二章 第9話 治療法
教会から帰ってとりあえず自室のベッドに腰掛ける。時間はまだ夕方の手前。今日はこれ以降予定もないのでこの後は書庫で調べ物をするつもりだ。思えばアクセラとしての生涯、かなりな割合を書庫で過ごしている気がする。
「それより……」
態々書庫に行く前に部屋に戻ってきたのは腰を落ち着けるためではない。ミアに教えられた方法で眠気が消えるのかどうかの実験だ。日に1度から3度と言われているが、とりあえず耐えられない眠気が来る前に有効かどうかだけは確認しておかないといけない。
平時に点検していない武器は戦時に使えないのと同じ理論だ。信頼できん。
まずは帰り際に教えてもらった精神安定の魔法を思い浮かべながら、ステータスの『使徒』の中にある『聖魔法・上級』を選択する。すると今朝まではなかった精神安定の魔法、正しくはその祈祷呪文が登録されていた。
「よし」
思わず小さくガッツポーズをする。スキルによる魔法はあらかじめ知っていないと使えないのがやや不便なところだ。まだ聖魔法はスキルでしか扱えないのでこの仕様は中々面倒くさい。
「使い方は……」
胸の肌に直接手を当てて祈祷をささげればいいのか。
さっそくシャツのボタンを上から3つ外してインナーをまくり上げる。片手でインナーを押さえながら、胸の中心にもう片方の手を当てて『聖魔法』を意識しながら祈祷を捧げる。
「天にまします我らが主よ、その癒しの御手にてこの者の心を鎮め癒したまへ」
聖魔法中級・トランクイリティ
当てた手から薄紫の光があふれ出して胸に吸い込まれていく。すると、それまでのぼんやりとした眠気が夢幻であるかのように消えてなくなった。
「……簡単」
分ってみれば本当に簡単な対処法だった。しかし効果は絶大だ。
コンコン
「ん、どうぞ」
あの鬱陶しい頭の中の靄が晴れた喜びで、ノックの音に半ば無意識の返事を返してしまう。十中八九エレナだろうと。
「アクセラちゃ……」
予想通り扉を開いて入ってきたのは彼女だった。しかしいつもと違って入室したところで止まってしまう。その可愛らしい顔にいぶかし気な表情をのせて、エレナは俺に尋ねた。
「アクセラちゃん……なにしてるの?」
「?」
何とは何だろうか。
そう思って自分を見下ろす。まだシャツの胸元をはだけてインナーをたくし上げ、胸元に掌をあてがったままの状態だった。
「あ……心音、聞いてた?」
我ながらあんまりな嘘を言いながら手早く服を元に戻す。
まあ、エレナに比べるとマシだが、俺もかなり突飛なことをする子供だと周りからは認識されているからな。突然自室で心音を聞いていても「また変なことをして」くらいにしか思われないだろう。
そう思った俺は、甘かったと言わざるを得ない。
「えっと、お洋服もだけど……いまの魔力は?」
エレナのその問いに俺は固まる。
聖魔法に使われる魔力は基本属性や上位属性のどれにも当てはまらない。視覚的にそれらすべての属性を理解している彼女が、異質な聖魔法の魔力に気づかないはずがなかった。
「えっと……」
「それ、たまにアクセラちゃんが使ってるやつだよね」
どう誤魔化そうか、そう思っているとエレナはさらに質問の精度を上げてくる。彼女の目の前でしたことはないが、何度か怪我を聖魔法の回復魔法で治したことがある。おそらくその時も残滓が漂っていたのだろう。
仕方ないじゃないか、いくら慣れているといっても剣の訓練には怪我が付きまとうのだ。力加減を間違えて骨折したまま屋敷に戻ったらビクターあたりが卒倒する。
「ちょっと、まだ実験中の魔法」
とっさに吐きなおした嘘は心音うんぬんよりは多少マシな代物。俺が新魔法の開発にいそしんでいるのはエレナも知っているし、その結果をある程度完成するまで言わないのもいつものことだ。
「火と闇の魔法はもっと暗い紫だったとおもうんだけど……」
「だからこその新魔法」
「……だいぶまえにも見たことある気がするよ?」
「なかなか完成しない」
「……」
「……」
お互いの目を見たまま沈黙が流れる。
吐いてしまった以上、俺はこの嘘を吐き通すしかない。
しかしエレナも何かおかしいことに気づいているから引こうとしない。
「アクセラちゃん、何か隠してるでしょ」
俺の無表情な目から何を読み取ったのかわからないが、エレナは単刀直入に自分が感じている違和感を言葉にした。それは俺にまっすぐ刺さる言葉だった。
「隠してないよ」
「隠してるよ」
自分では普通の受け答えをしているつもりなのに、言葉を交わせば交わすほど彼女の中の違和感が確信めいたものに変わっていくのがわかる。
「……ずっと眠そうにしてるのと関係あるの?」
「ない。ちょっと寝不足」
「あれだけ寝てて?」
「成長期だから」
「いくらなんでも無理があるよ……」
「……」
「ねえ、どうしたの?アクセラちゃん少し変だよ」
疑念と心配が強まった問いかけに俺は言葉を返せない。彼女に問い詰められるような状況は初めてだった。
いっそエレナにすべて、使徒のことや今の不具合のことを話してしまおうか。そんな思考が一瞬脳裏をよぎる。
そうしてしまえば……いや、ダメだ。魂と肉体のズレは短くて6年、長ければ9年も続くのだ。その間、不安定で危険な状態にあると知っていて何もできないのではエレナがおかしくなってしまう。親しい誰かに命の危機が迫っていると、多感な時期を通して心配し続けることが負荷にならないわけがない。
彼女にはできるだけ健やかに成長してほしい。
そう思えば、言うという選択肢は端から考慮の対象ですらない。
それに万が一使徒のことや転生のことを話してしまって、彼女が受け入れられなければ……この愛らしい妹との関係はそこで終わってしまうかもしれない。そんな恐怖もある。
「……ちょっと疲れてるだけ、問題ない」
結局俺はそう答えた。エレナに使徒のことや転生のことを明かす日が来るとしても、今でない方がいい。もっと大人になってからでもいい。そう結論付けたのだ。
「疲れてるって……」
「ずっと鍛錬ばっかりしてたから、少し疲れてるだけだよ」
その場しのぎの言葉に変わりはないが、はっきりとそうなんだと言い切る。
「……」
エレナは納得していないという顔で押し黙った。
「魔力は色々属性混ぜるのを試してただけ。火と闇に光を混ぜる実験。強化魔法系だから体に触ってたの」
闇と光は反対属性だ。混ぜ合わせれば中和してしまう。そこで別の属性を間に挟んで両立させるという試みはエクセララで本当に行われていた実験だ。結果は既に不可能だと判明しているが、それをエレナは知らない。
「…………」
「…………」
エレナの眉が寄る。もっともらしい言葉で飾った断固たる返事に、俺がそれ以上何も答えないだろうことを悟ったのだろう。見つめあったまま、彼女の視線は鋭くなる。どちらかが根負けするまでこの問答を続けようかという逡巡が、こちらを真っ直ぐ見据えるエレナの目に見て取れた。だがそれも数秒の事で、彼女はすっと視線を横に逸らす。
とりあえず今回は諦めてくれたようだ。悔し気に伏せられた目に胸が痛むが、こればかりはしかたない。
「大丈夫、心配してくれてありがと」
軽く頭を撫でてベッドから立ち上がる。
「書庫行ってくる」
「わたしも……!」
「晩のお手伝いしないと」
食い気味に答えるエレナを止める。今日の侍女としての勉強は夕飯の手伝いのはずだ。今から俺と一緒に書庫に行っていては間に合わなくなる。俺の方もトレイスの病気について調べるつもりなので、なぜ調べているのかと聞かれても困ってしまう。
段々とエレナに言えないことが増えてくるな……いや、今までがなさ過ぎたのか。
言いしれぬ不快感に胸中で顔を顰めつつ、彼女には小さな笑みを向ける。
「またあとで、ね」
「……」
複雑な表情に歪む彼女の頭をもう一度撫でて部屋を出る。今はそうするしかないと、自分に言い聞かせながら。
~★~
ひんやりとした書庫の空気を肺一杯に吸い込む。古いものから新しいものまで多くの本が収められたそこの匂いは、何百何千というインクと紙の香りが混じり合った独特なもの。まるで人の積み重ねてきた時間そのもののような匂いで好きだ。感情を一旦横に置いて、作業に没頭できる。
「おお、お嬢様。調べ物かのう?」
胸の不快感が少し薄れてきたころ、ひょっこりヤギ髭の老人が本棚の向こうから顔だけ出して声をかけてきた。レメナ爺さんは本棚の整理をしていたらしい。
「ん、ちょっと」
「なんぞ機嫌が悪そうじゃのう……ま、分らんものがあったら聞くんじゃよ。無用な気遣いじゃろうが」
「そうでもない。また聞く」
「聞いたことなんぞないくせによう言うわい……」
呆れ半分で肩をすくめると痩身の爺さんは本棚の向こうに引っ込んだ。俺も軽く肩をすくめていつもの如くカルナール百科事典のある棚へ向かう。何事もとりあえず調べてみるにはそこから始めるのがいい。
そうして一通り読んでみると、魔力過多症と超能力についてカルナール百科事典に書かれていたことはミアの話を裏付ける程度だった。特に超能力についてはほとんど人間の手では解明されていないらしく、文字量のわりに情報は少なかった。
「レメナ爺!」
カルナールを書架に戻しながら少し声を張る。
「なんじゃー!」
しわがれた声が返ってきた。他に誰もいない書庫だからできる大声でのやり取りだ。
「紙、頂戴!」
「儂の机の上に積んであるから好きに使いなさい!」
「ありがと!ペンも借りる!」
「インクを零さんようにのう!」
爺さんの分り切った注意を聞きながら書庫の奥にある机に向かう。年代物の香木を使った上等な執務机。その上には同じ大きさの羊皮紙が束で備えてある。そこから5枚ほどと常備されている小さなペンをインク壺も兼ねたペン立てごと貰った。
「医術書は……あった」
立ち並ぶ本棚の間を縫って目的の場所へたどり着く。医術や病気に関する本が2枚の本棚に収められた場所だ。聖魔法による治療が発達したこの世界においても、人の手による医術や薬学は重宝されている。だが専門職でもない貴族の家でこれだけの冊数があるのは非常に珍しい。
著者名順に並ぶそれらを片端から確認していく作業は気が遠くなりそうだったが、見逃しの無いように背表紙や目次で中身を見ていく。折角ミアが教えてくれた手がかりなのだ、調べられる限りは調べておかなければいけない。
「汗腺と魔力流出の関係性……ソラテクス草の魔力代謝薬……身体強化魔法の暴発事故……」
明らかに眉唾なもの以外は片端から羊皮紙にメモしていく。魔力過多症や超能力の制御に関してだけではなく、実際に起きているであろう魔法の暴発に関して関係のありそうなものもだ。
そうして調べていくと2時間ほどで3枚の羊皮紙が埋まった。魔力過多症についての記述がそう多くなかったこともあって思ったほど多くの事は分からなかったが、ミアから教えてもらったことと合わせると大まかには掴める。
魔法にとっての魔力は火にとっての油と同じであり、体内外でその発火しやすさは大きく違う。体内の魔力の方が意図的に火をつけやすい。そのぶん体内の魔力は容器に収められていて勝手に発火はしないようになっているのだ。
しかし魔力過多症の人間はその容器から魔力が漏れて体内を満たしている。どれくらい容器に収まらない魔力が滞留するかは人にもよるが、トレイスの現状と今見た症例を照らし合わせるに彼はかなり多い部類だと推測できる。
結局超能力について多くは分らなかったが、燃料の例えで考えると少しは飲みこみやすくなる。
魔法使いが魔法を使うにはまずイメージと言う芯材に燃料である魔力を馴染ませ、しかる後に明確な意思という火打石で点火する。プロセスと結果が明確という点では普通に火打石で蝋燭を灯すのと同じだ。
これに対して強くイメージしなくても望んだ魔法が発動する超能力者というのは、火花だけで芯材なしでも何故か火が綺麗に燃え上がる特異体質者と言える。それは本人にも仕組みが分からない不思議な能力としか言いようのないものだ。さらにはその火元となる火花が魔法使いより簡単に出てしまうらしい。
これらの例をもってトレイスのことを考えてみよう。彼は体内に溢れる燃料を抱えている。魔力過多症にしても多いだろう量の、火が付きやすい燃料だ。そこへ僅かな意思で発生する火花が投じられる。
「暴発するはず……」
意思が生まれる年齢では過多と言っても溜まっている魔力量はたかが知れている。その頃から細かい暴発を繰り返してきたことで肉体が魔力攻撃に対して耐性でも得ているのだろう。そうでなければ今頃確実に死んでいるはずだ。
「ん、次は解決策」
調べた結果と考察を踏まえての解決策を残った羊皮紙に列挙していく。といっても大別すると3つしか選択肢はない。余剰魔力を失わせる、魔力をコントロールできるようにする、意思をコントロールできるようにする、だ
余剰魔力を失わせるのが一番楽に思えるが、これは既知の薬や魔法では効かないくらい魔力が多いか回復量があるのだろう。それで済むならとっくにレメナ爺さんがしてるはずだ。
そうなると他に余剰魔力を失わせる方法は他人が魔力を抜くか、物に移し替えるかだ。
「干渉は無理」
魔力干渉は経験と器用さが要求される技術だが俺はこれを行える。ただされる側の負担がどうしても大きすぎる。強制的に魔力を抜くとなると今のエレナでも一度やれば半日は動けなくなるだろう。それをベッド暮らしの7歳児にするのは安楽死と同義だ。
「移し替える?でもどうやって……」
補助魔導具を作るための付与魔法をはじめとして魔力をモノに込めるということは可能だ。ただしそれにはスキルか技術か、どちらにせよなんらかの訓練を工程として必要とする。今のトレイスに職業訓練をさせるなんて無理にもほどがあるし、なによりそれができるなら普通に魔法を教えてコントロールできるようにした方が早い。
魔物を操るテイマーなら使い魔に魔力を喰わせられるが、それも直接魔物と契約しないとだめなので実行は無理だろう。
「あとは、これは……ない」
他にないかと一心に書き込んだメモに目を通していると、我ながらなぜ書いたのか不思議でならない選択肢があった。性行為は男性側が著しく魔力を消耗するというものだ。いよいよ死にそうでもない限りあり得ないし、そんな状況でヤったらたぶん死ぬ。
「魔力のコントロールも厳しい。そもそも魔法の練習ができない」
スキルも技術も結局のところ努力を必要とするのだ。練習できないのにそれらを得られるわけもない。
「でも意思のコントロールはもっと……」
一番鍛錬しにくいのが意思なのだ。生まれてこの方ベッドと寝室しかしらず、ずっと苦しみ抜いてきた病人に「意思を強く持て」と言っても根性論にしか聞こえないことだろう。
「んん……」
そう簡単にどうにかなるとは思っていなかったが、思った以上に条件が厳しいようだ。対処療法を先に考えた方がいいだろうか。
トレイスの体内で暴発しているのは攻撃魔法ではない。ではなにかといえば、おそらくは強化魔法や回復魔法の類だろう。彼の適性属性が何かは知らないが、全ての属性にこれらはある。
超能力の仕組みが望んだ魔法の顕現であるなら、トレイスはきっと強い体を得ることや痛みが治まることを願うはず。発動しているのは強化魔法や治癒魔法が中心になっているはずだ。それらの魔法を失敗させてマイナスの効果が発生したという事例はかなり多く、その結果死なない程度に大怪我をする場合が多い。彼の現状にピッタリ当てはまる。
「強化魔法だけなら上級くらいの練習量かな……」
皮肉なことだ。と思った直後、俺は自分の言った言葉の意味を遅れて理解した。
「ん、そうか……!」
傍から見ればベッドに寝転がっているだけではあるが、毎日彼は何度も繰り返し魔力を魔法に変換しているのだ。これならもしかすると……
「お嬢様、こんなところで何をしてるんですかー?」
「んぁ!?」
急に後ろからかけられた言葉に声が跳ねる。思考に没頭しすぎて気づいていなかったのだ。
驚いて振り返ると、そこには大きな眼鏡をかけた明るい笑顔の侍女、ステラがいた。
「びっくりした」
「あ、ごめんなさい!珍しいところで座ってたので、またお腹が痛くなっちゃったかなーと……」
「ん……問題ない。ありがと」
たしかに貴族の令嬢が本棚に背を預けて床にあぐらをかいていたら心配もされるか。ちなみに考え事をしているとあぐらをかいてしまうのは生前からの癖だ。最近では地面に座ること自体が減ったからあまりしていないが。
「それで、医術書なんてみてどうしたんですかー?」
「ちょっと興味が湧いただけ」
「そうなんですか?」
そう言うステラは胸元に刺繍の本を抱えている。
「返しに来た?」
「はい、新しいドレスのデザインを考えてたのでー」
「新しいの作るの?」
体格がどんどん変わる年齢の俺やエレナは去年の季節ものが今年は着れないという目によく合うのだが、ドレスを着るのなんて年に1度の誕生日くらいだ。そしてまだ半年以上は着ない予定である。だから、ステラの返事は意外なものだった。
「ええ、今年は夏物をつくらないといけませんからねー」
「……?」
「あれ、お嬢様知らないんですかー?10歳になられる貴族のお子様は王都でお披露目があるんですよー」
「それは知ってる」
「その年に10歳になられる方なので、お嬢様は今年です。あと時期は移動のしやすい夏場ですよー」
「それは知らなかった」
夏なのか……そうなると今が春先だから、ギルドでの諸々は少し急いだ方がいいかもしれない。王都に行く頃には多少の依頼は受けられるようになっておかなければ、道中の暇つぶしゴホンゴホン、鍛錬に支障が出てしまう。
トレイスのこともできれば近日中に片をつけたいものだ。王都にいる間に急変されたら対処できないし、折角のミアの好意も台無しになってしまう。ラナやビクターやイザベルが悲しむのも見たくない。
チリンチリン……
「あ、ごはん」
食事の支度が整ったことを知らせる魔導具の音色が聞こえた。
「みたいですねー。あ、あとでまた採寸させてください。夏までにどれくらい成長されるかおおよその見当をつけたいので」
「ん、いいよ」
夕飯のあとはステラの採寸を受けてから、少し実験をしてみよう。
~予告~
アクセラの不調にもトレイスの治療にも光明が見えた。
やがて来る夏とともに、穏やかな日々は続いて行く・・・。
次回、GET MILD
エレナ 「・・・むぅ」
ビクター 「こらこら、そんなふくれっ面になったらせっかくかわいいのに台無しだよ?」




