるモノね……メイクもしたら凄い事なりそうだわ」
「化粧はちょっと……」
アティネが不穏なことを言いだしたので首を振る。女性にとって化粧は楽しみであり身だしなみだと言われても、男だった頃からあの白粉の臭いが苦手で苦手で仕方ないのだ。
「勧めてもそれだけは断固拒否するんだよね。しなくても十分綺麗なのがまた」
「まあ、どうせ結婚するまではするもしないも自由だし、いいんじゃない?」
不満そうなエレナに対してあっさりと引き下がるアティネ。ユーレントハイムの貴族女性も当然のように化粧をするが、実は未婚の間はしてもしなくてもマナー違反ということはないらしい。髪や眉、睫毛にいたるまで毛の色が鮮やかな貴族が多いから、と言われているが俺にはイマイチよく分からない理由だ。派手な髪色と化粧にどう関係があるんだか。
「その代わりもっと髪の方を弄りましょうよ!編んでない残りの……このあたりとか、コテで巻いたらどうかしら。軽いウェーブにして」
引いたかと思えば踏み込んでくるアティネ。化粧どうこうというより単純に髪の毛を弄りたいだけじゃなかろうか。
「えーっ、アクセラちゃんはストレートがいいと思う!」
「それはアンタが見慣れてるからよ」
「むぅ、そういうものかななぁ……」
「そういうものよ。試しに今ここで巻いて見せるから見てなさい」
鏡台の上に置かれている鋏のような道具を手に取るアティネ。髪を巻くときに使う巻きコテ、ヘアアイロンだ。
「エレナ、ちょっとコテ温めて来てくれない?アンタの魔法でさくっと」
「あ、それそこカチッてやったら熱くなるよ」
いつの間にそんなものを作ったのか、どうやら魔道具だったらしい。エレナの指摘で握りの裏側にあるいくつかのボタンのうち一つを押すアティネ。すると鋏状の道具は小さな音をたて始めた。側面にある五つのスリットが順番に赤く光って行く。
「五つ全部光ったら温まってるから、そのまま使えるよ」
言っている間に赤くなるスリット。眉を変な感じに寄せたままアティネは軽くアイロン部分をトンと叩いて、そのまま目を丸くする。
「え、ウソ!?なにこれ凄く便利じゃない!アンタが作ったの!?」
「そうだよ。お買い求めはリオリー商会でお願いしまーす」
軽くおどけて言うエレナ。知らない間に開発された上に知らない間に売られていたらしい。
「売ってるのね!?友達の分まで注文まとめてきてあげるから安くしなさいよ!」
「え、ほんと?じゃあお願いしてみるね。あ、それとストレート用のもあったりするけど」
「欲しいわ!!」
「マリアちゃんはどうする?」
「あ、わ、私も欲しい、かな」
控えめな言い方の割にその視線は誰よりも真剣だ。
「マリアもアタシの注文に乗っかりなさい、その方が安くなるから!」
「う、うん。エレナちゃん、ほ、他にも面白いものって、ある?」
「んー……あ、これとかどう?まだちょっと作ってる途中だけど」
部屋のテーブルに置いてある極太の魔導銃みたいな道具を持ってくるエレナ。クリスタルや金属の線がむき出しで洗練されているとは言い難い。
「ちょ、ちょっと怖い、かな……」
「え、そう?かっこいいと思うんだけどなぁ」
アティネとマリアは軽く引いた様子だが、エレナは開発者らしい感性で首をかしげる。そして鏡台の引き出しから魔力カートリッジを一つ取り出して握る部分へはめ込んだ。
「この横のダイアルをこっち回すと風が出て、反対に回すと熱い風が出るの」
カチカチと音を立ててダイアルが回れば、装置の中のクリスタルがうっすらと輝いて魔法を発動させる。緑のクリスタルが輝くとただの風が、赤のクリスタルも共に輝くと熱風が銃口にあたる場所から吹き出すのだ。
「つまりなんの魔道具なのよ?」
「髪の毛乾かすのに使うんだよ。気を抜くとアクセラちゃんてばすぐに『生活魔法』で髪の水を飛ばそうとするんだもん」
「ああ、痛むらしいわね、アレ」
アティネとマリアの呆れた視線がこっちに向いた。てっきり双子は仲良く俺と同じガサツ人間だと思っていたのに。
「それでわたしが風魔法でよく乾かすんだけど、あると便利かなと思って」
「まあ、手軽でいいわよね。完成したら買ってもいいけれど、もうちょっと見た目はなんとかしなさい」
自分でも試作品の見た目が威圧的なことは分かっているようで、エレナは肩を竦めてそれをテーブルに戻した。他の道具をガチャガチャと弄り、そのまま手ぶらで戻ってくる。
「ちょっと今貸し出してるからないんだけど、爪紅と付け爪を滅茶苦茶しっかり固定する魔道具とかあるよ。専用の糊を混ぜてから色を塗ったりチップを付けて、本体の箱に手を入れるの。二分くらいで固まるかな」
「属性が想像できないわ、どういう原理よ……」
「まず糊の方に」
「あ、いや、説明しなくていいわよ!アンタの魔法の説明は長いのよ!!」
当然のように原理を説明しようとし出したエレナをアティネは慌てて止める。
「ちょっと、きょ、興味あるな」
「アタシはいいわ。剣振るのに邪魔だもの」
マリアは目を輝かせた。彼女はたまに上品な色で爪を塗って、硝子を小さく加工したものを貼ったりもする。お洒落のレベルが違うのである。一方でアティネは興味なしといった様子。
「まあ、これは戦わない人向けだよね。わたしも作ってから自分で使ってないし」
他にもいくつか俺の知らない魔道具が紹介されたが、一体全体どれもこれもいつ作ったんだか。少女たちにとってお洒落が重大事項なのは、かれこれ数時間椅子を尻で温める仕事に従事しているので身に染みて分かったが……なんだかなぁ。もうちょっと他の事務用品系も売れてくれればいいんだが。消費者と生産者の意識の乖離、というやつだろうか。
売れてくれるなら、技術が広まるなら、なんだっていいんだけどさ……。
「あ、そういえば肌を傷つけにくい剃刀も作ったんだった。魔道具で刃が交互に動くやつと熱で焼き切るやつ」
「こ、怖そう」
「そうでもないよ。特に熱で切る方はアンダー……」
「エレナ」
話が少々俺に居心地悪い方へ傾いてきたので一声かける。俺も肉体的には少女で、マリアとアティネもその認識だろうが、やはり水着や下着を買いに行くときと同じで抵抗がある。
「え、あー……うん」
最低限自分の体でしなくてはいけないことは我慢してエレナに教えてもらうが……必要以上は遠慮したい。
「実物が今ないからまた今度にしよっか」
ついうっかりといった様子でエレナもその話題を切り上げてくれた。
「それにしてもコレ、ほんとにすぐ温まるのね」
そのタイミングで五つの灯りが灯って完全に熱し終わったコテを手に、アティネは俺の髪の毛をまたワシャワシャと弄り始める。それからとんでもない事を言いだした。
「加熱するのが面倒だとあんまり色々試せないと思ってたんだけど、こんなに簡単なら巻方含めて色々試せるわね」
「……まだやるの?」
あとは軽く巻いて是非を判断したらおしまい、くらいに考えていた俺は戦慄する。しかしアティネはいい笑顔を浮かべて俺の肩をポンと叩いた。軽やかな親愛のタッチだが、そのあとは椅子に押さえつけるようにギリギリと圧をかけてきやがった。
「もちろんよ!ねえ、エレナ。ストレートのやつもあるんなら、巻いたあとに調整もできるわよね?」
「うん、できるよ。それにアクセラちゃん、ここまできたら、ねえ?」
「やっぱりメイクもしてみなさいよ」
「あ、メ、メイクも得意、だよ」
イキイキとした三人の顔。俺は確信する。これは長くなるぞ。ちょっとやそっとじゃないレベルで、長く長ぁーくなるぞ。
やっぱり売れてくれなくていいから、解放されたい……。
切実にそう思うのであった。
「とりあえず、化粧だけは勘弁して……」
~予告~
迫っているのは社交界だけではない。
創世教の使者もまた、すぐそこまで来ていて……。
次回、宗教派閥




