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技神聖典―刀と少女と神の抒情詩―  作者: 一響 之
十一章 祝福の編
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十一章 第17話 教師たちの領分

 その日、ベルベンス=ファーン=フィクラ男爵は愛用の黒い鎧を音高らかに鳴らして教員棟の廊下を歩いていた。目指す先は副学院長の部屋だ。長らく不在にしているという学院長に変わって教師たちをまとめ上げている男。その直々の呼び出しとあってさすがに経験豊富な騎士もわずかに緊張している。


「ベルベンス=ファーン=フィクラ教官、ただいま参上いたしました」


 扉の前で大きく名乗ってから入る。幼少から騎士として徹底的に上下関係の重要性を拳で仕込まれてきた彼は、生徒にはひたすら熱心に(・・・・・・・)教育を施す男であり、上司には礼儀正しく従順な男であった。彼はそうした性質を以て己こそ、騎士の鏡だと思っていた。


「よく来てくれた、ベルベンス先生」


 騎士を育てる者として自ら「教官」を自負する彼にとって凡百にして中途半端な「先生」という呼び名は極めて不快な物だった。小さな苛立ちが胸中に生まれ、瞬時に空気を送られた熾火のごとく燃え上がりそうになる。しかしそれをベルベンスは鋼の精神で抑え込んだ。相手は自分の上司である。騎士にとって上司、上官は絶対者だ。


「……」


 飲み込んだ熱量の燻る眼差しでじろりと副学院長の前に立つもう一人に目を向ける。


「1年Aクラスの担任、ヴィヴィアン先生だったか」


 自分の半分もない小柄な女性だ。まだ教える立場となって一年も経たない未熟者であり、一度は自分に言いがかりをかけてきた相手でもある。ベルベンスにとって副学院長が絶対的な上官であるなら、彼女は同じ隊に属する遥か目下の人間だ。


「君も呼ばれたのかね」


「いいえ」


 怒りと侮りを多分に含んだ声ではるか上から言葉を投げかけるベルベンス。しかし子供のような見た目の女教師は無感動に短く応えただけだ。その声音の冷たさときたら……もし彼女の生徒たちがこの場にいたなら揃って心配に騒めいたであろう。普段からやや空回り気味ではあるものの、生徒のことを思い行動する優しい「ヴィア先生」は鳴りを潜め、嵐の前の静けさとでも言うべき恐ろしい無表情を浮かべているのだから。


「副学院長殿、どういったご用向きでありましょうか。お呼び出しは光栄と思っておりますがこの後、まさに彼女の生徒を教練する予定がありますので」


「っ」


 ヴィヴィアンの拳がギリギリと握り込まれたことにベルベンスは気付かない。副学院長だけが眼鏡の奥から視線をわずかに動かしてそれを確認していた。


「よかろう。ベルベンス先生、望み通り端的に行かせてもらう。貴君が1-Aのアクセラ=ラナ=オルクスを戦闘学において落第とした件について、ヴィヴィアン先生から異議の申し立てがあったのだ」


「オルクスの落第について異議?ヴィヴィアン先生、どういうことか説明してもらおうか」


 まるで自分も副学院長と同じく問いただす側に立っているような物言いだった。一方でヴィヴィアンは淡々と答えるのみ。


「説明が必要なことでしょうか。アクセラさんが謂れのない理由で辞退を迫られたと生徒から聞きました。先に言っておきますが、商店街の大通りです。私の生徒以外にも大勢がその会話を聞いていたと証言してくれています」


「証言とは大仰な物言いだ。まるでこの俺が何か不正義を働いたとでも言いたげだな?言葉には気を付けたまえ、ヴィヴィアン先生」


 やや語気を強めて叱責し、ベルベンスは副学院長へ視線を動かした。


「書類で申請した通り、オルクスはあくまで自ら辞退しました。事務局にも受理の印鑑を押させております」


「事務局の窓口で怒鳴り散らしていたとも聞いていますが」


「それは受付の小娘が押印にもたついていたから檄を飛ばしただけのこと」


 一々挟み込まれる小さな糾弾にベルベンスは語気を荒げる。檄を飛ばす際に威圧を使うことなど彼にしてみれば当たり前であり、それに耐えられない者が軟弱なだけであった。事務局の人間が押印に手間取っていたのか、書類の受け取りに難色をしめしていたのか、そんな圧の前に言葉にならなかった些細な事象は彼の記憶に毛ほども残っていない。


「そもそも辞退なんて制度、私は聞いたことがありません」


「自分が校則の全てを知っているとでも言いだす気か」


「授業に関する校則を全て把握しておくのは教師の基本です。それに念のため、昨日全ての校則に目を通してきました。一度受講を決めた授業は合格するか落第するかの二択です」


 立て板に水とばかりに答えるヴィヴィアン。これにはベルベンスも鼻白むほかない。


「フ、フン……呆れたものだ、あんな不良のためにそこまで」


 吐き捨てようとした言葉は、しかし続かない。魔力や魔法に関わる才能が致命的に欠如しているベルベンスにも感じられるほど、煮え立つようなエネルギーが相対する小さな体から吹き上がったからだ。


「次、私の生徒を馬鹿にしたら、私は貴方に決闘を申し込みます」


 夏空を思わせる澄んだ青色が強烈な怒りと戦場帰りにも似た殺伐とした光を含んでベルベンスを射抜いた。


「なんだと……?」


 それは意外なほど強い視線ではあったが、ベルベンスも騎士団で上から数えた方が早いほどの実力者だ。怯んだままなどということはあり得ない。むしろ物心ついたときから魂に宿っている赤き怒りの炎にとって、彼女のような若輩が自分に決闘を申し込むという事実は薪そのものと言えた。ギロリとヴィヴィアンを睨み返す眼差しには今にも拳を振り上げそうなほどの感情が込められている。


「待ちたまえ、二人とも」


 場を満たした攻撃的な気配をものともせず、副学院長は深く息を吐いた。


「生徒の規範たるべき教師がそう易々と喧嘩に走ってどうするつもりだ。慎みたまえ」


「……失礼しました」


「失敬」


 二人はひとまず矛を収める。副学院長は厳めしい表情の裏でひっそりとヴィヴィアンの成長に驚いていたのだが、それはベルベンスの知るところではない。向けられた自らへの視線に一層背筋を正して見せる。


「それで、ベルベンス先生。彼女の言う通り学院の授業に辞退という選択肢はないわけだが?」


「そうでしたか。では落第通知とお考えいただければ結構です」


 辞退しようがないことを把握していなかったのはミスだと、ベルベンスも内心で認める所であった。忌々しくも魔法で自分の教練を汚し、一時でも己に恥をかかせたオルクス。小賢しい小娘をできるだけ早く叩き出したいと逸った結果だ。しかし、それにしても細かい事をチマチマと、と彼は視界の端に映る年若い教師に苛立つ。


「あのオルクスが自らの実力不足を認め、落第を受け入れたことは書面にある通り。年度末が来れば自動的に戦闘学の単位を失うということです」


「実力不足?」


「書面にある通りだと言っているではないか。さっきからなんなのだ!?些細な手続きの問題を延々と!」


 ヴィヴィアンがこれ見よがしに首を傾げたことで、一旦は静まりかけた彼の怒りは爆発する。その怒声にテーブルの水差しが震え、水は小さな波紋を刻んだ。しかしその程度でビビって矛を収める話ならば、本来温厚であるヴィヴィアンとてここまで来ていない。


「アクセラさんの戦闘力で不足と判断されるなら誰が合格できると言うんですか。それともベルベンス先生は私の生徒を年度末には全員落第にでもするつもりでしょうか」


「フィクラ教官と呼んでもらおうか!」


 副学院長の眼鏡にヴィヴィアンの額に薄く青筋が浮くのが映った。


「オルクスの魔法の腕が素晴らしいことは認めてもいいだろう。しかし戦闘学は肉体の戦闘力、『剣術』や『槍術』といった誉あるスキル、高潔さと公平さを養う授業だ。あの者にはそれがない!」


「王宮が勲二等を認め、幼少から数えて二体の魔獣を討伐、一体を撃退し、これだけ決闘での勝利記録を持つ少女が肉体の戦闘力に不足すると言うのですか?」


「政治の言葉を真正面から受け取るとは、やはりまだまだ小娘か。それに言ったはずだ、魔法は評価に値しないと!」


 ベルベンスはアクセラの戦闘力を全て魔法によるものだと思っていた。そうでなければ高レベルにして極めて特異な上級の騎士系スキル持ちである自分が負けるはずがないと、彼の中では絶対に動くことのない確固たる真実として信じているのである。


「決闘は魔法抜きの剣のみで行っている場合がほとんどです。それに一度たりとも彼女は決闘のルールを逸脱したことはありません。それは立ち合いを務めた担任として保証できます」


「女に戦闘の何が分かる!」


「分かりますよ、つい三か月ほど前に悪魔の大群と殺し合いをしていましたからね。ベルベンス先生は」


「フィクラ教官と呼べと言ったはずだ!それにバケモノを何匹殺せるかで戦士の価値が決まると思っているのなら、それこそなにも分かっていない証拠だ!ヴィヴィアン先生、君は騎士でも兵士でもないだろう?そんな小娘が戦いの意味を語るなど片腹痛いわ!」


 二十歳そこそこの年齢、女という性別、魔法使いという職業、そして不遜な態度と礼儀の欠如。その全てがベルベンスにとって戦いや騎士道を語るうえで我慢のならない要素であり、彼の中に渦巻く火焔を激しく燃え上がらせる燃料であった。怒りに赤く染まった顔でスキルの威圧を吹き荒れさせる大男に、一方でヴィヴィアンもまた激高していた。ダンッと足を踏み鳴らす。


「魔物や魔獣を倒すことに真価がない!?貴方の教える戦闘学には何の意味があるんですか!先日の事件のようなことが起きた時に、誰かを守るためにこそ人は力を求めるんです!!魔法も、剣も、槍や弓や体術も、全ては命と誇りを守るための力にすぎません!!」


「ヴィヴィアン=シャローネ先生、若輩の貴様が……!」


「若輩と言うならば教えて頂けますか、貴方が自分の力に見出す意味を!それとさっきから気になっていたので言わせていただきますが、私のことはシャローネ上級魔法教師と呼んでいただきたいものですね、フィクラ教官殿!」


「……ッ!!」


 何の意味があるか。それは奇しくもアクセラが最後に投げかけた疑問と同じだった。何を剣に込め、何を生徒に教えるのか。ベルベンスにしてみればナンセンスだ。何の意味があるか、そんなことを聞いてくる時点でナンセンスであり教える価値すらないクズだ。


「貴様ァ」


 怒りに赤黒く顔を変色させてベルベンスは小さな教師を見下ろす。腕の一振りで殺せてしまいそうな文弱のくせに、経験も年齢も取るに足らない小娘のくせに、厳しい騎士の訓練を潜り抜けてきた自分に盾突く。オルクスと同じだと彼は思った。騎士に纏わりつき、その刃を鈍らそうとする賢者気取りの愚物だと。


「ベルベンス先生」


 副学院長が名前を呼ばなければ今度は彼の方から決闘を申し込んでいたかもしれない。あるいはそうすべき相手とすら認めず、ただ無造作に拳を振るっていただろうか。それは全て仮定の話であり、現実には眼鏡の奥から突き刺さる視線によって大男は一歩も動かなかった。


「……とにかく、書面にあるのだから、その通り処理されるべきです。これはもう決定事項だ」


 数度荒く呼吸をしても熱を抑え込めずわなわなと震えながらベルベンスは言う。だがヴィヴィアンが止まる理由にはならないようで、益々夏空色の瞳に怒りを込めて言い返す。


「書類にそう書いてあるから、事実と違ってもそれに従えと言うんですか?過ちも紙に書いて判子が押してあれば、それで見過ごせと?」


 彼女は目をキッと吊り上げ、あろうことか上官である副学院長をも睨んだ。


「そんな役立たずの官僚主義者に生徒を育てることが教育だと言うのなら、学院には失望しました」


「気に食わないと言うならとっとと荷物をまとめ、職を返して去ればいいだろう!!」


 官僚主義。何よりもそれを唾棄すべき文弱の徒とみなしているベルベンスにとって、自らの行いがまさに官僚主義的であるという指摘は獅子の尾である。それまで全身に滾っていた怒りの気配がより濃密に膨れ上がる。だが彼の怒声を無視し、生意気にも「どうなんだ」と視線で問うヴィヴィアン。


「……」


 ギリギリと歯ぎしりをするベルベンスが視界の端で問われた方、副学院長を窺う。組んだ手で口元を隠し、頑強な肉体に似合わない理知的な視線を彼は女教師に注ぎ返していた。


「そうだな……この件について諸君が熱くなりすぎていることだけは分かった。これ以上ここで話しても、決闘が始まる未来しか見えない」


 副学院長は大きなため息を吐く。ヴィヴィアンに聞かせるように大きくだ。少なくともベルベンスはそう捉えた。


「ヴィヴィアン先生、そろそろ授業の時間ではないかね?二年生の水魔法応用理論だろう、教室は向こうの端だ。もう行って結構」


「こんなことになるのではないかと思い、アルマン先生に代理を頼んであります」


「なにッ?」


 色めき立つベルベンス。副学院長が手を上げて制しなければ彼は大きく一歩、目の前の教師に踏み出していただろう。それこそ彼が普段から生徒たちにしているように、体躯と気迫によって圧をかけるために。


「……そうは言ってもベルベンス先生は授業がある。私もこの後、学院の運営会議に出席予定だ」


 学院の運営会議はその任を創立期から受け継いでいる上級貴族たち、運営議員によって行われる。彼らはその歴史に見合う権力とプライドを持っており、また大貴族がバックに付いている場合も多い。いかに副学院長といえど、何の根回しもなく欠席できるものではなかった。


「……わかりました。失礼します」


 自分がいくらここで言い募っても無駄だと察したのか、ヴィヴィアンは苛立ちも露わに踵を返した。バタン、と扉が重たい音を立てて閉じた。


 ~❖~


「アクセラさんが、落第になった……?」


 数日前の放課後のこと。最初、私は何を言われているのかまったく分からなかった。ホームルームが終わっても教室に残り、思いつめた様子でバノン君が友人たちと話し込んでいたから、少し気になって声をかけただけだったのだ。


「ええ、ええ、そうですとも!ベルベンス……先生が突然やってきて我らが敬愛するアクセラさんに戦闘学の辞退を迫ったのですよ!」


 芝居がかったドレン君の言葉にイヴァン君も重々しく頷く。その時、体がカッと熱くなった感覚は、きっと教師であり続ける限り忘れられないだろう。私の生徒が、担任である私の知らないところで、平等であるはずの学院で、誰がどう見ても私怨としか思えない、不合理で一方的な成績を与えられた。


「ッ」


 奥歯がギリッと音を立てた。すぐさまアクセラさんを追いかけて話を聞こうかと思ったが、それはなんとか堪える。

 彼女なら面倒くさいの一点で受け入れる可能性が大いにありますからね。


「でも、そもそも辞退なんて制度、ないはずです……」


「先生?」


 小さく呟いた私にバノン君が首を傾げる。彼もこの夏に修羅場を潜った身だ。私が未熟にも揺らがせた魔力を感じ取ったようで、不安そうな色が瞳の奥へ見え隠れした。そこには義憤と同時に疲労と不審も窺える。


「あ、いえ。すみません」


 自分を抑え込んでから謝る。きっと私は、自分で思っているほど彼らに信用されていない。

 これ以上警戒されてはいけませんから、気を付けないと。


「しかし、そうですか。ベルベンス先生の授業で」


 彼の教育は、正直教育などと呼べる代物でないことはもう分かっている。私だって何度も改善を申し入れているけれど、彼はそれを真に受けた様子がない。学院側も大きく動くつもりがないのか、鈍い反応を返すばかり。仲のいいベテランの先生に聞いた話だと彼は運営議員からの後押しで教師になったそうで、色々と圧力がかかっているそうだ。


「詳しく教えてもらえますか?」


 私が生徒だった頃、担任だったベサニア先生は私の将来を大きく切り拓いてくれた。だから自分も誰かの未来を切り拓く存在になりたいと思った。そんな私にとって、生徒から不審の目を向けられることはもはや恐怖ですらある。でもここで挫けては、きっと意味がない。生徒に対しても、学院に対しても。


「それは構いませんですが……」


「先生がもう一度、ベルベンス先生にお話してみます」


 躊躇うバノン君に微笑む。そう、ここから私は信頼を勝ち取り直さなくてはいけない。教師に相談しても無駄だなどと思わせないように。


 それから私は彼らの証言をもとにあちこち足を運んだ。商店街の喫茶店の店員、その時間に外出していたであろう生徒、事務方で問題の書類を処理した人間……思いのほか大勢になったせいで数日かかってしまったが、その証拠を手に副学院長の下を訪れたのである。


 何度か話をしたことも、揉めたこともあったけれど、実際にこれだけ激高したベルベンス先生の前に立ったのは初めてのことだった。怖かった。本当に人間かと疑うほどの高身長から降り注ぐ威圧、罵詈雑言、怒り、眼光。それら全てが私の本能に、目の前の相手が自分を殺し得る存在だと訴えかけてくる。

 怖い。怖い。怖い。

 足がくじけそうになるのを叱咤して私は彼を睨み返し、怒鳴り返し、理屈で詰め寄った。本当はすぐにでも逃げたいくらい怖かった。下手な悪魔よりよほど怖かった。けれどこの怒り狂った男が私の大事な生徒たちを三カ月以上も好き勝手にしていたかと思うと、踏み止まって噛みつき返すことは難しくなかった。


「あのオルクスが自らの実力不足を認め、落第を受け入れたことは書面にある通り」


 この男は、アクセラさん本人をちゃんと見ようとしたことがないんだ。


「戦闘学は肉体の戦闘力、『剣術』や『槍術』といった誉あるスキル、高潔さと公平さを養う授業だ」


 この男は、劣等感を覆い隠してくれるものとして騎士道に夢を見ているんだ。


「政治の言葉を真正面から受け取るとは、やはりまだまだ小娘か」


 この男は、自分の理解できない物を切り捨ててしか世界が見えないんだ。


「女に戦闘の何が分かる!」


 この男は、個人的な怒りでしか他人を見れないんだ。


「フィクラ教官と呼べと言ったはずだ!」


 この男は、破れた夢の続きをここで見たいんだ。


 恐怖と怒りの中で必死に目の前の人を見る。ベサニア先生に教わった通り、生徒の心を推し量るように。メルケ先生に教わった通り、戦闘の機微を窺うように。そして理解する。ベルベンスという人は、どうしようもないくらい小さい人間なのだと。けれど身に余るほどの力を宿して、その使い方を分からないままに振り回している。生徒の近くに置いておいてはいけない人間だ。


「これ以上ここで話しても、決闘が始まる未来しか見えない」


 そんな風に副学院長が言ったのは、その通りだと思う。私にとって目の前の人は救いがたいほどに歪で、きっとこのままやっても戦う未来にしかたどり着かない存在だ。生徒を守るために私ができることは、戦って排除する以外にない相手だ。


「……わかりました。失礼します」


 それ以外の選択肢があるであろう唯一の人、副学院長には現状が伝わったと思う。ベルベンス先生の本質と、生徒たちの身に迫る危険と、私の中で渦巻く不穏な決意が。その上でどう動くのか、それを見定めよう。

 ごめんなさい、皆。

 今すぐにでも手助けがいるであろう生徒たちに、もう少しだけ時間をくれというの酷な話だ。けれど性急に行動すれば解決するという問題でもない。最後の最後、どうしても手が無くなったら私がやる。その覚悟だけ決めて、私は副学院長室を後にした。


 ~❖~


 足早に去って行くローブの裾が扉の向こうに消えたあと。ベルベンスはガシャリと音を立てて怒り冷めやらぬ表情を浮かべる。


「生徒が生徒なら担任も担任ですな!戦場も知らない女が偉そうに、嫌ならばさっさと去ればいい」


 副学院長が重々しく頷くとでも思ったのだろうか、荒々しい口調には身内へ向けた気安さも含まれていた。当のこの部屋の主は組んだ手に隠した唇の端を犬歯にひっかけて苦い表情を浮かべる。


「ベルベンス先生、騎士を引退し学院で教えたいという者がどれほどいるかご存知かな」


「大勢いるでしょうな。騎士学校に並び、王立学院で教えることは名誉だ」


 その大勢の中からベルベンスが見事に射止めた理由はまさに運営議員による推薦があったからである。彼の祖父でフィクラ男爵家にとっては主家でもあるコーキンス辺境伯は南端を隣国ジントハイムから守護する武闘派の大領主であり、同時に運営議員を数人擁立している学院の重鎮でもあった。武勇に優れた祖父の目に留まるほどの力量と経歴。その自負をみなぎらせて大男は胸を張る。だが副学院長は温度差のあるトーンで言葉を重ねる。


「では上級の魔法使いで学院の教師になりたいと思う者は?」


「はっ、それこそ無数にいるのでは?無位無官の魔法使いなど怪しいだけの(まじな)い屋ですからな」


 ヴィヴィアンは彼に言わせれば女であり、若輩であり、しかも不心得者だ。こんなくだらない問答で教練に穴をあけるつもりだった、その事実にベルベンスは大いなる怒りを覚えていた。経験も見識も能力も足りないくせに自分に噛みつき、挙句の果てに不毛極まりない言いがかりのために教練をおろそかにするなど、と。そしてそんな人物に勤まるのだから、大したお役目だと見下してもいた。


「皆無だ」


 嘲笑うベルベンスの言葉に被せるようにして副学院長は言い放った。それからじろりと放たれた強い眼光。ベルベンスは思わず半歩引き下がった。


「研究員でも、軍属でも、あるいは野に下って君の言う無位無官になったとしても、上級魔法が使える人間は栄達の道があるのだよ。そんな身で無駄に頭の高い貴族師弟を何十人も集めて、魔法の初歩から懇切丁寧に教えてやろうなどと思う特殊な人間はいない」


 魔法使いという人材を高く評価する言葉。ベルベンスの眉間に皺が寄る。


「あまり軽々にヴィヴィアン先生に職を辞せなどと言ってもらっては困る」


「……は?」


「彼女はこの学院でも指折りの逸材だ。魔法使いとしてだけではない。本校始まって以来の教育者と称されたベサニア女史が見込んだ、金の翼を持つ雛なのだ」


 ベルベンスは困惑する。自分は強者だ。そして経験豊富な騎士だ。騎士団でも甘ったれな新人を再教育し、一端の騎士に作り変えて来たベテランの教官だ。そんな彼の自尊心を通して見たヴィヴィアンは、最低のクズの部類だ。

 それが、それが素晴らしい教師の雛だと……ッ?


「それから、今回の訴えについては彼女の方に分があると、あくまで私見だが、私はそう感じている。我々は紙に書いてあることが間違いであればそれを調べ、声を上げ、国をよき方向に導く気概ある若者を育てているのだ。右から渡された紙きれに判をついて左に渡すような教育を施しているのか、などと、そのような侮辱を受けることは許されない」


 副学院長がヴィヴィアンの、ひいてはアクセラ=ラナ=オルクスの肩を持った。その事実を脳が理解した瞬間、ベルベンスの意識は真っ白に染まった。あまりに理解不能で、あまりに理不尽で、あまりに道理に外れるその結論。彼の理性が張った最後の一線、か細い糸のようなラインギリギリまで白で埋め尽くされる。


「オルクス家令嬢の戦果と功績について、改めて王宮に詳細な報告書を貰うつもりだ。決闘の立ち合いを行った戦闘学のイリンダ先生にも聴取は行う。それまでこの件は保留とする。貴君の判断が正しい可能性について、私も誠意を尽くして裏どりをしよう。その点は安心してほしい」


 真っ白になったベルベンスの思考に一片の火の粉が散った。一流の騎士として、一流の教官として、この自分が下した裁定。それを一方的に政治や学院の都合で覆されるということは耐えがたい怒りの火種である。しかも彼の中では唾棄すべきクズである、あのオルクスを再評価するというのだ。感情が奥底でバチバチと爆ぜ、その火の粉が次々に白紙の頭を埋め尽くし、焦がしていく。最後の一線は、か細い糸は、あっという間に炭になった


「さて、そろそろ貴君も授業だろう。行ってよろしい」


 ベルベンスはその後、自分がどのようにして授業へ向かったか分からなかった。ただ頭の中でこれまでにないほどの強烈な熱量が膨らんでいった。火の粉は火へ、火は炎へ、炎は渦巻く赤い竜巻へ姿をかえ、彼の意識を黒く焦がし尽くしていく。


 そして練習場へとたどり着いた彼は出迎えられた。鎧と剣で武装し、揃いのマントを肩にかけ、貴族としての一種の正装に身を包んだ生徒たちに。


~予告~

対立する二人の教師。

しかし生徒たちは独自に決戦へと踏み切る。

次回、友の誇りと紅のマント

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめはオルクス家の裏切り者としてしか見られていなかったアクセラも、いつの間にかみんなの中で重要な存在になっていますね
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